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「虎落笛(もがりぶえ)」                    森鴎外『山椒大夫』より 作 結城翼


★登場人物
 傀儡1・・安寿・・・・・
 傀儡2・・山椒大夫・二郎・三郎・
 傀儡3・・厨子王・・・・
※台本中、安寿、厨子王、山椒大夫は混乱するので役名を記す。他は傀儡1等とする。

Ⅰプロローグ

濃い夕暮れの中、残照に照らされた黒と赤の竹が林立している。
黒い虎落垣が重なって見える。
中央奥に一段高い黒いエリアがある。
手前左右に打ち鳴らすようにしつらえた竹がある。
虎落笛が大きくなったり小さくなったりして聞こえる。恨みや悲鳴のよう。
傀儡たちが背中をかがめながら竹を打ち合わせリズムを取りながらゆっくりと回っている。
懐かしいような切ないような怨むようなリズム。
時々はっはっというかけ声のようなあえぎ声のような声が聞こえる。
叫び声のようなものがリズムを切り裂いた。
動きが止まる。竹のリズムは続いている。

傀儡1:人買いじゃ。
傀儡2:人買い?
傀儡3:人買い?
全員 :人買いじゃ!!

笑う。
リズムは続く。
また歩き始める。

傀儡1:聞こえるか。

小さい間

傀儡1:聞こえるか。

小さい間。

傀儡2:聞こえる。
傀儡3:聞こえる。

笑う。
リズムに乗せて。

傀儡3:うめいておる。
傀儡2:泣いておる。
傀儡3:叫んでおる
傀儡2:怨んでおる。
傀儡3:怒っておる。
傀儡2:呼んでおる。
傀儡3:答えて居る。

笑って。

傀儡1:らちもないことばかり聞こえてくるわ。
傀儡2:竹じゃからの。
傀儡3:竹じゃから。
傀儡2:根を張っているのだから簡単じゃ。
傀儡3:どこまでも。どこまでも張っているわ。
傀儡2:我らと同じ。
傀儡3:空っぽなだけさ。
傀儡2:吹き抜けるだけじゃな。
傀儡1:あのように!

傀儡1がカンと打ち合わせ、ぴたっと止まる。
リズムが止まる。
虎落笛が聞こえる。
ささやくように。

傀儡1:虎落笛だ。
傀儡3:変わらんの。
傀儡2:何も変わらん。
傀儡3:繰り返すだけ。
傀儡2:あのように。

虎落笛。
傀儡1、カンと断ち切るように打ち合わせ。

傀儡1:人買いじゃもの!

傀儡2、傀儡3でリズムが始まる。
傀儡1は一段高いエリアに立つ。
傀儡2、傀儡3は歩き出す。

傀儡1:まことによう運んでくれる。もがり笛とはようゆうた。あの笛の音は風の声、風に運ばれる嘆きの声よ。所詮われらはくぐつの影法師。らちもないことをおもしろおかしゅうしたてあげ、あることないことつむぎだし、一場の夢を見せるだけ。それごらんあれ!

Ⅱ人買い
風の音。
傀儡1「はっ」と声を立てリズムを取る。
取りながら歩き出す。
傀儡2傀儡3を引き連れた形となる。

傀儡2:越後の春日を経て今津へ出る道を、珍しい旅人の一群れが歩いている。
傀儡3:母は三十歳を越えたばかりの女で二人の子どもを連れている。
傀儡2:姉は十四、弟は十二である。
傀儡2:近い道をもの参りにでも歩くのなら、ふさわしくもみえそうな一群れでもあるが。
傀儡3:笠やら杖やらかいがいしい出で立ちをしているのが。
傀儡2:誰の目にも珍しく、又気の毒にかんぜられるのである

風に混じり声が聞こえる。声は風にちぎれながらつぶやくように飛んでいく。
傀儡1のみリズムを取っている。

傀儡3:荒川に掛け渡した応化の橋のたもとに人群は来た
傀儡2:橋のたもとに高札が立っている。

わらわらとよる。

傀儡2:みれば。
傀儡3:近ごろこのあたりに悪い人買いが立ち回る。よって旅人に宿を貸し足をとどめさせた者にはあたり七軒きっとおとがめが有ろう。

傀儡2がリズムを引き継ぐ。

傀儡1:人買いが立ち回るならその人買いをせんぎしたらよかろうに。行き暮れたものを路頭に迷わせるような掟を国の守はなぜさだめたものか。
傀儡3:余りにもふつつかな。
傀儡1:しかし掟は掟。
傀儡3:これでは夜露をしのごうにも
傀儡1:どうにもなりませぬ。
傀儡13:はてどうしたものか。

傀儡2かーんと打って。

傀儡2:わしは山岡太夫という船乗りじゃ。このころこの土地を人買いが立ち回るというので、国の守が旅人に宿を貸すことを差し止めた。人買いを捕まえることは国の守の手に合わぬと見える。気の毒なは旅人じゃ。そこでわしは旅人を救うてやろうと思い立った。
傀儡1:これは。
傀儡2:幸いわしが家は街道を離れているので、こっそり人を留めてもたれに遠慮もいらぬ。芋がゆでもしんぜましょう。
傀儡1:承れば殊勝なお心掛けと存じます。貸すなと言う掟のある宿を借りて、ひょっと宿主に難儀をかけようかとそれが気がかりでございますが、屋根の下に休むことができますればそのご恩は後の世までも忘れますまい。
傀儡13:忘れますまい!
傀儡2:ささ、どうぞ案内をしてしんぜましょう。

カーンという竹の音。
にやりと笑ふ。
リズムが始まる。

全員:帰らぬ夫、とう様を、尋ね尋ねて筑紫の果てへ、親子共々、親子共々旅の行く末おぼつかぬ。
  星に守られ草枕幾夜の旅を重ねども、重ねども、はてまた筑紫は波の果て、陸がよいやら船路やら
思案を重ね重ねども、山また山の千尋の谷へ、海また海の荒波へ親子引き裂く親知らず、子不知別れ難所のつづく、我らこれで    は我らこれでは・・・

カーン。

傀儡2:船路になされい。西国まではいかれぬが、幸いのこと諸国の船頭を知っておる。船に乗せて西国へゆく船に乗り換えさせよう。船路になされ。明日の朝、船路になされ。

カーン。

全員 :せき立てられてあらがえず、太夫のいうまま余儀なくも、親子共々船に乗り、波に任せて行く先は、行く先は。西国筑紫か、地獄の果てか、吉か凶かも分からずに、あやめも見えぬ波の間に、波の間に間に現れ二艘の小舟ぞ怪しきに、怪しきに。
傀儡2:あれが西国渡りの船じゃ、いずれに乗りても筑紫の国へ。ささお乗りなされよ。
全員 :お乗りなされよ。

カーン。

全員:せかされるまま是非もなく、別れて乗せらる親と子の、これがこの世の別れとは、わかれとは。

カーン。

安寿 :お母様ーーーっ。
厨子王:お母様ーーーっ。
安寿 :もし、船頭さん。もし、もし。

答えないのでとうとう後ろからすがり。

安寿 :これはどうしたことでございます。母上の船はあれ、あのように遠くなります。ともにゆくのではないのですか。

答えず。

安寿 :もし、もし、船頭さん。

と、後ろから揺するように。

傀儡2:うるさい!

蹴る。たまらず倒れる安寿。
あわてて駆け寄る傀儡3。

傀儡2:たわけが!またが分からぬか。おまえたちは売られたのじゃ!
安寿 :売られた。
傀儡2:母御もな。 ゛
厨子王:嘘じゃ。
傀儡2:一人六貫文、高い買い物じゃ。
安寿 :売られた。
厨子王:嘘じゃ!

やおらむしゃぶりつく厨子王。

傀儡2:騒ぐな!

無造作に振り放して。

傀儡2:騒げば船が沈むわ。大事な品じゃ。損じてなるものか。わっぱども静かにしておれ。もうどうにもできぬ。それ、母御の船も見えなくなるわ。
安寿 :お母様ー。
厨子王:お母様ー。
傀儡2:もう遅い。

カーン。

全員:呼べど叫べど、叫べど呼べど、鳥に有らねばゆかれもできぬ、暮れゆく波の潮の果て、影か霞か分からねど、うられし母の舟影は、墨を流した空の下、波のまにまに沈みゆく。沈みゆく。
安寿2:お母様ー。

カーン。

傀儡2:空も怪しい。さて、いずこへ売るか。佐渡か越中、能登、越前、それとも若狭か・・おお、そうじゃ、丹後のあの方に。わっぱども、さわぐな行くぞ。
全員:なんの定めか身の不運、いずこともなく売られゆく、あらがいたくともすべはなく、波に揺られる小舟に任せ、定めの海に流れゆく。
傀儡2:おお、あれが丹後じゃ!

カーン。

Ⅲ山椒大夫

傀儡1:丹後の由良の港の石浦と言うところに大きい屋敷を構えた分限者がいる。田畑に米麦を植え、山では猟(かり)をさせ、海では漁(すなど)りをさせ、蚕飼(こがい)をさせ、機織りをさせ、金物、陶物(すえもの)、木の器、何から何までそれぞれの職人を使って作らせる。人何いくらでも買う。その名をひと呼んで。
全員 :山椒大夫(だいふ)。

カンと竹が打ち鳴らされ明かりが変わる。
山椒大夫は振り返り中央から見据えてる。
安寿と厨子王は前に控えてうつむいている。
厨子王は耐え難くなって一度顔をあげるがあわててまたうつむく。
山椒大夫はじっとみているが。

山椒大夫:買うてきた子はそれか。・・・いつも買う奴と違うて何に使うてよいか分からぬ。めずらしい子どもじゃというから、わざわざ連れて来させてみれば、色の青ざめた、か細い童(わらわ)どもじゃ。何に使うてよいか・・・。

なおも見ていたが。

山椒大夫:これ、顔あげい。

厨子王はおそるおそる顔をあげる。
安寿は上げない。

山椒大夫:顔をあげんか。

安寿はあげない。

山椒大夫:顔あげい!

安寿、顔をあげてにらみつける。
山椒大夫脅すように。

山椒大夫:どうしてしぶとい童じゃ。ん?

安寿なおも無言。
厨子王様子をうかがうがこちらも無言。

山椒大夫:さきほどから見ていれば辞儀をせいと言われても辞儀をせぬ。ほかの奴のように名乗りもせぬ。弱々しう見えてもしぶとい者どもじゃ。よほど情が強(こわ)いものと見える。

二人無言。

山椒大夫:どうした。舌がないのか。

無言。

山椒大夫:黙っていても仕方有るまい。

無言。
舌打ちして。

山椒大夫:三郎、このわっぱどもを・・

かぶせて。

安寿 :母上をどこへやった!

にやりと笑い。

山椒大夫:ほう、。舌はあったか。
安寿 :母上をどこへやった。
山椒大夫:口の利き方をしらんのか。

にらむ。

安寿 :母上はどうなったのです。
山椒大夫:知らん。
安寿 :しらん?・・そんはずはっ。
山椒大夫:わしはおまえたちを買っただけのこと。親御がどうなったか知るはずもあるまい。
安寿 :そんなはずは有りません。あなたが。
山椒大夫:山椒大夫である。
安寿 :山椒大夫が。
山椒大夫:殿。
安寿 :が知らぬはずが有りますまい。母上はどこへ。
山椒大夫:さてどこかの。佐渡か明石か。わしは知らん。これは本当のことだ。
安寿 :では、私たちを売った、あの人に。
山椒大夫:山岡太夫か。さて、どこへ行ったか。知らんな。
安寿 :そんな。
山椒大夫:あきらめろ。

無言。

山椒大夫:生まれがどこか親が誰かどうでもよいことだ。
安寿 :よくありません。母上は。
山椒大夫:勘違いしてはならん!

間。

山椒大夫:おまえたちはわしのものだ。それだけだ。
安寿 :山椒大夫の。
山椒大夫:殿。
安寿 :殿のもの・・
山椒大夫:銭七貫文でおまえたちをこうた。それだけのことはしてもらおう。
安寿 :人を買う。
山椒大夫:よくあることだ。珍しくはない。
安寿 :私たちはだまされてさらわれてきました。
山椒大夫:それで。
安寿 :それで?だまされて山椒大夫・・殿に売られたのです。
山椒大夫:まっとうな商いだろうが。
安寿 :どこがまっとうですか。牛や馬ではあるまいに、私たちは。
山椒大夫:人である・・と言いたいか。

うなづく。

山椒大夫:人を売る、人を買う。どこがおかしい。
安寿 :私は買われる覚えは有りませぬ。
山椒大夫:だがおまえは売られた。
安寿 :だから、だまされて!
山椒大夫:知ったことではない。よいか、人も牛も馬も同じこと。売るものがいれば買うものもいる。何が不思議なことこれあろうか。
安寿 :そんな勝手な。
山椒大夫:勝手?
安寿 :人を売り買いするなど許されませぬ。
山椒大夫:誰がそう決めた。
安寿 :決めた決めぬではなく当たり前のこと。
山椒大夫:それはおまえの勝手だ。
安寿 :そんな。
山椒大夫:世間を知らぬ童はどうしようもない。おまえたちが無知なだけじゃ。この世は売り買いで成り立つ。そうでなけれは我らどうやって生きていけよう。売るものが有ればそれを売る。買うものがあればそれを買う。そうやって我らは暮らしを作る。それが人の世の有り様というものだ。たまたまおまえらはその身を売っただけ、わしは買っただけ。お互い満足すべきものではないか。
安寿 :売った覚えは有りませぬ。
山椒大夫:しかしわしは買った。



山椒大夫:そういうことだ。
安寿 :私は認めません。己の体は己のもの。己の心も己の心のはず。
山椒大夫:勘違いするな。お前がどう思おうと関係はない。お前の心まで買った訳ではない。そこまで厚かましくはない。体だけで十分じゃ。ようはたらくかどうかはあやしいが・・
安寿 :無茶です。
山椒大夫:認めまいが無茶だろうが、お前等を買ったという事実は動かせぬ。しっかりと働いてもらおう。猛攻はじめは男が柴刈り、女が汐汲みと決まっている。お前は・・名はわしが付けてやる、忍ぶ草、弟は忘れ草じゃ。忍ぶ草は浜へ行って日に三荷(さんが)の汐を汲め、忘れ草は山へ行って日に三荷の柴を刈れ。弱々しい体に免じて、荷は軽うしてとらせる。
安寿 :ですが。
山椒大夫:決まったことじゃ。

カーン。
山椒大夫は壇上より降りて控える。

厨子王:姉さん。
安寿 :厨子王。
厨子王:ひどすぎます。なんでこんなことに。

間。

安寿 :厨子王。
厨子王:逃げましょう。こんな所から。
安寿 :どうやって。
厨子王:・・それは。
安寿 :厨子王。
厨子王:はい。
安寿 :今は逃げることはかなわぬ。
厨子王:でも。
安寿 :しかたありません。運命(さだめ)と思いましょう。
厨子王:でも。
安寿 :この身はどうにもならぬ。山椒大夫がもの。でも、厨子王。
厨子王:はい。
安寿 :忘れてはなりません。心は己(おの)がもの。決して山椒大夫のものではありません。
厨子王:はい。
安寿 :山椒大夫もいいました。そこまでは厚かましくはないと。
厨子王:体だけでも十分厚かましいと思います。

少し笑って。

安寿 :心は我らのもの。しっかりと気を張って耐えましょう。いつかは。
厨子王:はい。
安寿 :いつかは・・。
厨子王:姉さん!

立ち上がる。

安寿 :母上はどうなったかわからぬ。我らだけでも生きていかなければ。
厨子王:はい。
安寿 :耐えましょう。そうして、いつかは。

カーン。

Ⅳ仕事
リズム。

全員 :新参者の掟とか、灯りもつかぬ寒き夜を、薦(こも)一枚に身を託し、母の夢すら見ることも、なきまま霜振る夜が明けば、姉は浜辺へ、弟は、山路を指して右左、桶とひさごに籠と鎌、三荷の汐と柴刈りに見返りがちに別れ行く。

安寿と厨子王は上下に別れる。
下手のみ明かり。

全員 :柴をかれとは言われても、慣れぬこととて厨子王は、手をつけかねてぼんやりと、朝日に霜の溶けかかる、しとねのような落ち葉の上に、ただただ涙を落とすのみ。

気を取り直して、柴を、一枝、二枝刈る、厨子王。

厨子王:痛っ。

指を切ったようだ。

厨子王:寒い。

座り込む。

厨子王:山でさえこんなに寒い。浜辺に行った姉様はさぞ潮風が寒かろう。

泣きそうになる。
傀儡2が声をかける。

傀儡2:お前も太夫のところの奴(やっこ)か。
厨子王:あっ、はい。
傀儡2:小さいのう。・・柴は日に何荷(なんか)刈るのか。
厨子王:日に三荷刈るはずの柴を、まだ少しも刈りませぬ。
傀儡2:日に三荷の柴ならば、昼までに二荷かるがよい。柴はこうしてかるものじゃ。

傀儡2手際よく刈る。

傀儡2:ほれ。

と、刈った柴を渡す。

厨子王:はい。・・有り難うございます。
傀儡2:なんの。

と、去ってゆく。
深々とお辞儀をする。

厨子王:有り難うございます。

我に返ったように刈り始める。
明かりが変わり上手のみ。

全員 :汐を汲めとは言われても、汲みよもしらぬ。心で心を励まして、泡立つ波に立ち向かう。

安寿はためらっていたが、汲もうとおそるおそる柄杓を出すが。

全員 :しぶきを上げて打ち寄せる、波の姿の恐ろしさ、汲もうとするも安寿の手から、あっという間に、あっという間に波が柄杓を奪い取る。
安寿 :ああっ、柄杓が!

素早く、傀儡3が柄杓を拾う。
返しながら。

傀儡3:はじめてだね。
安寿 :有り難うございます。
傀儡3:汐はそれでは汲まれません。どれ、汲みようを教えてあげよう。右手(めて)の柄杓でこうくんで、左手(ゆんで)の桶でこう受ける。

どんどん汲む。

傀儡3:ほら。もう一杯になった。

と、渡す。

安寿 :有り難うございます。汲みようが、あなたのおかげでわかったようでございます。自分で少し汲んで見ましょう。
傀儡3:では、私はあちらで。

と、顔見合わせてにっこりと。
お辞儀をする安寿。
安寿は汲み出す。
上、下に明かり。
それぞれに、汐汲みと柴刈りをしている。

全員 :人の情けが身にしみる。慣れぬ仕事に苦しみて、風は身を切りさいなめど、人の助けのありがたき、体は人に買われても、通う心のト尊きや。通う心の尊きや。

仕事が終わる。
夕方。
安寿・厨子王がそれぞれの荷を背負って帰る。

厨子王:姉様。
安寿 :厨子王。

見合って。

安寿 :首尾は。
厨子王:はい。親切な木こりに助けられまして、なんとか。姉様は。
安寿 :私も。ほら。

少し笑いあう。

安寿 :日が暮れてきました。ぼつぼつ。
厨子王:はい、あ、鳥が。

見上げて。

安寿 :ねぐらに帰って行くのね。
厨子王:何という鳥でしょう。
安寿 :さあ。
厨子王:親子でしょうか。
安寿 :どうでしょう。

しばらく目で追う。

厨子王:鳥はいいですね。

間。

安寿 :厨子王。
厨子王:はい。(少し上の空)
安寿 :・・帰りましょう。
厨子王:あ、はい。

と、帰りかかるが。

安寿 :厨子王。
厨子王:はい。
安寿 :気を強く持たねばなりませんよ。
厨子王:はい。

帰る。

Ⅴ虎落笛

虎落笛の音。

全員 :汐汲み柴刈り一日(ひとひ)が暮れる。姉は浜にて弟思い、弟山にて姉思う。日暮れになれば手を取りて、恋しやとと様筑紫の国に、恋しやかか様佐渡の島。なき手は語り、語りては涙の乾く暇もなし。やがて十日の日を数え、あくれば二人それぞれにたつきの道を別れゆく。

山椒大夫が仁王立ち。

山椒大夫:新参者の小屋を明けねばならぬ。奴は奴、婢(はしため)は婢の組に入らねばならん。
安寿 :お願いでございます。弟と二人一緒にいとうございます。
山椒大夫:決まりだ。男は男の女は女の仕事がある。じゃによって分けるのだ。
安寿 :父と別れ母と別れ今ここ弟と別れては生きいく気が致しませぬ。お願い致します。どうか弟と。
厨子王:どうか姉さんと。
安寿2:お願い致します。
山椒大夫:たわけた話じゃ。奴は奴の組へ引きずっていけ。婢は婢の組へ引きずっていけ。
安寿 :お願いです。どうか。
厨子王:どうか。
山椒大夫:ええい、うるさい!三郎!
安寿 :いやです。
厨子王:姉さん!
山椒大夫:うるさい!・・何、どうした三郎。

辟易したようすの山椒大夫。

山椒大夫:ほう、なるほど確かにこやつらは愚か者じゃ。死んでも離れぬと。

じろっと見て。

山椒大夫:死んでも離れぬか。

間。
固く抱き合う二人。

安寿 :はい。

じっと見ているが。
苦く笑う。

山椒大夫:損になることはわしも嫌いじゃ。死なれてしもうたら元も子もない。刈る柴はわずかでも、汲む汐はいささかでも人手を減らすのは損である。

にらんで。

山椒大夫:勝手にせえ。

と横を向く。

安寿・厨子王:ありがとうございます。
山椒大夫:ただし。

と、振り向いて。

山椒大夫:逃げたら許さぬ。

と一言。

山椒大夫:三郎、三の木戸に小屋を掛け、こやつらを住まわせよ。

去る。
虎落笛。
明かりが夜に変わる。
   二人がつくねんといる。
虎落笛に気づく。
     
厨子王:あれは、また。
安寿 :虎落笛だわ。
厨子王:海は荒れますね。汐汲みは気をつけないと。
安寿 :山も寒そう。



厨子王:母上も聞いているでしょうか。



厨子王:泣いているようです。
安寿 :いいえ、あれは怒っているわ。
厨子王:怒っている。
安寿 :うめいているし、叫んでいる。激しく。

虎落笛の音が大きい。

厨子王:激しく・・・。
安寿 :きっと、みんな聞き続けている。
厨子王:誰が。
安寿 :山椒大夫に使われているもの、いたもの。いいえ、それだけじゃないわたしたちのようなもの。聞き続けてる。
厨子王:聞くしか有りませんから。

と、見回す。

厨子王:どうしようもありません。
安寿 :佐渡は遠いわ。
厨子王:海を越えねばなりません。
安寿 :筑紫はそれよりまた遠い。子どもの行かれるところではないわ。大きくなってからでないと。
厨子王:それはそうですが・・・会いたい・・。



安寿 :ご無事かどうかも分からない。

間。
虎落笛がひとしお大きく聞こえる。

厨子王:悲しい声です。
安寿 :厨子王。
厨子王:はい。

間。

安寿 :大きくなってからでなくては遠い旅ができない。いいえ、このままでは旅ができるような日が来るのさえも当てにはならない。
厨子王:はい。
安寿 :それは当たり前のことだわ。
厨子王:・・はい。
安寿 :でも、私たちはそのできないことがしたいのだわ。
厨子王:はい。でも。
安寿 :まって。私よくおもってみるとどうしても二人一緒にここをにげだしてはだめなの。私にはかまわないで、おまえ一人で逃げなくては。
厨子王:姉さん、それは。
安寿 :先へ筑紫のほうへいってお父様にお目にかかるの。
厨子王:でも。
安寿 :黙って。お父様にどうしてらよいか伺えばよい。それから佐渡へお母様のお迎えに。

ずいっと三郎が入る。

傀儡2:逃げる気か。

あっと真っ青になる二人。

安寿 :三郎様。
傀儡2:聞いたぞ確かにこの耳で。逃亡の企てをしたものには焼き印を押す。それがこの屋敷の掟じゃ。赤うなった鉄は熱いぞ。

にやりと笑い。

傀儡2:父上に申し上げねばな。

行こうとする。

安寿 :あれは嘘でございます!

止まって。  ないわ

傀儡2:嘘。嘘とな。
安寿 :はい。弟が一人で逃げたって、まあ、どこまで行かれましょう。嘘でございます。
傀儡2:それにしては熱が入っていたが。
安寿 :余り親に会いたいのであんなことを申しました。こないだも弟と一緒に鳥になって飛んでいこうと申したこともございます。出放題でございます。
厨子王:姉さんの言うとおりです。いつでも二人で今のようなできないことばかし言って、父母の恋しいのを紛らわしているのでございます。



傀儡2:ふん。嘘なら嘘でもよい。

ほっとする二人だが。

傀儡2:だが、お主たちが一緒におって何の話をすると言うことをこの三郎が確かに聞いて置いたぞ。

にらむと、くるりと去る。
緊張の糸が解ける二人。

厨子王:姉さん。
安寿 :厨子王、うかつでした。あの人は恐ろしい。ひょっとすると山椒大夫より恐ろしい。
厨子王:まさか。
安寿 :分からないけど確かに何か考えていたわ。
厨子王:まさか烙印を。
安寿 :あれしきのことでそんなひどいめにあわすはずがないわ。そう・・あれしきのことで。

虎落笛の音。


安寿 :寝ましょう。朝が早いわ。
厨子王:姉さん。
安寿 :眠れればよいけれど。

二人、寝る。
明かりが変わる。
虎落笛がひとしきり吹く。
(人員に余裕が有ればリズムを取りたい)

Ⅵ烙印の夢

リズムが虎落笛に乗る。(幕外でならしてよい)
寝ている二人。
傀儡2がやってくる。
以下台詞はない。
青ざめた微かな明かり。
        扉を開ける。
ふっと起きる二人。
傀儡2は、つと寄って二人の手を捕まえる。
二人を引き立て、引き立て平台を半周して前に回り、そこに二人をつきすえる。
傀儡2は平台の上に上がり、やけ火箸を炭火から取り出す。
しばらく熱さをはかっているふう。
やがて、安寿を引き寄せ、火箸を顔に当てようとする。
厨子王はその肘にからみつく。
傀儡2は蹴倒して右膝にしく。
火箸を安寿の額に十文字に当てる。
安寿の悲鳴(実際に)。
安寿を突き放し膝のしたの厨子王を引き起こしその額にもやけ火箸。
火箸をおき、また二人の手を捕まえる。
一座を見回し、引っ立ててゆく。
再び半周して元に戻り二人を突き落とすように突き放す。
去る。
死んだような二人。
虎落笛が大きくなる。
やがて明かりが変わり。
カンカンとリズムを取りながら三郎が回る。

傀儡2:いつまで寝ているか。仕事じゃぞ。起きぬか。一日が始まるぞ。

という声がしてとおりすぎてゆく。
はっとして起きる安寿。

安寿 :夢・・・。

寝ぼけたような声で。

厨子王:もう朝ですか。

のろのろとおきて。安寿の異様な感じに気づき。

厨子王:姉さん?
安寿 :何でもないわ。さ、支度して。
厨子王:はい。

とまだ不審げだが。

安寿 :早くしないとしかられるわ。
厨子王:はい。でも。
安寿 :何でもない。さ、行きましょう。

と立ち上がる。
平台の前で。

安寿 :では。

と、お互い会釈をして上下に別れる。
カン、カンとリズム。
それぞれが仕事をする。柴刈りと汐汲み。
傀儡2がリズムを取りながら平台の周りを一周。
それぞれしんどそうなそぶりで仕事をしている。
やがて。
ふと、それぞれ空を見上げる。

安寿 :あ。
厨子王:鳥だ。
安寿 :飛んでいるわ。
厨子王:ああ、ゆうゆうと飛んでいる。
安寿 :あんなに自由に。
厨子王:あんなに軽やかに。
安寿 :あの向こうは・・佐渡島(さどがしま)。
厨子王:あの向こうに筑紫の国が。
安寿 :・・空を飛べたら。
厨子王:・・空を飛べたら。

と仕事の手を休め彼方を思う。
カンカンとリズムを取りながら三郎が回る。

傀儡2:男は三荷の柴を刈れ。女は三荷の汐を汲め。ゆめゆめ怠るな。働かねば生きてはゆけぬぞ。怠るな。よいか、うぬらは山椒太夫がもの。怠ってはならぬ。男は三荷の柴を刈れ。女は三荷の汐を汲め。新参者とて手をやすめるな。うぬらは山椒大夫がものじゃ。怠るな。怠るな。

はじかれたようにそれぞれがまた仕事に取りかかる。
三郎は回っていく。
やがて、夕方となる。
疲れた様子でそれぞれ帰ってくる。

安寿 :厨子王。
厨子王:姉さん。

話そうとするが。
三郎は触れながら回る。

傀儡2:柴は厨(くりや)へ、汐は竃屋(かまや)へ。怠るな。働かねば生きてはいけぬ。手を休めるな。昼は昼間の夜は夜なべの仕事に精を出せ。男は藁(わら)を打て女は紡錘(つむ)を回せ。昼は昼間の夜は夜なべに精を出せ。

話しもできず。
疲れ切りながらもそれぞれ夜なべ仕事を始める。
夜が来る。

Ⅶ井戸の底と青空

虎落笛。
背景の竹林が不気味に浮かび上がる
二人が家の中で藁をうったり紡錘(を)回したりしている。
カンカンとリズムを取りながら三郎が回っていく。
通り過ぎて。
手を止める厨子王。
立ち上がり竹林を見る。
安寿は紡錘を回している。

厨子王:姉さん。
安寿 :何。

手は止めない。

厨子王:いつまでだろう。
安寿 :何が。
厨子王:こんなこと。いつまでやれば。

手を休めて。

安寿 :大きくなれば。
厨子王:だからいつまで。

座る。
藁を打つ。

厨子王:こんなこと。

バンバンとたたく。

安寿 :藁が痛むわ。
厨子王:わかってる。

手を止める。

厨子王:でもいつまで。
安寿 :わからない。
厨子王:ずっとだめかも。
安寿 :そうね。

また紡錘を回す。
虎落笛か強い。
厨子王は仕方なく藁をたたく。

厨子王:どうしてかなあ。どうしてこんなことに。
安寿 :言ってもせんないこと。
厨子王:けど。
安寿 :私たちは井戸の底にいる。
厨子王:え?
安寿 :まわりも何も見えない、深い深い井戸の底にいる。

厨子王周りを見回す。
うえを見ながら。

安寿 :山椒大夫という深くて暗い井戸の底におまえも私もとらえられている。
厨子王:・・はい。抜け出そうとしてもできませぬ。
安寿 :そうね。
厨子王:もう会えないのでしょうか。お母様やお父様に。

虎落笛。


安寿 :厨子王。
厨子王:はい。
安寿 :井戸のそこからでもそらは空は見えるわ。
厨子王:それは見えるでしょう。でも空には届きません。
安寿 :小さく遠い空だけれど青く澄み渡った空が見える。風がどこまでも吹いていく。
厨子王:私には・・・
安寿 :鳥が飛んでいるわ。
厨子王:鳥?
安寿 :おまえも見たでしょう。山で。
厨子王:・・はい。でも。
安寿 :風に乗って飛んでいくのが見えるわ。
厨子王:鳥。
安寿 :厨子王。あきらめてはなりません。たとえ空に届かなくても、まだ空を見ることはできる。
厨子王:・・はい。
安寿 :この身に羽はなくても心は鳥と一緒に飛ぶことはできる。
厨子王:でも。
安寿 :厨子王。

にっこりと笑う。

厨子王:はい。
安寿 :こうして私たちは辛い定めにとらわれてしまった。この身はわしのものだと山椒大夫は言う。けれど。
厨子王:けれど。  
安寿 :心は私のもの。誰のものでもないわ。すべて人の心は己(おの)がもの。己が主は我が身でしかないわ。決して誰かのものでは有りはしない。
厨子王:はい。
安寿 :それにね。
厨子王:え?

再びにっこり笑う。

安寿 :鳥が飛ぶ青空が有るのも確かなことよ。
厨子王:・・はい。
安寿 :きっと。・・・ええ・・きっと。

二人、幻の鳥を見ている。
カン、カンとリズムを取って傀儡2が回る。
二人は再び仕事に戻る。
虎落笛が大きい。
明かりがゆっくり変わる。
二人は仕事をしている。

Ⅷたくらみ

一回りした傀儡2。

傀儡2:水が温み草が萌える季節となった。明日からは、外の仕事じゃ。大勢の人の中には病気で居るものもある。奴頭(やっこがしら)の話を聞いたばかりで分からぬから今日は小屋小屋を回って居る。垣草(しのぶぐさ)に萱草(わすれぐさ)、どうじゃ明日仕事にでられるか。

安寿が糸を紡ぐ手を止め、つと前へ出る。

安寿 :二郎様それについてお願いがございます。
傀儡2:なにか。
安寿 :私は弟と同じところで仕事がいたしとうございます。どうか一緒に山へやってくださるようにお取りはからいなすってくださいまし。

目が輝いている。
傀儡2はじっと見つめる。

安寿 :ほかにないただ一つのお願いでございます。どうぞ山へ。

無言。

安寿 :お願い致します。

ややあって。

傀儡2:ここでは奴婢(ぬひ)のなにがしに何の仕事をさせると言うことは、重いことにしてあって、父がみづから決める。しかし垣草(しのぶぐさ)おまえの願いはよくよく思いこんでのことと見える。わしが請け合って取りなしてきっと山へ行かれるようにしてやる。ただし。
安寿 :ただし?
傀儡2:いや・・。

小さい間。

安寿 :わたしはただただ弟と・・
傀儡2:分かった。・・では、そのように。まあ二人の幼いものが無事冬を越してよかった。

去る。
お辞儀をする安寿。その背中に。

厨子王:姉さん、どうしたのです。

振り返る。

厨子王:それは一緒に山へ来てくださるのは、私もうれしいが、なぜ出し抜けに頼んだのです。なぜ私に相談しません。

にっこり笑う。

安寿 :ほんにそうお思いのはもっともだが、私だってあの人の顔を見るまで頼もうとは思っていなかったの。
厨子王:ねえさん。
安寿 :ふいと思いついたのだもの。

といたずらっぽく。

厨子王:そうです。変だなあ。

とややあきれ顔。
ふふっと笑う安寿。
そこへ奴頭(傀儡2)が来る。

安寿 :これは奴頭様。

頷いて。

傀儡2:垣草さん。お前に汐汲みをよさせて、柴を借りにやるのだそうで、わしは道具を持ってきた。代わりに桶と杓(ひさごます)をもらってゆこう。
安寿 :これはどうもお手数でございました。

立ってゆき桶と杓を返す。
だが、奴頭はそのまま立っている。

安寿 :何か。

苦笑いのような表情を浮かべ。

傀儡2:さて今ひとつ用事がある。
安寿 :はい。

言いにくそうだ。

安寿 :何でございましょう。
傀儡2:実は・・お前さんを芝刈りにやることは、二郎様が太夫様に申し上げてこしらえなさったことだ。
安寿 :はい。ありがとうございます。
傀儡2:ところが・・その座に三郎様が居られての。
安寿 :はい。
傀儡2:そんなら垣草(しのぶぐさ)を大童(おおわらわ)にして山へやれとおっしゃった。
厨子王:髪を・・。
傀儡2:太夫様はよい思いつきじゃとお笑いなされた。そこでわしは・・
厨子王:そんな、ひどいことを。
傀儡2:お前さんの髪をもろうていかねばならぬ。
厨子王:姉さん。

だが安寿の顔にはまだ喜びの表情が。

安寿 :ほんにそうじゃ。芝刈りにゆくからは私も男じゃ。どうぞこの鎌で切ってくださいまし。

傀儡2の前にうなじを伸ばす。

傀儡2:では。

さっくりと髪を切る。
暗転。
カンカンと響く。

Ⅸ逃亡

カーンと響き。

厨子王:姉さん、待ってください。

溶明。
足を止めて見回す安寿。

安寿 :良い景色だわ。

追いつく厨子王。

厨子王:私はどうも悲しくてなりません。
安寿 :どうして。
厨子王:その髪。・・姉さん、私に隠して何か考えていますね。なぜそれを私に言って聞かせてくれないのです。

にっこり笑い。

安寿 :さあ、早く行きましょう。あ、スミレ。

と走りより。

安寿 :ごらん、もう春になるのね。
厨子王:姉さん。
安寿 :もっと上の方ね、柴を刈るところは。さあ。

と、さっさと歩く。
ぐるりと回る。
        後ろに来たとき。

厨子王:姉さん。ここらで刈るのです。
安寿 :そう。でももっと高いところに登ってみましょう。

とずんずんとあるく。
やがて。

安寿 :ここがいいわ。
厨子王:姉さん。
安寿 :ごらんきれいな沼があるわ。なんという名前かしら。
厨子王:姉さん
安寿 :ずっとむこうにお寺の塔が見える。あの遙か向こうは都かしら。
厨子王:姉さん。

小さい間。

安寿 :厨子王。
厨子王:はい。
安寿 :私が久しい前から考え事をしていて、変だと思っていたでしょう。
厨子王:・・はい。
安寿 :もう今日は柴なんぞは刈らなくて良いから私の言うことをよくお聞き。
厨子王:でも、刈らないと。
安寿 :いいのです。

きっぱりという。

厨子王:姉さん。

小さい間。

安寿 :お逃げ。
厨子王:え?
安寿 :お前一人でお逃げ。

カーンという音。

厨子王:そんな、姉さんを置いて。
安寿 :お聞き。



安寿 :あの中山を越えていけば都がもう近いと人が話していたわ。筑紫へ行くのはむづかしいし、佐渡へ渡るのもたやすいことではないけれど、都へはきっと行かれます。

何かいいたそうなのを押さえて。

安寿 :お母様とご一緒に岩代を出てから私どもは恐ろしい人ばかりに出会った。

小さい間。

安寿 :けれど人の運が開けるものならよい人に出会わぬにもかぎりません。お前はこれからおもいきってこの土地を逃げ延びて都へ登りなさい。神仏のお導きでよい人にさえ出会ったならば筑紫へお下りになったお父様のお身の上もしれよう。佐渡へお母様のお迎えに行くこともできよう。かごや鎌は捨てておいて、かれいけだけ持って行きなさい。
厨子王:できません。
安寿 :行くのです。
厨子王:では姉さんもいっしょに。
安寿 :いいえ。

ちいさい間。

安寿 :私のことは構わないで。お前一人ですることを私と一緒にするつもりですればよい。
厨子王:それでは姉さんがひどい目に。

ほほえんで。

安寿 :私は我慢して見せます。金で買った婢をあの人たちは殺したりはしません。たぶんお前がいなくなれば私を二人前働かせようとするでしょう。お前の教えてくれた木立のところで私は柴を沢山刈ります。六荷までは刈れないでも四荷でも五荷でも刈りましょう。

無言の厨子王。

安寿 :二人ではとても逃げられはしない。女なればあつかいは少しはましであろう。お前一人でお逃げ。

無言。

安寿 :追っ手はきっとかかります。当たり前に逃げては追いつかれるに決まっている。さっき見た川の上手を和江と言うところまでいって首尾よく人に見つけられず向こう岸へ越してしまえば中山までもうちかい。そこへ行ったらあの塔の見えるお寺に隠してもらいなさい。追っ手が帰った後で寺を逃げればよい。
厨子王:でも、お寺の坊さんがかくまってくれるとは。
安寿 :それは運です。でも厨子王。

しっりみすえて。

安寿 :いつまでも井戸の底にいては空を飛ぶことはできないのですよ。



安寿 :坊さんはよい人できっとお前を隠してくれます。

間。

安寿 :厨子王。
厨子王:はい。
安寿 :これを。

守り本尊を渡す。

厨子王:これは。
安寿 :これは大事なお守りだが今度会うまでお前に預けます。これを都のだれか偉い人にお見せ。そうすればきっと悪いようにはしないでしょう。
厨子王:でも 姉さんにお守りがなくては。
安寿 :いいえ私よりあぶない目に遭うお前に預けます。よいですね。
厨子王:はい。

にっこりと。

安寿 :では。

と、水を汲む様

安寿 :おのみ。
厨子王:え?
安寿 :これはお前の門出を祝うお酒だよ。

と一口飲む。
弟は、わたされた椀を見ているがやがてぐっと飲む。

厨子王:では、姉さん。
安寿 :無事で。
厨子王:きっと迎えに来ます。

笑ってうなずく。
何かいいたそうだが。
下手へばっと走る。途中からスローモーション。下手まで来ると前を向き必死で走る。
安寿見送って、ふと空を見上げる。

安寿 :おお、鳥が飛んでゆくわ。

厨子王が逃げた方へ向かい。

安寿 :厨子王。あの鳥のように、お逃げ。

叫ぶ。

安寿 :厨子王ー!

厨子王は走り続ける。
ゆっくり明かりが落ちていきかかるところへ。
傀儡2が安寿の後ろへ現れる。

傀儡2:何をしている。

はっと振り向く。

傀儡2:柴刈りはどうした。萱草(わすれぐさ)はどうした。まだ一荷も刈っておらぬではないか。

ずいっと寄る。下がる安寿。
はっと気づく。

傀儡2:さては。きさまらっ!

安寿を捕まえ。

傀儡2:こいっ。

そのまま、引っ立てていく。
厨子王は走り続けている。
明かりがゆっくり落ちていく中、平台を回って、後ろから平台の前に引き据える。
暗転。

Ⅹ仕置き

カーン。
あかるくなる。
山椒大夫が平台の上に仁王立ち。安寿は平台の前にそのままの姿。

山椒大夫:言うことはあるか。

無言。

山椒大夫:垣草(しのぶぐさ)、忘れてはいまいな。

無言。

山椒大夫:逃げてはならんと言ったはずだ。

無言。

山椒大夫:この家の掟忘れてはいまい。

無言。

山椒大夫:どうじゃ。

安寿静かな声。

安寿 :逃亡の企てをしたものには焼き印をすると。

にやっと笑い。

山椒大夫:その通りじゃ。

厳しい声になる。

山椒大夫:常々厳しく申し渡してあるにもかかわらずお前は萱草(わすれぐさ)を逃がした。わしが家の掟を破り、この山椒太夫の命を無視した。この罪は重い。
安寿 :罪でしょうか。
山椒大夫:何。
安寿 :それが罪でしょうかと申しました。
山椒大夫:こやつ。
安寿 :私は人の掟にしたごうたまででございます。
山椒大夫:人の掟?こしゃくな事を申す。
安寿 :人が人を買い、己の自由にする。人は元々己が己の主なはず。己(おの)が心のままに生きるのが人の掟。
山椒大夫:黙れ。
安寿 :いいえ。黙りませぬ。私にも弟にも何の罪も有り様はずがございませぬ。私どもはただ父のゆくへを訪ねて旅をしていただけのこと、買われる筋合いもまして己が心にそわぬことをしいられる義務もございませぬ。それより逃げようとするは人の掟、いいえ人のありようとして当たり前のことではありませぬか。
山椒大夫:いわしておけば。
安寿 :山椒大夫殿。
山椒大夫:まだゆうか。
安寿 :あなたこそ人の掟を破った罪がございましょう。
山椒大夫:だまれ、だまれ、だまれだまれ!

間。

山椒大夫:童のぶんざいでそこまでよく言うた垣草(しのぶぐさ)。わしに罪ありと。

笑う。

山椒大夫:我が家(いえ)においては、わしが言葉が人の掟じゃ。よかろう、いかにも心はお前のもの。だが、その身はわしがものによっていかようにしようといなやは言わさぬ。お前は罪を犯した。逃亡の企てをしたものには烙印を押す。力なきものにとりては掟などそのほかには何もありはせぬ。そのこと烙印の痛みの中でしかと心得るがよい。

カーン。
焼きごてを取りずいっとよる。

山椒大夫:目をつぶれ。
安寿 :いやです。
山椒大夫:つぶらぬとめしいになることもある。つぶれ。
安寿 :つぶりませぬ。非道のこと、しっかりとこの眼(まなこ)で見届けます。
山椒大夫:おろかものめが。
安寿 :おろかものはどちらでございましょう。

にらみ合う。

山椒大夫:やがてわかる。

烙印を押す。
悲鳴。
倒れる安寿。

山椒大夫:ふたたびその目は開くまい。人の掟とやらもにどとその目でみることはなかろう。

再び平台の上に立ち。

山椒大夫:つれてゆき、手当をしてやれ。烙印の傷いえたならば、仕事をさせよ。萱草(しのぶぐさ)はもはや見ることかなわねば、粟をついばむ雀など追わせよ。

去ろうとして。

山椒大夫:どこまでもおろかものよ。

カーン。
去る。

ⅩⅠ厨子王恋しや

ゆっくりと明かりが変わる。
のろのろと下手に安寿はいざってゆく。
カン、カンとリズム。
もがり笛の音が大きくなる。
やがて、ちいさくなり、安寿のみに明かり。
リズムは続いている。
気がつけばかすかに歌っている。

安寿 :母様恋しや、ほうやれほ。厨子王恋しや、ほうやれほ。鳥も生(しょう)あるものなれば、疾う疾う(とうとう)にげよ、逐(お)わずとも。

繰り返しうたいながら、てはすずめとおぼしきものを追っている。

安寿 :お逃げ。早くお逃げ。

それは雀に言っているのか、厨子王に言っているのかさだかではない。

安寿 :早くお逃げ。

動作はのろのろといつまでも続く。

安寿 :母様恋しや、ほうやれほ。厨子王恋しや、ほうやれほ。鳥も生(しょう)あるものなれば、疾う疾う(とうとう)にげよ、逐(お)わずとも。
傀儡23:一とせ、ふたとせ、みとせが過ぎぬ。めしいし眼(まなこ)にうつりしものは、追われる鳥か厨子王か、虎落笛のみ虚しく吹きて、四とせいつとせ月日は移り、虚しき歌のみ流れゆく、流れゆく。
安寿 :母様恋しや、ほうやれほ。厨子王恋しや、ほうやれほ。鳥も生(しょう)あるものなれば、疾う疾う(とうとう)にげよ、逐(お)わずとも。

もがり笛が吹き、カン、カンと単調なリズムがつづくなか。いつまでも追っている。
もがり笛が大きくなる。
ゆっくりと溶暗。
音が静まり。

ⅩⅡ布告

カーン。
傀儡3の声。

傀儡3:申し上げます。
山椒大夫:何か。
傀儡3:このたびの新しき国の守、国の中のご視察の途中、ただいまこの館にご到着されました。
山椒大夫:おお、そうか。まだたいそうお若いかたときいておるが。
傀儡3:はい。なれどなかなかのお方とお見受け致しました。

ややあかるくなると、夕景。
山椒大夫が平台の上にいる。
下手で安寿がのろのろと雀を追いながら小さい声で歌っている。

山椒大夫:こちらへお通し申せ。いや、わしがでる。

と平台を降りて、上手へ。上手より厨子王がくる。
辞儀をして。

山椒大夫:このたびは国の守ご就任祝着至極に存じます。またこの山椒太夫が家にご来駕を賜り、太夫光栄至極に存じまする。
厨子王:出迎え大儀。案内(あない)いたせ。
山椒大夫:はーっ。

カン、カンと音立てながら先導する。平台の前を横切っていく。

厨子王:あれは。

安寿がすすめを追っている。

山椒大夫:これはお目汚しを。あのものはつまらぬはしためでございます。それより。

と案内するが。

厨子王:目が見えぬようだが。

渋い顔で。

山椒大夫:はい。七とせほど前不始末をいたしましたので。
厨子王:むごいことを。
山椒大夫:いえいえ、目をつぶそうなどとはいたしておりませぬ。掟によりまして、烙印をいたしました所、なかなかにしぶとい童で。あやまって。
厨子王:掟か。
山椒大夫:はい。私どもの生業ではしかたございません。
厨子王:そうか。
山椒大夫:とうてい仕事もできませず、やむなくあのようなことをさせております。いわば。
厨子王:慈悲ともうすか。
山椒大夫:私とて鬼ではございませぬ故。

うなづいて、歩き出そうとするが。

山椒大夫:何か。
厨子王:歌っているようだ。
山椒大夫:気晴らしでございましょう。あの歌ばかり。

歌声がはっきり聞こえる。

安寿 :母様恋しや、ほうやれほ。厨子王恋しや、ほうやれほ。鳥も生(しょう)あるものなれば、疾う疾う(とうとう)にげよ、逐(お)わずとも。

衝撃を受ける。

厨子王:・・厨子王。
安寿 :母様恋しや、ほうやれほ。厨子王恋しや、ほうやれほ。鳥も生(しょう)あるものなれば、疾う疾う(とうとう)にげよ、逐(お)わずとも。

立ちつくす。
いらだったように。

山椒大夫:かまわずに。こちらへ。

歌は続く。
ゆっくり回り後ろから平台に登る。
山椒大夫は平台よりおり上手に控える。
厨子王はじっと安寿を見る。
山椒大夫はいぶかしそうにしていたが。改めて平伏して。

山椒大夫:このたびは我らが家にご来駕を賜り。

と続けようとする所へ。

厨子王:山椒大夫。
山椒大夫:はっ。
厨子王:しばらくであった。
山椒大夫:え。

と、顔を上げる。

厨子王:私はこのたび秋の除目により丹後の国守を仰せつかった陸奥の掾正氏(むつのじょうまさうじ)が一子正道と申す。
山椒大夫:はっ。

と応えるがまだわかっていない。
同時にぴたっと歌声が止まる。
衝撃を受ける安寿。

厨子王:わからぬか。
山椒大夫:は?

と衝撃。

山椒大夫:萱草(わすれぐさ)!

すかさず。

厨子王:山椒大夫!
山椒大夫:はっ。
厨子王:丹後の国の守として最初の布告を言い渡す!こころしてきけい!
山椒大夫:はーっ。
厨子王:布告。丹後一国で人の売買を禁ず。以後何人も己が意に反し己が主を持たざるものとす。
山椒大夫:そ、それは。
厨子王:山椒太夫。
山椒大夫:はっ。
厨子王:ことごとく奴婢を解放し、給料もはらうように。
山椒大夫:それでは。
厨子王:やがては太夫のためにもなる。布告である!

間。

厨子王:よいな。

間。
山椒大夫、やがて静かに平伏する。
見届けて厨子王、静かに安寿に近づく。

厨子王:お待たせ致しました。
安寿 :・・遅かったわね。
厨子王:申し訳ございません。
安寿 :お父様は。
厨子王:残念ながら・・・。
安寿 :そう。

小さい間。

厨子王:お母様を捜しましょう。
安寿 :生きていらしゃっるの。
厨子王:わかりません。が、きっと・・。
安寿 :そうね。きっと。
厨子王:さっ。

と助けて立ち上がらせる。
もがり笛がかすかに聞こえる。

厨子王:佐渡は遠うございます。
安寿 :大丈夫。お母様はきっと待っていてくださる。
厨子王:はい。

行こうとするが。風が強くなる。

安寿 :風が。
厨子王:はい。今日は強うございます。
安寿 :もがり笛が聞こえるわ。

もがり笛。

厨子王:もうそのような季節になりました。

見回して。
そのひょうしに空を見て。

厨子王:あ。
安寿 :何。
厨子王:鳥が。
安寿 :鳥?
厨子王:鳥が飛んでおります。
安寿 :鳥が。
厨子王:はい。ゆっくりと高く飛んでおります。

見えぬ目で空を見る。
やがて、にっこりと笑い。

安寿 :厨子王。
厨子王:はい。
安寿 :参りましょう。

頷いて、厨子王は安寿の手を引いてゆく。
カン、カンと静かにリズムが響く中、歩いてゆく。
明かりが落ちてゆき、もがり笛がふく。

【 幕 】

★引用・参考文献
筑摩書房 現代日本文学全集 「森鴎外集(二)」



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