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「羊星・蠍星」
                原作 宮沢賢治「銀河鉄道の夜」
                作  結城 翼
                        
☆登場人物
ジョバンニ・・・・・「からっぽ」の隙間に「蠍」を飼い始めた少年。生け贄の羊のペンダントだったはずだが、いつの間にか蠍のペンダント。
カンパネルラ・・・・「からっぽ」の隙間を吹き渡っていく風を聞き続ける少年。透明で青い切符。
ブラックバード・・・飛べなかった飛行士。けちな優秀行商人のブリキのペンダントを持つ。
大学士・・・・・・・なんか、掘っている人。ジョバンニに琥珀の蠍を与える。先生だったかもしれない。
助手・・・・・・・・その助手。単なる助手。
青年・・・・・・・・知識は「力」であることを知っていただけの人。透明で青いペンダントの持ち主。
かおる・・・・・・・蠍の星と空っぽが生み出す力を知っている。それでも透明で青いペンダント。
ザネリ・・・・・・・普通の人。意外に「世間的に」まともであるかもしれない。
車掌・・・・・・・・寡黙。
先生・・・・・・・・普通の先生。公平だが冷たい教室の主宰者。
ジョバンニの母・・・ジョバンニをある意味で縛っているかもしれない。
カンパネルラの父・・独善的。功利的でもある。カンパネルラに大きな期待をかける。それなりの紳士。
夜の怪物たち・・・・みんなの「からっぽ」の中にすむさまざまなもの。
 
Tプロローグ
 
        満天の星。大きな天球図がある。
        ケンタウルス祭の音楽が流れる。
        カーニバルのようなパレードと「ケンタウルス露を降らせ」という声が聞こえる。
        夜の怪物たちが、さんざめいている。ジョバンニはその中にいた。
        何かペンダントのようなものをまわしあって、楽しんでいるようだ。
        だが、ジョバンニがとった瞬間、みんながそっぽを向いてしまう。
        突然、「ジョバンニ、ラッコの上着が来るよー。」「ジョバンニ、ラッコの上着が来るよー。」
        凍り付く、ジョバンニ。
        世界は、敵意に満ちていた。
        孤立するジョバンニ。回そうとするが誰も受け取らない。
        「ジョバンニ、ラッコの上着が来るよー。」でやけどをしたように引っ込む。
        呆然と一人立つ、ジョバンニ。
        回されていたペンダントをじっと見て、やがて首にかける。ダビデの星のようになっている羊のペンダント。
        じっと見つめているカンパネルラ。
        ジョバンニは家へ逃げるように帰っていく。        
        カンパネルラは奇妙な表情で去る。
        夜の怪物はひとしきり巡る。
 
U羊の食卓
 
        潮騒が引くように祭りの雰囲気は消える。
        静かな音楽。
        食卓があり、母がいる。
        ジョバンニが帰ってくる。
        気持ちを入れ替えて。
                
ジョバンニ:ただ今。具合悪くなかったの。
母  :ああ、ジョバンニ。今日は涼しくてね。私はずうっと具合がいいよ。
ジョバンニ:今日は角砂糖を買ってきたよ。牛乳に入れてあげようと思って。
母  :ああ、お前先にお上がり。あたしはまだ欲しくないから。
ジョバンニ:母さんの牛乳は来ていないんだろうか。
母  :こなかったろうかねえ。
ジョバンニ:僕行ってとってこよう。
母  :ああ、あたしはゆっくりでいいんだからお前先にお上がり。
ジョバンニ:では、僕食べよう。
 
        ジョバンニ食べ始める。
        遠くで汽笛が鳴る。
 
母  :誰か行くんだねえ。
ジョバンニ:ねえ母さん。
母  :どうしたの。
ジョバンニ:僕父さんはきっとまもなく帰ってくると思うよ。
母  :ああ、あたしもそう思う。けれどもお前はどうしてそう思うの。
ジョバンニ:だってけさの新聞に今年は北の方の漁は大変よかったって書いてあったよ。
母  :ああ、だけどねえ、お父さんは漁へでていないかもしれない。
ジョバンニ:きっと出ているよ。父さんが悪いことをしたはずがないんだ。だって、今度はラッコの上着を持ってきてくれるといったんだ。
母  :ああ、そうだったねえ。
ジョバンニ:みんなが僕に会うとそれを言うよ。・・ラッコの上着って。・・
母  :カムパネルラさんもかい。
ジョバンニ:・・カムパネルラは決して言わない。カンパネルラはみんながそんなこと言うときは、気の毒そうにしてる。。
母  :カンパネルラのお父さんとうちのお父さんとは、ちょうどお前たちのように、小さいときからのお友達だったそうだよ。
ジョバンニ:ああ、ぼくたちも友達だよ。
母  :だからからかったりしないんだねえ。
ジョバンニ:ああ・・カンパネルラは、黙って僕を見ている。
母  :やっぱり、カンパネルラさんだねえ。
ジョバンニ:ああ、カンパネルラだ。
 
        ジョバンニの回りに忍び寄るように教室が浮かぶ。
        だが生徒たちは、夜の怪物たち。
        カンパネルラはじっとジョバンニを見ている。
 
先生 :ではみなさんは、そういう風に川だと言われたり、ミルクが流れた跡だと言われたりしていた、このぼんやりと白いものが本当はなにかご存    じですか。
 
        くすくす笑い。
        みんながジョバンニを見ている。
        ジョバンニ手を挙げようとして引っ込める。
 
ジョバンニ:・・ぼくは手を挙げ無ければならない。ぼくがそうすることを期待してみているみんなの幸せそうな冷たい目。
先生 :・・・ジョバンニさん?
 
        ジョバンニのろのろと立ち上がる。
        くすくす笑いが広がる。
        泣き笑いのような笑顔でジョバンニは立つ。
 
先生 :大きな望遠鏡でよっく調べるとこの白いものはだいたいなんでしょう。
ジョバンニ:ぼくは確かに、それは星だと思った。けれど、・・・。
 
        くすくす笑い。
        先生は、辺りを見回す。笑い声は消える。
        
先生 :ではカムパネルラさん。
ジョバンニ:先生はカムパネルラを指名した。カムパネルラは答えなかった。答えられないんじゃない。カンパネルラは何だって知っている。何だっ    て答えられる。でも、答えない。そうだとも、カンパネルラは僕が知っていることを知っている。友達だもの・・・。
 
        カンパネルラの方をある意味で誇らしげにジョバンニは見る。
        カンパネルラは困ったような顔をしている。
        そっと、ジョバンニの視線をはずす。
        ジョバンニの誇らしげな表情がかげる。ジョバンニは少し傷ついた。
 
ジョバンニ:でも。答えたっていいんだ。僕につきあうことはない。・・そう思ったとたんぼくの心はどほんと大きな音を立ててからっぽになった。    耳がじんじんしてなにも聞こえなくなり僕はどこかへ行ってしまった。・・でも、次の瞬間ぼくはふわーっと戻ってきてカムパネルラが急に    憎らしくなった。ああこれだ。僕はカンパネルラがにくらしい。そうだ、憎らしい。・・カンパネルラは僕が気づいたことに気づいたんだ。
先生 :では、よろしい。このぼんやりと白いものを大きないい望遠鏡で見ますと、もうたくさんの小さな星に見えるのです。
 
        ぼんやりとカンパネルラを見るジョバンニ。
        カンパネルラは前を見ている。
 
先生 :このおおきな星の流れを天の川と言い銀河ともいいます。ジョバンニさんいいですね。
ジョバンニ:えっ。あ、はい。
先生 :(冷たく)よろしい。
 
        公平であろうとしているがあたたかくは決してない。
        沈むように座るジョバンニ。
 
先生 :カンパネルラさんも。
ザネリ:銀河もしらないって。
 
        明確にあざけるザネリ。くすくす声。
        気の毒そうにゆっくり座るカンパネルラ。
 
先生 :ですから、もしもこの天の川が本当に川だと考えるなら、その一つ一つの小さな星はみんなその川の底の砂や砂利の粒に当たるわけです。そ    れなら、何が川の水にあたるかというと・・・・。
ジョバンニ:それでも今日はもうすぐ終わる。教室の壁いっぱいの大きな星図盤の中に透明な銀河がゆっくり流れていた。あそこに見えるのは、北斗    の柄杓。あそこは、オリオンの三ツ星。・・そして、ああ、これがたぶん僕の星だ。これは。・・え?
 
        断ち切るように。
 
先生 :ジョバンニ君。
ジョバンニ:は、はい。
先生 :今日は、どうもいけませんね。
ジョバンニ:すみません。
先生 :あの星は何でしょうと私は聞いたのですよ。
 
        くすくすと笑う声。
 
ジョバンニ:あれは・・ぼくの星です。
先生 :は?
 
        くすくす笑い。
 
先生 :何ですか?
ジョバンニ:すみません・・羊星です。
先生 :そう。牡羊座ですね。ザネリさん、これは何ですか。
ザネリ:カシオペア座です。
先生 :よろしい。
 
        と、次々に当てている。
        生徒たちは、立ち上がっては、何か答えているようだ。
 
ジョバンニ:あれはぼくの星だ。生け贄の羊の星。
 
        泣き笑いのような表情でぱっと、カンパネルラの方を振り向く。
        カンパネルラは前を見ている。
        ジョバンニはのろのろと目をそらす。
        再び遠くで汽笛がなった。
        食卓が戻る。
 
母  :だれか、行くんだねえ。
ジョバンニ:ああ、カンパネルラだ。      
 
        ぼんやり答えるジョバンニ、意味もなくペンダントをつついている。
        やがて、はっときづいたように猛然と食べはじめる。
        
母  :今晩は銀河のお祭りだねえ。
ジョバンニ:ケンタウルス露を降らせ!・・うん。僕、牛乳を取りながらみてくる。
母  :ああ行っておいで。川へは入らないでね。
ジョバンニ:ああぼく、・・カムパネルラと見るだけなんだ。一時間で行って来るよ。
母  :もっと遊んでおいで。カムパネルラさんといっしょなら心配はないから。
ジョバンニ:ああ、きっといっしょだよ。母さん窓を閉めておこうか。
母  :ああ、どうか。もう涼しいからね。
 
        ジョバンニは空っぽの牛乳瓶を持って鞄に入れた。
        立って、窓を閉める。
        ペンダントを見て。
 
ジョバンニ:・・では。一時間半で帰ってくるよ。
 
        ジョバンニは出かける。
        カムパネルラの家。父とカンパネルラが食卓の席に着いている。
        静かな別の音楽。
        黙々と食べている。ときどき。パンとか。バター。とか、ありがとうとか。聞こえる。新聞か、本を読んでいる父。
        
カムパネルラ:父さん。
 
        父、目を離さず答える。
 
父 :もっと野菜を食べなさい。
カムパネルラ:わかってるよ。
 
        カムパネルラ、食べる。
 
カムパネルラ:父さん、
父  :なんだ。
カンパネルラ:ジョバンニのことなんだけど。
父  :ああ、いじめられてるそうだな。
カンパネルラ:うん。
 
        父、返事をせず食べている。
 
カンパネルラ:とうさん?
 
        父はぽつんと言う。
 
父  :むつかしいだろうな。
カンパネルラ:どうして。
父  :必要なんだろう。
カンパネルラ:なにが。
父  :お前たちが。
カンパネルラ:どういうこと。
父  :車のハンドル知ってるな。
カンパネルラ:うん。
父  :ハンドルの遊びみたいなものだということだ。
カンパネルラ:あそび?
父  :車のハンドル回すには少し余裕がいるんだ。ブレーキにだってある。
カンパネルラ:だから。
父  :わかるだろ。遊びがないと車はうまく動かない。
カンパネルラ:何を言ってるの。
父  :わからないかな。必要なんだ。車だけじゃない、世の中のすべてのものに遊びが必要なんだ。
カンパネルラ:いじめられることが?
父  :この場合はそうだ。
カンパネルラ:そんな。
父 :バターをくれんか。
 
        カンパネルラ、自動的に動く。
        衝撃を受けている。
 
カンパネルラ:そんな。
父  :聞きなさい。カンパネルラ。我々はとっても無力なものだ。自分が大切なものさえなかなか守れない。まして、人を守るなんてとてもできた    もんじゃない。世の中の仕組みはたしかにいろいろひどい面を持っている。でも、それはその仕組みが成り立つために仕方がないことなんだ。    お前たちの教室もそうだ。みんなが幸せに生きていくためには、「遊び」が必要だ。無理に遊びをのぞこうとすると、仕組み自体が壊れてし    まう。だからだまって、遊びをほっとくしかない。
カンパネルラ:でも、別のもっとましな遊びってあるんじゃない。
父  :あるかもしれん。だが、誰かそんな遊びを見つけたかね。
 
        カンパネルラ、黙っている。
 
父  :なら、しかたあるまい。
 
        
 
カンパネルラ:じゃ、僕がその遊びになったらどうするの。
 
        父は鋭くカンパネルラを見た。
 
父  :なってるのか。
カンパネルラ:ううん。
父  :ならいい。
カンパネルラ:なったらあきらめるの。
父  :ばかいっちゃいかん。
カンパネルラ:どうしようもないっていったよ。
父  :お前は別だ。
カンパネルラ:ずいぶん利己主義だね。
カンパネルラ:親とはそんなものだ。・・コーヒーを入れてくれんか。
 
        カムパネルラ、コーヒーを入れにたつ。
 
カムパネルラ:ねえ、今夜のケンタウルスの祭には行けるの。
父  :わからないな。
カムパネルラ:ジョバンニと約束したよ。
父  :仕事が忙しいっていったろう。
カムパネルラ:分かってるよ。・・でも?
父  :そう・・だな・・。
カムパネルラ:わかった。
父  :そうか、いい子だな。
カムパネルラ:僕、そんなにいい子じゃないよ。
父  :父さんにとってはいい子だよ。
カムパネルラ:本当に。
父  :さあ、もういいから。勉強しなさい。するべきことをする。これが本当のいい子だ。
カムパネルラ:コーヒー要らないの。
父  :ああ、もういい。
カムパネルラ:じゃ。
 
        と、立ち去ろうとする。
 
父  :ああ、それとカンパネルラ。
カンパネルラ:何。
父  :ジョバンニ君に関わるのは少し控えた方がいい。
カンパネルラ:父さん。
父  :お前のためだ。
カンパネルラ:父さん。
父  :カンパネルラ、私はいままでお前に間違ったことをいったことがあるかね。
カンパネルラ:・・いいえ、父さん。
父  :よろしい。いい子だ。
 
        父は、読書に戻る。
        カンパネルラはそんな父を見ている。
        
父  :なんだ、まだいたのか。
カンパネルラ:ねえ、父さん。
父  :なんだ。
カンパネルラ:ぼく、卑怯ものなんだろうか。
父  :何だって。
 
        かすかに汽笛が鳴る。
        溶暗。
 
V天球図と夜の河
 
        カーニバルの音楽。
        古道具屋に星図盤がある。ほかにも怪しげな店が並んでいる。バザールだ。縁日のようにも見える。
        ケンタウルス露を降らせとカーニバルの人々が通り過ぎていく。
        カンパネルラがいた。
 
ジョバンニ:カンパネルラ!
 
        駆け寄るジョバンニ。
 
カンパネルラ:牛乳瓶かい。
ジョバンニ:ああ、母さんにとってこなくちゃ・・。でも、ケンタウルスのお祭りだろ。少しね。
カンパネルラ:そうだね。
        
        男が風船を配って歩いている。女の子がリンゴ飴をなめながら通っている。
 
ジョバンニ:賑やかだね。
カンパネルラ:バザールだもの。
ジョバンニ:あ、風船売ってるよ。リンゴ飴もある。
カンパネルラ:夏だね。
ジョバンニ:うん。大好きだよ。
カンパネルラ:後で買おう。
ジョバンニ:うん。
 
        と、やや陽気になる。
        あちこちをのぞきながら。
 
ジョバンニ:一つまっすぐ歩けば。
カムパネルラ:まっすぐ歩けば。
ジョバンニ:確かなものは確かでなく。
カムパネルラ:確かでないものはさらに確かでなくなり。
ジョバンニ:アブラカダブラ。
カムパネルラ:アブラカブダラ。
ジョバンニ:(くくっと笑って)違う。アブラカダブラ。
カムパネルラ:(同じく笑いながら)アラブカラブダ。
ジョバンニ:(笑って)違うよ。アブラカダブラ。
カムパネルラ:(大まじめに)アブラカラブダ。
ジョバンニ:違う、違う、アラブカダブラ・・あれ?(笑って)やめよう。舌かみそうだ。
カムパネルラ:(笑って)ああ、その方がいい。
 
        たわいもない、遊び。
        弾んだ声で。
 
ジョバンニ:あ、見て、カンパネルラ、星図盤だ。
 
        と、古道具屋へ駆け寄る。
 
ジョバンニ:あ、オリオンがある。蛇もいる。熊もいる。
カンパネルラ:水瓶があるね。鯨かなこれは。これは・・、ああ天秤だ。これは、十字星。これは羊だね。・・どうしたの。
 
        ジョバンニ、首にかけたペンダントと見比べる。
 
ジョバンニ:・・何でもないよ。
 
        店番らしい女の子(かおる)が声をかける。
 
かおる:いいペンダントね。
ジョバンニ:これ?これは、何でもない奴だよ。
かおる:でも、いい星よ。
ジョバンニ:星?
かおる:ええ、燃えているわ。
ジョバンニ:え?
 
        と、ペンダントを見ようとする。
        女の子は誰かに呼ばれたようだ。
 
かおる:はい。・・用ができちゃった。
ジョバンニ:あ、ねえ。君。
 
        黒い影(青年)が呼んでいる。
        ジョバンニはなんとなくあいさつをする。
        女の子は、行ってしまう。
        ペンダントと女の子の去った方を見交わしていたが。首を振って。
 
ジョバンニ:ずいぶん不用心だね。
カンパネルラ:そうだね。・・あ、これは蠍だな。これは白鳥。・・ほら、ジョバンニこれが天の川だよ。
ジョバンニ :すごい、点々。これが全部、星なんだ。ほんとに川みたいだね。
カンパネルラ:先生がさっき言ってたろう。僕たちはこの天の川の水の中にすんでいるって。天の川の水の中から四方をみると、ちょうど水が深いほ    ど青く見えるように、天の川の底の深く遠いところほど星がたくさん集まって見えるんだ。
ジョバンニ:地球は天の川の底にあるの?
カンパネルラ:違う。地球はね。・・ここだよ。
ジョバンニ:ずいぶん天の川の端っこなんだ。
カンパネルラ:そう、端っこのはし。
ジョバンニ:・・仲間外れみたいだね。
カンパネルラ:ここからは水の底の青い宇宙(そら)をじーっと眺めているしかないんだ。
 
        カムパネルラは遠くをみる。
 
ジョバンニ:ただ眺めてるしかないんだね。
 
        カンパネルラ、何かを感じて振り向く。
 
カンパネルラ:ジョバンニ。
ジョバンニ:(振り切るように)ああ、僕はこの中をどこまでも歩いてみたい。
カンパネルラ:そうだね・・。
 
        耳を澄ましている。
 
ジョバンニ:どうしたの。
カンパネルラ:聞こえてこない?
ジョバンニ:何?
カンパネルラ:星の声だよ。じーと、眺めていると。
ジョバンニ:ほんとに?
カンパネルラ:ああ、本当に。
 
        耳を澄ます。かすかな音が聞こえる。
 
カンパネルラ:聞こえる?
 
        声が聞こえる。けれどそれは。
        「ジョバンニ、お父さんからラッコの上着がくるよ。ラッコの上着がくるよ。」
        ザネリたちの声だ。
        ジョバンニ硬直する。
 
ジョバンニ:・・カムパネルラ。・・今の。
カンパネルラ:どうしたの。
ジョバンニ:ううん。いいんだ。・・・僕はけれど知っていた。カムパネルラには聞こえていたんだ。
カンパネルラ:ジョバンニ、パレードだ。
 
        再び通るカーニバルのパレード。
        カンパネルラは、引き寄せられるようにパレードに飲み込まれて行く。
 
ジョバンニ:待ってよ、カンパネルラ。
 
        やがて、カンパネルラは見えなくなる。
 
ジョバンニ:え?カンパネルラ?
 
        音楽が大きくなる。巻き込むようなパレードの渦。
        カンパネルラを探そうとするジョバンニ。
 
ジョバンニ:カンパネルラ?カンパネルラ!
 
        立ちつくす、ジョバンニ。
 
ジョバンニ:カンパネルラーっ!
 
        嵐のようにパレードは去る。過ぎ去れば、ジョバンニは一人。
        「ケンタウルス、露を降らせ」の声。
        えっと振り向く。
 
ジョバンニ:カンパネルラ?!
 
        ザネリがひらりと現れる。
        あっと、思うが。
 
ジョバンニ:ザネリ、烏瓜流しに行くの?
ザネリ :ジョバンニ、お父さんからラッコの上着がくるよ。
 
        投げつけるように言って去る。
 
ジョバンニ:なんだい、ザネリ!・・走るときはまるでネズミのようなくせに。
 
        ザネリ、鼠のように走り去り、いない。
 
ジョバンニ:ザネリはどうして僕がなんにもしないのにあんなことを言うのだろう。走るときはまるで鼠のような癖に。僕がなんにもしないのにあん    なことを言うのはザネリが馬鹿なからだ。
 
        人が通る。
        思わずペンダントを取り出す。
 
ジョバンニ:大丈夫。・・大丈夫。
 
        と、気を落ち着かせる。        
        「ケンタウルス、露を降らせ。」
        深呼吸。
 
ジョバンニ:ケンタウルス、露を降らせ。・・・牛乳瓶取りにいかないと。
 
        目をひとこすりするジョバンニ。
        街角を曲がろうとする。
        またザネリたちがやってくる。
 
ジョバンニ:川へ行くの。ザネリ。
ザネリ:ジョバンニ、ラッコの上着がくるよ。
一同 :ジョバンニ、ラッコの上着がくるよ。
 
        カムパネルラがいた。
 
ジョバンニ:カムパネルラ!
 
        駆け寄ろうとする。
        ジョバンニ、ラッコの上着が来るよ。カムパネルラ、奇妙な微笑。
        殴られたように止まるジョバンニ。
 
ジョバンニ:カムパネルラ・・・どうして笑うの。
    
        ラッコの上着が来るよー。カムパネルラ、奇妙な微笑で視線をはずす。
 
ジョバンニ:カンパネルラ・・。
 
        ジョバンニ、ラッコの上着が来るよ。ジョバンニ、ラッコの上着が来るよ。
        歩き出す。ジョバンニ。耳を押さえても聞こえてくる。歩きながらやがて再び駆け出すジョバンニ。懸命に走っている。
        ケンタウルスの祭りの音楽が聞こえる。
        カムパネルラは奇妙に悲しげにジョバンニの後ろでジョバンニを見続ける。
 
ザネリ:おーい、カムパネルラ、いつまでしかめっつらしてるのさ。せっかくのケンタウルスの祭りだろ。
 
        カンパネルラ、ザネリの方を振り向く。
        パレードが再びやってくる。
 
ザネリ:烏瓜流そうぜ。おい、ボート、さっさと用意しろよ。・・ほーら、ケンタウルス露を降らせ!
 
        ケンタウルス露を降らせ。
        ジョバンニ、最後の望みのように、行こうとする。
 
ジョバンニ:カンパネルラ・・。
 
        パレードに邪魔される。
        ジョバンニはその流れの中で孤立する。
 
ザネリ:ほら、ケンタウルス露を降らせ!
 
        カンパネルラは、ザネリと共にボートの方へ。
        思わず、駆け寄りそうに。
 
ジョバンニ:カンパネルラ。
ザネリ:誰だい。
 
        気がつくがふっと笑って露骨に無視する。
 
ザネリ:早く乗ろうぜ。
ジョバンニ:カンパネルラ。
 
        パレードが完全に二人を分かつ。
        音楽が激しくなる。
        カンパネルラは、悲しそうにほほえんで。
        ザネリの方へ歩んだ。
 
ジョバンニ:カンパネルラ!なぜ、笑ってるの。どうして!        
 
        耳を押さえるようにするジョバンニ。
        パレードに包まれるジョバンニ。
 
ジョバンニ:ああ、やめてよ。だめだ、あいつが目を覚ます。僕の身体がざわざわしてる。あいつが目を覚ますよ。だめだーっ。
 
        光が爆発したよう。
        重なって。
 
声  :銀河ステーション。銀河ステーション。
 
W天気輪の駅
 
        やがて、音楽や、パレードが消え去る。
        納まると、背景には、大きな天球図。星も出ているようだ。
        椅子がいくつか並んでいる。
        カンパネルラとジョバンニがいた。
        車掌らしい人が、椅子のまわりを、掃除をしている。
        男(青年)が、脚立に乗って天球図を修理しているかのようだ。
        助手(かおる)が手伝っている。時々、バール。レンチ。とか何とかいっているようだ。やがて、この二人は適当なときに去る。
        呆然として、見回している、ジョバンニ。
        やがて、後ろにいたカンパネルラに気づいてはっとして駆け寄る。        
 
ジョバンニ:カンパネルラ・・。来てくれたんだ。やっぱり。カンパネルラ・・。髪の毛濡れてるよ。
カムパネルラ:みんなはね、ずいぶん走ったけれども遅れてしまったよ。ザネリもね、ずいぶん走ったけれども追いつかなかった。
ジョバンニ:どこかで待っていようか。
カムパネルラ:ザネリはもうかえったよ。お父さんが迎えに来たんだ。
ジョバンニ:ふうん・・。
 
        車掌が掃除を終えて去る。
 
ジョバンニ:ここは、天気輪の駅だよね・・。
カンパネルラ:ああ、だれもが行くんだ。
 
        見回していたジョバンニ。
 
ジョバンニ:・・カンパネルラ、さっき、どうして、笑ったの。
カンパネルラ:え、ぼくが。
ジョバンニ:ザネリと一緒にいたとき。
カンパネルラ:僕、笑わないよ。
ジョバンニ:でも。
カンパネルラ:僕笑わない。
ジョバンニ:でも。
カンパネルラ:僕は、笑わない。
 
        椅子に座る。誰か忘れていたらしい紙を取る。手でもてあそんでいる。
        気まずい間がある。
        
カンパネルラ:ジョバンニ。
 
        カンパネルラ、困った感じで、なにげなく、ジョバンニの手元を見る。
        折り紙らしきものをしている。にやっと笑って。
 
カンパネルラ:これ、知ってる?
 
        振る。
        バン!と音を出す。
 
ジョバンニ:ちぇっ。
 
        と、飛行機を折るが、豚っている飛行機。ひょろひょろと飛ぶ。
 
ジョバンニ:あれっ。
 
        笑う、カンパネルラ、その間に飛行機を折っていた。
 
カンパネルラ:こうだよ。
 
        すいーっと気持ちよく飛んで行く。
 
ジョバンニ:えー。どうやって。
カンパネルラ:簡単だよ、こうするんだ。・・ほら。
 
        ジョバンニ、教わって、紙飛行機を折り始めながら。
 
ジョバンニ:どこへ飛ばす?
カンパネルラ:(折るのを止めて)どこへ?(少し考えて)空と海の間かな。(また、折りながら)空と海との間だ。
ジョバンニ:海?それとも空?
カンパネルラ:(折り続けて)ジョバンニはどっち。
ジョバンニ:空。
カンパネルラ:じゃ僕は海へ。・・とばそうか。
ジョバンニ:うん。
 
        と、二人、それぞれ椅子を積み上げて、高くして、その上に立つ。
        顔を見つめ合い、せーので折りあがった飛行機を飛ばす。
        紙飛行機は遥か遠くまで飛ぶはずだ。
        遥か遠くを見ている二人。
 
B・B:いやー、なつかしいなあ。。飛んでる。飛んでる。
二人 :うわーっ。
 
        思わずびっくりして、ひっくり返る二人。
        服いっぱいにブリキの勲章やバッジをつけた男がやってくる。
        首には、特大のブリキの狐。
        狐のように、こそ、こそ、きょときょとせかせかやってくる。
        行商人、B・Bがいた。
 
X世界とクロスする線
 
B・B:いや、わるいわるい。いや、そのまま、そのまま。
ジョバンニ:あのう。
B・B:飛行機飛ばしてたろ。
カンパネルラ:はい。
 
        B・B、荷物を置き、鮮やかな手つきで、飛行機を折る。
        折りながら。
 
B・B:ブラックバードっていうけちな、行商人さ。B・Bって呼んでくれ。
ジョバンニ:はあ。
 
        鮮やかな手つきにカンパネルラ、おもわず口笛を吹く。
        B・B、にやっとわらい。
 
B・B:むかし、ちょっとな。
 
        B・B、椅子の上に立ち、飛行機を飛ばす。
        飛行機、遠くまで飛ぶ。
 
ジョバンニ:すごい。
B・B:な。
 
        と、彼方を見ていたが、急に疲れたようなため息をつき、椅子を降りる。
        老けた感じ。
 
カンパネルラ:どうしたんですか。
B・B:へへっ。思い出したんだよ。くだらないことだ。
ジョバンニ:飛行機のこと。
B・B:・・。
カンパネルラ:乗ってたんでしょう。
 
        鋭い目になる、B・B。
 
B・B:わかるのか。
カンパネルラ:なんとなく。
B・B:そうか。・・昔のことだよ。
 
        と、荷物をまとめて座る。
 
ジョバンニ:飛ぶのって、面白い?
 
        間がある。
 
B・B:知りたいか。
ジョバンニ:う、うん。
 
        間。
        ばっと、飛行機を折る。
 
B・B:お前らも折って見ろ。
 
        二人、あわてて、折る。
 
B・B:風しかきこえねえんだ。
 
        二人、折った。
 
B・B:いいか、自分が飛ぶつもりで飛ばして見ろ。
ジョバンニ:こう。
 
        と、紙飛行機を飛ばす、まね。
        ゆっくりと、すろーいんぐ。ひゅーっ口で擬音を。
 
B・B:そうだ。いくぞ。
 
        三人、ひゅーっ。
        飛行機が飛んだ。
 
B・B:飛んでるか。
ジョバンニ:うん。
B・B:聞こえるか。
カンパネルラ:海の風が聞こえる
ジョバンニ:空の風も聞こえるね。
B・B:ようし。飛ぶんだ。ただひたすら、自分のために飛べ。
ジョバンニ:どうして飛ぶの。
B・B:生み出すためだよ。
ジョバンニ:なにを。
B・B:自分の世界さ。あの一本の線に向かって飛ぶんだ。
ジョバンニ:水平線?
B・B:そう、空と海をを切り裂いている一本の線へ向かって。
        
        B・B、紙飛行機を飛ばす、まね。
        ゆっくりと、すろーいんぐ。ひゅーっ口で擬音を。
        ジョバンニもひゅー。音楽。
 
B・B:紙飛行機は一直線に風を受けて飛ぶ。世界を切り裂く線とクロスために。
ジョバンニ:線と、線が交差する・・。
B・B:ほら、生まれただろ。
カンパネルラ:わかった。新しい平面だ。
ジョバンニ:水平線と飛行機の線で。
B・B:白い線と青い線がクロスする。
 
        ひゅー。ひゅー。
 
B・B:自分だけの平面が生まれる。風の中からこのように。
 
        ひゅー。ひゅー。
        二人、左右からクロスさせるように飛行機を飛ばす、真似。
        ひゅー。ひゅー。
 
二人 :青い空を白い線が区切ります。一本の長い長い白いチョークの線のように、明確に区切っていきます。決して混じりあうことのない、青と白。    海と空の間の一本の線へ交差して行く紙飛行機の軌跡。十字に交わりながら僕の世界を作り出していく紙飛行機の風。
 
        折っては、飛ばし、折っては、飛ばす少年たち。
        マイム。
        乱れ飛び、世界を無数に作り出す飛行機たち。
        やがて、熱狂が醒める。
    
ジョバンニ:紙、もう無いよ。
カンパネルラ:ああ、もう無くなった。
 
        ふっとため息をつくカンパネルラ。
        夜が帰ってきていた。
 
Y飛べない飛行士
 
        B・Bは、頭を抱えて座っている。
    
ジョバンニ:B・B。
B・B:え、ああ。
 
        B・Bはぼんやりしているようだ。
 
ジョバンニ:たくさん飛んだんでしよう。
 
        間。大きく息を吸って、掃き出すように。
 
B・B:一度も飛んだことはない。
ジョバンニ:えっ?
カンパネルラ:どうして。
B・B:どうして?・・・・さいごのさいごで怖くなったんだ。
カンパネルラ:怖い?
B・B:ああ、風の中を独り飛ぶことが怖くてよ。二人だと飛べるんだ。教官なんかとさ。でも、独りじゃとべなかった。・・どうしてもな。それで、    結局、飛行士失格さ。
 
        
 
B・B:あは。あははは。いやだねえ、しめっぽくなって。
 
        と、ごそごそ荷物を取り出した。
 
B・B:どうだい。
カンパネルラ:はい。
 
        なんだか怪しげなお菓子。
 
B・B:商売もんだけどよ。
 
        ジョバンニ、カンパネルラ食べてみる。
        何とも言えない味。
 
B・B:どうだ。
カンパネルラ:・・おいしいです。ねっ。
 
        照れ隠しに。
 
ジョバンニ:ねえ、さっきから気になってるんだけど、それ何。飛行士のじゃないよね。
B・B:これか?
ジョバンニ:うん。そのブリキのバッヂ。
B・B:(ちょっといやな顔をして。)ブリキだ?ガキはこれだからな。銀だよ、銀。勲章だよ、俺の。
カンパネルラ:銀?
ジョバンニ:勲章?
B・B:売り上げ優秀だからさ。優秀行商人には組合からくれるんだ。ほら、こいつは、去年の地区売り上げコンクール、三月度売り上げ二位。こい    つは、一昨年、6月度、セールス向上委員会から。こいつは、8月度の。
ジョバンニ:へー、すごい。でも、何売ってるの。
B・B:お前らいま食っただろ。
 
        と、どさっとお菓子をぶちまける。
 
ジョバンニ:わっ、まずそう。
B・B:何?
カンパネルラ:何でもないです。あ、これ鳥の形してる。
B・B:当たり前さ。鳥だもの。
ジョバンニ:え、何で。
B・B:夜飛ぶ鳥を捕って押し葉にするのさ。たとえば、こんな夜にあそこを飛んでいる。
 
        風の音がして。ばさばさという鳥の羽音。
        鳥たちがどばーっと出てきて、ジョバンニたちのまわりを巡るように飛んでいく。
        いまこそわたれ渡り鳥。という声。
        すっくと、椅子の上に立って。
        渡り鳥たちへ。
 
B・B:いまこそわたれ、渡り鳥!いまこそわたれ渡り鳥!
 
        きぇーっというような悲鳴のような声を上げて、次から次へばだばたっと、落ちてくる。
        鳥たちは去る。
 
ジョバンニ:わお。
カンパネルラ:すごい。
B・B:飛ぶ代わりに、飛んでるものを落とすのが仕事になったというわけさ。
 
        鷺がお菓子になっている。
 
ジョバンニ:ほんとだ、お菓子になっている。これは鷺だね。
B・B:もとではただだぜ。わらいがとまらねえよ。
ジョバンニ:ただ?
 
        と、あわてて声を潜めて。
 
B・B:しーっ。言うんじゃねえぞ。
カンパネルラ:もちろん。ねっ。
B・B:よーし、いい子だ。
ジョバンニ:でも、バッジ、銀ばっかりだね。
 
        とたんに機嫌が悪くなり。
 
B・B:悪かったな、どうせ万年二着だよ。くそっ。
 
        と、弁解じみたように。
 
B・B:あのなあ、金バッヂなんてものはよ、なかなかもらえないものなんだ。
カンパネルラ:売り上げが悪いわけ。
B・B:売り上げじゃダントツなんだけどな。いろいろ、別の要素も在るんだよ。好感度とか、誠実さとか。けっ、ばかばかしい、売れてなんぼだろ    商売は。
ジョバンニ:誠実じゃないんだ。
B・B:おい、小僧、いっていいことと悪いことが在るぞ。
ジョバンニ:ごめんなさい。
B・B:一ちょ前の口利きやがって。・・おい、これ見て驚け。
 
        大きなブリキのペンダントを示す。
 
ジョバンニ:でかーい!ブリキのペンダントだね。
B・B:銀だっていっとろうが。
カンパネルラ:(あわてて)なんのペンダント。
B・B:これか。へへっ。へへっ。
 
        と、ハンカチを取り出して磨き始める。
    
B・B:へへっ。
 
        二人、気味悪そうに。
 
ジョバンニ:なんのペンダント。
B・B:へっへっへっへ。聞いて、驚け。
二人 :わー、びっくり。
 
        B・B、じろりと不信感を持って見る。
 
カンパネルラ:それで。
 
        と、天使の笑顔。
        うやむやにされたような気分で。
 
B・B:こいつはな、飛行士あきらめて、行商始めたときにさ、組合からもらった、行商許可証さ。はじめは、これぐらいだったんだ。
 
        と、ずいぶん、小さい輪を作る。
        ジョバンニたち、おどろく。
 
ジョバンニ:えっ、大きくなるの。
B・B:ほらおどろいた。
二人 :わー、びっくり、びっくり。
 
        B・B、不信感で一杯の目。
 
カンパネルラ:でも、そんな事って?
B・B:行商人の鏡だよ。一日商売終わる度に、こうやって丁寧に心を込めて磨いてやると、だんだんだんだん大きくなるんだ。
ジョバンニ:へーえ。
B・B:うそだと思ってるな。
 
        二人、手を振って。
 
二人 :ううん。
B・B:おまえら、馬鹿にしてないか。
二人 :とんでもない。
B・B:ふん。いまに、みてろ、この大きな、銀のペンダントをいまに、でっかい金のペンダントにしてやるから。
ジョバンニ:でも・・どうみても、ブリキなのに。
 
        と、いいかけた、ジョバンニをカンパネルラが止める。
        B・B、それには気づかず。必死に磨き始める。
 
Z琥珀の蠍
 
        んーばば、んばば、んーばば、んばば。と、作業服の二人組がやってくる。
        測量器具やポールやスコップなんどをもってカーニバル気分。
 
二人組:んーばば、んばば。んーばば、んばば。今日は楽しいカーニバル。へっへい。んーばば、んばば、んーばば、んばば。
 
        とか、なんとか、なかなかとまらない。
 
大学士:おい、おい、おい、とめろ、とめろって。とめろ。おい。とめろ!・・バカタレが!。
 
        ようやく止まって、疲れ果てる。
        
大学士:調子にのんじゃねえよ。バカタレが!
助手 :そりゃ、親方でしょうが。
大学士:きっちりはかれよ。バカタレが!時間がねえぞ、祭りはじまってっからなあ。おい。
 
        さっさと、標識などをおいていた助手。
 
助手 :はーい。
大学士:気の抜けるような返事すんじゃねえ。バカタレが!そこんとこ、気合い入れてほったれ。さっさと片づけるぞ!
助手 :あいあいさー。
 
        大学士、トランジットをのぞく。
 
助手 :おりゃーっ。
 
        と、猛然と掘り始める。
 
ジョバンニ:あのう。
 
        大学士んーばばんばばと鼻歌を歌い出す。
 
ジョバンニ:あのう。        
 
        大学士気分良く、メモを取る。
 
ジョバンニ:あのう。
大学士:おい、その突起壊すんじゃねえ。スコップ使え。スコップ。もう少し遠くから掘るんだよ。だめだろが、もっと優しく。バカタレが!
 
        くるりとジョバンニに振り返り。
 
大学士:どうした、少年。見物か。
ジョバンニ:あっ、は、はい。
大学士:バカタレが!つまらんものみんで、祭りにでも行ってこい。少年。
ジョバンニ:ほってるんですか。
大学士:あたりまえだ。見てわからんか。バカタレが!ここは、120万年前、第三紀の後の頃は海岸だな。この下からは貝殻も出る。おいおい、そ    こ、つるはしつかうんじゃねえよ。何年やってんだよ。何年。ていねいにノミでやれ。ノミで。何。んなことのみこんでますって。バカタレ    が!へたな駄洒落こいてんじゃねえ。
ジョバンニ:標本にするんですか?
大学士:まあな。
ジョバンニ:何を?
大学士:星だよ、星。
ジョバンニ:星ってあの。
大学士:(無視して)おいおい、そうじゃねえだろ。何度言ったらわかるんだ。そーと、やれ、そーっと。こう、女扱うようにだよ。こうだよ。バカ    タレが!
 
        んーだだ、んただ。教える。んーだだんだだですねと、違う、んーだだんだだ。だと大学士、んーだだんだだですねと助手念を押す。        ちがうだろと、頭を張られる。
 
ジョバンニ:でも星って。
助手 :みんな必要なんだよ。
ジョバンニ:どうして。
助手 :誰だって、ここはみんな空っぽだろ。だから、その空っぽを照らし出す光がいるんだ。
 
        と、胸を指す。
 
ジョバンニ:ここに。
助手 :そう、その灯りの中で、みんな飼っている。
ジョバンニ:飼っている?
助手 :(掘りながら)怪物だよ。君を食い散らすね。
 
        にたーっと、見て、くくっと笑う。
        おびえるジョバンニ。
 
大学士:バカタレが。・・少年、気にするな。
ジョバンニ:怪物って。
助手 :親方!
大学士:どうした。出たか。
助手 :でました。
大学士:よーし、よくやった。
助手 :帰れますね。
大学士:ああ、やっとな。どれ・・。おい!!
助手 :はい!
大学士:違うぞ、光が、これは。全然違う。バカタレが!
助手 :えっ。違うんですか。
大学士:これは、琥珀じゃねえか。振り出しだな。
助手 :またですか。
大学士:しかたねえだろ。掘り直しだ。
助手 :はい。
大学士:バカタレが、何年掘ってんだ。・・そうだ、少年、これをやろう。
 
        躊躇する。
 
大学士:どうした、蠍だ、いらんのか。
助手 :蠍だよ。
ジョバンニ:蠍。
大学士:そう。少年にぴったりだ。琥珀に入った蠍だ。
 
        石のようなものを示す。
 
大学士:どうだ。
ジョバンニ:でも、僕、お金無いから・・。
大学士:バカタレが。金なんかいらん。
ジョバンニ:え?
大学士:少年、お前にはこの蠍が必要だ。
ジョバンニ:僕に。なぜ。
助手 :君の星だからね。
ジョバンニ:え、蠍、僕の星じゃありません。・・僕は、羊星です。
助手 :本当に、そうかな。そのペンダント。
ジョバンニ:え?
 
        ペンダントが赤く輝く。
 
助手 :君の羊は、もう君の心をどんどんどんどん食いつぶして、空っぽにしているんじゃないのかな。
 
        ジョバンニ、見つめる。
 
助手 :真っ暗な中に、見えるだろ。
ジョバンニ:え?
助手 :いまはもうその輝きが強くなっているはずだ。
ジョバンニ:なんですか。
助手 :蠍の火だよ。蠍の星が燃えているんだ。
ジョバンニ:蠍?
助手 :ようく、見てごらん。
 
        琥珀を見る。
 
助手 :さあ。
 
        ジョバンニ、ゆっくりと琥珀をあげる。
        かすかな赤い炎が燃えていた。
 
ジョバンニ:嘘。
助手 :君の星だよ。蠍の星。・・そのペンダントと同じね。
 
        嫌々する。
 
ジョバンニ:うそだ、これは。
助手 :君が飼っている蠍の光だ。そうだろう。
 
        間。
 
ジョバンニ:ああ、そうだ。僕は自分にうそをついていた。羊の目のように真っ赤な火がぼくの真っ暗な心の中でたしかに燃えている。あれは、いつ    のことだろう。僕の日記にこう書いたのは。ぼくは、今日から、あいつを飼うことに決めた。だんだんと、餌をやれば大きくなると思う。あ    いつがいると、僕は、僕である気がする。
助手 :最初は小さいんだ、誰もね。
ジョバンニ:でも、あいつは、いつも、外に出たがってぼくを困らせる。仕方がないから、時々餌をやらなければならない。でも、だんだんと大きな    餌が必要になってくる。どうしたらいいんだろう。
助手 :いまは、ずいぶん明るくなっているだろう。
ジョバンニ:あいつは、ときどき僕の手に負えない。今日も、僕は、おもわずカンパネルラがにくらしくてたまらなくなった。憎んではいけないのに、    僕の身体がふるえてきて、止まらなかった。あいつは喜んでもう少しで外へでる所だった。
助手 :蠍が燃えているんだよ。
 
        黙り込むジョバンニ。
 
助手 :怖いのかね。
ジョバンニ:・・・。
大学士:羊だろうが蠍だろうが、(胸をさして)ここにはどっちみち照らしてくれる何かがいるんだ。
ジョバンニ:え。
大学士:からっぽにゃとっても耐えられないからね。
助手 :ぴったりはまるだろ。
 
        ジョバンニ、こわごわペンダントに持っていく。
        ペンダントの裏側にぴったりはまった。
        愕然とするジョバンニ。
 
大学士:しっかりしろ。少年。悪いことばかり考えるんじゃないぞ。
ジョバンニ:・・うん。
大学士:そのいきだ。・・おい、そうじゃないだろが。スコップつかえっていってるだろ。
助手 :あいあいさー。
大学士:あいあいさーじやねえよ。バカタレが!こうだ。うぉりゃー。
 
        大学士、猛然と掘り出す。助手も。
        ジョバンニは、ペンダントを首にはめる。
        車掌がやってくる。
 
車掌 :(一礼して)みなさん。まもなく、最終便の時間です。ちょっと、切符を拝見します。
    
        車掌があいさつしながら切符の検札を始める。
        大学士たちは掘るのをやめる。しゃーねえなーとか言いながら、ごそごそ探し始めた。
        B・Bは磨いていたブリキの大きなバッヂを示す。
    
ジョバンニ :切符?
カンパネルラ:乗るんだよ。
ジョバンニ:何に。
カンパネルラ:銀河鉄道。
 
        カムパネルラが何かペンダントのようなものを出す。
 
ジョバンニ :カムパネルラ。銀河鉄道って。
車掌 :切符を拝見します。・・結構です。
カムパネルラ:・・はい。
 
        カムパネルラ、何かを悟ったような。
 
車掌 :・・君は?
ジョバンニ:切符と言っても・・・・。
 
        鞄の中をもぞもぞするがない。
 
車掌 :それは。
ジョバンニ:え?
        
        ペンダントに車掌注目。
 
車掌 :ちょっと、いいですか。
ジョバンニ:あ、はい。
 
        車掌、ためつすがめつして、溜息。
 
車掌 :これは三次空間の方からお持ちになったのですか?
ジョバンニ:なんだかわかりません。
車掌 :結構。サウザンクロス行きは祭が終わりしだい出ます。
 
        大学士たちのチェックに行く。
        B・Bが、横から見てあわてたように。
 
B・B:ちょ、ちょっとおれにも見せてくれないか。
 
        ジョバンニ、渋々渡す。
        それこそ、うらやましそうに、ためつすがめつ見る。
        ため息ついて。
 
B・B:こいつは。大したもんだ。なるほど。どこへだっていける。はーっ。ガキがねえ。ああ、あのとき、おれだって、これさえありゃ、独りで飛    べたんだ。なあ。そんなら、こんなけちくさい行商なんかしなくてすんだんだ。
 
        B・B、ため息をつく。
 
B・B:本当にこいつは大したもんだ。
 
        ジョバンニ、あわてて首にかける。
 
B・B:飛行士か。・・けっ、くだらねえ。
 
        と、ぷいっと、横を向いた。
 
ジョバンニ:あの。
 
        と、声をかけるが、荷物を持って、離れたところへ移動してしまった。
 
ジョバンニ:あの。
 
        といいかけたのへ、カンパネルラ首を振って。止める。
        車掌は、少し首を傾げていたが。
 
車掌 :ちょっと、風が出てきそうですね。
 
        と、車掌は一礼して、去っていった。
        風がすこし吹いている。        
 
[宇宙気流
 
        ジョバンニ、蠍のペンダントをもう一度よく見る。
        掲げてみている。赤く輝く。
        風が吹いてくる。激しい風だ。
        ジョバンニとカンパネルラは吹き飛ばされそうになる。
        B・Bがうおっと言う。
        風に飛ばされるように青年とかおるがやってくる。
        かおるは林檎を持っている。
 
青年 :ずいぶんひどいねー。石炭袋もあれてるらしい。
 
        と、風に負けぬようにジョバンニたちのそばに来る。
        風が収まる。
 
青年 :ああ、やれやれ。
 
        と、ジョバンニがまだペンダントを握りしめてるのを見て。
 
青年 :気に入ってるんだね。
ジョバンニ:え。
青年 :いいペンダントじゃないか。
ジョバンニ:どこかでお目にかかりませんでした。
青年 :さあ、しらないね。他人のそら似だろ。僕は、あの子の家庭教師さ。乗ってた、船が沈んでね。
 
        かおるが会釈する。
        あわてて会釈するジョバンニ。
 
カンパネルラ:沈んだって。
青年 :ああ、気にしないで。事故なんだ。ああ、また少し風が出たかな。
 
        かぜがまた少し出てきた。
 
ジョバンニ:風が吹くんですね。
青年 :ああ、よく吹くよ。石炭袋からもうびゅーびゅー吹いてくる。銀河の風だね。
カンパネルラ:ひょっとして、宇宙気流。
青年 :おっ、よく知ってるね。何だって生み出す風さ。
ジョバンニ:何でも。
青年 :そうだよ。太陽だって、地球だって、海だって、植物だって、動物だって、我々だって。すべての命の素だね。
ジョバンニ:すべての?
青年 :そう。
 
        と、ポケットをごそごそしていたが。
 
青年 :これが命の素だ。
 
        と、鉛筆を取り出した。
 
ジョバンニ:鉛筆?えー?
青年 :石炭や、ダイヤモンドでもある。
カンパネルラ:ひょっとして・・炭素?
青年 :ぴんぽーん。我々の生命を作っている基本的な物質は何とこいつらと同じ炭素なんだ。びっくりするよね。
 
        こんこんと、鉛筆でたたく。
 
ジョバンニ:炭素か。
青年 :そう。炭素原子が元になって、我々みたいに複雑な生命を生み出している。だから命の素というわけ。
ジョバンニ:へーえ。
青年 :それだけじゃないよ。
ジョバンニ:何。
青年 :たってごらん。
 
        かおるがくっくっと笑う。
 
青年 :いいじゃないか。家庭教師の癖が出ただけだよ。
 
        ジョバンニ立つ。
 
青年 :君も。
 
        カムパネルラ立つ。
 
青年 :何か聞こえないか。
 
        二人、耳を澄ます。
 
二人 :いいえ、何も。
青年 :そうだ。ひとりでは聞こえない。では、二人の手と手の間に炭素があるとしよう。手をつないで。そうして、後ろからさらに僕が手をつなぐ。
 
        大学士、後ろから二人のつながった手に、手をおく。
 
青年 :これが炭素だ。何か気がつかないか?
 
        二人首を振る。
 
青年 :風の音が聞こえるだろう。
ジョバンニ:風?
青年 :炭素の4本目の手が我々の向こうにある。炭素はこうやって手から手へ次から次へとつながってゆくんだ。ほら。
 
        と、遠い前方を見る。
        かすかに風の音が聞こえる。
 
青年 :やがて我々の前にもう一人来る。
カンパネルラ:誰ですか。
青年 :大切な人だ。私たちにつながる大切な人だ。・・聞いてごらん。銀河を吹き抜ける風の音を。
カンパネルラ:本当にくるんですか。
青年 :必ずね。
 
        耳を澄ます。聞こえたかもしれないが・・。
        
青年 :人は、ひとりだけれどひとりじゃない。こうして、つながっていくんだ。
カムパネルラ:本当に・・
青年 :本当に・・・。さあ、もう一度耳を澄ませて。
 
        宇宙気流の音
        カムパネルラ、聞こうとする。
        「ケンタウルス露を降らせ!」のかすかな声が聞こえる。
        「ラッコの上着がくるよ」という声も混じって聞こえた。
        ぎくりとするジョバンニ。思わず手を引っ込める。
 
青年 :ラッコの上着が来るよー。
 
        ジョバンニ、後ずさり。
 
青年 :ラッコの上着が来るよー。
 
        ジョバンニ、更に後ずさり。
 
カンパネルラ:やめて下さい。
青年 :ジョバンニ、いつまで逃げる。ラッコの上着が来るよー。
カンパネルラ:やめて!
青年 :いつまで逃げても、何も変わりはしない。ジョバンニ、手を伸ばすしかない。ラッコの上着が来るよー。
カンパネルラ:どうしてこんなことするんですか!
 
        ふっと、カンパネルラを見る。
 
青年 :どうして、こんな事をする?おかしいことを言うね。カンパネルラ。君はジョバンニにこんな事をしていないとでも?
カンパネルラ:当たり前です。僕は。
青年 :見ていただけなんだよね。
カンパネルラ:・・・
青年 :そうだろう。見ていて。そうして、何もしなかった。違うかい?
カンパネルラ:それは。
 
        ため息ついて。
 
青年 :いじめられていても仕方ないって思ったことないかい。
カンパネルラ:そんなこと。
青年 :あいつは、いつもだらしないから。頭よくないから。身体弱いないから。ちびだから。引っ込み思案だから。不細工だから。目立つから。性格悪いから。・・少しぐらいはいいんだって。
カンパネルラ:・・そんなこと。
青年 :いいんだ。その通りだよ。
カンパネルラ:え?
青年 :いじめられて当然なんだ。弱いものは。
ジョバンニ:え?
 
        ジョバンニもびっくり。
 
カンパネルラ:うそだ。
青年 :嘘じゃない。君は、正しいことが好きかい。
カンパネルラ:え?
青年 :よいことが好きかい。
カンパネルラ:え?
青年 :きれいなものが好きかい。
カンパネルラ:・・。
青年 :強いものが好きかい。
 
        カンパネルラと父。
 
カムパネルラ:お父さん。
父  :・・・・
カムパネルラ:お父さん。僕は立派な人なんかなれないよ。聞いている。
父  :・・・
カムパネルラ:お父さん、僕を良い子だと言ったよね。言ったよね。
父  :・・・
カムパネルラ:本当にそうなの。・・・返事をしてよ。お願いだから返事をしてよ。
父  :・・・
カンパネルラ:父さん。
 
        元に戻る。
 
青年 :ほかのものになることは許されないって決められたんだ。
カンパネルラ:・・・。
青年 :たとえば正しいもの。よいもの。きれいなもの。それ以外のものには価値がないって、ある日決められた。
カンパネルラ:・・そうしたら。
青年 :正しいものしかいない世界、善いものしかない世界、美しいものしかない世界。・・それが世界だって決められた。
カンパネルラ:・・・。
青年 :君は、歩いた。
カンパネルラ:・・。
青年 :君は見た。
カンパネルラ:・・・。
青年 :フケツだから嫌われる。当たり前のことだ。頭よくないものが馬鹿にされる。ちっとは勉強したらどうだろう。身体弱いものがいじめられる。    人に迷惑かけるなら家にでも引っ込んでりゃいい。
青年 :君は、見続けた。
カンパネルラ:・・・。
青年 :引っ込み思案だから人のいいようにされる。心優しいからいやなことばかり押しつけられる。弱いから強い者の言うことを押しつけられる。
カンパネルラ:・・・。
青年 :それは、正しい世界なんだ。価値ある者がふさわしい待遇を受けられる、正しい世界だ。
カンパネルラ:違うよ。違う。
青年 :いいや、違わない。弱い者が悪いんだ。
カンパネルラ:違う!
 
        カンパネルラ、悲鳴のように。
 
青年 :君は僕に似ている。
 
        はっとする、カンパネルラ。
        大学士、やおら、胸の中からペンダントを。
        透明な青いペンダント。
        カンパネルラ、自分もペンダントを出してみる。
 
青年 :本当に似ている。
カムパネルラ:本当にそうなの。・・・返事をしてよ。お願いだから返事をしてよ。
父  :・・・
カンパネルラ:父さん。
 
        父とカンパネルラ。
 
父  :・・・・
カムパネルラ:僕はこのままではどこにもいけやしないよ。返事をして。
父  :お前はいい子だ。
カムパネルラ:うそだ。ぼくがもうダメなことわかってるはずだろ。これ以上無理だよ。
父  :誰だって、そんなときがある。がんばれば何とかなるものだ。
カムパネルラ:がんばれないよ。もう限界だ。
父  :そんなことを言うものではない。人間あきらめてしまえばそれでおしまいだ。そうだろ。自分のやりたいことをやるには苦しいときこそ一番    がんばらなければならない。お前ならできる。お前はそれだけのものを持っているんだ。
カムパネルラ:そんなことを言わないで。ぼくは、もう空っぽだよ。もう、ダメなんだ。
父  :お前はそんな子じゃない。やればできるはずだ。自分を卑しめるんじゃない。
カムパネルラ:わかってない、お父さんは何もわかっていない。
父  :そんなことはない。お前のことは一番よくわかっている。
カムパネルラ:誰だって、自分のことしかわからない。お父さんだって、僕のことはわからない。
父  :そんなことはない。
カムパネルラ:だから、・・だから・・もう、いいよ。
父  :いい子だ。
カンパネルラ:いい子じゃないよ!お父さん!
 
        風が吹き抜けるような。
        元に戻る。
 
ジョバンニ:きれいだ。
青年 :(苦く笑った)それだけなんだよ。ただ透明で空っぽの風が吹いているだけだ。君のように蠍がいるわけじゃない。
 
        突然。
 
カンパネルラ:(硬い声)蠍、悪い虫です・・。怪物です。
 
        答えず。
 
青年 :怪物か。
カンパネルラ:いいじゃないですか。空っぽで。蠍だの、なんだのって、そんなもの、何にもいない方がずっといい。
 
        ジョバンニ、カンパネルラの態度に不思議を覚える。
 
ジョバンニ:カンパネルラ・・。
カンパネルラ:そんなものいたって、しょうがないもの。
かおる:そっかなあ。
ジョバンニ:え?
 
        と、振り返る。かおるが林檎を差し出している。
   
\蠍の火
 
かおる:林檎はいかが。ほら。
ジョバンニ:りんご?
かおる:はい、おいしいよ。このりんご。
 
        と、カンパネルラにも分ける。
 
かおる:蠍、いい虫よ。
ジョバンニ:どうして?
かおる:あれ見て。
ジョバンニ:赤い火が燃えてる。
カムパネルラ:蠍だ・・。
かおる:そうよ。蠍が焼けて死んだのよ。その火が今も燃えてるの。
カンパネルラ:火が燃えている?
 
        ジョバンニ、そっとペンダントをのぞき込む。
 
かおる:蠍いい虫なの。聞いて。昔バルドラの野原にね、一匹の蠍がいて、小さな虫やなんか殺して生きていたの。ある日いたちに見つかって食べら    れそうになったの。蠍は一生懸命逃げて逃げたけど井戸があってその中に落ちてしまったわ。
 
        明かりが落ちてくる。
 
かおる:もう、どうしてもあがられないで、蠍は溺れ始めたの。その時蠍は、こう言ってお祈りし始めたの。ああ、私は今までいくつもの・・・
 
        シルエットになる。重なって。
 
全員 :今までいくつもの命を取ったかわからない。そしてその私が今度いたちに取られようとした時はあんなに一生懸命逃げた。それでもとうとう    こんなになってしまった。ああ、どうして私は私の身体を黙っていたちにくれてやらなかったろう。
 
        ボーっとカムパネルラが浮かぶ。
 
全員 :そしたらいたちも一日生き延びただろうに。
カムパネルラ:どうか神様。こんなにむなしく命を捨てず、どうかこの次には、まことのみんなの幸いのために私の身体をお使い下さい。
かおる:って、言ったの。
 
        元に戻る。    
 
かおる:そしたら、いつか蠍は自分の身体が真っ赤な美しい火になって燃え、夜の闇を照らしているのを見たのよ。あの火が蠍の火よ。蠍いい虫だわ。
カンパネルラ:蠍は幸せなんだろうか。
かおる:わからない。でも、必要とされてるわ。
カンパネルラ:どうして?
かおる:だって、蠍には、照らし続けねばならない夜の闇の中の人々がいるじゃない。
カンパネルラ:蠍を必要とする人々・・。
かおる:そう。
 
        ジョバンニは、ペンダントを示して。
 
ジョバンニ:でも、空っぽの中をいくら照らしたってどうしようもないだろう。
かおる:それは違うわ。
ジョバンニ:どうして。
 
        かおる、静かに。
 
かおる:あの、七つの星の向こうをみてごらんなさい。
 
        二人、じっと見る。
 
ジョバンニ:それで。
かおる:何もないでしょう。
ジョバンニ:真っ暗だ。
かおる:あれが石炭袋よ。何もない宇宙の中で、本当に何にもない穴。
カンパネルラ:石炭袋。
かおる:そう。何にもないの。怖い?
カンパネルラ:少し。
 
        間。
 
かおる:でも、あれが本当の当たり前なのよ。
ジョバンニ:え?
かおる:あそこから吹いてくるの。宇宙気流は。面白いじやない。何にもないから生まれるのよ。
カンパネルラ:なんにもないから生まれる。
かおる:そう。空っぽの中からね。そうして、蠍の火はそれを照らしているのよ。
ジョバンニ:生まれる。
かおる:そうよ。蠍だけじゃない。北極星だって羊星だって、星はひとりだから光ってるわ。やがて来る人を宇宙気流の風の中で待ち続けるために。    手を精一杯伸ばして光っている。ひとりだけれど、ひとりじゃないわ。
ジョバンニ:・・・。
かおる:空っぽだから生まれる。ひとりだからつながる。
 
        間。
 
ジョバンニ:なんにもないから生まれる。
かおる:そう。
ジョバンニ:本当だろうか。
    
        間。
        琥珀を見る。
 
ジョバンニ:何もない空っぽの僕から僕の思いが生まれ、僕の色が一つできる。
 
        琥珀の蠍をかざす。
 
ジョバンニ:そうして、誰かにつながっていく。
 
        かざしてみるジョバンニ。
 
ジョバンニ:空っぽを照らし出す僕の蠍。
 
        赤く燃える蠍。
 
ジョバンニ:赤く、燃えている。・・カンパネルラ・・僕の蠍だ。
 
        
 
カンパネルラ:ああ・・君の蠍の火だ。
かおる:あなたも同じよ。
カンパネルラ:え?
かおる:何か生まれるわ。
カンパネルラ:これに?
 
        と、青いペンダントを見せる。
 
かおる:そう。
カンパネルラ:どうして。
かおる:だって、本当に空っぽになってるんでしょう。
 
        
        何か言おうとするカンパネルラへ。
        汽笛が遠くなった。
        車掌がやってくる。
 
]石炭袋の真実
 
        車掌一礼して。
 
車掌 :みなさん、長らくお待たせいたしました。まもなくサウザンクロス行き最終便の出発です。どなた様もお忘れ物の無いよう、充分ご注意願います。
 
        一礼して去る。
 
かおる:ああ、時間だわ。それじゃ、ジョバンニ、元気でね。
 
        何となく曖昧にうなづくジョバンニ。
 
青年 :さあ、時間だ。
ジョバンニ:行くんですか。
青年 :ああ。
ジョバンニ:どこへ。
かおる:石炭袋よ。
ジョバンニ:あの何にもないところ。
かおる:そう、何もないところへ。
ジョバンニ:どうして・・。
 
        かおる、ペンダントを出す。
        これも、青い透明なペンダント。
 
かおる:私には、蠍がいないの。
ジョバンニ:え?
かおる:生まれるためによ。かれもね・・。
ジョバンニ:え?
 
        カンパネルラ、一緒に行こうとしている。
 
ジョバンニ:・・カンパネルラ?
カンパネルラ:いけないんだ。
ジョバンニ:え、行かないの。
カンパネルラ:違うよ。僕たちは、・・もう一緒にはいけないんだ。
ジョバンニ:え?
カンパネルラ:いままでだって、一緒じゃなかったかもしれない。
ジョバンニ:なんだって。
カンパネルラ:ジョバンニ。僕は・・本当の羊だ。
ジョバンニ:何言ってるの。
カンパネルラ:僕はひとりにもなれない奴だった。
ジョバンニ:え?
カンパネルラ:僕は本当は、君を哀れんでいただけなのかもしれない。そうして、ぼくは、そのことで羊になることをさけようとしていた。火の粉が    降りかかるのを恐れていた。
ジョバンニ:カンパネルラ・・。
カンパネルラ:僕は、乗り遅れないように、落ちこぼれないように汲々としているだけだったただの弱い羊だ。
ジョバンニ:カンパネルラ、そんなこと言わないで。
カンパネルラ:僕は本当は臆病でほんとうは、独りだって言うことに耐えられなかった。ああ、本当にそれに耐えることさえできていたら。
ジョバンニ:カンパネルラ。
カンパネルラ:たえられないから、みんなシステムが必要になるんだ。僕を縛って、僕でないようにさせるくせに、それから離れることができ無くさ    せる。
ジョバンニ:カンパネルラ。
カンパネルラ:だから、僕は、もう君と行くことはできない。あの石炭袋へ行くしかないんだ。
 
        汽笛が近づく。
        カンパネルラがペンダントを見せる。
 
カンパネルラ:僕には蠍はいない。僕は、もう一度、あの風を聞くしかない。
ジョバンニ:だから、それがなんなの。ねえ、どうしたの。
カンパネルラ:ジョバンニ・・。
ジョバンニ:何。
カンパネルラ:ボートが沈んだんだ
ジョバンニ:え?
カンパネルラ:ボートは沈んだんだよ。
 
        ペンダントが差し出される。
        燃えている。あおい、炎をあげて。
 
カンパネルラ:だから、お別れだ。ジョバンニ。僕は、あのとき君を笑った。
ジョバンニ:カンパネルラ。
カンパネルラ:ケンタウルスの祭りの夜。
ジョバンニ::ケンタウルスの祭りの夜。
カンパネルラ:ボートが転覆した。
かおる:ボートが転覆した。
ジョバンニ:ボートが転覆した。
全員 :ケンタウルスの祭りの夜。ボートが転覆した。
 
        ジョバンニは琥珀の蠍を握りしめる。
        赤く燃えている。
        汽笛が高くなった。
        汽車の動輪の動く音。
 
カムパネルラ:お父さん。
 
        汽笛。
 
声  :ジョバンニ!ラッコの上着が来るよーっ!
 
        カーニバルの音楽。
        通り過ぎる異形の人々。
        寂しそうに笑いを浮かべるカンパネルラ。
 
ジョバンニ:カンパネルラ!何でそんなに笑ってられるの。僕が、ここにいるのに。カンパネルラ、何でザネリと行くのぼくはここにいるのに。
 
        悲しそうなほほえみを浮かべる。
 
ザネリ:おーい、カムパネルラ、いつまでしかめっつらしてるのさ。せっかくのケンタウルスの祭りだろ。
 
        カンパネルラ、ザネリの方を振り向く。
 
ザネリ:烏瓜流そうぜ。おい、ボート、さっさと用意しろよ。・・ほーら、ケンタウルス露を降らせ!
 
        ケンタウルス露を降らせ。
        ジョバンニ、行こうとするがパレードに邪魔される。
        ジョバンニはその流れの中で孤立する。
 
ザネリ:ほら、ケンタウルス露を降らせ!
 
        カンパネルラは、ザネリと共にボートの方へ。
        思わず、駆け寄りそうに。
 
ジョバンニ:カンパネルラ。
ザネリ:誰だい。
ジョバンニ:カンパネルラ。
ザネリ:ラッコの乗るボートなんてねえよ。ラッコは、ひとりで泳いでな。
 
        ボートに乗るザネリ。
        続いて乗るカンパネルラ。
        カーニバルの人々が、間に割ってはいるように流れていく。
 
ジョバンニ:カンパネルラ!        
声  :ラッコの上着が来るよー。
    
        パレードに包まれるジョバンニ。
 
ザネリ:なんだよ、しつこいやつだなーっ。
 
        蠍が目を覚ます。赤く、不気味に発光する。
 
ジョバンニ:ああ、やめてよ。だめだ、あいつが目を覚ます。僕の身体がざわざわしてる。あいつが目を覚ますよ。だめだーっ。
 
        と、琥珀を捧げるように叫ぶ。
        ザネリがあがってくる。
 
ザネリ:らっこのうわぎがくるよーっ。
ジョバンニ:言うなーっ!!
 
        ザネリを突き落としているジョバンニ。
        悲鳴を上げて落ちていくザネリ。
        カーニバルの人々は、渦のように巡る。
        おぼれ始めるザネリ。
 
ザネリ:助けてくれーっ。おれは泳げないんだーっ。
カンパネルラ:ザネリ。
 
        カンパネルラは助けに行こうとする。
 
ジョバンニ:いくな、カンパネルラ!ザネリなんか、あんなやつ!
カンパネルラ:おぼれてしまうよ。
ジョバンニ:いいよ、おぼれたって!当然だよ!
 
        小さい間。
 
カンパネルラ:ジョバンニ。蠍って、本当はいい虫だよ。
ジョバンニ:カンパネルラ。
カンパネルラ:・・ザネリ、いま助けるよ。
ジョバンニ:カンパネルラ!行くな、カンパネルラ!
 
        カンパネルラ、振り返ってにっこり笑ったような気がした。
 
ジョバンニ:カンパネルラ!!
 
        思わずカンパネルラを突き落としてしまう。
        落ちていくカンパネルラ。
        カーニバルの人々、二人を飲み込むように巡る。
        おぼれるカンパネルラ。
 
ジョバンニ:カンパネルラ!カンパネルラーっ!
 
        カーニバルに飲み込まれるカンパネルラ。    
        長い汽笛。
        溶暗。
 
]Tケンタウルス露を降らせ
 
        カーニバルの人々が、さんざめく夜。
        カンパネルラの父がジョバンニたちに何か言っている。
 
父  :もう駄目です。落ちてから45分たちましたから。
 
        溶明。
        ジョバンニ、呆然と立っている。
        カンパネルラが父とジョバンニを見つめている。
 
カムパネルラ:とうさん。
父  :もう結構です。ありがとうございました。
カムパネルラ:とうさん。僕ここにいるよ。聞こえない。
父  :皆さんももうお引きとり下さい。
カムパネルラ:そうだね父さん、僕は此処にいるけどもう聞こえないんだ。
父  :はい。もう駄目です。落ちてから45分立ちましたから。
カムパネルラ:僕に始めて、いったよね。父さん。・・僕はもうだめだって。
父  :あなたはジョバンニ君でしたね、今晩はありがとう。
カムパネルラ:どうして、そんなにも、がまんしていられるの。
父  :あなたのお父さんはもう帰っていますか。
カムパネルラ:どうして、そんなに平気でいられるの。
父  :どうしたのかなあ、僕には一昨日たいへん元気な便りがあったんだが。
カムパネルラ:どうしてそんなに、嘘をついていられるの。
父  :今日あたりもう着くころなんだが。船が遅れたんだな。
カムパネルラ:どうして、そんなに優しくしてられるの。
父  :ありがとう、よくしてくれて。カムパネルラも幸せです。
カムパネルラ:父さん、・・どうして、そんなに、強いの。
父  :ジョバンニさん、あした放課後みなさんとうちへ遊びにきて下さいね。
カムパネルラ:・・お父さん。・・僕は、もう行くよ。
父  :ありがとう。どうもありがとう。
カムパネルラ:お父さん。
父  :では、さようなら。
カムパネルラ:さようなら。お父さん。
 
        父は、あくまでも立派に正しく去る。
        カーニバルの人並みに飲み込まれていく。
        カンパネルラ、父を見送る。そうして、今度は、ジョバンニをまっすぐ見る。
        そうして、はればれとした悲しさとでもいう風なほほえみを浮かべはっきり言う。
 
カンパネルラ:さよなら。ジョバンニ。
 
        カンパネルラは本当に去る。
 
ジョバンニ:違う、違う、違う!
 
        ジョバンニ、激しい、拒否をする。
        カンパネルラの父へか、自分へか、はたまたそのほかの何かわからないが。
 
ジョバンニ:・・・カンパネルラ。
 
        蠍を取り出す。
        赤く輝いている。
        間。
 
ジョバンニ:・・蠍、本当にいい虫だろうか。
 
        琥珀の蠍は輝き続ける。
        カーニバルの中で人々がちょっかいをかける。
        風を聞こうとするが聞こえないようだ。
 
ジョバンニ:なにも聞こえない。
 
        ペンダントを握る。
        カーニバルの人々が舞う。
        ケンタウルス、露を降らせ。の声。
        聞き耳を立てる。
        ラッコの上着が来るよー。
        ジョバンニぎくっとするが。ペンダントを握り。
 
ジョバンニ:僕の星は蠍の星だ。
 
        ラッコの上着が来るよー。
 
ジョバンニ:だから、僕は蠍の光に照らされて。
 
        ラッコの上着が来るよー。
        ジョバンニ、蠍のペンダントを首にかける。
 
ジョバンニ:蠍と共に歩こう。
 
        ラッコの上着がくるよーっ。 
        ジョバンニ、頷いて、ペンダントを見て。
 
ジョバンニ:そうだ。カンパネルラを殺したのは僕だ。
 
        ケンタウルス露を降らせーっ。つゆをふらせーっ。
        ジョバンニは、悲痛な宣言をする。
 
ジョバンニ:カンパネルラは殺してしまったのは僕だーっ。
 
        ペンダントを掲げたまま。
        カーニバルの人々の中に埋もれていくジョバンニ。
        蠍は彼を照らす。
 
]Uエピローグ・・蠍の食卓
 
        祭りはやがて潮のように引き。
        ジョバンニはやっと家に帰った。
 
母  :ジョバンニ?
ジョバンニ:・・・
母  :ジョバンニかい?
ジョバンニ:・・ただいま。牛乳瓶とってきたよ。
母  :ああ、お帰り。・・・ミルクがあるよ。あったかいからお上がり。
ジョバンニ:・・ああ、ぼくは飲みたいと思う。
 
        ジョバンニ席につく。
        汽笛が鳴る。
 
母  :誰か行くんだね。
ジョバンニ:ああ、だれも、きっと行くんだよ。
母  :お前は。
 
        ジョバンニ、蠍をポケットから取りだしてみる。
 
ジョバンニ:僕は・・帰ってきたよ。
母  ・・そうだったね。ミルクをお上がり。たんとおあがり。・・あったかいよ。
 
        ジョバンニ、ミルクを飲む。ためらいながら、やがて熱心に食べる。
        汽笛が再びなる。
 
母  :誰か行くんだね。
ジョバンニ:ああ、僕は帰ってきた。
母  :・・カムパネルラさんは?
 
        ジョバンニ、ミルクをゆっくり飲む。
        蠍をテーブルにおいた。
 
ジョバンニ:・・・カムパネルラは・・帰らない。
 
        ジョバンニ、熱心に食べる。
        母、いとおしそうに見守る。
        汽笛が再び鳴る。鋭く鋭くなる。
        ジョバンニ、食べるのをやめる。
 
ジョバンニ:・・カムパネルラ。
 
        ジョバンニ再び熱心に、熱心に食べ続ける。見守る母。
        情景が急速に遠くなるとともに、風の音が聞こえる。
        蠍の火が燃えている。
        何もない暗黒の大宇宙を吹き抜けていく孤独な音が聞こえる。びょうびょうとびょうびょうと吹き抜けている音だ。                ジョバンニ食べるのをやめて、ふと、聞き耳を立てた。
 
ジョバンニ:・・・カムパネルラ?
 
        風だけがジョバンニの宇宙を吹きわたっていく。
        ジョバンニ、風の音を聞きつづける。
        蠍の火が赤く燃え続けている。
                                       
                                                              【 幕 】


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