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「THE WIND FROM SILENCE」

原作 宮沢 賢治「風野又三郎」
☆登場人物
又三郎・・・・・
先生・・・・・・
未来・・・・・・
一郎・・・・・・
秋世・・・・・・
冬美・・・・・・
 
Tプロローグ
 
        闇の中。二百十日の風が吹いている。溶明。
教室のようだ。先生が階段の上で向こう向きになってぼんやり窓の外を見ている。
秋世はひたすらポテチを食べている。
冬美はチックのように衣服のゴミやほこりを払っている。。
未来は猫のぬいぐるみのクロベエに話しかけている。
一郎は先生をみている。
先生はまだ窓の外を見ている。
やがて一郎が声を掛ける。
一郎 :先生、始めてください。
先生 :ん?
秋世 :(ポテチを食べながら)またですか。
先生 :また?
未来 :(猫のぬいぐるみに対して)ぼんやりして。ねえ。クロベエ。
秋世 :寝ちゃだめですよ。(くっくっと笑い声。ポテチを又一枚)
先生 :聞いていたの。
秋世 :は?(と一瞬食べるのを止めるが、すぐまた食べ始める)
先生 :風をね。
一郎 :風?
先生 :そう、風よ。一郎は風を見たことがある?
一郎 :さあ。
先生 :秋世は?
秋世 :(食べて)見ました。
先生 :ほう。・・なるほど。冬美は。
冬美 :(ほこりを払って)みました。
先生 :ありがとう。けれど君たちは心優しい立派な嘘つきね。
 
秋世、うそついてないよと口とがらして、またポテチを一枚。
先生、階段を下りながら。
先生 :人は風を見ることなんかできない。けっしてね。
冬美 :でも、風は・・。
 
制して。
 
先生 :わかってる。風に揺れる樹の枝、顔を柔らかくなぶるそよ風。そういいたいんでしょ、ちがう?(うなづく生徒たち)でも、それは、単な    る風の影。(影?と誰かがつぶやいた)そう、風そのものじゃない。風の本体は透明よ。人間には見ることはできない。私たちにできるの    は、せいぜいかすかな風の声をきくことだけね。
未来 :(猫に対して)風の声?クロベエ、風の声だって。
先生 :そう。未来。だから、一本の樹に耳をそばだてる。吹き渡っていく風の声を聞く。(ほら。と声を聴く。)・・・二百十日。快晴。気温二    十八度。蝉たちがまだ夏だと歌っているわ。
 
一瞬、秋世、未来はそれぞれ食べること、話しかけることを止め聞き入ろうとする。
一郎 :(断ち切るように)今日は快晴。気温28度。風力ゼロ。・・風は全く有りません。
 
再び、食べながら。
秋世 :風はまったくありません。
先生 :そう。・・風力ゼロか。なら風は吹かない。
未来 :(猫に対して)風の声は聞こえません。そうよねクロベエ。
先生 :それでも聞こえるはずなの。みんな耳を澄ませて。
 
みんな、もう一度耳を澄ます。
 
先生 :ほら、聞こえない?
一郎 :聞こえません。風力ゼロ。風は全くありません。
冬美 :(無関心のようにほこりを払う)聞こえません。
未来 :(猫に対して)クロベエ、先生耳がおかしいんだ。
秋世 :おかしいんです。
一郎 :まったく静寂です。教室には風が有りません。
先生 :風はない?
一郎 :ありません。(とにべもない)。先生、もう授業を始めましょう。
先生 :風はない。(と確認するよう)
みんな:有りません。
先生 :(納得行かないように)本当に風の声が聞こえないか。未来?
        みんな、未来を見る。
 
未来 :聞こえないよね、クロベエ。
先生 :(やや落胆したように)聞こえないか。
 
小さな間。気を取り直して。
 
先生 :人の心には孤独な島があると言われてる。心の中にとめどなく広がる海の中、霧に隠れてひっそりとそそり立つ高い塔を持つ島がある。そ    の塔を風は吹き渡って行く。(再度、確かめる)みんな、聞こえないか?
一郎 :(いらだってふたたび断ち切るように)ぼくには聞こえません。先生。授業を始めてください。
先生 :(ゆっくりと外を見る)そうか。・・・始めようか。
一郎 :はい。
先生 :では、四十八ページを開けて。・・一郎、読んで。
一郎 :はい。(立ち上がる)。「世界が全体幸福にならないうちは個人の幸福はありえない。・・」
先生 :ずいぶん傲慢な言葉ね。
一郎 :(思わず止まって)え。
先生 :それなら個人の幸福など永久にあり得ない。そうじゃない?
一郎 :願ってるだけじゃないですか。
先生 :願いか。・・願うだけなら誰にでもできる。けれど・・。
 
一郎、再び読み始める。
 
一郎 :世界が全体幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある。正しく強く生きる    とは銀河系を自らの中に意識してこれに応じていくことである。われらは世界のまことの幸福を尋ねよう求道既に道である。・・・
 
朗読の途中で。
 
先生 :聞こえるはずなのよ。
秋世 :(聞こえない風で読み続ける。)世界が全体幸福にならないうちは個人の幸福はありえない・・・
先生 :みんな聞こえるはずなの。二百十日。快晴。気温28度。風の声が聞こえない?
 
未来が続けてクロベエに向かって朗読する中でゆっくりと、溶暗する。
どこかで声が聞こえる。
 
声  :どっどどどどうど どどうど どどう。
    ああまいざくろも吹き飛ばせ。 
   すっぱいざくろも吹き飛ばせ。
どっどどどどうど どどうど どどう。
風はますます激しくなる。
やや暗くなってゆく。暗転直前。
 
U転校生
 
断ち切るように先生がぱんぱんと手をたたく音。風の音が止んでいる。
雰囲気ががらっと変わって明るくなると、白い制服姿の又三郎が立っている。
 
先生 :おっと、そうだ、転校生を忘れてた。高田君、こっちへ。それにしても暑いわ。いつになったら夏終わるのかしら。おかげで物忘れが激し    いこと。
冬美 :お年のせいでしょ。
 
無言で冬美をぐっと掴まえてなでなでぐりぐりしてやる。
冬美、必死でこすりきれいにしようとする。
ピーッと笛を吹いて。
 
先生 :全員、注目!今日から一緒の高田三郎君よ。いままで外国にいってたんで(そうよねと念を押す。返事もまたず。)お父さんの仕事の都        合でこの特設クラスに編入します。みんな、仲良くするように。いいね。声が小さい!いいね!よっし!
 
風が吹く。
食べるのを止めたりして、一同、風を少し気にする。
 
先生 :(ちょっと窓の外を見て)じゃ、高田君。みんなに自己紹介をしなさい。
又三郎:高田三郎です。よろしくお願いします。
 
同時に、風がごうっと吹いた。
遠雷が聞こえる。一同少しひきつる。
未来、クロベエを抱いて不安そう。
 
又三郎:風、よく吹くんです。僕の周りでは。
冬美 :へーっ。
 
と、ちゃかしたようにいった刹那。
雷の音大きい。一同、引きつる。
先生 :落ちたようね。
又三郎:そのようですね。
冬美 :雷怖くない?
又三郎:雷好きです。雨好きです。雪、雲、霞、霧、みんな好きです。でも、風いちばん好きです。
未来 :風一番好きだって、クロベエ。
一郎 :なんで?
又三郎:風は地球の呼吸です。僕らの生命(いのち)とつながってます。ほら、僕の呼吸と同じでしょう。
 
又三郎、すこし指を掲げる。風、喜ぶように吹く。
  秋世、食べるのを止めている。
冬美、一瞬、手を止めるがまたほこりを払う。
未来、やや興味を見せる。
先生 :ほーっ、高田君はなかなか詩人ね。
一郎 :先生、風が。
先生 :未来、窓!
 
未来、クロベエを抱えて、窓を閉めにかかる。
再び、秋世ポテチを一枚。
 
先生 :(外を見て)二百十日ね。風が強いわ。・・ん、高田三郎か。はは、こりゃいい。まるっきり又三郎ね。風の又三郎か。
又三郎:そうですね。
先生 :(笑って)一郎。
一郎 :はい。
先生 :席は君のとなりだ。(転校生に)いいね。(転校生、うなづく)じゃ、きまった。席について。
又三郎:はい。
 
よろしくと、席に着く。椅子をずらして場所を空ける一郎。
先生、咳払いをして改まって机間巡視を始める。
        歩きながら。
 
先生 :さてと。今日から新しい学期が始まった。前の学期では、コミュニケーションの基礎を学習した。まだうまくできないかもしれないが焦ら    ないでいい。そのうちきっとまたできるようになる。みんなの心の深いところには、ちゃんとそのための道具がしまい込まれている。今は その道具の使い方を、少し忘れてるだけ。あきらめず、ぼちぼちやっていこう。じゃ、今日のレッスン、行ってみようか。ちょっと、ハー    ドかもしれないけど、まいいだろ。はい、・・みんな立って。椅子片づけて。体のアップ適当にやって。・・冬美、ほこり払うのやめて、    どうせ汚れるわ。秋世、ポテチはおいて。未来、クロベエも。三郎。せっかくだから君もやってごらん。
又三郎:はい。
 
それぞれに立って軽く準備運動を始める。
 
先生 :軽くランニング。はいっ。
        ピーッと笛を吹く。
ゆっくり、走り出す一同。未来もぼーっとしながら走る。
一郎は走らない。軽くフロアを回り、階段を上がって降りる。
走る一同へ。
 
先生 :今日のテーマは、ことばと身体のシンクロ。いいね。イメージを柔らかくして身体の奥のことばを聞くのよ。ことばの連想からいきましょ    う。即興でいいから、ことばをたくさんひねり出そう。身体も動かす。いい。ことば、からだ、ことば、からだ。連動するんだよ、いいね    っ!一郎、時間測って。
 
一郎、ストップウオッチを出す。
 
先生 :最初の御題は「自由」。これからいこう。みんなにふさわしいことばだろ。心の自由、体の自由とっても大事なことだ。はいっ!
 
ピーッとホイッスルが鳴って、連想が始まる。
最初はフロアを走りながらだが、途中でピーッとホイッスルが鳴ったら、走らずに身体を動かしながら言葉を言う。
合間に、体を柔らかく。とかもっと早くとか、イメージ貧困とか階段の上に立って先生の叱咤激励が飛ぶ。
     次第にハイスピードでリズミカルな運動が展開される。
     連想は、しだいに子供のころの思い出の様相を呈してくる。
未来はクロベエに向かって話しかけるようにことばを出す。
秋世は少し手を抜いて。又三郎は軽々と軽快に。冬美は乱暴に。
冬美 :自由。
秋世 :自由自在。
未来 :臨機応変。
又三郎:柔軟に。
冬美 :縦横無尽に。
未来 :思いのまま。
冬美 :力一杯。
秋世 :思い出いっぱい
又三郎:うれしはずかし、ランドセル。
冬美 :大きな机と高い椅子。
秋世 :入学式は雨だった。
未来 :風の遠足。修学旅行。
又三郎:桜はらはら卒業式。
冬美 :ぜんまい。わらび。春雨に。
秋世 :長靴。雨傘。水たまり。
未来 :理科の自由研究。
又三郎:昆虫セットに昆虫標本。
未来 :嘘で固めた絵日記。
又三郎:こわくもないきもだめし。
冬美 :お父さんとの海水浴。
未来 :ヒマラヤより高い砂山。
秋世 :通り過ぎた台風。
未来 :磯つり。
秋世 :線香花火 に金魚すくい
冬美 :かぶと虫。
秋世 :虫篭。
未来 :自転車。
又三郎:かけっこ。鈴割り。フォークダンス。
秋世 :山歩き。
又三郎:青いふたの弁当箱。
冬美 :赤い水筒。
未来 :お墓参り。彼岸花。
秋世 :コスモス。あけび。ぶどう狩り。
 
  例えば、こんな風に、展開していく。
     適当なところで先生、ぱんっと手をたたく。
 
先生 :(鋭く)止めっ!
 
しんとする、時間。
 
先生 :時間は?
 
一郎、教える。
 
先生 :よっし。前より15秒持ったわ。結構、結構。・・はい、リラックス。深呼吸。吸って、吐いて。吸って、吐いて。はいもう一度。
 
一同、深呼吸。
冬美はあわてて体をこする。
未来はクロベエと深呼吸。
秋世はポテチの袋を抱える。
先生、周りを回りながら。
 
先生 :今日は前よりことばがたくさんあったわ。体も動いた。すばらしい。饒舌を恐れちゃだめよ。コミュニケーションの第一歩はことばから。 とにかく、ことば、からだ、ことば、からだ。言葉が動けば、体も動く。身体が動けば、言葉も広がる。
一郎 :(ぼそっと)でも心は動いてません。
先生 :・・・ん?一郎、なんか言った?
一郎 :コミュニケーションなんかしてませんよ。
先生 :どうして。一郎。
一郎 :想いが・・。
先生 :ん?何。
一郎 :みんなの心です、問題は。(周りを示しながら)想いが届いてきません。身体が動いて、言葉があるのに何にも伝わらない。どうして心が 動きます?
先生 :おっと、なかなかいうね。
一郎 :確かに言葉があふれてました。思いついたこと、考えたこと、いっぱいいっぱい吐き出してました。でもただそれだけです。
先生 :それだけとは。
一郎 :ただ、叫んでるだけです。誰にも、とどかないし、何にも返ってこない。
先生 :なるほど、ポイントだね。じゃ、一郎はどうすればいいと思う。
一郎 :え?
先生 :たとえば未来と話すとする。どうすればいいと思う。
 
未来、少しびくっとする。
 
一郎 :未来とですか?(小さい間)僕にはわかりません。
先生 :妹だろう。簡単だと思うけど。
一郎 :(固い声)わかりません。
先生 :そうか。じゃ、三郎はどう思う。ん?
 
又三郎、何かに耳を傾けている。
 
先生 :高田三郎。
 
又三郎ゆっくり指を立てて、風を受ける。
 
又三郎:風を聞くけばいいんです。
一郎 :風?
又三郎:言葉は風に乗るんです。
一郎 :まさか。
又三郎:本当です。みんなのきもちは風に乗ります。風に乗って声となって聞こえるんです。
先生 :おっ、文学してるね。それで。
又三郎:・・でも今はみんなの心は沈黙しています。だから何も聞こえません。・・何にも。風は吹いていないと同じです。そうだろ。
 
と、指をおろして、一郎に。
 
W風は何のために吹く
 
一郎 :え?
又三郎:風が吹くのが怖いんだろ。
一郎 :何のこと。
先生 :面白いな、それ。三郎。
又三郎:はい。
先生 :すると、三郎はこの子たちが恐れていると言うんだね。
又三郎:はい。          
先生 :どうして。
又三郎:思いを込めると、時に人は傷つきます。
先生 :ほう。
又三郎:相手のことをどうしても考えなければならなくなります。
先生 :それで。
又三郎:自分の思いを相手は受け取ってくれるだろうか。どれぐらい受け取ってくれるだろうか。わかってくれるだろうか。伝わるだろうか。誤解    されるのではないか。間違って受け取られたらどうしよう。自分をどう見てるのか・・・。
 
肩をすくめる。
先生 :それで。
又三郎:思いを相手に伝えるには、ことばを風に乗せて運びます。でも、風を相手が受け止めてくれるのかどうかわからない。よこしまな風が吹く    と、自分の想いはどこかへ飛び去っていきます。後に残るのは、何もなくなった自分。ならば、風なんてはじめから吹かない方がいい。そ    うしたら、誰も傷つかないし、誰も傷つけない。もちろん、自分も。・・従って。(肩をすくめる)
先生 :風は吹かないか。
又三郎:・・はい、風は吹きません。
一郎 :三郎。
又三郎:何だ?
一郎 :さっきから、風、風って言ってるけど、どうして、風がことばを載せれるわけ。心の中をどうやって。
 
又三郎笑って。
 
又三郎:知らない?E=MC2乗って公式。
一郎 :E=M・・何だって。
先生 :MC自乗。アインシュタインの相対性原理だね。常識ないぞ。
一郎 :どうせです。
 
又三郎、笑って。
又三郎:すべてのものにはエネルギーがあります。光があります。速さがあります。エネルギー=質量かける光の速さの自乗です。
一郎 :だから。
又三郎:同じだよ。想いを伝えるにはエネルギーがいるんだ。心の中の想いは質量。吹き渡る風は光の速さと同じ。
先生 :なるほど。うまいな。     
又三郎:ぴったりでしょう。公式、想いを伝えようとするエネルギー=心の中の想い×風の速さの自乗です。
先生 :面白い。
又三郎:いいえ、面白くないです。
先生 :どうして。
又三郎:風が吹かなければ伝えようとしても伝わらない。逆に想いが無ければいくら風が吹いてもすべてはゼロになります。
先生 :ゼロか。
又三郎:そういうことです。
先生 :(一郎へ)そういうことね。
一郎 :どういうこと。
先生 :一郎が言ったじゃない。想いが届かないって。そうなの。みんなには伝えようとするエネルギーがない。傷つくことを恐れて想いは封     印されている。だから、何にも伝わってこない。
又三郎:風も吹かない。
一郎 :だから、さっきから風、風って、いったいなんだよ。
又三郎:(天を指して)天の息だよ。
未来 :天の息だって。クロベエ。
 
未来、興味を引かれたようだ。
 
一郎 :天の息?なにそれ。
又三郎:聞いてみたらいい。
一郎 :何を。
又三郎:聞こえないか?みんなの体の中を駆け抜けていく風が。
 
指を高く掲げる。
鼓動がゆっくりと聞こえる。
みんなゆっくりと立ち上がって風を聴く。
又三郎:大きく息をして。さあ。
 
鼓動音。
みんな大きく息をする。
一郎もする。
又三郎:呼吸をすると身体の中を風が吹き渡っていくんだ。ほら、もう一つ。ゆっくりと。
 
みんな、大きくゆっくりと息をする。
一郎も。
又三郎:もう一つ、ゆっくりと。
 
鼓動音。
ゆっくりと息をする。
一郎も。
又三郎:あれは海の向こうから吹き渡ってきた二百十日の風だ。あの風を吸うんだ。さあ、もう一つ。
 
みんな、ゆっくりと吸う。
一郎 :ただの呼吸じゃないか。
又三郎:そう。ただの呼吸さ。でもこの風は、地球の風とつながっている。
 
鼓動音。
みんな、ゆっくり吸っている。
 
又三郎:風が吹かないって言ったね。でも、本当はいつだって吹いている。人間のからだには。
一郎 :人間のからだには・・。
又三郎:そう、いつだって。七億回のうちのひとつの風が。ほら、また、七億分の一。
一郎 :七億?
又三郎:人間は一生に六億から七億回呼吸をする。呼吸は身体の中を吹き抜けていく風だ。ほら。また、七億分の一の風が君の身体を通ってゆく。
一郎 :七億分の一の風。(と、息を吸う)
又三郎:風の声が聞こえないか?
 
鼓動音の中に風の音が混じる。
一郎は聴こうとするが、やはり聞こえない。
 
一郎 :本当に風は吹いている?
又三郎:吹いているとも。又一つ。
一郎 :でも、ぼくには聞こえない。何も。
又三郎:聞こうとしないだけだ。
一郎 :風なんか吹かない
又三郎:今の君にはね・・・
 
 
一郎 :未来。
 
        と、呼びかける。
 
未来 :何、クロベエ。
一郎 :未来、こちらを向けよ。風は吹いているか。
未来 :吹いてなんかいないよね、クロベエ。
 
        又三郎に振り返って。
 
一郎 :ほら、まともにしゃべれないだろ。決して僕の方なんか見ない。いつだって、クロベエとしかはなさない。風なんか吹いてはいない。
又三郎:じゃ、こうして。
 
又三郎指を立てて、風を受ける。
 
又三郎:ほら。
 
一郎、不格好に指を立てる。先生も指を立てる。一同も倣う。風が吹き始めた。
 
又三郎:指をなめて見て。
一郎 :・・・
又三郎:こうだ。(風向きを調べるときになめるようななめ方をして指を高く掲げる)
一郎 :こう?
又三郎:どんな味がする。
一郎 :何も。
又三郎:指をまっすぐのばす。・・・いいや、まっすぐ垂直に肩よりも高く。足を少し開いて。まっすぐに大地にたつ。そうして大きな呼吸をする。 ひとーつ。ふたーつ。(そのままの姿勢で大きく呼吸をする。)声を聞こう。風はいつだって吹いている。耳を澄ませて想いを聞くんだ。 そう、もっと高く。もっと大きく。未来、君も。
 
        未来、クロベエを抱いて指を掲げる。
一同、指高く掲げる。風吹き続ける。
 
又三郎:高く高く、もっと、身体の中から、吹き出してくる風を聞くんだ。そう、高く、もっと高く!
 
風激しく吹く。
又三郎:風は何のために吹く。
一郎 :・・・・
又三郎:風は何のために吹く。
一郎 :風は・・・
冬美 :風は何のために吹く。
一郎 :風は・・・
秋世 :風は何のために吹く!
一郎 :風は・・・
又三郎:さあ、飛ぶよ!
 
雷鳴が轟く。
暗転。
 
V沈黙の海
 
     黄昏とかすかな脈動が支配する想いの海の中。
     ゆっくりした脈動と、不安定な明滅がある。
 
一郎 :ここは・・・
 
     一郎、我に帰る。辺りを見回す。
 
一郎 :おーい、おーい!
又三郎:(からかう感じ)ここにいるよ。
一郎 :ここはどこだ。
又三郎:海だよ。
一郎 :海?ここが?
又三郎:濃度だよ。気付かないか。
一郎 :濃度?
又三郎:理科で習ったはずだがね。海水中の塩分濃度のこと。
一郎 :それが?
又三郎:濃度が海水と同じなんだ。(と、大気をかき混ぜる)
一郎 :空気だろこれは。
又三郎:いいから、息を吸ってみろよもう一度。大きく。
 
一息すってみる。
一郎 :なにか違う。
又三郎:(からかうよう)どうちがう。
一郎 :こくがあって、きれがある。ちょっと辛口。変だな。空気に味がある。
又三郎:(からかうよう)空気じゃないからね。
一郎 :えっ、でも呼吸してる。
又三郎:呼吸はするさ。人間だもの。さっき言っただろ。七億分の一の風。ほら。
 
と、一呼吸。
又三郎:やってみて。
 
一郎、一呼吸。
又三郎:どんな匂い。
一郎 :・・ああ、今のは綿飴の匂いがした。お祭だ。林檎飴の味もする。なぜだろ。
 
又三郎、不思議な微笑。
 
又三郎:人はどこでだって、呼吸はできる。ここは海だ。想いの海。
一郎 :想いの海だって?
又三郎:そう。ぼくらは今誰かの想いを呼吸している。(と深呼吸)僕たちは、誰かの想いの中にいるんだ。
一郎 :想いの中?
又三郎:そう。
一郎 :未来の?
又三郎:さあね。
一郎 :なんだ、違うのか。
又三郎:失望した?
一郎 :そんなんじゃない。ただ。
又三郎:探せばいいんだ。
一郎 :何を・・。
又三郎:風を捕まえればいい。
一郎 :風?
又三郎:そう、未来ときちんと話したければ、未来の心のおく深くまで吹き込む風を見つければいい。風がつれていってくれる。ただし。
一郎 :ただし、何。
又三郎:時々、よこしまな風が、吹くんだ。それに気をつけろ。
一郎 :よこしま?さっきも言ってたな。なにそれ。
又三郎:どこにも帰れなくなる。
一郎 :えっ。
又三郎:さまよえるオランダ人って聞いたことあるだろう。あれみたいにいつまでもさまようだけだ。誰かの思い出の中を。
一郎 :それってしゃれにならないよ。思い出か。・・え、想いじゃないんだ。
又三郎:いいところに気づいたね。そう。思い出は人の想いが命を失ってできたものだ。昔のことばかり懐かしがる。あのときこうすればよかった とか、こんなことしなければよかったとか。あれだよ。過去にとらわれた心の部屋。いわば思いの化石かな。だから、思い出には出口はな い。どこにも行けない。
一郎 :なら、どうやって、そんな風、えーと。
又三郎:よこしまな風。
一郎 :それそれ。どうやって見分ける。
又三郎:一目でわかるよ。
一郎 :ほんとに?
 
脈動、不整になる。
 
又三郎:ああ。ほらきた。あれがよこしまの風だ。・・あっ、ちかよってはだめだ。静かに。
一郎 :えっ。
又三郎:隠れよう。
 
歌声が聞こえてきた。
思い出探偵団出現。
先頭は先生。大きな捕虫網を振りながらやってくる。他の者も、それぞれ小さい網を持っている。
一郎 :先生!
 
一郎が駆け寄ろうとするのを又三郎がっひっぱって隠れる。
気づかれなかったようだ。
先生 :ぼっ。ぼっ。僕らは思い出探偵団。勇気凛々旗の色。想い出探して今日も行く。はるか安南、カンボジア、明日は地の果てアルジェリア。    (なんだが別の歌になっているが誰も付かない。ぴぴーっと笛を吹いて停止)。ようし。一同、整列。やすめー。気をつけ!やすめー、気    を付け!やすめー、気をつけ!思い出探偵団、番号!。おっ。
冬美 :も。
秋世 :い。
未来 :で。(クロベエも持っている。)
    
        と、各自こってこてのポーズをつける。
 
先生 :いいぞう。いいぞう。ようっし。明智先生ーっ!、お元気ですかー!、小林ですよー|。あの小林少年でーす。二十面相をおい続けて今は、    小林中年になっちゃいましたーっ!。はっはっはっはっは。みんなも立派な中年です。ビール腹をころがしてます。青春の馬鹿野郎ーっ!    野郎ーっ。野郎ーっ。野郎ーっ。(と、みんなもだんだん小さくエコーをつける)はっはっはっはっは。(みんなも和してはっはっは)で も、みんな元気です。一同(ぱっと皆直立不動)、明智先生に対し、礼!
 
一同、ピシッと礼をする。頭を下げたままストップモーション。
一郎 :何、これ。
又三郎:よこしまの風のせいだ。思い出に取り込まれてる。
一郎 :誰の。
又三郎:先生のかな。
一郎 :明智小五郎ねえ。
又三郎:あの年代は好きなんだよ。
一郎 :それにしても。
又三郎:レトロでいいだろ。(と、肩をすくめる)
 
ぱっと、先生たち元に戻る。
 
先生 :なおれっ。みんな、明智先生に一言思い出のご報告を!まず、不肖、思い出探偵団助手小林から。(ごほんと空咳をして気合いを入れる) 恋愛は単なる錯覚に過ぎないが、失恋は甘美な錯覚である。(ほんの少しの間)エミール=ゾラ。
 
        小さい間。
 
先生 :はっはっはっ。いやあ照れるなあ。臭えなあ。参った参った。思い出ってほんとに臭いですね。はっはっはっ。よおし。なかなかいいぞー。    ファイトー、イッパーツ。(みんなポーズ)ようーし、次いこうっ。
一郎 :恥ずかしー。
又三郎:見てられないね。
 
        冬美がでてきた。
 
冬美 :僕は二十歳だった、それが人生のいちばん美しい季節だなんて誰にもいわせはしない。(決めて)ポール=ニザン。
先生 :はっはっはっ。ますます臭えなー。いいぞお。若いよなあ。人生語ってるよなー。いいぞーっ。ファイトーッ、イッパーツ。(みんなでポ ーズ)ようし、期待をこめて、次っ。
一郎 :寒いなあ。
又三郎:もう凍ってるよ。
 
        秋世がでてきた。
 
秋世 :結城翼。(おっと身を乗り出す一郎と又三郎)・・・思い出は重いでー!。
 
どたっと倒れる、一郎と又三郎。
先生 :(無視して)はい。次いこ、次っ
 
        と、秋世を蹴り飛ばして。
 
未来 :・・・
 
未来、クロベエに対して何か言いそうだが。
先生 :どうした、次っ。
 
未来、無言。
先生 :どうした、どうした。熱い血潮に燃えて、二十面相をおった、あの熱い二十年間を忘れたのかー。あー。
 
と、未来をじろじろ点検して網の棒の先でちょんちょんとつつく。
 
先生 :・・ん。なんだこいつは。げっ。お、お前はっ
 
ばっと飛びしざる。冬美たちも飛びしざる。
 
先生 :探偵団じゃないな。密偵か。二十面相の回し者だな。おい、始末しとけ。
秋世 :ひゅー!(とポテチでハイルヒットラー状態)
 
秋世たち、未来を中央後ろの椅子の上に立たせる。未来なすがまま。一郎たち。隠れたまま。
 
先生 :明智先生ーっ!聞いてらっしゃいますか。二十面相はどこへ行ったんでしょうねー。僕たちのあの熱い想いはどこへ行ったんでしょうね。 二十面相が引退したって聞きました。はっはっはっは。よたですよね。よた。嘘の皮ですよね。僕たちはこんなに一生懸命二十面相のこと 想っているんです。きっと、誰かに変装して、僕たちを罠にかけようとしてるんですよね。僕たちのそばでひっそりと笑って・・・そうだ、 あいつだ。あいつが怪しい。・・・そうだ、きっとそうだ。密偵なんかじゃない。あいつが二十面相だ!つれてこい!
冬美 :ひゅー!                   
 
冬美、未来を前を連れてくる。
 
先生 :やったーっ!明智先生ーっ!。やりました。とうとうやりました。(冬美たちひゅー、ひゅー)喜んで下さい。二十面相を捕まえました。 女でしたよ。いいえー、変装じゃありません。正真正銘の女です。明智先生、僕が勝ちましたね。だから、最初から二十面相は女だと言っ たじゃないですか。それを先生が依怙地はるから、こんなにかかってしまいました。はっはっは。いいんです。いえ、いいんですよ。明智 先生、わかりゃいいんです。僕は助手の小林ですから。余裕ですよ。はっはっは。
一郎 :ちょっと。先生。
先生 :はっはっは。うぇっ?
 
たまりかね、又三郎の制止を振り切り飛び出す一郎。
        未来の前にたちかばおうとする。
        囲む先生たち。
一郎 :ちょっとっていってるんです。江戸川乱歩が聞いてあきれますよ。ええ年扱いて。二十面相だって。あほらし。こいつは、未来でしょうが。
先生 :(全然聞く耳持たない)ふぁっふぁっふぁ。小僧、引っかかったなぁ。
一郎 :え?
先生 :明智先生。喜んで下さい。とうとうひっかかかりましたよ。馬鹿やろさまですね。こいつが本物、ほんとの二十面相。ガキをおとりにした    のも、気づかずにのこのこやってきました。だからいったでしょう。女に二十面相なんかできるはずないって。あ、言ったのは先生か。は    っはっは。やい、二十面相。この小林をつかまえて、ええ年扱いてだと。戯けたことを。この網で貴様の想いもろとも一すくいにしてくれ    る。それ。
 
と、秋世がつかみかかろうとしたが。
一郎 :何が、ひっかかったなあですか。(と秋世をあっさり投げ飛ばす)
先生 :げっ、おい、抜かるな。
冬美達:ひゅー!
 
冬美たち、一郎を取り囲む。先生俄然迫力がでてくる。
 
先生 :なっはっはっ。どうだ。もう逃げられぬぞ。さっさと思い出の封印を受けて見よ。
一郎 :もう、なにいってんです。先生、目を覚まして!(といいつも、腰がひける)
先生 :ぬははははは。おじけづいたな。二十面相。汁気たっぷりおいしい思い出。久しぶりにいただこうか。さあ、網を一振り。
 
秋世たち、じわじわ迫る。
一郎、完全に引けてる。
一郎 :先生。冗談ですよね。もう、ほんとにお茶目なんだから。
一同 :網を一振り。
冬美 :想いを一振り
一郎 :一郎ですよ。一郎。ねえ。先生。
秋世 :想いを捨てて思い出抱いて。
冬美 :甘く、切ない思い出づくり。
一郎 :やめてください。先生。
先生 :おいしい思い出、網を一振り。
一同 :ほーら、網を一振り。
一郎 :先生!
先生 :網を一振り。
 
先生、網を一振り。
いやな音が走り、一郎はがっくりと座り込む。
周りが薄暗くなり、一郎は語り出す。
一郎 :(苦しい声)僕は捨てたんじゃない。風の強いあの日、決して、決して捨てたんじゃない。だけど・・。(口調が変わり平板な)
母さんは父さんをおそれていた。父さんが母さんを殴るからだ。毎日毎日仕事もせずパチンコですっては酔っぱらって母さんを殴る。つい でに僕や未来を殴る。僕や未来の給食代も使ってしまう。母さんはすっかりイヤになり、パート先の店長さんと仲がよくなった。風の強い 日に母さんは僕を連れて逃げた。未来は連れていかなかった。父さんに顔が似ているからだ。
先生 :ほら、さっさとしなさい。見つかっちゃうよ。
一郎 :(普通の言い方)未来は。
先生 :しかたないよ。二人は無理だもの。
一郎 :でも。
先生 :そんなこと言ったって。
一郎 :ちょっと待って。
先生 :何するの。
一郎 :これ渡してくる。
先生 :そんなぬいぐるみなんか。
一郎 :でも。
先生 :もう、この子は。トンネルの先で待ってるからね。
一郎 :わかった。(と、走り去る格好)
先生 :いいね、つれてくるんじゃないよ!
一郎 :トンネルには強い風が吹いていた。ひゅー、ひゅー、ひゅー。僕は暗いトンネルを海に向かって歩いていた。どこまでも、どこまでも、ト ンネルは続き、未来はその向こうにいる。
 
未来が浮かぶ。
 
一郎 :ひゅー、ひゅー、ひゅー。未来の泣き声のように風はどこまでも僕の後をつけてきた。未来!一緒に行こう!
未来 :まだ行けない。
一郎 :そんなことはない。母さんだって。
先生 :だめよ。
未来 :まだ行けない。
一郎 :もう十分だよ。父さんといるのは。そうだろ母さん。
先生 :未来は父さんがかわいがってくれるよ。
 
未来悲しげに笑う。
 
未来 :ほら、母さんもああいっている。
一郎 :母さん。
先生 :だめよ。
一郎 :母さん。
先生 :だめ。さっさとしなさい一郎!
未来 :そうしたらいいよお兄ちゃん。
一郎 :未来!
未来 :未来、まだ行けない。
一郎 :行くんだ未来!
未来 :まだ行けない。
一郎 :もういいだろ。
未来 :まあだだよ。
一郎 :もういいかい。(ふつうの平板な言い方)
未来 :まあだだよ。
 
一郎を囲み、しだいに早く回り始める。
 
一郎 :もういいかい。
先生 :回れ、廻れ、ぐるぐる廻れ。記憶の風車がぐるぐる回る。ほっほっほー。思い出だけがぐるぐる回る。心痛むか。
一郎 :もういいかい。
先生 :想いを捨てて、思い出抱いて、廻れ、廻れ風車。ほっほっほっー。
一郎 :もういいかい。
未来 :まあだだよ。
一郎 :もういいかい。
未来 :まあだだよ。
一郎 :もういいかい。
未来 :まあだだよ。
又三郎:(ふつうの言い方で)もういいよ。
 
静止する。
一郎、頭を振る。
又三郎:それまでだね。
先生 :なぜ止めた。
又三郎:見てられませんよ。さあ、みんなを返してください。
先生 :返す?なぜ。
又三郎:よこしまな風に吹かれておかしくなっているんです。
先生 :何だって。
又三郎:この風を聞いてください。頭が冷えます。
 
指高く掲げて、風を呼ぶ。
声が聞こえる。
 
声  :どっどどどどうど どどうど どどう。
    ああまいざくろも吹き飛ばせ。 
   すっぱいざくろも吹き飛ばせ。
どっどどどどうど どどうど どどう。
 
先生 :げっ、あれは。
又三郎:二百十日の風。
一同 :げげっ。
 
一同、恐れる。
 
先生 :ふん。明智先生!じゃまがまたまた入りました。でも僕たちはあきらめません。いつまでも探しますからね。なーに、想い出探偵団。永遠    の青春ですよ。はっはっは。小僧、又会おう。
一同 :ひゅー!
 
先生たち、一郎をおいて逃げようとする。未来連れていかれる。
 
又三郎:まて!
 
先生、くい止めて。
 
先生 :さらばだ。追いつけるものなら追いついてみよ。ぬははははは!
 
先生、一郎のそばをかけるが、一郎ちょこんと足を出す。
派手にすっころんで、打ち所が悪かったらしく気絶する先生。ドジだ。
一郎 :ああ、危なかった。・・・先生!
又三郎:だめだ。揺すったら。
一郎 :どうしよう。悪いことしたなあ。
又三郎:大丈夫。
 
又三郎、先生の手と合わせ、片手の指高く掲げる。風が吹く。
 
又三郎:先生、先生!
 
ついでにパンパンと激しく頬をたたく。
先生 :うーん。
 
と、意識を回復する。
 
一郎 :先生。
先生 :おーっ、揺するな。頭、いってー。
又三郎:大丈夫ですか。
先生 :ぷっはーっ。
 
と、頭を振る。
先生 :うーっ、気分悪い。ゲロゲロだわ。
又三郎:よこしまの風で酔ったんですよ。
先生 :さいてー。
一郎 :ずいぶんでしたからね。
先生 :あたし、何した。
一郎 :極悪非道。傍若無人。阿鼻叫喚。
先生 :嘘。
又三郎:ほんとです。
先生 :ほんとに?
 
二人頷く。
 
先生 :かーっ。たまんないわねえ。・・しかし、んー、(けろっと)まっ、いっか。
一郎 :いいかって・・。
先生 :覚えてないから、いいの。いつまでも過去にくよくよしてても始まらないわ。
一郎 :誰がくよくよしてんです。
先生 :かっかっかっ。(と、笑い飛ばす)
又三郎:かっかっかっはいいですけど。
先生 :何だ?
又三郎:未来を連れて行かれました。
先生 :えっ、まじ?
一郎 :先生のせいです。
先生 :あたしの?
又三郎:かなりイッテましたから。
先生 :まっずいなあ。(飲むカッコして)最近時々あるんだわ。意識ないこと。反省、反省。
一郎 :年なんですよ。どうするんです?
先生 :はいはい。責任とりゃいいんでしょ、責任とりゃ。
二人 :態度がでかい!
先生 :わかったわよ。ったく。
一郎 :どうするんですか?
先生 :うーん。どうしよう。
又三郎:あの向こうに消えました。
先生 :あの向こうって。
又三郎:螺旋の階段が見えるでしょう。
先生 :二重になっている階段か。
又三郎:はい。螺旋は二重です。過去へ続く思い出の螺旋と、未来へ続く想いの螺旋。
先生 :DNAみたい。
又三郎:ま、そんなところですね。
一郎 :未来たちはどっちへいったんだろう。
先生 :思い出の螺旋でしょ。つれて行かれたんだから。
一郎 :どちらが思い出の螺旋?
又三郎:そこまではわからない。
先生 :じゃ、音を聞いたらどう。
一郎 :えっ?
 
微かな脈動が聞こえる。
 
先生 :あの脈動は心音よ。そうでしょ。(又三郎頷く)どきどきする心音には二種類あるって聞いたことある。想いの音か、思い出の音か。どち    らか聞けば。
一郎 :さすが、先生、科学してますね。
先生 :これでも教師のはしくれだからね。はっはっはっ。。
一郎 :でも、どちらの音が思い出の音ですか?
先生 :はっはっは。一郎君。人生は、日々ばくち。ばくちだよ。
一郎 :聞いたのが間違いでした。
又三郎:ほんとに二百十日の風がふけばわかるけど・・・ここは、いくしかないね。
一郎 :想い出の螺旋と想いの螺旋か。よし。いこう。
先生 :はい、丁半こまそろいました。さあ、張った、張った。右か、左か。
一郎 :(きっぱりと)右です。
先生 :根拠は。
一郎 :ありません。願いです。
先生 :きざだね。
一郎 :先生ほどじゃ。
先生 :生意気いって。(ふっと笑って)よし、行こう。
一同 :ひゅーっ。
 
一行は右側の階段を通っていく。
 
W
 
        冬美たちがいた。
        冬美と未来はシンクロしたような衣装。双子である。
        机に向かって勉強している冬美と未来。
        着々とやっている未来。
        すぐ飽きてしまう冬美。
        エプロンを掛けた秋世が入ってくる。何か食べ物を持ってきたようだ。
        未来に話しかけるが、冬美の方はちらっと見ただけで去る。
冬美 :何にも言われないって、結構きついよね。母さんがそうだ。夏希には色々言うけど、じぶんにはなんにもむいわない。あきらめてるんだ。 それってなんだかちょっとやってらんない。そりゃ、頭が良くて、顔がいいなんて不公平な条件あるけど、同じ双子じゃない。それをさ。秋世 :あんたは、勉強嫌いのようだし、向いてないから手に職つけた方がいいね。
冬美 :なんて、言われちゃ、たつせないじゃない。自分だって、一生懸命やろうって思ってるわけ。けど、なんだかな、ちょっとねねあたま、つ いていかないわけ。でもね、でも、ちよっとは、きたいしてくれてもいいとおもうじゃない。それをさ、そうこられちゃ、もうどうしよう もないわけ。そりゃ、はなから期待していないのはわかってる。忘れ物しても。
秋世 :全くあんたはどうしてそうなの。いつも、いつも。
冬美 :と、おこられるけど、夏希だってちょい、ちょい忘れてる。なのに親にとってはこちらは、○。こちらは×。×じゃないかも知れないけれ ど、△なのは間違いないと思う。これって、なんかね。ちょっと、重いわけ。
秋世 :どうして、あんたは
冬美 :努力したんだよ。良い言葉遣い。良い、生活態度。夏希に負けまいって。いい子になるんだって。でもね。自分には無理だ。
秋世 :(かぶせて)やる気がないんじゃない。毎日、毎日、口ばっかり。夏希をごらん。何にも言わなくてもこつこつやってるじゃない。ほら、 だらしないね。きちんとしなさい。
冬美 :きちんとしてるよ。
秋世 :もっときちんと。
冬美 :やってるじゃない。
秋世 :まだできるわよ。夏希にやれてあんたにできないはず無いわ。双子でしょ。
冬美 :双子なんて関係ないよ。私は私だよ。夏希と違う。                                                       
        髪をくるくるしたり。爪をかんだり。
 
秋世 :ほらまたそんなことする。やめなさい。
冬美 :何を。
秋世 :そのくせ。やめなさい。みっともない。
冬美 :知らないよ。
 
        ひどくなる。
        やってくる先生たち。
 
先生 :どう。
一郎 :いました。
先生 :ほーっ。いたか。まぐれ当たりもいいとこね。
一郎 :どうします。
先生 :きまってる。助けなきゃ。
 
        と、ふらふらっとする。
 
一郎 :先生!。
先生 :大丈夫。ちょっと残ってるだけ。いくよ。
 
        と、行きかかるときに。
        風を調べていた又三郎。
 
又三郎:ちょっと待って。
先生 :なに。
又三郎:よこしまの風。
先生 :また?
一郎 :やぱいね。
先生 :そんなこと言ったら間に合わないよ。
 
        と、でていく。
 
一郎 :先生。
 
        と、一郎止めにかかるが。
 
又三郎:来た!
 
        と、又三郎に引き戻される。
        よこしまの風。
        先生、声をかけるが。
 
先生 :あんたたち・・
 
        ぐらりとする。
        教室が浮かんだ。またまた、引きずられる先生。
        冬美と未来は勉強している。
        秋世も生徒になって勉強している。
 
先生 :そこでだね。この数字をこのエックスに代入してみるとどうなるかな。はい、夏希。
 
        夏希、立ち上がって何かを言う。
 
先生 :そう。結構。
 
        夏希、座ってまた勉強を始める。
 
先生 :冬美、君はまだかな。
冬美 :すみません。もうちょっとです。
 
        と、勉強しながら少し、チック。
        先生、机間巡視しながら、その手をたたく。
        びくっとして引っ込める手。だが、すぐにまた始まる。
 
先生 :どうしてなんだろうね。
冬美 :は?
先生 :同じ双子なのにね。
 
        冬美、むちに撃たれたようになる。チックがややひどくなる。
 
先生 :まだ?・・おそいわね、もう少し何とかならない?
冬美 :・・じゃない。
先生 :はい?
冬美 :夏希じゃない。
 
        チックがかなり激しくなる。
先生 :冬美?
冬美 :あたし、夏希じゃない!夏希じゃない!
先生 :冬美!
冬美 :あたし、夏希じゃない!夏希じゃない!
 
        ばたっと机を倒し、立ち上がる。激しいチック。
        チックというよりも、けいれんか。
 
又三郎:まずい。
一郎 :どうした。
又三郎:中毒症状だ。
一郎 :えっ。
先生 :落ち着きなさい、冬美!
冬美 :夏希じゃない!夏希じゃない!
 
        と、いつの間にか、未来もチックを始めた。
        続いて秋世も。
 
先生 :夏希!
未来 :夏希じゃない!夏希じゃない!
秋世 :夏希じゃない!夏希じゃない!
三人 :夏希じゃない!夏希じゃない!
一郎 :あれは。
又三郎:伝染してる。このままじゃ。  
 
        と、先生までもがチックし始めた。
 
一郎 :とめなきゃ。
又三郎:風。
一郎 :え?
又三郎:風がいる。吹き飛ばしてくれるいい風が。
一郎 :そんなの吹いてないだろ。
又三郎:ああ。
三人 :夏希じゃない!夏希じゃない!夏希じゃない!
 
        四人のチックがだんだん激しくめちゃくちゃくちゃになってきた。
       
一郎 :間に合わない。くそっ!
 
        やむにやまれず飛び出す一郎。
       
一郎 :未来!
 
        無理矢理捕まえようとするが。
 
未来 :ひゅー!
 
        と、交わし。
 
未来 :夏希じゃない!あはははは。
 
        と、狂ったようなすごい笑いをして、かけ去る。
 
一郎 :未来!
冬美 :夏希じゃない!あはははは。
秋世 :夏希じゃない!あはははは。
一郎 :ちくしょう!
 
        制止しようとした一郎の脇をかいくぐって、これまた素早く逃げた。
 
一郎 :まてーっ。
 
        追いかけようとするところへ。
 
先生 :夏希じゃないよーん!
 
        と、お間抜けな声で逃げようとする先生。
        だが、二日酔いが残っていたらしい。
        ちょっとよたっていて、またもや、あし引っかけられてすっころぶ。
 
先生 :いってーっ!!
 
        少しの間。
        追いかけるのをあきらめた一郎と又三郎。冷たく先生を見ている。
 
先生 :ぷっふぁー。あー、あたまがんがんする。(はっと気づいて、少し気まずい)見た?
二人 :見た。
先生 :あ、見たの。・・いやあ。へっへっへ、・・ねぇ?
一郎 :ねぇ?じゃありません。なんです。二日酔いじゃないですか。
先生 :かっかっか、迎え酒といいたまえ。
一郎 :さいてー。
先生 :社会人にはよくあることよ。
一郎 :ありませんよ。ほんとに。今度やったら知りませんからね。
先生 :はいはい。(脇科白で)けっ。こうるせえがき。
一郎 :なんですか?!
先生 :なんでもない、なんでもない。はい。はい。それよりとっと行こうじゃないの。ほれほれ。
一郎 :ったく。
又三郎:ちょっと、面倒になってきましたよ。
先生 :というと。
又三郎:すこーし、深いところへ入り込んだようです。
一郎 :助けにくいの。
又三郎:風が吹きにくいからね。
先生 :なに。何とかなるよ。なんとか。人生、アグレッシブ、アグレッシブ。
一郎 :先生は、脳天気なんです。
先生 :何だって。
又三郎:行きましょう。あっちです。
 
        指をあげてその間風を見ていた又三郎、駆け出す。
 
先生 :よっしゃ。行くよ一郎。とろとろすんな。遅れるぞ。
一郎 :はいはい。遅らしたのは先生でしょうが。
先生 :細かいことをいわないの!
一郎 :大きなことですよ。
先生 :大きなお世話よ。
一郎 :小さな親切ですよ。
先生 :やかましい!
 
        等と仲良くもめながら去る。
 
Wポテチの王国
 
        ポッテッチッ、ポッテッチッという声がする。
冬美と秋世と、未来が行進をしながら左側の階段を降りてくる。
ポテチを一袋ずつ肩に掛けている。
全員 :ポッテッチッ。ポッテッチッ。ポッテッチッ。
 
と、展開して分裂行進をする。
全員 :ポッテッチッ。ポッテッチッ。ポッテッチッ。
秋世 :一同、止まれ。整列。番号。
秋世 :ぽ
未来 :て。
冬美 :ち。
秋世 :ポテチの王国。一枚。用意。
 
ぱっぱっぱと、肩に掛けたポテチの袋を鮮やかに開け、中から一枚、取り出して、前にかざす。
秋世 :一口。
 
全員。ぱりっとかじる。
三人 :おいしーい。
秋世 :直れ。
 
秋世は号令をかける。
秋世 :ポテチの王国。一枚、用意。
中から一枚、取り出して、前にかざす。
 
秋世 :ダイエットなんか怖くないぞーっ。
二人 :ダイエットなんか怖くないぞーっ。
 
秋世。ぱりっと一口。
        みんなぱりっと一口。
 
未来 :拒食症なんて怖くないぞーっ。
二人 :拒食症なんて怖くないぞーっ。
 
未来、さくっと一口。
        みんなさくっと一口。
冬美 :過食症なんて怖くないぞーっ。
二人 :過食症なんて怖くないぞーっ。
 
冬美、ぱりっと一口。
        みんなぱりっと一口。
 
秋世 :ポテチ一枚在れば。
二人 :ポテチ一枚在れば。
秋世 :何だって怖くない。
二人 :何だって怖くない。
 
全員、ぱりっと一口。
椅子に座り込んで一生懸命食べ始める。
黙々と。
 
秋世 :だから。・・ポテチを一枚。
二人 :ポテチを一枚。
 
と声をそろえて。一瞬後。
 
三人 :きゃははははっ。
 
と、大笑い。
        未来も声出さずに少し笑う。
 
秋世 :けど、ほんとポテチって罪ね。
未来 :どうしてクロベエ。
秋世 :だってさ、これってめったやたらに後引くじゃない。ほら。
 
と、また一枚。つづいて一枚。また一枚。
冬美 :後引くよな。
未来 :それは意志が弱いんだよねクロベエ。
秋世 :そりゃそうだけどさ。これだけ後引くと、考えない。自分がポテチを食べてるんじゃなくてさ。ポテチが自分に食べさせてるって。
未来 :わかんないなクロベエ。
冬美 :ふにゃ?
秋世 :なんていったらいいか。ポテチが操ってるわけさ。食べろ、食べろって。
未来 :だからクロベエ。
秋世 :一枚食べるじゃない。
 
と、ぱりっ。
秋世 :よそうかな。と思うわけ。これぐらいでやめよかなって思うわけ。ふたをしようとするわけ。
 
メトロノームのような音がきこえる。
秋世 :声がするのよ。食べろよ。食べろよって。
未来 :(無声音のような声で)食べろよ。
冬美 :(同じく)食べろよ。
 
音少し大きくなる。
抵抗はするが、秋世の手は操られるよう。
ポテチの缶を上へ持ち上げ缶のふたを開ける。
 
秋世 :食べなくちゃいけないんだ。
 
缶が下を向くこぼれるポテチ。
未来と冬美が下で捧げ受ける。
秋世 :食べなくちゃいけないんだ。
未来 :食べろよ。
 
未来一枚口の中に押し込む。
冬美 :食べろよ。
 
冬美、一枚口の中に押し込む。
秋世 :食べなくちゃいけないんだ。
 
ぽろぽろこぼしながら食べる。
つくざりこむように身体が沈む。
未来 :食べろよ。
 
さらに一枚押し込む。
 
秋世 :食べなくちゃ。
こぼしながらも、やや上向いて食べ続ける。
 
冬美 :食べろよ。
秋世 :食べなくちゃ。
未来 :食べろよ。
秋世 :食べなくちゃ。
 
食べきれないまま食べ続ける。
音が大きくなる。
又三郎:やめろっ!
 
一同、なだれ込んでくる。
音止まる。
 
三人 :ひゅーっ。
 
と、冬美、未来が反対がの階段に逃げる。
 
一郎 :あ、まて。
先生 :後にしろ。秋世を!
 
秋世、ぼろぼろこぼしながら食べなくちゃ、食べなくちゃと食べ続けている。
 
秋世 :別に、ポテチが好きというわけじゃなかった。何でもよかった。ケーキ、チョコレート、パイ。インスタントラーメン、スナック、アイス クリーム。お好み焼き。ビスケット。ピザ。一日二十四時間じゃなく、百時間も在ればいい。眠らなくていいもの。食べて、食べて、たべ られる。冷蔵庫の中のバター。鍋の中の煮物。ジャーに残ったご飯。何だって、いい。食べられるのを待ってる食べ物たち。待って。食べ てやるから。今、吐くからね。トイレの中に駆け込んで、吐いて、吐いて、はき続ける。自分の中の汚れたものを全部吐くんだ。あんた、 ちょっときたないわよ。何気なく言った親友の言葉。
 
        笑い声。無声音で、汚ねえな、臭えぞ、ブタ、不潔よね、ばい菌とか、なんとかいろいろ聞こえてくる。
秋世 :気にすることはないと思ったけれど、どこかの隅に引っかかっていたらしい。クラブで汗を流していても、みんなが私を避けるきがする。 教科書を読んでいても、先生がおまえ、臭いぞ。と言った気がする。そんなこと無い。そんなこと無いと思うけど、なんだか自信がなくな る。家族が寝静まった夜中、心臓がどきどきし始め、落ち着け。落ち付けって言っても静まらない。水でも飲もうと、台所へ行くと、冷蔵 庫の明かりがぼーっとついていた。思わず、ドアを開けると、チキンカツ、ソーセージ、チャーハンの残り、天ぷらとすまき、朝のみそし る用の豆腐。すき焼き。焼き肉。カレー。肉まん。カツ丼。ドーナツ。グラタン。スパゲッティ。ドリア。焼きそば。ヨーグルト。お前ど うしてるのって母がいったのでふときがついた。私は、雑炊の鍋に首つっこんで食べていた。食べてるの、お母さん。とてもおなかかが空 くの。どうしようもなく、おなかが空いてくるしくなるの。だから、食べるの。私は其の夜、一晩中はき続け、食べ続けた。
先生 :しっかりしなさいっ!
 
と、パンパンと両頬を張る。
 
秋世 :痛いっ!
 
と、我に返る。
 
秋世 :先生・・。
先生 :先生じゃないぞ、このざま何だ。あーあ、食べ散らかして。もう
秋世 :頭痛い・・。うーっ。うえっ。何、このポテチ。まっずい。うぇーっ。
先生 :あっちに、川があったわ。顔洗ってきなさい。
 
ふらふらと秋世が去る。
 
生 :ったく。もったいない。・・どら。あら、おいしいじゃない。
 
と、思わず拾って食べる。
 
一郎 :先生!
先生 :いいじゃない。一枚ぐらい。片づけ手伝ってんだから。
一郎 :んもー。何ですこれ。
先生 :秋世の想いの化石だよ。
一郎 :ポテチが?
先生 :象徴というとこね。
と、又一枚。
 
先生 :うん。いける。
一郎 :先生!
先生 :怖い目すんじゃないの。
一郎 :まだ、冬美と未来がいないんですよ。
先生 :わかってる。よこしまの風ね。
又三郎:なかなか今度の風は厳しいです。
先生 :こじらすと怖いんでしょ。
又三郎:はい。かなり。O157も真っ青です。下手したらほんとに帰れません。
先生 :そりゃ大変だ。
 
秋世がふらふらと戻ってくる。
 
先生 :さっぱりした?
秋世 :まあまあ。
先生 :ポテチは。
秋世 :もういいです。なんだか、・・もういいんです。
先生 :ほう・・そう。・・どうしたの。
 
又三郎、指を掲げて風を聞いている。
 
又三郎:風を聞いてます。
一郎 :どうだ。
又三郎:やばいです。行きましょう。あまり時間はありません。
先生 :まずいね。
又三郎:はい。こちらの方の階段へ行きましたから。
一郎 :どうしてやばいんだ。
又三郎:意識の井戸へ続いているからね。底の底だ。
一郎 :底の底?
又三郎:そう。心のどん詰まり。それ以上はもうどこへも行けないところ。
一郎 :危ない?
又三郎:そこでダメなら、もう救えない。
一郎 :二百十日の風は?
又三郎:深すぎて無理だよ。届かない。
一郎 :えーっ、詐欺だ、それ。
又三郎:無理なものは無理なんだ。
先生 :仕方ないね。行こうか。
一郎 :先生、未来は。
先生 :大丈夫。秋世。いくよ。
秋世 :(まだ少しぼーっとしている。)はい。
 
風が吹き始める。
先生、見上げて、吸う。
 
先生 :さい先いいよ。風がうまい。
一郎 :ほんとだ。
 
と、一郎も吸っている。
 
先生 :一郎もわかる。
一郎 :はい。少し。
先生 :そうか。(一息ついて)よっし、行くぞ。
 
一行、階段へ駆け去る。
 
X沈黙の女王
 
また、メトロノームのような音が聞こえる。
        だれか(冬美のシルエット)が未来をたたいている。
たたきながら。
 
声  :未来!どうしておまえはいつもそうなんだ。
未来 :ごめんなさい。
声  :そんなに父さんの言いつけが守れないのか?
未来 :わすれてた・・。
声  :忘れたじゃないだろ。
 
と、たたく。
 
未来 :もうしないから。
声  :いいわけは聞き飽きた。
未来 :でも今日は友達と会って。
声  :いいわけをするな。
 
と、口をつねり。
声  :この口だ、この口。いいわけばっかりあたまが回って、他に能がないのか、おまえは。
未来 :でも。
声  :何だ、その眼。あの女そっくりだ。浮気性でだらしない。あー、いやだいやだ。あんな女の血が流れてるとは。
未来 :あたしの性じゃない。
 
ばしっとたたく。
 
声  :口答えするな!
 
ばしっ、ばしっとたたく。
未来、悲鳴を上げる。
 
声  :クロベエこっちへよこせ。
 
未来のそばにあるクロベエ引き寄せる。
 
未来 :いやっ。クロベエどうするの。
声  :すてるんだよ。
未来 :どうして。これは。
声  :あの女を思い出すだろ。
未来 :いやっ。
 
と、取り合いになる。
 
声  :いい加減にしろ!
 
ばしっとたたく。くずおれる未来。
どんどんとクロベエを引っ張って出ていく冬美。
 
未来 :クロベエッ、クロベエッ!
 
叫ぶ未来。 
溶暗。
未来 :クロベエは、ゴミ箱に捨てられていた。
 
ポイントに浮かぶ未来。
未来 :父さんは、母さんを憎んでいた。大酒のみですぐ暴力を振るう父さんを放り出して男を作って逃げたからだ。父さんは私も憎んでいた。私 が母さん似だからだ。父さんはクロベエも憎んでいた。クロベエをお兄ちゃんが私にくれたからだ。そうして、お兄ちゃんも母さんと逃げ たからだ。父さんはみんな、憎んでいた。みんなが、父さんの敵だからだ。そうして、私は、いつも父さんに殴られた。
冬美(シルエット)が出てくる。
黙って、殴る。
未来、声にならない悲鳴を上げて倒れる。
未来 :父さんはいつもいつも不機嫌だ。私は毎日毎日殴られた。ある時は、飲んでる一升瓶で殴られた。体中あざになるまでたたかれた。クロベ エは何度も捨てられた。私は、そのたびに探しに行った。決まって、ゴミ箱に捨てられていた。私は、探すと、父に見つからないようにい つも隠した。けれど、いつも父は探し出してそのたびに私を殴った。お兄ちゃん助けて!お兄ちゃん!
 
倒れた、未来を冬美(シルエット)がなおもたたいたりしている。
未来 :冬の寒い朝。隠していたクロベエが見つかった。未来、もう逃げていった奴らのことなんか思い出さないようにしてやる。そういって、父 さんは、持って いたはさみでクロベエの首をちょんぎった。こうしたら、もう生き返らないだろ。父さんはそういってとても楽しそうに 笑った。酔っぱらった目が真っ赤に充血して、しばらく聞いたことのないような楽しそうな笑い声だった。私は、目の前が真っ赤になって、 そうして気がついたら父さんが倒れていた。お兄ちゃん、もうお父さん私を叩かない。だから私もう大丈夫。
 
        くっくっといやな笑いをする未来。
冬美(シルエット)、ゆっくりと刺された風に倒れる。
 
未来 :それから、又気がつくと、大勢の人が私に色々聞いた。私は、何にも答えなかった。だって、答えることなんか何にもなかったからだ。私 は、クロベエだけを見ていた。ねっクロベエ。
 
クロベエ、大きく頷く。
未来 :私は、クロベエだけを見ている。そうして、クロベエは私だけを見ている。私は、だからとてもしあわせだ。ねっ、クロベエ。
 
音大きくなる。
閲兵するかのように、ぬいぐるみを持ち、椅子の上に乗る。
この間照明は明るくなっていく。
        一郎たちが駆け込んでくる。
 
一郎 :未来!
 
音消える。
未来 :なにしに来た。
一郎 :未来、目を覚ませ。お前は悪い風に酔ってる。
 
近寄ろうとしたが。
未来 :風?
先生 :未来、先生よ、わかる!
未来 :何がわかる?
先生 :心よ。想いよ。過ぎ去った思い出じゃなく、いまを生きてるマイハート。伝えようとする想いよ。
未来 :伝わるとおもうか。
先生 :伝えるためにこそことばはあるん。
未来 :ことばをすてたものに?
先生 :それだからこそ、伝える。
未来 :(皮肉に)想いをこめて?
先生 :(真面目に)想いをこめて。
未来 :(笑って)どうやるのか?私にも教えて欲しいものだ。のうクロベエ。
先生 :それは、・・・
未来 :ことばに想いをこめる。なるほど。言うことは美しい。(口調が変わる。暗い怒りがひそむ)だが、そのようなたわごとは沈黙を選んだも    のにはとどきはせぬぞ。
先生 :伝えようとする想いがあれば。
未来 :風にのせるか。ここには吹かぬ。
先生 :想いだけで十分。
未来 :(くくっと笑って)愛をか。
先生 :そう。
未来 :憎しみをか。
先生 :愛がなければ憎しみもない。
未来 :(笑う)クロベエ、愛がなければ憎しみがないともうしておる。(笑い)。私は憎しみばかり伝えられたぞ。
先生 :憎しみは愛から生まれる。
未来 :では、この傷は愛からか!
 
と、折檻された傷を見せる。
先生 :(たじろがず)そうだよ。
未来 :この傷もか。この傷も、このあざも。この傷も愛から生まれたと言うのか!
先生 :(やさしく)そうだよ。未来。
未来 :(笑う)嘘だ。嘘をもうしておる。クロベエ、このものの舌を引き抜け。この傷は憎しみから生まれたもの。決して愛などではない!
先生 :そのうち、わかる。・・大人になれば。
 
にらみ合う、二人。
 
未来 :(興味を失ったように。冷ややかに)想いが伝わるとあらばうれしいことだ。・・クロベエ!ゆくぞ。
 
未来、去ろうとする。先生、止めようとする。
 
先生 :待て!
 
未来、聞かない。
 
一郎 :未来!
 
未来、振り返る。
 
一郎 :帰ろう。
未来 :(足を止めて、)いったいどこへ。
一郎 :風の教室だよ。
未来 :風の教室?
一郎 :未来のいたところだ。
未来 :私の?
一郎 :そうだ。みんながいるところ。先生がいる。冬美がいる。秋世がいる。未来がいる。又三郎だっている。
 
頷く又三郎。
 
未来 :風の教室。
一郎 :帰ろう。
未来 :・・・。
一郎 :未来。
未来 :・・クロベエ。
一郎 :未来。
未来 :クロベエ。
一郎 :未来!
未来 :クロベエッ!
一郎 :いい加減にしろ!
未来 :(顔ゆがむ)帰らない、帰らない、帰らないよ。ねっ、クロベエ。
 
だっと、駆け去る。冬美も逃げる。
 
先生 :しまった。
一郎 :未来!
又三郎:待て。
一郎 :どうして。
又三郎:行き先はわかってる。
先生 :どん詰まりね。
又三郎:はい。
先生 :とどのつまりか。でも、行くしかなさそうね。
又三郎:結構きついですよ。
先生 :結構?
又三郎:はっきり言ってめちゃくちゃきついです。
先生 :Ok、Ok。かかってきなさい。一郎。行くよ。
一郎 :はい。
先生 :秋世。
秋世 :はい。
先生 :元気ないね。大丈夫?
秋世 :大丈夫です。
先生 :そう。無理しなくていいよ。
 
メトロノームのような音が、聞こえ始める。
 
又三郎:よこしまの風が吹きます。
先生 :(溜息ついて)やれやれ、こんどはあまりさい先よくないね。しかたない。行こうか。
又三郎:はい。風の眼の中まで頑張ってください。そこへ行けば逆に想いの螺旋へ出ることができるかもしれません。
先生 :虎穴にいらずんば虎児を得ずか。
又三郎:はい。そうすれば、風は必ず未来の思いを返します。
先生 :そうなればいいけど。
又三郎:きっとなります。
 
音が大きくなる。
又三郎:いそぎましょう。風がやってきます。
一郎 :もう吹き始めたよ。
 
風が吹き始める。
 
先生 :結びつかない、交わらない二つの螺旋か。
一郎 :伝える想いがあれば。
先生 :伝える想いか。
一郎 :はい。
先生 :未来の中に吹く風は、未来の想いを返す。
又三郎:そういうことです。
先生 :豪勢な風だこと。
又三郎:二百十日ですから。
先生 :そうね。(と、美しく笑う)
 
風が強く吹き始める。
 
一郎 :風が強くなってきた。
先生 :これは、ほんとに嵐になりそうね。
又三郎:来ました。
一郎 :あの風の向こうに。
先生 :未来の想いがある。
又三郎:互いに呼び合う二つの風がある。
先生 :きたよ!
一郎 :未来!
 
駆け出す。
 
Y風の封印
 
     よこしまの嵐がやってきた。一郎たち風に向かって走る。
風次第に強くなる。一郎たち次第に歩行困難となる。
風の吹き付ける中一郎たちのぼやきも聞こえる。
 
一郎 :風力ゼロ。煙がまっすぐ上昇。
秋世 :風力1。煙がなびく。
先生 :風力2。木の葉が揺れる。
一郎 :風力3。旗がはためく。
秋世 :風力4。砂埃がたち、小枝が動く。
先生 :風力5。葉の茂った樹木が揺れる。
一郎 :風力6。時速43キロ。人間の最高速度。
秋世 :風力7。風に向かうと歩きにくい。
 
        ふーっ、息ついて。
 
先生 :なんてことないわね。
一郎 :息あがってますよ。
先生 :馬鹿にするんじゃない。(と、強がるが)
一郎 :本当に未来がいるでしょうか。
先生 :子供の癖に疑り深いね。
一郎 :真実の瞬間は不安なんです。
先生 :生意気!
        風がごーっと吹く。
とばされそうになる先生。
 
先生 :おおっと。さすがに、少しきついわ。
一郎 :としですか。
先生 :頭は若いわよ。
一郎 :あぶない!
先生 :あーっ、とばされるー。
 
先生たち、とんでしまうが、うおーっとしっかりまたはってくる。
 
先生 :根性ーっ!
一郎 :執念ですね。
先生 :社会人はね、生活かかると違うのよ。
 
風、ますます烈しくなる。
 
一郎 :風力8。風に向かうと歩けない。
秋世 :風力9。煙突が倒れ、瓦が落ちる。
先生 :風力10。樹木が根こそぎ。
一郎 :又三郎!どこだ!
又三郎:ここにいる。
先生 :すずしげだね。ちっとは走ったらどう。
又三郎:いいんですよ。ぼくは。風の子ですから。
先生 :くそっ、不公平よ。
又三郎:もうすぐよこしまの風の目です。
先生 :もてばいいけど。
又三郎:願いが強ければ、抵抗も強くなります。
先生 :それ、早く言ってよ。くそーっ。
一郎 :風力11。広い範囲の大損害。
秋世 :風力12。被害甚大。記録的大損害。
一同 :被害甚大。記録的大損害。
 
あっ、と言って秋世が飛ばされる。
 
一郎 :秋世!先生!
先生 :何!
一郎 :秋世が!
先生 :ダメ!うごけないっ!
一郎 :そんな!
先生 :としなのよ!くそーっ。あーっ。
 
突如として、やまる。バランスを壊してぶっ倒れる先生たち。
目の中に入った。
 
一郎 :先生、風の目の中です。
先生 :あーっ、やっとついたかーっ。もうだめだ。一郎、後は任せた。バタッ。(と死んだふり)
一郎 :先生、先生!・・もう。・・又三郎、秋世が!
又三郎:ここにいるよ。
一郎 :どこにもいないじゃないか。
又三郎:よくみてごらんよ。
 
メトロノームのような音。
閉じこめられたマスクの未来がいた。クロベエを堅く抱いている。
周りをゆっくりよこしまの風が回っている。
秋世、冬美である。
 
一郎 :冬美、秋世、未来!
又三郎:よこしまの風だよ。
一郎 :未来!
先生 :(もこっと起きあがっていた。)何じゃこりゃー。
又三郎:まずいな、未来が完全に封印されてますよ。
一郎 :どうすればいい。
又三郎:さあ。
先生 :風の又三郎はオールマイティじゃないの。
又三郎:それじゃ話がおもしろくないでしょう。
先生 :わたしゃ楽でいいんだがね。
又三郎:苦労するのが人生というものじゃありません?
先生 :けっ、利いた風なことを。
一郎 :未来、僕がわかるか。
 
未来、うなづく。
先生 :ことばはわかるんだ。あれっ。あれえ?
 
何気なく先生が動いた動作に未来の動きがシンクロする。
 
先生 :なんだこりゃ。
 
未来、なんだこりゃをする。
 
又三郎:言葉と一緒に自分が封印されてまねするだけなんです。
先生 :猿まねね。(と、いたずらっ気。不謹慎な人だ)
一郎 :見せ物じゃないです。
先生 :(へっへっへっと笑って)いいから。お手。
 
未来。お手をする。
 
先生 :はっはー、こりゃいい。・・お座り。・・・お手。お座り。お預け。お手。いたい!
 
一郎、先生をはり飛ばす。未来、いたい!をする。
 
一郎 :あそんでんじゃないんです!
先生 :痛いなあ、もう。ほんのユーモアよ、ユーモア。緊張ほぐさなきゃ。ね。
一郎 :TPO考えてください。
先生 :一郎な、お前しゃれわからないと一生もてないよ。
一郎 :先生ほどじゃありません。(なにそれという先生に取り合わず)未来!未来!聞こえない!又三郎、何とかならないか!
又三郎:僕にできるのはここまでだよ。
一郎 :どうして。
又三郎:聞きたくないものには、聞かせることはできないからね。
一郎 :何だって。
又三郎:未来はいつだって話している。いつだって、風は吹いている。でも。これが聞こえるか。
 
と、指を掲げる。
一郎 :いいや。
又三郎:そうだろう。一郎には聞こえない。いいや、聞こうとしないんだ。
一郎 :そんなことはない。
又三郎:一郎だけじゃない、みんなそうだ。想いを一人で抱え込んで伝えようとしない。聞こうとしない。風はこんなに吹いているのにだれも聞こ    うとしない。我慢して、こらえて、閉じこもっている。
一郎 :そんなことはない。
又三郎:一郎、楽にしたっていいんだ。こらえることなんかない。君は、何をこらえている。
一郎 :こらえてなんかいない。
又三郎:誰だって、本当は一人だ。けれど、誰だってみんなとつながりたい。人は必ず人を求める。君はなにをおそれてる。よこしまの風にとらわ    れて一生ずーっととじこもるのか。
一郎 :・・・
又三郎:君が悪いんじゃないんだよ。
 
鼓動音が、し始める。風が吹き始める。
再び風たちが未来の周りを舞う。
今度は、未来がその中をうろうろする。出たいようだが、でられない。
又三郎:ほら、未来だって、話したい。あふれる想いがあるんだ。さあ、扉を開けてやれ。そうすれば、僕が二百十日の風を呼ぶ。
一郎 :未来。
先生 :ほら、一郎、まけんじゃない。いけ、おら!
 
先生、一郎を未来の側へ押しやる。
と同時に、あーっと飛んでいく。又三郎も。
一郎 :先生!又三郎!
 
と、叫ぶが風が強い。
 
一郎 :・・こらえてなんかいない。・・こらえてなんかいない!
 
決心したように未来の方へ振り向く。
 
一郎 :未来。
 
風が舞う。
 
一郎 :未来。
 
未来、一郎の方へこようとするが風に邪魔される。
 
一郎 :(つばを飲み込んで)あの時のことを覚えてるか。
 
未来、ゆっくりクロベエを一郎の方に掲げる。
 
一郎 :そうだ。そいつだ。
 
未来、風を聞こうとする。
 
一郎 :そうだ。聞くんだ。あの海辺のトンネルを吹き抜けた風を。
 
未来、びくっと縮こまる。
拳が降りてくる。
風が舞う。
 
一郎 :ああ、ぼくはいた。未来もいた。覚えているだろう、あの風の音を。
 
未来、一郎を見つめる。
 
一郎 :おまえと別れた最後の日だよ。おまえは父さんと残り、僕は母さんと行った、あの最後の日の風を。
 
未来、じっと見つめている。
一郎 :聞け!聞くんだ風を!あのとき吹いていた二人の風の音を。
 
脈動が強くなる。
風が吹く。
 
一郎 :未来・・。
指がゆっくり前へあがり始める。
風を聞いている。
光、階段上方より降りてくる。一筋の道ができる。
 
冬美 :伝えようとする想い胸あふれれば
秋世 :伝えようとする意志胸あふれれば
冬美 :あなたと私の間に
二人 :一本の道が生まれるのだ。
 
Z天の息
    
光の中に、未来がいる。
拳をまっすぐ前へ掲げて。
 
未来 :お話があるの。
一郎 :未来!
未来 :暗いトンネルだった。
一郎 :未来。
未来 :海に続く暗いトンネルだった。風強く吹き、私はあるけない。だけど、風は広々とした海のにおいを運んでいた。暗くても出口はあるよ。 そう行って、海に向かい暗いトンネルの中、お兄ちゃんは一人歩いて行った。置いていかないで。そういったけど、お兄ちゃんはどんどん    行ってしまった。いつも、そうだった。私を置いて、一人でいつも行ってしまう。
一郎 :・・未来。
未来 :これを持ってたら一人で大丈夫だよって言って渡してくれた。
 
        と、クロベエを示す。
 
一郎 :ああそうだ。
未来 :私は、固く固く握りながらトンネルの中へ行った。いつまでたっても出口はなく、私はずーっと握ってた。怖くて、怖くてたまらなくなっ    て、兄さん!兄さん!って呼んだけどどこにもいなかった。そうして、私はトンネルの中にずーっといた。お兄ちゃんはもうどこにもいな    い。
一郎 :そうだ。・・僕は逃げた。・・ぼくは母さんと逃げた。未来をおいて。・・・未来、ごめん。僕が悪いんだ。僕のせいだ。あのとき母さん    に未来をつれていこうともっと強く言ってれば・・。
 
未来はゆっくり一郎の方へ歩く。
 
未来 :ありがとう。
一郎 :え。
 
と、耳を疑う一郎。
未来 :これがあるから、がんばれたんだよ。
一郎 :未来・・。
未来 :ずーっと、ずーっとトンネルの中歩いて、そうして行ってしまった兄さん探して、こいつと一緒に歩いた。風を聞きながら。怖いけど、怖 くない。兄さんが私を見捨てるはずないって、思いながら、ずーっと一緒に歩いてた。
一郎 :・・未来。
未来 :あのときの風がいまでも聞こえるわ。・・やっと、兄さんにおいついた。
 
一郎に渡す。
クロベエを受け取って。
一郎 :ああ・・。ああ、そうだ。・・よかった。
 
からっと、明るい声で。
又三郎:風が変わったよ。
一郎 :えっ。
 
と、我に返る。又三郎がいた。
一郎 :・・ほんとだ。
 
緩やかに穏やかな風が吹いた。
 
一郎 :風がかわった。穏やかな風だ。
又三郎:天の息。
一郎 :これが、天の息。 
又三郎:ゆっくり呼吸してご覧。そう。ゆっくりと。風は天の息。螺旋は呼吸。風の螺旋を呼ぶだけでいい。そうすれば、想いは僕たちにつながる。    さあ、未来。
 
風少し強くなってくる。
未来、大きく息を吸う。
未来 :おいしい。
 
一郎も吸う。
一郎 :おいしい。・・これが。
又三郎:そう、みんなにつながる想いの風だよ。
 
又三郎、さりげなく去ろうとする。
 
一郎 :どこへ行く。
又三郎:飛んでいくんだ、どこへだって。風が吹くからね。
一郎 :どうして、そんなに飛び続ける。
又三郎:君はどうして息をする。
一郎 :えっ?
又三郎:それと同じ。聞いても無駄だ。僕も知らない。君も知らない。誰も知らない。でも。
一郎 :なに。
又三郎:僕はどこだっている。君が呼吸するとき。君が思うとき。僕は君だ。そうして、僕はみんなだ。
 
又三郎、風の声を聞こうとする。
 
又三郎:ほら。
 
一郎、聴こうとする。
 
又三郎:きこえるかい。
一郎 :・・・(首を振る)
又三郎:焦ることはない。いつかはきっと聴こえる。・・・
一郎 :本当に。
又三郎:ああ、本当に。君が息してるのと同じく確かに。人は誰も孤独の島を持つ。でも、みんな、みんなあふれる想いでいっぱいだ。だから、風    はきっと吹く。君は、聞くんだ、そのとき。「天の息」を。
 
風、強くなる。遠くの方で彼らを呼ぶ声がする。
 
一郎 :先生だ。おーい。
又三郎:風がかわったから。
一郎 :えっ?
又三郎:もう秋になるんだ。
 
一郎、思わず辺りを見回す。
又三郎、涼しげにわらって、消える。
 
一郎 :又三郎?又三郎?又三郎!
 
  先生が入ってくる。
 
先生 :大丈夫だった?
一郎 :はい。
先生 :未来は?
 
未来はにっこりとする。
先生は未来の様子を見ようと近寄るがはっと気づく。
 
先生 :又三郎は?
一郎 :それが・・。
 
風が吹く。樹が揺れる。
一郎が風を指さし、先生は了解する。
又ひとしお風が吹く。
一郎 :風です。
先生 :風ね。
一郎 :樹が揺れてます。
先生 :樹が揺れている。
一郎 :又三郎が飛んでいる。
先生 :どこへ。
一郎 :わかりません。
先生 :またあうわね。
一郎 :ええ、きっとあいます。
先生 :きっとね。
一郎 :はい。
先生 :風が螺旋に吹くとき。
一郎 :つながりたいと願うとき。
先生 :二百十日の風に乗り。
一郎 :僕たちは想いを運ぶ。
先生 :伝えようとする想い胸あふれれば。
一郎 :伝えようとする意志胸あふれれば。
先生 :ことばに生命生まれ。    
一郎 :ことばは世界を作り。
一郎・先生:あなたとわたしの間に一本の道が生まれるのだ。そこには、確かに光の階段がある。想いを伝える道がある。又三郎!
 
未来は風の声に聞き入っている。
 
[エピローグ
 
教室。
先生が階段にいる。
冬美はほこりを払う。秋世はひたすらポテチを食べている。未来は猫のぬいぐるみのクロベエに話しかけている。
一郎は先生を見ている。
     先生は振り返って、ぽつりと。
 
先生 :たとえ夢だとしても。
一郎 :はい?
先生 :道はあった。
一郎 :はい。
先生 :言葉が浮かぶわ。
一郎 :はい。
先生 :世界が全体幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。
一郎 :願いですね。
先生 :そう。そうあるべきね。
一郎 :はい。
先生 :いまだ絶望するに有らず。
未来 :いまだ絶望するに有らず。だって、クロベエ。
先生 :そうよ、希望するのではない。私たちにできるのは絶望をしないことだけ。
一郎 :それは消極的じゃないですか。
先生 :けれど、力はいるわ。大きな力と強い意志がね。みんな・・風の声が聞こえない?
 
一同耳を澄ます。
秋世ぱりっと一口かじりそうになるが止めて。
ゆっくりと。
 
秋世 :いまだ絶望するにあらず。
 
風が吹く。樹が揺れる。
冬美が、チックの手を止め。
冬美 :いまだ絶望するにあらず。
 
未来、クロベエから目を離し、まっすぐ見て。
 
未来 :いまだ絶望するにあらず。
 
一郎、未来の方を見て。
一郎 :いまだ絶望するにあらず。
 
未来、風の声を聞く。
先生 :・・いまだ、絶望するに有らず。
 
風が吹く。
 
一郎 :先生、授業を始めましょう。
先生 :そうね。・・・始めようか。
一郎 :はい、始めましょう。
先生 :では、四十八ページを開いて。読んで。
一郎 :はい。
 
一郎立ち上がって、朗読を始める。
 
一郎 :世界が全体幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。我らは世界のまことの幸福をたずねよう。まずもろともに輝く宇宙の微塵とな    りて無方の空に散らばろう。しかもわれらは各々感じ格別各異に生きている。おお朋だちよ 君はいくべく やがてはすべて行くであろう。
 
風が吹く。樹が喜びにふるえる。どこかから歌も聞こえる。
一郎につづき秋世・未来、立ち上がって朗読。やがて先生大きく朗読する。
 
全 員:なべての悩みをたきぎと燃やし なべての心を心とせよ 風とゆききし 雲からエネルギーを取れ われらに要るものは銀河を包む透明な    意志、大きな力と熱である。我らいまだ絶望するにあらず。我ら、いまだ絶望するにあらず。
 
未来を囲むように立ち上がって、まっすぐ指立てて風を聞く。
たそがれの希望の中、風の声が聞こえてくる。それぞれにまっすぐに指を立てながらいつまでも風の声を聞き続ける。
 
                                                      【 幕  】
 


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