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「筒井」・・桜魔刻美野道行・・・90分

作 結城 翼

☆キャスト
筒井・綱手・・・  
鬼童丸・夫・・・
貞時・・・・・・
吉野・・・・・・
宮木・・・・・・
萩丸・・・・・・
夕霧・・・・・・
霞・・・・・・・
風の藤太・・・・
月彦・・・・・・
星彦・・・・・・
雪彦・・・・・・
花彦・・・・・・
風彦・・・・・・
  紅葉(くれは)・






☆プロローグ

闇の中から、螺旋のようにゆるゆるとめぐる音楽が生じる。重なって玲瓏たる鈴の音。空には満月のような木ノ実。不思議な光の 中、重なりあう、桜の樹々。緋緋として舞う花弁。艶やかな緋もうせん。くるくるともつれるように、ゆっくり舞う異形の星彦た ち。鈴の音が再び密やかに重なる。女がいる。星彦たちには気づかない。

女  :あなたがしゅろうのかねであるなら わたくしはそのひびきでありたい あなたがうたのひとふしであるなら わたくしはそのついくであ りたい あなたがいっこのれもんであるなら わたくしはかがみのなかのれもん そのようにあなたとしずかにむかいあいたい たましい のせかいでは わたくしもあなたもえいえんのわらべで そうしたおままごともゆるされてあるでしょう ひとつやねのしたにすめないか らといって なにをかなしむひつようがありましょう ごらんなさいだいりびなのように わたくしたちがならんですわったござのうえ そこだけあかるくくれなずんで たえまなくさくらのはなびらがちりかかる  

緩やかに舞い続ける星彦たち。やがて女は気づくだろう。鈴の音がひときわ高くなる。

女  :だれ?
星 彦:鈴の音が流れるよ。
月 彦:流れるよ。星の川を流れるよ。
女  :だれ?
雪 彦:お前の心を食ってやろ!(他のもの「食ってやろ」ささやき声)
花 彦:お前の心を食ってやろ!(他のもの「食ってやろ」ささやき声)
女  :鬼?
星 彦:鬼だって・・(他のものさんざめく、笑い声)
風 彦:鬼だって・・(他のものさんざめく、笑い声)
女  :違うの?
月 彦:恋の木ノ実がみのります。
雪 彦:恋の木ノ実がみのります。
女  :恋の木ノ実?
星 彦:美野(よしの)が淵の
花 彦:紅葉(くれは)の姫の
雪 彦:申すよう。
風 彦:申すよう。
星 彦:十月十日(とつきとうか)の月の夜。
月 彦:四十九日の星の夜。

星彦たち踊り早くなる。

花 彦:鈴の音を鳴らせませ。
雪 彦:鈴の音を鳴らせませ。
女  :こうか?
風 彦:鈴の音が鳴りました。
花 彦:天の川を流れます。
女  :こうか?

高くなる。

雪 彦:鳴らせませ。
風 彦:鳴らせませ。
女  :こうか?

さらに高くなる。

星 彦:月出る晩に。恋の木ノ実がはじけたら。
月 彦:花降る夜に。恋の木ノ実がはじけたら。
女  :こうか!
星・月:お前の心を食ってやろ!
   
花が緋緋として落ちる中、鈴の音が更に、高く響く。星彦たちはじかれたように消える。
と、夜は満天の星の下にある。温かい春の夜である。
筒井がいた。筒井はじっと何かを待つ。
夫が、忍びやかに、だがせかれる如く菜を抱えて帰ってくる。夫、菜を置く。

☆花の章

Ⅰ別れ

夫  :・・固く、塩を。・・・・
筒井 :・・・
夫  :(誰にともなく)あまりの星月夜だからつい、・・・
筒井 :はい。
夫  :白い茎が一面に並んでいてそこにさす星の光だ。・・つい我を忘れて白い菜に手がふれた。すまない。
筒井 :何もおっしゃらないで。
夫  :・・では、固く塩して?
筒井 :はい

筒井、白い菜を抱えて去ろうとする。

夫  :筒井・・。
筒井 :はい?
夫  :お前には苦労をかける。すまない。
筒井 :それはもうおっしゃらないで。・・・筒井、十分に幸せです。

筒井去る。夫さらに何かいいたげであるが言葉は出ない。夫、にわかにしまっておいた紹介状を持ち出して読む。

夫  :もうすぐだ。もうすぐだ。一年待ってくれ。都に行けば、なんとかなる。お前に黄金を送ろう。そうだ、黄金で袿をこしらえたらいい。さ ぞ似合うであろう。一年たったら、迎えに来る。四条五条の秋はどんなにか華やかだろう。俺は、庭をつくる。築地の塀を巡らす。お前は、 几帳の陰で髪をとかすがいい。誰にも負けんぞ。可憐だろうなあ。・・・筒井、おれは、お前のためなら何でもする。だからまっていてく れよ・・・

夫誰にともなく語り続ける。筒井、いつのまにか登場。痛わしげな感情を押えて、夫に語りかけるよう

筒井 :同じ時刻にそれぞれに立ちたいと思います。あなたは都へ、私は奉公先に。この家を一緒に立ちましょう。
夫  :一人がこの家に残ることは心辛いものがある。それはいい考えだ。
筒井 :渡し船まで一緒に参りましょう。

夫、その思いつきに何がなし笑う。

夫  :渡し船か・・・。そういえば、この美野の国に来たときも。
筒井 :はい。渡し船でございました。(にっこり笑う)
夫  :あれからもう三年になるか。
筒井 :本当に、月日のたつのは早いもので。
夫  :そういえば、あの時は、どこかの子供が牛を恐がって、泣き騒いだことだった。渡し船に牛を乗せてはたまらん。おかげで、お前は人形を なくしてしまった。
筒井 :あれは、なくしたのではございませぬ。子供にあげただけのこと。
夫  :とはいっても。牛が暴れては大変と、皆が大騒ぎしているときに、さらりと子供にやるのは並ではできぬ。まして、あれは母上の形見であ ったではないか。いま考えても惜しいことだ。
筒井 :いいえ、惜しくはございませぬ。牛が哀れにございました。それにあの子供もみめ美しゅうございましたから。
夫  :あれも春のことだった。
筒井 :はい、あの牛がのそりのそり、土手を歩いて行ったことを覚えております。(なんとなく笑う)白い斑がまるで雲のようで・・・
夫  :本当に夢のようだ。お前が美野の国はよいところでございます。水が多いので景色が美しく覚えますといったことが昨日のように思える。
筒井 :あの子供も、さぞかし今ごろは
夫  :(苦く)さぞかし美しくなっていることであろう。・・・あれから3年。美野の国がこんなことになるとは。人間、落ちぶれるってのは簡 単だな。
筒井 :時勢が悪うございました。それに、この国はあまりにも貧しうございます。
夫  :時勢か。
筒井 :はい。
夫  :そうだな・・・

何がなし笑う。
間。夜が曇ってくる。

筒井 :星が。
夫  :花曇りだろう。・・時勢か・・

筒井、何かいいたげだが、ついと立って鈴を取って来る。涼しげな音を立てる。夫に差し出す。

筒井 :これを。
夫  :・・胡蝶の鈴ではないか。・・・私に?
筒井 :・・・はい。一つは私。
夫  :そう。・・・自分は何もやるものがない・・・笑ってくれ。
筒井 :いいえ。何もいりません。私には二つの眼(まなこ)があります。
夫  :まなこ?
筒井 :まなこに、あなたの顔を刻みつけておきます。
夫  :・・・筒井。
筒井 :はい。
夫  :いや・・・。

春雨が降り始める。

夫  :おお、春雨が降り始めた。
筒井 :折り悪しう、降り始めました。花が散ります。
夫  :いいさ。花も散らなければ新しい実はならない。二人の出発に相応しい。
筒井 :そう言えば、そうでしょうが・・

と、筒井少し沈黙して、外をみる。夫、容を改めて、

夫  :筒井。
筒井 :は?
夫  :筒井。今日の日をお互い覚えておこう。便りはついでのあるたびに、よこしてくれ。いいね。

筒井、少し沈黙。夫不審げに。

夫  :どうした?何か気に触ることでも?
筒井 :(強く、語調を改め)あなたも、私あることをお忘れないようにお願いいたします。
夫  :・・・お前もだぞ。
筒井 :私のことはお心に残さずにどうぞ
夫  :いや、田舎暮らしでは気がかりにもなる。
筒井 :美しい人のたくさんおられる都の生活こそ、私、はずかしながら気がかりにおもいます。

夫、筒井の言葉に都の幻影を思う。心をとらわれる。

夫  :(ぼそっと)都では自分を相手にしてくれるものもあるまい。

筒井も、自分の世界に沈潜する。やがて、

夫  :それにしても明日は、二人の、新しい出立の日だというのに、祝の席一つ設けることさえ、できない。
筒井 :たしか、小豆がまだあったと思います。小豆の飯をつくりましょう。
夫  :別れの飯か。それは風流だ。けれど、小豆なぞどこの家にも一粒も無いことをしっているだろう。いいよ。その心だけで。
筒井 :いいえ、たしかにどこかに、あの紅をした小豆がありました。思い出せれば良いのですが・・・

筒井、心当りをさがすがない。ありようはずもない。

夫  :もういいではないか。
筒井 :いいえ、たしかにどこかに、覚えがあります。ちょっと、私に考えさせて下さい。・・・ええと、どこかにあった。

筒井、思い当る。膝をたたいて小さい喜びの声を上げる。夫、驚いて筒井の顔を見る。

筒井 :ございました。ただいま持ってきます。

筒井、小函を持って来る。はさみを持って箱の前に座り、美しいきれで縫ったお手玉を出す。

筒井 :ほら。

筒井、糸目を解く。中からは、美しい小豆がこぼれる。

夫  :これは有難い。

筒井、次々と盆の上に袋を解く。小豆が溢れる。

筒井 :これで赤の御飯が出来ました。
夫  :(ゆっくりと)小豆があったからには、私たちは長く幸せになるだろう。
筒井 :(布を丁重に畳みながら)小豆を見つけましてまたしまっておきます。

夫 ゆっくりとうなずく。

夫  :雨がやまないな・・・
筒井 :本当に・・、けれど明日は晴れましょう。きっと。
夫  :そうだな・・晴れるだろうな・・・
筒井 :はい・・。

最後の夜はふける。やや溶暗。
鈴の音が響く。桜が散る。
夫が立っている。手を振ったりして妻との別離を悲しむ風。

夫  :さあ、・・・では気をつけて。
筒井 :(声のみ)はい。・・・あなたも。

夫、頭を心持ち下げるよう。舟がでる。夫、鈴を振る。鈴の音が悲しく響く。

夫  :あ、あんなに手を振って。ああ流れが早い。もう見えなくなる。筒井ーっ!たっしゃでなあー。ああそんなに身を乗り出しては舟から落ち る。それともあれは船頭か。ああ、川筋が曲がる、見えなくなる、あっ!筒井ー!・・・見えなくなってしまった。・・(急激な喪失感) ・・・おれは、何のために都へ登るのか。貧しくとも、この村ざとにおれば、・・白い菜を食べておっても、筒井と暮らせるではないか・ ・俺は筒井を失うために都へ登るようなものだ。・・・この川を渡って、俺は、俺は・・・(頭を振り自分に言い聞かすよう)いいや、筒 井。俺は必ず帰ってくる。帰ってくる。・・・筒井。筒井ーっ!

鈴が高く鳴る。風がごーっと花吹雪を舞い散らせて吹き抜けてゆく。その中を懸命に夫は都へ走る。

Ⅱ群盗

夜が深い。爛漫の桜が緋々と散る。都の場末。一年後。
花吹雪を追いかけるように群盗が駆けてゆく。群盗たちの踊り。エネルギッシュな剣の舞。風の籐太と呼ばれ恐れられている群盗 である。夫がその中をゆっくり走り消える。踊りは続く。
綱手がいた。筒井にどこか似ている。けれど、似るべくもない有り余るエネルギーと艶やかなしぐさ。

綱手 :王道楽土の弥生の春の都に桜の花吹雪、さても乱れしこの世の地獄。末世末法極楽浄土。釈迦は屁をひる坊主は踊る。踊る阿呆に見る阿呆。 阿呆なればの泥棒稼業、風の藤太と恐れらる我ら群盗の心意気。しょせんこの世は一楽一憂、袖擦り合うも他生の縁の、縁(えにし)にむ すばる我らの定め。(板子一枚その下は、地獄の閻魔が爪を研ぐ。)
綱手 :花には嵐。
夕 霧:花は散り。
綱手 :天には星。
霞  :星は流れ。
綱手 :地には我ら。
群 盗:地には我ら。
綱手 :踊れ。踊れ。明日はわからぬ。
群 盗:やーっ。

剣の舞は続く。桜吹雪が緋々として舞う。
夕霧がかけ込む。

夕霧 :お頭。お頭。

踊りが止む。

籐太 :どうした夕霧。
夕霧 :貞時が動きました。
籐太 :そうか。検非違使が動いたか。
夕霧 :明朝寅の刻から、狩り始めるそうで。

綱手、おもしろそうな顔。血が騒ぐのだ。

籐太 :どこからだ。
夕霧 :六条あたりから始め、半時ほどでこのへんも。
籐太 :田舎貴族のこせがれめが。それで、紅葉の姫のお宝には気づいてるか。
夕霧 :おそらく気づいてはいますまい。
籐太 :それは重畳。どうやら都も住み難くなった。ここらが潮時だろうて。霞。
霞  :はい。
籐太 :お前、もう一度、美野の国に行け。あそこは貞時の領地、慎重にやらんとな。
夕霧 :私も参りましょう。
籐太 :そうだな。お前もいくと心強い。頼むぜ。
霞  :俺一人でいいですよ。
夕霧 :だから、心配なのさ。
籐太 :俺が頼むんだよ。
霞  :分かりましたよ。ちぇっ。
籐太 :風の籐太と恐れられた俺たちだが、ちっと検非違使がうるさくなりやがった。ここは一つ桜吹雪の都を売って、美野の国の紅葉のお宝を拝 むとしゃれようじゃねえか。
一同 :へい。
綱手 :たいそう威勢だけはいいことじゃ。
籐太 :綱手。
綱手 :からっ元気では、お宝なんかあてになりはせぬ。
籐太 :綱手。
綱手 :なんだ。
籐太 :いやにからむじゃねえか。
綱手 :そうきこえたか。
籐太 :ああ、聞こえたぜ。
綱手 :では、そうであろう。
籐太 :何?
夕霧 :およしなせえ。お頭。
霞  :綱手様もちと言葉が過ぎます。
綱手 :過ぎて悪かったな。私は憶病者が嫌いだ。
籐太 :何だと。
綱手 :検非違使のこせがれ風情にびびって都落ちしようとは風の籐太も堕ちたものよ。
籐太 :ふん。お前は貞時のこわさをしらん。
綱手 :貞時かなんだかしらないが私は不承知。都を離れて何かいいことがあるか。何年も日照り続きでろくに作物もとれぬというではないか。都 にさえ、貢ぎ物がろくに入ってこぬご時世だ。田舎では、飢え死にしてしまうぞ。
籐太 :まあ聞け。綱手。
綱手 :聞きたくない。

綱手、ぷいとでていく。

藤太 :どこへいく。
綱手 :花でも見てくる。
籐太 :おい。待てよ。
夕霧 :お頭、おやめなさい。
籐太 :夕霧何で止めるんだ。あいつは近頃わがままでいかん。
夕霧 :綱手様の言葉にも一理ございます。おめおめ、このまま都落ちではいかにも無念。我ら群盗とはいえ、元を正せば貴族の端くれ、貞時風情 に恐れをなして風を食らってとんずらこいたのでは、都雀の笑い者となりましょう。まして、貞時は綱手様のお父上を陥れた宗時の子せが れ。このままでは我らの一分がたちません。
藤太 :わかっとるわ、そんなこと。だが、手だてがあるまい。
夕霧 :なくはございません。
藤太 :なんだ。
夕霧 :貞時には、吉野という腹違いの妹がおります。
藤太 :それで。
夕霧 :普段は国の方に住まいしておりますが、都の桜を一目みたいと登ってくるそうで。
藤太 :よく調べたな。
夕霧 :霞の手柄で。
藤太 :さすが、音に聞こえた百地兄妹だな。
霞  :へっへ。
藤太 :で、どうする。
夕霧 :霞。
霞  :おいらの調べでは、お忍びだとのことで、わずかな供で、まもなく粟田口に。
藤太 :粟田口か。
霞  :はい。
夕霧 :どうします。
藤太 :俺もこのまま都落ちするのは業腹だ。一泡吹かせてやらねば腹はいえん。うまく行けば都の春を楽しもう。叶わずばそのまま美野の国に足 を延ばせばよいこと。
霞  :お頭。
藤太 :おおさ。紅葉の姫のお宝の前祝い。貞時めに一泡吹かせてやろうぜ。
夕霧 :それでは。
藤太 :やろうども、粟田口だ!
一同 :粟田口!

群盗たち、桜吹雪をけたてて駈け去る。
粟田口付近。桜の巨大な古木。吉野と宮木がやってくる。

吉野 :ここから都ね。
宮木 :はい。
吉野 :うきうきするわ。朱雀大路ってどんなところでしょう。さぞかし美野とは違うでしょうね。
宮木 :それはもう。
吉野 :ねえ、お兄さま、袿買ってくれるかしら。かざしも欲しいわ。
宮木 :吉野様。
吉野 :まあ、きれいな桜吹雪。美野の国にもひけをとらないわ。
宮木 :急ぎましょう、ここらは夜盗が出ます。
吉野 :宮木は心配性ね。いいじゃない。初めての都よ。都の空気ぐらいゆっくり吸いたいわ。

吉野、大きな深呼吸。

宮木 :貞時様に怒られます。
吉野 :あら、お兄さまは怒らないわ。少しは妹のこと心配させたらいいのよ。いつだって、仕事、仕事、仕事。検非違使がそんなに大事なの。お 国の方なんかさっぱり戻ってくれやしない。おかげでこちらが出かけてくる羽目になったわ。
宮木 :検非違使とは都の治安を守るお仕事。だれでも、出来る者ではありませぬ。貞時様なればこそ。
吉野 :はい、はい。宮木の貞時様はききあいたわ。それより、宮木、この桜をごらん。月の明かりに見事じゃなくて。ほら、桜吹雪よ。

一陣の風が吹く。と爛漫の花吹雪。

宮木 :確かに。けれど花吹雪にあまり心を魅せられませぬよう。
吉野 :なぜ?
宮木 :桜には魔性のものもございますれば。
吉野 :魔性?あらいやだ。紅葉の桜を言ってるの。あれは吉野の国のお話。ここは、帝のいらっしゃる都よ。そのような魔性の桜などあろうはず もなかろ。
宮木 :都なればこそ。日の本の権力をめぐり様々なやからが争います。人があるべき己を忘れ、民不在の政事の争いを続ける限り、人の心の闇は 深くなるもの。これほどに大きな桜は人々の心の暗い闇を吸いながら花を咲かせます。紅葉の桜のように。
吉野 :紅葉の桜。

どこからか音楽が聞こえる。
どこかの暗い闇の中で紅葉が立っている。星彦たちが回りを舞う。そうして、消える。

吉野 :おどかさないでよ。
宮木 :貞時様は、検非違使として、その闇を払うためお力を尽くされているもの。
吉野 :はい、はい。そのとおりよ。
宮木 :真実をもうしておるだけ。
吉野 :わかりました。私が悪うございました。まったく。いけばいいんでしょ。いけば。
宮木 :お聞き訳がよろしいと宮木うれしゅうございます。
吉野 :吉野うれしゅうございません。

所へふらふらと夫が桜の後ろから尾羽打ち枯らして出てくる。

夫  :もうし。
宮木 :誰か。吉野様。

吉野をかばう。

夫  :お願いもうします。お願いもうします。
宮木 :何だ。
夫  :私、美野の国より都に稼ぎに出てきた者でございます。
宮木 :何、美野の国。
吉野 :まあ、国人か。
夫  :はい。失礼かと存じましたが、先ほどからここで聞いておりました。同じ国のよしみでお助け願いとうございます。
吉野 :何?
宮木 :吉野様。かかわり合いになっては。
吉野 :いいじゃないの、宮木。見れば難渋している様子。
宮木 :しかし。
吉野 :話してごらん。
夫  :はい。ありがとうございます。実は国に妻がありますが、暮らしは苦しく都に稼ぎに行くほかないと妻をおいて出て参りました。
吉野 :それは、気の毒なこと。
夫  :ありがとうございます。けれど、来てみると当てにした仕官先は既につぶれ、仕事もございません。さりとて今更おめおめ国にも帰れず、 難渋していましたが、何の才覚もないこの身、あっと言うまにわずかな蓄えもなくなり、今日の糧にも事欠く有り様。恥ずかしながら、こ の三日、水しか飲んでおりませぬ。とうてい動く気力もなくここにへたりこんでいた次第。このままでは、妻にも再び会えぬまま都の土に なるしかございませぬ。どうか、お慈悲のおこころあらばお恵みをと思い、恥を忍んでお願いもうします。
吉野 :まあ、それは気の毒なこと。宮木。
宮木 :しかし。
吉野 :都で初めてあったのも何かの縁よ。さしょうなりとも。
宮木 :わかりました。
吉野 :それでこそ、宮木。
宮木 :もし、我ら、旅人故、持ち合わせは少ない。気の毒だが、これぐらいしかやれぬ。
夫  :ありがとうございます。ありがとうございます。

夫、ひれ伏す。

宮木 :これで食べ物でも買い養生されたら良かろう。けれど、都とはなかなかにむごいところ。そなたのような人の良さそうな者はほかの者の餌 食になるだけだ。体が回復したら、美野の国に戻った方がよい。苦しくとも美野には奥方が待っておいるのだろう。二人で暮らした方がよ い。

夫、筒井を思い涙を流す。

吉野 :がんばるのよ。
夫  :ありがとうございます。
宮木 :(吉野へ)参りましょう。お兄さまが待っておられます。
吉野 :宮木にも情があるのね。
宮木 :何をご冗談を。さっ。急ぎましょう。

二人去りかかる。

夫  :もし、お名前を。
宮木 :旅の者だ。達者に暮らせ。
夫  :ありがとうこざいます。

二人去る。夫涙声でひれ伏す。
間。
突然、笑い出す。がばっと起きあがりあぐらをかく。

夫  :けっ。何が達者でくらせだ。いい気な者だ。恵まれてる者はさ、いいたいこといえるんだよな。どれどれ、おっ。こいつは豪儀だ。一月は 暮らせるぜ。あまいね。あいつら。同じ美野の国たあ、びっくりしたが。これはもうけもんだ。しばらくぶりに白い飯と酒にありつけると いうものだ。へっへっ。・・それにしても、つぶれてたのはいてえなあ。これじゃ、筒井に袿なんて夢の又夢だ。へっ、二人で暮らせだっ て。暮らせる者なら苦労はしねえよ。ばかやろう。・・筒井。どうしてるかなあ。・・筒井。すまない。俺だってこんなことしたくはない よ。でもなあ。仕方ねえ。食えないんだ。・・筒井。・・俺はいったいこんな所で何をしてるんだ。これじゃ会えないよ。・・筒井。・・ 筒井。

静かにすすり泣く。間。
やがて、のろのろと起きあがり、ふらふらと去ってゆく。
綱手が来る。桜の樹を見ている。やがて一枝、折ろうとするが。届かない。伸び上がっても届かない。

綱手 :ちっ。

かんしゃくを起こして、刀で切ろうとする。

貞時 :かわいそうに、刀で切られたら桜が泣くな。
綱手 :誰だ。

とびすざる綱手。

貞時 :通りすがりのものだ。無風流なことはやめておくといい。
綱手 :よけいなお世話じゃ。
貞時 :おっと、そいつは春の夜には似合わない。しまったらどうだ。
綱手 :ふん。

といいながら、刀を納める。

貞時 :女だてらに、ぶっそうだな。
綱手 :最近、都は物騒だからな。
貞時 :見た所、まともな稼業ではないな。おいおい、そうにらむな。
綱手 :とやかくいわれる筋合いはないぞ。
貞時 :気の強い奴だ。
綱手 :几帳の陰でなよなよしている女が好きなのか。
貞時 :刀振り回して、生意気な口聞く女よりはな。

にらみ合う二人。間。ふっと、力を抜く貞時。
貞時、笑う。

綱手 :なにがおかしい。
貞時 :いや、なんだか童の喧嘩のようだ。・・すまん。謝る。
綱手 :わかれば、いい。
貞時 :そうだ、わかればいいんだ。

二人、何がなし笑う。気まずいような変な間。

綱手 :・・それで。
貞時 :えっ。
綱手 :何か言いたいのではないか。私に。
貞時 :いや、別に。私は花を見に来ただけだ。
綱手 :こんな夜にか。
貞時 :こんな時しかこれないからな。
綱手 :変な、奴。
貞時 :ああ、変な奴だ。

ふたり、また何がなし笑う。

綱手 :何で見るのだ。
貞時 :桜か。
綱手 :ああ。
貞時 :花は嘘がつけないからな。
綱手 :何?
貞時 :この世にはあまりにも嘘が多い。人が人を陥れ、人が人を食らう。
綱手 :しかたないであろ。末世じゃもの。
貞時 :末世か。
綱手 :そうだ。そうしなければ死ぬだけだ。
貞時 :本当にそう思うか。
綱手 :そう思うしか、ないであろう。だから、花見て泣きに来るのだな。
貞時 :泣きに来るとはうまいことを言う。そうだな、花が泣くのを見ているのさ。
綱手 :花が泣く?
貞時 :そうだ。この世の風に吹かれて桜が泣いている。

風が吹く、桜吹雪が舞う。

貞時 :(自分の内面に)この都の腐りようはもうどうしようもない。俺一人の力などたかがしれている。だが、それでも俺は・・・
綱手 :なあ。
貞時 :なんだ。ああ、すまん。
綱手 :桜は男か、女か。
貞時 :なんだって。
綱手 :泣いているとお前は言った。ならば、男の涙か、女の涙か。どっちだ。
貞時 :何でそんなことを聞く。
綱手 :別に。
貞時 :男も女もあろう。この世で報われぬものたちの悲しみの涙であろう。
綱手 :そうかな。
貞時 :どうした。
綱手 :お前には分からない。
貞時 :おい。
綱手 :覚えておくのだな。涙は女のものだ。ならば、桜は女。泣かされるはいつも女だ。

綱手、ばっと駆け去る。

貞時 :おい。
綱手 :なんだ。
貞時 :また、逢おうぞ。
綱手 :ごめんだね。

綱手、去る。

貞時 :おい。・・風のような奴だ。

桜を見上げて。

貞時 :風の籐太か。奴等にも、奴等の言い分があろう。だが、都を守るためには・・・。

溶暗する中、貞時だけが残る。声とのやりとりで、群盗狩りの準備か進んでいるのが分かる。

声1 :申し上げます。六条あたりの探索のもの、風の籐太とおぼしき一味を確認しました。
貞時 :見つけたか。
声1 :はい。
貞時 :どちらへ向かっておる。
声1 :粟田口とおぼしき方角で。
貞時 :粟田口?はて。何を狙っておるのか。あのあたり、右大臣殿の別宅がなかったか。
声1 :右大臣亡き後、北の方が一時住まわれておりましたが、いまは、もう廃屋で、だれも住まってはおりませぬ。
貞時 :おかしいの。手配を増やして監視を続けよ。
声2 :申し上げます。
貞時 :どうした。
声2 :宮木殿より伝言。
貞時 :おお、宮木からか。吉野はついたのか。
声2 :吉野殿の都合により、遅れまして、今宵遅くの到着になるとのことであります。
貞時 :どうせ、あちらこちらみたいと吉野がわがままを言ったのであろう。よい。
声2 :はっ。それと。
貞時 :どうした。
声2 :粟田口からはいるとのことであります。
貞時 :粟田口?宮木からの伝言はいつだ。
声2 :かれこれ、2刻ほどまえで。貞時様ご不在中でありました故。
貞時 :しまった。ばかっ。早くいわんか。粟田口だ。
声2 :はっ?
貞時 :籐太たちのねらいは、吉野だ。宮木が手錬れとは申せ一人ではかなわぬ。ゆくぞ!
一同 :はっ。

貞時、消える。
場面変わって、粟田口付近
夕霧、霞が桜の樹のそばで網を張っている。

夕霧 :霞、いるか。
霞  :ここにいるよ。
夕霧 :さむくないか。
霞  :少しだけ。それより腹が減ったね。
夕霧 :ああ。昨日から食べてないからな。
霞  :やはり水だけじゃ、もたないよ。腹がたぷたぷしている。
夕霧 :こっちもだ。
霞  :夕霧はどう思う。
夕霧 :なにを。
霞  :紅葉のお宝だよ。
夕霧 :むだだな。
霞  :なぜ、美味しい話だろう。
夕霧 :ああ、話だ。おいしいだけの。
霞  :信じてないの。
夕霧 :あやかしは信じない。
霞  :浪漫がないね。
夕霧 :しっ。
霞  :どうした。
夕霧 :獲物だ。隠れろ。

夕霧・霞隠れる。
夫がやってくる。

霞  :違った。
夕霧 :やりすごそう。

夫、桜のそばに座り込む。金を出して、ぼんやり数える。

霞  :御輿据えちゃったよ。
夕霧 :まずいな。
霞  :おっぱらおうか。金巻き上げてさ。
夕霧 :よし、行きがけの駄賃だ。

二人、夫のそばへ。

夕霧 :おい。
夫  :え。
霞  :そこにいちゃ困るんだよ。
夫  :えっ。

あわてて、金を隠す。

夕霧 :その有り金おいて、とっとときえな。
夫  :なんだって。
霞  :言うこと聞かないと、痛い目に遭うよ。
夫  :いやだ。これは俺の金だ。
夕霧 :そうだろ、そうだろ。だから、お前の金をこちらへ横しゃいいんだ。そうすりゃ、お前の金がおいらの金になる。
夫  :渡すもんか。
霞  :なら、しかたないね。
夕霧 :いやでも、渡してもらおうか。

夫抵抗。奪い取ろうとした、霞投げ飛ばされる。すかさず、夕霧の蹴り。すっころぶ夫。霞が、蹴る。かわす所へ夕霧が突き。
うまくかわして、蹴りを入れる夫、カウンター気味に入って飛ぶ夕霧。

霞  :夕霧!
夕霧 :これは、これはなかなかやるな。

刀を抜く。変移抜刀霞切りの構え。じりじりと迫る。
夫、桜の樹に詰まる。霞も抜刀。切りかかろうとするところへ。

綱手 :それは卑怯というものだよ。
夕霧 :綱手様。
綱手 :ちょいとお前たちの手には余りそうだな。けれど、素手相手に刃物三昧はいけない。
夕霧 :なかなかのやつで。
綱手 :私が相手しよう。
霞  :綱手様。
綱手 :いいから。おや、どうした。

夫、呆然としている。筒井と呼びかける。

綱手 :なんだって。
夫  :筒井。どうしたんだ。なぜこんな所にいる。筒井。
綱手 :寝ぼけたことを。お前など知らぬ。
夫  :いいや、お前は筒井だ。刀などもってどうしたんだ。筒井。

夫、よろよろと綱手の方による。綱手、当て身を食らわす。夫倒れる。

綱手 :狂ったか。・・夕霧。
夕霧 :はい。
綱手 :桜の樹にでも縛り付けておけ。

夕霧、霞夫を桜の木に縛り付ける。
綱手、夫の頬を軽く平手打ち。夫、目を覚ます。

夫  :筒井!
綱手 :お目覚めか。
夫  :お前は。
綱手 :綱手ともうす。
夫  :綱手・・筒井ではないのか。
綱手 :あいにくだな。お前の女か。
夫  :妻だ。
綱手 :都の者ではないな。どこから来た。
夫  :美野の国。
綱手 :美野の国?ほう、奇遇だな。・・出稼ぎか。
夫  :そうだ。
綱手 :国元に妻をおいてと言うわけだ。
夫  :ああ。
綱手 :私はそんなに似ているか。
夫  :ああ、似ている。そっくりだ。不思議なことだ。
綱手 :好きか。
夫  :ああ、好きだ。
綱手 :ならば、なぜつれてこない。
夫  :なぜ。
綱手 :一緒にいたいのではないのか。
夫  :ああ、いたいとも。
綱手 :なぜ、一緒にいない。なぜ一人で都へ来る。
夫  :仕方がない。
綱手 :男はみなそう言うな。・・そうして、女をいつまでも待たせる。
夫  :そんなことはない。黄金さえ稼げば。
綱手 :ならば、今ここで切られたらどうする。
夫  :なんと・・・。
綱手 :筒井といったな。その女、いつまでも待ち続けるだけ。不幸ではないか。
夫  :違う、俺は筒井を幸せにするために。
綱手 :都へやってきたか。・・喜ぶと思うのか。
夫  :何。
綱手 :男は、みんなバカじゃ。・・女がいつまでも待ち続けると思うとる。そんな男の勝手に女がつきあわねばならぬ義理はない。違うか。
夫  :筒井は、待っている。
綱手 :麗しい夫婦愛だな。・・それは何だ。
夫  :あっ、それは。

抵抗するが、夕霧に取られる。夕霧、綱手に渡す。

綱手 :鈴だな。

綱手、手に取りならしてみる。

夫  :胡蝶の鈴だ。
綱手 :胡蝶の鈴?形見か
夫  :・・そんなものだ。

もう一度ならす。

綱手 :・・よかろう。私は待つのは嫌いだ。欲しいものは自分で取る。

綱手、戒めを切る。

綱手 :夕霧。
夕霧 :はい。
綱手 :この男、藤太の所へつれていけ。
夕霧 :お頭へですか。
綱手 :我らの一味として使えと申せ。
霞  :えっ。
夫  :俺は・・
綱手 :不承知か。だが、お前に選ぶ権利はない。我らとともに働け。さもなくば切る。
夕霧 :綱手様。
綱手 :国にいては食えぬ故、都に働きに来たのであろう。ならば、盛大に働け。ある者から取るのじゃ。この世は、食らわねば食らわれる。お前 はこれから鬼となれ。鬼となって、食らってやるがよい。お前は今日から鬼童丸じゃ。
夫  :鬼童丸・・。

一陣の風。花吹雪。

綱手 :花吹雪か。鬼の門出にふさわしい。夕霧。
夕霧 :はい。
綱手 :刀をその男に。・・大丈夫。逃げはせん。そうだな、鬼童丸。

夫、刀を取る。じっと見つめる。顔を上げて綱手をまっすぐ見る。

鬼童丸:俺は鬼童丸だ。
綱手 :そうだ、お前は今日から鬼童丸じゃ。
鬼童丸:どうすればいい。
綱手 :私についてこい。
鬼童丸:お前に。
綱手 :女は忘れろ。
鬼童丸:筒井を・・。

動揺が走る。

綱手 :お前は何もできぬままのたれじぬだけじゃ。女をいつまでも待たせるものではない。あきらめろ。綱手についてくるしかない。鬼童丸とし て。
鬼童丸:・・・
綱手 :返事は。
鬼童丸:・・・
綱手 :どうした。
鬼童丸:・・わかった。
綱手 :よし。夕霧、霞とつれていけ。
夕霧 :綱手様は。
綱手 :網を張る。

夕霧、霞。鬼童丸を連れてゆく。鬼童丸、綱手を振り返る。
綱手、じっと見る。鬼童丸、顔を反らし駈け去る。二人後を追う。
間。綱手、胡蝶の鈴を鳴らしてみる。

綱手 :・・筒井か。・・まさかな。・・それにしても、桜が異様に散ってゆく。

もう一度ならして聞き入る。

Ⅲ魑魅魍魎の夜

桜吹雪。情景が変わる。紅葉が浮かぶ。星彦たちが綱手をめぐり舞い始める。綱手後ろ向きになっている。
黄泉平坂が現れた。

星彦 :桜吹雪の月の夜に。
月彦 :桜吹雪の星の夜に。
雪彦 :恋の木の実が実ります。
花彦 :七と七との星の夜。
風彦 :十と十との花の夜。
星彦 :恋の木の実が実ります。
月彦 :咲かせませ。
雪彦 :散らせませ。
花彦 :恋の木の実がみのるよに。
風彦 :桜吹雪を吹かせませ。
紅葉 :二つの心と一つの顔、これはなかなか始末に負えぬ。恋の木の実が実るはいいけれど、果てさて無事にすむかしら。恋の坂道、黄泉平坂、 男の勝手に心揺らいで。

綱手、後ろを向いたまま高く鈴を鳴らす。

紅葉 :美野と都の桜が散るわ。あれあのように。

高く鈴が鳴る。
花吹雪が散る。

星彦 :桜吹雪の月の夜に。
月彦 :桜吹雪の星の夜に。
雪彦 :恋の木の実が実ります。
花彦 :七と七との星の夜。
風彦 :十と十との花の夜。
星彦 :恋の木の実が実ります。
月彦 :よもつひらさか恋の道。
全員 :よもつひらさか恋の道。

高く鈴が鳴る。
ぱっと散る星彦たち。
情景が変わる。綱手、隠れる。
やってくる、宮木と吉野。

宮木 :申し訳ありません。迷ってしまいました。
吉野 :なに、いいことよ。少し遅れるぐらい。
宮木 :何か鈴の音が。
吉野 :・・空耳よ。・・すこし、やすみましょ。
宮木 :ですが。
吉野 :私は疲れたわ。

さっさと座る吉野。宮木しかたなく立っている。

吉野 :座ったら。
宮木 :結構です。
吉野 :堅いのね。
宮木 :ここはあぶのうございます。
吉野 :前も言ったわ。なぜ?
宮木 :先ほどはもうしませんでしたが、これは紅葉の桜と言われております。
吉野 :えっ、美野が原にあるのでなくて?
宮木 :はい。美野の国にも確かにございます。けれど、この桜も紅葉の桜ともうします。
吉野 :それがどうしたの?
宮木 :美しい樹です。
吉野 :そうね。
宮木 :このように美しいのは罪です。
吉野 :罪?
宮木 :こんな醜い末世の世に、このように美しいものはあってはならないのです。このように美しいからにはこの桜は本当にそこのない暗闇を抱 えているからでありましょう。この樹には魔性のものが潜んでおります。
吉野 :鬼のような?
宮木 :はい。紅葉の桜には鬼がおります。人はそれに惑わされます。関わってはなりません。
吉野 :恐いの?
宮木 :人が恐いのです。惑わされる弱い心が。
吉野 :さすがお兄さまの鼻ずら引き回すだけはあるわね。
宮木 :何をおっしゃいます。
吉野 :お兄さまはああ見えて、優柔不断。強く出てるのはあなたの差し金でなくて?
宮木 :滅相もございません。
吉野 :いいから。いいから。
宮木 :参りましょう。紅葉の桜はよもつひらさかに咲くと言います。人の居るべき所ではありません。
吉野 :(ため息をついて)わかりました。行きましょう。

立ち上がる。綱手が出てくる。
宮木が立ちふさがる。

綱手 :貞時の妹か。
宮木 :我らを通せ。
綱手 :妹ごに用がある。邪魔すると怪我するぞ。
宮木 :笑止な。おおかたどこかの盗賊あたりであろうが。身の程知らぬ奴だ。
吉野 :宮木。
宮木 :後ろに下がって。

綱手、変移抜刀霞切りの構え。警戒する宮木が目に留める。

宮木 :ほう、奇妙な構え。・・お前、隠忍(おに)か。
吉野 :オニ?
宮木 :この世の闇に隠れ忍ぶものたちがあると聞いた。奇妙な刀法を使うとか。
綱手 :ならばどうする。
宮木 :隠れ忍と書いてオニと呼ぶが。見るのは初めてだな。
綱手 :見納めにしてやろうか。
宮木 :名前は。
綱手 :言うアホが居るか。
宮木 :戒名をつけるに困るぞ。

宮木、切りかかる。かわす、綱手。

宮木 :なるほど、強い。
綱手 :ほめられても嬉しくはないぞ。
宮木 :かわいくないな。
綱手 :お前こそ。

綱手、霞切り。少しの差でかわす宮木。

吉野 :宮木!
宮木 :大丈夫です。下がって。
綱手 :息が上がってるよ。
宮木 :何が目的だ。
綱手 :聞いてどうする。
宮木 :言うのが作法というものだ。
綱手 :隠忍には作法などいらん。

はげしくきりあう。追いつめられる、宮木。
所へ、貞時たち。

貞時 :ひけーっ。刀ひけーっ。吉野、大丈夫か。
吉野 :お兄さま。
貞時 :おう。

乱入して、囲まれる綱手。

貞時 :宮木。
宮木 :申し訳ありませぬ。
貞時 :危なかったな。もう大丈夫だ。
宮木 :はやく、あれを。
貞時 :これは奇遇だな。
宮木 :ご存じで。
貞時 :・・こんなところであおうとは思いもかけなかった。
綱手 :泣き虫か。
吉野 :泣き虫?
貞時 :・・藤太の一味か。
綱手 :お前が貞時か。
貞時 :そうだ。
綱手 :ならば。

と、構える。

貞時 :待て。話がある。
綱手 :話すことなどない。

と、いいながらも聞く。警戒しながら。

貞時 :女だてらに風の藤太の盗賊の一味に加わり、そそのかされたとはいえ左大臣家を始め金品を強奪した罪は重く死罪にあたる。しかしながら、 前非を悔い、検非違使に自首するならば、お慈悲もある。どうだ、考えぬか。(口調が砕けて)泣き虫が頼むんだ。桜の花をみようってさ。 このままじゃ、どうにもならない。

綱手、笑い出す。

貞時 :どうした。
綱手 :お坊っちゃんだね。貞時。そそのかしたのは、私だ。藤太は私の命令を聞くだけ。
貞時 :なんと。
綱手 :20年前、お前が父宗時に陥れられ、一族離散の憂き目にあった竜像寺を覚えているか。
貞時 :竜像寺?父が。
綱手 :覚えていまい。ちっぽけな下級貴族。出世のためにふみつぶすは造作もないこと。ささいなことを種に、罪を着せ手柄顔して検非違使食を 手にいれたお前の父のため、我ら一族は廃亡の憂き目にあった。隠れ忍の風の藤太に拾われて、復讐の機会を探っていたところ。
貞時 :まて。それは誤解だ。
綱手 :卑怯な、言い逃れるか。
貞時 :それは、違う。父は自己の信念に従っただけ。
綱手 :ええい、問答無用。

綱手、切りかかる。不意をつかれて、貞時、ひっくり返る。切り込む綱手、防ぐ宮木。
取り囲む、取り手たち。所へ、藤太たち。

藤太 :綱手!
霞  :綱手様!

迎え撃つ、取り手たち、入り乱れて乱戦になる。

宮木 :吉野様、ここは早く。
貞時 :藤太を召し取れ!
藤太 :逃がすんじゃねえぞ。

吉野なかなか逃げれない。だんだん、藤太たち押し気味。取り手と斬り合う、夕霧、霞。
藤太と鬼童丸を相手に切り結ぶ貞時。綱手は吉野をかばう宮木と対峙する。

貞時 :宮木、ひけっ。
宮木 :はいっ。

ひこうとする宮木たち。回り込む綱手。吉野を連れて行こうとするが、足が滑る宮木。切り込んでくる霞。
助け起こそうとしていた吉野の目を払う。吉野の悲鳴。宮木下から切り上げる。倒れる霞。

貞時 :吉野!

阿修羅のごとく、藤太を切る。倒れる藤太。なおも斬ろうとするが鬼童丸が防ぐ。
鬼童丸が切り込み、防ぐ姿勢を利用して吉野の方へいく貞時。

夕霧 :お頭!

夕霧と、鬼童丸藤太に駆け寄る。

宮木 :吉野様。
吉野 :痛い!目が、目が!
貞時 :つれていけ。一刻も猶予ができん。

宮木が応急に目を手当する。
微妙な緊張状態の中、戦闘が止まる。

貞時 :女、よくも吉野を。
綱手 :私は、綱手。妹ごは早くて当てをされると良かろう。
貞時 :言うことはそれだけか。
綱手 :父は何も言えなかった。
貞時 :・・またあおう。
綱手 :・・・
貞時 :行くぞ。

警戒しながら引き上げる貞時たち。藤太に駆け寄る綱手。
鬼童丸手当をする。夕霧霞の方を手当。

綱手 :藤太!
藤太 :何大丈夫だ。ちょっとどじっただけだ。霞を手当してやれ。
霞  :なに、かすり傷さ。いてっ。
夕霧 :ばか。手当せねば、腐ってしまうぞ。
霞  :わかったよ。いてっ。
綱手 :大丈夫か。

鬼童丸首を振る。

綱手 :そうか。・・・ここは危ない。お頭をかくまおう。
夕霧 :綱手様。
綱手 :何だ。
夕霧 :こうなったら一刻も早く都を出ねば。
綱手 :わかっておる。
夕霧 :おそらく、貞時は体勢を立て直すに一刻はかかりますまい。今度は、総力を挙げてかかってきます。その前に。
綱手 :わかっておる。だがその前に・・
藤太 :綱手・・綱手・・。
鬼童丸:話したいことがありそうだ。
綱手 :何、藤太。
藤太 :お前にどうしても言わねばならぬ事がある。
綱手 :後で聞くよ。
藤太 :いや、今だ。今でなければならぬ。
綱手 :・・わかった。何だい。
藤太 :美野へ行け。
綱手 :わかってる。
藤太 :美野へ行って、星と花の出会うところを探せ。
綱手 :えっ。
鬼童丸:星と花の出会うところ?
藤太 :星と花の出会うところに紅葉の姫のお宝がある。隠れ忍のお宝だ。お前のものだ。
綱手 :わかったよ。ほかにないか。
藤太 :妹。
綱手 :妹?
藤太 :妹が居る。
綱手 :本当か。
藤太 :・・疲れた。少し休ませてくれ。
綱手 :・・ああ、休むといい。

合図をする。藤太、横になる。

夕霧 :立ちましょう、美野の国へ。・・・どうされました。
綱手 :やることがある。
夕霧 :貞時のことなどほっときなさい。いずれ美野に帰ってきます。
綱手 :待てないんでね。

夕霧、何か言いそうだがあきらめる。

夕霧 :わかりました。いつやるんです。
綱手 :先手を打つ。鬼童丸、藤太を頼むよ。

鬼童丸頷く。

綱手 :貞時の屋敷。まさかの油断があるはずだ。・・行こう。

桜が散る。見上げて。

綱手 :どちらの涙かな。
夕霧 :なにか?
綱手 :何でもない。

一同、粛々と去る。
貞時の屋敷が浮かぶ。
貞時がいらいらと入ってくる。

貞時 :宮木!宮木はおらぬか。

声、ただいま。宮木入ってくる。

貞時 :どうだ、吉野は。
宮木 :応急の処置しかできませぬので定かには。ただ、おそらく・・・
貞時 :だめか・・
宮木 :薬師が申すにはうっすらとは見えるやもしれませぬが・・
貞時 :一生見えぬと申すか。
宮木 :・・・・
貞時 :腹違いとは申せ、ただ一人の妹。それが一生目が見えぬとは・・おのれ!
宮木 :吉野様のことは薬師に任せ、藤太たちのことを一刻も。
貞時 :わかっておる。・・兵を集めよ。一気にけりを付けてくれる。
宮木 :それもよございますが、館の警護を厳重に。
貞時 :藤太を斬った。頭を斬られては烏合の衆同然。今頃は、どこぞに息を潜めておる。心配性だな。宮木は。
宮木 :綱手と申す娘をお忘れか。
貞時 :何。・・綱手か・・
宮木 :気性の激しい娘です。しかもどうやら実質的な頭は綱手かと見ました。あの性格なら引っ込みはいたしますまい。
貞時 :しょせん、女は女。何ほどのことがある。
宮木 :女が腹をくくると恐いものですよ。
貞時 :お前のようにか。
宮木 :戯れごとを言っている暇はございません。
貞時 :わかった。警戒しよう。一刻後にあいつらを狩る。用意しておけ。
宮木 :わかりました。

宮木、去る。

貞時 :心配性だな。そんな根性はあるまい。・・涙は女のものだ・・か・・・あの女泣くことがあるのだろうか・・

浮かび上がる、綱手たち。
花が散り始める。貞時、綱手たちとも桜に心奪われる。
紅葉たちが浮かぶ。

綱手 :ごらん、命を散らしている。きれいだね。
夕霧 :そんな不吉なことは。
綱手 :貞時のだよ。
鬼童丸:鈴が。
綱手 :これか。

鈴が鳴る。

綱手 :あんなに散る。

桜がひときわ散る。
貞時に注進が入る。

貞時 :どうした。
家来 :準備できました。
貞時 :よし。宮木に言え。すぐ出発せよ。
家来 :わかりました。貞時様は?
貞時 :吉野を見て、俺もすぐいく。
家来 :はっ。

家来、去る。

貞時 :・・鈴の音が・・空耳か。

綱手。

綱手 :お前に返す。
鬼童丸:俺に?
綱手 :私が持っていても似合わぬ。私にはこれがある。

綱手、抜刀。

綱手 :藤太は。
霞  :先ほど。
綱手 :そうか。・・

ため息をついて。

綱手 :屋敷に、火をかける。
夕霧 :はい。
綱手 :尋常の手段では中へ入れぬ。混乱にまぎれ、貞時を。
夕霧 :抜かるな霞。
霞  :わかってるよ。弔い合戦だ。
綱手 :鈴を。

鬼童丸、鈴を鳴らす。

綱手 :いけ。

散る三人。
貞時。

貞時 :又鈴が。・・どうした。
声  :火が。火が出ております。
貞時 :何。
声  :付け火です。火をかけられました。
貞時 :あわてるな、めくらましだ。落ちついて火を消せ。
声  :ダメです。方々から出ています。
貞時 :落ちつけ。落ちついて消すのだ。・・吉野、吉野。

貞時、去る。燃え上がる屋敷。
斬り結びながら、侵入する綱手たち。だが、なかなか貞時は居ない。

夕霧 :綱手様!
綱手 :私はここだ。
夕霧 :いましたか。
綱手 :ダメだ。屋敷が広い。
夕霧 :潮時です。引き上げましょう。
綱手 :まだダメだ。
夕霧 :お気持ちはわかりますが。

そこへ、切り込む家人たち。離ればなれになる二人。
貞時が吉野を連れて来る。

貞時 :しっかりせい。吉野。
吉野 :大丈夫です。早く、宮木を。
貞時 :わかっておる。・・誰だ。
綱手 :これが最後だ。
貞時 :綱手か。
綱手 :・・・
貞時 :無用なことはよさぬか。
綱手 :桜に聞くといい。
貞時 :何だ。
綱手 :紅葉の桜に聞くといい。
貞時 :どう言うことだ。
綱手 :別の所で合えば良かった。
貞時 :何。

霞切り。かろうじてかわすがかわし切れそうもない。
綱手、とどめを刺そうとするが。宮木が飛び込む。斬られる、綱手。回転して避けるが深手を負った。

宮木 :お怪我ありませぬか。
貞時 :すまん宮木。
宮木 :何をおっしゃる。・・綱手、もはや逃れぬ。おとなしく縛につけ。

無言で、防御する綱手。

宮木 :やむをえん。斬る。

宮木無造作に、進む。霞切りだが力が入らず、あっさり刀ははねとばされる。
続いて斬ろうとするところへ鬼童丸飛び込み宮木に切りかかる。宮木たまらず後ろへとぶ。

鬼童丸:おっと、そうはイカのてんぷら。
貞時 :宮木!
宮木 :大丈夫です。

綱手様!という声。

宮木 :引きましょう。新手が来ます。
綱手 :待て。

止める、鬼童丸。その隙に煙の彼方へ逃げ去る三人。刀を拾い追いかけようとするが阻まれる綱手。
駆けつける夕霧と霞。

夕霧 :綱手様。その傷!
綱手 :大事ない。すまんな鬼童丸。
鬼童丸:お頭だからよ。

綱手、その言葉にふっと笑った。

夕霧 :もういいでしょう。いきましょう。
綱手 :そうだな。

夕霧たち、去ろうとする。綱手はいかない。

夕霧 :綱手様。
綱手 :行くのはお前たちだけでいい。
霞  :そんな。
綱手 :私の仕事は終わっていない。
夕霧 :まさか。
綱手 :私は隠れ忍。オニだ。オニはオニの道をあるくしかない。

綱手、貞時たちが行った方へ行こうとしている。

鬼童丸:綱手!
綱手 :(笑顔で)初めて私の名を呼んだな。
鬼童丸:いくんじゃねえ。
綱手 :そう言うわけには行かぬ。
夕霧 :綱手様!
綱手 :夕霧たちを頼む。

くるっと、炎の中へ。

鬼童丸:待て、綱手!

追おうとするが、炎に阻まれる。

綱手 :あいにく、私は待てぬのだ。

にっこり笑って、炎の中に消えてゆく。
追おうとするが、夕霧たちに止められる。

鬼童丸:はなせ!
夕霧 :なりません!
鬼童丸:どうしろって言うんだ。
夕霧 :美野の国に行きましょう。
鬼童丸:美野?
夕霧 :貞時はきっと美野に帰ります。それに、紅葉の宝のこともあります。
鬼童丸:美野か。

筒井を思いだしたかもしれない。

夕霧 :綱手様はきっと戻ってきます。待ちましょう。
鬼童丸:美野か。
夕霧 :はい。
鬼童丸:夕霧!
夕霧 :はい。
鬼童丸:霞!
霞  :はい。
鬼童丸:美野へ行くぜ!
二人 :はいっ。

炎の彼方を見ている鬼童丸。

鬼童丸:いくぜ。

走る。再び美野へ向かい。炎が燃え上がり、検非違使の屋敷が音を立てて崩れてゆく。
紅葉の台詞が始まる頃、綱手らしき影がある。

紅葉 :隠れ忍のオニの道。女とは申せこの世の闇に隠れ棲むものの哀れなこと。これでは恋の木の実も実りようがありませぬ。定めになかされる は、おとこも女も同じ事のよう。星彦、星彦。
星彦 :はい。
紅葉 :恋の木の実はもう割れてしもうたじゃろ。
星彦 :いいえ。二つの木の実が実っております。
紅葉 :何?まだと実っておると申すか。
星彦 :はい。桜吹雪の月の夜に。
月彦 :桜吹雪の星の夜に。
雪彦 :恋の木の実が実ります。
花彦 :七と七との星の夜。
風彦 :十と十との花の夜。
星彦 :恋の木の実が実ります。
紅葉 :二つの心に一つの顔。げに。
月彦 :よもつひらさか恋の道。
全員 :よもつひらさか恋の道。
紅葉 :都の桜は散ってゆく。美野の桜はどうであろうかの。
星彦 :はい。それはどうやら時が満ちませぬと。
紅葉 :恋の木の実の時満ちて。
花彦 :七と七との星の夜。
風彦 :十と十との花の夜。
紅葉 :どちらの木の実が実るやら。

炎がはげしく燃え上がり、シルエットとなり暗転。

☆星の章

Ⅶ追放令

五年後。美野の国。領主貞時の屋敷。桜がちらほらと散っている。
忙しそうに、入ってくる貞時。追いかけて宮木。

宮木 :もうしあげます。
貞時 :宮木か。私は忙しい。
宮木 :いつものことでございましょう。ご覧下さい、たまには桜の花など。ほら、もう散り始めております。
貞時 :お前にこき使われておるから、そんな暇もない。
宮木 :ご冗談を。精励されるは当然のこと。まだまだ人心を掴みきっておりません。細心の注意を払ってしかるべきかと。現に本山郡(ごおり) に不穏な動きがございます。
貞時 :また鬼童丸達か。都落ちした盗人ぐらい、大事なかろう。
宮木 :甘く見てはなりませぬ。五年前の都での不始末お忘れか。
貞時 :わかった、わかった。こんな時だ。念のため、行ってみる。支度をせい。
宮木 :はい。
貞時 :なんだ。まだあるのか。
宮木 :恐れながら、追放令のこと、早くご決断を。
貞時 :又そのことか、・・わかっておる。しかし、宮木、ごり押しは。
宮木 :いいえ。一日の遅れがこの国の命取りになります。この国はあまりにも貧しうございます。このままでは向こう三年と持ちませぬ。貧しい 国が食べてゆくには不要なものは切り捨てねばなりますまい。
貞時 :だが、父上がせっかくやめさせた親捨ての議、これを急に復活させるのはい かがであろう。
宮木 :その結果、どうなりました。わずか3年を経ずして、この豊かだった国は、今や滅亡の瀬戸際ではありませぬか。
貞時 :作物がとれなんだせいもある。
宮木 :確かに。けれどもともと美野の国には役立たずなものを養うほどの余裕はございません。親捨ては国が生き延びる知恵でございます。
貞時 :年寄りたちを捨てるしかないか。
宮木 :ありませぬ。
貞時 :彼らは今まで美野の国のため充分に働いた。
宮木 :今はただ我々の働きを食いつぶすだけです。
貞時 :用済みという訳か。
宮木 :はい、彼らは役割を終えたのです。そしていずれ我々も役割を終えましょう。
貞時 :宮木。
貞時 :確かお前にも祖父がいたの。いくつになった。
宮木 :今年六十になります。
貞時 :それでも必要か。
宮木 :はい。
貞時 :お前は強い。
宮木 :強いの強くないのは関係ございません。やらなければならぬ時やるべきことをするだけです。
貞時 :父上ならそうしただろうか。
宮木 :恐れながら、時勢が違います。
貞時 :時勢か。それがおれの定めか。
宮木 :ええい、定めだなんだとうざったい。美野の国がたちいくにはそれぐらいの気合いで行かいで何とします。いったいいつまで待てば気がす むのですか!
貞時 :宮木!
宮木 :これは申し訳ありませぬ。宮木、言い過ぎました。けれど、もはや猶予はなりませぬ。ご決断を。
貞時 :・・・わかった。まもなく決める。・・・本当だ。・・それより吉野はいるか。
宮木 :はい。萩丸といっしょかと。
貞時 :呼んでくれ。
宮木 :かしこまりました。

入れ替わりに、筒井が入ってくる。宮木と黙礼を交わす。宮木、筒井を見やるがそのまま去る。

筒井 :筒井をおよびでございますか。 
貞時 :うむ。・・・吉野を頼む。桜ももう終わってしまうゆえ、少し外を見せて欲しい。どこへも出かけずにおるのが不敏でな。
筒井 :かしこまりました。
貞時 :いつもすまぬ。
筒井 :いいえ。わたくしの仕事でございます。

ゆこうとする。

貞時 :筒井。
筒井 :は?
貞時 :何年になるかな。

いぶかしげに。

筒井 :なにがでしょう。
貞時 :あ、いや。ここにきてだ。
筒井 :貞時様が都から帰られてからでございますから、五年になります。・・・それがなにか。
貞時 :五年か・・・。そうであったな。いや、手を止めてすまなかった。いってくれ。
筒井 :はい。

筒井、去る。

貞時 :早いものだ。五年か・・・。

貞時、べつの方へいこうとする。吉野、萩丸と来る。

吉野 :宮木をよこさないでくださらない。
貞時 :おお、吉野か。
吉野 :お呼びになるなら、この萩丸を。
貞時 :宮木にあたるのはよせ。
吉野 :あたってはおりません。
貞時 :言って置くが宮木のせいではないぞ。
吉野 :わかっております。何のご用でしょう。
貞時 :いきちがってしもうた。
吉野 :なにがです。
貞時 :筒井と桜見物でもと思って呼びにいかせたのだが。
吉野 :まあ、それはうれしいこと。萩丸。萩丸。
萩丸 :はい。
吉野 :筒井殿をよんでいらっしゃい。
萩丸 :はい。でもどこに。
貞時 :庭のほうだ。
萩丸 :はい。・・・筒井殿ーっ。(去る)

間。

吉野 :なぜ。
貞時 :なにが。
吉野 :このごろいらいらなされておる。
貞時 :だれが。
吉野 :おにいさま。
貞時 :ばかな。
吉野 :今は目はみえないけれどわかります。おにいさまは困っておられる。
貞時 :聞いたふうな口をいう。私が何に困っておるというのだ。
吉野 :例えば、鬼童丸。
貞時 :都を追われた盗賊風情。ほっておいても静まる。
吉野 :例えば、美野の国の財政。
貞時 :女の心配するところではない。口出し無用。
吉野 :例えば・・筒井殿。
貞時 :・・・何をたわけたことを。
吉野 :ほら・・おにいさま。
貞時 :な、なんだ。
吉野 :吉野、大事な話があります。
貞時 :あとにせい。あとに。
吉野 :いいえ。都で私がこうなって、五年。父上、母上が急なはやり病でなくなってから三年。家のこともままなりません。おにいさまも都にお られたときと違いさぞご不自由でありましょう。
貞時 :俺は不自由などしとらん。
吉野 :いいえ。
貞時 :しとらん。
吉野 :筒井殿をどうされるおつもり?
貞時 :どうもせん。お前の世話をしてくれて家のめんどうを見てくれておる。それでいいではないか。何をいいたいのだ。
吉野 :おや、おにいさまがなんとかいいたいのではありませんか。
貞時 :何を言うか。
吉野 :聞けば筒井殿はあの綱手にうりふたつとか。
貞時 :誰が、そんなことを言った。
吉野 :宮木がもうしておりました。
貞時 :よけいなことを。
吉野 :綱手がまだ心に残っておりましょう。
貞時 :残らいでどうする。都の館を焼き払い、お前の目をつぶし、おかげで、検非違使の職は解かれ、こうして美野の国の田舎暮らしだ。
吉野 :それだけ。
貞時 :我らを親の敵と思いこみ、一途にうちかかってきた。・・思えば、かわいそうなやつでもあった。
吉野 :幻は幻、それより現実をごらんになってはいかが。
貞時 :何を分けわからないことを。
吉野 :わからないのはおにいさまです。
貞時 :ばか!
吉野 :馬鹿はおにいさまです!
貞時 :吉野!
筒井 :大きな声を出されると、萩丸があきれかえっておりますよ。

筒井、萩丸とはいってくる。

吉野 :ねえ、筒井殿。聞いて。
筒井 :はい、何でございましょう。
吉野 :おにいさまはね。
貞時 :(あわてて)もういい。筒井、俺はでかける。吉野をたのむ。

そっけなくでていく。

筒井 :何か、ご機嫌を損ねることをしたのかしら。
吉野 :幻を追って、勝手に損ねてるんです。いい気味だわ。
筒井 :えっ。
吉野 :いいから。いきましょう。桜の匂いがここまでしてるわ。

鈴の音がする。

吉野 :胡蝶の鈴ね。
筒井 :はい。
吉野 :もう一度。

再び鈴の音。

吉野 :・・・七年になるかしら。
筒井 :はい。今年の春が還れば。
吉野 :待ってるの?
筒井 :お笑い下さい。まだ信じられません。
吉野 :疲れない?
筒井 :なれてしまいました。今ではむしろ、待つことをやめるのが怖いのかもしれません。
吉野 :女ってそういうものでしょうね。
筒井 :大丈夫、一年後には迎えをよこす。そういって渡し船に乗った私ににっこり笑ったのがつい昨日のようで。
吉野 :不運な方ね。
筒井 :人のいいだけが取り柄の人でした・・・都へついて三日とたたず人に騙され、挙げ句の果てに喧嘩に巻き込まれたとか・・・でも、今でも なんだか信じられなくて。思っているんです。いつか、ふいと。おい、帰ったよって。これが袿だよ、きれいだろ。お前に、似合うだろう と思って。遅くなってしまったけれど。・・そうしてきっと気弱げに笑うだろうあの人の・・・あの人の笑顔が・・・(こみ上げる想いが ある)
吉野 :・・・もう一度鈴の音を。
筒井 :・・・はい。

鈴の音が切なげにする。

吉野 :いい音だこと。

花びらがちらちらと舞う。

吉野 :気弱な人は一人だけじゃなくてよ。
筒井 :えっ?
吉野 :もっとも、幻を見てるだけかもしれないけれど。・・いきましょう。萩丸。
萩丸 :はい。

萩丸、手を引く。二人去りかける。

筒井 :桜が、あんなに・・・。また春がきた・・・

筒井、亡き夫を思っているような。鈴の音がなる。

萩丸 :筒井殿。吉野様を・・

筒井、二人の方へ行く。三人去る。

Ⅶ鬼童丸

鬼童丸のアジト。霞と夕霧が入ってくる。

霞  :まてい、鬼童丸!
夕霧 :待ってたまるか!霞切りでもくらえ!
霞  :なんの!
夕霧 :どわーっ!
霞  :うりゃーっ。
夕霧 :きぇーっ!!
霞  :痛い!痛いよ!そりゃないよ。
夕霧 :切られりゃいたかろ!
霞  :本気だもんなあ。     
夕霧 :馬鹿っ、貞時相手に喧嘩うろうというんだ。これぐらいなんだ!
霞  :痛いっ!
夕霧 :追放令、だぞ、追放令!
霞  :分かってるよ。痛えなあ。
夕霧 :わかってるならまじめにやれ。
霞  :へいへい。でもいつごろやる気かな。
夕霧 :星の祭あたりだな。 
霞  :そんなに早くか。  
夕霧 :今年の収穫に間に合わさねば、美野の国が持つまい。
霞  :本気か。

鬼童丸はいってくる。

鬼童丸:どうやら本気だな。
霞  :あっ、お頭。
鬼童丸:星の祭までに新しい戸籍を差し出せとよ。取るだけ取ったら、あとはばっさり。さすが、貞時。頭が切れる。検非違使やっていた奴だけの ことはある。
霞  :感心してる場合じゃありません。あいつのせいで綱手様は亡くなるわ。都は追い出されわ。おかげで、俺たち流れ流れて今じゃこのありさ ま。
鬼童丸:わかってるよ。
夕霧 :追放は年寄りだけですか?
鬼童丸:いいや。体の不自由な奴や病気持ち、食うばっかりで働きのない餓鬼ども、ふらふら遊んでいる奴ら、みんなまとめて花一匁と言うわけだ。
霞  :たまらんなあ。
夕霧 :どうします。
鬼童丸:もはや行くところもないおれたちだ、つぶすしかなかろうが。・・・といってもとっかかりがなあ。
夕霧 :紅葉の姫のお宝はどうです。
鬼童丸:五年間、あれだけ探したんだ。今更無理だ。
夕霧 :考えてたんですがね。
鬼童丸:なんだ。
夕霧 :美野が淵の紅葉の桜。
鬼童丸:それがどうした。あれは、関係なかったんじゃないか。
夕霧 :ええ。でも星と花のであうところって覚えてます。
鬼童丸:藤太がいってたな。
夕霧 :あれじゃないかってね。
鬼童丸:なぜだ。
夕霧 :星の祭りが今年あるんですよ。
霞  :ああ、それで星と花。
鬼童丸:そいつは無理がねえか。第一、桜は七夕にゃさかねえぞ。
夕霧 :え。でも調べてみる価値はあると思いますがね。
鬼童丸:美野が淵か・・・
夕霧 :どうします。
鬼童丸:面白いな。・・一泡吹かせてやれるかもしれねえ。
霞  :でもどうやって。
鬼童丸:そいつは、見つけてからのお楽しみといこう。
夕霧 :では。
鬼童丸:おうさ。紅葉の姫が待ってるぜ。
二 人:はい。

三人去る。

Ⅷ美野が淵

美野が淵。桜の樹々がある。あやかしの出るほどに美しい。
星が出る。筒井がやってくる。胡蝶の鈴を鳴らしてみる。遠くを見る風。

筒井 :七年たった・・・。この鈴ならしても答えてくれようはずもない。けれど・・・幻でもいい。もしや。

もう一度鈴を鳴らし、こみ上げる想いに鈴を握りしめる。人のやってくる気配に気づき鈴をしまう。
吉野と萩丸が散策している。

萩丸 :ずいぶん遅くなりました。
筒井 :(気を取り直し)もうお帰りになりませんと。川の音もすごうございます。
吉野 :いいではありませんか。私には滅多にない事。もう少し、美野が淵の桜の匂いを。ねえ、筒井殿。おわかり。
筒井 :何をでございます。
吉野 :紅葉の桜の匂いがむせかえるよう。

吉野あたりに腰掛ける。

筒井 :紅葉の姫の?
萩丸 :どこです?私には見えませんが。
吉野 :お前にはそうであろう。二つの眼(まなこ)でみるからに。
萩丸 :私には見えません。
吉野 :いいのです見えなくて。お前は若い。そして、健康です。それで十分。
萩丸 :ここにあるのですか?
吉野 :そう。ここにあるのです。とても大きな紅葉の桜の樹が。

微かに、螺旋のようにゆるゆるとめぐる音楽が聞こえるような。月彦たちが舞っているような。

吉野 :美野の国ができたころ、とても貧しく皆飢えており、おまけに日照りが続き、親は子を捨て、子は母を捨て、生き延びなければならなかっ た。そのころこのあたりは美しい野原美野が原とよばれ、それはそれは大きな桜があったといいます。捨てられた子や親はその桜の樹の下 に集まり、冷たい星降る夜の桜の下。もしや誰かが会いにきはせぬか。そう思い人や恋し、人や恋しと名を呼びながら次々と息たえていっ たといいます。

紅葉、影のように浮かぶ。

吉野 :人の命を吸い取った桜は日照りが続いたにも関わらずその年ひときわ美しく咲き続けたそうな。紅葉の姫はそれを御覧になり、むごいこと よ。私の命を捧げる故、どうか雨を降らせたまへと七日七晩桜の下で祈り続け、絶え間なく花降る夜に、とうとう息を引き取った。息を引 き取るや、にわかに雨が降り始め、あれよあれよと七七四十九日も降り続け、星の祭の夜にようやく雨があがったときには、このように深 い淵ができていたとか。やがて、あたりにはまた桜の樹が繁り、人々はここを美野が淵となづけました。だから今でも星の祭の夜には、紅 葉の姫が淵の底から現れると土地の人達は信じていますよ。

紅葉たち消える。

吉野 :目をつぶってご覧。
萩丸 :こうですか。
吉野 :大きな満開の桜がたっているでしょう。見えませんか。

一同、紅葉を思う。

吉野 :それにしてもここは美しいこと。美しすぎるところにはよもつひらさかがあるといいます。ここかもしれないわ。
萩丸 :あの、この世とあの世の境目の。
吉野 :人が生まれる十月十日の生みの日々。人が死んで四十九日の死出の旅。十月十日と四十九日。人の時間は合わせて一年。その生き死 にの年が集まるというよもつひらさか。
萩丸 :こわいような。
吉野 :こわくなんてないわ。そう。いいことをおしえてあげましょう。萩丸。萩丸は恋をしたことがおあり。
萩丸 :とんでもございません。
吉野 :筒井殿は。
筒井 :さあ、どうでしょう。
吉野 :お兄さまは幻に恋をされておる。
筒井 :貞時様が。
吉野 :綱手と言う名はご存じ。
筒井 :さあ。
吉野 :五年前都の館に火をつけて死んだ女。
筒井 :まあ、それでは吉野様の。
吉野 :そうです。不思議なことに筒井殿にそっくりだったと。
筒井 :私に。
吉野 :そう。(ぼそっと)死んだ人には勝てないわ。

筒井、混乱している。

筒井 :でも、なぜ。
吉野 :恋の木の実でもなったのかもしれません。
筒井 :恋の木の実?
吉野 :よもつひらさかの桜の樹にはなるといわれています。
萩丸 :何がです?
吉野 :とても素敵な。
萩丸 :素敵な?
吉野 :恋の木ノ実。
萩丸 :木ノ実?あの?
吉野 :そう。人が恋をする。そうすると、よもつひらさかの桜の樹に木ノ実がなる。そうして10月10日の月満ちた満月の夜。木ノ実ははじけ て恋は成就する。
筒井 :桜に木ノ実がなりまして?
萩丸 :さくらんぼなら聞きますが?
吉野 :幻の実がなるのです。恋という幻が。
萩丸 :失恋という現実もありますよ。
吉野 :紅葉の桜に恋の木ノ実がなる。ぜったいここだわ。誰の木ノ実がなるのかしら。ねえ筒井殿。
筒井 :吉野様ならきっと大きい木ノ実がなりますわ。
萩丸 :こんなにでっかい!
吉野 :まあ。この目にも見えるよう。

はっと気づく。興奮が消えていく。

吉野 :そうですね。・・私も恋をしてみたいものです。
萩丸 :吉野様ならできますよ!
吉野 :そうだといいですね。(ぶるっとする)
筒井 :風を召されてはいけません。もうかえりませぬか。
吉野 :我がままで済みません。もう少し。
筒井 :では、何か羽織るものでも持って参りましょう。萩丸、頼みましたよ。
萩丸 :はい。

筒井、去る。

萩丸 :少し冷えますね。
吉野 :萩丸。
萩丸 :はい。
吉野 :萩丸。おにいさまをどう思って。
萩丸 :どうとは。
吉野 :おにいさまは、まちがっているとは思わない?
萩丸 :貞時様は立派なお方です。
吉野 :追放令の事も。
萩丸 :仕方ありません。
吉野 :本当に。
萩丸 :はい。
吉野 :では、私も追放ね。
萩丸 :えっ、何を申されます。とんでもない。吉野様は・・
吉野 :特別といいたいのでしょう。でもそれは政ではないわ。私はなんの役にもたっていない。そうでしょう。いいえ、五年前は見えていた。都 大路の桜吹雪も、おにいさまの笑顔も、この眼に刻まれてあるわ。私は何でもできた。おにいさまの手伝いだって出来たのに。でも、今は、 何もできない。お前や筒井殿の世話になるだけ。こんな私は追放されて当たり前じゃなくて。
萩丸 :吉野様は・・・
吉野 :私だから許される。貞時の妹だから。
萩丸 :それがさだめですから。
吉野 :定め・・
萩丸 :はい。定めです。
吉野 :定めか。定めなど犬にでも食われるがよい。ああ、この目が前のように見えたなら。宮木などに大きな顔をさせぬものを。
萩丸 :吉野様。滅相なことは。
吉野 :・・萩丸。かえりましょう。
萩丸 :えっでも筒井殿が。
吉野 :途中であうわ。かえりましょう。

かえろうとするところへ。対岸に鬼童丸たち。

夕霧 :もし。そこの方おたずねします。
萩丸 :なんだ、そのほうたち。
夕霧 :いえ、怪しいものでは。少し道を訪ねたく。美野が淵へいく道はこれでいいでしょうか。
萩丸 :そうだ。
夕霧 :どうも。(鬼堂丸へ)急ぎましょう。

いこうとする。胡蝶の鈴がなる。

吉野 :あの、もし。
夕霧 :なんでしょう。
吉野 :今の鈴の音。
鬼堂丸:これかい。

胡蝶の鈴鳴る。

吉野 :それをどこで。・・・あ、お名前を。
鬼堂丸:見ての通りのものだよ。
吉野 :もし。
萩丸 :吉野様!
鬼堂丸:吉野?
萩丸 :ご領主貞時様の妹吉野様だ。無礼をするとためにならん。いけ。
鬼堂丸:吉野さま・・。なるほど。・・・では、いずれまた。

鬼童丸たち去る。鈴の音、鳴る。
筒井、やってくる。

筒井 :おりよく、途中で使いのものと会いました。これを召しませ。

はおるものをわたす。吉野はおる。

筒井 :いま確か鈴の音が。
萩丸 :はい。旅のものと見えます。道を聞かれました。なにか?
筒井 :いえ。気になりましたもので。男の方?
萩丸 :ふたり連れです。
吉野 :筒井殿、あなたの鈴を聞かせてくれますか。
筒井 :どういうことです。
吉野 :おなじような音をしていました。
筒井 :その人はどこへ?
萩丸 :向こう岸を美野が淵の奥の方へ。
吉野 :いそげば間に合いましょう。

筒井、思わず二三歩歩く。止まる。

筒井 :・・・いいえ。いいのです。・・・・帰りましょう。
吉野 :そうですか。・・・萩丸。

萩丸。先導する。筒井少し遅れる。対岸を見ている。
風が吹く。

萩丸 :風がでます。急ぎましょう。

筒井、帰ろうとするが、突然対岸に走る。鈴がなる
紅葉たちがいる。

紅葉 :恋の木の実の時満ちて。
星彦 :七と七との星の夜。
月彦 :十と十との花の夜。
花彦 :都の桜散りまして。
雪彦 :美野の桜も散りまする。
風彦 :どちらの木の実が実るやら。
紅葉 :春も終わるというのに、これまた嵐の吹きそうな。
星彦 :恋の木ノ実ばかりは風に吹かれる木の葉と同じ。
月彦 :吉か凶かわかりません。
紅葉 :それで、首尾は良くて?
花彦 :首尾と不首尾は紙一重。
雪彦 :ひとえにたどる恋の道行も
風彦 :道、行きかねてふみまどい
花彦 :待てどくらせど来ぬ人を
雪彦 :宵待草のやるせなさ。
花彦 :あげくのはてに
紅葉 :あげくのはてに?
雪彦 :十月十日を待たず、恋の木ノ実がはじけるのでは。
紅葉 :それでは早産というわけね。
風彦 :いえいえ、むしろ難産です。
紅葉 :それはさんざんね。
月彦 :さんざん苦労した幻の実が現(うつつ)の実となる大事なチャンス。
星彦 :幻の実(まこと)が現の実(まこと)にかわるはずなのに。
花彦 :このままでは、陰と陽の月満つ前、星の祭に天の川の藻屑となって流れましょう。
紅葉 :迷った恋はよもつひらさかにかえるというのね。
星彦 :はい。割れてしまった恋の木ノ実に想いを残し。
月彦 :よもつひらさか坂の上、あっちにころぼか、こっちにころぼか。
星彦 :おっととっと、これでは女は
月星 :人でなしの道を歩くしかできませぬ!
紅葉 :人でなしの道行ね。これはたいへん。
星彦 :折から、都の桜の花吹雪。
紅葉 :よもつひらさか、花吹雪。
一同 :よもつひらさか、花吹雪。

花吹雪。よもつひらさかに都の桜が散っている。花吹雪の中を筒井が走る。
鈴が鳴る。止まる筒井。高く鈴が鳴る。花吹雪の彼方に影がいる。

筒井 :あなた!

綱手がいた。

綱手 :七と七との星の夜、美野の川があふれようと言うときにまた酔狂な女が一人。
筒井 :誰!
綱手 :わが名は綱手。そこにいるのは誰か。
筒井 :綱手・・。貞時殿の。
綱手 :貞時?・・お前は誰だ。
筒井 :筒井。
綱手 :筒井?・・・貞時がゆかりのものか。
筒井 :ここはどこ。
綱手 :美野が淵の底に隠れしよもつひらさか。このよとあのよの境目じゃ。身を捨てて鬼になったものが棲むところ。お前など来るところではあ るまいに。はて。

筒井、正面を向く。

綱手 :お前か。
筒井 :綱手殿とやら。
綱手 :何だ。
筒井 :貞時殿をなぜねらうのですか。
綱手 :わが父を陥れた敵。当然であろう。
筒井 :大昔のことでありましょう。
綱手 :忘れてはならむものが人にはある。
筒井 :復讐など無益のこと。忘れてしまえば心穏やかに過ごせましょう。
綱手 :心穏やかに?(笑う)そうして、ひたすら待つのか。筒井らしいの。
筒井 :私を知っているのですか。
綱手 :都に流れてきた男がいての。この綱手によく似た妻を美野の国に残して出稼ぎに来た。
筒井 :それは・・
綱手 :私の部下にした。鬼童丸という。
筒井 :鬼童丸。
綱手 :知っておるであろう。・・忘れられるか。生きておるぞ。
筒井 :あの、鬼童丸が・・
綱手 :なぜ筒井の所に帰ってこぬ。
筒井 :・・・
綱手 :どうした。心穏やかに忘れられるのではないか。
筒井 :・・・
綱手 :忘れられぬであろう。忘れられはせぬ。お前も、よもつひらさかに迷い込む女。待って、待って、思いを残し、隠れ忍の鬼となるのだ。
筒井 :わたしは・・
綱手 :それ、走らぬか。鈴の音が又なるぞ。

鈴の音がなる。こらえきれず、筒井走る。綱手笑う。桜吹雪が舞う。

綱手 :走れ。お前の男じゃ。筒井。

笑う。鈴が鳴る。

綱手 :そうであろ鬼童丸。・・鬼童丸。鬼童丸!

さらに高く鈴が鳴った。
満天の星の下。
難儀をしている、鬼童丸たちがやってくる。不機嫌な鬼童丸。

鬼童丸:えい、もうよもつひらさかなどどうでもいい。勝手にするさ。
夕霧 :おいそれとはみつからぬからこその紅葉の桜。短気をおこしてはどうにもなりません。
鬼童丸:短気は損気と人はいうが、どだい雲をつかむような話だ。
夕霧 :無理を承知のこの話。最後までやりとおすのが鬼童丸の心意気ではありませんか。
鬼童丸:お前このごろ説教臭いぜ。霞は?
夕霧 :すこしおくれましょう。

疲れた鬼童丸、適当にやっている。夕霧、熱心に捜索。

鬼童丸:やめとけ、やめとけ。

なおも捜す夕霧。

夕霧 :このままでは、貞時の思いのままですよ。
鬼童丸:わかってるよ。
夕霧 :綱手様のことお忘れですか。
鬼童丸:やかましい!
夕霧 :申し訳ありません。
鬼童丸:・・・忘れてねえよ。
夕霧 :・・・
鬼童丸:けど、しんじまったからなあ。・・人間死んだら本当にお仕舞いだ。

間。

夕霧 :星の祭りがまもなくです。
鬼童丸:星と花が出会うときか。・・ああ、わからねえ。
夕霧 :星の祭になればわかりましょう。
鬼童丸:星の祭か。
夕霧 :追放令が始まる前が勝負です。
鬼童丸:こうなりゃ貞時をやるか。どうだ。
夕霧 :得策ではありません。
鬼童丸:・・ほかに手があるか。
夕霧 :さっき、妹に会いましたね。
鬼童丸:吉野か。・・ふん。お前五年前と同じことやろうというのか。
夕霧 :しかたないでしょう。どうやら目が見えないようです。
鬼童丸:卑劣だな。
夕霧 :はい。
鬼童丸:まっ、俺たち隠れ忍にはふさわしいか。
夕霧 :我ら隠忍には卑劣という字はありませぬ。
鬼童丸:よし。悪は急げだ。やるぞ。・・まて、誰か来る。
夕霧 :えっ。
鬼童丸:あれは・・おいっ、隠れろ。

鬼童丸隠れる。貞時、でてくる。

貞時 :くだらぬ噂にふりまわされてしまったな。
宮木 :申し訳ございません。つぎにはきっと。・・・美野が淵です。早くかえりませぬと。
貞時 :どうした。
宮木 :ご存知ござりませぬか?紅葉の話。
貞時 :あれはおとぎ話だ。第一川の底に桜など生える道理がないではないか。
宮木 :けれど。あやかしの気配はします。誰だ。

鬼童丸たちでてくる。

鬼童丸:ご領主様に申し上げます。名もなき、領民にございます。申しあげたき議がございます。
宮木 :あぶのうございます。ご用心を。
貞時 :わかっておる。いいたきことあらば申せ。
鬼童丸:おそれながら、先代のご領主様がご廃止になられた、親捨ての議、このたびふたたび復活されるとか、まことにございますか。
貞時 :ならばどうした。
鬼童丸:おやめ頂きたくお願いもうしあげます。
貞時 :その方らに、美野の国のまつりごとについて指図されるいわれはない。立ち去れ。
鬼童丸:指図する積もりは毛頭ございません。お願いしているだけで。
貞時 :くどい。聞く耳持たぬ。
鬼童丸:では、吉野様も追放されるので。
貞時 :なに。そのほうなんともうした。
鬼童丸:おや、耳は有るんだねえ。
貞時 :なに。
鬼童丸:いやね。聞く耳もたねえっていうからさ。
宮木 :我らを愚弄いたすか!
鬼童丸:いや、まいったな。愚弄だなんて。苦労はしてるけど。

宮木、無言で切り込む。

鬼童丸:あぶねえ、あぶねえ。短気はいけないよ。たださ。吉野様も目がご不自由だって聞いたからさ。政は公平じゃなくっちゃねえ。そうだろ。 貞時さん。

宮木、なおも切り込む。逃れる、鬼童丸。

貞時 :貴様。誰だ。
鬼童丸:ごぶさたしております。鬼童丸というけちなもので。都ではいろいろと。
貞時 :貴様か。
鬼童丸:はい。その貴様でさ。吉野様を捨てなさるか。それでこそ、政でございましょう!兄が妹を捨てる。お国のために妹を。いや美談で御座い ますね。はい、はい、はい、はい、おそれいります。これも時勢でございましょう!

貞時、切り込む。宮木を牽制する夕霧。貞時と鍔ぜりあいになる鬼童丸。

貞時 :吉野は関係ない!
鬼童丸:そうさ、おれたちだって関係ねえ!
貞時 :黙れ。盗人。この国を豊かにするためだ。
鬼童丸:都合のいいこといいやがって。強いもんはいつだってそうだ!
貞時 :お前らにはわからん!
鬼童丸:わかりたくもねえ!

宮木切り込む。二人はなれる。

宮木 :ここは私に。下郎。まつりごとに口出し無用!お前達のでる幕ではない!
夕霧 :やかましい!

夕霧切り込むが、はずされ逆に切られ手傷を負う。鬼童丸が宮木に切りつける。宮木も手傷を負う。

貞時 :宮木!
宮木 :・・・おのれ!

宮木をとめる貞時。

宮木 :貞時様!
貞時 :引き上げるぞ。
宮木 :しかし。
貞時 :その傷では無理だ。
宮木 :・・・                          
貞時 :帰るぞ。祭りごとが待っておる。

貞時、鬼童丸達をにらみつけ、宮木をつれて去る。    

鬼童丸:おい、夕霧。・・・大丈夫か。
夕霧 :すみません。
鬼童丸:気にするな。それより貞時の妹を・・・
夕霧 :星の祭まで待ちましょう。
鬼童丸:遅くはないか。
夕霧 :少し、油断させないと。
鬼童丸:そうだな。怪我もしてるし。
夕霧 :行きましょう。
鬼童丸:おい危ないぜ。

夕霧、去る。鬼童丸去ろうとする。
筒井、鈴の音の男を探してやってくる。
向こう岸に男の影。鈴がなる。

筒井 :もし。

男は振り返らない。

筒井 :もし。お尋ねいたします。その鈴の音にきき覚えあります。胡蝶の鈴ではありませんか。あなたは私の・・知り人では?

男、肯定も否定もしない。去ろうとする。筒井、追おうとするが橋はない。

筒井 :あ、待って下さい。あなたが誰でもいい。話を。

男、止まる。

筒井 :よかった。話があるのです。その鈴はどこで手にいれたのですか。その鈴の音はまさしく七年前都で死んだ夫の鈴。お願いでございます。 あの人の最後をご存知なら教えて下さい。何があったとて驚きはしません。ただ知りたいのです。あの人の最後のことば、あの人の最後の 姿、あの人の最後の顔・・・。

男、答えない。

筒井 :本当は信じられない。信じたくもない。そう思いながら、一日一日を過ごすうちにはや七年。あなたを待つつもりだった。死んだと知らさ れても待っていた。死んだといわれたから待っていた。・・・けれど、懐かしい鈴の音を聞いたとき、身内に心しびれるほどの痛み感じま した。私は、本当に待っていたのだろうか。

いつの間にか生きているものとして話している。

筒井 :この淵の底に咲く紅葉の桜には恋の木ノ実がなると聞きました。幻の実でもいい。私はその実を育てましょう。夜目覚めて、あなたの姿が 夜の帳の向こうに見える夢だったと知る。あのしんしん心冷えるような辛さに比べれば、幻であろうと私に取っては現(うつつ)のできご と。・・・教えて下さいませ。それでよろしいのですか。わたしは待つことをやめてもよろしいのでしょうか。

男、鈴を鳴らす。筒井も鈴を鳴らす。星が流れる。筒井、鈴の音を振り切る。

筒井 :いくら聞いても鈴の音は答えてくれませぬ!教えて下さい。私はいつまで待つのですか!

男、振り切るように足早に去る。星が流れる。筒井、空を見上げる。

筒井 :星が流れました。星の祭に織り姫は彦星に会えるけれど私にはこの川を渡る橋がありません。・・・

「筒井殿ー」と萩丸の声。返事をして筒井、彼方の岸を見、小走りに去る。

紅葉 :まこと木ノ実は丁と半だこと。星彦。
星彦 :ここに。
紅葉 :星の祭ももうすぐね。
星彦 :今年の木ノ実はどうでありましょう。
紅葉 :おこの実次第という所ね。恋の木ノ実は実(じつ)のない実(み)。心で実(じつ)をいれましよう。思う気持ちを七つに分けて恋の思い 込実。
星彦 :幻の恋の木ノ実のかくし味、恋の七実!
雪彦 :一つ恋は楽し実!わくわく。
風彦 :二つ恋は悲し実!しくしく。
花彦 :三つ恋は苦し実!はあはあ。はあはあ(ばっこん!)
花彦 :恋は狼!はあはあ。(ふたたびばっこん!)
風彦 :四つ恋は痛実!胸がちくちく。
雪彦 :恋は日和実!どちらにしようかな。(ばっこん!)
雪彦 :恋は連れ込み!(ばっこん!)
星彦 :五つ恋は捨て身!あなたとならばどこまでも。
月彦 :六つ恋は軽はずみ!はずみ、はずみよー。気合いよー。
一同 :たのし実・かなし実・苦し実・痛実に捨て実軽はず実!
紅葉 :最後のひと味がたりないわ!お好みの味、どんな実かしら?恨実(うらみ)や憎し実でなければ良いけれど。
星彦 :待つ身は辛いともうします。待つ身の実はどんな実がなりましょう。
紅葉 :七と七の重なる星の祭。答はどうやらそのあたり。
月彦 :七つの味がそろわぬと恋は足踏みひと休み。
紅葉 :ひと休みですめば良いけれど。
星彦 :今年は随分荒れそうな。
月彦 :下手をすると。
星彦 :下手をする!
紅葉 :それでは運を天に任せ!

鈴の音が高くなる。星の祭の夜となる。

風彦 :季節は変わり、星の祭の夜!天の川が高く流れ。
雪彦 :恋の木ノ実が実るとき!
花彦 :幻の実(まこと)が現(うつつ)の実(まこと)に変わるときが来た。
風彦 :星の祭だ!
雪彦 :星の祭だ!
花彦 :星の祭だ!
一同 :星の祭だ!

星祭の踊りの輪が乱入。星彦たちも踊る。

Ⅸ追放令

天の川が高く流れる。七夕、星祭の夜。
星祭の踊りがにぎやかに。仮装した登場人物らしき人々が見える。
     萩丸が踊りの輪から抜けでてくる。

萩丸 :吉野様。
吉野 :萩丸。楽しいの。目が見えなくても体がうきうきしてくる。
萩丸 :はい。吉野様もおどりませ。何、目が見えずとも大丈夫です。

吉野、萩丸に連れられて踊りの輪にはいる。楽しげな彼ら。
家臣たちがやってくる。踊りの輪に乱入、追放令の布告をする。

宮木 :星の祭の夜、美野の国のあたりのものに申しわたす。ご領主様のお言葉である。美野の国の財政極めて窮乏し、このままでは三年以内に、 領民ことごとく飢死せねばならん。領民一同心を一にして倹約こころがけ、食料の増産に邁進せよ。もしこれにても好転せざる時は親捨て の議再び復活の事とあいなる。領民一同しかと心得よ。
領民A:なんでまた。
領民B:親捨ての議とは。
宮木 :かほどにわれら追いつめられておるのだ。
領民A:本当にまた、おやすてですかの。
宮木 :そればかりではない。もの作れぬ役たたず、病人どもは諸国追放!
領民A:そんな。下の子はわずろうております。子供を捨てよという事で・・
宮木 :ならぬよう努力をせよとのおふれじゃ。よいか。心せよ。働け。働け。働くのじゃ。食いたくば働け!生きたくば働け。死にたくなくば働 け!この麗しき美野の国に命ありたくば働け、働け働け!働くのじゃーっ!

追い散らされて踊りの輪、ばらばらに去る。仮面を取る鬼童丸たち。

吉野 :兄上が。無体な。
萩丸 :どうなされます。
吉野 :やめてもらいます。萩丸。
萩丸 :はい。

吉野と萩丸去る。後をつける鬼童丸たち。静かになる。
蛍が飛ぶ。筒井がいる。葉に蛍を捕まえている。蛍は明滅して筒井を浮かび上がらす。
貞時が来る。辺りを見回す風情。

貞時 :筒井殿ではないか。

蛍の明滅、筒井の片頬を浮び上がらす。

筒井 :このいたいけな光の虫をごらんください。

薄葉を開く。大きく豊かに蛍が明滅する。

貞時 :子供の頃にはよく蛍狩に出たものだが、いつまでも子供のようにしてはいられぬ・・・それにしても見事な蛍だ。

一匹の蛍が、静かに立つ。切れ切れの青い線を空に曳いて上る。

貞時 :筒井殿は蛍を好きか
筒井 :蛍ほど美しいものはなく、子供の頃より心をよせています。
貞時 :そうか。・・(はずんだ声で)筒井殿、筒井殿。

筒井はっとして貞時の方を見る

貞時 :筒井殿、どうだこのおびただしいほどの蛍 。

一面の蛍。幾つかは舞う。

筒井 :まあ、見事な蛍。
貞時 :蛍の中を歩いてゆくようなものだ。
筒井 :蛍は貞時様によく見られたさに舞い上がっております。貞時様を蛍は好いているのでございましょう。
貞時 :そなたも蛍にどこか似ているようだ。。
筒井 :どこが似ていまして。
貞時 :美しさが青い光のように見える。
筒井 :そんな上手をいわれても筒井はなびきませぬ。
貞時 :貞時、上手はいわぬ。筒井殿、考えてくれぬか。
筒井 :とうに考えております。
貞時 :たしかにか。
筒井 :たしかに。・・・待つことはむずかしうございます・・・。

二人の声はふっつりと切れる。二人それぞれの思いにふける。

筒井 :幻が。
貞時 :何か言うたか。
筒井 :わたしたちはお互いにこの蛍のように幻を追いかけているのではございますまいか。
貞時 :どういうことか。
筒井 :私は、夫。貞時様は綱手の幻を。
貞時 :何ということを。綱手など。
筒井 :そうでございましょうか。筒井、不思議に思っておりました。
貞時 :何をだ。
筒井 :とりえもない私を吉野殿の世話係に雇っていただいたこと。
貞時 :働き者だからだ。
筒井 :吉野殿の目をつぶした綱手にそっくりなのに?
貞時 :関係ない。
筒井 :そうでしょうか。貞時殿の目は私を通して誰かを見ておられる。
貞時 :そんなことはない。
筒井 :でも、それはいいのです。
貞時 :よくない。俺が見ているのは筒井殿だ。
筒井 :筒井、うれしゅうございます。けれど、私が見ているのは・・。
貞時 :何?
筒井 :・・・・
貞時 :やめよう。
筒井 :・・・・
貞時 :せっかくの蛍だ。つまらぬことで言い合いしてもはじまらん。
筒井 :申し訳ございません。
貞時 :夜が更けた。館へ帰ろう。
筒井 :はい。(いきかけて)あ。
貞時 :どうした。
筒井 :星が流れました。
貞時 :何も起こりはしないよ。さ。
筒井 :あれは、参の星。

参の星が輝く。

貞時 :ああ、きれいだね。どうした。
筒井 :蛍が。

蛍がおびただしい。

貞時 :これはどうしたことだ。
筒井 :蛍は死人の魂とも言われております。
貞時 :・・どうした筒井。
筒井 :死人の魂ならば、なんと美しくそして悲しい魂でなのでしょう。
貞時 :筒井。
筒井 :参の星が輝きます。

上を見る貞時。

筒井 :これは、滅びの星明かり。
貞時 :なに?
筒井 :星の祭りの夜、貞時様に申し上げる。
貞時 :どうした。
筒井 :これは、美野が淵に住む女にて候。
貞時 :筒井。
筒井 :貞時殿にはもはや私をおみわすれか。

綱手である。

貞時 :お前は、綱手。
筒井 :覚えていたとは光栄至極。
貞時 :綱手、生きていたのか。
筒井 :さあ、貞時殿。こちらへござれ。美野が淵のよもつひらさかへ。決着をつけようではないか。
貞時 :綱手、まだ俺を恨んでいるのか。
筒井 :なにをいまさら。
貞時 :もういいだろう。いまさらせん無いことだ。
筒井 :それは、そちらのかってだ。
貞時 :綱手、変わったな。
筒井 :かわったのはそっちであろう。
貞時 :やむをえん。

抜刀。

筒井 :斬れば、筒井は死ぬぞ。
貞時 :帝より賜りし、破邪の剣。綱手、成仏せい。

構える。筒井、霞切りの構え。

貞時 :隠れ忍か。
筒井 :今度は逃がさぬ。

切りかかる、貞時かわす。

筒井 :逃げるのは相変わらずうまいな。
貞時 :綱手。
筒井 :なんだ。
貞時 :俺は、お前が好きだった。

切りかかる。貞時かわす。

筒井 :口がうまいな。
貞時 :だが、俺は幻を見ていると、筒井は言った。
筒井 :私は幻か。
貞時 :そうだ。
筒井 :幻ならば痛くあるまい。

再び斬る。貞時、浅手。

筒井 :幻の痛みはどうだ。
貞時 :(悲しげに)しょせん、幻は幻。この現世には生きることは出来ぬ。綱手。さらばじゃ。

剣を一閃。筒井斬られる。

筒井 :・・・鬼童丸。

倒れる。駆け寄る貞時。

貞時 :筒井。筒井。

目が覚める筒井。はっと、起きあがる。

筒井 :申し訳ありません。つい、ふらふらと。
貞時 :疲れているんだ。さ、夜が更ける。帰ろう。
筒井 :はい。あ、そのきずは。
貞時 :なんでもない。

所へ。萩丸が血相変えて。

萩丸 :筒井殿、筒井殿!吉野様が。
貞時 :吉野がどうした!
萩丸 :さらわれました。
筒井 :さらわれた!
貞時 :詳しくはなせ!
萩丸 :鬼童丸です!かえしてほしくば美野が淵へ貞時様一人で来いと。
貞時 :なんと。・・・萩丸!筒井殿と館へ帰れ。俺は吉野を取り返してくる。
筒井 :危険でございます。
貞時 :なんの。盗賊風情の一人や二人。それより宮木にこのことを。
筒井 :貞時様!

貞時、走り去る。筒井、館へ行こうとする。

萩丸 :あの時の鈴の音でした。胡蝶の鈴です。前に美野が淵で会った時の。あいつが鬼童丸です。
筒井 :鬼童丸が。・・・萩丸。
萩丸 :はい。
筒井 :お前一人で館に知らせておくれ。
萩丸 :筒井殿は。
筒井 :美野が淵に!

筒井、美野が淵へ去る。

萩丸 :筒井殿!筒井殿!・・・こうしちゃいられない。

萩丸、館の方へ走り去る。

Ⅹふたたび美野が淵

美野が淵。
鬼童丸たちがやってくる。

鬼童丸:話すことはないぞ。
吉野 :私は家を出ます。
霞  :へーっ。でてどうするの。おいらたちの仲間にでもなるというの。
吉野 :それもいいと思います。
鬼童丸:ちょっとまった。
吉野 :なにか。
鬼童丸:お前さんがおれたちと一緒になったなんていうものならよけい話しがこんがらがる。迷惑だよ。
吉野 :それなら、一人でどこかへ。
鬼童丸:まちなって。なに不自由ないんだろ。いいじゃないか。
吉野 :だから、厭なのです。
鬼童丸:どうして。
吉野 :吉野はもう、ここにはいたくありません。
鬼童丸:なんだ?
吉野 :この国はもう美しくはありません。疲れました。
鬼童丸:どういうことだ。
吉野 :いいから。もうかえりません。
鬼童丸:おい。

貞時、駆け込む。

貞時 :吉野!無事か。
鬼童丸:決心ついたか。
貞時 :何のことだ。
鬼童丸:とぼけやがって。吉野がどうなっても知らないぜ。
貞時 :無体なことを申すな。妹とまつりごとと関係ないわ。
鬼童丸:こちらは関係するんだ。で、どうするよ。
貞時 :卑怯な。
鬼童丸:ああ卑怯さ。弱いものは卑怯ものなんだ。
貞時 :何のためにこんなことをする?
鬼童丸:さてね?
貞時 :金か?
霞  :それもわるかないね。
貞時 :じゃなんだ。美野の国でもほしいのか。
鬼童丸:(笑う)そんなご大層なものいらねえよ。追放令をやめりゃいいんだ。
貞時 :ならぬ。それはきまりだ。
鬼童丸:それは、そっちが勝手に決めたこと。
貞時 :ならぬ。ならぬ。ならぬ。それでは美野の国は三年たたずに滅びてしまう。
鬼童丸:滅びる国なら滅びりゃいいや。何がうるわしの美野だ。へん。都と同じじゃねえか。
吉野 :都より醜いわ。
貞時 :吉野!
吉野 :おにいさま、追放令はどうしてもやめないの。
貞時 :そうだ。
吉野 :そのために、年寄りや病人が捨てられても。
貞時 :・・そうだ。
吉野 :家族が引き裂かれても、親や子が引き裂かれても?
貞時 :・・・そうだ。
吉野 :やむをえないのね。
貞時 :・・・そうだ。
吉野 :では、私を捨てて。何の取り柄もないわ。目も見えず、米をつくることもできず機を織ることもできない。
貞時 :何をいう。
吉野 :政は公明正大。そうでしょう。では、私もそう扱って。
貞時 :できるわけないではないか。たった一人の妹だ。
吉野 :本当に。
貞時 :ああ。
吉野 :では、みんなにもそうして。たった一人の親に、たった一人の子供。それとも私だけ特別?
貞時 :・・・
吉野 :おにい様。私を見て。まっすぐにみて。いい。たった一人の私を見て。

苦悩する貞時。言おうとしたとき。宮木が走り込み吉野をさらう。

宮木 :まこと女子供のいうことは情にかなって理にかないませぬ。貞時様。一時の情に溺れたとて解決策にはなりませぬ。
貞時 :宮木。
宮木 :さ、早く。吉野殿を館へ。
吉野 :いやです。
宮木 :ききわけのない。(吉野をひっぱたく)さ、早く。
貞時 :わかった。

貞時、吉野を連れて引こうとする。

鬼童丸:返事はまだだぜ。(と邪魔をしようとすると)
宮木 :決まっておろうが。(切りかかる)
鬼童丸:いらぬ忠義立てを。
宮木 :とっととかえった方が身のためだぞ。
鬼童丸:ぬかせ。

夕霧も切り込む。貞時がみて、助けようとする。

宮木 :無用で御座います。早く!

貞時、いこうとする。鬼童丸、宮木をはずしておいて貞時へ。夕霧宮木を防ぐ。鬼童丸切りかかろうとする。貞時、吉野を抱えて うごけない。

鬼童丸:いかしゃしねえよ。
筒井 :おやめ下さい!

ⅩⅠ再会

筒井、走り込んでくる。

貞時 :筒井殿!
鬼童丸:筒井・・・
筒井 :刀をお引き下さい。

吉野、この隙に駆け上がる。両者なんとなく距離を取る。

筒井 :(鬼童丸に)おひさしうございます。お元気で何よりございます。
鬼童丸:・・・ああ。お前も・・・。
筒井 :はい。
貞時 :筒井殿、こやつと知り合いか。
筒井 :はい。・・・都で死んだ夫でございます。
貞時 :なんと!
鬼童丸:すまなかった。
筒井 :・・・・
鬼童丸:身ぐるみはがれてやむをえず盗人になった。知らせよう知らせようと思ってるうちに。・・・つい。
筒井 :・・・
鬼童丸:一旗あげようにも、こんなありさまで。悪かった。
筒井 :・・・・
鬼童丸:悪かったよ。

筒井、おもいっきり鬼童丸をひっぱたく。

鬼童丸:いてっ。いてーなあ。
筒井 :痛いですか。
鬼童丸:当たり前だろ。ひっぱたかれちゃ。
筒井 :痛いですか。そのほほの痛み、感じますか。私の手の痛み感じますか。

またひっぱたく。鈴がなる。

筒井 :待ちました。嘘だろうと思ってました。鈴なるたびに、ただ今かえったよって言うあなた待ってました。いけませんか。おかしいですか。
鬼童丸:・・・
筒井 :もし会えたら、あんなこと、こんなこといっぱいいってやりたくて、でも、あえば、おかえりなさいとしか言わないつもりだったのに。お かえりなさいもいえず、なぜ、いわせるのですか、私にこんなにも、なぜ言わせるのですか。

ひっぱたく。やや弱い。

鬼童丸:筒井。
筒井 :私のいるところ、私の暮らし、私の思い、みんな分かっていらっしゃつたんでしょう。なぜ一言声を掛けてくれない。なぜ、一目会ってく れない。

ひっぱたく。弱い。

鬼童丸:筒井。
筒井 :なぜ・・なぜ・・

ひっぱたこうとする。力が弱い。その手を握り。

鬼童丸:遅かったんだよ。筒井。・・・遅かったんだ。

そっとはなす。

鬼童丸:弱いものがさ。強くなろうと思ったとき、捨てなきゃいけない物があるんだ。
筒井 :わかりません。
鬼童丸:時勢だよ。時勢。筒井もいったじゃないか。時勢なんだ。
筒井 :・・・私が袿をほしがると思ったのですね。
鬼童丸:筒井?
筒井 :築地塀の大きな屋敷に住もうと私が思ったと。
鬼童丸:筒井。
筒井 :わかっていない。なにもあなたはわかっていない。
鬼童丸:何をいうんだ。おれはただお前に・・
筒井 :お前に?お前に。お前のために。そう言って男の方はいつも女の性にする。
鬼童丸:筒井。
筒井 :お前のためなんかじゃなくていい。どうして、ご自分のためだと、おれのわがままだとおっしゃらない。
鬼童丸:しかし、本当に。
筒井 :私はあなたと二人でいさえすればそれで良かった。
貞時 :筒井殿。こちらへ。ほおっておきなさい、そんな男など。
筒井 :だまってください。あなたも何も分かっていらっしゃらない。幻ばかり追いかけて、吉野様の気持ちまだわからないのですか。
貞時 :誤解だ。
筒井 :いいえ。あなたがたは、同じ言葉をしゃべっている。けれど私にはもうわからない。

筒井をはさむような二人。冷たく宮木。
                
宮木 :男二人を手玉に取るとはさぞきもちのよいものでございましょう。
筒井 :なんと。
宮木 :待つの待たぬのは女の勝手、殿方に恩着せがましくいうほどのことでも御座いますまい。貞時殿。目がさめましたか。筒井殿は所詮男を支 配せねば気の済まぬお方。か弱いふりをして、なかなかにしたたかな。
貞時 :宮木、口が過ぎる。
宮木 :真実と思いますが。
貞時 :宮木!
鬼童丸:そんな女じゃない。
宮木 :おやおや二人ともあついこと。貞時様。そんなことより早く、吉野様を。
吉野 :やめて!
宮木 :聞き分けのない!

吉野、対岸へ走ろうとする。止めようとする、宮木。

夕霧 :おかしら!桜の花が。
霞  :夏だろ?

宮木、空を見る。風が吹く。桜の花が散る。

夕霧 :お頭、星と花だ。
鬼童丸:星と花ので合うところか。
吉野 :私は、帰らない!

風が吹く。

貞時 :どうしたことだ。
夕霧 :天の川が!

一同、天の川を見る。今にもあふれかえろうとしている。

霞  :空が。
夕霧 :落ちてきそう。
鬼童丸:なんだあれは!
吉野 :よもつひらさか。
筒井 :吉野様?

吉野が、おかしい。

貞時 :どうした吉野。
吉野 :よもつひらさかが開きます。
貞時 :宮木!
宮木 :はいっ。

宮木、吉野に駆け寄ろうとする。轟音と共に、何かにはじき飛ばされる。桜が降る。

貞時 :宮木!
宮木 :大丈夫です。
筒井 :吉野様!
吉野 :七月七日天の川があふれ恋の木ノ実が割れるとき。

宮木、ふたたび駆け寄ろうとする。はじけ飛ぶ。

貞時 :吉野、やめい!
吉野 :失った恋はいきばもなくよもつひらさかを転げ落ちて行きます。
貞時 :何を言ってる!
筒井 :吉野様!
吉野 :七七四九日の道行を!

ⅩⅡよもつひらさか

すさまじい音と共に、天の川があふれ、よもつひらさかが現れる。橋がかかった。
吉野が走る。追う、宮木。桜の嵐と共に阻む月彦達。紅葉がいた。

貞時 :誰だ!

月彦達の笑い。

紅葉 :天の川が涙の川になってしまったわ。恨み辛みであふれ返っているわ。
宮木 :あやかし!
紅葉 :恋の木ノ実が実ろうかというときに、追放令などと言うくだらぬ政に狂い、ものの真実を見ぬ。おとこというものはげにやくたいもない生 き物よ。
鬼童丸:だれだ?
紅葉 :美野が淵のできしよりこの方、美野の国の恋の行方をひっそりと見守ってきたが、ほとほと愛想が尽き申す。自らの手で木ノ実を割ってし まう。男というものはかってな生き物じゃ。
貞時 :紅葉のあやかしか。
紅葉 :男はあやかしとしか思うまい。己の捨てたもの、もはや見つけることもできぬか。
貞時 :なに?
紅葉 :なに故に、女は待つ。
鬼童丸:なんだ?
紅葉 :なに故に、女は待つ。
宮木 :あやかしにまどわされてはなりません。
紅葉 :あわれな、おなごじゃ。
宮木 :なにをいうか。

宮木、切りかかろうとするがうごけない。

貞時 :吉野をどうする。
紅葉 :さて、どうするか。
宮木 :吉野殿を渡せ。
紅葉 :ならぬ。
貞時 :ならぬだと。
紅葉 :まだ、気づかぬか。ここにいるのは吉野ではない。
貞時 :何をたわけたことを。吉野!
吉野 :ずいぶんの昔、どなたかが桜の樹はもののふにふさわしいと。潔く散るからと、傲慢な物言いですこと。男と女の危うい暗闇さえご存じな いお方が何をおっしゃるのやら。女の樹でございますよ、桜の樹は。行く筋もの涙を流し、生命を削る美しい闇の樹です。そうでなくて何 のあれほど美しい桜吹雪がございましょう。
貞時 :何を言っているんだ。
吉野 :お帰り下さいませ。おにいさま。
貞時 :吉野!
吉野 :吉野はもうおりません。ここにいるのは、美野の国の美野が淵に捨てられた役たたずのやっかいものでございます。
貞時 :なんという。
吉野 :おにいさまが私をお捨てにならないのなら、わたしがおにいさまを捨てましょう。
貞時 :吉野!

駆け寄ろうとする貞時を宮木が止める。吉野は紅葉の影に隠れる。

貞時 :宮木!はなせ!
宮木 :はなしませぬ。
貞時 :吉野が乱心した。はなせ!
宮木 :何をうろたえておられるあなたらしくないこと。あなたはこの国をおさめる領主。国の政ごとの根幹は上にたつものの器量にあります。情 において捨てがたければ、領主を捨てなされ。そうすれば兄妹二人ひっそりと暮らすことはできるでありましょう。けれど、美野の国を豊 かになさろうというお積もりならば、情を捨て、理を取りなさい。
貞時 :吉野を捨てよと・・・。
宮木 :祭ごとを司るものが手本を示さずして誰がついてきますか。
貞時 :心を捨てよと・・・
宮木 :美野の国を豊かにするのではないのですか。
貞時 :・・できん!

貞時、宮木を振り切る。が、すばやく鬼童丸が立ちふさがる。

貞時 :どけ!
鬼童丸:俺を倒してからにしな。

切りあう。萩丸がかけ込む。

萩丸 :貞時様!追放令に反対して領民どもが騒いでおります。館に!あっ、吉野様!
鬼童丸:尻に火がついたぜ。早くかえんな。
吉野 :萩丸!
萩丸 :は、はい。
吉野 :おにいさまをつれてお返り。
宮木 :吉野殿!
吉野 :おにいさまは、あなたのものよ!
萩丸 :吉野様!
貞時 :吉野!

吉野、引く。貞時、追おうとして隙ができ、切られる。浅手。支える宮木と萩丸。

宮木 :・・・帰りましょう、館へ。政が待っています。何が起ころうと、美野の国はあなたを待っております。

貞時、答えない。

宮木 :何を躊躇される。あなたがその気ならどこまでもついていきましょう。あやかしにたぶらかされてはなりません。恋の木ノ実もよもつひら さかもすべては美野の国のおとぎ話。おとぎ話は女子供に任せ、あなたは現実をおとりなさい。
貞時 :私には、・・結局この国しかないか。
宮木 :私がついております。

貞時、苦しげにうなづく。引き上げる三人、貞時、筒井を見る。
貞時たち去る。
鬼童丸、坂を渡ろうとする。筒井、止める。鈴がなる。

筒井  :いってはなりませぬ。
鬼童丸 :なぜ。
筒井  :帰りましょう。わが家へ。
鬼童丸 :・・いい言葉だ。わが家か。だけど、もういい。
筒井  :よくありません。胡蝶の鈴をお忘れですか。
鬼童丸 :これか・・・・。

鬼童丸、鈴を遠くへ投げる。

鬼童丸 :・・・わかっただろ。どくんだ。
筒井  :いいえ。

にらみ合う二人。間。

鬼童丸 :相変わらずだね。けれど・・・
筒井  :あっ。

ふいとかわして、鬼童丸。

鬼童丸 :俺は変わったんだよ。
筒井  :あなた!
紅葉  :ここを渡るか。
鬼童丸 :ああ。
紅葉  :美野が淵のよもつひらさか、人はわたれぬ。
鬼童丸 :渡ってみせるさ。
霞   :おかしら!
夕霧  :あぶない!

鬼童丸、渡ろうとしてはじき返される。紅葉、狂笑。

鬼童丸 :なんだこれは。
紅葉  :渡りたくばおいてゆくがよい。よもつひらさか三途の川の渡すに渡せぬ人の愛を。
鬼童丸 :なんだと。
紅葉  :人であって人でない。人でなしになって渡ってくるがよい。よもつひらさか黄泉の国、人であってはわたれぬぞ。
鬼童丸 :ふん。俺は鬼だぜ。
筒井  :おやめ下さい!
夕霧  :おかしら!
鬼童丸 :紅葉の姫のおたからだよ。俺は強い者になるんだ。
筒井  :やめて!
鬼童丸 :お前にはわからない!
筒井  :あなた!

  鬼童丸、いいすてて渡り、紅葉を切る。崩れる紅葉。
  吉野、笑う。

鬼童丸:何がおかしい。人でなしがそんなにおかしいか。
吉野 :人でなし?あなたが?とんでもない。あなたは人です。どうしようもなく人間だったではありませんか。ろくでなしという。
鬼童丸:いってくれるな。ろくでなしがなぜ悪い。

切ろうとする。吉野、笑い引く。

吉野 :あやかしは切れても、心は切れませぬ。恋の木ノ実をごぞんじ。
鬼童丸:お前は綱手!

ⅩⅢ桜魔刻美野道行

吉野の狂笑。鈴の音が高く響く。大音響とともに、光あふれひとでなしへの道が開けた。はじき飛ばされる夕霧たち。

星彦 :思いもかけず
月彦 :月満ちる夜にはじけるはずの
風彦 :恋の木ノ実は七夕に割れてしまい。
花彦 :七と七との重なるところ人でなしへの道が通じ。
雪彦 :女はもはや四十九日の死出の道をたどります。
星彦 :現の実が作る現の実(まこと)は割れて砕け
月彦 :幻の実(まこと)が始まります。
全員 :よもつひらさか四十九日の道行が。よもつひらさか、四十九日の道行が!

鈴の音が更に、高く響く。

筒井 :紅い実がありました。われら小豆があったからには長く幸せであるだろう。そうあなたはいいました。その言葉のどこに真(まこと)の実 の真実がございました。待つことをやめた身には、恨実という紅い実がなりましょう。

筒井、滑るように橋を渡り始める。鬼童丸、退く。

鬼童丸:筒井!
筒井 :戀(こい)という字は糸し糸しという心の言の葉、けれどいとしいとしの糸が切れ、残るはあなたの心と言葉。あなたの言葉を信じており ましたのにもう心も見えません。待つことはやめましょう。けれど待つことをやめたものはどこかへ行かねばなりません。貞時殿も、宮木 殿も、吉野殿もみんなどこかへ行ってしまった。それ、このように胡蝶の鈴ももう鳴りませぬ。

胡蝶の鈴ならない。

筒井 :鈴の音も無し。もはや、わたくしにはこの胡蝶の鈴の音が鳴らぬように、恋のことばもありませぬ。あれあのように夏だというのに桜が散 ります。ことのはのかわりに、わたしも桜ひとひらまいらせましょう。ひとひらひとひら散る度に、私の心も散り失せる。

桜が散る。

星彦 :ひとひら、ひとひら
月彦 :心を捨てて
風彦 :よもつひらさか人でなし
花彦 :恋の闇路を
雪彦 :ふみまどう。

筒井、紅葉の残した刀を拾い隠し持つ。
桜が散る。鬼童丸を追う。

鬼童丸:許せ。
筒井 :何をおっしゃいます。許すの許さないのと。よもつひらさか踏み迷い、おんなはただ、人であることを忘れ、人でなしの道を歩くだけ。ご 存じないのですか。女はいつも許すのですよ。

筒井、婉然と笑う。

筒井 :まいりましょう。
鬼童丸:なに。
筒井 :道行をいたしましょう。
鬼童丸:・・・
筒井 :道行を。
鬼童丸:だれと。
筒井 :あなたと私。
鬼童丸:筒井!
筒井 :お許しを。

筒井、隠し持った刀で切る。二人もつれるようによもつひらさかを落ちて行く。

鬼童丸:筒井!
筒井 :お許しを!

鬼童丸、なにかいいそうだが倒れる。

筒井 :お許しを・・・。

筒井、立ち上がる。

筒井 :これが、七七四十九日、よもつひらさかひとでなしの道行でございます。・・でも、・・・私はどこへゆきましょう。

筒井、血刀引っ提げゆるやかにあるく。
幻の大きな桜の樹がある。
爛漫の花が散る。一面の星月夜。ひとでなしとなった女がいる。星彦たちが舞っている。

女  :あなたが、しゅろうのかねであるなら わたくしはそのひびきでありたい あなたがうたのひとふしであるなら わたくしはそのついくで ありたい あなたがいっこのれもんであるなら わたくしはかがみのなかのれもん そのようにあなたとしずかにむかいあいたい たまし いのせかいでは わたくしもあなたもえいえんのわらべで そうしたおままごともゆるされてあるでしょう ひとつやねのしたにすめない からといって なにをかなしむひつようがありましょう ごらんなさいだいりびなのように わたくしたちがならんですわったござのうえ  そこだけあかるくくれなずんで たえまなくさくらのはなびらがちりかかる  

女ゆっくりといいはじめ次第にはげしくなってゆく
途中で幻の鬼童丸の声が重なり、やがて女の声は消える。

鬼童丸:あなたが、しゅろうのかねであるなら わたくしはそのひびきでありたい あなたがうたのひとふしであるなら わたくしはそのついくで ありたい あなたがいっこのれもんであるなら わたくしはかがみのなかのれもん そのようにあなたとしずかにむかいあいたい たまし いのせかいでは わたくしもあなたもえいえんのわらべで そうしたおままごともゆるされてあるでしょう ひとつやねのしたにすめない からといって なにをかなしむひつようがありましょう ごらんなさいだいりびなのように わたくしたちがならんですわったござのうえ  そこだけあかるくくれなずんで たえまなくさくらのはなびらがちりかかる ひとつやねのしたにすめないからといって なにをかなしむ ひつようがありましょう ごらんなさいだいりびなのように わたくしたちがならんですわったござのうえ そこだけあかるくくれなずん で たえまなくさくらのはなびらがちりかかる  

声が途中から激し、叫ぶ。

鬼童丸:筒井!筒井!筒井!筒井!・・・・

呼び続ける幻の鬼童丸。待ち続ける女。星彦たち、周りを舞う。
爛漫の花びらが舞う。幻の木ノ実がゆっくりとはじける。夜は深い。
【  幕  】

注:室生犀星「王朝小品作品集」より「津の国人」から、また新川和江「ふゆのさくら」から一部引用いたしました。この二つの作品から   この脚本は産まれました。御礼申し上げます。特に「ふゆのさくら」は15年以上前鮮烈な衝撃を受け、以来心の奥底でひっそりと沈   潜していました。すばらしい詩に出会った幸福を感謝いたします。ありがとうございました。

 


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