結城翼脚本集 のページへ



「曹達水の夏逝けば」

作 結城 翼
原作 宮沢賢治『銀河鉄道の夜』
 
 
ジョバンニ・・・・・・自意識の強い少年
カムパネルラ・・・・・大人びた少年
女車掌・・・・・・・・待合い室の人々
ザネリ・・・・・・・・同 ジョバンニの同級生。
大学士・・・・・・・・同 地質学者。
助手・・・・・・・・・同 その助手。
マヤ・・・・・・・・・同 蠍座の少女。
鳥捕り・・・・・・・・同 時計のコレクター。
母1・・・・・・・・・ジョバンニの母
母2・・・・・・・・・カムパネルラの母
 
            
      
Tケンタウルス祭の夜
 
        夏の終わりの夜がある。
        曹達水の夏の音が聞こえ、重なって楽しげな、けれどどこかせつないケンタウルスの祭の音楽が聞こえる。
        ケンタウルス、露を降らせ。ケンタウルス、露を降らせ!の声が切れ切れに聞こえ、烏瓜の明かりを持った人々が通る。
        お祭りのように人影が舞台をつくっている。
        中央に大きな砂時計と一体になった星座盤が登場し、その下に十二の星座が描かれた六角形のサイコロ状の椅子がおかれる。
        ジョバンニは途中から登場し、あちこちのぞいたりちょっかい掛けたりして祭を楽しんでいる風。
        人々は作り終わると椅子に座り、烏瓜の明かりを持ったまま静止する。音楽は続く。
        カムパネルラの「ジョバンニ待てよ」という声がして、ジョバンニが振り返る。
 
ジョバンニ :ああ、夏ももう終わりだね。カムパネルラ。もう一度曹達水を飲みたいね。
 
        ああ、そうだねと言う声。
 
ジョバンニ :明日では遅すぎる。そう思うだろ。曹達水は夏しか飲まない。それが正しい飲み方というものだよ。そうだね。・・カムパネルラ映       画会憶えてる。あれこそ夏というものだね。手に手に曹達水のコップを持つ。折り畳み椅子をあの露台に向けてならべる係りがいる。       白い布を手すりに帆のように張る係りもいる。映写機が用意され、やがてキセノンランプのかすかな音がして、映写機は回りはじめ       る。僕らは曹達水の氷の音に耳傾けながら、夏を楽しむ。乾杯!
 
        乾杯!とカムパネルラが飛び出てくる。
 
カムパネルラ:あ、もう八時過ぎてるよ。
ジョバンニ :うん。
カムパネルラ:教室に砂時計まだあるかな。
ジョバンニ :あればいいけど。
カムパネルラ:ザネリも勝手なことするんだから。
ジョバンニ :帰って、見たら無かったんだ。
カムパネルラ:あの砂時計、大切なんだろ。
ジョバンニ :うん。父さんのだよ。北の漁に行くとき、僕にくれたんだ。
 
        ケンタウルス、露を降らせ。
        人が通っていく。人々は、適度に通りまた静止する。
 
ジョバンニ :あっ。ザネリだ。
カムパネルラ:川へ行くんだろうか。
ジョバンニ :後で行こう。烏瓜流すんだ。
カムパネルラ:そうだね。
ジョバンニ :ザネリ、烏瓜流しに行くの?
 
        ザネリ、「ジョバンニ、お父さんからラッコの上着が来るよ」。人々、「ジョバンニ、ラッコの上着が来るよ」。
        はっとする、ジョバンニ。痛ましげなカムパネルラ。
 
ジョバンニ :・・ザネリはどうして僕がなんにもしないのにいつもあんなこと言うんだろう。
 
        ちょっと気詰まりな間。
 
カムパネルラ:・・いい、月夜だね。
ジョバンニ :ケンタウルスの祭も終わるね。
カムパネルラ:ああ、空気が冷たくなってる。
ジョバンニ :夏も終わるんだ。銀河が傾いてる。
カムパネルラ:秋が来るよ。・・ケンタウルス、露を降らせ!
ジョバンニ :ケンタウルス、露を降らせ!
カムパネルラ:もうすぐ父さん帰って来るんだろう。
ジョバンニ :うん。北の海は豊漁だって。母さん言ってた。ラッコの上着がおみやげなんだ。
カムパネルラ:そうか。・・ケンタウルス、露を降らせ!
ジョバンニ :ケンタウルス、露を降らせ・・。時計屋だ。ネオン燈がついてる。
 
        時計の前にかけよる二人。
        明かりが星座盤に集中する。銀河の音が聞こえてくる。    
    
カムパネルラ:星座盤だね。
ジョバンニ :そうだよ。ほら、見て御覧よ。ケンタウルスだ。蠍もいる。蛇もいる。あれは魚だね。
カムパネルラ:見て、オリオンだ。
ジョバンニ :オリオンだ。
 
        見入る二人。
 
ジョバンニ :本当に、こんな蠍だの勇士だの空にぎっしりいるんだろうか。
カムパネルラ:さあ、どうだろう。
ジョバンニ :この中をどこまでもあるいてみたいね。
カムパネルラ:できればね。
            
        時計が、八時半をうつ。見上げて。
 
カムパネルラ:半だよ。
ジョバンニ :・・ああ、ごめん。祭が終わっちゃう。行こう。
カムパネルラ:うん。夜の学校か。
ジョバンニ :夜の学校。
 
        歩き出す。
 
カムパネルラ:・・曹達水飲むかい。
ジョバンニ :えっ、あるの。
カムパネルラ:一本だけだけど。
 
        カムパネルラ、曹達水の瓶を出す。座っている人が渡してもよい。ぽんと抜いて一口飲む。
        ジョバンニに渡す。ジョバンニ、しみじみと見る。
 
カムパネルラ:飲まないのかい。
ジョバンニ :もったいないな。・・青い、水の中で泡が登ってく。
カムパネルラ:・・のんだら。
ジョバンニ :うん。・・ああ、これって、やっぱり夏だね。
 
        ジョバンニ、一口飲んで返そうとする。
 
カムパネルラ:ケンタウルス、露を降らせ!全部飲んでいいよ。
ジョバンニ :ありがと。ケンタウルス、露を降らせ!乾杯!
 
        ジョバンニ飲む。
        ジョバンニ、瓶を見る。
 
カムパネルラ:どうしたの。
ジョバンニ :そうだ。母さんの牛乳とってこなくちゃ。まいったな。烏瓜流しにも行きたいし。
 
        カムパネルラ、瓶を受け取る。
 
カムパネルラ:急げば大丈夫だよ。
 
        遠くで、ケンタウルス、露を降らせ!
 
ジョバンニ :・・行こう。ケンタウルス、露を降らせ!
 
        駆け出す、ジョバンニ。カムパネルラも。
 
カムパネルラ:ケンタウルス、露を降らせ!
 
        曹達水の夏の音。ケンタウルスの祭の音楽が流れる。
        人影が椅子で夜の教室を作る。音楽が遠くなり、ジョバンニたちは教室の前にいた。
 
U夜の理科室へ
 
        教室の扉を開けるカムパネルラ。
        間があり、踏み出す二人。
 
ジョバンニ :・・こっちだよ。
 
        ジョバンニ、教室に踏み出す。何かがいるようないないような。
        ジョバンニ、机にたどり着く。
 
カムパネルラ:みつかったのかい。
ジョバンニ :うん。・・おかしいな。
 
        探している。
 
カムパネルラ:隣の机、探したら。
ジョバンニ :そんなはず無いよ。・・・でも、ザネリのことだから・・あっ、あった。
カムパネルラ:見つかった?
ジョバンニ :うん。ザネリの奴。こんな所に隠して。
カムパネルラ:(近寄って)どれ?
ジョバンニ :ほら。(と見せる)
カムパネルラ:ああ。ほんとにきれいだね。青い砂時計。
ジョバンニ :うん。
        
        月光の中を砂時計の砂が落ちている。
        大事そうに、ポケットにしまう。
 
カムパネルラ:じゃ。帰ろう。今なら、烏瓜流しにいけるよ。
 
        カムパネルラ、帰ろうとする。
 
ジョバンニ :カムパネルラ。
カムパネルラ:なんだい。
ジョバンニ :このまま帰るの。
カムパネルラ:そのつもりだろ。9時すぎちゃう。ケンタウルスの祭、終わるよ。
ジョバンニ :夜の学校だ。
カムパネルラ:ああ、そうだよ。
ジョバンニ :夜の教室。
カムパネルラ:だから。
ジョバンニ :夜の階段。
カムパネルラ:それで。
ジョバンニ :夜の廊下。夜の理科室。夜の音楽室。
 
        ため息をつくカムパネルラ。何を言いたいかもうわかった。
 
カムパネルラ:わかった。でも、ちょっとだよ。ジョバンニだって、これから牛乳瓶取りにいかなきゃいけないんだろ。
ジョバンニ :わかってる。・・母さんにおこられるだろ。悪いね。
カムパネルラ:そんなこと無い。
ジョバンニ :信用あるんだ。いいこだもんね。カムパネルラは。
カムパネルラ:そんなことないよ。・・いこうか。
 
        怒ったような、少し暗い声だった。
        カムパネルラ、扉に向かって歩きだそうとする、が。
 
ジョバンニ :うん。・・しっ。
カムパネルラ:どうした。
ジョバンニ :聞こえない?
カムパネルラ:何が。
ジョバンニ :あの音。
カムパネルラ:音?
ジョバンニ :曹達水がはじける音だ。ほら。
 
        シャワシャワという曹達水のはじける音が聞こえたような。
 
カムパネルラ:聞こえる・・
ジョバンニ :聞こえる。
カムパネルラ:聞こえる!
ジョバンニ :聞こえる!
カムパネルラ:夜の学校で。
ジョバンニ :夜の階段で。
カムパネルラ:夜の教室で。
ジョバンニ :何かが起こる音だ
 
        音大きくなる。
 
カムパネルラ:ジョバンニ、行こう。
ジョバンニ :何処から行くの。
カムパネルラ:決まってるよ。お約束だ。少年の行くところは。
ジョバンニ :いつも決まって。
ジョバンニ・カムパネルラ:夜の理科室!
 
        曹達水の音が聞こえる中、理科室へ意気揚々といくカムパネルラたち。
        人影が椅子で理科室を作るが、なんだか列車の待合い室のような感じでもある。大きな砂時計がある。
        そのまま授業の態勢にはいる人影。
        あたりをうかがう二人。
 
ジョバンニ :おかしいな。
カムパネルラ:理科室、明るいね。
ジョバンニ :もしかすると。
 
        ジョバンニ、前方に瞳を凝らす。
 
カムパネルラ:(肩に手を触れ)どうしたんだ。
ジョバンニ :(振り返り)何か聞こえた。・・ほら。
 
        かすかに、「ジョバンニ、ラッコの上着が来るよ」。ぎくっとするジョバンニ。
        カムパネルラ、耳を済ます。
        理科室からケンタウルスの祭の音楽がかすかに聞こえる。
 
カムパネルラ:お祭りの音楽だ・・
ジョバンニ :それだけ?
 
        ジョバンニ、ラッコの上着が来るよ。
 
カムパネルラ:・・うん。・・あ。
ジョバンニ :きこえた?
 
        ジョバンニ、ちょっとせっぱ詰まったような声。
 
カムパネルラ:話し声が聞こえる。誰かいる。
        
        音楽とともに、話し声が微かに聞こえてくる。
 
ジョバンニ :(ささやき声で)カムパネルラ!
カムパネルラ:近づいてみよう。
 
        躊躇するジョバンニ。
 
カムパネルラ:さあ。
 
        ジョバンニうなずき、二人歩き出そうとする。
        音楽大きくなるとともに、話し声も大きくなる。ぼんやりした銀河の明かりに照らされる理科室。
        人々が授業を受けている。車掌の格好をしている人が講義をしている。
 
車掌    :では、みなさんは、そういうふうに川だと言われたり、乳の流れたあとだといわれたりしていた、このぼんやりと白いものが本当は       なにかご承知ですね?
 
        ざわめきが起こる。カムパネルラたち忍び寄ろうとする。
        何人か手を挙げる。挙げようとして、やめるのもいる。
        聞いている二人。
 
カムパネルラ:(訝しげに後ろのジョバンニに)授業かな?
ジョバンニ :(話し声に集中して)さあ。あっ。
カムパネルラ:どうした。
ジョバンニ :ザネリの声だ。
カムパネルラ:何だって。
 
        大学士、挙げようとして、ひっこめる。
 
車掌    :あなたはわかっているのでしょう。
 
        前進して、様子をうかがう二人。
 
カムパネルラ:見えるかい。
ジョバンニ :うん・・・
 
        人々がいる。
 
ジョバンニ :カムパネルラ、やはり授業みたいだ。
カムパネルラ:だれがやってる。
ジョバンニ :(潜めた声)知らない顔ばかりだ。でも、ザネリいたよ。
カムパネルラ:・・どうしてる。
ジョバンニ :話を聞いてる。(と、みまわして)けどへんだなあ。
カムパネルラ:なにが。
ジョバンニ :交替するよ。見て。
 
        二人は交替する。
        理科室を見渡すカムパネルラ。
 
カムパネルラ:本当だ。ザネリがいる・・あれ。
ジョバンニ :何?
カムパネルラ:大きな砂時計がある。
ジョバンニ :理科室にそんなのあった?
カムパネルラ:無かったはずだよ。
ジョバンニ :変だろう。
カムパネルラ:こんな夜中に、どこから集まったんだろう。
ジョバンニ :・・それにザネリもね。
車掌    :大きな望遠鏡で銀河をよっくしらべると銀河はだいたいなんでしょう。はい。
 
        助手が勢いよく立ち上がるが、答えられない。
        
車掌    :では。よし。おすわりなさい。・・このぼんやりと白い銀河を大きないい望遠鏡で見ますと、もうたくさんの小さな星に見えるので       す。そうですね。
カムパネルラ:ジョバンニ、・・これ、定時制というやつかな。
ジョバンニ :みんな。働いているみたいだね。
カムパネルラ:でも、何でザネリいるのさ。
ジョバンニ :そうか。ザネリいるはずないよね。変だね。
カムパネルラ:ああ、大いに変だ。
車掌    :ですからもしもこの天の川が本当に川だと考えるのなら、そのひとつ一つの星は皆その川の底の砂や砂利の粒にあたるわけです。い       いかえれば、君たちが大好きな青い曹達水の中に浮かぶ泡みたいなものと考えてもいいでしょう。つまりは私たちは青い曹達水の泡       の中に棲んでいるわけです。そして、その曹達水の中から四方を見ると、ちょうど水が深いほど青く見えるように天の川の底の深く       遠いところほど星がたくさん集まって見え従って白くぼんやり見えるのです。
ジョバンニ :(話の途中からひそひそ声で)カムパネルラ、どうしよう。
カムパネルラ:でなおそう。なんだか怪しいもの。
ジョバンニ :うん。そうしようか。
カムパネルラ:いいかい。
ジョバンニ :いいよ。
 
        二人駆け出すがジョバンニがつまづいて音を立てて転ぶ。
 
カムパネルラ:ジョバンニ!
車掌    :(話をやめて)では、みなさん。どうやらお客さまのようです。
 
V夜の人々
 
        どよめく人々。ドアが開く。
        近づく車掌。後ずさりする二人。
        
車掌    :どうしました。お入りなさい。・・さあ、どうぞ。
ジョバンニ :どうする。
カムパネルラ:しかたないね。
車掌    :みなさん、新しいお客さまです。
 
        紹介しながら、二人を入れる。どこかで時計が何時かわからないが時を打った。
        
車掌    :それに、新しい時も刻まれました。正しい時間に合わせましょう。
 
        自分の懐中時計を見る車掌。
        人々も、それぞれの時計を合わしている。
        そっぽむいているザネリ。
 
ジョバンニ :あのう。
大学士   :ほう。こどもたちじゃないか。
助手    :そうですね。
鳥取り   :なかなか元気そうで。
大学士   :おいおい、子供たち。
ジョバンニ :ジョバンニです。
大学士   :きいたか。ジョバンニ君だ。
助手    :とすると、こちらが?
カムパネルラ:カムパネルラです。
 
        車掌が咳払い。一同注目。カムパネルラとジョバンニはザネリを注目するが、ザネリは眼を会わそうとしない。
 
車掌    :えー、本日のお客さまはまだそろっていませんので今しばらくお待ち下さい。あなた方も、こちらへ。
 
        ジョバンニたち、ちらちらとザネリを見るが、ザネリは知らないそぶり。
 
カムパネルラ:何をしていたんです?
車掌    :何をって?ああ、御覧になったんです?いや、どうもお恥ずかしいものを。
ジョバンニ :どうして授業してたんですか。
車掌    :ああ。暇つぶしですよ。暇つぶし。
ジョバンニ :暇つぶし?
車掌    :皆さん退屈してますからね。
カムパネルラ:退屈?どうして?
車掌    :待ってるんですけどね。ええ。
ジョバンニ :何を?
車掌    :おや、ついたようですね。
 
        汽笛の音。汽車が着いたようだ。車掌、時計を確かめて首を振る。
        銀河ステーション。銀河ステーション。という声が聞こえる。
        驚く、ジョバンニとカムパネルラ。
        やれやれと言った一同。
 
鳥取り   :あっ。三番線についたぞ。
大学士   :待った甲斐があったというものだな。
助手    :甲斐がありました。
ザネリ   :やっと、行くんだね。
助手    :ああ、やっと行くんだよ。
 
        ザネリの声に驚く、ジョバンニ。だが、またザネリは自分の殻に閉じこもる。
 
車掌    :(厳しい声で)いいえ、あれは、回送です。誰も乗っていないし、乗れません。そのまま車庫へ送るんです。時間が違います。私達       は待たねばなりません。
 
        それぞれの失望の溜息。
 
大学士   :ちっ。まだまだか。やっぱりな。
助手    :まだまだです。
鳥捕り   :世の中甘くないと言うことですな。
大学士   :さよう。甘くない。
助手    :甘くないです。
ジョバンニ :あのう。今のは。
車掌    :ああ、軽便鉄道が着いたんです。
ジョバンニ :軽便鉄道ね・・ふーん。・・鉄道?
車掌    :はい。銀河鉄道です。
ジョバンニ :え。銀河?
車掌    :そう。銀河の中を走るんで、皆さんそう言ってますがね。いや、何てことないものです。
ジョバンニ :うっそ。
車掌    :皆さん、必ずそうおっしゃいます。ええ。
ジョバンニ :でも・・
 
        汽車の汽笛が鳴る。
 
ジョバンニ :ほんとに?
車掌    :はい。
カムパネルラ:ここは、どこですか?                                
車掌    :待合い室と言ってもいいでしょう。
カムパネルラ:待合い室?
ジョバンニ :何待ってるんですか?
大学士   :決まってるじゃないか、汽車だよ。汽車。
ジョバンニ :汽車・・。
助手    :そう、銀河鉄道。
大学士   :ああ。これがなかなか出ないんだ。
助手    :出ないんだ。これが。
車掌    :なかなかね。
ジョバンニ :待ってどうするんですか。
大学士   :もちろん乗るんだよ。
助手    :決まってるだろ。
ジョバンニ :え?だって、ここは学校だよ。
 
        混乱しているジョバンニ。
        みんな笑う。笑いとともに。
 
鳥捕り   :混乱してるよ。かわいそうに。
助手    :無理ないです。
大学士   :ひっひっひ。おもしろいジョバンニ君だね。
助手    :ほんとに。
車掌    :さっき言ったでしょう。ここは、待合い室ですよ。
ジョバンニ :だから、何の。
車掌    :銀河鉄道の。なかなかこないですけど。
ジョバンニ :銀河鉄道。さっきから言ってるけど、・・本当に本当。
車掌    :そうです。
カムパネルラ:じゃ、その服装は。
車掌    :私は車掌です。
ジョバンニ :車掌!じゃ、授業してたのは。
車掌    :言ったでしょう。おさらいだって。
ジョバンニ :おさらい。
車掌    :あ、言わなかったかしら。ま、いいか。人生のおさらいをしてるんですよ。
ジョバンニ :人生のおさらい?何で?
車掌    :退屈しのぎですよ。
ジョバンニ :わからない。
車掌    :今に、あなたもしたくなりますよ。人間、後悔先にたたずですからね。
ジョバンニ :はあ?
カムパネルラ:(突然)帰ろう。ジョバンニ。
ジョバンニ :え。
カムパネルラ:ケンタウルスの祭が終わる。帰ろう。
ジョバンニ :あ、ああ。
鳥捕り   :そんなにあわてなくってもいいじゃありませんか。
カムパネルラ:でも、帰りたいんです。返して下さい。
車掌    :こまりましたね。
大学士   :こまったね。カムパネルラ君。どうやら、君は誤解しておる。
助手    :誤解してる。
カムパネルラ:何を。
大学士   :君は、帰りたくても帰れないんじゃないのかね。
カムパネルラ:えっ。
大学士   :胸に手を当てて考えて御覧。
カムパネルラ:え。
大学士   :わしらだって、行きたいけれどいけないんだよ。従って、帰りたくても帰れない。
ジョバンニ :え、そんな。僕、母さんに牛乳瓶をとっていかなくちゃならないんです。
鳥捕り   :これは、孝行なお子さんだ。
大学士   :ジョバンニ君か。君は・・・車掌さん。切符を見てやってくれんかね。
車掌    :そうですね。あなた方、ちょっと、切符を拝見。
ジョバンニ :えっ。切符?
    
        カムパネルラが何か出す。
 
ジョバンニ :カムパネルラ・・・。
車掌    :結構です。そのうち来ますからね。
カムパネルラ:・・はい。
 
        カムパネルラ、何かを悟ったような。
 
車掌    :・・君は?
ジョバンニ :えっ。切符と言っても・・・・。
 
        鞄の中をもぞもぞする。青い透明な砂時計があった。
        ざわつく、乗客たち。
        砂時計だと言う声。車掌、ためつすがめつして、溜息。
 
車掌    :これは三次空間の方からお持ちになったのですか?
ジョバンニ :なんだかわかりません。
車掌    :結構。サウザンクロス行きは祭が終わりしだい出ます。
 
        鳥捕りが、横から見てあわてたように。
 
鳥捕り   :これは。大したもんだ。こいつはもう本当に天上へさえ行けるってものだ。天上どころじゃない、どこだって勝手に行けるってもの       だ。なるほど、こんな不完全な幻想第四次の銀河鉄道なんか、屁のかっぱだね。
ジョバンニ :えっ。
鳥捕り   :三次空間から持ってきたものかね。
ジョバンニ :・・・
鳥捕り   :なに、いいってことよ。ひとそれぞれだ。
    
        鳥捕り、ため息をつく。
 
鳥捕り   :本当にこいつは大したもんだ。
 
        ジョバンニ、あわててしまい込む。
 
ジョバンニ :それで、帰れないんですか。
車掌    :窓をあけて御覧なさい。
 
        ジョバンニ、窓を開ける。
        曹達水の夏の音が聞こえ、黒びょうびょうとした暗黒の銀河宇宙が広がっている。
 
ジョバンニ :これは天の川だ。でも・・
車掌    :いったでしょう。ここは、もう銀河ステーションなんですよ。
ジョバンニ :・・理科室じゃないんだ。
車掌    :そう。帰りたければ、待つんですね。
ジョバンニ :待つ?
車掌    :帰りの汽車がきっと来ますよ。
ジョバンニ :いつ?
車掌    :まもなくね。
ジョバンニ :本当。
車掌    :約束しましょう。
ジョバンニ :祭が終わらないうちに?
車掌    :・・はい。
ジョバンニ :よかった。カムパネルラ、烏瓜流しにいけるよ。
車掌    :あ、カムパネルラさんは・・。
ジョバンニ :え?
カムパネルラ:みんなはね。
ジョバンニ :カムパネルラ。どうしたの。
カムパネルラ:みんなはね、ずいぶん走ったけれども遅れてしまったよ。ザネリもね、ずいぶん走ったけれども追いつかなかった。
ジョバンニ :ザネリ、ここにいるよ。
カムパネルラ:ザネリはもうかえったよ。お父さんが迎えに来たんだ。
ジョバンニ :変だよ、カムパネルラ。どうしたの。
カムパネルラ:ああ、しまった。ぼく、水筒を忘れてきた。スケッチ帳も忘れてきた。けれどかまわない。
ジョバンニ :カムパネルラ!
カムパネルラ:えっ。
ジョバンニ :どうしたの。カムパネルラ、変なこと言って。
カムパネルラ:え。
ジョバンニ :ザネリいるよ。
カムパネルラ:ザネリ?・・ああ。いたね。
 
        ザネリ、その声に反応するが無視。
        車掌、ちょっとあわてる。どこかへ行こうとする。
 
鳥捕り   :おや、どうかなすったんですか。
車掌    :いや、連絡表をね。取りに行くんですよ。ちょっと、ミスがあったのかも知れない。
鳥捕り   :はっ?
車掌    :あ、いやいや。私の勘違いでしょう。皆さんはそのままどうぞ。
 
        車掌、急いで出て行く。
 
W夜を掘る
 
ジョバンニ :どこへ行くんだろう。
カムパネルラ:決まってるよ。車掌室だ。車掌はいつもそこにいる。
ジョバンニ :なるほど。わっ。
 
        ジョバンニ、じゃらん、じゃらんと大きな音がしたのにおどろいた。
        ジョバンニたち、はっとするがみんな無関心。
 
ジョバンニ :あの音なんですか。
大学士   :又、新しい時が始まるのさ。ふん。いつまでたっても汽車は来ないんだがね。
ジョバンニ :あの時計は?
大学士   :落ち続けてるだろ。我々みたいに。
ジョバンニ :砂が?
大学士   :外に何が落ちるんだ。
ジョバンニ :だって、自分たちみたいにって・・
大学士   :しらんのか?
ジョバンニ :何を?
大学士   :我々は砂だよ。
ジョバンニ :砂?
大学士   :さよう。砂だ。
ジョバンニ :砂・・
大学士   :聞いてなかったのか。さっきの天の川の話。
ジョバンニ :ああ、あれ。
大学士   :我々は皆、あの曹達水のような宇宙をただひたすら落ち続ける一粒の砂なのさ。
ジョバンニ :?
 
        ちょっとした間。
        ジョバンニ、例のわかったふりをしている曖昧なにこにこ笑い。
 
大学士   :ジョバンニ君。
ジョバンニ :(にこにこして)はい。
大学士   :君は、まったくわかっとらんな。
ジョバンニ :(にこにこして)はい。
 
        ちっと舌打ちして。
 
大学士   :全く最近の学校は何やっとるのかね。理科の基礎ぐらいちゃんと教えとけといっとるんだ・・。
ジョバンニ :ぼく、雄しべと雌しべの話なら知ってるよ。
大学士   :はーっ!・・仕方がない。助手。
助手    :はい。
大学士   :掘るぞ!
助手    :えっ。又ですか!
大学士   :ジョバンニ君に砂を見せてやらねばな。支度じゃ。
 
        助手、しかたないなあと。
 
助手    :ジョバンニ君!ほらこれ。(何かを投げてよこす)
ジョバンニ :これなんですか。
助手    :胡桃の実だよ。胡桃の実。
カムパネルラ:胡桃?
助手    :そうだ。僕が掘り出したんだ。
カムパネルラ:掘り出した?
助手    :そうだよ、このように。ホラリリ、ホララ。
 
        猛然と掘り出す助手。
 
大学士   :おいおい、それじゃダメだ、ダメだ。何事も準備というものがある。
助手    :そうでした。
ジョバンニ :準備だって?
カムパネルラ:さあ。
大学士   :ジョバンニ君。よく見るんだぞ!
 
        大学士たち、気合いを入れてスコップを持つ。どこか、時計の針のようなスコップである。
        奇態なしぐさで掘りにかかる二人とその他。
 
助手    :先生、掘りますよーっ!
大学士   :よーし、掘るぞーっ。
一同    :掘って、掘って、掘り抜いて。掘って、掘って掘り抜いて。掘らば、掘りたり、ホラリリ、ホララ!時間の砂の底の底!
大学士   :助手!
助手    :はい!
大学士   :我ら全体何の為に掘っておるのか。
助手    :世界は全体青い透明な砂時計で我らはその中を落ち続ける一粒の砂粒でしかあり得ません。先生、掘りましょう。掘って、掘っ           て、掘り抜きましょう。一粒の砂を探しましょう。
大学士   :よろしい。掘りたまえ、全人格を賭けて掘りたまえ。銀河帝国大学地質学教室。掘って、掘って掘り抜くぞーっ!
助手    :はいっ!
大学士・助手:掘らば、掘りたり、ホラリリ、ホララ!(一同)掘らば、掘りたり、ホラリリ、ホララ!
 
        猛然と掘り出す一同。
        ジョバンニが不安そうに眺めている。大学士、助手、離ればなれになりながら狂乱状態で掘っている。
        がんがん掘っている助手。
        大学士駆け寄りしばきたおす。
 
大学士   :それじゃいけんと言うとろうが。なしてそんなに乱暴すっとね。
 
        と、続いて二三発しばく。
 
助手    :すみません!こうですか。
大学士   :そうだとも。やればできるじゃないか。
助手    :はいっ。
 
        抱き合う二人。麗しい師弟愛。
 
ジョバンニ :あのう。
 
        くるりとジョバンニに振り返り。
 
大学士   :で、ジョバンニ君。
ジョバンニ :あっ、は、はい。
大学士   :クルミがたくさんあっただろう。それはまあ、ざっと120万年ぐらい前からのクルミだ。ここは、120万年前、第三紀の後の頃       は海岸でね。この下からは貝殻も出る。おいおい、そこはつるはしはよしたまえ。ていねいにノミでやってくれ。ノミで。
ジョバンニ :標本にするんですか?
大学士   :いや、確かめるのさ。
ジョバンニ :何を?
大学士   :我らは全体青い透明な砂時計を滑り落ちる一粒の砂にすぎないからね。
ジョバンニ :砂?
大学士   :おいおい、そうじゃない。何度言ったらわかるんだ?さがすにはそれはあんまり乱暴だ。こうだよ。
 
        ホラリリ、ホララ。と教える。ホラリリホララですねと助手、違う、ホラリリ、ホララだ。と大学士、ホラリリ、ホララですねと        助手念を押す。うん。ホラリリホララ。
 
ジョバンニ :でも確かめてどうするんですか?
大学士   :きみも奇態なことを聞くものだね。君は全体何かを確かめたことはないのかね。
ジョバンニ :ありません。
大学士   :近頃の若い者にも困ったものだ。あんな立派な砂時計をもっていながら。いいかい、我らみんななにかをなすために生きている。そ       れなら何かを確かめるしかないだろう。証明だよ、証明。君、落ちてしまった砂はどうなるかわかるかね。
ジョバンニ :いいえ。
大学士   :むひょーっ。だよ。消えてしまうんだ。無だよ。無。・・何もない。どこにも何もない。
ジョバンニ :何もないのをどうやって探すんですか。
大学士   :おわかいの。いい質問だ。掘るのさ。こうやって、掘り続ける。わかったかい、けれども・・おいおい。そこもスコップではいけな       い。すぐその下に肋骨が埋もれているはずじゃないか。
ジョバンニ :あのう。
助手    :先生!
大学士   :どうした。
助手    :砂です。
大学士   :出たか!
助手    :でました!
 
        一同、駆け寄る。手洗い祝福。
 
大学士   :よーし、よくやった。
助手    :これで出発できますね。
大学士   :ああ、やっとな。どれ・・。
ジョバンニ :どこへいくんですか。
助手    :もちろんサウザンクロスだよ。君はいかないのかい。
ジョバンニ :あ、ええ。
助手    :我らずいぶん昔からやっているからねえ。これって、きついんだわ。
ジョバンニ :ずっといかなかったんですか?
助手    :だって、いけないんだよ。時間は流れないし、汽車は出ないからね。
ジョバンニ :えっ、どういうこと。
大学士   :助手!
助手    :はい!
大学士   :違うぞ、これは。
助手    :えっ。砂じゃないんですか。
大学士   :いいや、砂は砂だ。だが、これはひからびている。輝きがない。これでは人生とは言えない。振り出しだな。
助手    :またですか。
大学士   :ま、いいじゃないか。そのうち、きっと掘り当てる。よっし、次だ。次。掘り直し!
助手    :はい。
大学士   :ほら、これは君にあげよう。記念に持っていたらいい。
 
        大学士、ジョバンニへ時の砂を渡す。
 
大学士   :おわかいの。元気でな。
助手    :元気でね。ホラリリホララ。
大学士   :違う。ホラリリ、ホララ。
助手    :ホラリリホララ!
大学士   :さあ、もう一掘りだ。ホラリリホララ!
大学士・助手:掘らば、掘りたり、ホラリリ、ホララ!(一同)掘らば、掘りたり、ホラリリ、ホララ!時間の砂の底の底!
 
        ころっとかわって。
 
大学士   :と言うわけだ。
ジョバンニ :えっ。
大学士   :えっ?て。
ジョバンニ :いや、まあ。ねえ。
カムパネルラ:ねえ。
大学士   :砂なんだよ。問題は。わかるかな。
ジョバンニ :はあ。
大学士   :まあ、いい。そのうちわかる。ホラリリ、ホララさ。
助手    :ホラリリ、ホララ。ねっ。
ジョバンニ :ホラリリ、ホララ?
助手    :そう。
ジョバンニ :(カムパネルラと見合わせ)ホラリリ、ホララ・・?
 
        ますます訳が分からなくなるジョバンニたち。
        また、時計が時を告げる。
        掃除道具を持った車掌が出てくる。
 
X夜の中のザネリ
 
車掌    :新しい時が刻まれました、正しい時間に合わせましょう。
 
        皆、時間を合わせる。
 
ジョバンニ :どうして、時間を皆合わしているの。
車掌    :皆同じ時間だからですよ。
ジョバンニ :え?
車掌    :別れるまでは、みんな同じ時間が流れていますからね。狂ったらことでしょ。
ジョバンニ :はあ。
 
        車掌、掃除をし始める。
 
鳥捕り   :ミスはどうでした。
車掌    :(手を休めて)いや、それがどうもよくわかりません。もう少ししないと。ま、大したことはないでしょうが。
鳥捕り   :なら、いいんですがね。
 
        又、掃除を始める。
 
ジョバンニ :カムパネルラ、わかった?
カムパネルラ:わからない。
ジョバンニ :だよね。・・ねえ、ザネリに聞いてみようか。
カムパネルラ:ああ。
ジョバンニ :(近寄って)ザネリ・・
 
        答えないザネリ。さらにジョバンニ。
 
ジョバンニ :ザネリ。どうしてここにいるんだい。
 
        ザネリ、横向く。
 
ジョバンニ :ねえ、ザネリ。・・ねえ。
 
        ザネリ、こたえない。カムパネルラ、ジョバンニをつついて。やめさせようとする。
        ジョバンニ、肩をすくめ、ほかの所へ行こうとした。
 
ザネリ   :(突然)時刻表、持ってるか。
ジョバンニ :え?
ザネリ   :時刻表だよ。汽車の。
ジョバンニ :そんなのもってないよ。
ザネリ   :持ってないのか。
カムパネルラ:ザネリ、川へ行かなかったのかい。
ザネリ   :川?ああ、川ね。行った。
ジョバンニ :へえ。どうだった。マルソーなんか来てただろ。舟に乗ったのかい。カトーたちと烏瓜流したんだろう。きれいだったかい。ケンタ       ウルス露を降らせ!ザネリ、髪、濡れてるよ。
ザネリ   :うるさいな!
カムパネルラ:ザネリ。
ザネリ   :・・行った。それがどうした。
カムパネルラ:ザネリ、何かあったのかい。
ザネリ   :あるわけないだろ。・・川へ行っただけだ。・・カムパネルラ、そうだろ。
カムパネルラ:え?
ザネリ   :時計持ってるか。
カムパネルラ:持ってないよ。
ザネリ   :やっぱり。
ジョバンニ :君は?
 
        ザネリ、じろっとジョバンニをみる。
 
ジョバンニ :ごめん。・・でも、さっき時刻表って。
ザネリ   :いつでるかと思っただけだ。
カムパネルラ:時刻表がいるのかい。
ザネリ   :ああ、俺の列車を探すんだ。
カムパネルラ:車掌さんに言ったらいいだろう。
ザネリ   :(鼻で笑って)聞いてみたら。
カムパネルラ:車掌さん、すみません。時刻表ありますか?
 
        掃除の手を休めて。
 
車掌    :え?ああ。時刻表ね。どなたのですか?
カムパネルラ:どなたって。
ジョバンニ :時刻表って一つしかないんじゃない。
車掌    :(ちょっと笑って)いいえ。それぞれ違いますよ。乗る人によってね。
ジョバンニ :えー。何で?
車掌    :銀河鉄道ですから。
ジョバンニ :はあ。
カムパネルラ:でも、それって、バラバラで困るんじゃないですか。
車掌    :いいえ。ちっとも。
ジョバンニ :どうして?
車掌    :銀河鉄道ですから。
 
        掃除が終わったようだ。出ていった。
 
ジョバンニ :はあ・・
ザネリ   :わかっただろ。
ジョバンニ :でも、他の人は持ってるのかな。
ザネリ   :しらない。・・ちくしょう。こないな。
カムパネルラ:乗りたいのかい。
ザネリ   :早く行きたいんだよ。
ジョバンニ :それって。えーと。
ザネリ   :サウザンクロス。
ジョバンニ :どうしていきたいの。
ザネリ   :何にも面白いことなんかないじゃないか。・・行くしかないんだ。
ジョバンニ :ケンタウルスの祭面白いよ。
 
        ザネリ、笑う。
 
ジョバンニ :烏瓜ながすのだって面白いよ。ボートに乗るのって面白いよ。面白いことあるじゃないか。
ザネリ   :ジョバンニ、ラッコの上着が来るよ。(笑う)
 
        びくっとするジョバンニ。
 
ザネリ   :バーか。・・見ろ。面白い事なんて何処にもないだろが。
ジョバンニ :だから、ここに来たのかい。どうして、ここが銀河ステーションだなんて知っていたの。
ザネリ   :知る分けないよ。
ジョバンニ :じゃ、どうして来たの。
ザネリ   :・・川へ行ったからさ。
ジョバンニ :え?
ザネリ   :ジョバンニだってそうだろう。
ジョバンニ :何が?
ザネリ   :面白くないから来たんだろう。
ジョバンニ :何を言ってるかわからない。
ザネリ   :みんなはずいぶん走ったけれども遅れてしまった。カムパネルラもずいぶん走ったけれども追いつかなかった。
ジョバンニ :ザネリ・・。やっぱり、髪が濡れてるよ。
ザネリ   :うるせえな!
 
        カムパネルラがさえぎる。
 
カムパネルラ:ジョバンニ・・。
 
        ジョバンニ、あきらめてザネリのそばを離れる。
    
Y夜食
 
        車掌が入ってくる。バスケット一杯のサンドイッチや飲み物を持ってくる。
 
車掌    :皆さん、食事の時間です。簡単なサンドイッチが用意してありますのでどうぞ。
 
        大学士たち、やれやれまたサンドイッチか。能がないのう。などと言いながら、食卓を二卓作る。
        楽しげな食事風景。ザネリはむっつりして、食べたり飲んだりしている。助手と鳥捕りはふざけあっている。大学士は悠然と食べ        ている。車掌は控えている。
        ジョバンニ、カムパネルラは砂時計の前で食べようとしている。
 
ジョバンニ :カムパネルラ、サンドイッチ食べる?
カムパネルラ:ぼくはいいよ。
ジョバンニ :じゃ、僕一口食べよう。
 
        と、一口食べる。
 
ジョバンニ :のどかわいたな。
カムパネルラ:取ってきてあげる。
 
        と、バスケットの所へ行って牛乳瓶を取ってくる。
 
カムパネルラ:ごめん、曹達水なかったよ。牛乳だけど、いいかい。
ジョバンニ :牛乳か。
カムパネルラ:母さんに牛乳瓶もって行かなくてはね。
ジョバンニ :ああ。きっと持っていくよ。
 
        ジョバンニ、牛乳瓶を鞄にしまう。
 
カムパネルラ:飲まないの。
ジョバンニ :母さんに毎日飲ませてやりたいんだ。
カムパネルラ:ジョバンニ、食べるとき母さんと何話してる。
ジョバンニ :普通のことだよ。学校であったこと、アルバイトのこと。遊んだことやとうさんのことやカムパネルラのこと。
カムパネルラ:毎日はなすんだ。
ジョバンニ :毎日はなしてるよ。カムパネルラもだろ。
カムパネルラ:あまりはなさない。
ジョバンニ :ふーん。おかあさん、仕事一筋だもんね。
カムパネルラ:父さんと別れてから特にね。
ジョバンニ :(あわてて)卵サンド食べない。
カムパネルラ:ありがとう。でもいいよ。卵嫌いなんだ。
ジョバンニ :そうか。じゃ、僕食べよう。
カムパネルラ:・・ねえ、ジョバンニ、今日何話したの。
ジョバンニ :今日?今日はね・・・
 
        ジョバンニが話し始める。上手の食卓に母がいる。ジョバンニが帰ってくる。
            
ジョバンニ :母さん。今帰ったよ。具合悪くなかったの。
母1    :ああ、ジョバンニ。今日は涼しくてね。私はずうっと具合がいいよ。
ジョバンニ :母さん。今日は角砂糖を買ってきたよ。牛乳に入れてあげようと思って。
母1    :ああ、お前先にお上がり。あたしはまだ欲しくないから。
ジョバンニ :姉さんはいつ帰ったの。
母1    :ああ、三時頃帰ったよ。そこらをしてくれてね。
ジョバンニ :母さんの牛乳は来ていないんだろうか。
母1    :こなかったろうかねえ。
ジョバンニ :僕行ってとってこよう。
母1    :ああ、あたしはゆっくりでいいんだからお前先にお上がり。
ジョバンニ :では、僕食べよう。
 
        ジョバンニ食べ始める。
        下手の食卓にカムパネルラがいる。カムパネルラの母と食事をしている。静かだ。
 
カムパネルラ:塩。
 
        黙々と食べている。ときどき。パンとか。バター。とか、ありがとうとか。聞こえる。
        カムパネルラ、卵をむき出す。むいてもむいてもうまく行かない。
 
母2    :カムパネルラ。
カムパネルラ:何。
母2    :卵の殻、散らかさないで。
カムパネルラ:うん。・・塩。
母2    :はい。・・卵ばっかりたべるんじゃありません。
カムパネルラ:うん。
母2    :もっと野菜も食べなさい。
カムパネルラ:うん。
カムパネルラ:今度、来るの。
母2    :なに?ああ、あれ。仕事だわ。無理ね。来て欲しいの?
カムパネルラ:・・ううん。そんなことない。ただ、もしかしてこれるかも知れないと思って。
母2    :悪いわね。いつも。
カムパネルラ:いいよ。・・・母さん、スープさめるよ。
母2    :そうね。
 
        カムパネルラ、卵をむき始める。食べる。
        汽笛が遠くで鳴る。
 
母1    :誰かいくんだね・・・。
ジョバンニ :ねえ母さん。
母1    :どうしたの。
ジョバンニ :僕お父さんはきっとまもなく帰ってくると思うよ。
母1    :ああ、あたしもそう思う。けれどもお前はどうしてそう思うの。
ジョバンニ :だってけさの新聞に今年は北の方の漁は大変よかったって書いてあったよ。
母1    :ああ、だけどねえ、お父さんは漁へでていないかもしれない。
ジョバンニ :きっと出ているよ。お父さんが監獄へはいるようなそんな悪いことをしたはずがないんだ。だって、今度はラッコの上着を持ってき       てくれるといったんだ。
母1    :ああ、そうだったねえ。
ジョバンニ :みんなが僕に会うとそれを言うよ。冷やかすように言うんだ。
母1    :カムパネルラさんもかい。
ジョバンニ :カムパネルラは決して言わないよ。カムパネルラはみんながそんなことを言うときには気の毒そうにしている。
母1    :カムパネルラのお父さんとうちのお父さんはちょうどお前たちのように、小さいときからお友達だったそうだよ。
ジョバンニ :ああ、だからお父さんはぼくをつれてカムパネルラのうちにつれていったよ。あの頃はよかったなあ。僕、学校から帰る途中たびた       びカムパネルラの家に寄ったよ。アルコールで走る汽車があった。レールを7つ組み合わせると丸くなってそれに電柱や信号標もつ       いていて、汽車がクルクル回ってる。カムパネルラいったよ。この汽車はどこへ行くんだろうって。どこへも行かないよ。ここを回       ってるだけじゃないかって僕が言ったら、カムパネルラ僕をじっとみて、でも行くんだよ。って言った。
 
        ジョバンニ、また食べ始める。
        カンパネルラの母、食べている。カムパネルラじっと見ていて。
 
カムパネルラ:母さん、又書いてるの。
母2    :ああ。書いてるわ。
カムパネルラ:できは?
母2    :できてみなくちゃ、わからないわ。バターを頂戴。
カムパネルラ:はい。・・どんな本。
母2    :子どもの話よ。
カムパネルラ:子ども?
母2    :ああ、星の海の中を旅する子どもの話。
カムパネルラ:汽車で?
母2    :よく知ってるわね。こっそり読んだの。
カムパネルラ:まさか。なんとなくさ。
母2    :ちゃんと魚も食べなさい。
カムパネルラ:わかってるよ。
 
        カムパネルラ、卵を食べる。
        汽笛が鳴る。
 
母1    :誰か行くんだねえ。
ジョバンニ :ザウエルという黒い犬がいるよ。尻尾がまるで箒のようだ。毎朝、新聞回しに行くだろう。僕が行くと鼻を鳴らしてついてくるよ。       ずうっと町のかどまでついてくる。もっとついてくることもあるよ。今夜はみんなで烏瓜のあかりを川へ流しに行くんだって。きっ       と犬もついていくよ。
母1    :今晩は銀河のお祭りだねえ。
ジョバンニ :ケンタウルス露を降らせ!・・うん。僕、牛乳を取りながらみてくるよ。それと学校に忘れ物をしたからね。
母1    :ああ行っておいで。川へは入らないでね。
ジョバンニ :ああぼく、カムパネルラと見るだけなんだ。一時間で行って来るよ。
母1    :もっと遊んでおいで。カムパネルラさんといっしょなら心配はないから。
ジョバンニ :・・では。一時間半で帰ってくるよ。
 
        ジョバンニが消える。
 
カムパネルラ:・・ねえ、ケンタウルスの祭には行けるの。
母2    :コーヒーを入れてくれる。
 
        カムパネルラ、コーヒーを入れにたつ。
 
カムパネルラ:どうなの。
母2    :そうね。
カムパネルラ:ジョバンニと約束したよ。
母2    :当てにならない約束はするものじゃないわ。
カムパネルラ:けれど。
母2    :いちばん忙しい時よ。
カムパネルラ:だめか。
母2    :多分ね。
カムパネルラ:わかった。
母2    :いい子ね。
カムパネルラ:僕、そんなにいい子じゃないよ。
母2    :母さんにとってはいい子よ。
カムパネルラ:本当に。
母2    :もういいから。勉強しなさい。するべきことをする。これが本当のいい子。
カムパネルラ:コーヒー要らないの。
母2    :もういいわ。
カムパネルラ:母さんの本読みたいな。
母2    :いいわ。できたらね。
カムパネルラ:ああ、できたら・・
 
        情景が急速に遠くなる。ジョバンニの声が聞こえる。
        食卓は片づけられている。
        ジョバンニの所へ来るカムパネルラ。
 
ジョバンニ :でも、やっぱり父さんが帰ってくるといいな。ラッコの上着を買ってきてくれると言ったんだ。
カムパネルラ:ああ、きっと買ってきてくれるよ。
ジョバンニ :そうだね。・・ね、手を見せて。
カムパネルラ:手?こう。
 
        手を合わせる。
 
ジョバンニ :ほら、大きくなってるだろう。去年よりずいぶん大きくなっている。
カムパネルラ:ほんとだ。
ジョバンニ :帰ってきたら、思いっきり握手するんだ。
カムパネルラ:思いっきり。
ジョバンニ :でも、時々父さん帰ってこないんじゃないかって気がするときがあるよ。汽笛が鳴るだろう。
 
        汽笛が鳴る。
 
ジョバンニ :ああ、汽車の音だ。すると誰かいるんだ。どこだろう。誰か、帰って来るんだろうか。・・・父さんも早く帰ってくればい           いのに。ああ、父さん帰ってきたら僕何といおう。おかえりなさい。ラッコの上着は?・・ああだめだ。これじゃまるでぼくはラッ       コの上着の帰りを待ってるみたいだ。・・そうだ、こうしよう。ノックの音がする。父さんがドアを開ける。僕は何気なさそうにこ       ういうんだ。お帰り父さん。母さんが待ってるよ。そうして、僕は父さんのあの温かい大きな手を握るんだ。ほら、僕はもう、こん       なに手が大きくなったよ。父さんと握手できるほどね。そうして、・・・・・誰。
 
        影がいる。
 
ジョバンニ :カムパネルラ?・・ザネリかい?・・いいや。違う。・・誰?もしかして・・・父さん?・・そんなはずないよね。そんな           はずない。・・けれど、・・・父さんなの。・・・・父さんでしょう・・・父さん!
 
        影行こうとする。
 
ジョバンニ :まって。父さん、どうして行くの。帰ってきたんじゃないの。北の漁終わったよね。帰ってきたんだよね。ラッコの上着か           ってきたんだよね。・・ねえ、返事してよ。父さん。ぼくもう、父さんと握手ができるよ。ほら!
 
        幻の父去る。
 
ジョバンニ :いかないで。どこにも行かないで。行っちゃダメだ。父さん!
    
        汽車の音。「ジョバンニ、ラッコの上着が来るよ」
    
カムパネルラ:そんなことないよ!
ジョバンニ :カムパネルラ・・。
カムパネルラ:そんなことない。絶対帰ってくる。絶対帰ってくるよ。
ジョバンニ :ありがとう。
 
Z夜の蠍
 
        ジリリリという大きな目覚まし時計の音。
 
ジョバンニ :なに、あれ。
車掌    :来たかな。
 
        と言って、去る。
        外で、いや、遅かったね、とか船が沈んでとか言う声があって。
        車掌と一緒に、でっかい目覚まし時計を持った少女が登場
 
マヤ    :ハイ。
 
        と、皆に挨拶。皆もハイと適当に。
 
マヤ    :あなた達も行くの。
ジョバンニ :あ、ああ。
少女    :私、マヤ。あなたは。
カムパネルラ:カムパネルラ。
ジョバンニ :ジョバンニというよ。
マヤ    :なかなかこないでしょ。
ジョバンニ :そうだね。・・ねえ、君。
マヤ    :マヤと呼んで。
ジョバンニ :マヤ。それ何。
マヤ    :これ?目覚まし時計よ。何だと思ってるの。
ジョバンニ :でも。
マヤ    :大きいから変というわけ?
ジョバンニ :重くない?
マヤ    :そりゃ重いわよ。
ジョバンニ :じゃなぜ。
マヤ    :だって、私の時間だもの。人生の重荷という訳よ。
ジョバンニ :私の時間?ああ、時計ね。
マヤ    :私だけじゃ不公平よ。あなたの時計は?
ジョバンニ :え?
カムパネルラ:砂時計のことだよ。
ジョバンニ :砂時計?
マヤ    :わっ、すごい。砂時計なの、ねっ。見せて、見せて。
ジョバンニ :こんなのだよ。
 
        ポケットから取り出す。砂が落ちている。
 
マヤ    :すっごーい。初めてだ。さすがね。
ジョバンニ :えっ、何がさすがなの。
マヤ    :えっ。知らないの?
ジョバンニ :何を。
マヤ    :時計はその人なのよ。
ジョバンニ :は?
マヤ    :時間そのものよ。その人の。
ジョバンニ :え?
マヤ    :時刻表に詳しく書いてあるじゃない。
ジョバンニ :時刻表?
マヤ    :ほら。
 
        と、小さい本を出す。聖書みたいだ。
 
ジョバンニ :見せて。
マヤ    :ダメよ。これ、私のだから。あなたが見ても読めないわ。
ジョバンニ :ほんとに?
マヤ    :ほら。
 
        と手渡されたが、本当に読めない。
 
ジョバンニ :ほんとうだ。何書いてあるかわからない。
マヤ    :だって、その人の時間が書いてあるんだもの。あなたほんとに持ってないの。
ジョバンニ :え、でも・・カムパネルラ、そんなのもらったっけ。
カムパネルラ:・・うん。僕は母さんにもらった・・でも、君には必要ないんだ。
ジョバンニ :どうして。
カムパネルラ:君には、砂時計があるからね。
ジョバンニ :え。
マヤ    :ま、どっちでもいいじゃない。とにかく、これは私の時間。ほら見て、蠍よ。美しいでしょう。私の星なの。
ジョバンニ :私の星?星占いって事?
マヤ    :いいえ、違うわ。
ジョバンニ :星占いじゃないっていうと、なんだい。
マヤ    :だから、私の時間よ。あなたは何?
ジョバンニ :え、このこと?(と、砂時計を示す)
マヤ    :それは、切符。私の言ってるのは物語。
ジョバンニ :切符?
マヤ    :あれ見て。
ジョバンニ :赤い火が燃えてる。
カムパネルラ:蠍だね。
マヤ    :蠍が焼けて死んだのよ。その火が今も燃えてるの。
ジョバンニ :蠍って虫だろう。
マヤ    :そうよ。蠍、いい虫よ。
ジョバンニ :蠍いい虫じゃないよ。僕、博物館でアルコールに漬けてあるの見たよ。尾にこんな鈎があって、それで刺されると死ぬって先生言っ       たよ。
マヤ    :だけどいい虫なの。聞いて。昔バルドラの野原にね、一匹の蠍がいて、小さな虫やなんか殺して生きていたの。ある日いたちに見つ       かって食べられそうになったの。蠍は一生懸命逃げて逃げたけどとうとういたちに押さえられそうになったわ。その時いきなり前に       井戸があって、その中に落ちてしまったわ。
 
        明かりが落ちてくる。
 
マヤ    :もう、どうしてもあがられないで、蠍は溺れ始めたの。その時蠍は、こう言ってお祈りし始めたの。ああ、私は今までいくつもの・       ・・
 
        シルエットになる。重なって。
 
全員    :今までいくつもの命を取ったかわからない。そしてその私が今度いたちに取られようとした時はあんなに一生懸命逃げた。それでも       とうとうこんなになってしまった。ああ、どうして私は私の身体を黙っていたちにくれてやらなかったろう。
 
        ボーっとカムパネルラが浮かぶ。
 
全員    :そしたらいたちも一日生き延びただろうに。
カムパネルラ:どうか神様。こんなにむなしく命を捨てず、どうかこの次には、まことのみんなの幸いのために私の身体をお使い下さい。
マヤ    :って、言ったの。
 
        パンと明るくなる。
 
マヤ    :そしたら、いつか蠍は自分の身体が真っ赤な美しい火になって燃え、夜の闇を照らしているのを見たのよ。あの火が蠍の火よ。私の       物語よ
ジョバンニ :物語。
マヤ    :そう、誰も持ってるわ。ほんとに持ってないの?
ジョバンニ :(ばつが悪そう)う。うん・・
マヤ    :誰もが一冊持ってるはずなんだけど。
ジョバンニ :どうして?
大学士   :だって、我らは一冊の本でしかないからねえ。
ジョバンニ :本!?
大学士   :世界はいわばでっかい図書館だ。
助手    :僕の人生、君の人生、君の本。僕の本。
大学士   :我らは、いつまでも一人だ。考えてみたまえ。我らはたった一人で生まれ、たった一人で死んでゆく。人は一生、自分の本を書くこ       としかできない。
助手    :でも、読むことはできるからね。聞いて御覧。
ジョバンニ :なにを。
大学士   :決まっているだろう。砂の落ちる音だよ。
助手    :砂の落ちる音。ほら。
 
        明かりがやや落ちる。
        ジョバンニ、耳を澄ます。砂の落ちる音。
 
大学士   :そうすれば、我らは本の中から抜け出し、銀河の声を聞くことができる。ジョバンニ君、なんと世界はとても美しいじゃないか。
 
        耳を澄ます、ジョバンニ。
        と、砂の音に混じって、ケンタウルス露を降らせ。
 
ジョバンニ :本当だ。
 
        と、ジョバンニ、ラッコの上着が来るよ。はっとする、ジョバンニ。かぶさって。
 
[いつかきっと飛ぶ夜
 
        じゃらんじゃらんと音がする。時が変わる。
        バサバサバサという羽ばたきの音。
 
ジョバンニ :何?
車掌    :皆さん、渡り鳥の時が来ました。
大学士   :君の出番だよ。
鳥捕り   :生きのいい奴がとれるといいんですがね。
助手    :こんどはインチキじゃない奴がいいけどね。
マヤ    :せいぜい、がんばんなさい。
 
        一同、笑う。
 
鳥捕り   :なかなか、本物には・・
 
        と、首を振りふり、去る。
 
ジョバンニ :何処へ行くんです。
助手    :渡り鳥を捕りにだよ。
ジョバンニ :へー。
大学士   :サウザンクロスへわたって行くのさ。
ジョバンニ :捕って、どうするんです。
助手    :(笑う)捕ってからのお楽しみ。
ジョバンニ :ええ?
マヤ    :すぐ帰ってくるわよ。からっきし下手だから。(笑う)
ジョバンニ :はあ。
助手    :石炭袋に逃げ込まれるのが落ちでね。(笑う)
ジョバンニ :何が。
マヤ    :鳥よ。
ジョバンニ :石炭袋?
大学士   :銀河帝国大学地質学教室公認ブラックホールだな。
ジョバンニ :ブラックホール?
助手    :何でもかんでも飲み込んでしまう穴だよ。
マヤ    :いったん落ちたら、底なしなんだから。
ジョバンニ :渡り鳥がブラックホールへ?
大学士   :捕まえられるよりはいいだろう。
ザネリ   :鳥だって、一生懸命飛んでるんだ。
ジョバンニ :ザネリ。
ザネリ   :飛びたいから飛んでんだ。それだけさ。
ジョバンニ :どういうこと。
ザネリ   :石炭袋の先のことなんか、かんがえてやしねえよ。
カムパネルラ:そうだね。先のことなんか考えてたら飛べやしないもの。僕だってそうだ。
ジョバンニ :どういうこと。    
鳥捕り   :飛んで、飛んで、飛んで、・・・・
ジョバンニ :もう帰ってきた!
 
        鳥捕り、ずっしりと重い袋を下げている。
 
鳥捕り   :あー、大漁、大漁。
助手    :安い奴ばかりでしょうね。
マヤ    :粗悪品のオンパレードよ。
助手    :腕だよね、問題は。
鳥捕り   :失礼な。銀河一の鳥捕り様を捕まえて。
ジョバンニ :袋の中に何入っているの。
鳥捕り   :見てみたい?
ジョバンニ :うん。
鳥捕り   :とれとれだからね。
ジョバンニ :何が?
鳥捕り   :もちろん時計だよ。
ジョバンニ :は?
 
        鳥捕り、袋の中身をぶちまける。大小さまざまな時計が転がり落ちる。
 
カムパネルラ:すごい。
ジョバンニ :これ、全部時計?
鳥捕り   :そうさ。さっき捕ったばかりだ。
ジョバンニ :捕った?拾ったんじゃないの。
鳥捕り   :何いってんだ。拾えるわけないだろう。捕まえるんだよ。
ジョバンニ :捕まえる?
鳥捕り   :このようにさ。
 
        バサバサバサという羽ばたきの音。
 
鳥捕り   :ほら通ってる。
 
        人々鳥になって、駆けめぐる。
 
ジョバンニ :あれは何?
カムパネルラ:渡り鳥だ。
鳥捕り   :サウザンクロスへ渡るんだよ。
 
        と、見る間にすっくと立ち、両手を広げて叫ぶ。
 
鳥捕り   :今こそ、わたれ渡り鳥!今こそわたれ、渡り鳥!
ジョバンニ :すごい!
 
        バサバサ、ギャアザャアという声がひとしきり、色彩がめくるめくと、時計がいっぱい鳥捕りのまわりに落ちてきた。
        声が遠のく。時計を拾い集めながら。
 
鳥捕り   :ざっと、こんなものさ。
ジョバンニ :何で?!
鳥捕り   :ものをしらないって言うのは困ったものだ。ならわなかったのかね鳥の仕組みを。
ジョバンニ :鳥の仕組み?カムパネルラ、わかる?
カムパネルラ:なんだろう。
鳥捕り   :おやおや。時計だよ。鳥が持ってる時計に決まっているだろう。
ジョバンニ :鳥の時計?
カムパネルラ:分かった。ジョバンニ。
ジョバンニ :え、何?
カムパネルラ:胎内時計のことでしょう?
ジョバンニ :胎内時計?
鳥捕り   :はっはっ。こちらの坊ちゃんはなかなか勉強しておるな。
ジョバンニ :悪かったですね。胎内時計って何ですか?
鳥捕り   :渡り鳥が皆持ってる時計だよ。渡り鳥は体の中に時計をもっいる。その時計を使って、サウザンクロスへ渡るのさ。
ジョバンニ :へーえ。鳥がねえ。
鳥捕り   :そのおかげで時計がなくても自然に1日が分かり、渡りの季節が分かるのというわけだ。
ジョバンニ :便利だね。
鳥捕り   :そうだ。
ジョバンニ :でも、どうして鳥の時計を捕るの?
鳥捕り   :鳥は渡る時を知っているからね。我々もいつかは飛ばねばならない、そのときを探しているのさ。
ジョバンニ :そんなことで分かるの?
鳥捕り   :分かれば世話はないんだ。みろ。これ。つまらん、安物の時計ばかりだ。
ジョバンニ :でも、きれいだよ。ねえ、カムパネルラ。
カムパネルラ:そうだね。
鳥捕り   :きれいなだけで、安物の時間ばっかり流れてる。
ジョバンニ :安物の時間?
鳥捕り   :ああ、本当の時間などないかもしれんなあ。
ジョバンニ :本当の時間て?
鳥捕り   :みなそれぞれの時間だよ。うん。なかなかないものさ。
ジョバンニ :カムパネルラ、分かる?
カムパネルラ:さあ。
鳥捕り   :君たちだって、やがては飛ぶんだよ。
ジョバンニ :え?
鳥捕り   :子どもは誰だっていつかは飛ばなければならないからね。そのために、時計を探しているんだからね。
ジョバンニ :はあ。
車掌    :君も飛ぶんですよ。
ジョバンニ :え。
車掌    :遅かれ早かれ飛ばなければならない夜は来るんですから。
ザネリ   :飛べなんかしないよ。
ジョバンニ :ザネリ。
車掌    :ザネリさん?
大学士   :これは、ザネリ君。どうして、飛べないって思うのかな。
ザネリ   :それは決してみんな本当のことなんか言わないからだ。
大学士   :本当のことね。                   
車掌    :本当のこと・・これは・・
助手    :どうしました?
車掌    :確かめてきます。・・ミスがね。
 
        と、そそくさと去った。どうしたんだ、さあと一同やっている。
 
\夜を落ちる砂
 
        ザネリはかまわず。
 
ザネリ   :誰だって、飛びたくなんかないんだ。
ジョバンニ :でも、ザネリ、銀河鉄道に乗りたいって言ったじゃないか。
ザネリ   :ああ、いったよ。
ジョバンニ :なら。
ザネリ   :もういいんだよ。何だって、もういいんだ。
ジョバンニ :ザネリ。
ザネリ   :みんな、立て前ばかりだ。・・・みんなそんなこと知ってる。だから、当たり障りないこと言ってるだけだ。そうだろう。
ジョバンニ :でも、当たり前のことだよ。
ザネリ   :当たり前?
ジョバンニ :ああ、本当のことだよ。
ザネリ   :本当の事ってのはこう言うことだよ。みんな思ってることだよ。例えば頭いいことが値打ちあるって思っていることだよ。
ジョバンニ :頭が良かったって、心が冷たきゃだめだよ。
ザネリ   :そうか。ほんとにそうか?誰がそんなこと決めたんだ。法律で決めたか。神様決めたか。
ジョバンニ :誰も決めない。けれど、みんな知っている。
ザネリ   :ほんとうか。ジョバンニ、毎日そうか。お前いじめられてるだろう。心みんな暖かいか。そんなことないだろう。
ジョバンニ :それでも、そんなこといってはいけないって母さん言うよ。
ザネリ   :じゃ、母さんに聞いて見ろよ。外見が立派で頭よいひとって値打ちがないか聞いて見ろよ。
ジョバンニ :そんなこと言ってやしない。母さん、いつも言うよ。心が温かい人が本当にいい人だからって。
ザネリ   :じゃ、母さんこんな事言ったこと無いか思い出してみろよ。「宿題やったの」「こんな点じゃだめでしょ」「自分のやるべき事をや       りなさい」「何回言ったらわかるの」「もうおかあさん知らないわ」聞いてみろよ。言ったことないかって聞いてみろよ。
ジョバンニ :母さんは言わない。
カムパネルラ:・・僕は聞いた。
 
        はっとするジョバンニ。
 
ジョバンニ :カムパネルラ・・。
カムパネルラ:(暗く笑い)僕は聞いたことがあるよ。
ザネリ   :そうだろう。カムパネルラだってそうなんだ。本当は、みんなそうなんだ。
ジョバンニ :違うよ。本当は、みんな違うよ。
ザネリ   :違わない。みんな、本当はこうなんだ。考えて見ろよ。お前、おどおどしてないか。すぐいじけて、すねて、黙ってしまわないか。       気にいらねえと陰で悪口いわねえか。自分より力ある奴許せないだろう。賢い奴うらやましいだろう。そうだよ、みんなそうだろう。
ジョバンニ :ザネリ。どうしたの本当に。
ザネリ   :どうもしないよ。本音って言うヤツを言ってるだけだ。それだけだよ。
ジョバンニ :ザネリ、あきらめてる。
ザネリ   :あきらめてる?何を。
ジョバンニ :何もかも。
ザネリ   :ジョバンニ、そう見えるか。
ジョバンニ :そうだよ。
ザネリ   :なら、そうだろ。
ジョバンニ :どうして。
ザネリ   :理由?どうでもいいだろ。
ジョバンニ :よくない。
ザネリ   :うるせえな。
ジョバンニ :言ってよ。
ザネリ   :じゃあ。言ってやらあ。ラッコの上着だよ。
 
        ジョバンニ、はっとする。
 
ジョバンニ :いうな。
ザネリ   :どうして。今、いえって言ったじゃないか。
ジョバンニ :父さんのことを言うな。
ザネリ   :おれは言いたいんだ。本当のこと言って何が悪いんだよ。ジョバンニ、ラッコの上着が       来るよ!
ジョバンニ :やめろ。
ザネリ   :やめねえよ。ジョバンニ、ラッコの上着が来るよ!ラッコの上着が来るよ!ラッコの上着が来るよ!
ジョバンニ :やめろ!
 
        人々、ラッコの上着が来るよ。ジョバンニ、ザネリに飛びかかる。
        取っ組み合いになるが、ザネリ、言うのをやめない。人々、回りを取り囲みラッコの上着が来るよ!
        カムパネルラ、見かねて割ってはいり、引き離す。人々。散らばる。
        倒れているザネリ。息切らして、唇切っている、ジョバンニ。
 
カムパネルラ:ジョバンニ、・・唇。
ジョバンニ :何でもないよ。ザネリ・・まだ言うか。
ザネリ   :気持ちいいだろ。
ジョバンニ :何。
ザネリ   :殴ったら気持ちいいだろ。そうだろ。すかっとするだろ。
ジョバンニ :そんなことない。僕は。
ザネリ   :僕は何だよ。はっきり言えよ。もっと殴りたいんだろ。え。ジョバンニ。ラッコの上着が来るよ!
 
        ジョバンニ、殴ろうとするがこらえる。
 
ザネリ   :どうした。ジョバンニ、殴れば気が済むだろう。どうした。なぜ殴らない。弱虫!認めろよ!ジョバンニ、ラッコの上着が来るよ!
ジョバンニ :それがどうした!
ザネリ   :ジョバンニ、ラッコの上着が来るよ!
ジョバンニ :いいたきゃ、言えば!・・僕殴らない。僕殴らない。
ザネリ   :弱虫!
ジョバンニ :ああ、弱虫さ。僕は弱虫さ。君はなんだい。
ザネリ   :おれは・・
ジョバンニ :君こそ弱虫だ。本当のことだって、言っちゃいけない事ってあるよ。
ザネリ   :そんなのインチキじゃねえか。本当のこといえないってインチキじゃねえか!
ジョバンニ :インチキでも本当の事ってあるよ!
カムパネルラ:待って!・・静かに。
 
        一同、止まる。
        曹達水の夏の音が聞こえて。
 
カムパネルラ:砂だ・・・。
 
        幻の砂が落ちてくる。白いさらさらした砂が、青く色づいて落ちてくる。後から、後から落ちてくる。際限もなく。
        一同、しんとする。
 
ジョバンニ :どこに。
カムパネルラ:ここだよ。ほら。
 
        カムパネルラ、砂を手で受ける。
        耳すますカムパネルラ。ジョバンニも幻の砂の落ちる音を聞こうとする。
 
カムパネルラ:砂の声が聞こえる。
ジョバンニ :どんな声。
カムパネルラ:苦しいよ。しんどいよ。助けてよって。・・でも、ダメなんだ。砂は、本当に一粒ずつ落ちているだけだ。あんなに固まっているの       に、バラバラバラバラ落ちている。まっすぐに落ちている。
ザネリ   :砂がどうしたって。
カムパネルラ:砂だよ。ザネリ。砂なんだ。
ザネリ   :何が?
カムパネルラ:君だよ。
ザネリ   :俺が。
カムパネルラ:僕だって、この砂だ。ジョバンニだって、この砂だ。
ジョバンニ :・・砂。
 
        ジョバンニ、おそるおそる手を伸ばそうとするが。
        ガラスがパキーンと割れるような音がして。はっとして、引っ込めたジョバンニの手には砂が残らない。
        砂の落ちるのが止まった。
 
ジョバンニ :・・止まった。
カムパネルラ:みんなが砂だ。独りぽっちのバラバラの砂だ。
ジョバンニ :一緒にいても。
カムパネルラ:一緒にいても。
ザネリ   :お前なんか、元々一人ぽっちだろうが。
ジョバンニ :・・そうだ。僕は一人だ。・・でも、カムパネルラがいる。母さんがいる。
ザネリ   :だから何だ。
ジョバンニ :だから、寂しくないよ。
ザネリ   :寂しくない?(笑う)それはようございましたねえ。
ジョバンニ :ザネリ、ひねくれてるよ。
ザネリ   :ああ、そうだとも、ひねくれてるよ。曲がってるよ。誰だって曲がってる。曲がって曲がって道なんか見えやしない。それが本当っ       てヤツだよ。目を背けずに見て見ろよ。お前の父さん刑務所に入ってるのみんな知っているって見て見ろよ!
 
        空気が凍り付く。
        苦しげなジョバンニ。やがて、大きく息をする。
 
ジョバンニ :砂をごらんよ。砂はまっすぐに落ちていた。みんなまっすぐに落ち続けていた。誰だって本当の幸いをめざして、まっすぐに落ちて       いるんだ。
ザネリ   :そんなことを信じているのか。
ジョバンニ :信じてるんじゃない、知ってるんだ。
ザネリ   :ジョバンニ、ラッコの上着が来るよ。
 
        ジョバンニ、こらえる。
 
ジョバンニ :そうだよ。父さんが持って来るんだ。僕はそれを知っている。
ザネリ   :父さん舟に乗ってないじゃないか。
ジョバンニ :父さんは、きっと持ってくる。僕はそれを知っている。
ザネリ   :どうして、そんなこと言えるんだ。え、どうして言えるんだ。
ジョバンニ :僕は父さんが好きだ。そして、父さんも僕が好きだ。僕はそれを知っている。
ザネリ   :どうして、父さんがお前を好きだって信じられる。
ジョバンニ :これは、事実だよ。僕はそれを知っている。
ザネリ   :事実?父さんいないくせに。
ジョバンニ :僕は確かに一人だ。けれど人もみんな一人だ。カムパネルラもザネリも一人だ。だから、僕は全部許せる。どんなことがあっても父       さんは帰ってくる。僕はそれを知っている。・・これは本当の事だよ。
 
        ザネリ、ジョバンニをにらんでいる。ふるえるのが分かる。ジョバンニも必死で見ている。
        やがて、ふっと目をそらすザネリ。
 
ザネリ   :・・本当だな。
ジョバンニ :本当だよ。
ザネリ   :・・本当か・・。
カムパネルラ:本当だろうか。
 
        カムパネルラがぽつりと言った。衝撃がジョバンニに走る。ザネリも揺れる。
 
]カムパネルラの夜
 
ジョバンニ :カムパネルラ!
カムパネルラ:本当に本当だろうか。
ジョバンニ :何言ってるのカムパネルラ。
カムパネルラ:きみは父さんが帰ってくるのを信じてる。
ジョバンニ :ちがうよ。知ってるんだ。
カムパネルラ:(聞かず)母さんにだって、何もかも話してる。君は一人だけど、つながっている。君はそうだろう。君は知っている。けれど、僕       は知らない。分からない。
ジョバンニ :カムパネルラ・・
カムパネルラ:ザネリの言うこと僕にはよく分かる。ザネリ、信じたいんだ・・
 
        ザネリ、そっぽ向く。
 
カムパネルラ:信じたいんだ。・・・・
 
        母が浮かぶ。
 
カムパネルラ:お母さん。
母     :・・・・
カムパネルラ:お母さん。僕は立派な人にはなれそうもない。聞いてる。
母     :・・・
カムパネルラ:お母さん、僕を良い子だと言ったよね。言ったよね。
母     :・・・
カムパネルラ:本当にそうなの。・・・返事をしてよ。お願いだから返事をしてよ。
母     :・・・
カムパネルラ:僕はこのままではどこにもいけやしないよ。返事をして。
母     :お前はいい子ですよ。
カムパネルラ:うそだ。ぼくがもうダメなことわかってるはずだろ。これ以上無理だよ。
母     :誰だって、そんなときがあるものよ。がんばれば何とかなるものです。
カムパネルラ:がんばれないよ。もう限界だ。
母     :そんなことを言うものではありません。
人々    :そんなことを言うものではありません。
母     :人間あきらめてしまえばそれでおしまい。そうでしょう。自分のやりたいことをやるには苦しいときこそ一番がんばらなければね。       お前ならできるわ。
人々    :お前ならできるわ。
母     :お前はそれだけのものを持っているんだもの。
カムパネルラ:そんなことを言わないで。
母     :お前はそんな子じゃないはずよ。やればできるはずです。自分を卑しめるんじゃありません。
カムパネルラ:わかってない、お母さんは何もわかっていない。
母     :そんなことはありませんよ。お前のことは一番よくわかっています。
人々    :分かっています。
カムパネルラ:誰だって、自分のことしかわからない。お母さんだって、僕のことはわからない。
母     :そんなことはありません。
人々    :そんなことはありません。
カムパネルラ:そんなことあるよ。
母     :私の子です、そんなことはありません。
人々    :そんなことはありません。
カムパネルラ:では。
母     :何のこと。
カムパネルラ:ザウエルどうしたの。なぜやってしまったのさ。
母     :あれはおまえには必要ないでしょう。おまえがそう言ったじゃありませんか。
カムパネルラ:ああ、いったよ。だからってやることないじゃないか。
母     :わからないわ。ザウエル嫌いじゃなかったの。
カムパネルラ:大好きだよ!だから、・・だから・・もう、いいよ。
母     :いい子ね。
人々    :いい子だ。
ザネリ   :いい子なんか、クソくらえさ。
       
        ザネリ、まだ迷っている。
 
カムパネルラ:そうだ。いい子なんかクソくらえさ。僕は・・
 
        じゃらん、じゃらんと音がする。砂時計が回転する。
 
ザネリ   :そうして、おまけに時刻表なんか持ってないんだ。(笑う)
カムパネルラ:・・返してあげる。
ザネリ   :え?
ジョバンニ :カムパネルラ・・・
カムパネルラ:返してあげるよ。
ザネリ   :えっ、何を・・・
カムパネルラ:返してあげる、ザネリ。僕は知らなければならない。
ザネリ   :カムパネルラ・・・
ジョバンニ :何言ってるの、カムパネルラ。
車掌    :申し訳ありません。こちらのミスのようです。カムパネルラさん。手続きが・・
 
        と、車掌が入ってくるが。
 
カムパネルラ:ボートが転覆したんだ。
ザネリ   :ボートが・・・。
車掌    :カムパネルラさん。
 
        ケンタウルスの祭の音楽が遠く聞こえる。
 
カムパネルラ:ボートが転覆したんだ。
ザネリ   :そうだ、ボートが転覆した。
カムパネルラ:ケンタウルスの祭りの夜。
ザネリ   :ケンタウルスの祭りの夜。
カムパネルラ:ケンタウルスの祭の夜ボートが転覆した。
人々    :ケンタウルスの祭の夜ボートが転覆した。
 
        ケンタウルスの祭の音楽大きくなる。
 
カムパネルラ:危ない、ザネリ!
 
        ザネリ川へ落ちる。
 
ザネリ   :助けて、カムパネルラ!
 
        ケンタウルスの音楽大きくなる中、スローモーションで。
        川岸を右往左往している人々。
        溺れてもがき苦しむザネリ。
        カムパネルラ、立つ。
 
カムパネルラ:お母さんは僕を許してくださるだろうか。・・・お母さん・・ぼくは行くよ。
    
        ケンタウルスの祭の音楽さらにおおきくなった。
        飛び込む、カムパネルラ。ゆっくりと本を差し出す。
        人々の差しだす手の輪の中で本はあたかも命のようにカムパネルラからザネリの手へと渡されザネリは救われる。
        音楽がパンと切れて静寂がある。
        人々呆然として、うなだれたり、座ったりしている。
        母がいる。感情のない声がぼそぼそと聞こえる。
 
母     :もう駄目ですね。落ちてから45分たちましたから。
 
        カムパネルラ、呆然と立っている。
 
カムパネルラ:母さん。
母     :もう結構です。ありがとうございました。
カムパネルラ:母さん。僕ここにいるよ。聞こえないの。
母     :皆さんももうお引きとり下さい。
カムパネルラ:母さん、何言ってるの。僕は此処にいるじゃないか。
母     :はい。もう駄目です。落ちてから45分立ちましたから。
カムパネルラ:そんなこといわないで。もうだめかどうかわからないじゃないか。
母     :あなたはジョバンニ君ですね、今晩はありがとう。
カムパネルラ:どうして、そんなに、がまんしていられるの。
母     :あなたのお父さんはもう帰っていますか。
カムパネルラ:どうして、そんなに平気でいられるの。
母     :どうしたのでしょうね、私どもには一昨日たいへん元気な便りがあったんですよ。
カムパネルラ:どうしてそんなに、嘘をついていられるの。ジョバンニのお父さんが刑務所に入ってるの誰だって知ってるよ。
母     :今日あたりもう着くころでしょうけど。船が遅れたんですね。
カムパネルラ:どうして、そんなに優しくしてられるの。
母     :ありがとう、よくしてくれて。カムパネルラも幸せです。
カムパネルラ:どうして、そんなに、我慢できるの。
母     :ジョバンニさん、あした放課後みなさんとうちへ遊びにきて下さいね。
カムパネルラ:お母さん。
母     :ありがとう。どうもありがとう。
カムパネルラ:お母さん。お母さん!
母     :では、さようなら。
カムパネルラ:僕の声が聞こえないの。僕は、ここにいるよ。そんなところじゃない。僕はここにいるよ。ごめんなさいお母さん。僕は本当はお母       さんが大好きだ。ほら、ぼくの心臓の音を聞いてよ。こんなにどきどきしているんだ。もう苦しくて、だから、答えてよ。僕の名前       を呼んでよ!お母さーん!
 
]T銀河鉄道の夜
 
        待合い室に戻っている。悄然と立つカムパネルラ。
        呆然としているジョバンニ。難しい顔をしている車掌。
 
ジョバンニ :カムパネルラ・・。
車掌    :間違っていたんです。これが、正しい時間なのです。
ジョバンニ :でも。
車掌    :時刻表がなかったものでね。間違った時間では汽車は来ません。カムパネルラさんは、正しい時間に戻ったのです。汽車はまもなく       来ましょう。これが、最終便です。皆さんそれではよろしいでしょうか。時計を忘れずに。まもなく発車します。
 
        車掌、去る。
 
カムパネルラ:時間だね。
 
        ジョバンニ、はっとする。
 
ジョバンニ :えっ。
 
        間。
 
カムパネルラ:・・ジョバンニ、あれが見えるかい。
ジョバンニ :何が。
カムパネルラ:あの、サウザンクロスの向こう側。
ジョバンニ :あれは・・・
カムパネルラ:石炭袋だ。
ジョバンニ :石炭袋・・
ジョバンニ :真っ暗だ。何もないよ。
カムパネルラ:ああ、何もないだろう。けれどあるんだ。あの向こうに。
ジョバンニ :何が?
カムパネルラ:本当の幸い。
ジョバンニ :本当の幸い?
カムパネルラ:ああ、本当の幸い。
ジョバンニ :あんな暗い穴の向こうに?
カムパネルラ:そうだ、みんなはあの暗い穴の向こうを通って本当の幸いへ歩くんだ。
ジョバンニ :カムパネルラゆくの?
カムパネルラ:僕は知りたいんだ。・・・おかあさんは僕を許して下さるだろうか。
 
        汽笛が微かに聞こえる。
 
ジョバンニ :汽車だ。
カムパネルラ:ああ、やっと来た。
ジョバンニ :僕も行くよ。
カムパネルラ:(優しく)僕だけが行くんだよ。
ジョバンニ :えっ。
カムパネルラ:ジョバンニ。いつも一緒だったよね。
ジョバンニ :うん。
カムパネルラ:でも、今日からは一人だ。
ジョバンニ :そんな・・。
 
        間。
        二人同時に、「カムパネルラ・・」、「ジョバンニ・・」。少しの間。
 
カムパネルラ:ジョバンニからいえよ。
ジョバンニ :カムパネルラから・・。
カムパネルラ:・・さようなら。ジョバンニ。
ジョバンニ :さよならって・・
 
        汽笛が近づく。
 
カムパネルラ:お母さんによろしく。
ジョバンニ :ねえ、さよならって、どう言うこと。
カムパネルラ:では。
 
        カムパネルラが汽車に乗ろうとする。
 
ジョバンニ :カムパネルラ。こんなのいやだよ。カムパネルラ!一緒に行く!
カムパネルラ:君はいけない。
ジョバンニ :どうして。
カムパネルラ:どうしても、君はいけないんだ。
ジョバンニ :どうして!
カムパネルラ:いつか君も行くよ。けれど今は行けない。
ジョバンニ :わからないよ!
カムパネルラ:いつか、わかるよ。
ジョバンニ :いやだ。
カムパネルラ:僕だって、いやだ。けれど、しょうがない。
ジョバンニ :どうして。
カムパネルラ:・・ドアが閉まるよ。
ジョバンニ :待ってよ。
 
        ドアが閉まる。
 
ジョバンニ :ドアなんて。
 
        あける、ジョバンニ。
 
カムパネルラ:無駄だよ。
 
        その前に閉まるドア。
        又、あけるジョバンニ。又現れるドア。ジョバンニの前にドアは閉まる。
 
ジョバンニ :カムパネルラ!
 
        涙が出てくる、ジョバンニ。
 
ジョバンニ :カムパネルラ!
カムパネルラ:ジョバンニ。こんな時は笑って見送るんだよ。
ジョバンニ :笑えない!
カムパネルラ:それでも笑うんだ。ケンタウルス、露を降らせ!
ジョバンニ :・・・
カムパネルラ:ジョバンニ!ケンタウルス、露を降らせ!
ジョバンニ :・・・
カムパネルラ:ジョバンニ!
ジョバンニ :・・ケンタウルス、露を降らせ。
カムパネルラ:そうだ、ケンタウルス、露を降らせ!
ジョバンニ :ケンタウルス、露を降らせ!
カムパネルラ:もっと。
ジョバンニ :ケンタウルス、露を降らせ!ケンタウルス、露を降らせ!
 
        汽車の音がはげしくなる。
 
カムパネルラ:銀河鉄道だ。みんなやがて行くんだ。
ジョバンニ :ケンタウルス、露を降らせ!ケンタウルス、露を降らせ!
カムパネルラ:僕は、行くよ。
ジョバンニ :ケンタウルス、露を降らせ!カムパネルラ!
カムパネルラ:さよなら、ジョバンニ。
ジョバンニ :カムパネルラ、カムパネルラ、カムパネルラ!
 
        汽笛が高くなる。轟音とともに、銀河鉄道が通る。
        
ジョバンニ :カムパネルラーっ!
 
        汽笛が本当に悲しげに鳴る。
        そうして、全ては行き、ジョバンニは秋の季節の中にいた。
        学校の理科室である。
 
ジョバンニ :理科室だ。・・・誰もいない。
 
        ジョバンニ、立ち尽くす。
 
ジョバンニ :・・カムパネルラ、夏は終わったよ。もう、曹達水は飲めないんだね。・・・カムパネルラ・・・。あ、砂だ。砂が落ちている。
        
        ケンタウルスの祭の音楽が遠く聞こえてくる。
        どこからか砂が落ちている。白い砂が青く色づいて後から後から落ちてくる。際限もなく。じっと見ているジョバンニ。
        やがていとおしそうに、ゆっくりと手を前に伸ばし砂を受けとめる。砂は落ち続け、ジョバンニの手から溢れ落ちる。
 
ジョバンニ :・・・カムパネルラ・・・僕は、一人で・・元気だよ。
 
        砂を受けるジョバンニ。やがて、行こうとして。
 
ジョバンニ :ケンタウルス、露を降らせ!
 
        突然牛乳瓶を持って走り出す。
        「ケンタウルス露を降らせ」と口々に遠くで叫ぶ声。祭の音楽はまだ聞こえている。
        誰もいなくなった理科室に砂は落ち続ける。
                                                  【 幕 】
 
参考・引用文献:宮沢賢治  「銀河鉄道の夜」(筑摩書房「宮沢賢治全集」九・十巻初期形・完成稿)
        長野まゆみ 「少年アリス」(河出書房新社)


   
結城翼脚本集 のページへ