猫でも書ける脚本講座




●前説
●まずは脚色からしてみましょう
●「羅生門」本体について
●何から始めようか

●余談・猫耳屋の書き癖
●参考になるHPなど

●前説
   猫耳屋です。たぶん脚本というのは誰にでも書けるものだろうと思います。そのいい例が、猫耳屋です。まるっきりの芝居の素人で、40歳になるまで、脚本書くなどとは思いもしなかった私ですが、弾みと義理で仕方なく、書き始めました。まあ、処女作はスゴイものでした。やってくれた生徒諸君に感謝と陳謝。あんた等、ほんとに偉い。
 書くことについては、実はこつなんかありません。「とにかく書く。書き始めたら仕上げる」これは、あるプロの方のお話ですが、言い得て妙です。それしかありません。では又・・。
 って、終わるか?それはないでしょ、猫耳屋さん。
  というわけで、私のようなささやかな体験でも、ほんのヒントになれば、これ幸い、もっけの幸いもうけたもうけた、棚からぼた餅、転げるウサギというもので、いわゆる、感動的大作などは無理だと思いますが、ヒットか二塁打ぐらいの、まあ、いいんじゃない程度には多分なると思います。努力すればたぶん・・。
 
 ほんとにテクニック的なことに絞って、「形」を整えるところを重点的に考えていきたいと思ってます。テクニックは誰でも使えるものです。そして、練習すれば確実にものになる。そこから先のおもしろい内容や、意外性のある発想は、若い、君たちの独創性だよということで。まあ、それを探す方法も無いことは無いですが、それは又いずれ。とにかく、ある程度形にすると、いいところも悪いところもはっきりしてくるものです。それから先は、修行しだいですな。とにかく書くことです。
 
 さて、ある日、あなたは考える。「どれ、ぼつぼつ脚本というものでも書いてみようか。」

 というようなことは、まずありません。多分それでは書けないでしょう。高校演劇の場合に特化すると、たいていは、やむにやまれぬ大和魂(?)で、既成脚本と人数が合わない、男女比の変更が難しい、おもしろいものがない、クラブのカラーと合わない、などなど、ネットを探してもろくなもんがねーわ。ということで、「こいつは、一つ、書くしかほかに道はない」という、せっぱ詰まった状況が発生することから始まるのがまあだいたいのところでしょう。ちなみに、せっぱ詰まったの「せっぱ」とは、刀剣の・・というようなうんちくをたれている暇はまずないほど追い込まれているのが常であります。本番まであと何日とかいう、シチュエーションを踏まえた作品がありますが、まあ、あんなところ。

、まあ、ぶっちゃけたところ、とにかく、書くしかないと言う状況の力に押され、よろよろと「脚本を書く」という、恐ろしく消耗する世界へあなたはたぶん足を踏み込んだことと思います。
 踏み込んでいなくても、踏み込んだことにする。そうして、これから後、あなたはいろいろ迷いながら、最終のあの感動の一字・・【 幕 】・・というとどめの一発へむけ、発進するのである。良い旅路を心からお祈りいたします。

 ちなみに、お祈りしただけでは多分何の役にも立たないから、以下実際の作品に即して、どんな点に気をつけた方がいいかを書いておこうと思います。できるだけ、すぐに役立てばいいけどね(*^_^*)

 なお、それでもどもならんと困ったときは下記のアドレスまで、ご相談いただければ、何とかなるかもしれません。
 たぶん・・・まあ、いろいろアドバイスしてブロック大会まで行った演劇部もありましたから、への突っ張りにもならないことは無いと思いますが・・・
 
 経験知はできるだけ利用されて、なんぼのものです。初心者の方、できるだけ猫耳屋をこき使ってくださることを期待いたします。
 
 なお、 高校演劇初心者の扉 の 脚本に関する箇所もご参照ください。

 
 ●脚本の色々な疑問やアドバイスを求める方は こちらへ whitewing20_08@yahoo.co.jp
  ゼロからの出発でも、一応書いたけどこれでいいのだろうかでも結構です。


●まずは脚色からしてみましょう
  さて、脚本と言っても千差万別ありますが、ここでは、ストーリー性の強いタイプを念頭に置いて説明していきます。エチュードから作ったり、何も起こらない貴タイプの脚本もありますが、当方の嗜好が、一定の世界観をベースに、物語が展開されるタイプで、演劇的と言うより、文学的ですねと言われたりするタイプです。これは、まあ、好みというか、ある物語が念頭にあり、さて、それを可視化するに対して、映画はとても無理だし、小説にするには描写力ないし、マンガにするにはからっきし絵の才能ないし、仕事しながらやってるからこれは、もう一番安上がりな形でやるしか無いなあと乏しい才能と現実との妥協の産物ですね。なんせ、高校演劇部だったら、人件費ただで役者という表現主体がいるし、観客も自動的についてくるし、いやあ、こんなにある意味安上がりなシステムはないのうと。まあ、それは、全くの浅はかな思い込みでしたけどね。とまかく、そういうことで、ストーリー性は外せませんので、別のタイプの演劇を志向される方は、別なとこを探索した方がよろしいかと思います。それでも、共通する部分はありますから、全く参考にならないと言うことは無いとは思いますが。
 創作する場合、全くのオリジナル脚本を志向するのは当然のことと思います。自分しか書けない、完璧な世界があるはずだと。多分、ほとんどの人のそれは妄想です。たいてい誰かが書いてますね。というか、最初からそういうの書ける人には当講座は必要ないでしょう。とっとと、書き始めることです。たまにですが、そういう才能に恵まれた生徒が出てきまして驚かされることはあります。ここでは、あんまし才能無いと思うけど、でもかかねばならないし、頑張ればできると思うという勇気ある初心者が対象です。その勇気さえあれば、大丈夫書けます。品質のほどは定かでは無いですが、でも、書くと言うことが第一歩でしか無いのですからね。
 で、いきなり、完全なオリジナルを書くには、必要なお仕事がありすぎて壁にぶつかりやすいんで、まず最初の段階は脚色をおすすめします。短編小説や童話でもいいですから、元ネタがあってそれを膨らませるのは、基本の構造がしっかりしている作品が元なら意外にやりやすいものです。どう外すか、何を付け加えて膨らませるかなどアイデアが出やすいし、そもそも、発想の種がある程度準備されていますので、労力が軽減されます。模倣と言ってもいいし、換骨奪胎と言ってもいい、要は、そういう作業を通して、書く技術を習得していくことです。脚色は何をどうしても、一つの形ができますから、未完に終わりにくく、挫折しにくい。とにかく一度作品を仕上げれば、書くコツというものが少し分かり、自信ができてきます。これが大事です。創造すると言うことは全くのゼロから生まれることはほとんどありません。平凡な私たちが、その創造する作業を自分の身のうちに習得して行くにはやはり、模倣から始める方が正道だと思います。実際、完璧オリジナルと思っていても、昔見た色々な作品(演劇とは限りません)に無意識に影響されていることはいなめません。人類の歴史がゼロでそれから演劇作れと言われてもまず不可能でしょう。意識はされないけれど、演劇そのもののあり方は、ギリシア古典劇からゃくみゃくとして受け継がれてきた成果の上にあるんだと。高校生が演じるお芝居も実はその延長線上にあるんだと言うことを考えれば、模倣は恥ではありません。私たちが、最初に立ち上がった猿で無い以上、そこがスタートなんです。

 ここでは、まず、脚色という模倣から始めます。脚色の度合いによってさまざまタイプがありますが、あまり深く考えずに、脚本以外の原作があり、それをどう脚本化するかということと考えてください。
 当然、原作を選ぶ段階でいくつか問題点が出てきますが、いまは触れないでおきます。
 ここで扱うのは、 高校生が必ず学習する 芥川龍之介『羅生門』です。
理由は、3つあります。
 1.教科書会社がほとんど採用しているので、高校1年時にほとんど学習して、内容やテーマや細かいことを押さえているはず。1学期には完了かな。テストで赤点とった人はやばいかもね。
 2.長くないこと。頭の中でストーリーの細かいところが結構展開できるはず。
 3.分からない部分があること。授業で説明してくれるけれど、実はよく分からない人多いでしょう。特にラストの下人の行方に関して。この分からない部分があるというのは最大のポイントです。全部分かったら、想像力の働く余地はありません。分からないから、想像力を働かして(実際には、論理で詰めていくんですけれど)自分なりの答えを創造する。それが無いと、実は、脚色に適した作品ではありません。
 
  ●分からない部分がある原作を選ぶ これ、脚色用の作品選ぶとき必須ですからね。チェック項目にしてください。

 思い返せば、今を去る10数年前に消滅したHPで、この講座の対象にした原作は「銀河鉄道の夜」でした。未完の作品でもあり、難解の極みであるやっかいな作品です。でも、それだからこそ、脈々としていろんな派生脚本が生まれていますし、名作も誕生しています。プロの作品もあります。別役実 「ジョバンニの父への旅」。ありましたね。随分と昔、名古屋の全国大会で愛知高校「祭りよ今宵だけは哀しげに」を見ました。ジョバンニてっきり女の子がやってると思ったら、男子高校だと知ってのけぞりました。これもまた随分と昔、春の演劇祭 北村想の「想稿銀河鉄道の夜」をやって、猫耳屋は秋のコンクールで「幻想銀河鉄道の夜」を書きました。後に呪われた銀河鉄道という二つ名がついたこの作品で山梨大会に出場しました、思い出したくも無い、夜の大捜査線。なんんことか分からないでしょうが、ようは、分からないところが多く、その分作る側の のびしろ があるのです。想像と、創造の余地があると言うことです。原作選びは慎重に。分かってしまっているやつは選ばない事ね。

 でも、講座としては、「銀河鉄道の夜」は伸びしろがありすぎてちょっと失敗したかなと思います。焦点がぼやけてしまいわかりにくくなってしまいました。
 従って、今回は、分かりにくい点がやや少ない(点が少ないだけで、わかりにくさの深さは又違います。そのあたり勘違いしないでね)『羅生門』を素材にして、猫耳屋が書きました「霖雨の門 羅生門異聞」をベースに、説明していきます。

 上演記録でも、わりあい、上演してくださるところがある「霖雨の門」ですが、、2人バージョンと、5人バージョンがあり(両方とも上演いただけていますが)、それぞれにいろいろ、問題点と書き方の参考点があるかと思います。次のコーナーから、実際の作品に即して、脚本を書くときの技術的なポイントをできるだけわかりやすく書いていきます。くどくなると思いますが、内容の性質上ご容赦を。

 なお、読むときに以下の作品を参照していただければありがたいです。

 ●「霖雨の門 羅生門異聞 2人バージョン」
 ●「霖雨の門 羅生門異聞 5人バージョン」
 ●芥川龍之介 「羅生門」 教科書を持ってる人はそれで。
       無い人は 青空文庫羅生門


●「羅生門」本体について
  まず、「羅生門」本体について、今更ですが、少し説明を。
 ご存じ、芥川龍之介が古典を元にして書いた、短編小説の傑作。
●「羅生門を選んだ理由。上の項とダブりますが、改めて書いておきます。

1.高校生のほとんどが一度は読んだ、読まされた経験がある。高校の国語で1年次に学習する各社教科書のほとんどの教科書に掲載されており、遅くても1年の二学期までには学習する。従って、内容のあらましと、テーマ等について把握しているはずである。赤点の人はあやしいかもしんないが(^0^)。ある意味親しい存在であり、みんなと色々意見を戦わすことができる素材である。
2.短いこと。まあ、会話もほとんど無いし、短すぎるかもしれないが、逆に、膨らませる楽しさがある。
3.短い上に、ストーリー、構成、登場人物がシンプルである。言葉は多少いまの高校生にとって小難しいところもあるが、おおむね一読すれば、全体を把握できる。全体を把握できることは(細かい内容の分析は別にして)、脚色するに対して、全体の見取り図を常に頭の中に描くことがしやすいので、混乱が少なく、しっかりした構造が作りやすい。

4.しかも、全体を把握できるにもかかわらず、今ひとつ分かりにくい点があることがポイント。例えば、ラスト。テストでもよくその意味を問われるし、その後、下人はどうなったと思いますかなんていう設問もある。「羅生門」が提出している問題をどう解くかによって答えは多用になる。脚色する際の色々な解釈が可能であり、新しい創造のタネが潜んでいる。「わからないところ」がある原作を選ぶのは、脚色の第一条件だと私は思う。その「わからなさ」を皆で色々解釈していくところが脚本作りの核になるから。

 というわけで、他の作品を脚色の対象に選ぶとき、最初は、あまり長くない、ストーリー進行のシンプルな、それでいて、「わかりにくい」作品のほうが作業しやすいと言うことです。なれれば、もっと長く、複雑なものに挑戦するのはもちろん結構です。場面がいろいろあって、その選択の楽しさも増えますしね。ただ、最初から長いものに挑戦すると、どうしても要約めいたものになりがちですので、初心者的には短いものを徹底的に考える事の方が後々よろしいかと。

●「羅生門」の内容とわかりにくさについて

 多分、高校生のほとんどは、国語の授業で、人間のエゴイズムがなんたら、かんたらとわかったような、わからないような結構指導書丸写しの「正解」をおしえられ、テストで、その通り書いて、○をもらい、後はさっさと忘れてしまっていることだろう。こんなのいまでも普通にあるよねって。いちいち、大げさに書くほどのことでもないんじゃないって思いながら。「冷ややかな侮蔑」とか、「ある勇気」とか、ご大層にかかげるほどのものでもない。モラルも品性も崩壊した21世紀日本の現状を見れば、みんなが「下人」だで。すんぐに切れまくって、やりたい放題、やったもんがち。
 と、突っ放してみても、実は、やはり、分からないところがある。芥川が生きていた時代をベースとしようと、現代のニッポンをベースにしようと、普通のヒトがある一線を、ある人は踏みとどまり、ある人はなぜ超えられるのかということである。ま、書いたのはもう、10年以上前なので、現代のニッポンとは随分違うけれども、分からないところは多分変わらない。
 この、たとえば、「どこが分岐点になるか」とかいうことは、多分、国語の先生も答えられないだろう。というか、そういう羽目になった先生はいないだろうし、そういう想像力を持った先生もすごーく少ない。これは、断言できる。だからして、一番、根本のところは、多分、誰も教えてもらっていないだろうし、そもそも、おしえられるものでも無い。 で、脚色するときに、前にも書いたけれども、一番ポイントは、「わかりにくさ」であり、これが無いと、うまく脚色できない。というか、オリジナリティーが無くなります。
 「わからないところ」を、大切に。
 で、もって、猫耳屋は、その分岐点を考えようとしたわけです。

 ☆ポイント 
  1.対象の作品に対して、「わかりにくさ」を大事にする。
  2.自分なりに、その解釈ができるかどうかを考え
る。

 っていうことです。 なんかできれば、多分それで脚色できます。多分ね(^。^)y-゜゜゜

●「羅生門」の周辺

以下、この項この項続きやす(^。^)y-゜゜゜