結城翼
☆登場人物
亜莉子・・
眠り猫・・
帽子屋・・
Ⅰオープニング
ごうごうと闇夜の竹林を吹き抜けていく風。
果てしもなく深みへと吹き抜けていく。
舞台中央にベッドがやや斜めに置かれている。頭の方が高くなっている。
ベッドの奥には赤い高さの違う赤い柱が二本門のように立っている。
ベッドの傍に黒い椅子が一つ。
眠っている亜莉子。
ちらちらと灯りが揺れる。
看護師とおぼしき女(眠り猫)が脈を測っているようだ。うなづき何事か記入している。
医師らしい男(帽子屋)が入ってくる。
帽子屋:止まないねー。
眠り猫気づかない。
帽子屋:嫌な風だ。
眠り猫:えっ。・・ああ・・何かおっしゃいました。
帽子屋:不気味だといったのさ。
眠り猫:不気味?何が。
帽子屋:吸い込まれそうな音じゃない。
風がごうごうと竹林を切り裂いていく。
眠り猫:あら、結構吹いてますね。
帽子屋:どこまで行くのかな。
眠り猫:何が。
帽子屋:風。
眠り猫:低気圧が通るって言ってましたから。
帽子屋:そうじゃない。
眠り猫:それたんですか。
帽子屋:さあ、見てないな予報は。そうじゃなくて。
眠り猫:は?
帽子屋:いいよ・・もう。
眠り猫:どこから吹いてくるじゃないですか。
帽子屋:え。
眠り猫:竹林の方から吹いてるんじゃないですか。
二人、風の音を聞く。
ごうごうとした風の音。
灯りがちらちらする。
帽子屋:配線がゆるんでるのかな。
眠り猫:見てきましょうか。
帽子屋:いいよ。止むだろそのうち。
眠り猫:明日の夜まで回復しないって言ってましたけど。
帽子屋:いいよ。どこへ吹いていったって、、どこから吹いてきたってたいした問題じゃない。
眠り猫:灯りの話じゃないんですか。
帽子屋:だからいいよ。切れたらなおしゃいい。
眠り猫:でも。
ちらちらとする灯り。
帽子屋:起きる気配はないか。
眠り猫:は?
灯りに気をとられていたらしい。
眠り猫:あ、ああ。全く変わりありません。
帽子屋:何年になるかな。
眠り猫、カルテをぱらぱらと見て。
眠り猫:まる3年と言うとこですか。十五歳の誕生日からですから。
帽子屋:僕がくる二年も前か。
眠り猫:・・そうですね。
帽子屋:十八か。
眠り猫:明日でね。
帽子屋:聞いているんだろな。
眠り猫:何を。
帽子屋:風さ。
ごうごうと吹く風。
眠り猫:聴覚には異常が見られないはずですから、たぶん。
帽子屋:風の夢みてんだろうな。
眠り猫:さあ、それは。
帽子屋:見てるよ。まっくらい竹林を吹き抜いていく風の夢を。
眠り猫:文学的ですわね。
帽子屋:散文的な事実さ。刺激に対応して夢は反応する。しかし、たまらんだろうな夢から夢の連続は。
眠り猫:目覚めそうな気がするんですけど。
帽子屋:変わったことがあったの。
眠り猫:特に。
帽子屋:勘でもの言っちゃいけないよ。
近寄って瞳孔の反射などを見てみる。
帽子屋:器質的には問題ないんだがなあ。
眠り猫:だから。
帽子屋:明日が誕生日だからか。
眠り猫:・・ええ・・まあ。
帽子屋:合理的じゃないね。・・それても、他にもなにか有るの。
眠り猫:ええ・・まあ。
帽子屋:何?
眠り猫:・・・・。
帽子屋:何。
風が吹いている。
帽子屋:黙ってちゃわからん。何?
眠り猫:おかしくないですね、私。
帽子屋:は?
眠り猫:いえ。聞こえたんです。
帽子屋:聞こえた?何が。
眠り猫:声が。
帽子屋:誰の。
亜莉子を見返る。
帽子屋:眠り姫の?
笑い出す。
帽子屋:しゃべったの?まさか。意識は無いはずだ。
眠り猫:ええ。
帽子屋:幻聴だよ。疲れてるだけさ。
眠り猫:いいえ。
帽子屋:そんなはずは。
また、ベッドに近寄るが。
帽子屋:寝言でも言ったというのかい。
眠り猫:いいえ。聞こえたんです。
帽子屋:声が?
うなずく。
帽子屋:眠り姫の。
眠り猫:亜莉子です。
帽子屋:ほう。
風が吹く。
灯りがちらちらと。
間。
帽子屋:うっとおしいなこの灯り。・・で、なんて。
眠り猫:もういいでしょ。
帽子屋:え、なんて。
眠り猫:もういいでしょ・・って。
風が吹く。
ちらちらした灯りがきえそうになる。
帽子屋:わかったよ・・君は疲れてる。そんな、ことばを。
亜莉子:もういいでしょ。
驚愕する二人。
半身を起こしている眠り姫。
テディ・ベアを抱えている。
亜莉子:もう、いいでしょ。
暗転。
風が吹いている。
Ⅱ食卓
溶暗。
場所は病院のような所のまま。
幻想の家族団欒。
外には竹林を吹き抜いていくような風が鳴っている。
時々ちらつく明かり。
そのままの衣装でやること(白衣なら白衣のままで)。
また、小道具は使わない。総べてマイムですること。
演技はリアルでは明らかに、現実のものではないという感じを与えること。すべてが嘘くさいこと。
帽子屋(父とおぼしい)が新聞を見ている。時々ビールを飲む。
鳥の水炊きとおぼしきものがテーブルの上に載っている。
亜莉子(母とおぼしい)は時計を見たり、意味もなく料理の材料を調えたりしている。
風の音が強い。
亜莉子:ねえ。
帽子屋:うん。
と、生返事をして新聞を見ている。
亜莉子:遅いわね。
帽子屋:ああ。
亜莉子:せっかく構えたのに。タダオもユリコも、ほんとに。
帽子屋:ああ。
亜莉子:食べようか。
帽子屋:うん。
生返事。だが、亜莉子は別に始めようとはしない。
小さい間。
鶏肉を皿から皿へ移しながら。
亜莉子:ボーナスねえ・・。
帽子屋:え。
亜莉子:もうすぐなんでしょ。
帽子屋:あ、ああ。
亜莉子:出るわよね今年は。
帽子屋:多分。
亜莉子:たぶんじゃダメ。去年なんか、不景気だ、リストラ結局でなかったんじゃない。おかげでタダオの入学金構えるのに苦労したわ。
帽子屋:ああ。
亜莉子:今年は大丈夫なんでしょ。景気も底ついたってお昼のテレビで言ってたわ。経済何とかの偉い人。
帽子屋: 。
亜莉子:そうそう。確かそんなの。それの親分ね。
帽子屋:大臣だよ。
亜莉子:親分みたいなもんでしょ。
帽子屋:うん。
亜莉子:大丈夫って言ってたから・・。
と期待してみてしまう。もちろん、ボーナスの保証をしたわけではない。
わずかな間。
帽子屋:大丈夫だろ。
亜莉子:よかった。
と、白菜を訳もなく右から左へ移し替える。
亜莉子:春物のいい服あるのよ。お呼ばれにぴったり。
帽子屋:お呼ばれって。
亜莉子:美智子よ。
帽子屋:美智子?
亜莉子:聡子叔母さんの末っ子。
帽子屋:ああ、聡子おばさんの。
亜莉子:ここ何年服の一つも買ってないもの。たまにはいいでしょ。
帽子屋:・・・。
亜莉子:あ、話してなかったっけ。結婚式よ。美智子の。いやね、十五も年離れてるんだって。おまけに再婚で子連れ。素敵なナイスミドルかって言えばこれがあなた、写真で見ると、胴長短足、デブで近眼、頭はアデランスとみたな私は。ほんとわらっちゃうのよこれが。写真見てみる?とってこようか。
と、たちあがりそうになるが。
帽子屋:いいよ。
亜莉子:そう。まあ、あとでもいいか。
と、すわり。
亜莉子:よくも、聡子おばさんが許したもんだわ。まあ、まあ、美智子も行き遅れてるし、お医者さんらしいから、玉の輿いや、玉の輿だけどね。なんだかな。今時、お医者さんなんてごろごろいるでしょ。財産いっても、勤務医だって言うから、大したことないしね。
帽子屋:いつ。
亜莉子:来月の頭。飛行機の予約とらなきゃ。ああ、早割もうだめね。
帽子屋:おれ、いかないよ。
亜莉子:なに言ってんの。あなたもいかなきゃ。ユリコも行った方がいいわね。
帽子屋:いかないよ、おれは・・。
ちょっと機嫌が悪い。
亜莉子:・・、ははーん。
と、にやっ。
帽子屋:なんだよ。
亜莉子:まだ遺産相続のこと根にもってんでしょ。阿漕だったらねーあのおばさん。
帽子屋、新聞をたたみ直して。
帽子屋:ユリコも行く必要ない。第一。
亜莉子:はいはい。お金ももったいないしね。
むっとした帽子屋。
間。
鍋の様子を見て。
亜莉子:ユリコ面接どうだったかしらね。
帽子屋:(ビールを飲んで)大丈夫だろ。
亜莉子:でも、もう十三社目よ。いい加減採用になってもいいと思うけど。
帽子屋:今は氷河期なんだよ。
亜莉子:でもマンモスぐらいはいたでしょう。
帽子屋:え?マンモス?
亜莉子:氷河期言ったってね、獲物が全くないって事はないでしょう。サーベルタイガーやマストドン・・、人間だってまるっきり飢えてた訳じゃないですものね。知恵を出さなきゃ。
帽子屋:何それ。
亜莉子:いえ、お昼のテレビの「日本の起源」だかなんだか言う特番でやってたんですけど。なんだか、裸のタレントがいっぱい出てきて踊ってましたけど、あれ氷河期と何か関係あるのかしら。
帽子屋:日本と氷河期?
亜莉子:ええ。
真剣に見つめる亜莉子。
帽子屋:なんだろう。
亜莉子:何でしょうね。・・それにしてもタダオ遅いわね。・・知ってる?あの子、一つもチョコレートこないのよ。
帽子屋:へえ、もてないのか。
亜莉子:もてないのよ。
帽子屋:チョコレートぐらい。
亜莉子:クラスでもらえないのタダオ一人らしいわ。
帽子屋:タダオが言ったのか。
亜莉子:言うわけないでしょ。読んだのよ。
帽子屋:何を。
亜莉子:あの子の日記。
帽子屋:そりゃ、プライバシーの・・。
亜莉子:仕方ないでしょ。本人が広げっぱなしにしてるんだもの。
帽子屋:机に?
亜莉子:そう。鍵掛けて。
帽子屋:え?
亜莉子:だから、机の引き出し。
帽子屋:鍵こじ開けたのか。
亜莉子:合い鍵ですよ。
帽子屋:合い鍵?
亜莉子:机買ったときについてきた予備ですよ。
帽子屋:そんなもの持ってたの。
亜莉子:だってもったいないでしょ。違う?
帽子屋:そりゃそうだけど。
亜莉子:とにかく、持てないのよ。タダオは。
帽子屋:暗いのかな。
亜莉子:家では明るい方だと思うんですけどね。
帽子屋:友達は?
亜莉子:ないみたい。
帽子屋:いやね、男だよ。
亜莉子:それも。
帽子屋:一人もか。
亜莉子:一人も。
帽子屋:のんきだな。
亜莉子:誰?私。
帽子屋:うん。
亜莉子:友達になって下さいなんて頼むわけにもいきませんからね。
帽子屋:そりゃそうだけど。
亜莉子:一人だってしっかりしてりゃ大丈夫ですよ。
帽子屋:しかしなあ。
看護婦の眠り猫かけこんでくる。
眠り猫:なによ、これっ。
固まっている亜莉子と帽子屋。
駆け寄る眠り猫。
眠り猫:ちょっと・・ねえ。
固まっている二人。
眠り猫帽子屋をゆすってみる。
そのまま、倒れる帽子屋。倒れたまま固まっている。
眠り猫:うそ。・・死んだ?
慌てて脈をとる。
ほっとした様子で。
亜莉子の方を見る。
亜莉子固まっている。
眠り猫:亜莉子・・・亜莉子。
反応がない。
眠り猫:何があったの・・・。
ちらちらと灯りが揺れる。
灯りを見上げて気にしながら。
眠り猫:いったい何が。
くるりと亜莉子が眠り猫を見た。
にやっと笑う。
亜莉子:何もないわ。
思わず振り向く眠り猫。
眠り猫:亜莉子!
亜莉子:鏡が割れたのよ。
眠り猫:え?
亜莉子:合わせ鏡が・・割れたの。
鏡が割れる音。
亜莉子:ほら。
鏡が割れる音。
亜莉子:また一枚。
鏡が割れる音。
眠り猫:いったい。
亜莉子:出てきたくなかったの。
眠り猫:何を言ってるの亜莉子。
亜莉子:でも、鏡が割れたから。
激しく鏡が割れる音。
暗転。
眠り猫:亜莉子ーーー!!
風が吹く。
Ⅲ鏡の欠片
溶明。
月明かりの夜。
眠り猫が忙しい忙しいと走っている。
くるくる回っている。
亜莉子:何走ってるのよ。
無視して走ってる。
亜莉子:ちょっと。
無視して走っている。
亜莉子:ちょっと。
亜莉子も一緒に走り出す。
忙しい、忙しい。
亜莉子:ねえ。
眠り猫:おっと。
と、急に止まる。
亜莉子:は勢い余って追い越すかこける。
亜莉子:あんたねー。
眠り猫、ポケットから懐中時計を出す振り。
うむとうなづき。
眠り猫:忙しい、いそがしい。
と、去る。
呆然とする亜莉子。
亜莉子:何なのよ。いそがしい、いそがしい。
とくるくる走って。
亜莉子:バカか。・・バカなんだ。
眠り猫:失礼な。
と、とっとと戻ってくる。
亜莉子:なんか用。
眠り猫:用があるのはお前じゃない。
亜莉子:えらそうに。
眠り猫:無礼なやつだ。
亜莉子:どっちが。人が質問してるのに。
無視して。
眠り猫:おっと、これこれ。
と、先ほどぐるぐる回っていた所から何か拾い上げる。
灯りにすかして。
眠り猫:ふむ、・・あうかな。
亜莉子:ねえ、何。
じろっと見て。
眠り猫:かけらは集めにゃ元にもどらんだろが。
亜莉子:欠片?なんの。
眠り猫:知らん。欠片は欠片。ああ。
亜莉子:忙しい。
眠り猫:そっ。じゃな。
忙しい、忙しい。
と去る。
亜莉子:こらーっ!!
と、怒鳴るが今度はかえってこない。
亜莉子:なんじゃそりゃー!ぷんぷん!
と怒るところへ。
帽子屋:いい気分だね。
亜莉子:なにが!
帽子屋:いい気分とお見かけしたが。
亜莉子:あほか。はらたっとんじゃ。
帽子屋:ほう。なぜに。見れば天気もいい月明かり。これで風があれば申し分ないが。
風が吹き始める。
帽子屋:気が利くの。なかなか。よい子じゃて。
周りを見回して
亜莉子:だれに向かって言うてんの。
帽子屋:おぬしにきまっとろうが。
亜莉子:私?
帽子屋:だれもおらんじゃろ。
亜莉子:??
帽子屋:いや、なかなか気が利くの。涼しい風じゃな。
涼しいと言うにはちとさむそげな風。
ぶるぶるっとふるえて亜莉子。
亜莉子:私がふかしたわけじゃなし。
帽子屋:しらんだけだろ。
亜莉子:はあ?
帽子屋:それにしてもなかなかいい気分だろ。
亜莉子:あんたが?こんなに寒いのに?。
帽子屋:おまえだよ。
亜莉子:いい気分?しばくぞおっさん。
帽子屋:ほう。ますますいい気分だな。
亜莉子:あのねえ。
帽子屋:正しい怒りは真実を明らかにする力になるからの。
亜莉子:はあ?
帽子屋:してなぜに怒るお嬢さん?
亜莉子:お嬢さん?気色悪。
帽子屋:なら何でいかっとんのやくそがき。
亜莉子:無視されたからだよくそおやじ。
帽子屋:ほう、ほうほうほうほうほう。
亜莉子:馬鹿が又増えた。
と、去ろうとする。その背中に鋭く。
帽子屋:知りたくないのかねー。
亜莉子:別に。
帽子屋:無視するのは心地よいんじゃないのかねー。
ばっと振り返る亜莉子。
帽子屋:無視されるのも心地よいんじゃないかねえー。
亜莉子:・・どこが。
帽子屋:世界と関係ないってのは心地よい気分じゃないのかねー。
亜莉子:また、わけわかんねえことを。
帽子屋:風が吹くねー。
風がひときわ吹く。
顔を背ける亜莉子。
帽子屋:風が吹くねー。
更に吹く。
亜莉子:関係ないだろそんなこと。
帽子屋:君に関係なく吹き抜けていくだろー。
風が強くなる。
亜莉子、強く声を出さねば吹き消されそう。
亜莉子:当たり前だそんなこと。
帽子屋:当たり前のように君を無視しするんじゃないのかねー
亜莉子:何訳分からないことを、くそオヤジ。
帽子屋:世界を無視するって気持ちいいんじゃないのかねー。世界から無視されるって気持ちいいんじゃないのかねー。
亜莉子:ああ気持ちいいねー、無視無視。
と、とっとと去る。
その背中に。
帽子屋:でもねー。
止まる亜莉子。
帽子屋:そうはいかないんだよねー。これが。
振り返る亜莉子。
亜莉子:何が。
帽子屋:世界は無視しちゃくれないんだねー。
亜莉子:知ったことか。
と、又去ろうとするが。
帽子屋:無視してると怖いんだよー。
亜莉子:ばっかみたい。
帽子屋:そっ。例えば、こういう風。
指をピストル型にして。
亜莉子:え。
帽子屋:バンっ!
重なる銃声。
撃たれて、驚いたような表情を浮かべながら崩れ落ちる亜莉子。
暗転。
Ⅳ鏡像たち
眠り猫:と、言うような夢を見たというのね。
明るくなる。
ベッドに腰掛けている亜莉子。
ゆっくり歩きながら話しかけている眠り猫。
亜莉子:ええ。
眠り猫:なかなかおもしろいわ。
亜莉子:そうですか。
眠り猫:君は、お母さんになっていた。
亜莉子:はい。あ、いいえ。
眠り猫:どっちなの。
亜莉子:知らない人たちです。私の家じゃない。でも、私は。
眠り猫:お母さんだった。
亜莉子:ええ。
眠り猫:ああ、そのことに特に深い意味は無いと思うわ。どこかで見たドラマの場面を再構成しているだけでしょ。記憶のすれ違いだわ。
亜莉子:違います。
眠り猫:覚えていないだけよ。
亜莉子:いいえ、覚えています。
眠り猫:あの場面を?
亜莉子:はい。
眠り猫:ふーん。
と、立ち止まる。
眠り猫:どこでみたの。あるいはいつか。
亜莉子:生まれる前だと思います。
目を細めて。
眠り猫:生まれる前?・・・おもしろいわね。
亜莉子:そうですか。
眠り猫:前世の記憶というやつ?
亜莉子:分かりません。おかしいですか。
眠り猫:おかしいと思うわ。
亜莉子:でも生まれる前です。
眠り猫:ほのぼのとした家族関係というやつにあこがれていただけじゃないの。
小さい間。
眠り猫:違う?
黙り込む亜莉子。
眠り猫:ま、仕方ないといえば仕方ないかもしれないけど。
亜莉子:あこがれてなんかいません。
強い拒絶。
小さい間。
推し量るように。
眠り猫:ああ、これは失礼。・・前世の記憶か。
亜莉子:あり得ないことじゃないでしょう。DNAの連鎖がある限り、記憶の連鎖だって。私が誰か他人であった時のDNAの中に。
かぶせるように。
眠り猫:それが存在するって主張する人たちはいるわことは確かだわ。
亜莉子:なら。
勢い込む亜莉子にかぶせるように。
眠り猫:あたらしすぎるんじゃない?
亜莉子:え?
眠り猫:普通そういう場合、私はクレオパトラだったとか、アレキサンダー大王だったとか、クロマニヨン人だったとかミジンコだったとか言い訳よ。。
亜莉子:ミジンコ?
眠り猫:ミジンコ。
小さい間。
眠り猫:DNAの連鎖というならば、遠い祖先のミジンコの記憶があってもおかしくないでしょ。おかしい?。
亜莉子:おかしいと思います。
眠り猫:おかしいかなミジンコ。
亜莉子:おかしいです。
小さい間。考え込んでいるが。
眠り猫:じゃ、ミジンコは負けとくわ。とにかく時代が遠く離れているのが普通なのよね。そこへ行くと。
亜莉子:今の時代みたいですね。
眠り猫:前世どころかまるっきり同じ時代じゃない。せいぜい何年か前でしょ。
亜莉子:じゃ、なんでしょう。
眠り猫:さて、それは色々と見てみないとね。たとえば。
亜莉子:閉ざされた記憶とか。
眠り猫:学習してるわね。ありえるけれど、でも違うでしょう。
亜莉子:どうして。
間。
亜莉子:どうしてですか。
眠り猫:根本的な誤解があるみたいね。
亜莉子:え?
眠り猫:違うのよ。
亜莉子:何が。
間。
眠り猫:君は知りたい?
亜莉子:ええ。
小さい間。
ため息をつく。
眠り猫:そっか。
亜莉子:何が誤解なんですか。
答えずに。
眠り猫:やってみようか。
亜莉子:何を。
眠り猫。
またまた指でピストルのかたちを作り。
眠り猫:荒療治。
亜莉子:え。
思わず立ち上がる。
眠り猫:バンっ!
重なる銃声。
ベッドの上に崩れる亜莉子。
照明が変わる。
帽子屋が入ってきて、ベッドの手前側に奥方向に向かって座る。顔は観客から見えない。
眠り猫、ベッドの奥側に座る。
帽子屋は不機嫌そうにビールを飲む。
また、飲む。
黙ってみている眠り猫。
また、ついで飲もうとするのへ。
眠り猫:もう、やめたら。
動作が止まる。
また飲む。
眠り猫:飲んだってどうにもならないわよ。
止まる。また飲む。
眠り猫:ねえ。
ダンとコップを置く。
帽子屋:分かってる。
眠り猫:わかってりゃ。
帽子屋:どうにか出来るのか。
間。
帽子屋:出来るのか?
眠り猫:分かりませんよ、そんなこと。
帽子屋:なら、聞くなよ。
眠り猫:聞いてませんよ、私はタダ。
帽子屋:ただ、なんだ。
眠り猫:あの子が・・・。
亜莉子を見る。
帽子屋も見る。
帽子屋:あの子が。
眠り猫:普通で。
帽子屋:普通さ。普通に、飯食って、学校いって勉強して寝て。
間。
帽子屋:普通さ。
また、飲む。
帽子屋:どこが悪い。あの子が。
眠り猫:でも。
帽子屋:なんだ。
眠り猫:どこで違ったんでしょうね。
帽子屋:どこで?
眠り猫:ええ。育て方が・・
帽子屋:そうじゃない。間違ってやしない。・・・生まれた時からだ。
眠り猫:生まれたとき・・。
帽子屋:生まれるべきじゃ。
眠り猫:そんな、あの子は。
帽子屋:ああ・・私たちの子だ。だが・・
眠り猫:・・・
帽子屋:鏡を見てるあの子をみただろ・・
眠り猫:・・ええ。見てるわ・・いつも。あの子はまるで。
帽子屋:間違っている。
眠り猫:ええ、間違っているわ。
亜莉子:何が。
硬直する二人。
亜莉子:そう、確かに間違っていた。
ゆらっと半身を起こす亜莉子。
亜莉子:いつからだろうか。鏡の向こうに移る自分が自分と違う自分に見え始めたのは。鏡の中にはいつも自分の半分が確かにいた。けれど、自分はある時気がついた。それは僕ではなかった。
立ち上がる亜莉子。
二人を振り返る。
亜莉子:間違いは正さなければいけないがその方法は分からなかった。分からない内に世界は微妙によそよそしくなっていった。
二人立ち上がる。
笑顔を浮かべて、亜莉子に近寄るが目は亜莉子を見ていず亜莉子がふれようとすると微妙な間合いではずし去っ ていく。取り残されていく亜莉子。
見送って亜莉子。
亜莉子:そうして、よくはれた五月の朝、歯を磨いていると、鏡にひびが入っているのに気づいた。そうだ、分かった。分かったんだ。
正面を振り返って。
亜莉子:鏡の中の半分の私がにっこり頷いた。そうだ。そうすればいいんだ。私は。
手を振りかざす。
亜莉子:間違いを正した。
刺すように手を振り下ろす。
鏡の割れる音。
溶暗。
Ⅴ壊れた鏡のお茶会・・神話について
溶明。
テーブルの前に二人いる。(帽子屋と眠り猫)
カップが一つずつ。
帽子屋が一口すすりながら。
帽子屋:でもって問題は。
ぺっと吐き。
帽子屋:バルビタールいれたな。
顔をしかめる。
眠り猫:少々。
帽子屋:悪い癖だ。
眠り猫:どうせ眠るんでしょ。
帽子屋:起きてるよ。
眠り猫:いつまで。
帽子屋:眠るときまでは起きてるし、起きるまではねてる。
ちょっと考えて。
眠り猫:真理だね。
帽子屋:アホか。どこが真理じゃ。
カップを掲げる。
帽子屋:入ってるよね。
眠り猫:バルビタール致死量。
帽子屋:飲むわけさ。
飲む。
眠り猫:死ぬじょ。
帽子屋:ばたっ。
死ぬ。
眠り猫:やっぱり。
残されたカップを取り上げ。
ずずーっと飲む。
眠り猫:まずーーっ。ばたっ。
死ぬ。
帽子屋:というわけだわさ。
眠り猫:タフじゃのー。
といいながら起きあがる。
小さい間。
眠り猫:で?
帽子屋:で?
眠り猫:なんの話し?
帽子屋:真理の話でないかい?
眠り猫:?????
帽子屋:分かっただろ。
眠り猫:?????
帽子屋:ああ。もう。分けることなんか出来ないだろが。
眠り猫:何を。
帽子屋:あのねえ。
眠り猫:おまえこそあのねえ。
帽子屋:話からねえ奴だな。
眠り猫:おまえこそ、何言ってるが全然分からないぞ。
帽子屋:あったま来た。
眠り猫:勝手に来てろ。
二人、ふんっ!
正反対を向く。
眠り猫:あっ。
帽子屋、にやり。
帽子屋:どうだい。
うなずいて二人。
二人 :鏡の話だ!
ようしよしよしと、肩をたたき合う。
亜莉子がメイド服でやってくる。
亜莉子:ほいよ。
と、めんどくさそうにカップを置く。
亜莉子:さっさと寄こせよ。タコ。
と、帽子屋のカップを取り上げる。
ついでに眠り猫のも。
ぱっぱっと去る。
帽子屋:世も末だな。
くっと振り向き。
亜莉子:文句あっか?
帽子屋:ない。
亜莉子:ラジャー。
去る。
帽子屋、見送って。
帽子屋:どうよ。
眠り猫:確かに、寝てるまでは起きてて起きるまではねてるみたいだね。
帽子屋:確かに。連続していて切れている。
眠り猫:切れているようで連続してる。
帽子屋:二つで一つ?
眠り猫:いいや、一つで二つでしょ。
帽子屋:かもな。
眠り猫:昔は良かったよね。
帽子屋:半分のボクと。
眠り猫:半分の私。
ふふっと笑う。
帽子屋:一つだったのになァ。
眠り猫:一つだったのにね。
帽子屋:だからかなあ。
眠り猫:いたずらだね。神様の。
帽子屋:罪なことをする。
眠り猫:まったく。分けるとろくなことはないのに。
帽子屋:そうだな。どうしても一つにもどろうとするからねー。
眠り猫:だから人は人を愛する。
帽子屋:元に戻ろうとしてね。
眠り猫:貴方の半分と。
帽子屋:お前の半分と。
二人 :一緒になろうとして。
小さい間。
帽子屋:と、ギリシャ神話はそう語っているわけだけど。
眠り猫:嘘!
帽子屋:嘘。
眠り猫:なんだ。
帽子屋:でも真理。
眠り猫:・・かな。
帽子屋:たとえば・・・カップとコーヒーの関係。
と、カップをさがす。
帽子屋:あれ?
亜莉子:はいよ。
亜莉子、つかつかとやってきて。
どかっと置く。
亜莉子:飲んでみな。
眠り猫:おっ、気が利くねー。
眠り猫、くいっと飲む。
眠り猫:◎×▲★・・・
何かひっしにうったえてるが言葉にならない。
亜莉子:うまいだろ。
帽子屋:□※▲(ノ゜⊿゜)ノ!
ぶわーっとはき出す。
眠り猫:何じゃこりゃー。
亜莉子:生理食塩水。体にいいぞ。
帽子屋:俗に言うミスマッチだな。あ、おれ、コーヒーね。
亜莉子:かしこまりました。
一礼して去る。
眠り猫:なんなのよ。一体。
帽子屋:コーヒーだと思ったんだろ。
眠り猫:当然でしょ。
帽子屋:流れで皆そう思うわな。
眠り猫:当たり前。
帽子屋:誰が保証したの?
眠り猫:え?
帽子屋:確かにこれは君のカップ。
眠り猫:高かったんだぞ。
帽子屋:でも、コーヒーが入ってると誰が保証したんだ。
眠り猫:誰がって・・・言われても。
帽子屋:コップは入れ物に過ぎないだろ。
眠り猫:まあ、踊らないわな。
帽子屋:いつも同じものが入ってるとは限らない。カルピスだって青汁だって。何が入ってるかは分からない。
眠り猫:青汁がどうなん。
帽子屋:この事件は結局の所、入れ物と中身のミスマッチだということだわ。
眠り猫:え?事件?なんの。
帽子屋:本署から入電。市内・・町××番地において、傷害事件発生。被害者は本城亜莉子。
眠り猫:はぁ?
帽子屋:行くぜ。大団円は近い。
眠り猫:もう?なんだよ。いきなしのおわりかい。
帽子屋:時間がねえんだよ。
眠り猫:なんの。
帽子屋:いろいろと。いくぜ。
眠り猫:あっ、まって。
掛け去る。
出てくる亜莉子。
残されたカップを取り上げて。
中身を垂らす仕草。
亜莉子:カップの中は、いつもコーヒーとは限らない。でも、コーヒーを入れ直すことは出来なかった。なぜならそう作られてしまっていたからだ。どうしようもなくそう作られてしまっていた。たったの半分のことなのに、その半分にどうしても成ることが出来ない。ボクは激しくそれを憎む。そうして私はひび割れた鏡を見つめ続ける。
くるっと振り向き後ろから去る。
音楽。
Ⅵ食卓Ⅱ 鏡のむこう側 1/2000
うっすらと溶明。
帽子屋と眠り猫。
帽子屋:事件はいつも、現場で起こる。
眠り猫:そりゃそうです。
無視して。
帽子屋:分かってないな。現場でしか起こりえないんだ。
眠り猫:起こったから現場でしょ。
帽子屋:違う。起こるしかなかったから現場なんだ。
眠り猫:はあ。
帽子屋:間違った半分の現場。
眠り猫:間違った半分?
帽子屋:君の、いや私たちの現場ではない。本城亜莉子の現場だ。
眠り猫:え?
帽子屋:みろ、鏡が割れている。
眠り猫:なぜ割ったんでしょう。
帽子屋、じろっと見て。
帽子屋:・・決まってる。生きるためにだ。本城亜莉子として。
眠り猫:え?
二人静かに座る。
風が吹く。
音楽。
新聞を見ているが、ふと。
帽子屋:風が強いな。
眠り猫:ええ。
間。
また、新聞を見ている。
眠り猫:ねえ。
小さい間。
眠り猫:ねえ、タダオのことだけど。
帽子屋:聞きたくない。
眠り猫:いいえ。あの子、友達いないのよ。
帽子屋:当たり前だ。
眠り猫:そんなこと言ったって、このままじゃ。
帽子屋:あいつはおかしいんだ。
眠り猫:おかしいっていったって普通じゃありませんか。
帽子屋:普通?
眠り猫:ちゃんと話だって出来るし、勉強だってするし。
帽子屋:ほんとにそう思うか。
間。
眠り猫:・・ええ。
間。
眠り猫:あの時、決めなきゃ良かった。
帽子屋:仕方ないだろ。どうしようもなかったんだ。
眠り猫:それはそうですけど。
この間に亜莉子が下手から門の間に立つ。
眠り猫:2000人に一人だって言うのに、どうしてあの子が。
帽子屋:運が悪かったんだ。
亜莉子、黙って上手に去る。
眠り猫:この間まで何ともなかったのに。
帽子屋:間違ってたんだ。
眠り猫:普通に育てたんですよ。あんなにかわいがってたのに。
帽子屋:当たり前だ、今でもかわいい。だが・・。
眠り猫:このままじゃ、あの子。
帽子屋:なんとしてでも生きていけるさ。
眠り猫:でも、世間がななんというか。このままじゃ、まともな仕事にも付けやしないし、結婚だって。
帽子屋:それは、あいつの問題だ。
亜莉子が再び門の間に立っている。
帽子屋:まともに生きていけば、世間だって認めてくれる。あいつがあんな変な・・
眠り猫:タダオ!
振り返る帽子屋。
亜莉子:タダオじゃないよ。
帽子屋:ばかげたことを。なんて格好だ。
亜莉子:変?
帽子屋:当たり前だ。変態じゃないんだぞ。お前は。
眠り猫:なんですそんな格好をして
亜莉子:自由でしょ。
眠り猫:おかしいと思われるわ
亜莉子:おかしい?どうして。私には自然よ。
眠り猫:だって、あんたは・・・。
亜莉子:私は私よ。
眠り猫:いい加減になさい。世間の常識というものがあるでしょ。
亜莉子:ほっといてくれない?
眠り猫:ほっとけますか。ねえ。
と、同意を帽子屋に求める。
亜莉子:無視してもらっていいのに。
帽子屋:何馬鹿なこと言ってる。タダオは。
亜莉子:男の子じゃないわ。
帽子屋:男の子だ。
亜莉子:戸籍でしょ。なぜ男の子にしたの。
帽子屋、詰まる。
帽子屋:それは。
眠り猫:お父さんもお母さんもあの時・・
亜莉子:知ってる。男の子がほしかったんでしょ。
帽子屋:・・いかんか、それが。お前は。
亜莉子:私が欲しかったんじゃなくて男の子が欲しかったのよね。
帽子屋:お前は、立派な男の子だった。医者も。
亜莉子:どちらにするか決めかねたのよね。
間。
亜莉子:なぜ女の子にしてくれなかったの。
間。
亜莉子:どうして、私の自由にしてくれなかったの。
帽子屋:出来るか、そんなこと。第一人間は。
亜莉子:男か女かしかないから。
眠り猫:どちらか選ばないとどうしようもないでしょ。タダオは。
亜莉子:どちらにも成ることが出来たのよね。
間。
笑う、亜莉子。
亜莉子:化け物を生んだって思わなかったお母さん。
眠り猫:なんてことを。
亜莉子:2000人に一人。低い確率だけでたまたま当たってしまった。
間。
亜莉子:ギリシャ神話をよんだわ。アンドロギュノス。男でも女でもある怪物。私は人間じゃないの。
帽子屋:馬鹿なことを言うもんじゃない。
亜莉子:そう。ばかげたことよ。そんなの許されないもの。だから、男にするか女にするか選択を迫られた。あなた達は私を男にした。
眠り猫:仕方ないでしょ、そのままにはしておけないわ。だから。
亜莉子:男にした。
間。
亜莉子:鏡を割ったことあったでしょ。
眠り猫:あの時からへんよ。それまで普通に。
亜莉子:違うの、ずっと変だったのよ。
眠り猫:お前。
亜莉子:世界が変だった。どこかちがってた。物心ついたときからずっとずつと変だった。どうしてかわからなった。でも、あの時分かったの。
帽子屋:何が分かったと言うんだ。スカートなんかはきはじめて。
亜莉子:世界が壊れてしまったのを。
眠り猫:タダオ。
亜莉子:鏡のこちらには男のボクがいた。向こう側には女のあたしがいた。鏡はひび割れていた。ああ、そうなんだ。ボクの体に私の心がいるんだ。間違った体に間違った心がいる。だから、苦しい。だから世界が壊れてしまったんだ。
眠り猫:タダオ!
亜莉子:体に合わせると私は壊れてしまう。間違いは正さなければならないわ。そうしないと生きていけないもの。だから、間違いを正しただけ。ボクじゃない、私なんだ。
帽子屋:なんと言うことを。
亜莉子:簡単なことなのに。脳は正直だわ。私は女でしかあり得ない。
眠り猫:大丈夫よ、カウンセリング受ければ、きっともとの。
連れて行こうとする。
払いのける。
亜莉子:そうして、あなた達はいつも私をほっておいてくれない!
間。
風が吹く。
眠り猫:ほおっておける分けないでしょ。
静かに。
亜莉子:いいえ。ほおって置いて。
小さい間。
亜莉子:そんなにたいしたことじゃないわ。私は世界に対して何ももとめようとは思わない。私は何も求めない。だから世界も私に何かを求めないで欲しい。私は、タダひっそりと私のままでいたいだけ。
眠り猫:タダオ!!
亜莉子:私は亜莉子。
眠り猫:あんた。
亜莉子:間違ってるって言いたいんでしょ。
眠り猫:そうよ、間違ってるわ。
亜莉子:間違ってるのはどっち。
眠り猫:当たり前でしょ。それは。
亜莉子:私にはどちらが間違っているかは分からないわ。私なのか。世界なのか。私が間違っているかもしれない・・けれど。
眠り猫:何を考えてるの。
亜莉子:それでは、私はあまりにも悲しすぎる。ひび割れた鏡に写る私がそう言うの。
眠り猫:ちよっと。
亜莉子:決められてしまって、自分でないものになって、仕方なく生きていくのは間違っているって。
眠り猫:ちょっとお父さん、タダオが。
亜莉子:私は私のままでいいのよって。
帽子屋:タダオ。
亜莉子:ボクは私に成るしことでしかいきられないわ。
亜莉子、隠し持っていたナイフを出す。
眠り猫:やめて。
亜莉子:間違いは正さなければならないでしょ。
眠り猫:あなたっ!
帽子屋、止めようとする。
亜莉子が何を刺そうとしていたかは分からない。
鏡を割るようにも見え、自分を刺すようにも見える。
ただ、ナイフは止めようとした帽子屋に突き刺さる。
鏡が割れる音。
眠り猫:あなたっ!
駆け寄る眠り猫。
亜莉子:だから、私に無関心でいてほしいだけなのに。
間。
亜莉子:それだけなのに・・・割れた鏡の欠片が足に突き刺さる。微かな痛み。それが何ともいとおしい。私は鏡の欠片。元には戻れない。ひび割れた世界の欠片になってしまった・・・あれは風?
風が強くなる。
亜莉子:私は、眠るしかないわ。
ぼんやりと周りを見る。
亜莉子:鏡は割れてしまったもの。
小さい間。
誰にともなく。
亜莉子:寝るわ。
ゆっくりとベッドに崩れ落ちていく。
誰にともなく。
亜莉子:私は亜莉子・・お休みなさい。
眠る。
ゆっくりと明かりが変わる。
Ⅸエピローグ
起きあがる二人。
脈を取る眠り猫。
帽子屋:風が強いな・・眠り姫か。
眠り猫:王子様はくるのかしら。
帽子屋:あらわれやしないよ・・こない方がいいのかも知れない
眠り猫:そうね・・いつまで眠るのかしら。
帽子屋:世界が終わるまで・・。
風が吹く。
帽子屋:今夜も風が強いな
眠り猫:ええ。
誰にともなく。
帽子屋:お休み。
眠り猫:お休みなさい。
二人はそれぞれに反対方向へゆっくりと歩む。
風の音とともに、亜莉子のみを残して。
徐々に暗くなり。
【 幕 】