第33回四国地区高等学校演劇研究大会講評

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●はじめに

 四国大会が終わり早くも一ヶ月が過ぎました。講評をと言うことですので、今回の2日間を通して気がついたことをいくつか書いておきます。新しい年の舞台づくりのご参考になれば幸いです。まず、全体を通して気づいたことです。

■脚本はきちんとかかれていたか
 一つは、やはり脚本の問題です。生徒や顧問の書かれた創作脚本が多くありましたが、惜しいことになぜそこをもっと徹底しないのかという思いに駆られる作品が多々見られました。生徒さんが書かれた場合、視点や台詞は等身大で生き生きとしているのに、全体の構造が今ひとつしっかりせず、曖昧さや不徹底さが弱点として顕れてくる場合がありました。おでんの串が見あたりません。それぞれのネタは感覚的においしいのに、全体を貫いている論理?が弱いか破綻しているものが多いように思います。時間の制約もあるでしょうが、問題を設定したらそれを解決、あるいは提示するのにもっともっと考える必要があるのでは。一人では無理でも、クラブのみんなと話し合えば、いろいろな疑問点や弱いところが見えてきます。演劇に関係ない人に見てもらうのも良いかもしれません。全くの素人の眼というものは案外鋭いものです。顧問の書かれた作品はなかなか生徒からは言いにくいかもしれませんが、疑問があれば遠慮無く言える雰囲気があればと思います。顧問といえどプロではありませんから、気がつかないところは多々ふります。少しでも引っかかったらどしどしぶつけてみてください。演技するのは生徒さんですから。クラブのコミュニケーションがよいといい作品になっていきます。

■ご都合主義について
 制限された時間の中で終幕に向かって突き進む中で、色んな場面でご都合主義が目につきました。
 脚本の運びのご都合主義はもちろんですが、実に都合の良い装置がおあつらえ向きにあったり、登場人物の設定や、小道具等、お話しがスムーズに進むために
は仕方がない面もありますが、それが終幕に向けての予定調和的な道具として見えてくるのは少し興ざめです。嘘を上手にリアルなものに転化しなければ人は感動しないと思います。うまく話が運んでも、それは消化試合みたいなもので、はいはいそうですかーで終わるでしょう。むしろ、観客にトゲのようにささるぎくしゃくしたもののほうがもっとよろしいのではないかと思います。


■時間軸の難しさ
 観客の前に流れるお芝居の時間は一つですが、お芝居の中を流れる時間の構造は、二重構造の場合が多いです。戦争が背景にあるもの、登場人物の過去の痛みが背景にあるもの、公であろうと私であろうと、現在の場面の背後に過去が厳然として存在している場合、扱いはなかなか困難なものです。
 フラッシュバックや同時進行、映像の世界では違和感なく使えますが、舞台では今現在生身の役者が演技している、今現在の時間の芸術だと思うので、工夫しないと、過去と現在がバラバラに流れて混乱してしまいます。
 特に歴史的過去を背景とする場合、過去の時間を舞台に持ってくる手段として、伝聞や、本、資料を出してくる場合が多いのですが、登場人物の直接の体験は観客の直接体験でもありますので、単に伝聞でこうだった、本にこう書いてあるではどうしても弱くなります。仕方のないところではありますが、そのあたりを突き詰めて工夫したお芝居はほとんど見あたりませんでした。単なる場面転換や回想だけでは、話の進行の都合上というだけになります。過去と現在のふたつの時間が流れるお芝居はこれからも大変多いと思います。役者も観客も今現在の時間にしか存在できませんので、問題意識としてふたつの時間をどうしたら、今現在の時間にうまく統合できるかという視点も持ってもらいたいと思いました。

■お話しを転がすために
 ストーリーがあるお芝居が多かったのでもう一点気がついたところを。ストーリーやお芝居がうまくいくのに必要な事は、「対立」の構造だというのは生徒諸君もよく聞くことだと思います。ウルトラマンだけではしょうがなく、怪獣がでてこなければ話がすすまないし、話にもならない。これは、まあみんな直感的にわかってることで、反対、ないしは別方向へのベクトルが無いと、対話もないし、内容も深まりません。解決できそうもない、矛盾した問題がきちんとあれば、それをどうにかしようと考えるだけであれこれと話は進みます。解決しなくともよい、しかし、それがないと、ストーリーやお芝居のドライブマシンにはならない。今回の大会では、その点、魅力的な対立や矛盾の構造をうまく設定された出場校がありました。
 また、ウルトラマンの3分間のように、きちんと「時間制限」という「枷」をかけて、緊張感を保った所もありました。「枷」は「弱点」といっても良いかと思います。が、状況設定や、登場人物設定やその他いろいろのところで使えます。当然、「時間制限」だけでなく、人間関係や能力、外部の状況など色々考えられますので、魅力的な「枷」をできるだけかけてみてください。その「枷」をいかに外すかと言うことだけでも、お芝居はころがっていくし、内容が深くなるでしょう。これもドライブマシンの一つだと思います。「対立」にしろ、「枷」にしろお芝居の構造と密接に絡みますのでしっかり組んでおけば、お芝居がグズグスになることはないでしょう。


●各校講評 長くなりましたので各校別に感じたことを簡単に書いておきます。(発表順)

●徳島県立城北高校「坂の上の雲」

 長いのでカットして上演されたようですが、カットの仕方に少し計算違いがあったのではないかと思いました。日常生活の背後に原爆の被爆が黒々とわだかまっている不気味さがさりげない台詞の中に伺われました。ただ、それだけに、非常に大事なおじさんのもつ意味が今ひとつわかり辛かったと思います。自然なはずなのになぜか不自然な違和感を持ったのもあるいはそのせいかもしれません。60分の時間制限の中で長い脚本をアレンジするのはなかなか難しいのですが、それでもおじさんをもっと明確に出したらわかりやすかったのでは思いました。装置は定年に作られて好感を持ちましたが、抽象的な2枚のパネルが具象的な装置に混じっていたので混乱しました。ピカの光を効果的にするのかなとも考えましたが、疑念が残りました。

●高知学芸高校「o.n!」

 生徒たちだけでつくったというお芝居の良さも限界も持ったお芝居だと思います。過去の問題と現在をファンタジー的手法で処理していますが、話の進行や登場人物がご都合主義的なところがあり、ファンタジーのリアリティーが表現し切れていないと思います。ファンタジーこそがちがちのリアリティーがほしいのですが、詰め切れていない印象があります。装置も少しご都合主義で、配置や先が読める井戸などもう少し検討すべきであろうと思います。顧問の先生など大人の目でみるとそういう甘いところがよく見えますのでアドバイスをもらった方がいいでしょう。滑舌をもう少し訓練してみてください。

●香川県立高松高校「TAKE 0(テイク・ゼロ)」
 高校演劇では珍しい「悪意」をあつかったお芝居だと思って見ていました。個人的には一番可能性を感じました。観劇中いらいらしながら見ていました。でもそれが正解。かみ合うようでかみ合わない感じ居心地の悪さですね。こういう居心地の悪さはいいと思います。ただ、真綿で首を絞めるような感じなのですが、絞め切れていない。自覚せずたゆたいながら悪意が増殖していく過程がもつと描けたら説得力が増してくると思います。インターネットでは、確信犯的な悪意の暴走がある時代です。登場人物がやがて確信犯的に悪意を暴走させていくような展開であればというのは個人的な好みです。装置・人物設定がご都合主義的なのが致命的です。ゴミ捨て場としたら、やたら新品めいたゴミがあるのはいかがなものでしょうか。殺すのは簡単な結末ですが、その前にもっともっとやることはあるでしょうし、殺すにしても観客の目から隠れて殺すのではちょっとと思います。改稿すれば優れた脚本になりそうで、怖い、客をいやーなきもちにさせて帰すようにがんばってみられたらと思いました。やるならば徹底的にやることです。真綿で首を絞めきってください。

●愛媛県立松山北高校 「A SUMMER DAY」

 のほほんとした昔懐かしいお芝居を見た気分で好感を持てました。こういうのもありかと。お芝居自体も丁寧に創られていますし、丁寧に作られた書き割り的な装置が意外に効果的だったとおもいます。遺影の位置は少しおかしかったですが。ただ下手の空間が少し広すぎてかんじがあり演技にちょっと苦労した感じがいたします。小道具的にはご飯のおかずは味噌汁だけかーとしみじみしました。なお、ギャグはかなり寒いです。「美容院」と「病院」の勘違いというのはお芝居の大事な部分と関わるだけに苦しいと思います。
 ただノスタルジーだけでは少しきついと思います。時代は昭和であれ、観客の時間は平成20年です。このままでは、こういう時代もありましたという紹介で終わってしまいます。芝居に流れている時間は昭和という一つの時間ですから、逆に今の時代を照らし出す何かがないとまずいのではないかと思います。その点が今少し不足していたのでは無いでしょうか。
5.徳島県立情勢高校「すだちに優しく」
 平成という時代をまな板にあげてコラージュ的に料理した感じです。大きなごみ袋 ですべて覆ってしまい、口をぬぐってしまう感じのラストは今の日本のあり方としてわかる気がします。ただ、おでんの串がどうも中途半端な感じがあるのと台詞が聞き取れにくかったのが残念でした。台詞というよりシュプレヒコールですが、これも大事なおでんの具ですのできちんと観客に届けてくれないと観客の中でコラージュの再構成ができません。惜しいですね。失われた20年、平成という時代も成人式を迎え、立派な大人になったはずなんですが、現実はそうでなくてただ捨てまくり隠しまくって時間だけが流れたという感覚を受けました。一つの批評になっていると思います。役者さんはがんばっていましたが、欲を言うと、全員がなおもう一段の身体のキレと台詞を届ける努力を。大人数で粒がバラバラなのは仕方ないですが全体をまとめて一つにするにはそのあたりがちょっと足りなかったと思います。

●高知県立安芸高校「注文の少ない料理店」

 ブラックな味を目指しただろうけれどもブラックになりきれていません。脚本に問題があり、宮沢賢治の裏を目指した設定がかなりご都合主義的で無駄に引っ張っている印象があります。論理的にも少しおかしく、その場のおもしろさだけでお芝居を作ろうとするのは厳しいとおもいます。着眼点はいいのですが、それを支える構造が弱いと思います。思いつきだけでは60分は長すぎます。空間が広すぎて処理に困っているが観客に見えてしまうのは辛く、空間を狭める工夫が必要でしょう。発声に少し難があり、叫ぶのは台詞がわかりづらくなります。間の取り方とか出はけにも神経を使うともつと良くなります。

●香川県立高松工芸高校「ミネルヴァの肖像」

 女王さまの転落といったところでしょうか。脚本に無駄な部分があるのがその分、混乱と弱さと曖昧さを引き起こしているのでは。遊びたいのはわかるけど、逆に、あそばなければいけない必然性もない、ほんとにつきつめめばならないところが結果的にぬけていく。前半部で遊びすぎたため本筋が弱くなったのは否めないと思います。結末はうまくまとめていますがその分前半が非常に惜しいと思いました。役者はよく訓練されていて身体は一番良かったのではないかと思います。装置も良くできていて色々とものがあるわりに見やすかったと思います。

●愛媛県立川之江高校「ふ号作戦」

 必要にして十分な脚本と装置と役者だったと思います。舞台上に無駄なものがないお芝居、良くも悪くもスマートで心地よいお芝居でした。 対立が明確で、「5時までに」という枷が非常に効果的だったと思います。結末的には多分風船爆弾をとばすしかないのでそれに向かって行きつ戻りつしながら走る。立場が直線的でなくて、けっこう入れ替わって揺れるのは面白いと思いました。ただ、それを承知で欲を言えば、「戦争」が伝聞と本ではやはり弱いと思います。現代をいきる生徒たちにとっては手段としてはそれしかないとしか言えませんが、一番大事な核であるからこそ、時間が二重になっていて、過去の時間がもっともっと現代に被さってくる構造が必要なのではと思いました。時代にいやおうなしに押し流されていく怖さと、それでもなおあらがおうとする意志が、多分もっともっと明確に表現できるお芝居だと思います。戦争がいま目の前にあるという構造がほしいと思います。そういう意味で、ラスト、チェーホフみたいに楽隊が通っていく感じの中、雁首並べて見上げるのはどうかなとおもいました。それじゃ感動におぼれてしまうだけなのではないかなぁと。

● 徳島県鳴門第一高校「Out Take」

 問題が出てくるまでが長いのと登場人物紹介や状況説明しすぎなのはもったいない。ちゃっちゃと片付けて問題を明らかにすべきであろうと思いました。過去の問題が背景にあるのですがそれをもっともっと早く出すべきでしょう。そうすれば、余り遊びを入れなくても本論をふくらますことができると思いました。全体的にちょっと沈んだ空気がただよい、それはお芝居が段取り的に演じられている事とも関係あるかもしれません。お芝居の空気とでもいったものが少なかったと思います。演劇部の日常を舞台にしたというには少しリアリティーが無かったと思います。また、装置の関係でエリアが限定され多分お芝居が不自由になったようです。もう少し整理した方が良かったのではないでしょうか。

 以上、勝手な感想も多いと思いますが、参考になれば幸いです。


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