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●『朗読劇 銀河鉄道の夜』


                       原作 宮沢賢治  脚本 結城翼


Ⅰ午後の授業

     弦楽器による星巡りの歌が細く流れる。
     汽笛が遠く長く鳴る。
     先生は宙を見上げる。そうして物語が始まる。
     生徒たちを眺めて。

先生  ではみなさんは、そういうふうに川だと言われたり、乳の流れたあとだと言われたりしていた、このぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。

     カムパネルラが手を上げる。

ナレ  カムパネルラが手をあげました。ジョバンニも手をあげようとして、急いでそのままやめました。たしかにあれがみんな星だと、いつか雑誌で読んだのでしたが、このごろはジョバンニはまるで毎日教室でもねむく、本を読むひまも読む本もないので、なんだかどんなこともよくわからないという気持ちがするのでした。

     先生がめざとく見つけた。

先生  ジョバンニさん。あなたはわかっているのでしょう
ナレ   ジョバンニは勢いよく立ちあがりましたが、立ってみるともうはっきりとそれを答えることができないのでした。ザネリが前の席からふりかえって、ジョバンニを見てくすっとわらいました。ジョバンニはもうどぎまぎしてまっ赤になってしまいました。
先生   大きな望遠鏡で銀河をよっく調べると銀河はだいたい何でしょう
ナレ   やっぱり星だとジョバンニは思いましたが、こんどもすぐに答えることができませんでした。

     間

先生  ではカムパネルラさん。
ナレ  するとあんなに元気に手をあげたカムパネルラが、やはりもじもじ立ち上がったままやはり答えができませんでした。先生は意外なようにしばらくじっとカムパネルラを見ていましたが、、
先生  このぼんやりと白い銀河を大きないい望遠鏡で見ますと、もうたくさんの小さな星に見えるのです。ジョバンニさんそうでしょう
ナレ  ジョバンニはまっ赤かになってうなずきました。けれどもいつかジョバンニの眼のなかには涙がいっぱいになりました。そうだ僕は知っていたのだ、もちろんカムパネルラも知っている、それはいつかカムパネルラのお父さんの博士のうちでカムパネルラといっしょに読んだ雑誌のなかにあったのだ。それをカムパネルラが忘れるはずもなかったのに、すぐに返事をしなかったのは、このごろぼくが、朝にも午後にも仕事がつらく、学校に出てももうみんなともはきはき遊ばず、カムパネルラともあんまり物を言わないようになったので、カムパネルラがそれを知ってきのどくがってわざと返事をしなかったのだ、そう考えるとたまらないほど、じぶんもカムパネルラもあわれなような気がするのでした。
先生  ですからもしもこの天の川がほんとうに川だと考えるなら、その一つ一つの小さな星はみんなその川のそこの砂や砂利の粒にもあたるわけです。そんなら何がその川の水にあたるかと言いいますと、それは真空という光をある速さで伝えるもので、太陽や地球もやっぱりそのなかに浮かんでいるのです。つまりは私どもも天の川の水のなかに棲んでいるわけです。この模型をごらんなさい。
ナレ  先生は中にたくさん光る砂のつぶのはいった大きな両面の凸レンズを指さしました。
先生  天の川の形はちょうどこんななのです。このいちいちの光るつぶがみんな私どもの太陽と同じようにじぶんで光っている星だと考えます。そんならこのレンズの大きさがどれくらいあるか、またその中のさまざまの星についてはもう時間ですから、この次の理科の時間にお話します。では今日はその銀河のお祭りなのですから、みなさんは外へでてよくそらをごらんなさい。ではここまでです。本やノートをおしまいなさい。
生徒  起立、礼!

    音楽。

Ⅱ 家

ナレ  ジョバンニが勢いよく帰って来たのは、ある裏町の小さな家でした。その三つならんだ入口のいちばん左側には空箱に紫いろのケールやアスパラガスが植えてあって小さな二つの窓には日覆いがおりたままになっていました。
ジョバンニ  お母さん、いま帰ったよ。ぐあい悪くなかったの
母    ああ、ジョバンニ。今日は涼しくてね。わたしはずうっとぐあいがいいよ。
ナレ  ジョバンニは玄関を上がって行きますとジョバンニのお母さんがすぐ入口のへやに白い巾をかぶって寝すんでいたのでした。ジョバンニは窓をあけました。
ジョバンニ  お母さん、今日は角砂糖を買ってきたよ。牛乳に入れてあげようと思って
母    ああ、お前さきにおあがり。あたしはまだほしくないんだから。
ジョバンニ   お母さん。姉さんはいつ帰ったの
母    ああ、三時ころ帰ったよ。みんなそこらをしてくれてね。
ジョバンニ   お母さんの牛乳は来ていないんだろうか。
母    来なかったろうかねえ。
ジョバンニ   ぼく行ってとって来よう。
母    ああ、あたしはゆっくりでいいんだからお前さきにおあがり、姉さんがね、トマトで何かこしらえてそこへ置いて行ったよ。
ジョバンニ   ではぼくたべよう。

     遠くで汽笛。音楽。

ジョバンニ   ねえお母さん。ぼくお父さんはきっとまもなく帰ってくると思うよ。
母    ああ、あたしもそう思う。けれどもおまえはどうしてそう思うの。
ジョバンニ   だって今朝の新聞に今年は北の方の漁はたいへんよかったと書いてあったよ。
母     ああだけどねえ、お父さんは漁へ出ていないかもしれない。
ジョバンニ   きっと出ているよ。お父さんが監獄へはいるようなそんな悪いことをしたはずがないんだ。
母     お父さんはこの次はおまえにラッコの上着をもってくるといったねえ。
ジョバンニ   みんながぼくにあうとそれを言うよ。ひやかすように言うんだ。
母     おまえに悪口を言うの。
ジョバンニ   うん、けれどもカムパネルラなんか決っして言わない。カムパネルラはみんながそんなことを言うときはきのどくそうにしているよ。
母     カムパネルラのお父さんとうちのお父さんとは、ちょうどおまえたちのように小さいときからのお友達だちだったそうだよ。
ジョバンニ   ああだからお父さんはぼくをつれてカムパネルラのうちへもつれて行ったよ。あのころはよかったなあ。ぼくは学校から帰る途中たびたびカムパネルラのうちに寄った。カムパネルラのうちにはアルコールランプで走る汽車があったんだ。レールを七つ組み合わせるとまるくなってそれに電柱や信号標もついていて信号標のあかりは汽車が通るときだけ青くなるようになっていたんだ。いつかアルコールがなくなったとき石油をつかったら、缶がすっかりすすけたよ。
母     そうかねえ。
ジョバンニ   いまも毎朝新聞をまわしに行くよ。けれどもいつでも家じゅうまだしいんとしている。
母      早いからねえ。
ジョバンニ   ザウエルという犬がいるよ。しっぽがまるで箒のようだ。ぼくが行くと鼻を鳴らしてついてくるよ。ずうっと町の角までついてくる。もっとついてくることもあるよ。今夜はみんなで烏瓜うりのあかりを川へながしに行くんだって。きっと犬もついて行くよ。
母      今晩は銀河のお祭りだねえ。
ジョバンニ   うん。ぼく牛乳をとりながら見てくるよ。
母      ああ行っておいで。川へははいらないでね。
ジョバンニ   ああぼく岸から見るだけなんだ。一時間で行ってくるよ。
母      もっと遊んでおいで。カムパネルラさんといっしょなら心配はないから。
ジョバンニ   ああきっといっしょだよ。お母さん、窓をしめておこうか。
母      ああ、どうか。もう涼しいからね。

        ジョバンニは立って窓をしめ、勢いよく靴をはく。

ジョバンニ  では一時間半で帰ってくるよ。

       音楽。

Ⅲケンタウル祭の夜

       「ケンタウルス、露をふらせ」と口々に言う声。

ナレ    ジョバンニは、口笛を吹いているようなさびしい口つきで、檜のまっ黒にならんだ町の坂をおりて来たのでした。
ジョバンニ  ぼくは立派な機関車だ。ここは勾配だから速いぞ。ぼくはいまその電燈を通り越す。そうら、こんどはぼくの影法師はコンパスだ。あんなにくるっとまわって、前の方へ来た。

       ジョバンニ、大股にその街燈の下を通り過すぎたとき。
       ザネリが電燈の向側の暗い小路から出て来て、ひらっとジョバンニとすれちがう。

ジョバンニ   ザネリ、烏瓜ながしに行くの

       ジョバンニがまだそう言ってしまわないうちに、ザネリ投げつけるように後ろから叫ぶ

ザネリ    ジョバンニ、お父さんから、ラッコの上着が来るよ!

        音楽止まる。間。

ジョバンニ なんだい、ザネリ!

        ジョバンニは高く叫さけび返すが、もうザネリは消えている。
        立ち尽くすジョバンニ。やがて歩き始める。

ナレ      ザネリはどうしてぼくがなんにもしないのにあんなことを言いうのだろう。走るときはまるで鼠のようなくせに。ぼくがなんにもしないのにあんなことを言いうのはザネリがばかなからだ。

        浮き立つような音楽。ケンタウルス露をふらせの声。

ナレ     時計屋の店には明るくネオン燈がついて、一秒ごとに石でこさえたふくろうの赤い眼が、くるっくるっとうごいたり、いろいろな宝石が海のような色をした厚い硝子の盤に載って、星のようにゆっくり循ぐったり、また向こう側から、銅の人馬がゆっくりこっちへまわって来たりするのでした。そのまん中にまるい黒い星座早見盤が青いアスパラガスの葉で飾ってありました。

       星巡りの音楽。

ナレ   それはひる学校で見たあの図よりはずうっと小さかったのですが、そのまん中には上から下へかけて銀河がぼうとけむったような帯になって、その下の方ではかすかに爆発してゆげでもあげているように見えるのでした。いちばんうしろの壁には空じゅうの星座をふしぎな獣や蛇や魚や瓶の形に書いた大きな図がかかっていました。ほんとうにこんなような蠍だの勇士だのそらにぎっしりいるだろうか、ああぼくはその中をどこまでも歩いてみたい。

      ぼんやり立つジョバンニ。
       ケンタウルス露をふらせの声
      ハッとするジョバンニ。

ジョバンニ   お母さんの牛乳。

       歩き始める。
       子どもたち、星めぐりの口笛を吹いたり、ケンタウルス、露をふらせと叫んで走ったり。たのしそうに遊でいる。

ナレ     ジョバンニは、いつかまた深く首をたれて、そこらのにぎやかさとはまるでちがったことを考えながら、町外れの牛乳屋の方へ急ぐのでした。

       喧噪が途絶え、あたりがシーンとする中とぼとぼとジョバンニは歩く。
       やがてジョバンニ、牛乳屋の薄暗い台所の前に立つ。
       帽子を脱いで。

ジョバンニ 今晩は。

       しいんと返事もない。

ジョバンニ   (背を伸ばして叫ぶように)今晩は、ごめんなさい。

       少し長い間。年とった女の人が、どこかぐあいが悪わるいようにそろそろと出て来る。

女の人    (ぼそぼそと口の中で)何か用ですか。
ジョバンニ  (一生懸命勢いよく)あの、今日、牛乳が僕んとこへ来なかったので、もらいにあがったんです。
女の人    今誰もいないんでわかりません。あしたにしてください
ジョバンニ  おっかさんが病気なんですから今晩でないと困るんです。
女の人    ではもう少したってから来てください。
ジョバンニ  そうですか。ではありがとう。

      お辞儀をして台所から出る。
      とぼとぼと歩く。
       ケンタウルス露を振らせの声と音楽がかえってくる。
      町かどを、まがろうとする。
     子どもたちの笑い声。どきっとして止まるジョバンニ。
     一瞬戻ろうとしたが思いなおして勢いよくそちらの方へ歩いていく。
     少しのどに詰まったような声で

ジョバンニ  川へ行くの

      と言いかけたとき浴びせるように

ザネリ   ジョバンニ、ラッコの上着が来るよ。
子どもたち   ジョバンニ、ラッコの上着が来るよ。

     一瞬立ち止まる。急いで立ち去ろうとしたらタムパネルラがいるのに気づく

ジョバンニ  カムパネルラ・・。
ナレ   カムパネルラがいたのです。カムパネルラはきのどくそうに、だまって少しわらって、おこらないだろうかというようにジョバンニの方を見ていました。
みんなはてんでに口笛を吹きました。町かどを曲がるとき、ふりかえって見ましたら、ザネリがやはりふりかえって見ていました。ジョバンニは、なんとも言いえずさびしくなって、いきなり走りだしました。ジョバンニは黒い丘の方へ急ぎました。

     走り出すジョバンニ。音楽。

Ⅳ天気輪の丘から銀河鉄道へ

ナレ   牧場のうしろはゆるい丘になって、その黒い平な頂上は、北の大熊星の下に、ぼんやりふだんよりも低く、連なって見えました。ジョバンニは、もう露の降りかかった小さな林のこみちを、どんどんのぼって行きました。頂きの天気輪の柱の下に来て、どかどかするからだを、つめたい草に投げました。町の灯は、暗やみの中をまるで海の底のお宮のけしきのようにともり、子供らの歌う声や口笛、きれぎれの叫び声もかすかに聞こえて来るのでした。

    遠い、汽笛の音。

ナレ   青い琴の星が、三つにも四つにもなって、ちらちらまたたき、脚が何べんも出たり引っ込こんだりして、とうとうきのこのように長く延びるのを見ました。そしてすぐうしろの天気輪の柱が三角標の形になって、しばらく蛍のように、ぺかぺか消えたりともったりしているのを見ました。
声    銀河ステーション、銀河ステーション。

     ぱっと明るくなる。

ナレ  いきなり眼めの前が、ぱっと明るくなって、ジョバンニは、思わず何べんも眼をこすってしまいました。

    列車がゴトゴト運行している音。ぴーと汽笛が鳴る。

ナレ  気がついてみると、さっきから、ごとごとごとごと、ジョバンニの乗っている小さな列車が走りつづけていたのでした。ほんとうにジョバンニは、夜の軽便鉄道の、小さな黄いろの電燈のならんだ車室に、窓から外を見ながらすわっていたのです。

    カターン、カターンと列車の音。
    誰かがいる。
     ジョバンニを見る。カンパネルラだ。

カムパネルラ   みんなはね、ずいぶん走ったけれども遅れてしまったよ。ザネリもね、ずいぶん走ったけれども追いつかなかった。
ジョバンニ    どこかで待っていようか、
カムパネルラ  ザネリはもう帰ったよ。お父さんが迎いにきたんだ。
ナレ   カムパネルラは、なぜかそう言いいながら、少し顔いろが青ざめて、どこか苦しいというふうでした。するとジョバンニも、なんだかどこかに、何か忘れたものがあるというような、おかしな気持ちがしてだまってしまいました。

      カムパネルラ、窓まどから外をのぞきながら、もうすっかり元気が直って、勢いいよく。

カムパネルラ   ああしまった。ぼく、水筒を忘れてきた。スケッチ帳も忘れてきた。けれどかまわない。もうじき白鳥の停車場だから。ぼく、白鳥を見るなら、ほんとうにすきだ。川の遠くを飛んでいたって、ぼくはきっと見える
ナレ   カムパネルラは、まるい板のようになった地図を、しきりにぐるぐるまわして見ていました。まったく、その中に、白くあらわされた天の川の左の岸に沿って一条の鉄道線路が、南へ南へとたどって行くのでした。夜のようにまっ黒な盤の上に、停車場や三角標、泉水や森が、青や橙や緑や、うつくしい光でちりばめられてありました。
ジョバンニ こ  の地図はどこで買ったの。黒曜石でできてるねえ。
カムパネルラ   銀河ステーションで、もらったんだ。君もらわなかったの。
ジョバンニ    ああ、ぼく銀河ステーションを通ったろうか。

     汽笛が鳴る。
     ジョバンニも窓を見やって

ジョバンニ   おや、あの河原は月夜だろうか。

     星巡りの音楽が流れる

ナレ そ  っちを見ますと、青白く光る銀河の岸に、銀いろの空のすすきが、もうまるでいちめん、風にさらさらさらさら、ゆられてうごいて、波を立てているのでした。
ジョバンニ 月夜でないよ。銀河が光るんだ

     ジョバンニは音楽に合わせて口笛を吹く。

ナレ   ごとごとごとごと、その小さなきれいな汽車は、そらのすすきの風にひるがえる中を、天の川の水や、三角点の青じろい微光の中を、どこまでもどこまでもと、走って行くのでした。
カムパネルラ  ああ、りんどうの花が咲いている。もうすっかり秋だねえ
ジョバンニ   ぼく飛びおりて、あいつをとって、また飛び乗のってみせようか
カムパネルラ   もうだめだ。あんなにうしろへ行ってしまったから

     じっと景色に見入る二人

Ⅵ 北十字とプリオシン海岸
  
     突然、咳き込んだように。

カムパネルラ おっかさんは、ぼくをゆるしてくださるだろうか

    間
 
カムパネルラ   ぼくはおっかさんが、ほんとうに幸いになるなら、どんなことでもする。けれども、いったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸なんだろう
ジョバンニ     (ハッと気づいて)きみのおっかさんは、なんにもひどいことないじゃないの
カムパネルラ    ぼくわからない。けれども、誰だって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸いなんだねえ。だから、おっかさんは、ぼくをゆるしてくださると思う

     「遠き山に日は落ちて」の音楽がかすかに流れる。

ジョバンニ   もうじき白鳥の停車場だねえ
カムパネルラ  ああ、十一時かっきりには着くんだよ

     列車がゆっくり蒸気を吐きながら止まる音。

カムパネルラ   二十分間停車だって。
ジョバンニ    ぼくたちも降りて見ようか。
カムパネルラ  降りよう
ナレ 二人は、  停車場の前の、水晶細工のように見える銀杏の木に囲まれた、小さな広場に出ました。そこから幅の広いみちが、まっすぐに銀河の青光りの中へ通っていました。そしてまもなく、二人はあの汽車から見えたきれいな河原に来ました。
カムパネルラ   (砂をひとすくいすくって)この砂はみんな水晶だ。中で小さな火が燃もえている。
ナレ  河原のこいしは、みんなすきとおって、たしかに水晶やトパーズや、またかどから霧のような青白い光を出す鋼玉やらでした。ジョバンニは、走ってその渚に行って、水に手をひたしました。けれどもあやしいその銀河の水は、水素よりももっとすきとおっていたのです。それでもたしかに流れていたことは、二人の手首の、水にひたったとこが、少し水銀いろに浮いたように見え、その手首にぶっつかってできた波は、うつくしい燐光をあげて、ちらちらと燃えるように見えたのでもわかりました。

      人々の声がする。そちらを見やって。頷き合う。

二人   行ってみよう。

      走る。途中で止まる。

カムパネルラ  おや、変なものがあるよ
ジョバンニ   (拾って)くるみの実だよ。そら、たくさんある。流れて来たんじゃない。岩の中にはいってるんだ。
カムパネルラ 大  きいね、このくるみ、倍あるね。こいつはすこしもいたんでない
ジョバンニ   早くあすこへ行って見よう。きっと何か掘ってるから

     男たちがなにやらほっているらしい。二人近づく。

大学士  そこのその突起をこわさないように、スコップを使いたまえ、スコップを。おっと、も少し遠くから掘って。いけない、いけない、なぜそんな乱暴をするんだ。

    二人を見て

大学士   君たちは参観かね・・・くるみがたくさんあったろう。それはまあ、ざっと百二十万年ぐらい前のくるみだよ。ごく新しい方さ。ここは百二十万年前まえ、第三紀のあとのころは海岸でね、この下からは貝がらも出る。いま川の流れているとこに、そっくり塩水が寄よせたり引いたりもしていたのだ。このけものかね、これはボスといってね、おいおい、そこ、つるはしはよしたまえ。ていねいに鑿でやってくれたまえ。ボスといってね、いまの牛先祖で、昔はたくさんいたのさ
ジョバンニ   標本にするんですか
大学士 いや、証明するに要るんだ。ぼくらからみると、ここは厚い立派な地層で、百二十万年ぐらい前にできたという証拠もいろいろあがるけれども、ぼくらとちがったやつからみてもやっぱりこんな地層に見えるかどうか、あるいは風か水や、がらんとした空かに見えやしないかということなのだ。わかったかい。けれども、おいおい、そこもスコップではいけない。そのすぐ下に肋骨が埋もれてるはずじゃないか

大学士、  あわててて走って行く。

カムパネルラ  もう時間だよ。行こう
ジョバンニ    ああ、ではわたくしどもは失礼いたします

       ていねいに大学士におじぎをする。

大学士   そうですか。いや、さよなら

大学士   忙しそうに、監督をはじめる。

カムパネルラ  いこう。
   
    二人は走り出す。
    汽笛が鳴る。
    汽車が動き出す音。

Ⅶ 鳥を捕る人

    カタターンと線路の音。

鳥捕り  ここへかけてもようございますか
ジョバンニ  ええいいんです

ナレ   茶いろの少しぼろぼろの外套がいとうを着て、白い巾きれでつつんだ荷物を、二つに分けて肩に掛けた、赤髯のせなかのかがんだ人でした。

    汽笛が鳴る。汽車のスピードが速くなり、すすきと川と、かわるがわる窓の外か ら光る。

鳥捕り   (少しおずおずと)あなた方は、どちらへいらっしゃるんですか
ジョバンニ  (少しきまり悪げに)どこまでも行くんです。
鳥捕り    それはいいね。この汽車は、じっさい、どこまででも行きますぜ
カムパネルラ   (突然けんか腰に)あなたはどこへ行くんです

    ジョバンニ笑ってしまう。他の乗客も笑ってしまった。

鳥捕り   わっしはすぐそこで降ります。わっしは、鳥をつかまえる商売でね
カムパネルラ   何鳥ですか
鳥捕り   鶴や雁(がん)です。さぎも白鳥もです
カムパネルラ   鶴はたくさんいますか
鳥捕り   いますとも、さっきから鳴いてまさあ。聞かなかったのですか
カムパネルラ   いいえ
鳥捕り   いまでも聞こえるじゃありませんか。そら、耳をすまして聴いてごらんなさい

     二人、耳をすます。ごとごと鳴る汽車のひびきと、すすきの風との間から、ころんころんと水の湧くような音が聞こえて来る。

ジョバンニ   鶴、どうしてとるんですか
鳥捕り   鶴ですか、それとも鷺ですか
ジョバンニ   鷺さぎです。
鳥捕り   そいつはな、雑作ない。さぎというものは、みんな天の川の砂がかたまって、ぼおっとできるもんですからね、そして始終川へ帰りますからね、川原で待っていて、鷺がみんな、脚をこういうふうにしておりてくるとこを、そいつが地べたへつくかつかないうちに、ぴたっと押さえちまうんです。するともう鷺は、かたまって安心して死しんじまいます。あとはもう、わかり切ってまさあ。押し葉にするだけです
ジョバンニ   鷺を押し葉にするんですか。標本ですか。
鳥捕り   標本じゃありません。みんなたべるじゃありませんか
カムパネルラ   おかしいねえ。
鳥捕り   おかしいも不審もありませんや。そら。

    鳥捕りは荷物を手早く解くと

鳥捕り   さあ、ごらんなさい。いまとって来たばかりです
ジョバンニ   ほんとうに鷺だねえ
ナレ    二人は思わず叫びました。まっ白な、あのさっきの北の十字架のように光る鷺のからだが、十ばかり、少しひらべったくなって、黒い脚をちぢめて、浮彫のようにならんでいたのです。
カムパネルラ   眼をつぶってるね
鳥捕り   ね、そうでしょう
ジョバンニ   鷺はおいしいんですか
鳥捕り ええ、  毎日注文があります。しかし雁の方が、もっと売れます。雁の方がずっと柄がいいし、第一手数(てすう)がありませんからな。そら

    鳥捕り別べつの方の包から雁を出す

鳥捕り   こっちはすぐたべられます。どうです、少しおあがりなさい
ナレ   ジョバンニは、ちょっとたべてみて、なんだ、やっぱりこいつはお菓子だ。チョコレートよりも、もっとおいしいけれども、こんな雁が飛んでいるもんか。この男は、どこかそこらの野原の菓子屋だ。けれどもぼくは、このひとをばかにしながら、この人のお菓子をたべているのは、たいへんきのどくだとおもいながら、やっぱりぽくぽくそれをたべていました。
鳥捕り   も少しおあがりなさい
ジョバンニ   ええ、ありがとう(と遠慮する)
カムパネルラ   鷺の方はなぜ手数なんですか
鳥捕り   それはね、鷺をたべるには天の川の水あかりに、十日もつるしておくかね、そうでなけぁ、砂に三、四日うずめなけぁいけないんだ。そうすると、水銀がみんな蒸発して、たべられるようになるよ
カムパネルラ   こいつは鳥じゃない。ただのお菓子でしょう
鳥捕り   (あわてたふうで)そうそう、ここで降りなけぁ

    と、去る

ジョバンニ  どこへ行ったんだろう

    窓の外をのぞく

ナレ   二人が窓の外をのぞきますと、鳥捕りが、黄いろと青じろの、うつくしい燐光を出す、いちめんのかわらははこぐさの上に立って、まじめな顔をして両手をひろげて、じっとそらを見ていたのです。
ジョバンニ   あすこへ行ってる。ずいぶん奇体だねえ。きっとまた鳥をつかまえるとこだねえ。汽車が走って行かないうちに、早く鳥がおりるといいな

     鷺のギャアギャア鳴く声。ばたばたとする羽音。

ナレ   するとあの鳥捕りは、すっかり注文通りだというようにほくほくして、両足をかっきり六十度に開いて立って、鷺のちぢめて降りて来る黒い脚を両手で片っぱしから押さえて、布の袋の中に入れるのでした。すると鷺は、蛍のように、袋の中でしばらく、青くぺかぺか光ったり消えたりしていましたが、おしまいとうとう、みんなぼんやり白くなって、眼をつぶるのでした。鳥捕りは、二十疋ばかり、袋に入れてしまうと、急に両手をあげて、兵隊が鉄砲弾にあたって、死ぬときのような形をしました。と思ったら、
鳥捕り   ああせいせいした。どうもからだにちょうど合うほど稼いでいるくらい、いいことはありませんな
ジョバンニ   どうして、あすこから、いっぺんにここへ来たんですか
鳥捕り   どうしてって、来ようとしたから来たんです。ぜんたいあなた方は、どちらからおいでですか

     間。答えられない二人。

鳥捕り   ああ、遠くからですね。(頷く)もうここらは白鳥区のおしまいです。ごらんなさい。あれが名高いアルビレオの観測所で。あれは、水の速さをはかる器械です。水も……。

Ⅷ ジョバンニの切符

車掌   切符を拝見いたします。

    どきっとするジョバンニ。
    鳥捕りは小さな紙切れを出し、車掌はちらっと見る。

車掌   あなた方のは?
ジョバンニ   さあ。

    カムパネルラは小さいねずみ色の切符を出す。
    ジョバンニは慌ててポケットを探ると大きなたたんだ緑色の紙を取り出す。
    車掌の手に渡す。
    車掌丁寧に見ている。

車掌   これは三次空間の方からお持ちになったのですか
ジョバンニ   なんだかわかりません
車掌   よろしゅうございます。サウザンクロスへ着きますのは、次の第三時ころになります

    車掌は紙をジョバンニに渡して去る

ナレ    カムパネルラは、その紙切れが何だったか待ちかねたというように急いでのぞきこみました。ジョバンニも全く早く見たかったのです。ところがそれはいちめん黒い唐草のような模様の中に、おかしな十ばかりの字を印刷したもので、だまって見ているとなんだかその中へ吸い込こまれてしまうような気がするのでした。
鳥捕り   (ちらっと見て)おや、こいつはたいしたもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。天上どこじゃない、どこでもかってにあるける通行券です。こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行けるはずでさあ、あなた方たいしたもんですね
ジョバンニ   なんだかわかりません

    二人、窓の外を眺める。
    鳥捕りのうらやましげな視線が痛い。

ナレ  ジョバンニはにわかにとなりの鳥捕りがきのどくでたまらなくなりました。鷺をつかまえてせいせいしたとよろこんだり、白いきれでそれをくるくる包んだり、ひとの切符をびっくりしたように横目で見てあわててほめだしたり、そんなことを一々考えていると、もうその見ず知らずの鳥捕りのために、ジョバンニの持っているものでも食べるものでもなんでもやってしまいたい、もうこの人のほんとうの幸いになるなら、自分があの光る天の川の河原に立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいいというような気がして、どうしてももう黙っていられなくなりました。

    ピーンと言う音。

ナレ  どうしようかと考えてふり返って見ましたら、そこにはもうあの鳥捕りがいませんでした。網棚の上には白い荷物も見えなかったのです。
カムパネルラ   あの人どこへ行ったろう
ジョバンニ   どこへ行ったろう。いったいどこでまたあうのだろう。僕はどうしても少しあの人に物を言わなかったろう
カムパネルラ   ああ、僕もそう思っているよ。
ジョバンニ   僕はあの人が邪魔なような気がしたんだ。だから僕はたいへんつらい

    後ろ髪を引かれるような汽笛が鳴る。
    カタンコトン銀河鉄道は行く。
    黙る二人。
    再びぴーんとした音がする。

カムパネルラ   なんだかりんごのにおいがする。僕いまりんごのことを考えたためだろうか
ジョバンニ    ほんとうにりんごのにおいだよ。それから野茨のにおいもする

    青年がいた。小さい男の子の手を引いて。
    女の子もいる。

女の子   あら、ここどこでしょう。まあ、きれいだわ。
青年   ああ、ここはランカシャイヤだ。いや、コンネクテカット州だ。いや、ああ、ぼくたちはそらへ来たのだ。わたしたちは天へ行くのです。ごらんなさい。あのしるしは天上のしるしです。もうなんにもこわいことありません。わたくしたちは神さまに召されているのです
女の子   お父さんやきくよねえさんはまだいろいろお仕事があるのです。けれどももうすぐあとからいらっしゃいます。それよりも、おっかさんはどんなに永く待っていらっしゃったでしょう。ほんとうに待って心配していらっしゃるんですから、早く行って、おっかさんにお目にかかりましょうね
子ども   うん、だけど僕、船に乗らなけぁよかったなあ
青年   わたしたちはもう、なんにもかなしいことないのです。わたしたちはこんないいとこを旅して、じき神さまのとこへ行きます。そこならもう、ほんとうに明るくてにおいがよくて立派な人たちでいっぱいです。そしてわたしたちの代わりにボートへ乗れた人たちは、きっとみんな助けられて、心配して待っているめいめいのお父さんやお母さんや自分のお家へやら行くのです。さあ、もうじきですから元気を出しておもしろくうたって行きましょう
カムパネルラ   あなた方はどちらからいらっしゃったのですか。どうなすったのですか
青年   いえ、氷山にぶっつかって船が沈みましてね。

    音楽、

青年   わたしたちはこちらのお父さんが急な用で二か月前、一足さきに本国へお帰りになったので、あとから発ったのです。私は大学へはいっていて、家庭教師にやとわれていたのです。ところがちょうど十二日目、今日か昨日のあたりです、船が氷山にぶっつかって一ぺんに傾きもう沈みかけました。私は必死となって、どうか小さな人たちを乗せてくださいと叫びました。近くの人たちはすぐみちを開いて、そして子供たちのために祈ってくれました。けれどもそこからボートまでのところには、まだまだ小さな子どもたちや親たちやなんかいて、とても押しのける勇気がなかったのです。そのうち船はもうずんずん沈みますから、私たちはかたまって、もうすっかり覚悟して、この人たち二人を抱いて、浮かべるだけは浮かぼうと船の沈むのを待っていました。どこからともなく三〇六番の声があがりました。そのときにわかに大きな音がして私たちは水に落ち、もう渦にはいったと思いながらしっかりこの人たちをだいて、それからぼうっとしたと思ったらもうここへ来ていたのです。この方たちのお母さんは一昨年没くなられました。ええ、ボートはきっと助かったにちがいありません、なにせよほど熟練な水夫たちが漕いで、すばやく船からはなれていましたから。

    汽笛。列車がゴトゴトと走る音。

ナレ   ああ、その大きな海はパシフィックというのではなかったろうか。その氷山の流れる北のはての海で、小さな船に乗って、風や凍りつく潮水や、烈しい寒さとたたかって、たれかが一生けんめいはたらいている。ぼくはそのひとにほんとうに気の毒でそしてすまないような気がする。ぼくはそのひとのさいわいのためにいったいどうしたらいいのだろう。ジョバンニは首を垂れて、すっかりふさぎ込んでしまいました。

    列車がゴトゴトと走る音。

ナレ   ごとごとごとごと汽車はきらびやかな燐光の川の岸を進みました。向うの方の窓を見ると、野原はまるで幻燈のようでした。川下の向う岸に青く茂った大きな林が見え、その枝には熟してまっ赤に光る円い実がいっぱい、その林のまん中に高い高い三角標が立って、森の中からはオーケストラベルやジロフォンにまじって何とも云えずきれいな音いろが、とけるように浸みるように風につれて流れて来るのでした。

    列車のゴトゴト走る音に音楽が重なる。

ナレ  だまってその譜を聞いていると、そこらにいちめん黄いろやうすい緑の明るい野原か敷物かがひろがり、またまっ白な蝋のような露が太陽の面を擦めて行くように思われました。
かおる   まあ、あの烏。
カムパネルラ   からすでない。みんなかささぎだ。

    ジョバンニ思わず笑う。

青年   かささぎですねえ、頭のうしろのとこに毛がぴんと延びてますから。
ジョバンニ   あ孔雀が居るよ。
かおる   ええたくさん居たわ。
カムパネルラ   そうだ、孔雀の声だってさっき聞えた。
かおる   ええ、三十疋ぐらいはたしかに居たわ。ハープのように聞えたのはみんな孔雀よ。ジョバンニ 鳥が飛んで行くな。
カムパネルラ  どら、

    潰れたような音。しんとする。
    狂気のような声が聞こえる。

声   いまこそわたれわたり鳥、いまこそわたれわたり鳥。
かおる  まあ、この鳥、たくさんですわねえ、あらまあそらのきれいなこと。

    ジョバンニ、むすっとしている。

かおる  (そっとカムパネルラに)あの人鳥へ教えてるんでしょうか。
カムパネルラ   (おぼつかなさそうに)わたり鳥へ信号してるんです。きっとどこからかのろしがあがるためでしょう。

    シンとする。間。

ナレ   ジョバンニはもう頭を引っ込めたかったのですけれども明るいとこへ顔を出すのがつらかったのでだまってこらえてそのまま立って口笛を吹いていました。どうして僕はこんなにかなしいのだろう。僕はもっとこころもちをきれいに大きくもたなければいけない。あすこの岸のずうっと向うにまるでけむりのような小さな青い火が見える。あれはほんとうにしずかでつめたい。僕はあれをよく見てこころもちをしずめるんだ。ジョバンニは熱って痛いあたまを両手で押えるようにしてそっちの方を見ました。ああほんとうにどこまでもどこまでも僕といっしょに行くひとはないだろうか。カムパネルラだってあんな女の子とおもしろそうに談しているし僕はほんとうにつらいなあ。

    汽笛の音。ガタゴトという音は続く。
    やがて。

カムパネルラ   あれとうもろこしだねえ
ジョバンニ     (ぶっきらぼうに)そうだろう。

    ガタゴトという音はつづくがやがてスローになっていく。
    しゅーっと排気の音がして止まる。

ナレ   小さな停車場にとまりました。その正面の青じろい時計はかっきり第二時を示しその振子は風もなくなり汽車もうごかずしずかなしずかな野原のなかにカチッカチッと正しく時を刻んで行くのでした。

    新世界交響楽の音がしずかに聞こえる。。

かおる   新世界交響楽だわ。
ジョバンニ   こんなしずかないいとこで僕はどうしてもっと愉快になれないだろう。どうしてこんなにひとりさびしいのだろう。けれどもカムパネルラなんかあんまりひどい、僕といっしょに汽車に乗っていながらまるであんな女の子とばかり談しているんだもの。僕はほんとうにつらい。
ナレ   ジョバンニはまた両手で顔を半分かくすようにして向うの窓のそとを見つめていました。

    笛の音。

ナレ   すきとおった硝子のような笛が鳴って汽車はしずかに動き出し、カムパネルラもさびしそうに星めぐりの口笛を吹きました。

    カタンカタンという汽車の音。間。

ナレ   川の向こう岸がにわかに赤くなりました。やなぎの木や何かもまっ黒にすかし出され、見えない天の川の波も、ときどきちらちら針のように赤く光りました。まったく向う岸の野原に大きなまっ赤な火が燃やされ、その黒いけむりは高く桔梗いろのつめたそうな天をも焦こがしそうでした。ルビーよりも赤くすきとおり、リチウムよりもうつくしく酔ったようになって、その火は燃えているのでした。
ジョバンニ あれはなんの火だろう。あんな赤く光る火は何を燃やせばできるんだろう
カムパネルラ   蠍の火だな
女の子   あら、蠍の火のことならあたし知ってるわ
ジョバンニ   蠍の火ってなんだい
女の子   蠍がやけて死んだのよ。その火がいまでも燃えてるって
ジョバンニ   蠍って、虫だろう
女の子   ええ、蠍は虫よ。だけどいい虫だわ
ジョバンニ   蠍いい虫じゃないよ。僕博物館でアルコールにつけてあるの見た。尾にこんなかぎがあってそれでさされると死ぬって先生が言いってたよ
女の子   そうよ。だけどいい虫だわ。むかしのバルドラの野原に一ぴきの蠍がいて小さな虫やなんか殺ころしてたべて生きていたんですって。するとある日いたちに見つかって食べられそうになったんですって。さそりは一生けん命にげてにげたけど、とうとういたちに押さえられそうになったわ、そのときいきなり前に井戸があってその中に落ちてしまったわ、もうどうしてもあがられないで、さそりはおぼれはじめたのよ。そのときさそりはこう言いってお祈りしたというの。
ナレ   ああ、わたしはいままで、いくつのものの命をとったかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだを、だまっていたちにくれてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神さま。私の心をごらんください。こんなにむなしく命をすてず、どうかこの次には、まことのみんなの幸さいわいのために私のからだをおつかいください。
女の子   そしたらいつか蠍はじぶんのからだが、まっ赤なうつくしい火になって燃えて、よるのやみを照らしているのを見たって。いまでも燃えてるって。ほんとうにあの火、それだわ
ナレ   ジョバンニはまったくその大きな火の向こうに三つの三角標が、ちょうどさそりの腕のように、こっちに五つの三角標がさそりの尾やかぎのようにならんでいるのを見ました。そしてほんとうにそのまっ赤なうつくしいさそりの火は音なくあかるくあかるく燃えたのです。

  賑やかなお祭りの雰囲気がする音楽が聞こえる

男の子   ケンタウル露をふらせ
ジョバンニ   ああ、そうだ、今夜ケンタウル祭だねえ
カムパネルラ   ああ、ここはケンタウルの村だよ
青年   もうじきサウザンクロスです。おりるしたくをしてください
男の子   僕、も少し汽車に乗ってるんだよ
青年   ここでおりなけぁいけないのです
男の子   厭だい。僕もう少し汽車へ乗ってから行くんだい
ジョバンニ   僕たちといっしょに乗って行こう。僕たちどこまでだって行ける切符持もってるんだ
女の子   だけどあたしたち、もうここで降りなけぁいけないのよ。ここ天上へ行くとこなんだから
ジョバンニ   天上へなんか行かなくたっていいじゃないか。ぼくたちここで天上よりももっといいとこをこさえなけぁいけないって僕の先生が言いった
女の子   だっておっ母かさんも行ってらっしゃるし、それに神さまがおっしゃるんだわ
ジョバンニ   そんな神さまうその神さまだい
女の子   あなたの神さまうその神さまよ
ジョバンニ   そうじゃないよ

    笑いながら

青年   あなたの神さまってどんな神さまですか
ジョバンニ   ぼくほんとうはよく知りません。けれどもそんなんでなしに、ほんとうのたった一人の神さまです
青年   ほんとうの神さまはもちろんたった一人す
ジョバンニ   ああ、そんなんでなしに、たったひとりのほんとうのほんとうの神さまです
青年   だからそうじゃありませんか。わたくしはあなた方がいまにそのほんとうの神さまの前に、わたくしたちとお会いになることを祈ります

    青年はつつましく両手を組む。女の子その通りにする。

青年   さあもうしたくはいいんですか。じきサウザンクロスですから

    新世界「遠き山に日は落ちて」聞こえてくる

ナレ   見えない天の川のずうっと川下に青や橙や、もうあらゆる光でちりばめられた十字架が、まるで一本の木というふうに川の中から立ってかがやき、その上には青じろい雲がまるい環になって後光のようにかかっているのでした。汽車の中がまるでざわざわしました。みんなあの北の十字のときのようにまっすぐに立ってお祈りをはじめました。あっちにもこっちにもよろこびの声や、なんとも言いようない深いつつましいためいきの音ばかりきこえました。そしてだんだん十字架は窓の正面になり、あのりんごの肉のような青じろい環の雲も、ゆるやかにゆるやかにめぐっているのが見えました。

    ハレルヤ、ハレルヤの声
    汽車がゆっくりと止まる音

青年   さあ、おりるんですよ
女の子   じゃさよなら
ジョバンニ   (泣きたいのをこらえてぶっきらぼうに)さよなら

    風の音。新世界の音楽がかすかに流れる。
    呼び子の音がする。
    短い汽笛が鳴る。
    汽車が動き出す。
    そうしてもう一度長い汽笛が鳴る。

ジョバンニ   カムパネルラ、また僕たち二人ふたりきりになったねえ、どこまでもどこまでもいっしょに行こう。僕はもう、あのさそりのように、ほんとうにみんなの幸いのためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない
カムパネルラ   うん。僕だってそうだ
ジョバンニ   けれどもほんとうのさいわいはいったいなんだろう
カムパネルラ   僕ぼくわからない
ジョバンニ   僕たちしっかりやろうねえ
カムパネルラ   あ、あすこ石炭袋だよ。そらの孔だよ
ナレ   ジョバンニはそっちを見て、まるでぎくっとしてしまいました。天の川の一とこに大きなまっくらな孔が、どおんとあいているのです。その底がどれほど深いか、その奥に何があるか、いくら眼をこすってのぞいてもなんにも見えず、ただ眼がしんしんと痛いたむのでした。
ジョバンニ   僕もうあんな大きな暗やみの中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たちいっしょに進んで行こう
カムパネルラ   ああきっと行くよ。ああ、あすこの野原はなんてきれいだろう。みんな集まってるねえ。あすこがほんとうの天上なんだ。あっ、あすこにいるのはぼくのお母さんだよ
ナレ   ジョバンニもそっちを見ましたけれども、そこはぼんやり白くけむっているばかり、どうしてもカムパネルラが言ったように思われませんでした。なんとも言えずさびしい気がして、ぼんやりそっちを見ていましたら、向うの河岸に二本の電信ばしらが、ちょうど両方から腕を組んだように赤い腕木をつらねて立っていました。
ジョバンニ   カムパネルラ、僕たちいっしょに行こうねえ
ナレ   ジョバンニがこう言いながら振り返ってみましたら
ジョバンニ   カムパネルラ!
ナレ   いままでカムパネルラのすわっていた席に、もうカムパネルラの形は見えず、ただ黒いびろうどばかりひかっていました。ジョバンニはまるで鉄砲だまのように立ちあがりました。そして窓の外へからだを乗り出して、力いっぱいはげしく胸をうって
ジョバンニ   カムパネルラ、カムパネルラ、カムパネルラ!

    激しい汽笛が長く響く
    静寂。

ナレ   ジョバンニは眼をひらきました。もとの丘の草の中につかれてねむっていたのでした。胸はなんだかおかしくほてり、頬にはつめたい涙がながれていました。天の川もやっぱりさっきの通りに白くぼんやりかかり、まっ黒な南の地平線の上ではことにけむったようになって、その右には蠍座の赤い星がうつくしくきらめき、そらぜんたいの位置はそんなに変わってもいないようでした。

   音楽。

ナレ   ジョバンニはいっさんに丘を走って下りました。まだ夕ごはんをたべないで待っているお母さんのことが胸いっぱいに思いだされたのです。

    走るジョバンニ。

ジョバンニ   今晩は、こんばんは
牛乳屋   ・・はい。・・・なんのご用ですか
ジョバンニ   今日牛乳がぼくのところへ来なかったのですが
牛乳屋   あ、済すみませんでした・・」

    奥へ行って一本の牛乳瓶をもって来てジョバンニに渡す

牛乳屋   ほんとうに済すみませんでした。今日はひるすぎ、うっかりしてこうしの柵をあけておいたもんですから……
ジョバンニ   そうですか。ではいただいて行きます
牛乳屋   ええ、どうも済すみませんでした
ジョバンニ   いいえ

    かけだすジョバンニ。音楽。
    走っているジョバンニ、ふとたち止まる。人々がいた。ざわざわした雰囲気。

ジョバンニ   何かあったんですか
誰か   こどもが水へ落ちたんですよ

    ジョバンニ、また走り出す。音楽。

ナレ   ジョバンニは橋の袂から飛とぶように下の広い河原へおりました。その河原の水ぎわに沿そってたくさんのあかりがせわしくのぼったり下ったりしていました。向むこう岸ぎしの暗いどてにも火が七つ八つうごいていました。そのまん中をもう烏瓜のあかりもない川が、わずかに音をたてて灰いろにしずかに流れていたのでした。
マルソ   ジョバンニ!
ジョバンニ   マルソ!
マルソ   ジョバンニ、カムパネルラが川へはいったよ
ジョバンニ   どうして、いつ
マルソ   ザネリがね、舟の上から烏うりのあかりを水の流れる方へ押してやろうとしたんだ。そのとき舟がゆれたもんだから水へ落っこったろう。するとカムパネルラがすぐ飛びこんだんだ。そしてザネリを舟の方へ押してよこした。ザネリはカトウにつかまった。けれどもあとカムパネルラが見えないんだ
ジョバンニ   みんなさがしてるんだろう
マルソ   ああ、すぐみんな来た。カムパネルラのお父さんも来た。けれども見つからないんだ。ザネリはうちへ連れられてった

    立ち尽くすジョバンニ

ナレ   じっと河を見ていました。誰も一言も物を言いう人もありませんでした。ジョバンニはわくわくわくわく足がふるえました。魚をとるときのアセチレンランプがたくさんせわしく行ったり来たりして、黒い川の水はちらちら小さな波をたてて流れているのが見えるのでした。下流の方の川はばいっぱい銀河が巨きく写って、まるで水のないそのままのそらのように見えました。
 ジョバンニは、そのカムパネルラはもうあの銀河のはずれにしかいないというような気がしてしかたなかったのです。

    断ち切るように

カムパネルラの父   もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから

    ジョバンニは思わずかけよって

ナレ   ぼくはカムパネルラの行った方を知っています、ぼくはカムパネルラといっしょに歩いていたのです、と言いおうとしましたが、もうのどがつまってなんとも言いえませんでした。
カムパネルラの父   あなたはジョバンニさんでしたね。どうも今晩はありがとう

     ジョバンニは何も言いえずにただおじぎをする

カムパネルラの父   あなたのお父さんはもう帰っていますか
ジョバンニ いいえ
カムパネルラの父   どうしたのかなあ、ぼくには一昨日たいへん元気な便りがあったんだが。今日あたりもう着くころなんだが。船が遅れたんだな。ジョバンニさん。あした放課後みなさんとうちへ遊びに来てくださいね

    カムパネルラの父は川下の銀河のいっぱいにうつった方をじっと見つめた。間。
    ジョバンニはぺこんとお辞儀をすると走り出す。
    音楽

ナレ   ジョバンニはもういろいろなことで胸がいっぱいで、なんにも言いえずに博士の前をはなれて、早くお母さんに牛乳を持って行って、お父さんの帰ることを知らせようと思うと、もういちもくさんに河原を街の方へ走りました。

  汽笛が遠く長く聞こえる。
  ジョバンニは走り続ける。


                                             【 幕 】