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◎『黄昏に浮かぶ』


詩織(しおり)・・高校生(目下戦闘的不登校中。人でなしの世界を構築中。) 
碧(あおい)・・・高校生(詩織の幼なじみ。ふんわりした高校生。毎日やってきては帰る)
葉月先生・・・・・・国語の時間講師(頻繁に家庭訪問しては学校に呼び戻そうとするが、モビールを手伝う羽目に。)

☆Ⅰ生ハムと長谷川式認知症テスト

幕が上がると、夕闇が近づく室内。黄昏の色にやや染まっている。こじゃれたア ールの窓がある。
センターに割合広い作業台がある。椅子も数脚。室内の隅には、3段×4列程度の組み立てのボックスがあり、本が並べられていたり、雑多な物がバスケットに放り込まれていたりする。大工道具や作業用品、モビール用の材料などがおいてある。
作業台の上でなにやら細工(モビールづくり)をしている高校生ぐらいの女の子。 生成りのような色の服を着ている。
サイドに小さいテーブル。その上にカップとソーサー。
大皿があり、トマト、きゅうり、レタス、クレイジーソルト、サンドイッチ用のパン等がある。
天井からモビールが結構ぶら下がっている。大、中、小すべて白い羊のようだが、中に一つだけ小さい黒い羊がいる。
センターやや前寄りにひもが天井から舞台まで下がっている。
やや、その上手よりに脚立が置かれ、制服姿の女の子がその脚立にのぼって、紐 を途中でもち、はさみで切ろうとしている。

碧  詩織。
詩織 ん?
碧  このぐらい?

作業に集中していた詩織は、手を休め、ちらと具合を確かめる眼をする。

詩織 んー、もうちょい。
碧  上?
詩織 ちょい下。
碧  ここ?

小さい間。ちょと首ひねったが。

詩織 うん。余裕欲しい。
碧  わかった。

碧、チョキンと紐を切る。端を結ぼうとして。

詩織 あ、そのまま。
碧  はい、はい。

詩織は作業に戻る。碧は脚立を降りる。残りの紐をひろって、作業台にはさみと一緒に置く。んー、と紐の端の高さを見上げ。指を間合いなどを確かめてるが、ま、いっかという感じ。
よいしょと、脚立を抱えて、上手の方に片付けかかる。
詩織、作業の手を休めずに。

詩織 どうせすぐに使うのに。
碧  (立ち止まり)んー、でも、なんだか。ほら。
詩織 なんだか?
碧  じゃまというか、なんてーか。まあ、あれだ。
詩織 あれって。
碧  あれよ。まあ、いいじゃない。
詩織 あれね。
碧  あれ。・・・よいしょ。

と、やや上手に、ナナメ向きにおいた。

詩織 変わり映えしないよ、そこじゃ。
碧  あとで片付ける。ちょっといまは本気モード出てこない。
詩織 おなか減ってんでしょ。サンドイッチでも作れば、ほら。

と、あごで材料をおいてる大皿の方をさす。

碧  うー。あとで作るわ。今日の材料?
詩織 そっ、レタス、タマネギ、きゅうり、トマト、生ハムぐらいかな。

碧、ちかよつて確かめる。

碧  がんばってるなー。あれ、生ハムないよ。
詩織 ないの?
碧  ない。
詩織 おかしいなあ。
碧  詩織食べたんじゃない?
詩織 たべたかなぁ?
碧  早くも認知症?若年性がすぎるわ。笑える。よっし、認知症テストしてあげる。
詩織 ぼけてないよー。
碧  保健の授業で習ったばかり。簡単だよー。できなきゃ、ふっふっふ。

碧、自分のカバンからノートを取り出して、ぱらぱらとめくり、あ、これだこれこれとかいいながら、椅子を引いて坐る。
おっと、と言って、雑貨類が放り込んであるところから小さい品物をいくつか取り出し、そこにあった袋にいくつか放り込む。
用意はできた。

碧  さてと。今からいくつか質問します。簡単な質問ですから、ちゃっちゃと答えてください。心の用意はいいか?
詩織 あ、ちょっとまって、呼吸が・・息が・・。酸素が。
碧  だめ。容赦なく行く。第一問。

長谷川式認知症検査。乗ってくる詩織。(本物のテストですので、実際に役者さんは体験しておくこと。ネットに出ています。)
次々繰り出す質問。時計見ながら(反応時間を計っている)そこらの用紙にチェックする碧。
で、もって、実は微妙にやばい答えがぽろぽろと。

碧  歳はいくつですか?
詩織 17歳。
碧  今日は何年の何月何日ですか? 何曜日ですか?
詩織 2017年七月13日。・・曜日は、ええと水曜日(実際には木曜日である)

碧、眉をしかめた。

詩織 えっ。(と、思わず宙をにらみ、頭の中でチェックしている。はっとして)あ、木曜だ。
碧  毎日が日曜日の人だからそうなるの・・。質問続けるよ。私たちが今いるところはどこ?
詩織 私の家の作業場。
碧  これから言う3つの言葉を言ってみてください。桜、猫、電車。
詩織 桜、猫、電車。
碧  あとの設問でまた聞きますのでよく覚えておいてください。

頷いて、どこか宙を見て覚えておくように意識している。それにかぶせるように。

碧  100から7を順番に引いてください。100-7は? 
詩織 93。
碧  それから7を引くと。
詩織 (一瞬、うっとなつて)86
碧 (詰める感じで)次。
詩織 79。
碧  次。
詩織 72。
碧  次。
詩織 えっと。72-7で・・。

もたつく。

詩織 65
碧  次。
詩織 えっと。
碧  では次の質問。
詩織 まってよ。ちょと出てこなかっただけじゃん
碧  アウト。
詩織 ケチ。
碧  そういう検査。で、これから言う数字を逆から言ってください。

詩織、ちょとまだむくれているが、かまわず。

碧  6、8、2。
詩織 2、8、・・6!
碧  3、5、2、9。
詩織 数字、増えてる。
碧  3、5,2、9。
詩織 9,2、3、5?
碧  先ほど覚えてもらった三つの言葉をもう一度言ってみてください。
詩織 えっ。・・・・。(グダグダ言ってたから飛んだようだ)

首をひねるが出てこない。

碧  ヒントを言います。 植物、 動物、乗り物 です。
詩織 あつ。桜、猫、車、違う電車。
碧  これから5つの品物を見せます。それを隠しますので何があったか言って下さい。

袋の中から、ひとつずつ名前を言いながら並べ覚えさせる。次に隠す。
    たとえば時計、くし、はさみ、タバコ、ペンなど必ず相互に無関係なものを使うこと。

碧  はい。何がありましたか?
詩織 (二つ目まではすらすら、三つ目4つ目がスピード落ちるが言える。5つめが出てこない。)うーん、(も一度繰り返すがやはり五つ目が出てこない。)・・不意打ちだもん・・。

と、文句を言う。

碧 では最後の質問、知っている野菜の名前をできるだけ多く言ってください。
詩織  レタス、タマネギ、きゅうり、トマト、ナス、スイカあ、野菜じゃねー。インゲン豆、ほうれん草、小松菜・・・(役者が適当にいう。詰まって10秒数えても出てこない演技)
碧  (秒数計ってる)はい。ここまで、ご苦労さん。
詩織 (大きなため息ついて)いゃあまいった。あんがいできないなぁ。不意打ち、やはりムリだ。
碧  不意打ちだからテストになるの。

とか言って、ちょこちよこ計算している。不審そうな詩織に。

碧  詩織のスコア計算してる。ちょとまって。

間。その間に詩織は再びモビールの制作に戻る。

碧  出きた。30点満点で・・なんと、詩織22点。
詩織 おー、7割できりゃ上等でしょ。
碧  20点以下は認知症の疑いあり。その若さで、ボーダーに近いよ。
詩織 げっ。やばい。
碧  うん。
詩織 これはやばい。
碧  うん。このペースで進んじゃうとね。詩織、二十歳ぐらいにゃ立派な若年性認知症かも。
詩織 人でなしになる前に、人間やめますかですか。
碧  可能性はゼロではない。
詩織 そういう言い方、なんかむかっとくるんだけど。

碧、ノートをぱらっと見て。

碧  20歳から24歳までで、10万人あたりの患者数は。
詩織 患者数は。
碧  女性で2.2人。ま、私らの街なら人口30万くらいだから6人ぐらいはいるかもねという感じかな。
詩織 うーん、うちらの街で6人ですか。微妙な数字。
碧  ま、あんたのは単なる不登校ボケだと思うけど。刺激が少なすぎるのよ。毎日の。

詩織、肩をすくめる。

詩織 ま、碧の相手するぐらいだしね。
碧  違う、私が詩織の相手をしてるの。
詩織 そうともいえる。

間。モビールを見ながら。
碧、ちよとため息ついて。

碧  しかし、まあ、青春真っ盛りの若い乙女が、毎日、毎日、家にこもってモビール作ってるってのはぞっとしませんねえ。
詩織 毎日毎日、飽きもせず教室こもって勉強してるのもぞつとしませんわな。
碧  詩織につきあうのはやぶさかではないけどね。学校どうする気。
詩織 ま、気が向いたらと言う方向で。
碧  気が向いたら学校ですか。
詩織 行ってやらないこともないけど、(モビール見上げて)今はまだ。準備が足りない。
碧  準備ね。

碧、ちょとため息。

詩織 サンドイッチ作るんじゃなかったの。
碧  あー、はいはい。生ハムがそもそも問題なのよ。
詩織 あ、あれ昨日食べた。
碧  え?
詩織 きゅーりを大葉で巻いてその上を生ハムで更に巻いて。ビールのつまみに美味しいよ。

と、ニヤッとする。

碧  あっきれた。じゃ、今のテストは・・。
詩織 もちろん。母のおばさんが、アルツハイマー型の認知症で施設に入ってるし。そのいとこさんも脳梗塞からきた脳血管性認知症。こちらは、在宅で療養してるけど、なかなか大変みたい。
碧  と言うことは。
詩織 長谷川式のスコア、微妙なところ、私、いいスコア出してたでしょ。
碧  このー、引っかけたな。
詩織 戦闘的不登校の正しい在り方の一つね。不断に様々な知識を習得し、べったりした日常に波を立たせるのを旨とする。面白いでしょ?けど、碧、よく勉強してるね。立派。
碧  その言葉、そのまま詩織に返しとく。あ~あ、馬鹿みたい。
詩織 (クスッと笑って)サンドイッチ作って。
碧  はいはい。生ハム抜きでね。
詩織 生ハム抜きで。
碧  キューリとトマトとレタスの野菜サンドしかできそうに無いけど。せめてゆで卵でも有ればなぁ。
詩織 それで上等。
碧  マヨネーズある?
詩織 あ、買っとくの忘れてた。クレージーソルトでいい。
碧  あれちよっと苦手だなあ

    碧、さてといって、サイドテーブルでサンドイッチの用意。
詩織は、モビールの、赤いつぎはぎの道化の人形を完成させようとしている。

Ⅱサンドイッチと野菜工場とチャイム

詩織 野菜、洗ってあるから。
碧  あ、でも、もう一度ざっと洗ってくる。ちょとキッチン借りるよ。

と、皿を持って上手にはける。ちょっと、脚立が邪魔そうだが、うまく避けて通る。
型を切り抜くのに苦戦している詩織。
遠雷が響く。上空をみるようなポーズ、だが遠いと判断したようで元の作業に戻る。
皿を持ってきながら、碧。

碧  夕立来るかな。
詩織 どうかな。結構遠いし。
碧  あ、包丁忘れた。

皿を置いて、再びはける。

詩織  まな板もね。

了解という声。
再び遠雷。
再び見上げて。

詩織 これはひょっとしたら来るかな?
碧   又、鳴ったね。こりゃ降るよ。

包丁とまな板を持ってきた。

詩織 涼しくなっていいけど、あの音さえ無きゃねぇ。
碧  ガツンとしていいよ。
詩織 心臓に悪い。
碧  意外に繊細ね。
詩織 元から十分繊細なんです。
碧  それは初耳だ。

と、言いつつ、きゅうりとトマトを手際よく切り始める。

碧  なかなか新鮮。レタスもしゃきしゃき感がよさそう。
詩織 隣町の直販所で今朝買った。よくいくとこ。
碧  学校行かず直販所かい。
詩織 地域経済の実情視察と経済効果についての考察。
碧  いわゆる一つの名目ね。
詩織 もちろん。単なる買い出し。
碧  で、実情と考察のレポートは。
詩織 美味しい野菜は不揃いが多い。
碧  確かにけっこういびつだわ。

取り上げた、きゅうりやトマトはいわゆる規格外だが美味しそう。
と、いいながらトマトの一つにかぶりつく。

碧  美味しい。
詩織 ま、規格外の品ね。都会向けの流通ルートには乗りにくいけど。
碧  美味しいから許す。

詩織、笑って。

詩織 野菜工場つて最近よく聞くでしょ。

とんとんと、トマトときゅうりをきり分けた。

碧  野菜工場?
詩織 スーパーなんかでもよく出てる。
碧  へー。
詩織 大きな倉庫みたいな建物の中で、水耕栽培、無農薬で、虫がつかない、LEDの人工照明、コンピュータによる、湿度や温度管理、大量促成栽培・・不景気だからいろんな業種、たとえば土建屋さんとかわーっと、近頃参入してるらしい。
碧  畑違いなのに。
詩織 本業がなかなかうまくいかないから、こいつぁ儲かると思ったんでしょ。だつて食べることはやめられないもの。でも、結構苦戦してるわけ。どうしてか分かる?
碧  たくさんできないから?
詩織 もちろん大量生産のノウハウが余り確立されてないこともあるけど。問題は、規格品の歩留まりが少ないってこと。
碧  規格品?
詩織 たとえば曲がったきゅうりはアウトなのは知ってるでしょ。消費者がまっすぐなきゅうりを好むから。スーパーに置かれているきゅうりみたら分かる。
碧  ああ、なるほど。
詩織 ま、商品として流通の場に大量にのっけるには規格を作ってあわせなきゃだけどね。
碧  規格品かぁ
詩織 今の植物工場は規格外が出やすく、意外に手間もかかるし歩留まり悪いらしい。結果値段が高くなる。採算合わなくなる。
碧  駄目じゃん。
詩織 そこで頭いい人考えたわけ。外食産業なんかでサラダ出すじゃん、あんなとこへうりこもう。利点?虫がつかない、土もない、だから洗う手間や、むしをのぞく手間がかからない、結局コストががかからないわけ。だから少しばかり高かったつて業者はまとめて買うわけ。で、やっと採算が会うようになると。
碧  おおーっ。企業努力の結晶。
詩織 で、この物語は、ちよっといただけないと思うわけ、私は。
碧  はっ、なぜ?
詩織 サンドイッチ作る手休んでるよ。
碧  あ、ごめんつて、詩織が・・

と、ぶつぶつ言いながらサンドイッチを手早く作る。
レタスをちぎり、パン(サンドイッチ用のパン)にキューリとトマトをのせてクレージーソルトをぱらぱら。パンを挟み、二口サイズぐらいに小さく切り分ける。

碧  できたよ。食べる?
詩織 一つちょうだい。
碧  はい。

と、手渡し。

碧  コーヒーなんか欲しいとこね。
詩織 切れてる。
碧  カップ有るけど。
詩織 それ、紅茶用。
碧  ティーバッグはないけど。
詩織 そんな軟弱なものはない。
碧  軟弱ですか、ティーバッグ。
詩織 緑茶なら冷蔵庫に冷えてると思うけど、
碧  じゃ、いい。

一口かじる。

碧  やっぱマヨネーズほしいなぁ。
詩織 買ってくれば。
碧  めんどくさい。それより、いただけない物語ってのは?
詩織 あー、あれ。そうね。学校かなと思ったら、とたんにむかっときた。
碧  学校?何が。
詩織 植物工場。
碧  は?
詩織 規格に支配される。大量促成栽培。外部の自然条件からの隔離。その中で繰り広げられる純粋培養のモノカルチャー。立派な学校。ルールをよく守り、まじめに勉強してるいい子ちゃんがいっぱいって感じ。それでも規格外が出てくるから、そこらはうまくあしらって売りさばく。でも、思うわけ、なんでレタスやトマトばかり作るのかねつて。もちろん、そんなのしか作れないからよ。学校も口では色々言うけれど、そんな人間しかつくろうとしてないんじゃない。だから、この物語はちょといただけないと私は思うわけ。私は、泥がついてる野菜を洗って料理するのが好き。で、まあうち畑ないからせめて直販所。
碧  ふーむ、分かったような分からないような。

と、ぱくり。

碧  ま、サンドイッチには罪はないし。・・ちょと余計に作っとく?
詩織 ご自由に。

キンコンカンコーンと学校のチャイムの音。

碧  チャイムじゃない。
詩織 うん。これで放課後。
碧  家でチャイムかね。
詩織 (笑って)学校のリズムっていうのは、それなりに規則性がある。家で聞く分にはかまわない。
碧  学校で聞くと?
詩織 無性に腹が立つ。
碧  勝手なものね。
詩織 合図一つで、みんなが同じ反応をする。お前、パブロフの犬か。
碧  集団の規律と言うべきではない?
詩織 ま、たがが外れた集団は暴徒だしね、首輪みたいなものと考えてもいい。ほら国語。ほらトイレ。ほら英語、ほらご飯。ワンワン。おー、よしよし。
碧  で、このチャイムも不登校でずぶずぶになりそな生活リズムの首輪というわけ。
詩織 違うよ。
碧  違うの。なら、何のため?
詩織 確認するために。
碧  何を。
詩織 私の時間が流れていることを。
碧  でも、学校でも同じチャイムじゃない。
詩織 音は同じでも、・・あれは私の時間じゃない。
碧  じゃ、何。
詩織 あれは・・・群れの時間だ。
碧  群れの?
詩織 そう。たとえば白い羊の群れを支配して流れる時間。私の時間ではなかつた。

間。
詩織、何かのボタンを押す。チャイムが鳴る。

詩織 あれは、決して私の時間ではない・・。同時に、碧の時間でもない。・・誰の時間でもなかった。あれは・・群れという盲目の王が居座る檻だ。

間。
遠雷が少し近くなる。
なんとなくぶるっと、震えて碧。

碧  近くなってきた。

チャイム。このチャイムは玄関のチャイムの音。

碧  おっ、誰か来た。
詩織 出てみて。多分・・
碧  葉月先生?
詩織 だと思う。
碧  あの先生もめげないね。
詩織 ま、仕事だから。
碧  いやいやいや、たいていの先生なら、とっくに見放してるよ。
詩織 見放して欲しいんだけど。
碧  まじめなのよ。
詩織 ま、確かに仕事ははかどる。

と、モビールをさす。

碧  人もいいしね。不登校のくせに人使い荒いんだから。

再びチャイム。

詩織 ほら。
碧  はいはい。

と、下手にはける。
と、ピカッと光ると同時に落雷音。
照明がチカチカっとする。
ざーっと夕立がふる音。

Ⅲ物語の毒

びっくりしたーっと碧と葉月先生が入ってくる。
葉月先生は、ショルダー型の大きなトートバッグに何か入れている。
詩織拍手で迎える。碧も拍手。
葉月先生、え、何々と戸惑う。かまわず碧。

碧  落ちたよー。停電するかと思った。
葉月 詩織さん元気?
詩織 昨日もあいましたけど。
葉月 それはそうだけど。ここ、いい?
詩織 どうぞ。

よっこらしょと適当な椅子に座り、カバンを作業台に置く。

葉月 あら、新作?
詩織 ええ、羊ばかりじゃつまらないかなと。
葉月 気分を変えてか。これは・・ピエロ?かな。ちょと不気味だけど。今までのが白い羊ばかりだから変わってていいかも。あら、黒いのも一匹いる。昨日はいなかったようだけど。
詩織 今朝、ちょっと思いついて。
葉月 そう。(と、特に何も思いつかなかったようだ)ピエロにしちゃなんかちちよっと不気味ね。

と、ピエロを取り上げる。 小布をはぎ合わせた服(赤系)をまとい、黒っぽい仮面をつける形。

詩織 アルルカンです。
葉月 アルルカン?
詩織 ピエロの原形かな。イタリア語でアルレッキーノ。中世イタリアの即興喜劇の道化役。英語ではハーレクィン。アルルカンはフランス語。
葉月 ああ、これが、ハーレクィン。・・それにしても羊随分増えたね。**匹かぁ。十分じゃない?

モビールを見回して。ざっと数を数える。

詩織 まだ足りません。あと、**匹欲しい。(詩織が在籍していたクラスの人数よりモビールの羊の数をひいた数を言う)
葉月 あと**匹?まるで一クラス分ね。

と、無邪気なもので気づかない。

詩織 (表情のない声で)ま、そんなとこです。
葉月 飽きないわね。それは感心するけど・・。

アルルカンをちよっともてあそぶ。

詩織 先生、それで今日は?また手伝ってくれるんですか。
葉月 ああ、そうそう。

そもそもの目的を思い出したようで。ごそごそとショルダー型の大きなトートバッグをつつき。

葉月 ぼつぼつ一学期も終わるから期末用にね。

と、結構多い量のプリントの束を取り出す。。

碧  うわっ、すごい量。
葉月 (得意そうに)ちよっと、がんばっちゃった。詩織さん、これ参考にして。
詩織 ありがとうございます。

と、受け取るが、あまり気は乗らない。脇にそのまま積む。
ちよっと気まずい間。

葉月 あのう。・・期末テスト受けるんでしょ。
詩織 さあ。
葉月 さあ?でもうけないと成績でないし、見込み点で出したとしても、欠席これだけ続けば、なかなか厳しいと思うけど。出席日数足らない教科もあるし。
詩織 ま、一学期現在ですから。足りなくなるのは当然です。
葉月 いや、それはそうだけど。積もっていくと二学期厳しいよ。
詩織 葉月先生。
葉月 何。
詩織 サンドイッチ、なかなかいけますよ。どうぞ。

碧も、何を思ったか。うんうんと頷き。

碧  どうぞ。一口召し上がれ。野菜は、詩織が朝買ってきて、私がさっき作りました。
葉月 そうなの。
碧  美味しいです。

葉月、押されるように食べてみる。

葉月 あら、美味しい。
碧  でしょ。
葉月 クレイジーソルトね、これは。
碧  分かります?マヨでないところがポイントです。
葉月 ほんとほんと。コーヒーでもないかしら(と、以外に図々しいというか馴れてる。)
碧  済みません緑茶しかなくて。
葉月 あ、だったらそれでいいわ。お願い。
碧  キッチンの冷蔵庫の中だっけ。
詩織 ペットボトルに冷やしてる。
碧  分かった。

と、キッチンにとりに行く。
間。
雨音。

葉月 で、どう、テスト。
詩織 多分受けないかな。
葉月 あなたならこれ少し見れば、楽勝だと思うけど。

と、プリントを示す。

詩織 どうかな。
葉月 だいたい、学校来なくなったの中間試験が終わった日からでしょう。もう、随分たった。何があったか知らないけれど、少し学校に顔出しに来てみてもいいころだと思うけど。
詩織 うーん。
葉月 試しにくるつていうのはどう?別にいじめられてるわけでもないんでしょ。いろいろクラスの子に聞いてみたけど。
詩織 それはないです。
葉月 授業について行けないと言うこともないし。なんか思い悩むこととかあるわけ。えー、好きな子にふられたとか?

笑う詩織。

詩織 先生、それ漫画か何かの見過ぎ。
葉月 (笑い出して)そうよねぇ。でも・・なんかよく分からないんだけど、いくら考えても。どうして学校来ないのか。学校嫌い?
詩織 嫌いとかとは違うと思います。
葉月 学校よりほかのところが面白くなったり、友だちができて、学校に行くのがいやになるというのは・・(見回して)違うわね。
詩織 違います。
葉月 面倒になったとか、学校へ行くのが・・怠ける子もいるし。
詩織 違います。
葉月 うーん、分からない。どうして来ないの?
詩織 どうして行かないかですか?
葉月 うん。
詩織 それは・・。

と言いさしたところへ、碧がお茶をお盆に載せて現れる。

碧  これでいいですか?
葉月 あ、ありがとう。頂くわ。

と、ガラスのコップの冷茶を飲む。

葉月 あー、生き返る。。。それで。
詩織 物語を作るため・・ですかね。
葉月 は?何を作る?
詩織 物語。

間。ぽかんとして意味不明。

葉月 物語?
詩織 物語。

間。

葉月 えーと、これ冗談よね。

間。

葉月 碧さん?
碧  詩織、まじめに言ってますけど。
葉月 まじめに言ってるって言われても。

笑い出す詩織。碧もくすくす。

詩織 鳩が豆鉄砲をくらった顔っていうの初めて見ました。葉月先生。
葉月 はい。
詩織 切実に必要としているんです。私、物語を。
葉月 言ってる意味がよく分からないけど。不登校が物語を作るためって・・
詩織 始まりは小学校のころです。
葉月 不登校、小学校から?
詩織 いいえ、物語についての話です。

雷が鳴る。近い。びくっとする葉月。
ちらちらする灯り。ふっと消える。室内が濃い黄昏の色に染まる。

碧  やっぱ停電か。懐中電灯か蝋燭ある?

と、立ち上がつて脚立の方へ。

詩織 ない。いいよ、顔見えるし、すぐ復旧するでしょ。
碧  そう?ならいいか。

碧は、そのまま脚立に寄りかかる格好。

詩織 近所でも有名な嘘つきの子がいたんです。友だちです。

Ⅲ 物語についての物語

詩織 にんげんなんてほんとじゃないとい言いました。だから、物語を絶えずうみだしてその中で生きるんだと。彼女はうそをものがたりだと言い張ります。だからみんなに馬鹿にされ。

ふっと笑う。笑いがちよっと続く。

詩織 失礼。・・でも、この子の声とリズムはとても私に心地よく響きました。なので、よくその子と話しました。帰りの会が終わって、ぶらぶらと家に帰る途中、ほら、小便小僧の噴水ある、あの・・
碧  (平板な口調で、以下葉月先生との会話に戻るまで同様)ああ、あの公園。ちょと下品な感じの小便小僧。
詩織 噴水の近くにあるじゃない、ちょっとした銀杏並木。
碧  ある、ある。赤いベンチ。
詩織 いつも、黄昏時、あの赤いベンチで。
碧  あなたは座って。その子は立って話すの、生き生きとした?を。

濃い黄昏の中、語る言葉は呪文のように交互に響く。

碧  そのこの口から語られる?は公園の木々のほの暗い光の中で、霧のようにゆるゆると広がり、
詩織 わたしの皮膚を柔らかく包みこみ、心臓がどくどくと脈打ち、身体中を巡る血が熱くなるのがはっきりと分かりました。
碧  ああ、これは物語というものだわと思うまもなく、あなたの身体が熱くなり、ふわふわとうきあがりそうに気持ちが良くなり、じわじわと身体の中へしみ通っていく
詩織 その言葉の群れは、あとからあとから切りもなく呪文のように続き、そうして、
碧  世界があなたの中に生まれる。
詩織 でも、その世界はいつもいつもはかなく青い夜が訪れると消えてしまいます。そのことを痛いほど知ってるくせに、その子は意地悪そうな笑みを浮かべまた明日ねとつぶやいて帰っていきます。
碧  その子の影が黄昏の中にゆらゆらと浮かぶように揺れる。
詩織 明日になれば会える。その確信だけがちゅうぶらりんのな置き去りにされた幼いわたしを立ち続けさせました。でも。夏休み明けの日その子が・・
葉月 その子はどうしたの。
詩織 校舎から飛び降りました。
葉月 飛び降り・・校舎から・・待って・・4年前?ああ、あれ、あの子。
詩織 いじめがあったとか言われたけど、よく分かりません。
葉月 確かあれは第三者委員会がいじめはなかったという結論出したはず。
詩織、そういうことになってます。
葉月 なってるって。いじめられてたと思ってるの?

首を振って。

詩織 いじめられてたかどうかはどうでもいいんです。
葉月 どうでもいいつて。
詩織 いじめられてたとしてもあの子は自分で命を絶ったりしない。物語をあんなにうまく作る子が死を選ぶなんてあり得ない。殺されたんです。
葉月 え、殺人?まさか。・・・え、あなた、犯人知ってるとか?

笑って。

詩織 違いますよ。犯人なんていません。あの子は多分物語に殺されたんです。
葉月 え?物語。
詩織 自分で作った物語の毒に当たったんです。いわば自家中毒。
葉月 え、どういうこと?分からない。
詩織 葉月先生、その子どうしてそんなに物語に執着してたと思います?
葉月 たまたま上手な作り話をつくる才能があったんでしょ。
詩織 作りたいから作る?
葉月 そう。
詩織 それなら、幸せになれると思いません。すばらしい物語の作り手になるだけなら。
葉月 違うの?
詩織 必要だったんです。
葉月 必要?何のために。
詩織 決まってるじゃ有りませんか。生きるためにです。
葉月 生きるために?
詩織 はい。どうしても生きるために必要だったんです。
葉月 物語なんかが?
詩織 物語なんかがというよりも、物語しかなかったんです。切実に。

間。だかよく分からない葉月先生。

葉月 ご飯よりも?
詩織 ご飯よりも。
葉月 テレビより?
詩織 テレビよりも。
葉月 アニメより?
碧  葉月先生。

はっとする葉月先生。

詩織 絶対条件だつたんです。生きるための。
葉月 物語が?
詩織 物語が。

間。

葉月 なぜ。分からない。たかが物語でしょう。お話でしょう。ぶっちゃけ?でしょう。そんなものが、なぜ絶対に必要なの。生きるって事は呼吸すること、動くこと、食べること、仕事すること、友だちとだべつたり、映画見たり、家族愛したり、喜んだり、悲しんだり・・・いっぱいいっぱい必要なことがあってそれらひっくるめて生きる事でしょう。物語一つ、有ろうがなかろうが、死ぬことなんかないでしょうに。違う?え、違うの?



詩織 大人の意見ありがとうございます。
葉月 茶化さないで。
詩織 茶化してません。私、真剣です。

間。はっとする葉月。

葉月 あなたも・・まさか。
詩織 考えすぎです。私飛び降りなんかしません。
葉月 そうよね、そうなのよ。
詩織 いいいましたよね、その子、にんげんなんてほんとじゃないのよって。
葉月 ああ、でもそれってどういうことかな。
詩織 どういうことでしょうね。
葉月 ほんとじゃないと言われても。
詩織 じゃ、ほんとじゃなかったら何なんだって言うことになりますよね。
葉月 まあねぇ。そのこどう思ってたんだろう。
詩織 猫の肉球みたいなものとおもってたとか。
葉月 肉球!?人間が?

脚立に腰掛け聞いていたクスッと笑って、碧。

碧  にゃーご。

と、脚立に絡まり猫のポーズ。

碧  あり得るかも。
葉月 ばか言って。
詩織 そーか!
葉月 は?
詩織 そうなんだ。多分。
葉月 何が。
詩織 先生、先生のイメージしてる物語って、なんか小説や映画の筋みたいなものじゃないんですか?
葉月 え、違うの?
詩織 あ、やっぱり。ねっ。(と、碧に頷く)
碧  にゃーご。

葉月、二人を交互に見る。意味が見えないようだ。

詩織 違います。
葉月 じゃ、何。

脚立に腰掛け聞いていた碧がクスッと笑って声を掛ける。

碧  先生、乙女座でしたよね。今日のラッキーカラーは?
葉月 白よ。朝のテレビで確認した。運勢も一番いいはずなんだけど。
詩織 血液型は?
葉月 A型。
碧  じゃ、先生の性格は?
葉月 几帳面なはずなんだけどねぇ・・
詩織 好きなコマーシャルあるでしょ。
葉月 あるある。三太郎のやつとか、面白いし。

詩織と碧、くすっと笑う。

葉月 え、どうしたの?
碧  それ全部物語です。
葉月 え?
詩織 誰かに几帳面な性格だねって言われたことあります?
葉月 もちろん。
詩織 誰に?
葉月 友だちとか、教頭先生に。
詩織 言われたこと意識しました。
葉月 まあね。悪い話じゃないし。几帳面って教師にも向いてると思うし。
詩織 最近も言われたり?
葉月 そういえば昨日また友だちに言われたな。
詩織 うれしかったと。
葉月 悪い気持ちしなかったな。うん。A型も悪くない。

ちらっと、碧と詩織が目配せみたいなものをする。葉月きづいて。

葉月 え、何々、それ。何よ。
詩織 先生、それは予言の自己成就です。
葉月 え、予言の自己なんだって。
詩織 自己成就。根拠のない予言によって行動が生じ、予言通りの結果になってしまうという現象のことです。
葉月 根拠のない予言?
詩織 A型の血液型の人は几帳面。これ、まったく根拠有りません。
葉月 えー。ホントに。
詩織 はい。
葉月 血液型性格診断?全部。
詩織 はい。科学的根拠ゼロです。
葉月 ゼロ・・。
詩織 でも、根拠ゼロでもなんとなくね。占いだって楽しいし。
葉月 そうよ。
詩織 ま、生活のファッションの一つというか。
葉月 本気で信じてる訳でもないけど。
詩織 でも、なんとなく。先生の生活の中で意味がある。
葉月 うんなんとなく。
碧  それが物語です。
詩織 ま、遊びくらいにしてたら物語も愛嬌有るんですけど。
碧  会社の人事なんかに使ってるとこあったりして。
詩織 あれぜったいつぶれるよね。
碧  うん。
葉月 よくわからないわ、あなたたちの言ってること。
詩織 そうですか・・・うーん。困ったな。
碧  困ったね。
葉月 困るの?
碧  ぶっちゃけ、それほどでも。でも、まあ成り行き。ねっ。
葉月 ねっといわれても。なんか分かるようなわからないような。
詩織 そだ!

びくっとする葉月先生。

葉月 何?
詩織 あれ、あれですよ!
葉月 あれ?

ボックスのバスケットとのとこ¥へいき。

詩織 たしかあつたとおもったが・・あ、これこれ。・・ほらっ、じゃん!

と、とぼけた丸いフレームのサングラスを三個出す。

葉月 は?
詩織 これですよ。物語生成マシーン!

碧、笑い出す。

詩織 失礼な!
葉月 あのー、まるっきり分からないんだけど。
碧  ですよねー。
詩織 まるわかりなんだけどなぁ。ほら。

と掛ける。にあってるかどうが微妙。

詩織 碧も。

碧、えーっとか言いながら掛ける。

詩織 ミス悪党面だな。
碧  そうかぁ。・・おぃ、こら、そこのネエちゃん、ちょとかおかしな。
詩織 先生、かけてみて。
葉月 え?
碧  無視かよ~。
詩織 さあ。
葉月 でも。
詩織 かけたらわかります。

いやがる葉月先生に無理矢理かける。
まるっきり似合わない。
三人、なんかそろつてポーズを決めてみる。決まらない。
碧、笑って。

碧  へたれな悪(わる)が三人かよー、みんなまるっきり似合わないねー。
詩織 そゆ問題ではない。
葉月 どう言う問題?
詩織 フィルター掛けました。
葉月 フィルター?
詩織 先生の見ている世界すべてにフィルターを掛けてます。
碧  たんに色つきめがね掛けただけじゃん。
詩織 そこ、やかまし。
碧  へいへい。
詩織 どんな風に見えます?
葉月 どうなふうにつて、サングラスの色がついてるだけだし。
詩織 そうです。外してください。

葉月、外す。目をぱちぱちする。

詩織 すみません、もう一度掛けて見てください。
葉月 掛けたわ。
詩織 違うでしょ。
葉月 何が。
詩織 世界の色が。ほんとうの色と違って見える。
葉月 それはそうよ。だって。
詩織 サングラスの色が世界をおおってる。言い換えれば、サングラスの色を通した世界を先生は見てる。
葉月 当たり前じゃない。
詩織 ずーつと掛け続けるとしたらどうでしょう。
葉月 え?
詩織 サングラスでなくていい。たとえばカラーコンタクト、こんな黒でなくて、赤いコンタクトをずーっと付けていたとしたら。ご飯を食べる時、仕事をするとき、おいしい食事をするとき、いつもいつも、赤いフィルターを通して世界を見ていたら。
葉月 目に悪いじゃない。
詩織 医学的なことなんかどうでもいいんです。要は、そういうフィルターを通してズーつて見ているとしたら、フィルター等してるの忘れて見てるとしたら、その見ている世界はほんとうの世界ですか?
葉月 それは、ちょっと・・。
詩織 違いますよね。でも、ほんとの世界ではなくても、先生にとつてはほんとの世界でしょ。
葉月 ・・・確かに。

詩織、サングラスを外す。葉月先生もはずす。
碧はまだ掛けている。

詩織 はずしてみる世界はもちろんほんとう。かけてもその人にとってはほんとう。
葉月 結局?
詩織 物語ってそういうものだと思います。

間。葉月、サングラスを掛けてみる。少しして外してみる。又掛けてみる。
    外す。ため息ついて。

葉月 ・・物語?。これが?
詩織 はい。・・いつまで悪党面してんの?
碧  けっこう気に入ったかも。おぃ、こら、そこのネエちゃん、ちょとかおかしな。よう、よう。

冷たいまなざしで。

詩織 (ぼそっと)大根。
碧  ぐさっ。・・・ちぇっ。

とか言いながら、外して、胸のポケットに差し込む

葉月 なんとなくイメージわかるけど、でもね。フィルターかけてるだけじゃ、ちよっと・・。
詩織 そうですか・・・。どういつたらいいか。そうだ。先生、よく旅行しますよね。
葉月 そりゃね。時間講師の給料じゃそうそう行けないけど。
詩織 この春あたりどっか行きました?
碧  あ、そういや先生、台湾いったとかいつてなかったっけ。
葉月 いったわよー。時間講師に採用されるちょっと前。台湾。かけあしだったけどねぇ。ちょとノスタルジックな感じがいいわー。あと中華絶品だし。それがね。
詩織 (勢い込んでしゃべるのをぶちつと断ち切るように)景色どうでした。
葉月 景色ねー。けっこう色々よかったけど、あそこ良かったな。中部にある忘憂森林、憂いを忘れる森って書くけど、枯れた大木が沼の中に林立してて、朝霧の中でみた不思議で幻想的な光景。あんなの始めてみたなー。
詩織 自然が美しかったと。
葉月 そうね。
詩織 じゃ、サングラス掛けてみましょか。
葉月 は?
詩織 日本の自然は美しい。これ、先生同意します?
葉月 あー、もちろん。あなたもそう思うでしょ。

詩織、にっこり笑って。

詩織 そうですね。私らもうんうんとおもい、頭の中を春夏秋冬四季おりおりの美しい風景が駆け巡るますよね。これは事実ですよね。
葉月 そうよ。
詩織 でもって先生が台湾でみた自然も美しかった。これも事実ですよね。
葉月 そう。何が言いたいの?
詩織 すっと通り過ぎるんでなかなか気づかないです。
葉月 何が。
詩織 事実。わたしたちすでにフィルターかかってるから。
葉月 は?
詩織 「日本の自然は」美しい、じゃなくて、「日本の自然も」美しい、が事実なんです。

きょとんとする、葉月、かんがえこんで。あっと気づく。

葉月 「は」じゃなく「も」が事実?
詩織 (頷いて)美しい自然は何処の国の自然でも美しい。それが事実でしょ。違いますか、先生。台湾でみましたよね。

頷く葉月。

詩織 「日本の自然は」といったとたん、フィルターがかかって物語が生まれるんです。美しくない日本の自然も有るはずだし、もちろん台湾の自然もそう。「は」と言ったとたんに、単なる透明無色な事実に、微妙な色と意味が付け加えられて、それが微妙なほど、私たちはその意味を事実と思い込む。違います?
葉月 自然は美しい、日本の自然も美しい、日本の自然は美しい・・・
詩織 言葉遊びじゃないんです。日本だけ特別ていう意味がついてきて、私たちはそれを自然にすんなり受け入れます。そうしていつの間にか、その先にちょっと怖い物語が私たちを待ってます。
葉月 怖い?
詩織 はい。ほんの少し意味がずれて生まれてくるんです。「日本は美しい」っていう物語が。・・ちょっと怖いですよ。
葉月 日本は美しい。・・なんだかちょっと危険なにおいがするわね。
碧  はい。美しくない日本は排斥される。あるいは日本以外は美しくないというゆがみが生まれます。というか。いろいろ不都合な事実が全部捨てられて・・。
詩織 もう、物語の世界に生きていると言うことになります。ほんとうは事実の世界に生きているはずなのに。
葉月 ・・・・
詩織 ちょと洒落にならないと思いません?先生の中の事実は日本の自然の美しさも台湾の自然の美しさも同居しています。でも、そのバランスが崩れたら、先生はもう事実を見ていない。フィルターがかかった事実の意味だけを見ていると言うことになりません?
葉月 意味?
詩織 はい。事実の解釈っていったらいいかもしれないけど。生の事実に意味を持たせたものが物語かな。
葉月 え、でも事実は事実でしょ。
詩織 そうです。でも、たいていの人は、事実を事実としてきっちり受け止められないじゃないですか。
葉月 そんなことないと思うけど。
詩織 じゃ、こういう例どうです。子どもがおやと些細なことでケンカをする。おやは仕事のこととかでイライラしてて子どもの言い分まともに聞かずついしかる。子どもが腹立てて、家を飛び出る。でた瞬間走ってきた車にはねられ死亡する。そういうとき、親は、あのとき、子どもをしからなかったら。こんな事にはって後悔します。
葉月 それは極端な例よ。
詩織 んじゃ、ありそな例として、道におちてた五百円玉がありました。先生どうします。
葉月 そうねー、まずはあたりを見回すわね。
詩織 そうしてさりげなく靴で踏みつけて五百円玉を隠す。
葉月 そうそう・・って何言わすのよ。・・ひょっとして見てた?

笑う、詩織。

詩織 みてません。拾って、おう、これはラッキー、と猫ばばする。
葉月 まあねー、いちいち届けるのもなんだかね。
詩織 と、大人の判断をして、たまたま買い物に立ち寄ったスーパーの宝くじ売り場が目に入る。
葉月 て、これはねあるいは幸運の印かもつて・・て何言わすのよ。
詩織 まあまあ、でもってジャンボ宝くじを一枚だけ買う。もしこれが当たればとあれこれ妄想しながら当選発表日をまつ。
葉月 そうなのよねー、外れてダメ元だし、一枚だけかつて当たったって言う人もいるし、、もしも、あたればこれは人生変わるかもって。
詩織 わくわくどきどきの一週間。人生、楽しかったですか?
葉月 もちろん。
詩織 クラスの席替えで好きな人と隣り合わせの席になった。授業中うっかり鉛筆がころがっておちて、その人が黙って鉛筆を拾ってくれた。おー、これは恋の始まりか。
葉月 あり得る。おおいに。
詩織 再度言います。アニメの見過ぎ。事実は単なる親切心です。恋は誤解と妄想、多大な物語を生み出す源泉。
葉月 それは心が貧しいわ。もっと、人生にドラマ求めなくちゃ。
詩織 どうして求めます。
葉月 だってその方がなんか豊かな気持ちになれるんじゃない。
詩織 どうして豊かな気持ちになりたいんです。
葉月 当たり前でしょ。単に拾ってくれた、ああそうですか、ありがとう。で終わりゃ、何のために毎日六時間机にへばりついて理解不可能な数学やったり、話もできない英文法やる気力でてくるのよ。妄想でもいいじゃない。一時間一時間が隣意識してどきどきものよ。青春よね。
碧  ま、結果勉強に手がつかず地獄を見ることになるんだ。
葉月 ま、そうだろけど、その間のなんと充実した時間よっていうところね。
詩織 そこなんです。
葉月 そこつてどこ。
詩織 事実は500円を拾って猫ばばして宝くじをかつて、外れた。好きな子の隣の席にすわつておちた鉛筆を拾ってもらった。それだけです。
葉月 身も蓋もない事実ね。それじゃ味気なさ過ぎでたまったものじゃない。
詩織 ええ。でもその事実に、たとえば、未来の暗示や好意の意味を生むというか、持たせて、大金持ちになるかも知れない幸運や、両思いになるかも知れない恋愛の物語をつくりあげ、その結果、毎日幸せな気分になる。
葉月 そのとおりよ。単にお金拾ったとか、おとした鉛筆拾ってくれたとかいう事実より遙かにすばらしい世界が広がると思うけど。
詩織 その通りですね。フィルターを掛けて、現実、ただの事実に意味をあたえる。その意味こそがその人にとつての生きていく上での新しい事実になるんですね。これが物語の本質だろうと私は思います。
葉月 ・・あっ。・・・そうね。

間。だんだん納得する葉月先生。

詩織 物語は、言い意味も悪い意味も生み出してしまいます。わたしたちは否応なく、そんなものがたりに取り囲まれているんです。自分が作り出したものもあれば人が作り出すものもある。そのままの事実だけではわたしたちはもう生きていけなくなってるんですね。

葉月、はーつとため息をつく。

葉月 あなた、なんだかすごいこと考えてるのね。
詩織 それほどでも、考える時間だけはたっぷりありましたから。
葉月 はーっ、かたこっちゃった。

笑う、詩織。
ちかちかっと灯りが瞬き停電が解消される。
三人まぶしそう。

碧  コーヒーブレイクと行きますか。
葉月 いいわね。
詩織 コーヒーはないですけど、紅茶つくつてよ。
碧  え、緑茶しかないんじゃないの。

詩織、にやりと笑って。
ぽんとティーバッグを取り出す。

詩織 さっきはね。でも今はあるのが私の物語。

碧、詩織をにらみつけ。

碧  ったく。分かった。先生も?
葉月 頂くわ。レモンある?
詩織 有ります。冷蔵庫にあるから。私にも。
碧  了解。私はそれにミルク入れるね。お砂糖は。
葉月 二つ。
詩織 私は要らない。
碧  じゃ、ちよっとまって。
詩織 あ、ポットにお湯わいてるかも。
碧  停電で少し醒めたかも。ま、様子見て。
詩織 クッキーも有ったと思う。
碧  分かった。

碧、去る。

Ⅳ物語を生み出すもの

葉月、たちあがって、背伸びしたりしてモビールをみたりする。
脚立にもたれかかり。

葉月 思ったこと有るんだけど。
詩織 何ですか?
葉月 物語ってあなたのいうのによると、いっぱい有るように聞こえるんだけど。
詩織 そうですね、まあ考え方にもよるでしょうけど、広くとらえたら、私たちが生きてる世界って、物語にあふれてるというか物語まみれじゃないかって思います。
葉月 物語まみれ、それはまたずいぶんなものね。
詩織 はい。随分です。それが、元の現実を食い荒らし、いいことも悪いことも引き起こす。私たちは否応なしに巻き込まれる。
葉月 巻き込まれる?どういうこと、その人個人の者じゃないの。
詩織 それですめば御の字ですけれど、みんなが同じフィルター掛けたとしたらどうです?
葉月 あ、それはちよっとやばいかも。
詩織 ですよね、大きいところでいきましょうか。だいたい大きいほどひどい物語になるんですけど、最悪の例の一つがナチドイツのホロコースト。アーリア人種の優越性なんていうはた迷惑な物語を拡げに拡げた挙げ句の果てです。十字軍の遠征や、新大陸発見なんてのもありました。発見された方は大迷惑ですよね。金銀財宝収奪されて、虐殺されて、奴隷にされて、新大陸の物語なんてくそ食らえですよ。八紘一宇なんてのも日本じゃやってたし。先生。
葉月 何?
詩織 日所的な物語で言えば、男は仕事で家族を養い、女は家庭を守る。って思ったりしません。
葉月 えっ・・まあ、よくあるわねえ、そういうの。
詩織 男の子のランドセルはやっぱり黒がいいとか。日本は単一民族の国家だとか・・。
毒のある物語、いいえ、そうではない。物語には多かれ少なかれ人を酔わせて判断力を失わせる毒があると思います。
葉月 毒・・。
間。

詩織 あの子は多分それを知ってたと思う。その毒は他人に向けられるだけでなく、自分に向かって牙をむく時もある。あの子が最後に、どういう物語をつくつたのかは知りません。ただ、それは、多分あまり筋のいいものではなかったと思います。先生?
葉月 何?
詩織 そんな毒が自分に向かって牙をむいたらどうなると思います。
葉月 ・・あまり、いい結果にはなりそうもないわね。
詩織 ええ。・・私よりちよっと年上で、どうしても人を殺したくなり、タリウムなんか同級生に食べさせてひどい目に遭わせたんだけど、それでもものたりず、とうとう年寄りを殺してしまった女の子いましたよね。
葉月 ああ。悲惨というか、何というか。ひどい話だつたわ。
詩織 そうなんです。まさに救いのない事実を生み出した話。自分で作り出す物語に飲み込まれてしまった人だと思います。
葉月 正気の沙汰ではないわ。
詩織 そうだつたらどんなに良かったか。
葉月 えっ。

間。

詩織 正気なんですよ。正気だから極限まで行けるんです。というか、正気でいられるにはあんな物語を作るしかなかった。だから、物語はほんとうに怖いんです。施設に入っている人を障害者は気の毒だね何とかしてやらなければって、19人も殺した青年いましたね。なんとかする物語を一生懸命織り上げたんです。
葉月 ああ、あれは、もうなんともかんともやりきれない事件。人間じゃないわね。
詩織 いいえ、人間だからできるんです。人間にしかできないんです。だつて、物語が作れるのは人間だけですから。



葉月 そういわれるとそうだけど。でも。
詩織 でも、先生、私疑問というか、恐れていることあるんです。
葉月 恐れている?何~。
詩織 そういう物語を生み出せたの、そういう物語を支えたの、この国の底に潜んでいる冷たい流れなんじゃないかつて。
葉月 底に?
詩織 ええ。あの少女や青年個人からではなくて、みんなの心の奥にひっそりとひそむ物語がぽかーっと表に浮いて出たんじゃないかつて。ふつう恥ずかしいというか、そんなことはあってはならないという強い倫理的な縛りがあつて表に出せないけど。
葉月 みんなの心の奥に潜む物語。
詩織 はい。それを縛ってたものが、もう力を喪ってしまったんじゃ無いかと。
葉月 だから悪意がむき出しになってきたと。
詩織 そういうことです。弱い者をかばうんじゃなくて敵視して排除する悪意。この国にしっかり根を張ってると思いません。最近特に。ああ、自己責任とかいう便利で醜悪な物語もありましたね。私、思うんです。もう壊れかかってるんじゃないかってこの国は。というか、みんな何かに追い詰められてるつて。ユーゴスラビアが解体した時ひどい民族浄化の戦争がおきましたよね。みんな、正気だから、あの民族は敵だ、敵は殺せつて言うことになります。そうして、みんなの血で大きな物語に太らせていったんです。追い詰められた正気な人びとがせっせとつくり上げたんです。あれと、同じです。サイテーの物語というものはほんとうに有るんです。私の趣味じゃ有りませんけど。

間。葉月、ぶるっと身を震わせて我に返ったように。

葉月 で、私が疑問なのは、そんなにまでして、物語は必要なのかってこと。
詩織 なぜ人には物語が必要なのかですか。
葉月 そう、どうして必要なの?
詩織 難しいですね。・・よく分かりませんけど私の考えで良ければ。
葉月 とりわけあなたの考えが聞きたいの。
詩織 私の考えは単純なものです。多分それはとつても弱いからだと思います。
葉月 何が。
詩織 人間が。
葉月 ・・どう結びつくの物語と。
詩織 んー、なにから言ったらいいのか。・・犬や猫と違い、人間って幸運というか不幸にしてと言うか考える能力を獲得しましたよね。その結果何を手に入れたと思います。
葉月 んー、言葉かな。言葉で考えることができるようになつた。
詩織 はい。で、その結果、猫や犬の及びもつかないものを獲得した。はい、なんでしょうか。5秒以内でどうぞ。5、4、・・
葉月 えー、ちょとちょと、えーと道具、
詩織 チンパンジーも簡単な道具は使います。他に。5、4、・・。
葉月 まって・・。
詩織 3、2、・・。
葉月 火よ。ファイヤー!!どうよ!!
詩織 それもありますね。
葉月 違うの?
詩織 世界を拡げるものです。
葉月 え?世界を拡げる?・・んー、分からない。何?
詩織 時間です。
葉月 は?時間?
詩織 そう。猫や犬は未来を考えることはできません。時間をイメージできるようになつた人間は、未来を考えることができるようになつた。そうした瞬間、自分がとても弱い存在だと言うことに気がつきます。
葉月 ちょっと分からないけど。
詩織 とても簡単なことですよ先生。 ネアンデルタール人は花を死者に手向けたと言いいます。ただの物体でなくて、死者として意識した。すなわち、人はいつかはしぬんだという事に気がついたんです。
葉月 え、でもそんなことあたり前で。
詩織 はい。当たり前です。でも考えてみてください。猫は自分が死ぬことなんか知りませんよね。そんなこと気にせず生きられる。なんか幸せだと思います。
葉月 でも人間は。
詩織 自分の死をイメージすることができることになりました。これって、気にせずに生きるにはちょっと重いですよね。
葉月 え、でも、だれだつていつかは死ぬじゃん。
詩織 でも、ちっちゃい子どもは猫と同じで自分が死ぬつて言うことを知りませんよね。
葉月 ま、そうよね。
詩織 でも、そのうち、いつか、なんとなく死ぬんだという事を知ってしまう。というか理解してしまう。そんなとき子どもはどう感じるでしょう。覚えてませんか?
葉月 どうだつたかなあ。わすれたなぁ。
詩織 私、いつだったかなあ、なんか夜寝てて、突然、ああ自分も死ぬんだつてはっきり意識したことがあって、何かに引き込まれて沈み込みそうなほどものすごく怖くなった事覚えてます。そう意識してしまうと、人はどうすると思います?
葉月 忘れようとする。
詩織 そう。元気なうちは忘れられる。でも、それはどこかに潜んでて、何かの拍子に浮かんでくる。自分はやがて消滅して無になってしまうという事実に向かい合つて、誰しも一度は考える。先生ならどんなことを考えます?
葉月 そうね。ないけど・・たぶん・・・どうして私はここにいるんだろうっておもうかも。
詩織 でしょうね。私もそう思う。私はなんでここにいるのか、なぜ生まれて来たか。私が生まれて来た意味はあるのか、あるとしたらそれは何か。つて。そう考えなければやりきれない。
葉月 そうね。
詩織 もし、私の存在には、何の何も無くて、ただ、たまたま、偶然ここにあるだけで、ちょつとして消えてしまい無に帰る。そういう身も蓋もない現実を受け入れられるほど人はみなそんなに強くないですよね。
葉月 私は・・いやだわ。そんな考え方。なんというか・・辛い。
詩織 はい。とても辛いです。叫びたくなるほどの恐怖。あと、そういう存在の私に対する憐憫ですか。そういうの絶対いやですよね。拒否したい。生まれる必然性と生きてる意味がほしくなる。
葉月 だから・・物語?
詩織 ただ、偶然生まれて来て死んでいく単なる現実に人生という意味を与えてくれる。私が生まれて今存在している意味と必然性を示すんです。・・・それが物語だと私は思います。中には、ほんとにひどい物語もありますけれど。
葉月 ああ、さつきのやつね。
詩織 私の趣味じゃありませんけど。
葉月 私の趣味でもないわ。
詩織 ええ、残念なことに、そういう趣味の人も確かに存在するんです。しかも、結構多く、そういう物語がのさばってます。
葉月 世も末ね。

   詩織、笑って。

詩織 もともと世も末なのが現実だと思いますけど。
葉月 (ため息ついて)や、たしかに。やれやれね。

Ⅳ校則とアルルカンと不登校 

詩織、ふんふんとモビールの作成に戻る。
葉月、部屋に吊されたモビールを見て。

葉月 それだけなぜ違うのかな。
詩織 え?
葉月 ほら。ほかのモビール、みんな白いじゃない。あ、黒いのも一匹いたか。(黒い羊の意味は当然分かっていない)それだけ人形ってのはなんでかなと。
詩織 気になります?
葉月 まあね。ハーレクインというのも気になるけど。何か理由あるの?
詩織 理由ですか・・うーん、そうですね・・引っかき回す役割だからかな。ちょと気に入って。
葉月 引っかき回す?何を。
詩織 物語です。昔のイタリアの即興喜劇で茶々入れたり、イタズラしたり、いいこともするけど、悪いこともする。?もつくし、人をだますし、ずるがしこくて、秩序をかき乱したり混乱を生んだり、結果、登場人物みんな右往左往。でも、けっこう正しいことも言う。そんな役回り。おもしろいと 思いません。

葉月、すこし苦笑い。

葉月 私みたいに振り回されるわけね。

詩織、わらつて。

詩織 引っかき回さなくても、十分先生達の物語は混乱してると思いますけど。
葉月 私たちの物語?
詩織 学校という物語。
葉月 うーん・・学校?私は、色々、あなたのことでばたばたしてるけど、学校は全然。

詩織、イタズラっぽく笑う。

詩織 じゃ、証拠見せましょう。
葉月 証拠?
詩織 はい。

と、そこへ、紅茶やポット、クッキー、レモンなどの紅茶セットを乗せたワゴンを押して碧が入ってくる。皆に、配る。ありがとうとかいつて受け取る。
碧、座って。

碧  証拠って?何の話?
詩織 学校っていう物語がけっこう混乱してるつて証拠。
碧  学校が?・・ああ、あれ、笑えるね。
葉月 え、わらえるってなに、うちの学校に何かあるの?碧さんあなた何か知ってるの。
碧  (笑って)いえ、うちの学校って言うわけじゃないんですけど、でも、ひどいとこ有るから。
葉月 何が?
詩織 学校の大事な機能。ルールを守ることです。
葉月 ルール?
碧  校則ですよ。私たち入学の時、校則を守ることを宣誓書を提出します。守らなかったら、退学ですよね。
葉月 え、あ、まあそのあたり、臨機応変というか柔軟な解釈というか。
詩織 それはどうでもいいんです。まっとうな校則なら。でもねー。
碧  あれはないよねー。
葉月 あれって?
詩織 いやもう、アルルカンも真っ青って言うのは、いかがなものかと。
葉月 は?

碧、手帳を出す。

碧  論より証拠です。まず。

二人、立ち上がる。

碧  せーのー、はい。

二人、葉月先生に拍手。

葉月 え?
碧  校則その1.「先生が教室に入ってくる時は、拍手で迎えなければならない」

又、二人拍手。

葉月 なにそれ、あ、私が入ってきた時のあの拍手?

二人頷く。

二人 ちよっと校則をまもってみました。
葉月 いや、まもってみましたつていわれても、うちのじゃないし・・
詩織 校則その2「男女交際をする際は、6者面談すること」
葉月 はい?・・6者?
詩織 女子生徒、相手の男子生徒、双方の両親で6者。
葉月 それお見合いでしょ。
碧  生徒二人に、それぞれの親がひとりずつ、あとそれぞれの主任か同じホームなら主任と副主任もあり?教師はいったい何話すんだろ・・。

間。それぞれその話し合いを想像する。

葉月 いやいやいや、あり得ない。話盛ってるんじゃない?
碧  いいえ、事実です。「校内で異性と会話する場合は、会話用紙を提出し許可をもらい、会話室で会話をすること」
葉月 刑務所の面会かよ。
詩織 「男女交際してもいいが、お互いの愛を確かめ合うこと。」
葉月 うーん・・それはかなりやばいと思う・・。
碧  「教室で男子生徒と2人きりになる時は、窓を全部開けていつでも人を呼べるようにする。」
葉月 いや、そう言われても。風邪引くわそれ。
碧   「服装違反の者は、半年間教頭と交換日記。」
葉月 うっ、きもい。
詩織 「家から電信柱3本以上の外出は、すべて制服とする。」
葉月 みじけー。距離?100メートルある?
碧  「教室での私語は授業中、休み時間問わず禁止」
葉月 休み時間?無言かよ。これも不気味。
詩織 生徒手帳はあなたの唯一の生活の友として活用せよ。
葉月 げっ、それは辛い。・・・あー、分かった分かった。そういう変な校則があるところもあるでしょう。でも。
詩織 ルールだから守るべきでしょう?
葉月 いや、そうじゃなくて。
詩織 そうじゃなくて?
葉月 こんなばかばかしい校則は。
詩織 ばかばかしいと思います?
葉月 思うわよ。だつて誰が考えてもばかばかしいもの。
詩織 ばかばかしくっても守るべきです。なぜならあなたは入学時校則を守ると宣誓した。簡単な理屈です。あなたは守ると誓約書を出した。ならば守りなさいと。・・・入学前に生徒手帳の校則欄読んでる生徒いると思います?でも、誓約書出した時点で、ルールを守る義務が生まれるんです。だから、男女交際する時は6者面談する必要あるし、スカートの丈5センチ短ければ教頭先生と交換日記しなきゃです。違いますか?
葉月 そんなのホントに意味ないわ。私のルールとは全然違うし。
詩織 意味があるかないかは関係ないんです。先生のルールではないとしても、先生は生徒に守らせざるを得ない。なぜなら、先生は守らせる側にいるから。先生の善意や気持ちは関係ないんです。そうでないと先生は服務規程違反でしたっけ。それに問われます。ぢがいますか。
葉月 え、そうなのかなぁ。
詩織 教頭先生か校長先生に尋ねてみてください。冷たい視線にさらされるでしょうけど。

葉月、なつとくいかない表情。

詩織 ルールの本質は、守るかどうかです。たとえば生命の安全のために守るという崇高な目的があったとしても、ルールの本質は守るのかそうでないか。そうして、守らない場合はペナルティーが科せられること。ペナルティーのないルールはありません。基本、ルールは命令形でしょ。・・何何せよ、あるいは何何するな、さもなくば・・です。ルールを守る者と守らない者、秩序を守る者と守らない者を選別するための力を生み出す元。・・・みんなが心の奧で受け入れているそういう物語です。
葉月 ・・・では、詩織さんはルール無用というわけ?
詩織 いいえ?
葉月 でも、そういうルールには従えないでしょう?
詩織 はい。
葉月 じゃ、ルールを無視するわけだ。
詩織 近いけどちよっと違うかな。
葉月 どうするの。
詩織 どうしてるのといつたほうがいいかもしれませんけど・・。

はつとする葉月。

葉月 じゃ、不登校はその性?でも、うちの学校へんな校則そんなになかったと思うけど。
詩織 ま、まともな方ではありますね。
葉月 なら、どうして。
詩織 (笑って)校則の性という訳じゃないです。あ、ちょっぴりは有るか。
葉月 ほかにあるということ、原因が。
詩織 たとえば先生は違うと思う。こんなのは間違っていると。そのとき、先生は思うはずです。こんなの私の物語ではないと。そのとき先生はどうするか。先生の選択肢は実はそれほど多くはないはずです。物語が動き始めたとき。アルルカンのように悪知恵働かせて、そんな校則を茶化すのか。あきらめて受け入れるか、それともまっとうに闘うか。
葉月 そんなの分からない。その場になってみないと。
詩織 そうですよね。物語の怖いところはそこだと私は思います。気づいた時は物語に飲み込まれてる場合が多いからです。
葉月 詩織さんはどうしたわけ。
詩織 相手のフィールドでは闘わないだけです。
葉月 闘う?
詩織 言葉強かったかな。さっさと戦線離脱しちゃいます。もしくは、私のルールで対抗します。ま、おんなじようなものですけど。
葉月 あなたのルール?
詩織 笑いながら、とさつ場に引かれていくドナドナにはなりたくないでしょ、先生。
葉月 (顔しかめて)どういうこと。
詩織 たとえば校則はあくまでも学校の場でしか意味が無いと言うことです。そのフィールド離れたらただの世迷い言の文言です。大人になったら、みんな、ばかばかしかったなあって笑うじゃないですか。一センチ長いの短いのって定規持ってスカート丈計るばかばかしさ。
葉月 ああ、まあねぇ。
詩織 でも、そのフィールドに囚われている者にとってはどうしようもない鉄壁の現実です。物語ってそういう力を持ってるんです。
葉月 だから・・不登校続けるの?

Ⅴ碧の話

間。
詩織、薄く笑って。

詩織 いつの夏の終わりだったか、碧の家に遊びに行った時、激しい夕立が降ってきて。碧がいったんです。

明かりが変わる。何年か前。

碧  やまないわね。
詩織 アールの窓をうつ雨だれをうれしそうにみていうのです。
碧  ここは一つ落ちるべきね。
詩織 なにが?
碧  雷。
詩織 いやだ。
碧  どうして?
詩織 座ってた椅子にちょっとはすかいにもたれてほんとに不思議そうな顔をして。
碧  どうして?
詩織 危ないじゃない。
碧  でも、そうでないと傾くもの。
詩織 傾く?なにが。
碧  天秤。
詩織 天秤?

さっぱりわからない。

碧  うん、天秤。あっ、まって、・・シーソーかもしれない。そうだシーソーね。
詩織 さっぱりわからない、言ってること。
碧  そうかな。
詩織 そう。・・うわっ。

雷が落ちる。

詩織 落ちた・・・。
碧  ほら、釣り合った。
詩織 得意そうと言うほどでもなく、窓の外へ少しほほえみます。外はほの暗く窓ガラスに碧の横顔がぼんやりと映り・・。

碧はふっと振り返り、天井の方を指さす。

碧  揺れてるでしょ。
詩織 え、ああモビール。白い大きいのお魚?
碧 自分で切ったの。あれは羊。
詩織 (つとモビールをみるが碧に視線を戻し、更にガラス窓をみる)窓ガラスの更にその奥に雨だれにぬれながらモビールがぼんやりとゆっくり回ります。
碧  (モビールをみながら薄く笑う)傾いててもシーソーね。・・あ、やっぱり天秤か。
詩織 (またモビールをみて、それから碧をみる。笑いは薄く碧の顔に残っている)なんとなく私は、シーソーに乗っている碧を想像しました。いえ、天秤でもいい、傾き、又傾く碧。

雷が光る。また近くに落ちたようだ。
今度は、あまり驚かない詩織。

詩織 又、落ちたね。
碧  釣り合いは大事よ。

碧は、また熱心に外の雨を見つめる
唐突に。

詩織 そういうことです。

あかりが元に戻る。
なんとなくぼんやりしている葉月先生。

碧  できたみたいね。
詩織 吊ってみようか。先生、手伝ってくれます?
葉月 あ、・・ええ、いいわ。どうしたらいいの。
詩織 その脚立もってきてください。碧、吊ってみて。
碧  了解。

先生が脚立を持ってくる。あのひものした、とか、もう少しみぎとか。
そのまま先生が支えている。
やがて、位置が決まり碧が慎重にモビールを持って登る。

碧  これぐらい。
詩織 んー、もう少し短く。
碧  こう?
詩織 OK!その位置で。
碧  じゃ留めるよ。

と、結びつけ。

碧  あ、はさみ。

先生が作業台の上のはさみを取って渡す。

碧  すみません。

と受け取り、チョキン。
碧、ふーっと息をつき、脚立を降りる。
先生脚立を片付けて、帰ってくる。

碧  なかなかいいねー。
詩織 悪くない景色。

アルルカンが揺れながら浮かんでいる。

Ⅵ人でなしになるために

葉月 揺れるわね。
詩織 ええ、揺れながら釣り合い取ってます。
葉月 釣り合い?あの人形はなにと釣り合ってるの?
詩織 ・・・たとえば壊れた世界?
葉月 壊れた世界?
詩織 正確には壊された世界の欠片。・・アルルカンはようやく支えてる。それが梃子なんです。でも、揺れる。物語がまだ見つけられないからゆらゆら浮いてることしかできない。大地に支えられた支点がみつからない梃子です。
葉月 どういうこと?
詩織 簡単な話です。人でなしになった話。
葉月 人でなし?
詩織 むかし、人なんてほんとじゃないといつた友だちがいた。だから、物語を絶えずうみだしてその中で生きるの。そういつてまっすぐ私の目を見たその子の目は、認知症の伯母のいとこの目のように、何を見ているのか分からない、ただ、深い井戸そこのように真っ暗でした。そのこはこうもいいました。ほんとじゃないものがほんとうであるなら、いったいそれはなんだと思う?分からないと私が言うと。勝ち誇ったようにその子は。
碧  決まってるじゃない。それは人ではないものだから、人でなしよ。
詩織 ああ、そうなんだ。人でなしなんだ。ああ、なるほどそうか。だから、私はホントじゃないおもいがいつもして、しんどかったんだ。・・ああ、人でなしか。・・そうか、私は人でなしなんだ。それが、すとんと胸に落ちる。
葉月 ひとでなし・・。

一拍おいて、詩織、憑かれたようにすべてをはき出すかのようにしゃべり出す。

詩織 いじめられている子やシカトとされる子が弱い者って決めつけてないですか。そういう物語に毒されてないですか。群れることがいやな強い子つて考えたことないですか。ま、少数だから力弱いかも知れないけれど、でも、ほんとうは力あるんですよ。なにせ、人でなしですから、タブー無しです。(明確に笑う)。卑怯な手だってお茶の子さいさい。強い子つて案外馬鹿なんですよね。想像力がないっていってもいい。逆襲されるってこと考えやしない。
葉月 ちよっと、 詩織さんどうしたの。
詩織 (かまわず)先生も同じ。教えるってこと上下関係じゃなくて、たまたまそういう役割関係でしょ。教えるって そういう事じゃないのに。なんか上から目線で。わらえますね。知ってますか、教師の起こす性的犯罪。笑えるほど多いですよね。教え子に手をつけるなんざざらにある。それって、抵抗できない人間を支配しようってすることですよね。小学生なんかにとっては、先生は絶対の支配者。いやだと思ってもなかなかいやだといえない。うまい言葉使ってだましてあやして、そうして生徒の世界を殺すんです。
葉月 詩織さん・・あなた。碧さん。

留めないのという風に見るが、碧は厳しい顔で首を振る。

詩織 でも、ほんとにきついのはその後です。誰が被害者か隠そうとしてもいつの間にかみんな知ってしまうんです。そうして、その子を見る目が変わる。同情の視線。好奇のまなざし。そんなものはまだまし。やっぱりそんな子なんだという非難や敬遠さらには軽蔑。表だってはもちろん言いませんよ。でも、見つめる目は物語る。その子は何度も何度も他の先生や友だちや、友だちの親の目に殺され続けるんです。毎日毎日来る日も来る日も来る日も殺される!じっと耐えてやがてみんながそういえばそんなこともあったかなあと思い出すに苦労するまで。いったい、いつまで耐えれば済むんですかつていうことですよ。そういう風にその子の世界をむちゃくちゃに壊しても誰も責任を取らない。人間のすることですかと言いたいですが、人間のすることなんです。人間だからすることなんです。ちょっと、人間ってものいやになりません?
葉月 あなた・・・まさか。

詩織、答えずに台詞は加速する。

詩織 そんな壊れてばらばらになってしまった世界、いいえ、そんな人間が創った世界にひとり対峙しなければならない時、子どもはどうせよと言うんです。世界が壊れた。ばらばらの破片というか、世界は私を憎んでると、いや私が世界を憎むか。どっちでもいい 私はひとりであるという凍り付くような感覚に襲われる。駄目だ駄目だ駄目だこれでは駄目だ。なんだか分からないがこれでは駄目だ。ではどうする、いっそ消えてしまうか。馬鹿か、なぜ消えなくちゃいけない。そうではなくて。そうではなくて。ああ、そうだ。現実を変えるか、世界を新しくうみ出すしかない。テコがいる。世界を生み出す大きなテコが。でも、それは何処にある。そんな大きな梃子は何処に。(笑う)そんなの有るわけないじゃない。ほんとに馬鹿だ。そんな大きな梃子なんか、有るわけない。どうしようもない、助けて!!
葉月 もうやめなさい、詩織さん。ねえ。やめて。

間。おちついた声に戻る。

詩織 ぽかっと、あのこの言葉が浮かんでくる。ホントに馬鹿ね。物語に決まってるじゃない。物語だけが世界を作るんだ。だってひとなんてもともとほんとじゃないもの。
葉月 詩織さん。
詩織 (柔らかい声で)ずっと梃子はあったんです。気がつかなかっただけで。・・先生。
葉月 何。
詩織  このモビールのように世界と釣り合うものがあると思いません。
葉月 私には、よく分からないわ。
詩織 人間の世界と対峙しなければならない人でなしには、物語という梃子が絶対的に必要なんです。
葉月 だから不登校?

詩織、笑う。

詩織 たしかなのは、モビールを作る毎日・・それだけ。これが物語としたら、随分ちっぽけですね。世界に比べれば。泡のように浮かんでるだけ。
葉月 それでは、多分何も生まれない気がするけど。
詩織 (笑う)生まれる?あー、生まれてません何にも私の物語。
葉月 え?
詩織 先生、私、学校にはあまり期待してないんです。
葉月 は、どういうこと。だつてあなたは。
詩織 はい。ま、生徒です。でも、見切りました。
葉月 見切ったって?
詩織 んー、しょうも無いんで学校は捨てます。でも、わたし、ずるいから、学歴は保持する。経済的に苦しいし、引き取り手もいないし。学校を冷たく観察して、利用し、軽蔑して、脱落でもなく、逃避でもなく、排除させず、ただ、喉に刺さった小骨としてあり続ける戦闘状態。(自嘲のような笑い)というわけで、在籍させていただきますね。

笑う。

葉月 はあ?それって。
詩織 やりたい放題ですね。でも、合法的です。ま、除籍されるまで頑張ります。
葉月 頑張るって・・・
詩織 物語が生まれるまで、・・生まれればいいけど。さて、どうなんでしょう。

とアルルカンを見上げる。
葉月先生も見上げる。
間。

詩織 先生。
葉月 何?
詩織 私は不思議なんです。先生の梃子はどこにありますか。

葉月、無言。

Ⅶ人でなし達の時間

詩織 面白い先生いました。あだ名がカマス。あ、学校の先生じゃなく、塾の先生ですけど。とつてもお年寄り、では背丈は180ぐらいあって体格も立派で姿勢まっすぐ、筋肉隆々。頭つるっつるで、ピカピカ光ってて、ごついのなんの、鼈甲(べっこう)って言うんですか黄色い縁の高そうなめがね掛けてて、目がぎろって光る、まあ、ちょっと強面やくざみたいな先生。その先生が数学教えてて、一番初めの日。こうなんですよ。仁王立ちして。
碧  今から、円を描く。よく見ろ。
詩織 あざやかにフリーハンドで大きく円を描いて。ぎょろっとみんなを見回し。
碧 これは、円である。何じゃ?
葉月 は?
詩織 は?ですよね。なんじゃといわれても、円じゃとしか言えないじゃないですか。
葉月 言ったの?
葉月 ムリムリ。言えるわけありません。だつて、ねめつけてるもの。更にいうわけ。
碧  円である。何じゃ。
詩織 一同しーんですよ。頭も上げない。目を合わせると当てられるし。あのすさまじい沈黙のプレッシャー。物語なんか屁で飛ぶ感じ。
葉月 それで。
碧  (ふんと大きく息を吐いて。)円である。(バンと黒板たたくように中心を示す。)中心である。



葉月 ・・・はい?
詩織 だから中心なんです。ある点から一定距離にある点の集合が円ですよね。だから、円の根底には中心があるんです。何じゃといえば中心。禅問答みたいですね。
葉月 ほんとに。

と、クスッとするが。

詩織 だから、それが梃子なんです。本質があつまつた焦点。押さえるべきポイント・・です。
葉月 円かぁ。
詩織 中心です。


アルルカンのモビールが黄昏の中に浮かぶ。
たよりなく浮遊する。遠雷の音がまだ聞こえる。
葉月先生はじっとみつめて。ため息をつく。

葉月 ハーレクインいえ、アルルカンにはお相手がいたはずだけど。
詩織 ええ、コロンビーナ。   。
葉月 コロンビーナ。じゃ、明日はそれを作りましょう。(自分の気を引き立てるように)ひとりだけ宙に浮くのは寂しいわ。でしょ?



葉月 いいわね。
詩織 はい。
葉月 では、また今頃来るわ。ふさわしい時間だし。

うっすらとほほえむ詩織。

葉月 じゃ。

と、軽く会釈して葉月先生去ろうとする。

詩織 先生。

と、呼び止める。

葉月 何?
詩織 (クスッと笑って)先生の考えてること分かりますけど、それ違うんですよ。誤解です。
葉月 え、なんのこと?
碧  それ、私のことです。
葉月 え?

間。
何を言われたか理解できず、二人の顔を見比べる先生。
徐々に被害者が碧だったと言うことを理解する。
碧を見る。
碧、頷く。
葉月の顔に何ともいえない表情が浮かぶ。

葉月 (碧に)あなただったの?

碧、再び静かにうなずく。

葉月 (つばを飲み込みながら言いにくそうに詩織に)でも・・じゃあなたは・・何で。
詩織 (かぶせるように)でも、コロンビーナ愉しみにしてます。

葉月、魅入られたように凍り付いて詩織を見る。
詩織の表情はない。
やがて葉月、逃げるように去る。
間。

碧  紅茶飲まなかったね、先生。
詩織 うん。
碧  (一口飲んで)冷めちゃった。・・また作ろうか。
詩織 ・・そうね。お願い。

碧、ワゴンを押して去ろうとする。

詩織 あ、灯り消してみて。

碧、上手のスイッチを消したようだ。
濃い、黄昏、逢魔が時が室内に忍び込む。

碧  まさに逢魔が時ね
詩織 人でなしたちの時間よ。

二人くくっと笑う。碧、ワゴンを押して去る。
詩織、道化師のモビールを見つめる。
アルルカンはゆらゆらと揺れている。
詩織、厳しい目で見つめ続ける。
    やがて、指でっぽうを構えて。

詩織 バンッ!


【 幕 】

参考 江國香織「夕闇の川のザクロ」


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