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「山猫ドッペルンゲンの話」・・入門宮沢賢治・・

原作  宮沢賢治 「注文の多い料理店」「雪渡り」「銀河鉄道の夜」他
脚本  結城 翼


★登場人物
山猫
男1
男2
声1
声2
女1
四郎
かん子
紺三郎
ジョバンニ
カムパネルラ

ザネリ
大学士

★プロローグ

うおーん、うおーんという声。風が走る。
ぼんやりと、明るくなると上、下にそれぞれドアと椅子。中央奥に古びたオルガン。
下手の椅子(ここでは中央よりにある)に座った山猫。
どこか、宮沢賢治に似たコートを羽織り、帽子をかぶって、本を読んでいる。そばには古くなった旅行鞄。
ふと、顔を上げる。
あなたに気付いたようで本を閉じる。

山猫 :私?私、山猫です。はい。山猫ドッペルンゲン。うおほん。ドッペルンゲンです。よろしく。え、ご存じ無い?無い。ほんとに?無いの・ ・かーっ。(間。気を取り直して。)ああ、ところであなた、狼が森の、どうっと吹く風、知ってますか。あれは実は私の息なんです。ほ ら。

と大きく、吸い込み、はーっと吐く。

山猫 :うおーん。

風がどうっとうなって、吹きすぎる。

山猫 :でしょ。

にこっと笑うと。ぼこぼこっと泡が立つような音とともに。

声1 :クラムボンは笑ったよ。
声2 :クラムボンはかぷかぷ笑ったよ。
声1 :クラムボンは跳ねて笑ったよ。
声2 :クラムボンはかぷかぷ笑ったよ。

くすくすっという笑い声が聞こえては消える。

山猫 :でしょ。ああ、気になさらないように。あなた、あれは風が拾った声です。はい。誰でも聞こえるんです、もう、本当に。狼森や笊森をど うっと吹き抜いてくると、風は色々な声を拾うんです。

もう一度、大きく吸い込み、はーっと吐く。

山猫 :うおーん。

風が再びどうっとうなって、吹きすぎる。

山猫 :ほら。

にこっと笑った。
再び泡立つような音とともに、声が聞こえる。

声1 :クラムボンは笑っていたよ。
声2 :クラムボンはかぷかぷ笑ったよ。
声1 :それならなぜクラムボンはわらったの。
声2 :しらない。

泡立つ音と笑い声。

山猫 :私も知りません。はい。風が拾っただけなんですから。でもよく聞こえるでしょう。この第三次空間ではいろいろに聞こえてしまうんですもう、それは本当にしかたがないことではあるのです。私たちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいに透き通った風を食べ、桃色の美しい朝の日光をのむことができます。また、私は、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろの着物が、一番すばらしいびろうどや羅紗や、宝石入りの着物にかわっているのをたびたび見ました。私はそういうきれいな食べ物や着物を好きです。そういうことなんです。

息を吸って吐く山猫。
声が聞こえる。

声  :どっどど どどうど どどうど どどう 青いくるみもふきとばせ  すっぱいかりんもふきとばせ どっどど どどうど どどうど ど どう

耳を澄ます山猫。

山猫 :どっどど、どどうど、どどうどどう。・・風は、色んな声を拾ってきます。いいえ、第三次空間のさまざまな青い光からもらってくるのです。これらの声は、みんな林や野原や鉄道線路やらで、虹や月明かりからもらってきたのです。ですから、私は、これらの小さな声のいくきれかが、おしまい、あなたのすきとおった本当の食べ物になることを、どんなにに願うか分かりません。

音楽とともに笑い声。
風に乗って、歌うような、声が聞こえてくる。

山猫 :そういえば、狩人が二人、この狼森に迷い込み、くるくる回って、どうっと倒れたことがありました。あの時は・・

と、立ち上がる。
笑い声。

山猫 :こんな声も聞こえてきました。はい。

山猫は、鞄の中から折り畳んだ看板を出して広げ、看板を下手のドアに掛ける。
看板には「西洋料理店 山猫軒」と書いてある。
笑い声が大きくなって近づいてくる。
山猫はにやりと笑い。

山猫:くるくる、ズドンっ!

と、下手に消える。

男たち:くるくる、ズドンっ!

と、狩猟姿の二人が笑い声を挙げながら上手から出てくる。

男1 :簡単だよ。
男2 :ああ、簡単だとも。ほら、ねらいを付けるとね、奴ら、ばかだからもうどこにも逃げられない、くるくる回ってばたばたするだけさ。
男1 :そこを、一息、スドン!
男2 :ズドン!

笑い声。

男1 ::君はもう、その手で何をやっつけたんだ。
男2 :ああ、僕はもう、数え切れないほどののばとをね、それに、きじや狐もときどきはある。
男1 :それはすごいな。
男2 :かんたんだよ。くるくるズトン。
男1 :犬なんかいりゃしないね。
男2 :ああ、犬なんてどうにもえさをくらうばかりで役などたちはしない。きょうなんかも、森がばさばさいうだけでもうなんかをおっかけてす っとんじまった。
男1 :そいつはなんだかやりきれないね。
男2 :ああ、まったくやりきれない。
男1 :ところでどうにも、はらがへったとはおもわないか。
男2 :いやいや、まったくそのとおり。いぬのやつ弁当までくわえて走っていったんでどうにもしようがないね。ああ、まったくどうにもしょう がないやつだ。
男1 :へったね。
男2 :ああ、これではこちらがくるくるまわってしまう。
男1 :おい。
男2 :なんだね。
男1 :あれは、ひょっとしたら、ぼくのめがくるくるまわっているのかな。それとも、森がくるくる回っているのかな。
男2 :全体何事だ。
男1 :看板だよ。山猫軒だとさ。
男2 :ああ、ほんとうだ。山猫軒。
男1 :山猫軒。
男2 :こいつは、全体豪儀じゃないか。
男1 :ああ、ではやっぱりくるくる回ったんじゃないんだ。
男2 :そうだども、ああ、けれども少しは僕はお腹がくるくる回っている。
男1 :実は、やっぱり僕もそうだ。
男2 :じゃ、入ってみようか。
男1 :そうだとも、こいつは入ってみようじゃないか。

うおーんと山猫の喜びの声。
ひびる二人。

男1 :なんだ、あれは。
男2 :・・。森だよ。
男1 :森?
男2 :そうだ。森が呼んでいるんだよ。
男1 :何を。
男2 :それはわからない。

うおーん。

男1 :ぶきみだね。
男2 :ああ、けれどぼくたちにはかんけいないよ。さあ、はいろうじゃないか。西洋レストランだとさ。
男1 :こんな山の中にね。しかし、まあとにかく食事ぐらいはできるだろう。
男2 :もちろんできるさ。看板にそう書いてある。それにしても、ああ、なかなか人情というものを心得てるね。
男1 :どうしてさ。
男2 :ズドン、ズドンと猟をするだろう。結構な運動さ。のども渇くし、腹も減る。何と言っても西洋料理じゃないか。ワインにステーキ。うん。 キジ肉のシチューなんぞバカウマだろうね。
男1 :きりっと冷やした白ワイン。
男2 :うん。こいつは、なかなかどうして気が利いてるよ。
男1 :では。はいろうじゃないか。僕はもう何か食べたくて倒れそうなんだ。ドタッ。
男2 :おいおい。なかなか気張っているね。

と、うおーんと再び声がする中を喜び勇んでドアをくぐってはいる。
のんのんと廊下を行く(ぐるりと回って上手へ)
別のドア(上手)に看板がかかっている。
「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません」とある。

男2 :どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません。
男1 :こいつはどうだ、やっぱり世の中はうまくできてるねえ。きょう一日なんぎしたけれど、今度はこんないいこともある。このうちは料理店 だけれどもただでごちそうするんだぜ
男2 :どうもそうらしい。決してご遠慮はありませんというのはその意味だ。

と、扉を開けると看板の裏には(くるりとひっくり返る仕掛けが必要)。
「ことに肥ったお方や若い方大歓迎いたします」と金文字で書いてある。
ひゅー、ひゅー。と二人。

男1 :こいつはやったね。
男2 :ぼくらは大歓迎にあたっているのだ。
男1 :ぼくらは両方兼ねてるから。

二人、大笑い。
と、音楽がかかる。
どしどし廊下を行く二人。
扉をどんどんくぐっていく。
その間に、看板を掛け替える山猫。
立ち止まる二人。

男1 :どうも変なうちだ。どうしてこんなにたくさん戸があるのだろう。
男2 :これはロシア式だ。寒いとこや山の中はみんなこうさ。
男1 :またかいてあるよ。どれどれ。

「当店は注文の多い料理店ですからどうかそこはご承知ください」

男1 :当店は注文の多い料理店ですからどうかそこはご承知ください。へー。なかなかはやってるんだ。こんな山の中で。
男2 :それあそうだ。見たまえ。東京の大きな料理屋だって大通りには少ないだろう。

と、とびらをあける。裏側には。
「注文はずいぶん多いでしょうがいちいちこらえてください」とある。

男1 :これはぜんたいどういうんだ。
男2 :うん、これはきっと注文があまり多くて支度が手間取るけれどもごめんくださいとこういうことだ。
男1 :なるほど。そうだろう。うん。早くどこか部屋の中に入りたいもんだな。
男2 :そうして、テーブルに座りたいもんだな。
男1 :どうにも、廊下ばかり続くね。

と、扉があり、脇に鏡が掛かっている。枝の長いブラシが置いてある。
「お客さまここで髪をきちんとしてそれからはきものの泥を落としてください」

男2 :ほほう。
男1 :これはどうももっともだ。僕もさっき玄関で、山の中だと思って見くびったんだよ。
男2 :作法の厳しい家だ。きっとよほど偉い人たちが、たびたび来るんだ。

と、靴の泥を落としたり、髪をすいたりする。

男1 :これでいいかな。
男2 :ああ、なかなかの紳士ぶりだよ。

と、笑った。
うおーんと笑い声。
ぱたっとブラシなどを落としてしまう。
どうーっと、風が吹く。

男1 :うおっ。
男2 :わおっ。

と、しがみつく、二人。
落とした、ブラシなどを素早く片づける山猫。

男1 :あれは。
男2 :あれは。

うおーん。ともう一声。
かぜがどおっと吹く。

男1 :か、か、風だよ。
男2 :か、か、風か。

耳を澄ます二人。

声1 :クラムボンは死んだよ。
声2 :クラムボンは殺されたよ。
声1 :クラムボンは死んでしまったよ・・。
声2 :ころされたよ。

笑い声が風に乗って走る。

男1 :か、か、風さ。
男2 :か、か、風だ。

振り払うように、二人より添い、扉を開けてはいる。
内側には。
「鉄砲と弾丸をここにおいてください」と、あった。
椅子があり、山猫が目深に帽子をかぶり手を広げてじっと座っている。
男1がつんつんとつついて、目配せをする。

男2 :鉄砲と弾丸をここに置いてください。か。・・なるほど。鉄砲を持ってものを食うという法はない。
男1 :いや、よほど偉い人が始終来てるんだ。

二人、鉄砲をはずし、帯革を解き、山猫に渡す。
山猫、機械的な動作で立ち上がり、袖におき、再びもう一度別の扉のに看板を掛け、前の椅子に座る。
二人、別の扉をくぐる。
「どうか帽子と外套をおとり下さい」とある。

男1 :どうか帽子と外套と靴をおとり下さい。どうする?
男2 :仕方ない。とろう。確かによっぽど偉い人なんだ。奥に来ているのは。

二人、帽子とコートや靴などを山猫に預ける。
山猫、もって去る。去り際に看板を裏返す。
二人、扉をくぐる。
「ネクタイピン、カフスボタン、眼鏡、財布その他金物類ことに尖ったものはみんなここに置いてください」とある。

男2 :ははあ、なんかの料理に電気を使うと見えるね。金気のものは危ない。ことに尖ったものは危ないとこういうんだろう。
男1 :そうだろう。してみると勘定はここで払うのだろうか。
男2 :どうもそうらしい。
男1 :そうだ、きっと。

二人、眼鏡やカフスボタンやなんやかやを椅子の上に置く。
置き終わると、くるりと椅子を反対向け。かちっと、鍵をかけるマイムをして。

男2 :これでよし。
男1 :うん。これでいい。じゃいこう。

と、のんのんと廊下を歩く。
入れ替わりに、別の扉に看板を掛けに山猫が出てくる。
二人とすれ違いながら椅子を元に戻し。置いてあるものを持って引っ込む。
扉には、「壺の中のクリームを顔や手足などにすっかり塗ってください」とある。
前の椅子には壺がある(らしい)。

男1 :これは。
男2 :なんだい、また扉だね。
男1 :ああ、でもいい匂いがする。
男2 :ああ、ほんとうだ。おいしそうだね。何々。壺の中のクリームを顔や手足などにすっかり塗ってください。

ぺろりとなめてみる。

男1 :ほう、こいつは。小岩井農場のクリームだ。
男2 :どれどれ、ほんとうだ。

と、ぺろり。

男1 :あまいな。
男2 :こってりしてる。

と、ぺろり。
なおも、男2が食べようとするのを止めて。

男1 :クリームを塗れと言うのはどういうんだ。
男2 :これはね、外が非常に寒いだろう。
男1 :ああ、たしかに、声が凍るほど寒い。
男2 :部屋の中があんまり暖かいとひびがきれるから、その予防なんだ。どうも奥には、よほど偉い人が来ている。こんなとこで、案外ぼくらは、 貴族と近づきになれるかもしれないよ。

二人、壺のクリームを顔やら手足やらへ塗る。
ついでに、それぞれこっそりクリームをなめる。
山猫が出てくる。看板をひっくり返して去る。
「クリームをよく塗りましたか耳にもよく塗りましたか」とある。
男2が気づく。
男1はクリームをなめるに夢中。

男2 :そうそう、僕は耳には塗らなかった。危なく耳にひびを切らすとこだった。ここの主人は実に用意周到だね。ねえ。

と、男1に呼びかける。男1は、はっと気づき照れ隠しに。

男1 :ああ、細かいとこまでよく気がつくよ。所で僕は早く何か食べたいんだが、どうもこうとこまでも廊下じゃ仕方ないね。

と、指さしたが。
うおーんと、叫び声。
かぜがどうっと吹き抜ける。

声1 :クラムボンは笑っていたよ。
声2 :クラムボンはかぷかぷ笑ったよ。
声1 :それならなぜクラムボンはわらったの。
声2 :しらない。

山猫が出てきて、にやっと笑って、看板を掛けて去る。
「料理はもうすぐできます。十五分とお待たせはいたしません。すぐたべられます。早くあなたの頭に瓶の中の香水をよくふりかけてください」とある。

男2 :か、か、風さ。
男1 :わ、わ、わかってるよ。
男2 :おい、とびらだよ。
男1 :分かってる。ああ、また何か書いてある。
男2 :料理はもうすぐできます。十五分とお待たせはいたしません。すぐたべられます。早くあなたの頭に瓶の中の香水をよくふりか けてください。ふーん。これかい。

と、椅子に置かれた香水の瓶を取り上げる。
くんくんと、とかぐ。
男2 :うーん。
男1 :どれどれ。

と、男1は香水をかける。
男2もかけてみるが。
ふたり、やたら、くんくんとする。

男1 :おい。
男2 :おい。

激しくお互いをくんくんする。
目をやられてしまう。

男1 :くはーっ。なんだい。これ。
男2 :かはーっ。なんじゃこりゃ。
男1 :この香水は変に酢くさい。どうしたんだろう。
男2 :まちがえたんだ。下女が風でも引いて間違えて入れたんだ。
男1 :くはーっ。けっけっ。
男2 :かはーっ。ぺっぺっ。

と、もだえる二人。
忍び寄った山猫が看板を裏返す。
「いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう。お気の毒でした。もうこれだけです。どうか体の中に壺の中の塩をたくさんよくもみ込んでください」とある。
にたりと笑う山猫。そのまま、奥に控えてにたりにたりとしている。
よろよろと入る二人。

男1 :ああ、目がいたい。くしゅん。
男2 :ああ、ぼくは鼻だ。くしゅん。
男1 :おい。

と、看板を指さす。

男2 :何だって。

お互いの顔を見る。
おそるおそる読む。

二人 :いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう。お気の毒でした。もうこれだけです。どうか体の中に壺の中の塩をたくさんよく もみ込んでください。

思わずかぉを見合わす二人。
うおーんと言う声。
どうっと風が走る。
二人は、きづかない。

男2 :どうもおかしいぜ。
男1 :ぼくもおかしいと思う。
男2 :たくさんの注文というのは、向こうがこっちへ注文してるんだよ。
男1 :だからさ、西洋料理店というのは、僕の考えるところでは、西洋料理を、来た人に食べさせるのではなくて、来た人を西洋料理にして、食 べてやる家とこういうことなんだ。これは、その、つ、つ、つ、つまり、ぼ、ぼ、ぼ、ぼくらが・・

うおーんと言う声。
どおっと風が走り笑い声が聞こえる。
にたにたしている山猫。

男2 :その、ぼ、ぼくらが、・・

声が聞こえる。

声1 :クラムボンは笑ったよ。
声2 :クラムボンはかぷかぷ笑ったよ。
声1 :クラムボンは跳ねて笑ったよ。
声2 :クラムボンはかぷかぷ笑ったよ。

どうっと風が吹く。

男1 :うわあ。
男2 :に、にげ。

逃げだそうとするが扉は開かない。
山猫が出てきて看板を掛け替える。
見せられたように見入る二人。
「いやわざわざご苦労です。たいへん結構にできました。さあさあおはいりください」と、はっきり読める。
にたっと笑って山猫は消える。
風がごおっとふく。

声1 :クラムボンは死んだよ。
声2 :クラムボンは殺されたよ。
声1 :クラムボンは死んでしまったよ・・。
声2 :ころされたよ。

獣の恐ろしいほえ声

男12:うわあ・・。

悲鳴。
狂ったような笑い声。
暗転。
笑い声が落ち着いた笑い声。
溶暗。
山猫がにたにたと笑っている。

山猫 :でしょ。そうなんです。風がね運んでくれたんですが・・。え、彼らはどうなったって?さあ、どうでしょうかねえ。

と、にたっと笑う。
手で骨のかけららしいものをもてあそんでいる。
そのうち、ぽいっと骨らしきものを鞄の中に放り込む。
キックキックトントン、キックキックトントン、キックキックキックキックトントントンという声が聞こえてくる。

山猫 :ああ、そうだ。あの人はこんな事をいったんです。ええ。言いました。

山猫、ちょっと朗読する。

山猫 :私という現象は仮定された有機交流電燈の一つの青い照明です。風景やみんなといっしょにせわしくせわしく明滅しながらいかにもたしかにともりつづける因果交流電燈の一つの青い照明です。・・どうです。わからない?はい。わかりません。私全くわかりません。はい。でも、いえるんじゃありませんか。わたしたちはともり続ける一つの青い照明だって。はい。イメージなんです。そういえば、こんな照明もありました。

と、本を取り出す。

山猫 :あすこの田はねえ
あの種類では窒素があんまり多すぎるから
もうきっぱりと灌水を切ってね
三番除草はしないんだ
  ・・一しんに畦を走って来て
青田の中に汗拭くその子・・

朗読を止める。

山猫 :あ、これは「あすこの田はねえ」と言って、あの人がつくったんです。ええ。そうですか、この後を聞きたい。うーん。私、実はあんまり朗読はうまくないんです。・・君。

と、呼ばれて、女1が出てくる。

山猫 :お耳汚しとは思いますがお聞きください。

音楽。
女1が朗読をする。

女1 :あすこの田はねえ
あの種類では窒素があんまり多すぎるから
もうきっぱりと灌水を切ってね
三番除草はしないんだ
  ・・一しんに畦を走って来て
青田の中に汗拭くその子・・
燐酸がまだ残っていない?
みんな使った?
それではもしもこの天候が
これから五日続いたら
あの枝垂れ葉をねえ
こういう風な枝垂れ葉をねえ
むしって取ってしまうんだ。
  ・・せわしくうなづき汗拭くその子
冬講習に来たときは
一年働いた後とはいえ
まだかがやかな苹果のわらいをもっていた
いまはもう日と汗に焼け
幾夜の不眠にやつれている・・
それからいいかい
今月末にあの稲が
君の胸より延びたらねえ
ちょうどシャッツの上のボタンを定規にしてねえ
葉尖を刈ってしまうんだ
  ・・汗だけでない
涙も拭いているんだな・・
君が自分で考えた
あの田もすっかり見てきたよ
陸羽一三二号のほうね
あれはずいぶん上手に行った
肥えも少しもむらがないし
いかにも強く育っている
硫安だって君が自分で播いたろう
みんながいろいろ云うだろうが
あっちは少しも心配ない
反当三石二斗なら
もうきまったといっていい
しっかりやるんだよ
これからの本当の勉強はねえ
テニスをしながら商売の先生から
義理で教わることでないんだ
きみのようにさ
吹雪やわずかの仕事のひまで
泣きながら
からだに刻んで行く勉強が
まもなぐんぐん強い芽を噴いて
どこまでのびるかわからない
それがこれからのあたらしい学問のはじまりなんだ
ではさようなら
  ・・雲からも風からも
透明な力が
そのこどもに
うつれ・・

朗読が終わる。
女はひっそりと礼をして去る。

山猫 :雲からも風からも 透明な力が そのこどもに うつれ。・・・ずいぶんつらい時代がありました。いいえ、今でもずいぶん子どもにとってはつらいです。・・こういったんです。世界が全体幸福にならないうちは個人の幸福もまたあり得ない。ああ、もちろんわたしじゃありません。あの人です。私は山猫です。ただただこうした秋の夜に声を挙げて泣くことしかできない、一匹の山猫ドッペルンゲンです。

山猫うおーんと泣く。
風がどってこどってこと吹く。
山猫悲しそうに背を丸めている。
再び、キックキックキックキックトントントン堅雪かんこしみ雪しんこという声が聞こえてくる。
山猫喜んで、思わず。キックキックキックキックトントントン堅雪しんしんしみ雪しんしんとする。
はっと気がつき照れくさそうに。
ぼんやりと背を丸め、あの人のように立ち去りながら。

山猫 :でもね。でもねいいんですよ。ほら、きもちいいんです。なんだか、このあたりが苗代を吹く青い風のように透明になって。

山猫、堅雪かんこしみ雪しんことする。鞄を持ち、背を丸めながらあの人のように去っていく。
去り際に鞄から「雪渡り」とかいた看板をつるしていく。
音楽。
堅雪かんこしみ雪しんこと言う声。
四郎とかんこが登場。

二人 :堅雪かんこ、しみ雪しんこ。狐の子ぁ、嫁ほしい、嫁ほしい。

空がきいんと鳴った。
喜ぶ二人。

二人 :堅雪かんこ、しみ雪しんこ。狐の子ぁ、嫁ほしい、嫁ほしい。

空がまた、きいんと鳴った。
喜ぶ二人。
叫ぼうとすると。

紺三郎:しみ雪しんしん、堅雪かんかん。

紺三郎がにこにこして立っていた。
ぎょっとする二人。
それでも。

四郎 :狐こんこん白狐、お嫁ほしけりゃ、とってやろよ。
紺三郎:四郎はしんこ、かん子はかんこ、おらはお嫁はいらないよ。
四郎 :狐こんこん狐の子、お嫁がいらなきゃ餅やろか?
紺三郎:四郎はしんこ、かん子はかんこ、黍の団子をおれやろか。
かん子:狐こんこん狐の子、狐の団子はうさのくそ。

笑う紺三郎。

紺三郎:いいえ、けっしてそんなことはありません。あなた方のような立派なお方がウサギの茶色の団子なんか召し上がるものですか。わたしらは 全体今まで人をだますなんてあんまり無実の罪を着せられていたのです。
四郎 :そいじゃ狐が人をだますなんて嘘なんですか。
紺三郎:嘘ですとも。けだしもっともひどい嘘です。

空がきいんとまた鳴った。
四郎と、かん子は空を見上げる。

紺三郎:だまされたという人はたいていお酒に酔ったり、臆病でくるくるしたりした人たちです。

紺三郎が団子を持ち出す。
ささっと退く二人。

紺三郎:お団子をあおがりなさい。
四郎 :ぼくたち、お酒に酔ってません。
かん子:わたし、くるくるしてません。

笑って、紺三郎。

紺三郎:私のさしあげるのは、ちゃんと私が畑を作って播いて草を取って刈って叩いて粉にして練ってむしてお砂糖をかけたのです。いかがですか。 一皿さしあげましょう。

二人、押しつけ合うが。

四郎 :紺三郎さん、ぼくらはちょうど今ね、おもちを食べてきたんだからおなかが減らないんだよ。この次におよばれしようか。

紺三郎、うれしがってキックキックキックキックトントントンをして大喜び。
ちょっと、びびる二人。

紺三郎:そうですか。そんなら今度幻灯会の時さしあげましょう。
かん子:幻灯会?
紺三郎:はい。狐小学校の幻灯会です。この次の雪の凍った月夜の晩です。
四郎 :狐小学校か。
紺三郎:はい。八時から始めますから入場券をあげておきましょう。

渡される二枚の透明な青い切符。
キックキックトントンキックキックトントンと足踏みして。

紺三郎:しみ雪しんこ。堅雪かんこ、野原のまんじゅうはポッポッポ。 酔ってひょろひょろ太右衛門が、去年、三十八、たべた。
    しみ雪しんこ。堅雪かんこ、野原のおそばはホッホッホッ。 酔ってひょろひょろ清作が、去年十三杯食べた。


みんなでキックキック、トントン。キックキックトントン。キックキックキックキックトントントン。

四郎 :狐こんこん狐の子、去年狐のこん兵衛が、左の足をわなに入れ、コンコンバタバタコンコンコン。
かん子:狐こんこん狐の子、去年狐のこん助が、焼いた魚を取ろとしておしりに火がつききゃんきゃんきゃん。

キックキック、トントン。キックキックトントン。キックキックキックキックトントントン。と踊る三人。

紺三郎:雪が柔らかになるといけませんからもうお帰りなさい。今度月夜に雪が凍ったらきっとおいでください。その切符を持って。

二人、切符を見る。

二人 :きっときます。
紺三郎:では、雪が凍った月夜の晩に。
三人 :狐小学校幻灯会。

空がきいんとなった。

二人 :堅雪かんこ、しみ雪しんこ。

二人、去る。

紺三郎:しみ雪しんしん、堅雪かんかん。

と、山猫に戻った形でうおーんとなく。
風がどうっと吹く。
雪渡りの看板を裏返す。
「狐小学校幻灯会」とある。

紺三郎:狐小学校幻灯会。

音楽。
二人が出てきて、片方の扉に白い布を掛ける。片方の扉の椅子に幻灯機を置いて去る。
紺三郎も去る。
二人の声が音楽に乗って聞こえる。

二人 :堅雪かんこ、しみ雪しんこ。狐の子ぁ嫁ほしい、ほしい。

声が聞こえる。

声  :今晩はおはようございます。入場券はお持ちですか。
二人 :もっています。
声  :さあ、どうぞあちらへ。

入ってくる、二人。
空がきいんと鳴った。

かん子:ああ、これは。
四郎 :本当にあったんだね。
二人 :狐小学校。
紺三郎:今晩はよくおいででした。先日は失礼しました。

びっくりして見返ると紺三郎。

四郎 :今晩はありがとう。このお餅を皆さんであがってください。

と、
紺三郎:これはどうもおみやげをいただいてすみません。どうかごゆるりとなさってください。もうすぐ幻灯も始まります。私はちょっと失礼します。

と、お餅を持っていく。

声  :堅雪かんこ、しみ雪しんこ、堅いお餅はかったらこ、白いお餅はべったらこ。

紺三郎が幕を持って出てくる。
「寄贈、お餅沢山、人の四郎氏、人のかん子氏」とある。
拍手の音。
恐縮する、四郎とかん子。
ピーと笛が鳴る。
紺三郎が、エヘン、エヘンと咳払いをする。丁寧に一礼する。
空がきいんと鳴った。

紺三郎:今夜は美しい天気です。お月様はまるで真珠のお皿です。お星さまは野原の露がキラキラ固まったようです。さて、ただいまから狐小学校の幻灯会を始めます。みなさんは瞬きやくしゃみをしないでめをまんまろに開いてみていてください。それからは今夜は大切な人の四郎さんと人のかん子さんという二人のお客さまがありますからどなたも静かにしないといけません。決してそっちの方へ栗の皮を投げたりしてはなりません。開会の辞です。

拍手。

四郎 :紺三郎さんはうまいんだね。
かん子:そうだね。

笛がピーとなる。
幻灯が写る。
紺三郎がオルガンを弾いている。
「お酒をのむべからず」とある。
消えて、写真が写る。

声  :キックキックトントンキックキックトントン。しみ雪しんこ。堅雪かんこ、野原のまんじゅうはポッポッポ。 酔ってひょろひょろ太右衛 門が、去年、三十八、たべた。キックキックトントンキックキックトントン。

写真が消える。

四郎 :あの歌は紺三郎さんのだよ。
かん子:そうだね。

オルガンの音楽が変わる。
別の写真が写る。

声  :キックキックトントンキックキックトントン。しみ雪しんこ。堅雪かんこ、野原のおそばはポッポッポ。 酔ってひょろひょろ清作が、去 年、十三杯、たべた。キックキックトントンキックキックトントン。

「休憩」という字が映る。
明るくなる。
紺三郎が黍団子をのせたお皿を二つ持ってくる。
ためらう、二人。

声  :食うだろうか。ね、食うだろうか。

ためらうが。

四郎 :ね、たべよう。お食べよ。僕は紺三郎さんが僕らをだますなんて思わないよ。

そうして、ふたりは一気に食べる。
どよめき声とともに空がきいんと鳴った。
紺三郎、オルガンを弾く。

声  :ひるはカンカン日のひかり よるはツンツン月明かり たとえからだを、さかれても 狐の生徒は嘘言うな。キックキックトントン、キッ クキックトントン。

声に合わせて踊る、四郎とかん子。
月は満月、青い透明な光を放っている。

声  :ひるはカンカン日のひかり よるはツンツン月明かり たとえ凍えて倒れても 狐の生徒は盗まない。キックキックトントン、キックキッ クトントン。

オルガンが鳴り、歌は流れ、二人は踊る。

声  :ひるはカンカン日のひかり よるはツンツン月明かり たとえからだが、ちぎれても 狐の生徒はそねまない。キックキックトントン、キ ックキックトントン。
四郎 :ぼくはもううれしくてなんだか涙が出てしまう。
かん子:うれしくてなんだが涙が出るわ。
二人 :キックキックトントン、キックキックトントン。

ピーッと笛が鳴る。
音楽やむ。
暗くなる。
「罠を軽べつすべからず」とある。
狐のこんべえがわなに左足を捕られた景色が映る。

声  :狐こんこん狐の子、去年狐のこん兵衛が、左の足をわなに入れ、コンコンバタバタコンコンコン。
四郎 :僕の作った歌だねえ。

絵が消えて「火を軽べつすべからずけ」という字が映る。
次に、「狐のこん助が焼いた魚を捕ろうとしてしっぽに火がついた」絵が映る。

声  :狐こんこん狐の子、去年狐のこん助が、焼いた魚を取ろとしておしりに火がつききゃんきゃんきゃん。

思わず二人も歌っている。
ビーッと笛が鳴った。
紺三郎が出てくる。

紺三郎:みなさん、今晩の幻灯はこれでおしまいです。今夜皆さんは深く心に留めなければならないことがあります。それは、狐のこしらえたもの を賢い少しも酔わない人間のお子さんがたべてくだすったということです。そこで皆さんはこれからも、大人になってもうそをつかずひと をそねまず私ども狐の今までの悪い評判をすっかりなくしてしまうだろうと思います。閉会の辞。

礼をする二人。
拍手。

紺三郎:それではさようなら。今夜のご恩は決して忘れません。
四郎 :さようなら。
かん子:さようなら。
紺三郎:はい。さようなら。

音楽。
ぴょこんとお辞儀をする二人。
空がきいんと鳴った。
キックキックと声がして、堅雪しんこしみ雪しんこという声がする。
二人、じっと見ているがもう一度ぴょこんとお辞儀をして走り去る。

紺三郎:ありがとう。さようなら。

深々とお辞儀をする紺三郎。
お辞儀をしている間に音楽消える。
ゆっくりと起きあがれば山猫。

山猫 :はい。そうなんです。すべては、青い月の光がはなしてくれた声です。青い光に照らされて私たちは又生きていくのです。

にやっと笑って。

山猫 :あの人は、確かにこういいました。意味、もうおわかりです?私?やっぱりよくわかりません。残念ながら。どうにも頭が悪い。でも。やっぱり好きなんですこのフレーズが。私と言う現象は一つの青い照明です。そう、我々はこの宇宙でせわしく明滅しながら青い光を投げかけ確かに存在する生き物です。お互いが確かに生きている証の青い照明を深く、暗い闇の中を高くともし続け歩き続ける、そういういきものなのです。

上、下からそれぞれジョバンニとカムパネルラがやってくる。
二人は星めぐりの歌を歌う。

二人 :あかいめだまのさそり  ひろげた鷲のつばさ  あをいめだまの小いぬ  ひかりのへびのとぐろ  オリオンは高くうたい  つゆと しもとをおとす    アンドロメダのくもは  さかなのくちのかたち  大ぐまのあしをきたに  いつつのばしたところ  小熊の ひたいの上は  そらのめぐりのめあて
山猫 :これはその青い照明の最後の一つ。ジョバンニとカムパネルラの物語。

風の音。
ゆっくりと溶暗。
風の音の中に激しく汽笛が鳴る。
風の音が消えて行く。
溶明。静かな音楽。
食卓があり、母がいる。
ジョバンニが帰ってくる。

ジョバンニ:ただ今。具合悪くなかったの。
母  :ああ、ジョバンニ。今日は涼しくてね。私はずうっと具合がいいよ。
ジョバンニ:今日は角砂糖を買ってきたよ。牛乳に入れてあげようと思って。
母  :ああ、お前先にお上がり。あたしはまだ欲しくないから。
ジョバンニ:姉さんはいつ帰ったの。
母  :ああ、三時頃帰ったよ。そこらをしてくれてね。
ジョバンニ:母さんの牛乳は来ていないんだろうか。
母  :こなかったろうかねえ。
ジョバンニ:僕行ってとってこよう。
母  :ああ、あたしはゆっくりでいいんだからお前先にお上がり。
ジョバンニ:では、僕食べよう。

ジョバンニ食べ始める。
汽笛が遠くで鳴る。

母  :誰かいくんだね・・・。
ジョバンニ:ねえ母さん。
母  :どうしたの。
ジョバンニ:僕お父さんはきっとまもなく帰ってくると思うよ。
母  :ああ、あたしもそう思う。けれどもお前はどうしてそう思うの。
ジョバンニ:だってけさの新聞に今年は北の方の漁は大変よかったって書いてあったよ。
母  :ああ、だけどねえ、お父さんは漁へでていないかもしれない。
ジョバンニ:きっと出ているよ。お父さんが悪いことをしたはずがないんだ。だって、今度はラッコの上着を持ってきてくれるといったんだ。
母  :ああ、そうだったねえ。
ジョバンニ:みんなが僕に会うとそれを言うよ。冷やかすように言うんだ。
母  :カムパネルラさんもかい。
ジョバンニ:・・カムパネルラは決して言わないよ。カムパネルラはみんながそんなことを言うときには気の毒そうにしている。
母  :カムパネルラのお父さんとうちのお父さんはちょうどお前たちのように、小さいときからお友達だったそうだよ。
ジョバンニ:ああ、だからお父さんはぼくをつれてカムパネルラのうちにつれていったよ。アルコールで走る汽車があった。カムパネルラ、僕にさ わらせてくれたよ。レールを7つ組み合わせると丸くなってそれに電柱や信号標もついていて、汽車がクルクル回ってる。カムパネルラい ったよ。この汽車はどこへ行くんだろうって。どこへも行かないよ。ここを回ってるだけじゃないかって僕が言ったら、カムパネルラ僕を じっとみて、でも行くんだよ。って言った。

汽笛が鳴る。

母  :誰か行くんだねえ。
ジョバンニ:ザウエルという黒い犬がいるよ。尻尾がまるで箒のようだ。毎朝、新聞回しに行くだろう。僕が行くと鼻を鳴らしてついてくるよ。ず うっと町のかどまでついてくる。もっとついてくることもあるよ。で、言ってやるんだ。グーテンモルゲン!これ、ドイツ語だよ。先生に 習ったんだ。今夜はみんなで烏瓜のあかりを川へ流しに行くんだって。きっと犬もついていくよ。
母  :今晩は銀河のお祭りだねえ。
ジョバンニ:ケンタウルス露を降らせ!・・うん。僕、牛乳を取りながらみてくるよ。
母  :ああ行っておいで。川へは入らないでね。
ジョバンニ:ああぼく、カムパネルラと見るだけなんだ。一時間で行って来るよ。
母  :もっと遊んでおいで。カムパネルラさんといっしょなら心配はないから。
ジョバンニ:ああ、きっといっしょだよ。母さん窓を閉めておこうか。
母  :ああ、どうか。もう涼しいからね。
ジョバンニ:・・では。一時間半で帰ってくるよ。

ジョバンニは出かける。
情景が変わる。
カムパネルラの家。食卓があり母はカムパネルラとなっている。父が食卓の席に着く。
静かな別の音楽。
黙々と食べている。ときどき。パンとか。バター。とか、ありがとうとか。聞こえる。新聞か、本を読んでいる父。

カムパネルラ:父さん。
父 :なんだ。
カムパネルラ:何でもない。
父 :そうか。

父、目を離さず答える。

父 :もっと野菜を食べるがいい。
カムパネルラ:わかっているよ。

カムパネルラ、食べる。

カムパネルラ:今度、来るの。
父 :なに?ああ、あれか。仕事だ。無理だな。来て欲しいのか。
カムパネルラ:・・ううん。そんなことない。ただ、もしかしてこれるかも知れないと思ってね。
父 :悪いな。いつも。母さんが生きてたら、母さんに行ってもらうんだが。
カムパネルラ:いいよ。・・・父さん、スープさめるよ。
父 :そうか。

父、食べる。

カムパネルラ:父さん、又書いてるの。
父 :ああ。
カムパネルラ:できは?
父 :できてみなくちゃ、わからん。バターをくれんか。
カムパネルラ:はい。・・どんな本。
父 :子どもの話さ。
カムパネルラ:子ども?
父 :ああ、星の海の中を旅する子どもの話だ。
カムパネルラ:汽車で?
父 :ほう、よく知ってるな。読んだのか。
カムパネルラ:まさか。なんとなくさ。
父 :ちゃんと魚も食べなさい。
カムパネルラ:わかってるよ。・・ねえ、ケンタウルスの祭には行けるの。
父 :コーヒーを入れてくれんか。

カムパネルラ、コーヒーを入れにたつ。

カムパネルラ:どうなの。
父 :わからないな。
カムパネルラ:ジョバンニと約束したよ。
父 :当てにならない約束はするものじゃない。
カムパネルラ:けれど。
父 :父さんの仕事分かっているだろう。
カムパネルラ:分かってるよ。・・でも。だめなの?
父 :そう・・だな・・。
カムパネルラ:わかった。
父 :そうか、いい子だ。
カムパネルラ:僕、そんなにいい子じゃないよ。
父 :父さんにとってはいい子だ。
カムパネルラ:本当に。
父 :さあ、もういいから。勉強しなさい。するべきことをする。これが本当のいい子だ。
カムパネルラ:コーヒー要らないの。
父 :ああ、もういい。
カムパネルラ:では。・・・あ、父さん、その本何という本なの。
父 :何がだ。
カムパネルラ:今書いている本。
父 :それか。それは・・

かすかに汽笛が鳴る。
溶暗。
ケンタウルスの祭の音。
華やかな音楽。。
ジョバンニが空の牛乳瓶を持ってあちこち見て歩いている。
「ケンタウルス、露を降らせ」の声。

ジョバンニ:(あまり大きくない声で)ケンタウルス、露を降らせ。

「ケンタウルス、露を降らせ」

ジョバンニ:ケンタウルス、露を降らせ!

通り過ぎる影。ザネリ。

ジョバンニ:ザネリ。烏瓜流しに行くの?
ザネリ:ジョバンニ、お父さんからラッコの上着がくるよ。
ジョバンニ:なんだいザネリ。

ザネリ、鼠のように走り去り、いない。

ジョバンニ:ザネリはどうして僕がなんにもしないのにあんなことを言うのだろう。走るときはまるで鼠のような癖に。僕がなんにもしないのにあ んなことを言うのはザネリが馬鹿なからだ。

けれど、誰も答えない。人が通る。
ケンタウルス露を降らせ。

ジョバンニ:ああ、もし僕が今のように、朝暗いうちから二時間も新聞を折って回しにあるいたり、学校から帰ってまで、活版所へ行って活字を拾 ったりしないでも言いようなら、学校でも前のようにもっと面白くて、飛馬だって、球投げだって、誰にも負けないで一生懸命やれたんだ。 それがもう今は、誰も僕とは遊ばない。僕はたった一人になってしまった。

時計屋の前。星図盤が光る。

ジョバンニ:星図盤だ。銀河が流れている。あそこには、本当にこんなような蠍だの勇士だの蛇や魚がぎっしりいるんだろうか。ああ、僕はその中 をどこまでも歩いてみたい。・・砂時計だ。・・カムパネルラが言ってた奴と同じだ。青いガラス。落ちている。

青いガラスの砂時計。砂が落ち続ける。

ジョバンニ:カムパネルラどういうつもりであんなことを言ったんだろう。何も水なんてありはしない。砂が落ちているだけだ。砂時計だもの。先 生だってこういった。

音楽遠くなる。
先生と、カムパネルラがいる。

先生 :では、みなさんは、そういうふうに川だと言われたり、乳の流れたあとだといわれたりしていた、このぼんやりと白いものが本当はなにか ご承知ですか?

ジョバンニ手を挙げようとして引っ込める。

ジョバンニ:・・ぼくは手を挙げようとした。確かにあれは星だと思う。けれどこの頃はまるで毎日教室でも眠く、本を読む暇も読む本もないので、 なんだかどんなこともよくわからない。
先生 :・・・ジョバンニさんもあなたはわかっているでしょう?

  ジョバンニ勢いよく立ち上がる。けれど、立ち往生する。

ジョバンニ:ぼくは、もうはっきりと答えることはできなくなっていた。
先生 :大きな望遠鏡で銀河をよっく調べると銀河はだいたいなんでしょう。
ジョバンニ:ぼくは確かに、それは星だと思った。確かにそう思ったんだ。けれど。
先生 :ではカムパネルラさん。
ジョバンニ:先生はカムパネルラを指名した。カムパネルラは答えなかった。ぼくはカムパネルラの方をみた。カムパネルラは困ったような顔をし ている。ぼくはカムパネルラが急に憎らしくなった。いけないと思ったけれど、どうしても憎らしくなった。カムパネルラは知っているん だ。
先生 :では、よろしい。このぼんやりと白い銀河を大きないい望遠鏡で見ますと、もうたくさんの小さな星に見えるのです。
ジョバンニ:ぼくはもう泣きたくなってしまった。そうだ、ぼくはもう知っているのだ。カムパネルラはもちろん知っている。それはいつかカムパ ネルラのおとうさんの博士のうちで、カムパネルラと一緒に読んだ雑誌の中にあったのだ。真っ黒なページいっぱいに白い点々のある美し い写真。
カムパネルラ:ほら、ジョバンニこれが天の川だよ。僕たちはこの天の川の水の中にすんでいる。天の川の水の中から四方をみると、ちょうど水が 深いほど青く見えるように、天の川の底の深く遠いところほど星がたくさん集まって見えるんだ。
ジョバンニ:地球は天の川の底にあるの?
カムパネルラ:地球はね。・・ここだよ。
ジョバンニ:そういってカムパネルラは天の川の端っこを指した。レンズの形をした銀河が宙に浮いている、その端っこの端。ここだよ。地球はね、 端っこにいるんだ。そうして、水の底の青い宇宙(そら)をじーっと眺めているしかないんだ。・・カムパネルラはそういって遠くをみた。 ・・
カムパネルラ:聞こえてこない?
ジョバンニ:何?何の音?風?
カムパネルラ:近いけれど違う。気流の音だよ。
ジョバンニ:気流?風じゃないの?
カムパネルラ:宇宙気流。
ジョバンニ:宇宙気流?
カムパネルラ:銀河から銀河へ青い宇宙を吹き抜けていく風だよ。何もない真空の中を吹きわたっていく青い風。すべての元だ。
ジョバンニ:すべて?
カムパネルラ:すべて。星を生み、宇宙を生み、銀河を生み、太陽を生む。地球。水。光。空気。植物。動物。人間。歴史。文化。愛情。何でもかんでも すべての元。
ジョバンニ:神様みたいだね。
カムパネルラ:何だってこの風から生まれた。今も吹いている。
ジョバンニ:ぼくは本当にその風の音を聞こうとした。なんだか、カムパネルラがとてもうらやましく、本当にその音を聞いているのだろうか、そ れともそんなことをいってるだけなのか、とても知りたく、ぼくは耳を澄ました。

ジョバンニ。耳を澄ます。かすかな音が聞こえる。

カムパネルラ:聞こえる?
ジョバンニ:・・僕にも聞こえるよ。聞こえる。・・けれどこれは。

遠くから、声が聞こえる。けれどそれは。
「ジョバンニ、お父さんからラッコの上着がくるよ。ラッコの上着がくるよ。」
ザネリたちの声が聞こえてきた。
ジョバンニ硬直する。

ジョバンニ:・・カムパネルラ。聞こえた。・・今の。
カムパネルラ:何も。どうしたの。
ジョバンニ:ううん。いいんだ。そうか。聞こえなかったか。・・・僕はけれど知っていた。カムパネルラには聞こえていたんだ。だけど僕が気の 毒だからきっとそう言ったに違いなかった。僕にはわかっていた。風の音なんか絶対に聞こえやしない。そうさ。絶対に。

「ケンタウルス露を降らせ!」
華やかな音楽。
ケンタウルス祭の夜が帰ってくる。
「ケンタウルス、露を降らせ。」

ジョバンニ:ケンタウルス、露を降らせ。・・・牛乳瓶取りにいかなくちゃ。

目をひとこすりするジョバンニ。
歩き出す。街角を曲がろうとする。
ザネリたちがやってくる。はっとするジョバンニ。

ジョバンニ:川へ行くの。ザネリ。ぼくも・・。
ザネリ:ジョバンニ、ラッコの上着がくるよ。
一同 :ジョバンニ、ラッコの上着がくるよ。

駆け出す、ジョバンニ。止まる。振り返る。カムパネルラがいる。

ジョバンニ:カムパネルラ。

駆け寄ろうとする。
ジョバンニ、ラッコの上着が来るよ。カムパネルラ、奇妙な微笑。
殴られたように止まるジョバンニ。

ジョバンニ:カムパネルラ・・・

ラッコの上着が来るよー。カムパネルラ、奇妙な微笑で視線をはずす。
バッと駆け出すジョバンニ。走る。ひたすら走る。
止まる。激しい息づかい。

ジョバンニ:僕はどこにも遊びに行くところがない。僕はみんなから、まるで狐のように見えるんだ。僕はもう遠くへ行ってしまいたい。みんなか ら離れてどこまでもどこまでも行ってしまいたい。それでも、もしカムパネルラが僕と一緒にきてくれたら、そして二人で、野原やさまざ まの家をスケッチしながら、どこまでもどこまでも行くのならどんなにかいいだろう。けれどそう言おうと思っても今は僕はそれをカムパ ネルラに言えなくなってしまった。僕はもう空の遠くの方へ、たった一人で飛んで行ってしまいたい。

ジョバンニ、ラッコの上着が来るよ。ジョバンニ、ラッコの上着が来るよ。
歩き出す。ジョバンニ。耳を押さえても聞こえてくる。歩きながらやがて再び駆け出すジョバンニ。懸命に走っている。
汽車の来る音。激しい汽笛。
ばったり倒れるジョバンニ。
星めぐりの音楽が聞こえる。
「ジョバンニ、ラッコの上着がくるよ。」
ゆっくりおきあがるジョバンニ。

ジョバンニ:ああ、汽車の音だ。すると誰かいるんだ。どこだろう。誰か、帰って来るんだろうか。・・・父さんも早く帰ってくればいいのに。あ あ、父さん帰ってきたら僕何といおう。おかえりなさい。ラッコの上着は?・・ああだめだ。これじゃまるでぼくはラッコの上着の帰りを 待ってるみたいだ。・・そうだ、こうしよう。ノックの音がする。父さんがドアを開ける。僕は何気なさそうにこういうんだ。お帰り父さ ん。母さんが待ってるよ。そうして、僕は父さんのあの温かい大きな手を握るんだ。ほら、僕はもう、こんなに手が大きくなったよ。父さ んと握手できるほどね。そうして、・・・・・誰。

影がいる。

ジョバンニ:カムパネルラ?・・ザネリかい?・・いいや。違う。・・誰?もしかして・・・父さん?・・そんなはずないよね。そんなはずない。 ・・けれど、・・・父さんなの。・・・・父さんでしょう・・・父さん!

影行こうとする。

ジョバンニ:まって。父さん、どうして行くの。帰ってきたんじゃないの。北の漁終わったよね。帰ってきたんだよね。ラッコの上着かってきたん だよね。・・ねえ、返事してよ。父さん。ぼくもう、父さんと握手ができるよ。ほら!

幻の父去る。

ジョバンニ:いかないで。どこにも行かないで。そちらはケンタウルスの森だよ。行っちゃダメだ。父さん!

再び激しい汽笛が鳴る。風が吹く。
ジョバンニ、追われるように、追いかける。
ケンタウルスの祭の音楽。溶暗。
ケンタウルスの森。
「ジョバンニ、ラッコの上着が来るよ」
飛び出すジョバンニ。

ジョバンニ:父さん、よんだ?

探すジョバンニ。かすかに声が聞こえる。

ジョバンニ:だれ?

ジョバンニ、ラッコの上着が来るよ。風が吹く。
たじろぐジョバンニ。

ジョバンニ:なんだい。

空元気の口笛を吹くジョバンニ。音が聞こえる。何かが流れる音。

ジョバンニ:だれ。・・・だれかいるの。

だれも答えはない。空を見上げるジョバンニ。

ジョバンニ:水の底みたいだ。・・誰もいない。

誰も答えない。歩き出すジョバンニ。
ずいぶん歩くけれど誰もいない。ひっそりとした孤独が迫ってくる。

ジョバンニ:カムパネルラーっ。

声は、森の中に吸い込まれていく。再び歩くジョバンニ。
ゆっくりと夜がやってくる。星がでた。

ジョバンニ:(上を見上げ)ケンタウルスの夜だ。

歩きだそうとするところへ、「ケンタウルス露を降らせ!」と、遠くで声。

ジョバンニ:(おもわず)「ケンタウルス露を降らせ」。

風の音が遠くなる。奇態な声が聞こえてくる。

大学士・助手:ダイナマイトが、よーっ、ホッホッホッ。ダイナマイトが150トン。畜生ー!、恋なんてぶっとばせーっ!

奇態なしぐさで入ってくる二人。

助手 :先生、掘りますよーっ!
大学士:よーし、掘るぞーっ。
助手 :レッツ、ゴーッ!
大学士・助手:(歌う)証明、証明、この世は証明。すべては、証明。証明しさえばすべてはOK。真実を掘り当てよう。掘れば、掘るとき、掘り なさい。掘るなら、掘るとき、掘る、掘れ、掘れ!すべては証明、さすれば世界は全体幸福になる!証明、証明、すべては証明!
大学士:助手!
助手 :はい!
大学士:我ら全体何を証明するのか。
助手 :世界は全体青い透明なガラスで我らはその中を落ち続ける一粒の砂粒でしかあり得ません。先生、掘りましょう。掘って、掘って、掘り抜 きましょう。一粒の砂を探しましょう。
大学士:よろしい。掘りたまえ、全人格を賭けて掘りたまえ。いくぞ!
助手 :はいっ!
大学士・助手:掘らば、掘りたり、ホラリリ、ホララ。

猛然と掘り出す二人。
ジョバンニがあきれたように眺めている。
大学士、助手、離ればなれになりながら狂乱状態で掘っている。

ジョバンニ:あのう。
大学士:掘れば、掘るとき、ホラリリ、ホララ。
ジョバンニ:あのう。
大学士・助手:掘れよ、掘れ掘れ、ホラリリ、ホララ。
ジョバンニ:あのう。
大学士:おいおい、その突起を壊さない。スコップを使いたまえ。スコップを。おっと、もう少し遠くから掘って。いけない、いけない。なぜそん な乱暴をする?我々は証明するために掘っているんだから。もっと優しく。ホラリリ、ホララ。

大学士、助手に教える。くるりとジョバンニに振り返り。

大学士:で、君は参観かね。
ジョバンニ:あっ、は、はい。
大学士:クルミがたくさんあっただろう。それはまあ、ざっと120万年ぐらい前からのクルミだ。ごく新しいほうだ。ここは、120万年前、第 三紀の後の頃は海岸でね。この下からは貝殻も出る。この獣かね、これはボスと言ってね、おいおい、そこはつるはしはよしたまえ。てい ねいにノミでやってくれ。ボスと言ってね。今の牛の先祖で昔はたくさんいたさ。
ジョバンニ:標本にするんですか?
大学士:いや、証明するんだ。
ジョバンニ:何の?
大学士:我らは全体青い透明なガラスを滑り落ちる一粒の砂にすぎない。
ジョバンニ:砂?
大学士:おいおい、そうじゃない。何度言ったらわかるんだ?証明するにはそれはあんまり乱暴だ。こうだよ。

ホラリリ、ホララ。と教える。ホラリリホララですねと助手、違う、ホラリリ、ホララだ。と大学士、ホラリリ、ホララですねと 助手念を押す。

ジョバンニ:でも証明してどうするんですか?
大学士:きみも奇態なことを聞くものだね。君は証明をしたことがないのかね。
ジョバンニ:ありません。
大学士:近頃の若い者にも困ったものだ。いいかい、我らみんななにかを証明するために生きている。だってそうだろう。我らには証明することし かないからね。だって、我ら青い透明なガラスの中を落ち続ける一粒の砂にすぎないだ。砂は落ちて、落ちて、落ち続けるだけ。君、落ち てしまった砂はどうなるかわかるかね。
ジョバンニ:いいえ。
大学士:消えてしまうんだ。無だよ。無。・・何もない。どこにも何もない。今あった一粒の砂が、次の瞬間には有ったことすらない。いや、有っ たのなかったののということすらわからない。何もない完全な無の中に消えてしまうんだ。
ジョバンニ:何もないのをどうやって証明するんですか。
大学士:おわかいの。いい質問だ。掘るのさ。こうやって、掘り続ける。ここは厚い立派な地層で、120万年ぐらい前にできたという証拠もいろ いろあがるけれども、あるいは、風か水か、がらんとした空かに見えやしないかと言うことなのだ。わかったかい、けれども、おいおい。 そこもスコップではいけない。すぐその下に肋骨が埋もれているはずじゃないか。
ジョバンニ:あのう。
助手 :先生!
大学士:どうした。
助手 :砂です。
大学士:出たか。
助手 :でました。
大学士:よーし、よくやった。
助手 :帰れますね。
大学士:ああ、やっとな。どれ・・。
ジョバンニ:どこへ帰るのですか。
助手 :もちろんマイホームだよ。君は帰らないのかい。
ジョバンニ:あ、ええ。
助手 :我らずいぶん昔からやっているからねえ。
ジョバンニ:ずっと帰らなかったんですか?
助手 :だって、帰れないんだよ。証明しなければ。ここからは。
ジョバンニ:えっ、どういうこと。
大学士:助手!
助手 :はい!
大学士:違うぞ、これは。
助手 :えっ。砂じゃないんですか。
大学士:これは、なくした記憶のかけらでしかない。これでは証明できない。振り出しだな。
助手 :またですか。
大学士:ま、いいじゃないか。そのうち、きっと証明できる。よっし、次行こう。掘り直しだ。
助手 :はい。
大学士:ほら、これは君にあげよう。記念に持っていたらいい。

大学士、ジョバンニへかけらを渡す。

大学士:おわかいの。元気でな。
助手 :元気でね。ホラリリホララ。
大学士:違う。ホラリリ、ホララ。
助手 :ホラリリホララ!

大学士、助手奇態な格好で去る。

大学士・助手:ダイナマイトが、よーっ、ホッホッホッ。ダイナマイトが150トン。畜生ー!、恋なんてぶっとばせーっ!

ジョバンニ、ぽつねんと立つ。

ジョバンニ:ケンタウルスの森・・・誰もいないのか。・・・(記憶のかけらを光にすかす)きれいだ。とてもきれいだ。えっ、なんだって・・・

ジョバンニ、ラッコの上着が来るよ。という遠い声。

ジョバンニ:誰!・・・だれかいるの?・・カムパネルラ。誰かいないの。カムパネルラ!

ジョバンニ、ラッコの上着が来るよー。笑い声。遠くで聞こえる。
耳を押さえながら走ろうとするジョバンニ。
鳥取りがかけ込んでくる。鉢合わせをしてすっころぶ二人。鳥取りが持っていた鳥が転げ落ちて散らばる。あわてて拾う鳥取り。 ジョバンニも手伝う。

ジョバンニ:すみません。
鳥取り:何いいってことよ。けがはなかったかい。
ジョバンニ:はい。
鳥取り:(鳥を集めて)お若いの、もう大丈夫だ。それにしても、こんな所で何してるんだ。
ジョバンニ:何も。でようと思っているんだけれど。
鳥取り:ははー、お前何もしらねえな。
ジョバンニ:何をですか?
鳥取り:お前自分のいるところわかってるか。
ジョバンニ:ケンタウルスの森でしょう。
鳥取り:知ってりゃ話が早い。まあ、座りなよ。

二人座る。鳥を取りだし、

鳥取り:これでも、くいな。
ジョバンニ:おいしい。
鳥取り:そうだろ。やっぱり鷺より雁の方がうまいからね。
ジョバンニ:えっ、これ鳥なの。
鳥取り:そうさ。
ジョバンニ:どうやって取るの。
鳥取り:造作もねえことさ。鶴や鷺や雁だって。鷺はなんか馬鹿だからさ、河原で待ってるとみんな足をこういう風にして降りてくる。そいつが地 べたにつくかつかないうちにぴたっと押さえちまうんだ。するともう鷺は固まって安心してしんじまう。あとはもう分かり切ってるだろう。
ジョバンニ:どうするの?
鳥取り:押し葉にするだけさ。
ジョバンニ:鷺を押し葉にするの?標本?
鳥取り:標本じゃねえ。みんな食べるじゃないか。
ジョバンニ:おかしいなあ。
鳥取り:おかしいもお菓子もねえよ。ほら、今とれとれの奴だ。

鳥取り、鷺を取り出す。

ジョバンニ:ほんとうに、鷺だ。・・目をつぶってるね。
鳥取り:な、わかっただろ。
  
鳥取り、しまう。

鳥取り:それより、さっきの話だ。ここは奇態なところだよ。ケンタウルスの悪い風につかまっちまった奴等が大勢いる。
ジョバンニ:どうして、ケンタウルスなの。
鳥取り:ケンタウルスの夜ってのはな。生きてるものと死んでるものの区別がない夜なんだよ。
ジョバンニ:え?

と、腰が引ける。

鳥取り:全体、宇宙から見たら生きてるものも死んでるものも元素の固まりさ。何のかわりもねえ。闇夜にぴかっと光る灯りみたいなもんだ。
ジョバンニ:はあ。
鳥取り:きょうはケンタウルスの祭だろ。
ジョバンニ:はい。
鳥取り:ケンタウルス露を降らせ!
ジョバンニ:ケンタウルス露を降らせ!
鳥取り:よく吹くんだよ。悪い風が。
ジョバンニ:吹くとどうなるの。
鳥取り:すっぽり忘れちまうんだ。
ジョバンニ:何を。
鳥取り:一番大事なものにきまっているだろ。
ジョバンニ:へーっ、何?
鳥取り:へっへっ、面目ねえ。忘れっちまったよ。全体、何を忘れっちまったか忘れっちまった。ざまねえや。

ジョバンニ、ラッコの上着が来るよ。たじろぐ。

鳥取り:ほら吹いた。

ジョバンニ身を堅くする。

鳥取り:だけど、いいこともある。
ジョバンニ:え?
鳥取り:静かに。
ジョバンニ:なに。
鳥取り:おっ、来た!鳥だ!鳥が来たぞ。
ジョバンニ:どこ。
鳥取り:ほら、耳を澄ませ。

宇宙気流の音がかすかにする。「今こそわたれ、渡り鳥」「今こそわたれ、渡り鳥」と叫ぶ声がする。
鳥取りすっくと立ち。

鳥取り:今こそわたれ渡り鳥。今こそわたれ渡り鳥。

鳥が落ちてくる。

ジョバンニ:すごい。
鳥取り:これが仕事だからよ。
ジョバンニ:でも、すごいや。
鳥取り:それより、お前さん、そいつはなんだい。

ジョバンニ、大学士からもらった、記憶のかけらを出す。本になっている。

鳥取り:本だねえ。
ジョバンニ:本とだ。
鳥取り:しゃれにもなんねえな。
ジョバンニ:ごめんなさい。けれど、これは。
鳥取り:どれどれ。

鳥取り、本を受け取る。

鳥取り:これは。大したもんだ。こいつはもう本当に天上へさえ行けるってもんだ。天上どこじゃねえ、どこだって勝手に行けるっても んだ。なるほど、こんなケンタウルスの森なんぞ、どうってことはねえ。
ジョバンニ:えっ。
鳥取り:三次空間から持ってきたものかい。
ジョバンニ:・・・
鳥取り:なあに、いいってことよ。ひとそれぞれだ。けれど、おれにもいっぺん読ませてくれ。どうにも、いっぺんよみたくってよ。い いかい。
ジョバンニ:ええ。
鳥取り:ありがとよ。

鳥取り、よむ。

鳥取り:世界が全体幸福にならないうちは個人の幸福はありえない。新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある。正しく 強 く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じていくことである。われらは世界のまことの幸福を尋ねよう・・・

鳥取り、ため息をつく。本を戻しながら。

鳥取り:若いの、お前は何というんだい。
ジョバンニ:ジョバンニといいます。
鳥取り:ジョバンニか。・・あんた、いい目してるねえ。・・・まっすぐに生きなよ。まっすぐにね・・・・じゃ。
ジョバンニ:あっ、どうされるんですか。
鳥取り:鳥を取るんだよ。・・・そうするしかねえんでね。

鳥取り、去ろうとして。

鳥取り:ああ、ジョバンニ。また、風が吹くぜ。ケンタウルスの風が、きっとな。そうしたら、やってくる。
ジョバンニ:何がくるんですか。
鳥取り:決まってるじゃねえか。銀河鉄道だよ。

鳥取り、去る。

ジョバンニ:銀河鉄道・・・。

カムパネルラがいた。

ジョバンニ:あっ。カムパネルラ。

振り返ると、カムパネルラがいた。

ジョバンニ:カムパネルラ。どうしたの。
カムパネルラ:みんなはね、ずいぶん走ったけれども遅れてしまったよ。ザネリもね、ずいぶん走ったけれども追いつかなかった。
ジョバンニ:どこかで待っていようか。
カムパネルラ:ザネリはもうかえったよ。お父さんが迎えに来たんだ。
ジョバンニ:・・・・・
カムパネルラ:ああ、しまった。ぼく、水筒を忘れてきた。スケッチ帳も忘れてきた。けれどかまわない。ぼくはもう飛ぶことだってできるんだ。
ジョバンニ:どうしたって言うの。さっき別れたばっかりじゃないか。
カムパネルラ:そんなことないよ、もうずいぶんになる。
ジョバンニ:えっ。
カムパネルラ:牛乳瓶取ってきたのかい。
ジョバンニ:いいや、だけどここから出られないもの。
カムパネルラ:大丈夫。きっと吹くから。
ジョバンニ:ケンタウルスの風かい。
カムパネルラ:そうさ。そうして、青い透明なガラスの中に砂が落ち続けるんだ。
ジョバンニ:どうしたの。
カムパネルラ:砂時計だよ。
ジョバンニ:砂時計がどうしたの。
カムパネルラ:落ち続けるんだ。いつまでも砂がね、青い水の中を。ケンタウルスの祭りの夜のように。
ジョバンニ:何のこと?
カムパネルラ:いこうよ。ジョバンニ。ケンタウルスの祭が始まるよ。
ジョバンニ:でも、カムパネルラ。ここは。
カムパネルラ:さあ、ジョバンニ。今日は祭だよ。

「ケンタウルス露を降らせ!」の声々。
  カムパネルラ、消える。

ジョバンニ:待ってよ。カムパネルラ!

ケンタウルスの祭の音楽がわき上がる。
楽しそうに歩く二人。
リズムを取って歩いていく。

ジョバンニ:まっすぐ歩けば。
カムパネルラ:まっすぐ歩けば。
ジョバンニ:確かなものは確かでなく。
カムパネルラ:確かでないものはさらに確かでなくなり。
ジョバンニ:アブラカダブラ。
カムパネルラ:アブラカブダラ。
ジョバンニ:違う。アブラカダブラ。
カムパネルラ:アラブカラブダ。
ジョバンニ:違う。アブラカダブラ。
カムパネルラ:アブラカラブダ。
ジョバンニ:やめよう。
カムパネルラ:ああ、その方がいい。だれも知らないよ、こんなお呪い。
ジョバンニ:父さんが知ってた。
カムパネルラ:僕の父さんは知らなかった。
ジョバンニ:教えなかったのじゃない?
カムパネルラ:そんなはずないさ。何でも知ってるもの。父さんは。
ジョバンニ:僕の父さん、魚のことだったら何でも知ってるよ。
カムパネルラ:ラッコのこともかい。
ジョバンニ:・・そうだよ。
カムパネルラ:では。
ジョバンニ:どうしたの。カムパネルラ。
カムパネルラ:とうさん、もう帰ってくるのかい。
ジョバンニ:ああ、きっと帰ってくる。でも、どうしたの。カムパネルラ。
カムパネルラ:とうさん、好きかい。
ジョバンニ:ああ、大好きだ。きっとラッコの上着だって、買ってきてくれる。だけど、どうしてそんなこと聞くの。君の父さんだって。
カムパネルラ:嫌いだ。
ジョバンニ:なんだって。いけないよ、カムパネルラ。
カムパネルラ:どうして。
ジョバンニ:父さんのこと、嫌いだなんて。いけないよ。
カムパネルラ:君は、わかってないよ。
ジョバンニ:どうして、嫌いなのさ。よくしてくれるじゃないか。
カムパネルラ:よくしてくれるからだよ。
ジョバンニ:カムパネルラの言うこと、わからない。
カムパネルラ:わからなくていい。
ジョバンニ:そんなのダメだよ。
カムパネルラ:なにがダメだって。君になにがわかる。ぼくがなに考えているかわかるって言うの。
ジョバンニ:わからないよ、けれど。
カムパネルラ:そうだろ。心の中なんてわかるわけない。誰だって、一人だよ。みんな、一人で生まれ、一人で死んでいくんだ。だから、表面は笑 ってても、心は悲しんでいるかもしれないし、愛しているっていったって、本当のことはわからない。父さんだって。・・父さんだって。

父がいる。カムパネルラが呼びかける。

カムパネルラ:お父さん。
父  :・・・・
カムパネルラ:お父さん。僕は立派な人にはなれそうもない。聞いてる。
父  :・・・
カムパネルラ:お父さん、僕を良い子だと言ったよね。言ったよね。
父  :・・・
カムパネルラ:本当にそうなの。・・・返事をしてよ。お願いだから返事をしてよ。
父  :・・・
カムパネルラ:僕はこのままではどこにもいけやしないよ。返事をして。
父  :お前はいい子だ。
カムパネルラ:うそだ。ぼくがもうダメなことわかってるはずだろ。これ以上無理だよ。
父  :誰だって、そんなときがある。がんばれば何とかなるものだ。
カムパネルラ:がんばれないよ。もう限界だ。
父  :そんなことを言うものではない。人間あきらめてしまえばそれでおしまいだ。そうだろ。自分のやりたいことをやるには苦しい   とき こそ一番がんばらなければならない。お前ならできる。お前はそれだけのものを持っているんだ。
カムパネルラ:そんなことを言わないで。
父  :お前はそんな子じゃない。やればできるはずだ。自分を卑しめるんじゃない。
カムパネルラ:わかってない、お父さんは何もわかっていない。
父  :そんなことはない。お前のことは一番よくわかっている。
カムパネルラ:誰だって、自分のことしかわからない。お父さんだって、僕のことはわからない。
父  :そんなことはない。
カムパネルラ:そんなことあるよ。
父  :私の子だ、そんなことはない。
カムパネルラ:では。
父  :何のことだ。
カムパネルラ:ザウエルどうしたの。なぜやってしまったのさ。
父  :あれはおまえには必要ない。おまえがそう言ったじゃないか。
カムパネルラ:ああ、いったよ。だからってやることないじゃないか。
父  :わからないな。ザウエル嫌いじゃなかったのかい。
カムパネルラ:大好きだよ!だから、・・だから・・もう、いいよ。
父  :いい子だ。

父、消える。

カムパネルラ:父さん、わかっていない。ジョバンニだってわからない。そうだ。なにわかっているって言うのさ。いってみろよ。ジョバンニ。
ジョバンニ:カムパネルラ、ぼく、なんだかよくわからない。本当のことはよくわからない。
カムパネルラ:そうさ。わからないんだ。お互いみんなわからないのさ。みんな、一人だよ。
ジョバンニ:・・・けれど。
カムパネルラ:けれど、何。何だっていうの。
ジョバンニ:本当にぼくらは一人かもしれない。カムパネルラもぼくも一人かもしれない。
カムパネルラ:一人だよ。
ジョバンニ:君のお父さんは本当は君を嫌いかもしれない。僕の父さんはラッコの上着を持ってきてくれないかもしれない。けれど。
カムパネルラ:・・・
ジョバンニ:カムパネルラ本当に、自分が一人だって知ってれば。
カムパネルラ:知ってるよ。
ジョバンニ:何だって許せると思う。
カムパネルラ:どうして。
ジョバンニ:・・一人って本当に淋しいからね・・・

沈黙するカムパネルラ。やがて。

カムパネルラ:ごめん。いいすぎた。
ジョバンニ:・・気にしてないよ。

沈黙。

カムパネルラ:でも、ゼロに何をかけようとゼロだ。
ジョバンニ:カンパネルラ。
カムパネルラ:僕は不幸だなんて言うつもりはないよ。僕は、一人だ。でもそれはとても穏やかで、暖かい孤独だ。ジョバンニにはわからないかも しれないけれど、人に関わらない幸福と言ってもいい。僕はそのいみではとても幸福だ。
ジョバンニ:でも、それはとても悲しいと思う。
カムパネルラ:悲しい。だれが。
ジョバンニ:わかってるくせに。
カムパネルラ:わからない。ジョバンニ、だれが悲しいって。

答えず。

ジョバンニ:多分本当の幸せなんかないんだ。あるのはきっとそれなりの幸せだろう。
カムパネルラ:ジョバンニ。

と身体を捕まえて振り返らせて。

カムパネルラ:言えよ。
ジョバンニ:何だってそうだよ。一つ探せば一つ不幸になり、一つ見つければ多分それだけ寂しくなり、あればあるほど満足しなくなる。いつまで たったって一人であることをいやせやしない。でも、本当の幸せを探そうとするのは悪くはない。ああ、きっと悪くはない。探している間 は幸福だ。それなりの二倍は幸福だ。ミルクだっていい。次の一つにかけるなんて悪くないじゃないか。こいつはむしろかっこいいって言 うものだ。やせ我慢はよせだって。わかってるよ。けれどやせ我慢かどうかはやってみなくちゃね。そうさ。やってみなければわからない だろう。カムパネルラ。やってみなくちゃわからないんだよ!

カムパネルラ、ふっと身を引く。
間。

カムパネルラ:それを信じられたらいいね。
ジョバンニ:大丈夫だよ。

カムパネルラ、無言。

ジョバンニ:先生も言ってたじゃないか。いつかはつなぐ風が吹くって。
カムパネルラ:風か。
ジョバンニ:ケンタウルスの風ならいいのにね。
カムパネルラ:ケンタウルスの風。
ジョバンニ:そうだよ。ケンタウルス、露を降らせ。
カムパネルラ:風だね。

ある日の授業。

先生 :では今日は、地球上の生命のことを考えてみましょう。我々の生命を構成している基本的な物質は何か。わかりますか?それはなんとダイ ヤモンドや石炭と同じ炭素なのです。炭素原子が元になって、複雑な生命を生み出しているのです。その生命を生み出す元が大きな流れと なってこの銀河を流れています。宇宙気流と名付けられたそれは、銀河系を吹き抜けていく風といえましょう。我々の母なる地球はその宇 宙気流の風の中で生まれたのです。風を受けて我々生命は生まれ、育ちました。
ジョバンニ:先生、命って何ですか。
先生 :それは難しい質問です。ずいぶんと偉い学者たちが研究してもなかなかわかりません。けれど、このことだけはいえると先生は思います。ジョバンニ。立って。

ジョバンニ立つ。

先生 :カムパネルラも。

カムパネルラ立つ。

先生 :二人が手をつないで。

二人前を見て手をつなぐ。

先生 :何か聞こえませんか。

二人、空いている手で耳を澄ます。

二人 :いいえ、何も。
先生 :そうですね。今のままでは何も聞こえません。では、二人の手と手の間に炭素があるとしましょう。そうして、後ろからさらに私が手をつ なぐ。

先生、後ろから二人のつながった手に、手をおく。

先生 :これでどうですか?

二人首を振る。

先生 :風の音が聞こえませんか。
ジョバンニ:風?
先生 :やがて我々の前にもう一人来ます。この手の中心に命の中心の炭素があります。炭素はこのように四本の手を持っています。炭素はこうや って手から手へ次から次へとつながってゆくのです。命とは、こういうことでありましょう。自分と自分につながるものたちの鎖。そうし て、かならずやってくるはずのものたちを待つ、期待と祈り。耳を澄ましましょう。風の音を聞くのです。銀河を吹き抜ける風の音を。

宇宙気流の音。風が吹き抜けていく。

先生 :我々の前に来る人を我々はまたねばなりません。なぜなら、我々につながる大切な人であるからです。
カムパネルラ:・・・先生。
先生 :なんでしょうか。
カムパネルラ:・・本当に、大切な人っているでしょうか。
先生 :難しい質問ですね、カムパネルラさん。答えることはとてもむつかしい。しかしこうはいえるでしょう。本当に大切かどうかはわからない。 けれど、その人はあなたにとって必要な人なのです。
カムパネルラ:自分が、希望しなくても?
先生 :そうです。
カムパネルラ:どうしてですか。
先生 :つながっていくこと。・・それが命だからですよ。カムパネルラ。
カムパネルラ:風が吹かなかったら・・・
先生 :カムパネルラ。いつかは、きっと吹くのです。望もうと、望むまいと・・
カムパネルラ:本当に・・
先生 :本当に・・・。さあ、耳を澄ませて。聞こえてくるでしょう。

宇宙気流の音

先生 :待ちましょう。風に乗り、いつか来るその人のため。

   カムパネルラ、遅れて待つ態勢。
三人、風を待つ。風が吹き抜けていく。
ラッコの上着がくるよー。
ざわめき声。おちたぞーっ。こどもがおちたぞーの声。
灯りが川面を走る。

子供1:どうしたんです。
男  :子どもが落ちたんだ。足を滑らしてね。
子供2:カムパネルラが川へ入ったよ。
子供1:どうして、いつ。
子供2:ザネリがね、船の上から烏瓜のあかりを水の流れる方向へ押してやろうとしたんだ。そのとき船が揺れたから水へ落ちた。するとカムパネ ルラがすぐ飛び込んだ。そしてザネリを船の方へ押してよこした。ザネリはカトウにつかまった。けれど、カムパネルラは見えないんだ。
子供1:みんな探しているんだろう。
子供2:ああ、すぐみんなきた。カムパネルラのお父さんも来た。けれどみつからないんだ。
ジョバンニ:これは何!

たちすくむジョバンニ。

カムパネルラ:みんなはね、ずいぶん走ったけれども遅れてしまったよ。ザネリもね、ずいぶん走ったけれども追いつかなかった。
遅れてしまったんだ。
ジョバンニ:カムパネルラ、何を言ってるんだ。カムパネルラ!

ジョバンニを突き飛ばすようにして、ザネリ。
ジョバンニは、呆然と見守る。

ザネリ:おーい、カムパネルラ、いつまでしかめっつらしてるのさ。もっと楽しめよ。本なんて読んでなくてさ。せっかくのケンタウルスの祭りだろ。ほら。
カムパネルラ:楽しんでるよ。ザネリ。
ザネリ:楽しんでるって?祭りの中に本なんか読んで?冗談だろう。優等生はつらいよなー。
カムパネルラ:別に。
ザネリ:べつにだって、お前ねえ、よくそんなに平気でいられんなあ。
カムパネルラ:父さんとの約束だからね。
ザネリ:そんなん、むしむし。おれ、本なんか読んだことないぜ。
カムパネルラ:烏瓜流そうよ。
ザネリ:へいへい。おい、さっさと用意しろ。おっ、あれ親父だぜ。なにしてんのかなあ。カムパネルラ、お前の親父来るってか。
カムパネルラ:こないよ。
ザネリ:へーっ、祭りの夜だってのに。何してんだ。
カムパネルラ:仕事。
ザネリ:ごくろうさまだな。じゃ、景気よく行こうぜ。ほーら、ケンタウルス露を降らせ!
カムパネルラ:危ないよ、ザネリ。
ザネリ:大丈夫だよ。ほら、ケンタウルス露を降らせ!
カムパネルラ:危ないよ。
ザネリ:うるさいな。そんなに言うならもっとやってやろうか。ほら!ケンタウルス露を降らせ!
カムパネルラ:(思わず)危ない、ザネリ!

ザネリ川へ落ちる。

ザネリ:助けて、カムパネルラ!
カムパネルラ:まってて。・・そうさ、やってみなくちゃわからない。そうだろ。・・お父さん・・ぼくは行くよ。

飛び込む、カムパネルラ。本を差し出す。

ザネリ:助けてくれよー。
カムパネルラ:これに、捕まって。
ザネリ:これかー!
カムパネルラ:しがみつかないで。おぼれるよ!ザネリ、しっかりして!
ザネリ:わかったよ。わかったから、早くしろよ、早くーーー。
カムパネルラ:そんなに、しがみついちゃダメだ。ザネリ、手を離して!
ザネリ:おぼれてしまうよー。
子供2:こっちだ、ザネリ!捕まって。
ザネリ:ああ、早くしろよ。
子供2:そらっ。

ザネリを引き上げる。ザネリ、本を持っている。

子供2:その本は。
ザネリ:カムパネルラが・・。
子供2:そうだ。カムパネルラは、・・カムパネルラ。カムパネルラ!カムパネルラーっ。

父がいる。

父  :もう駄目です。落ちてから45分たちましたから。

カムパネルラ、呆然と立っている。

カムパネルラ:父さん。
父  :もう結構です。ありがとうございました。
カムパネルラ:とうさん。僕ここにいるよ。聞こえないの。
父  :皆さんももうお引きとり下さい。
カムパネルラ:父さん、何言ってるの。僕は此処にいるじゃないか。
父  :はい。もう駄目です。落ちてから45分立ちましたから。
カムパネルラ:そんなこといわないで。もうだめかどうかわからないじゃないか。
父  :あなたはジョバンニ君でしたね、今晩はありがとう。
カムパネルラ:どうして、そんなに、がまんしていられるの。
父  :あなたのお父さんはもう帰っていますか。
カムパネルラ:どうして、そんなに平気でいられるの。
父  :どうしたのかなあ、僕には一昨日たいへん元気な便りがあったんだが。
カムパネルラ:どうしてそんなに、嘘をついていられるの。ジョバンニのお父さんが刑務所に入ってるの誰だって知ってるよ。
父  :今日あたりもう着くころなんだが。船が遅れたんだな。
カムパネルラ:どうして、そんなに優しくしてられるの。
父  :ありがとう、よくしてくれて。カムパネルラも幸せです。
カムパネルラ:どうして、そんなに、強いの。
父  :ジョバンニさん、あした放課後みなさんとうちへ遊びにきて下さいね。
カムパネルラ:お父さん。
父  :ありがとう。どうもありがとう。
カムパネルラ:お父さん。お父さん!
父  :では、さようなら。
カムパネルラ:僕の声が聞こえないの。僕は、ここにいるよ。そんなところじゃない。僕はここにいるよ。ごめんなさいお父さん。僕は本当はお父 さんが大好きだ。ほら、ぼくの心臓の音を聞いてよ。こんなにどきどきしているんだ。もう苦しくて、だから、答えてよ。僕の名前を呼ん でよ!お父さーん!

ごうごうと風が鳴っている。遠くで汽笛が鳴る。
ジョバンニがいた。
黙って見つめ合う。

ジョバンニ:ケンタウルスの風が吹いてる。
カムパネルラ:ああ、吹いている。

間。
再び汽笛。

ジョバンニ:あれは。
カムパネルラ:やってきたんだよ。銀河鉄道がね。
ジョバンニ:銀河鉄道・・・。
カムパネルラ:汽車が来るんだ。これが最終だ。
ジョバンニ:のっているのかい。
カムパネルラ:ああ、誰もが乗っているよ。
ジョバンニ:父さんも。
カムパネルラ:それはわからない。けれど、確かなことは、僕が乗ることだ。
ジョバンニ:僕も乗るよ。
カムパネルラ:君には無理だ。
ジョバンニ:どうして。言ったじゃないか。いつまでもどこまでも一緒にいくって。
カムパネルラ:それは・・・
ジョバンニ:カムパネルラ、言ったよ。僕たちいつまでも一緒に行こうって。
カムパネルラ:・・ジョバンニ、言ったのは君だ。
ジョバンニ:それがどうしたの。僕が言おうと君が言おうと関係ないよ。僕たちは一緒に行くんだ。どこまでも、どこまでも。

汽笛が近づく。

カムパネルラ:でも、君にはかあさんがいる。
ジョバンニ:それは・・・。
カムパネルラ:牛乳瓶、届けるんだろ・・・。
ジョバンニ:・・そうだ。
カムパネルラ:もうすぐつく。
ジョバンニ:・・行くんだね。
カムパネルラ:ああ。
ジョバンニ:君一人で行くんだね。
カムパネルラ:・・ああ。
ジョバンニ:本当に、君一人で。
カムパネルラ:ああ。
ジョバンニ:・・では、・・いいよ。
カムパネルラ:ジョバンニ。

汽笛なる。まもなく到着。

ジョバンニ:・・汽車、くるよ。
カムパネルラ:・・そうだね。でも、ジョバンニ。

汽車がやって来た。

ジョバンニ:来たよ。ほら、早く乗らなくては。
カムパネルラ:ジョバンニ、聞けよ!
ジョバンニ:・・何。
カムパネルラ:ぼくが本当にいきたいと思うの。
ジョバンニ:カムパネルラ。
カムパネルラ:だれだって、本当の心はわからない。本当の幸いなんてあるのかもわからない。けれど、やはりいかなくてはならないときはある。

間。

カムパネルラ:ああ、お父さんは、僕を許して下さるだろうか。・・・では。
ジョバンニ:本当にゆくんだね。
カムパネルラ:・・さよなら、ジョバンニ。

汽笛が鋭くなる。出発だ。
風の音が大きくなる。ジョバンニ、立ちすくんでいるが駆け出す。
溶暗。
風の音が消える。
溶明。母がいる。
ジョバンニがやっと帰ってくる。

母  :ジョバンニ?
ジョバンニ:・・・・
母  :ジョバンニかい?
ジョバンニ:・・ただいま。
母  :ああ、お帰り。・・・ミルクがあるよ。あったかいからお上がり。
ジョバンニ:ああ、ぼくは飲みたいと思う。

ジョバンニ、席につく。
汽笛が鳴る。

母  :誰か行くんだね。
ジョバンニ:ああ、だれも、きっと行くんだよ。
母  :お前は。
ジョバンニ:僕は・・帰ってきたよ。
母  :・・そうだったね。ミルクをお上がり。たんとおあがり。・・あったかいよ。
ジョバンニ:・・ああ。あったかいよ。

ジョバンニ、ミルクを飲む。ためらいながら、やがて熱心に食べる。
汽笛が再びなる。

母  :誰か行くんだね。
ジョバンニ:ああ、僕は帰ってきた。
母  :・・カムパネルラさんは?

ジョバンニ、ミルクをゆっくり飲む。

ジョバンニ:・・・カムパネルラは・・帰らない。

ジョバンニ、熱心に食べる。
母、いとおしそうに見守る。
汽笛が再び鳴る。鋭く鋭くなる。
ジョバンニ、食べるのをやめる。

ジョバンニ:僕は待つよ。・・さよなら・・カムパネルラ。

ジョバンニ再び熱心に、熱心に食べ続ける。見守る母。
情景が急速に遠くなるとともに、風の音が聞こえる。宇宙気流の音だ。何もない暗黒の大宇宙を吹き抜けていく孤独 な音が聞こえる。びょうびょうと吹き抜けている音だ。ジョバンニ食べるのをやめて、ふと、聞き耳を立てた。

ジョバンニ:・・・カムパネルラ?

風だけが宇宙を吹きわたっていく。
ジョバンニ、風の音を聞きつづける。
山猫、一冊の本を持って。

山猫 :私たちはこのように一冊の本にすぎません。宇宙気流の流れに生み出される一冊の本だ。世界はいわば図書館だ。私の人生、あなたの人生、あなたの本の中にある私の人生、私の本の中にあるあなたの人生。世界はイリュージョンの中にあります。わたしたちはいつまでも一人です。たった一冊の本でしかありません。私たちはたった一人で生まれ、たった一人で死んでいきます。人は一生、自分の本を書くことしかできません。でも、この一瞬、このいま、ここにいる私たちは自分の本の中から抜け出し、青い照明に照らされて宇宙の風を聞いています。世界はとても美しいじゃありませんか。歌いましょう。あのひとと、わたしとあなたとすべてもの皆のために。

音楽。

全員 :つめくさ灯ともす夜のひろば  むかしのラルゴをうたいかわし  雲をもどよもし夜風にわすれて  とりいりまじかに年ようれぬ   まさしきねがいにいさかうとも  銀河のかなたにともにわらい  なべてのなやみをたきぎともしつつ  はえある世界をともにつくらん

歌い終わり、深々と礼をする。


【 幕 】


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