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「霧の朝、鳥の影」
                             
 
 
★登場人物
 
麻衣子・・・
織絵・・・・
野亜・・・・
 
#プロローグ  五月に風吹きゃ娘が死んで
 
五月の強い風が吹く。
無邪気な子供の笑い声が大きく響く。
溶明。
大妙なことに一部欠けている。
中央に斜めに白いベンチ。
二人黒い服の女が座っている。葬式へ行く前らしい。
麻衣子はあやとりをしている。紅い紐。
織絵は蜜柑を食べている。
あやとりが完成した。
麻衣子:取らないとなんか気持ち悪くない。
織 絵:いいの。美味しいから。
 
と食べる。
 
織 絵:あんたこそのくせどうよ。
麻衣子:どうよって。
織 絵:公衆の面前でやること。
麻衣子:東京タワー。
織 絵:バカみたい。
麻衣子:落ち着くのよ、神経が。ほら。
織 絵:へー。あんたでも、神経が?
 
答えず。
 
麻衣子:あやとりしてると、ほらいろいろな形が生まれるじゃない。・・でも。
織 絵:でも。
麻衣子:全部あらかじめ決められた形なのね。
織 絵:そりゃそうね。
麻衣子:でも、人の思いや気持ちはあらかじめ決められてはいない。
織 絵:当たり前。
麻衣子:だから、あやとりしなきゃいけないのよ。
織 絵:え?
麻衣子:決められてはいないのに、決められたようにあやとりしながら私たち生きてかなきゃいけない。そんな時って、なんかむかつくのよね。織 絵:ふーん。
小さい間。
 
織 絵:何時からだっけ。
麻衣子:(続けながら)11時。
織 絵:ねえ、普通、もっと遅くない。1時からとか。
麻衣子:葬儀社とか焼き場の都合かなあ。10時からってのも前あった。
織 絵:心の準備ってできないよね。午前中ってのは。
麻衣子:死ぬ時はいつ死ぬかは分からないよ。
織 絵:そりゃ、死んだときはそうだけど。やっぱ、葬式は午後からがいいなあ。こんなに晴れてるのに。
麻衣子:午後雨だって。
織 絵:え、天気予報調べたの。
麻衣子:用意がいいだけ。外でるときはいつも見てでてる。
織 絵:へーえ。
麻衣子:何感心してるの。
織 絵:いや、不安なの?
麻衣子:何が。
織 絵:なにがって言うか。いつも見てるってのは。
麻衣子:計画たてとかないとダメだもの。なんでも。
織 絵:ダメだなあ。それ、苦手。
麻衣子:やればできるよ。
織 絵:だめだめ。バカだから、あたし。どうせ、あんたより一ヶ月遅いし。
麻衣子:たった一ヶ月先生まれただけなのに。
織 絵:あたしより若くはない。
麻衣子:ガキ。
織 絵:オバン。
 
二人、ぷっと吹く。
小さい間。
 
麻衣子:・・死ぬ年じゃないよね。
織 絵:うん。
 
間。
 
織 絵:ねえ、お焼香ってこうだっけ。
 
と、つまむ真似。
 
麻衣子:違うわよ。神式だから榊お供えするの。
織 絵:え、知らないわそんなの。あんた知ってる。
麻衣子:知らない。でも、前の人見たら大丈夫じゃない。
織 絵:あ、そっか。
 
蜜柑が無くなった。
 
織 絵:ねえ、お骨ってさあ二人で拾うんだよね
麻衣子:そうらしいわね。拾ったこと無いけど。
織 絵:喉仏って最後まであるんだって。やだよね。なんか、生々しくて。
 
と、さわる。
 
麻衣子:燃えて灰になるんじゃないの。
織 絵:違う。残るんだって、色だって、温度によって違うんだって。
麻衣子:詳しいじゃない。
織 絵:親戚の誰か言ってた。・・身体燃えるんだ。熱いだろうね。
麻衣子:熱いって事も分からないよ。死んでるし。
 
小さい間。
 
織 絵:そうだね。・・・暑いなあ。
 
と、突然空を見上げる。
 
麻衣子:風涼しいじゃない。
織 絵:もう夏だものね。5月よ。
麻衣子:今朝、ちょっと寒かったよ。霧出てたもの。
織絵 :ここは土地高いからね。
麻衣子:風邪ひいちゃった。
織絵 :夏風邪こじらすとやばいよ。大丈夫。
麻衣子:大丈夫。
 
吹き渡る風。なんかそのおくから 子供の笑い声が微かに響いてくる。
 
織 絵:なんか聞こえない。
麻衣子:何も。
織 絵:空耳かなあ。
麻衣子:そう、風の音よ。・・でも怖い風。
織 絵:怖い。どこが。こんなにさわやかなのに?
麻衣子:5月の風は危ないの。青嵐(あおあらし)っていってね。
織 絵:あ、聞いたことある。いい季節じゃない。さわやかで。
麻衣子:木の芽時っていうわ。一斉に樹々の緑が吹き出してくる。
織 絵:薫るわね。
麻衣子:聞こえてくるのよ。緑の声が。
織 絵:え?
麻衣子:おばあちゃんの話。
織 絵:え、おばあちゃんいた。
麻衣子:昔ね。気が狂って井戸に飛び込んで死んじゃったらしいけど。5月の風が吹いた時。
織 絵:ほんと。
麻衣子:ほんとの話。
織 絵:なんだか・・。
麻衣子:ちょっと怖い?飛び込む前に言ったんだって。
織 絵:何て。
麻衣子:聞こえるよって。
織 絵:ええっ、何が。
麻衣子:緑の中からでてくるよって。
 
子供の笑い声。
風がひとしきり吹く。
子供の笑い声。小さくなっていく。
 
織 絵:やだなあ脅かさないでよ。
麻衣子:(笑って)ごめん。
織 絵:何の話だっけ。
 
首傾げて、女 1。
 
麻衣子:彼女の話。
織 絵:ああ、そうだ。・・ねえ。友達だったんだよね。
麻衣子:もちろん。
織 絵:うん。でもね・・。
麻衣子:でも。
織 絵:覚えてないのよね。あんまり。
麻衣子:何を。
織 絵:何はなしたか。
麻衣子:笑ってたじゃないいつも。
織 絵:何を。
麻衣子:なにをって・・。なんだっけ。
織 絵:しらない。・・あ、でも覚えてる。あの子、良く紅い靴はいてたよね。
麻衣子:え?ああ、そういえば。
織 絵:変わってた。
麻衣子:そういえば。
織 絵:紅い靴はいてた女の子。
麻衣子:異人さんに連れられて行っちゃった
二人何となく笑う。が、とぎれる。
小さい間。
 
織 絵:怖いよね。なんか。
麻衣子:何で。
織 絵:行っちゃったじゃない。
麻衣子:(笑って)異人さんだものね。
織 絵:やだ。・・ねえ、あの子何で死んだの。
麻衣子:さあ。なんか事故みたいなこと言ってたけど。
織 絵:つれてかれたのかなあ。
麻衣子:バカね。誰によ。
織 絵:異人さん。
 
二人笑い出すが。
笑いが微妙にとぎれる。
 
麻衣子:でもこれもっと怖いのよ。
織 絵:何。
麻衣子:今頃は青い目になっちゃって異人さんのお国にいるんだろ。
小さい間。
 
織 絵:むりやり青い目になっちゃうってのがすごいよね。
麻衣子:遺伝もクソもないからね。
 
笑う二人。
 
織 絵:でも。
麻衣子:なに。
織 絵:なんだか・・ほんとに怖い。
 
小さい間。
 
麻衣子:人じゃなくなるんだものね。
織 絵:何になるんだろ。
麻衣子:さあね。人でないもの。たとえば。
織 絵:例えば・・
 
二人、かすかに オニという声をするがそれは聞こえない。
気を取り直したように。
 
麻衣子:行こう、ぼつぼつ時間よ。
織 絵:あたし泣けるかなあ。
麻衣子:ドラマじゃないよ。
織 絵:でも感動的なお葬式っていいじゃない。御出棺です。何て、葬儀社の司会が言ってさ、みんな頭たれて、すすり泣き起こって、車がク ラクション長くならしてさ。しずしず行くって言うの。
麻衣子:あんた。
織 絵:分かってるって。あたしがんばって泣こうっと。
麻衣子:いいように。
織 絵:あ、ハンカチ忘れた。
麻衣子:はい、これ。
織 絵:用意いいのね。
麻衣子:忘れると思ったもの。
織 絵:ふーん。そ。・・ありがと。使わせていただきます。
麻衣子:どうでもいいけど、悪趣味じゃない。ガンバって泣こうってのは
織 絵:・・分かってるわよ。そんなこと。
 
突然の間。
 
麻衣子:どうしたの。
織 絵:何でもない。
麻衣子:何でもないことないでしょ。どうしたの。
織 絵:あんたは分かってるからいいよ。
麻衣子:何が。
織 絵:何でもない。
麻衣子:言いなさいよ。
織 絵:どういっていいか分からないもの。あたしバカだから。3日前まで、あんなに笑って話してたのに、おとつい、駅の前でアイス買って食べて、それで・・・でも、なんにも感じないもの。だから、がんばって泣こうって・・。バカだから。あたし・・。
 
間。
 
麻衣子:いこう。遅れるよ。
織 絵:・・うん。
 
小さい間。
 
麻衣子:ハンカチで拭いて。
織 絵:あ、ほんとだ涙でてる。
麻衣子:バカ。
 
風がごーっと吹く。顔背ける二人。
子供の笑い声が重なる。
二人は去る。
野亜とすれ違う。
野亜はそのままベンチに座る。
子供の笑い声が。おおきくなる。
だんだん暗くなる。声は耐え難くなって。
突然消失。
U転校生
 
中央のトップサス溶明。
 
野 亜:初めまして。
 
にこにこしている。
麻衣子上手。織絵は下手。
トップサスがつく。
 
麻衣子:ちょっとかわいい子で、なんだか明るい。ほっとする。
織 絵:ちょっとかわいい子で、なんだか明るい。うらやましい。
麻衣子:ねえ、いい感じじゃない。
織 絵:そうね。
麻衣子:なに、くらくなってんの。
織 絵:だって。
麻衣子:誘ってみない。
織 絵:何に。
麻衣子:キナシ様のお祭り。
織 絵:えー、私と行くんじゃないの。
麻衣子:あー、もちろんいくよ。いくわよ。でもさ、二人だとおもしろくないし。
織 絵:おもしろくないの。
麻衣子:あー、ちがうちがう。毎年同じだとねということ。かわっていいじゃない。いやなの。
織 絵:嫌じゃないけど。
麻衣子:じゃ、さそおうよ。
織 絵:うん・・・。
 
明かりが代わる。
お神楽の音。
 
野 亜:へー、若い人おおいね。
麻衣子:キナシ様恋愛の神様だから。
野 亜:へー。御利益あるの。
麻衣子:どうかなあ。少なくともまだないよね、うちら。
織 絵:うん。全然。
野 亜:毎年来るの。
麻衣子:うん。
野 亜:二人で。
麻衣子:ここ、何年か。
野 亜:仲いいんだ。
麻衣子:・・まあね。
織 絵:うん。
野 亜:わたしもまざっていいかな。
麻衣子:もちろん。
織 絵:・・うん。
野 亜:ありがと。じゃ、お礼に。
 
と、大きな柏手を打とうとする。
慌ててとめる麻衣子。
 
麻衣子:ダメ。
野 亜:どうしたの。手をたたかないと。
麻衣子:ここは特別。鬼寄せになるのそれは。
野 亜:鬼寄せ?
麻衣子:いうじゃない。
織 絵:おにさんこちら、手の鳴る方へ。
野 亜:まさか。
麻衣子:みな、そつとうつのよ。こんな風に。
 
女3、あちこち見回して。
 
野 亜:ほんとだ。
麻衣子:大きな柏手は鬼を呼ぶからダメなのここは。
野 亜:なるほどね。じゃちいさく。
 
女3、小さくうって。
 
野 亜:なにとぞ男が手に入りますように。
麻衣子:おいおい。
野 亜:じゃいこうリンゴ飴好きなんだ。
麻衣子:私も。
 
歩き出そうとして。
 
野 亜:あれ何の音。
 
タン、タンという音。
 
織 絵:キナシ様の太鼓かな。
野 亜:あ、そうだキナシ様って何。
麻衣子:ここのご神体。流れてきたオニよ。珍しいの。
野 亜:へー。それが恋愛とどう関係するの。
麻衣子:さあ、神社の商売じゃない。
野 亜:なるほどね。
麻衣子:ここのお祭りちょっと怖いよ。
野 亜:え、怖いって。何が。
織 絵:お神楽が怖いの。
野 亜:お神楽?
麻衣子:オニに食べられるの、女が。
野 亜:うわぁ、面白そう。
 
と、二人行く。
遅れる女 2。
 
麻衣子:どうしたの。
織 絵:ちょっと。
野 亜:行ってるからね。
 
と、去る。
女 1、ちらっと見るが。
 
野 亜:早く。早く。
 
と呼ばれて、去る。
残される女2。
 
織 絵:やっぱり。
 
と、恨めしげ。
 
織 絵:取られるのいやだな。
 
ぼそっと言う。
タンタンという音。
その音に魅入られる女2。
むこうから。
 
麻衣子:早くーっ。
 
はっとして。
 
織 絵:今行くーっ。
 
と、首を一つ振って駆け去る。
タンタンという音。
おおきくなる。
少し、小さくなる。
二人がでてくる。
麻衣子と野亜が一緒。
ぱっぱとベンチに座って。
 
麻衣子:ああ良かった。まだ始まってない。
野 亜:へー、けっこう人いるね。
麻衣子:メインエベントみたいなもんだから。・・遅いな。
 
女2が入ってくるきょろきょろしてる。
麻衣子:あ、来た。・・ほらここ早く。
織 絵:ごめん。
 
と、急いでやってくる。
 
麻衣子:いつもなんだから。席とれないよ。
織 絵:ごめん。
麻衣子:飴買った?
織 絵:一緒に買おうと思って。
麻衣子:また、引っ返すの。
織 絵:ごめん。
麻衣子:しょうがないわね。
野 亜:お姉ちゃんみたいね。
麻衣子:なにが。
野 亜:そうやって世話焼いてるの。
麻衣子:別に焼いてなんかないよ。
織 絵:あたしがとろいだけ。
麻衣子:ま、確かに一ヶ月上だけど。
織 絵:たった一ヶ月じゃない。
麻衣子:でも、上は上。
野 亜:あ、それはあるよね。
麻衣子:あんた見てるとやっぱほっとけないわ。
織 絵:子供扱いしないでよ。
麻衣子:ガキだもの。一ヶ月下の。
織 絵:オバンのくせに、一ヶ月も上の。
野 亜:はいはい。押さえて押さえて。
 
ピーッと横笛の音。
 
麻衣子:あ、ぼつぼつ始まる。
野 亜:お神楽って初めて。
麻衣子:ちょっと違うのよね、ここの。
野 亜:どんな話。
麻衣子:野亜みたいな転校生がいて。
野 亜:お神楽に?!
麻衣子:(笑って)男と女。どこかからかながれてきたの。
野 亜:ああ、よそ者ね。
織 絵:そう。よそ者のお話。
 
と、すこし強い物言い。
 
麻衣子:どうしたの。
織 絵:何でもない。
麻衣子:ふーん。でね、その二人、お互いどうしようもなく好きになって、掟を破ったため追われたの。
 
再びピーッという横笛のような音。
タンタンと言う音が大きくなる。
麻衣子、中央。野亜、やや下手寄り。
明かりが変わる。
 
麻衣子:それは、決して破ってはいけないきまりなの。でも女と男は耐えきれなくて破ってしまった。周りは怒ったの。天の道にはずれるって。はずれればわれわれに災いが起きるって。でも、好きなものは好きなもので、引き返しようもないわけ。女は、二人で逃げようといって、二人で逃げた。逃げて、逃げて、逃げたけど、キナシの岩屋で追いつかれ、もうどうしようもなくなったとき、女は二人で死のうと思った。男はいったの。おまえが一人で往け。
 
野亜の無表情な声が重なって響く。
 
野亜 :おまえが一人で往け。
麻衣子:なんと、一人で?
野亜 :せめてそれが情けじゃ。
麻衣子:情け有るならば、なぜ、一人の男としての情け有りませぬか。
野亜 :怖くなったのだ。
 
タンタンという音が迫る。
 
麻衣子:何が怖いとおおせられる。
野 亜:天の道に外れると人は言う。
麻衣子:そのようなこと、とうにわかっておったはず、それでもなお、道に外れれば、はずれるところを二人で歩こうとおおせられたではありませぬか。
野 亜:怖いのだ。
麻衣子:何がです。
野 亜:天の道、人の道に外れれば、我ら、いったい何になる。
麻衣子:決まっておりましょう。道に外れたもの、すなわち、外道。もはや、人ではありませぬ。人でないものを生きていこうと、我ら二人、固く決心したはず。
 
タン、タン、タン、タンという心をさいなむような音が聞こえる。
 
野 亜:私は、外道にはなれぬ。
麻衣子:なぜでございます。私を好きだとおっしゃったあの言葉は。
野 亜:嘘ではない。嘘ではないが、捨てられぬ。
麻衣子:道をですか。
野 亜:・・・。
麻衣子:道に外れれば、人目に触れぬよう隠れ忍ばねば人が許すまい。人の世を隠れ忍んで世を暮らすものを、隠れ忍ぶ、隠忍(おんにん)とかいて、オニとよぶはこの国のならい。さすれば、オニとなるならば、我らのたつきもあるだろう。そう、もうされたのはあなたでありました。
野 亜:・・・。
 
ピーっという笛の声。
はっとする麻衣子。
 
野 亜:家に戻らねばならぬ。
麻衣子:私を嫌いになりましたか。
野 亜:そういう問題ではない。
麻衣子:そうですか。ならばあなたは。
野 亜:人の道に戻る。おまえも。
麻衣子:戻ることはできませぬ。
野 亜:なぜだ。二人一緒に戻るは無理でも、どこへやらと落とすことはできる。父上もまさか、そこまでむごいことはなさるまい。血を分けた娘。
麻衣子:あの人たちは許さないでしょう。
野 亜:なぜだ。
麻衣子:なぜなら・・。
 
タン、タン、という音が大きくなる。
 
野 亜:まさか。
 
にっこりと。
 
麻衣子:はい。ややができておりまする。
 
        悲鳴のような横笛。
 
麻衣子:もはや、私は、人には戻れませぬ。あなたはあなたの道を歩みなされ。私は、外道の道を歩みましょう。ひっそりと、隠れ忍ぶオニとなつて、私は生きてまいります。
 
     タンタンという音が迫る。
麻衣子:あれ、あのように追っ手のものたちはまもなく、ここを見つけましょう。あなたは、あのものたちのもとへ往かれると良い。
野 亜:おまえはどうする。
麻衣子:私?さて。どうしましょう。オニの生き方などまだなろうたこともなし。ゆるゆる、この子と二人で覚えましょうほどに。
野 亜:ならぬ。
麻衣子:はて?
野 亜:ならぬ。
麻衣子:ならぬとは、なにがならぬと。
野 亜:オニになどなってはならぬ。
麻衣子:さりとて、もう人の道には戻れませぬ。
野 亜:・・ね。
麻衣子:え?何と仰せられた。
野 亜:・・しね。
麻衣子:死ね?
野 亜:頼む、死んでくれ!
麻衣子:死んでくれ・?この私に。あなたが?
野 亜:理不尽なのは百も承知。頼む。それしかないのだ。菩提はきっと篤く弔う。それなら許してくれる。二人のややなどこの世に生まれてはいけないのだ。
麻衣子:だから、私に死ねと。
 
間。
タンタンという音大きくなる。
異様な声が聞こえる。
それは、麻衣子が笑っている声。いや、泣いているのかもしれない。
 
麻衣子:・・よろしゅうございます。死にましょう。
野 亜:死んでくれるか。
麻衣子:はい。
野 亜:そうか、よかった・・。あ、いや、まことにすまぬ。
麻衣子:ただし。
野 亜:ただし?
不安げ。
 
麻衣子:私はもはやオニであります。人のようには死ねませぬ。オニには、オニの死に方がありましょう。
野 亜:オニの死に方?
麻衣子:はい。オニは、あきらめが悪うございます。私は、まだ大好きです。食べてしまいたいほどに。ねえ、・・お兄さま。
 
にっこり笑った。
タン、タンの音大きく。
 
麻衣子:オニの死に方は女の死に方でございます。
 
うっとりとした表情。媚態を含む。
 
麻衣子:お兄さま!
 
瞬間、盤若のような形相。
横笛が激しく鳴る。
子供の笑い声が聞こえる。大きくなってやがて静かになっていく。
明るくなると誰もいない。
麻衣子が出てくる。
麻衣子:神楽見てたと思ったのに。はぐれたか。まいったなあ。
と、ベンチに座る。
小さい間。
織絵と野亜が出てくる。
楽しそう。
 
織 絵:へー、ほんとなの。
野 亜:そうよ。嘘じゃない。だから、もっと楽しそうにしなくちゃ。
織 絵:でも、あたし。
野 亜:だめだめ、それがいけないの。もっと、こう前向き?ボジティブ?とにかくそうしなきゃ。
織 絵:暗いかなあ。
野 亜:無茶苦茶暗い。
織 絵:あー、そんなにいう。
野 亜:だって、本当だもん。
織 絵:あーあ。
 
だが、けっこうあかるそうだ。
こわばった顔で見ている麻衣子。
 
織 絵:あ、どこいってたの。
麻衣子:どこも。あんたが迷ったんじゃない。神楽みてたんじゃないの。
野 亜:ごめんなさい。人に押されてはぐれて。私が連れ回って。
織 絵:ごめん、二人で飴買っちゃった。
麻衣子:そう。いいじゃない。別に。
 
ちょっと気まずい。
それには気づかず。
 
野 亜:でも、考えればすごい話ね。あれ。
麻衣子:神楽?
野 亜:うん。結局あの女の人がご神体になるわけ。
麻衣子:珍しいでしょ。キナシのオニ姫。道ならぬ恋に身を滅ぼした女の鬼。だからここ不倫のカップルなんか多いんだって。
野 亜:へー。なんか可哀想だね。
麻衣子:何が。
野 亜:純粋に自分の思いを貫こうとしたのに、追いつめられてどこへも行けなくて。
麻衣子:違うの。滑ったのよ。
野 亜:え?
麻衣子:通ってはいけないけもの道に迷い込んだの。道筋一つ違えてね。
野 亜:でも、道が暗いとね、踏み迷うのよ。思いが強ければ強いほど。
 
   小さな間。
 
織 絵:ねえねえ、私暗いかなあ?
麻衣子:さあ。
織 絵:なおせるっていうのよ。
麻衣子:よかったじゃない。
織 絵:え、喜んでくれないの。
麻衣子:あんたの問題でしょ。私はそのままでもいいと思うけど。
織 絵:・・そう?
野 亜:まあまあ。それより、もう少し見て回ろうよ。(女1へ)行こう。
麻衣子:鬼抜けしたの。
織 絵:あ、いけない。
野 亜:鬼抜け?
麻衣子:鬼に呼び込まれないようにするおまじない。わっかくぐるの。
織 絵:輪抜けみたいなものよ。
野 亜:色々見てて。    
麻衣子:あたし、してきたよ。してきたら。
織 絵:どうする。
野 亜:二人で?
麻衣子:二回行っても仕方ないし。
野 亜:じゃ、いこう。まってて。
織 絵:まっててくれるよね。
麻衣子:待ってるわ。
野 亜:いこう。
織 絵:うん。
 
二人、なんだか楽しげに行く。
 
麻衣子:小さな親切、大きなお世話・・。
 
女 1、ほっと肩を落とす。
 
麻衣子:道が暗いと、踏み迷う。・・・道しるべがあればね・・。
 
やがて、柏手をそっとたたく。
 
麻衣子:鬼さんこちら手の鳴る方へ・・。
 
と、口ずさむが、慌ててやめる。
ベンチに座り、顔を覆う。
風が吹く。
溶暗。
 
V散々なピクニック
 
溶明。
中央にいる麻衣子。
 
麻衣子:小さいとき、ギザ蜂の話を理科の時間に習った。昆虫の幼虫に卵を産み付ける。卵はかえって、その幼虫をひたすらむさぼって、成虫になる。頭の中でその光景を思い浮かべ吐きそうになった。けれど、鬼だってそんなものかも知れない。ほんとの鬼は人が隠れ忍ぶになるのを待っている。その中からからを破るように生まれてくる。その方が、たぶんおいしいんだろう。だって、人でなしになったものは。
織 絵:遅いわね。
 
と、声をかける。
リュックを背負う。
ピクニックの用意。
 
織 絵:ねえねえ、何作ってきたの。
麻衣子:サンドイッチ。
織 絵:あたし、おにぎり。ださいかなあ。
麻衣子:いいんじゃない。
織 絵:けどねえ。なんか。
麻衣子:どうしたの。
織 絵:ぱっとしないから。
麻衣子:させりゃいいじゃない。
織 絵:でも、料理下手だし、それにもう作ってきてるし。
麻衣子:なら仕方ないわね。
織 絵:そんな。
麻衣子:そんなつて言われてもしょうがないでしょ。いやなら作らなかったらいいじゃない。
 
いらついている。でもそのいらつきは織絵だけに対してではない。
 
織 絵:それはそうだけど。もう作ってしまったし。
麻衣子:大丈夫食べるわよ。育ち盛りだもの。
織 絵:食べてくれるかなあ。
麻衣子:食べるって。
 
野亜が やってくる。
紅いスニーカー。
 
野 亜:待った?ごめん。
織 絵:遅いじゃない。
 
織絵をはずして。
 
野 亜:どこ行くの。
麻衣子:キナシの岩屋。
野 亜:えーっ。鬼になった?
麻衣子:でも、景色きれいよ。
野 亜:遠いの。
麻衣子:歩いても20分ぐらい。
野 亜:そんなに歩くの。
織 絵:遠く無いじゃない。
野 亜:あんまり歩いたこと無いからなー。
麻衣子:じゃ体力づくり。いい季節だし。
 
野亜、空を見て。
 
野 亜:確かに。風薫る五月。ピクニック日和。こんな日だったのかな。
麻衣子:何が。
野 亜:キナシのオニ姫が逃げる時。
 
タンタンという微かな音。
 
織 絵:突然なに変なこというの。
野 亜:気になってんのね。
織 絵:何が。
野 亜:オニになったの。変だと思わない。
麻衣子:何が。
野 亜:キナシのオニ姫ってさあ結局兄妹で好きになったんでしょう。いわゆる近親相姦ってやつよね。ま、タブーなのはタブーなんだけど。
麻衣子:何言いたいの。
野 亜:何で食べちゃったのかなあ。
麻衣子:え?
野 亜:隠れ忍んでひっそり暮らすはずが、なんで好きな人食べちゃうわけ。
織 絵:愛した人の骨しゃぶったって。
 
他の二人、えっ。
 
織 絵:昔、本かなんかで見た。
麻衣子:気持ち悪い。
織 絵:ほんとの事よ。別に殺したとかなんかじゃなくって、お葬式終わって。その後、骨だしてきて。
麻衣子:うわー。
野 亜:吐きそう。
織 絵:ごめん。
野 亜:それって変態よ。
麻衣子:あー、景色浮かぶ。やだ。
織 絵:ごめん。
野 亜:悪い悪い変なこと言い出したばっかりに。グロイ話になって。
織 絵:あ、でもその人、ほんとにね愛して。
麻衣子:ストップ。ダメ。これ以上。
織 絵:ごめん。
野 亜:愛してるはいいけど。やっぱり変態よ。それ。・・あ、オニ姫も変態かなあ。
麻衣子:違うよ。
野 亜:どうして。
麻衣子:たぶん、本当のところは違う結末だと思う。これって、伊勢物語の「芥川」っていう話とごっちゃになってるの。
野 亜:へー、良く知ってるね。
麻衣子:古文の時間に先生言ってたから。
野 亜:そうなの。で、本当は。
 
タンタンという音がやや大きくなる。
 
麻衣子:分からない。ただ、あんまりいい結末じゃなかったと思う。
野 亜:どうして。
麻衣子:掟に縛られてる人から見るとほんとにオニみたいに見えたでしょう。もう人ではない人になってしまったように。でも、本当は一途に好きな人を愛しただけのただの人間だったはず。たぶん、とらえられて二人は引き離され、殺されはしなかったにしても一生閉じこめられたと思うの別々に。男の人は後悔してるから許されるだろうけど、女は許されはしない。たった一人で残りの生涯を過ごしたんでしょうね。誰もいなくて、ただ五月の風ばかり吹く中で。
織 絵:鬼の岩屋。
麻衣子:例えばそこで。そしてほんとにオニになっていった。
野 亜:どうして。
麻衣子:淋しいから。
野 亜:え?
麻衣子:淋しいとオニになるもの。
 
タンタンという音。
風がまたひとしきり。
 
織 絵:風ほんとに強いわねえ。
 
麻衣子、見上げて。
 
麻衣子:変な話になっちゃったね。行こうか。
織 絵:早く行かないと彼来ちゃうよ。
麻衣子:待たせときゃいいの。
野 亜:いこうか。
 
と、三人行く。
子供の笑い声。
明かりが代わる。
楽しそうな声。
 
織 絵:やだあ。
野 亜:何がよ。
織 絵:なんかおかしいよ。それ。
野 亜:あんたがおかしいの。
 
と、二人が仲良く出てくる。
麻衣子は後から出てくる。ちょっと不機嫌そう。
 
麻衣子:ここがいいわ。
 
と、先に行きかけていた二人に声をかける。
 
麻衣子:ここにしよう。
 
と、機嫌が悪そう。
荷物を下ろす。
 
野亜 :あー、お腹すいた。
織 絵:ほんと。おにぎり作ってきたから。食べる。
麻衣子:先にしたく。
織 絵:はいはい。後で、湖行く?
野 亜:景色いいの?
織 絵:まあまあね。鬼ヶ窪なんか岩バリバリでちょっとすごいよ。
野 亜:へー。またオニか。
織 絵:オニばかりよ、このあたり。
麻衣子:口じゃなくて手を動かして。もうすぐ彼くるよ。
 
二人、顔見合わせちょろっと舌を出す。
麻衣子はそれを見て無視。
二人も、仕方なく支度をする。支度が出来た。
 
織 絵:出来たよ。
野 亜:あっ、サンドイッチおいしそう。
麻衣子:(少しうれしそう)ちょっと工夫したんだけどね。ピリカラ。
野 亜:へー。
麻衣子:何。
野 亜:いやあ、料理なんかしないかなって。なんとなく。
麻衣子:失礼ね。
 
だが、機嫌はいい。
 
野 亜:ごめん、ごめん。
麻衣子:じゃ食べて。
織 絵:彼待たないの。
麻衣子:いつも遅れてくるでしょ。残しとくからいいよ。
織 絵:ふーん。
 
と、何か疑惑。
 
麻衣子:唐揚げもあるわよ。
野 亜:はいはい。
織 絵:あたしのおにぎりは。
野 亜:そんなにいっぺんには無理だよ。
織 絵:食べないの。
野 亜:食べる、食べる。ちょっと待って。
麻衣子:もてて大変ね。
野 亜:女にもててもねー。あ、いけるこの唐揚げ。
野 亜:隠し味がちょっといいでしょ。
織 絵:なんなの。
麻衣子:秘密。
織 絵:教えて。
麻衣子:だめ。これ、うちの秘伝だから。
織 絵:ほんとに、だめ?
麻衣子:ごめん。でも食べてよ。
織 絵:ならいい。食べてもなんだかつまらないもの。
 
ちょっと気詰まりな間。
 
麻衣子:気を悪くさせた。ゴメン。でも、これお母さんの味だから。
野 亜:あ、分かった。知らないんだ。
麻衣子:え、あ、はは。ばれたか。ごめん、実はよく知らない。
織 絵:いいよ。
 
と、まだ少し機嫌が悪い。
 
織 絵:おにぎりは。
野 亜:あ、そうね。それとって。
織 絵:はいっ。
 
と、うれしそう。だが野亜は取って手元に置く。すぐには食べない。
物足りなさそうだが何も言わない織絵。
 
織 絵:後で見に行くの。
野 亜:そうね。
麻衣子:危ないわよ、あそこ。去年、墜ちて大けがしたじゃない。
野 亜:へーそう。
織 絵:大丈夫だって気をつければ。行ってみる?
麻衣子:いやに熱心ね。・・サンドイッチ食べないの。
野 亜:あ、ゴメン。
 
と、サンドを食べる。
 
野 亜:ピリッとするね。
麻衣子:でも、口当たりいいでしょ。
野 亜:うん。もう一つ、そちらのハムを。
麻衣子:はい。
織 絵:おにぎりは。
野 亜:食べるよ。何入ってるの。
織 絵:おかかか梅じそ。
野 亜:おかかの方がいいな。
 
と、まだ食べない。
 
織 絵:こちらがおかかのようなきがする。替えようか。
野 亜:いいよ。・・じゃ。・・あ、梅じそだ。
 
と、がっかりした感じ。
 
織 絵:だから言ったのに。
野 亜:こっちでもいい。
織 絵:ほんとに。
野 亜:ほんとほんと。
織 絵:よかった。も一つ食べる。
 
と、喜んでいるのが浮いている。
 
野 亜:いいよ。他にもあるし。
織 絵:そういわずに。
麻衣子:無理に勧めない方がいいんじゃない。
織 絵:え?
麻衣子:他にもいっぱいあるし。
 
ちょっと声がとんがっている。
織絵はまだ事態が飲み込めない。
 
織 絵:え、だって。
麻衣子:メロンおいしそう。
 
と、野亜の持ってきたメロンを食べる。
 
麻衣子:甘いわ。
野 亜:あなたもどう。
織 絵:え、ああ、はい。
 
と、メロンを食べる。
が、なんだか納得していない。
 
 
麻衣子:おいしいね。
野 亜:ありがと。気合い入れてよかったな。
麻衣子:え、高かったの。
野 亜:安売りねらったの。閉店間際ね。
麻衣子:なんだ。
 
だが、ちょっと気まずい間は続く。
麻衣子と織絵は黙って次々とメロンを食べ始めた。
織絵が食べようとしたメロンを麻衣子が偶然横取りする格好になる。
 
織 絵:やめて!
 
激しい勢いに、野亜はびっくりする。
 
野 亜:どうしたの。
 
答えずに。
 
織 絵:あたしのよそれ。
麻衣子:あ、そうだったの。ごめん。
 
別に意図してやったのではないので普通の口調。
織絵は誤解をする。
 
織 絵:それだけ。
麻衣子:それだけって。
織 絵:ほんとに謝ってる。
麻衣子:謝ってるじゃない。
織 絵:うそ。
 
その口調に、麻衣子も口調を改める。
 
麻衣子:どこが嘘。言って。
 
気圧される織絵。
 
織 絵:いつもよ。いつも、私に指図して。
麻衣子:指図?指図なんかしてないよ。
織 絵:してる。あれするな、これするな。こうしたらおかしい、ああしたら変だ。そうやつて、みんな私のものを持っていく。
麻衣子:何言ってるの。それは。
織 絵:分かってる。私のためって言うんでしょ。そうよ。ありがたいと思ってる。私バカだから何にも気づかない。おにぎりあんまり好きじゃないこと気がつかなかった。でも、言うことないじゃない。そんなこと気づきたくなかったんだもの。
麻衣子:そんなつもりで言ったんじゃないよ。
織 絵:じゃどういうつもり。どうして、いつもいつも私の中へづかづか入ってくるの。たまにはほっといてよ。しんどいだけだから。
 
間。
 
麻衣子:いらつくのね。場違いって言うか、空気読めない人って。
野 亜:あ、ちょっとそれは。
麻衣子:もう少し気を遣ってもいいじゃない。私だって、あんたのことなんか考えたくないときもあるのよ。でも、とりあえず、みとかないとどうしようもないじゃない。みんな疲れるわけ。思いこみばかり強くて、そのくせ誰かに頼らなくちゃ何にも出来なくなってる。頼られる方はうっとうしい時ってある訳じゃない。たまには、自分だけのことを考えたいわけよ。どうしてあんたは一人になれないの。
織 絵:なりたいわよ。いっつもあんたの影でいるより、自分一人になりたいわよ。でも、なろうとすると邪魔するじゃない。かまってくれてるのはいいけど、それも程度の問題よ。私が楽しく話してるとき何で邪魔するの。
麻衣子:相手が迷惑に思ってるの分からないの。
織 絵:たとえそうでも私の問題じゃない。ほっといてよ。
麻衣子:ああそう。じゃほっとくわ。今後一切。
織 絵:今までありがと。・・さよなら。
 
ばっと去る。
 
野 亜:ちょっと。
麻衣子:ほっとけばいいのよ。
野 亜:そんなわけには行かないわ。
 
と、追いかけようとする。
 
麻衣子:ほっとけばいいのよ。やっと解放されるんだから。
 
少し悲しげ。
野亜は立ち止まる。
 
野 亜:ちょっと言い過ぎじゃない。
麻衣子:そう。
野 亜:あれじゃかわいそうじゃない。仲良かったのに。
麻衣子:かわいそうなのはこっちよ。
野 亜:なんで。
麻衣子:わからない?
野 亜:苦手なだけよこんなの。
 
小さい間。
 
麻衣子:仲のいい子だって、お互いに何かを持っている。我慢しているためている。人間関係ってそういうものでしょ。
野 亜:ためてるって。
麻衣子:人間関係結ぶじゃない。そうするとそこにあやとりみたいな編み目が出来る。その編み目の中でもがきながら生きてるわけ。そんなときどうしても欲しいのよ。
野 亜:何が。
麻衣子:ことばよ。簡単な。
野 亜:ことば?
麻衣子:ここにいてもいいんだよって。そのままでいいんだよって。・・簡単でしょ。
野 亜:誰から。
麻衣子:誰でもいいわ。自分以外ならだれでも。
 
小さい間。
 
野 亜:そう。
 
ときびすを返そうとする。
 
麻衣子:どうしたの。
野 亜:別に。
麻衣子:何。
野 亜:帰る。
麻衣子:どうして。さっき来たばかりじゃない。
野 亜:そうだけど。
麻衣子:私ばかりしゃべってたから。
野 亜:いいえ。
麻衣子:なぜ。
野 亜:ごめん。
麻衣子:なぜ謝るの。
野 亜:・・・。
麻衣子:なぜ謝らなければならないの。あなた何にもしてないのに。
野 亜:・・・。
麻衣子:言って。
野 亜:とにかくごめん。
麻衣子:何にもしてないのに謝るなんて変。言って。ちゃんとわけ言って。
 
        野亜は少し哀しげだ。
 
野 亜:・・・。
麻衣子:お願い、言って。
野 亜:・・疲れるの。
麻衣子:疲れる?
野 亜:疲れるの。・・あなたといると・・・。だから、ごめん。
 
        世界が止まった。
        野亜は逃げるように去る。
 
麻衣子:世界が回転する。野亜が急速に遠くに行ってしまい、けれども私の心はまだそれに反応できない。何を言われたのかは分かるけれど、それを認めることはできず、なんだかぼーっとした顔で見つめ続ける。振り返りもせず去っていく背中を見ることすらできず私のては自動的に何かをしている。吐き気がする。身体のそこから鋭い吐き気が突き上げて思わずあげそうになるが、寸前で止まり、そのまま居座り続ける。私は拒否された。その思いだけが私を飲み尽くし、ゆっくりと世界は傾いて行く。たぶん、もう二度と世界はまっすぐなその姿を現さないだろう。私は吐き気をこらえながら胸の奥からきりきりと響くきしみを聞き続けた。
 
手は無意識にあやとりをしている。
子供のかすかな笑い声。
風が強い。
 
Wオニさんこちら手の鳴るほうへ
 
ベンチに座っている麻衣子。
織絵が入ってくる。ベンチの端に座る。
何となく目をお互い合わさない。
やがて耐えきれなくなって。
 
織絵 :この間はごめん。
 
小さい間。
 
麻衣子:いいよ。
織絵 :ほんとに。
麻衣子:うん。
織絵 :ごめんね、あんなこというつもりじゃなかったけど。それで。
 
遮るように。
 
麻衣子:虫のせいよ。
織絵 :虫?何の?
麻衣子:ここにいるの。・・だれでもね。
織絵 :はぁ。
麻衣子:飼ってるのよ誰でも。みんな虫を飼っているの。ちろろ、ちろろと鳴く虫をね。時々声が聞こえてくるの。
織絵 :やだ、気持ち悪い。
 
笑って。
 
麻衣子:我慢したり、比べられたり、無視されたりするとちろろ、ちろろって鳴くの。
織絵 :えー、オカルト?
麻衣子:心の中に飼ってるって言う話。
織絵 :ああ、なんだ。自分の気持ち?
麻衣子:ちょこっと違うわ。ねえ、浅茅宿って話知ってる。
織絵 :何、突然。
麻衣子:雨月物語ってあるでしょ。
織絵 :古典の話?
麻衣子:そう。夫が都に出稼ぎに行って長い間帰らなかったのね。
 
明かりが落ちてくる。
 
麻衣子:妻はじっと待ち続けの、長い間、ひとりで。そうしてやっと夫が帰ってくると家は荒れ果て妻はいない。
織絵 :死んじゃったの。
麻衣子:夫はそう思って妻を忍んで一人其の夜妻を思って其の家で寝たの。
 
野亜がやってくる。
 
麻衣子:風がすごく吹いた夜だった。
 
麻衣子が座る。
 
麻衣子:男はふと目覚めたの。
 
野亜が目覚める。
 
野亜 :宮木!
麻衣子:はい。
 
少しの間。
 
野亜 :本当にお前か。
麻衣子:気にしないで。現に私はここにいる。
野亜 :そうだ。お前はここにいる。だが・・。
麻衣子:だが?
野亜 :本当にお前か。
 
一瞬間が空いた。
笑い出す、麻衣子。
 
麻衣子:本当の私でなくて一体何?お化けとでも。
野亜 :そう言うことじゃない
麻衣子:ならなぜ。
野亜 :怖い。
 
不安げな野亜。
麻衣子、笑う。
 
麻衣子:あなたは京に行ってずいぶん変わったわ。
野亜 :かわったか。
麻衣子:前は、なんでも素直に受け取り、さっぱりしてたのに。
野亜 :今は。
麻衣子:その顔。苦虫をかみつぶしたよう。暗い顔して、何でも疑うような。
 
野亜は、暗く笑った。
 
麻衣子:けど、もう、そんな暗い顔するのはやめたら。前のように、明るいあなたの顔をみたい。
野亜 :お前は、都を知らん。
麻衣子:はい。
野亜 :都は怖いところだ。
麻衣子:あら、晴れやかなところじゃないの。
野亜 :暗く、怖いところだ。鬼がいっぱいいる。
麻衣子:まあ、おおげさな。
野亜 :きれいな服を着て、うまいものを食べ、かっこうよく、行き来もすれば話もする。けど、一皮むけば。
麻衣子:一皮むけば?
野亜 :さもしいにおいがぷんぷん漂ってくる。あれが鬼のにおいだろう。
麻衣子:鬼のにおい。
野亜 :人の温かい気持ちや、善いことをしようとする心を食べ尽くし、自分のほしいものをなにが何でも手に入れようとするあさましい心さ。都はそれを食べて生き続ける。
麻衣子:かわいそうね。
野亜 :誰が?
麻衣子:都の人たち。
野亜 :かわいそうなのは、食われる方で、食う方じゃないだろ。
麻衣子:まるで餓鬼のよう。
野亜 :餓鬼?
麻衣子:大きな膨れた腹で、いつまでも食べ続けずにはいられないあのかわいそうな餓鬼のよう。
 
苦々しげに。
 
野亜 :お前は心優しいな。
 
と、首を振った。
麻衣子、どこか遠くを見るような透明な声。
 
麻衣子:いいえ。とてもかわいそうな生きものよ。いつまでたっても苦しみ続けなければならない、あれは、本当に鬼の姿よ。わが身を救うこともできず、暗い、身すぎをただ果てしもなく、繰り返すだけ。そのように生きることは悲しいことではなくて?辛いことじゃなくて?そんなときその人はどうすればよいの。
野亜 :どうすれば・・。
麻衣子:わからない?
野亜 :なぜそんなこと聞く。
麻衣子:聞いてるんじゃないの。ただ、仕方なくと言うことを言ってるだけ。
野亜 :仕方なく。
麻衣子:そう。人はそういうとき鬼になるの。
野亜 :ばかな。
麻衣子:鬼になるしかないの。
 
野亜は笑う。だが、その笑いはうそ寒く、のどに引っかかって消える。
 
 
ふっと麻衣子が遠く見えた。
 
野亜 :どうした。
 
どこかから子供の笑うような声が聞こえる。
 
麻衣子:優しいあなたにはわかりようがないわ。
 
すーっと、身を引く麻衣子。
 
野亜 :どうした。
 
手を伸ばして捕まえようとする。
だが麻衣子を捕まえることができない。
 
麻衣子:お別れしましょう。
野亜 :何、たわけたことを。おまえはでていくのか。この家を。
麻衣子:いいえ。私はいつまでもここにいるわ。
野亜 :なら、そんな馬鹿なこと言わずにこっちへ来い。どんなにおまえに会いたかったことか。
 
麻衣子、切なげに頭を振る。
 
麻衣子:光もなにもない道を、誰ひとり共に歩むものもなく、未来永劫にただだ歩き続けねばならないとしたら。
野亜 :光もなにもない道を。
麻衣子:闇の暗さは、ぬばたまよりもなお深く。
野亜 :誰ひとり共に歩むものもなく。
麻衣子:鳥のさえずる声一つさえ聞こえないの。ただ自分の荒い息と足音だけが。
野亜 :未来永劫続く。
麻衣子:そういうとき、人はどうすればよいの。
野亜 :おまえの言うことはわからない。私がいるじゃないか。
麻衣子:年はめぐって、秋になるとあまのかわはあかるくなるのに、あなたは帰ってこなかった。冬が来て、春が訪れてもあなたからの便りはなかった。
野亜 :だから、それは。
麻衣子:都に行って自分であんたの居場所を尋ねるしかないとは思ったけれど、男でさえ通れない関所を、どうして女が越せられよう。待つしか、ない。待つしかない。帰らない人を待ちこがれて、死んでしまった人が、思う人に残した心はどんなものだったでしょうね。
野亜 :だから、帰ってきたじゃないか。
麻衣子:二年前の野分の日、ずいぶんこのあたりも大風が吹き、雨も激しく、屋根も吹き飛ばんばかりのあれよう。
野亜 :どうした。
 
野亜にはもはや麻衣子が見えない。
 
野亜 :どこにいる。
麻衣子:身も心も細りそうな野分の夜。風ばかりの音の中に、私は確かにあなたの声を聞いた。
野亜 :見えない。
麻衣子:どんなにかその声を待ち、どんなにかその声を焦がれたことか。
野亜 :どこだ!
麻衣子:あなたの声は、風に飛び、風にながされ、私はその声とともに。
野亜 :宮木。
 
麻衣子、すーっと元の位置に戻る。
 
野亜 :宮木ーっ!
 
風邪の音。
子供の笑い声。
野亜は去り、明かりが元に戻る。
小さい間。
 
織絵 :かわいそうな話ね。
麻衣子:かわいそう?
 
と、笑う。
 
織絵 :かわいそうじゃないの。
麻衣子:怖いだけ。
織絵 :怖い。純愛が?
麻衣子:違うわ。純愛何かじゃない。ただ空っぽになっただけの話よ。
織絵 :からっぽ。
麻衣子:そう、待ち続けていくうちに心がすり切れて。そうすると。
織絵 :どうなるの。
麻衣子:空っぽ何かじゃ生きていけない、だから、何かで埋めなきゃいけない。そんなとき、虫が生まれるわ。ちちろちちろって鳴くの。
織絵 :なんかえぐい。
麻衣子:認められない、受け入れられない・・虫はそんな気持ちを食って大きくなって、でも虫が大きくなればなるほど心の中は空っぽがどんどんひどくなって。
織絵 :それで。
麻衣子:耐えきれないほど虫は大きくなって食い破るわ。
織絵 :何を。
 
にっこりして自分をさし。
 
麻衣子:飼ってる本人。
織絵 :えー。
 
と、気持ち悪げ。
 
織絵 :それでどうなるの。
麻衣子:そうね、さしずめ死ぬかオニになるか。
 
と、からっと言う。
その口調にむしろ気圧されて。
 
織絵 :でも、埋めればいいじゃない。
麻衣子:どうやって。
織絵 :どうやってといわれても。
麻衣子:方法はあったのよね。
織絵 :は?
麻衣子:言葉さえあれば。
織絵 :言葉?なんていう。
 
答えずに。
 
麻衣子:遅かったのよ。
織絵 :え?
麻衣子:必要なときに必要なものがないって筋道ずれちゃうもの。
織絵 :あやとり?
麻衣子:そう、あやとり。
 
急速に黄昏れる。
 
麻衣子:霧が出てたのよね。
織絵 :ああ、昨日、寒かったよね。
麻衣子:そう。寒かった。ほんとに寒かった。何も見えないくらい。
織絵 :筋道ずれたの。
麻衣子:そう、ずれたの。人を思うってことは、あやとりするようには行かないわ。縦、横、十字路。
織絵 :そりゃそうね。
麻衣子:道はきちんと条理を分けて、交差して行くけど。気持ちの筋道はあっちへよれたり、こっちへ抜けたり、訳の分からない、脇道へずれていく。
織絵 :食い違うのね。
麻衣子:筋がぶれるの。
織絵 :すれ違う。 
麻衣子:ねじれ合う。 
織絵 :もつれる。 
麻衣子:からみつく。 
織絵 :抜けられないの。
麻衣子:いつの間にか、身動きつかなくなるの。その真ん中にぽっかり裂け目があくの。
織絵 :あなのなかから。
麻衣子:聞こえてくるの。 
 
子供の笑い声。
 
麻衣子:ほら。
 
大きくなる。
暗転。
 
X霧の朝
 
笑い声が収まるとキナシの岩屋。ベンチに野亜がいる。
麻衣子がやってくる。
明るい声。
 
麻衣子:おはよう。
野亜 :・・おはよう。
麻衣子:早いのね。
野亜 :いつも今頃散歩するの。
麻衣子:岩屋に興味あるの。
野亜 :おもしろいし、景色いいしね。今日は霧出て見えないけど。あなたも散歩。
麻衣子:ちよっとむしゃくしゃしてたからね。
野亜 :あ・・あれ。
 
と、気にするが。
 
麻衣子:飲まない。
 
後ろ手にしていたコーヒー二つ。
 
野亜 :・・でも。
麻衣子:飲んで。間違って余分に買っちゃった。
野亜 :そう、じゃ。
麻衣子:どっち。
 
と、差し出す。
 
野亜 :こっち。
麻衣子:はい。
 
と、渡す。
 
野亜 :ありがと。
麻衣子:いいえ。
 
と、麻衣子一口飲む。
野亜も一口。
 
野亜 :ほんとに霧すごいわね。
麻衣子:ここはよくでるのよ。
 
小さい間。
 
野亜 :話があるんじゃないの。
麻衣子:まあね。
 
と、一口また飲む。
野亜も一口。
 
野亜 :何。
 
麻衣子、たちあがって。
 
麻衣子:ごめんなさい。
 
と、一礼。
 
野亜 :何。
麻衣子:この間。
野亜 :ああ、あれ。こっちこそごめん。変なこと言って。
麻衣子:疲れるってやつ。
野亜 :まあね。
麻衣子:いいよ。たしかにそんなとこもあるかも。
野亜 :いいすぎたね。
麻衣子:全然。・・力抜くことにしたの。
野亜 :え?
麻衣子:ちょっとがんばりすぎてたかなって。・・思った。
野亜 :それは・・あるかもね。
麻衣子:でしょ。
 
と、あかるく笑う。
野亜も笑う。
 
麻衣子:天秤なのね。
野亜 :天秤って。
麻衣子:人が二人いれば、どちらかが、損をして、どちらかが得をしてしまうでしょ。だって、幸せは無限にあるものじゃなくて、どうやら、幸せの量は決まってしまっているみたいだもの。
野亜 :何の話。
麻衣子:あやとりかな。
野亜 :分からないわ。
麻衣子:明るく楽しく賢く、筋道立ててこなしていかなきゃならなかったの。
野亜 :何のこと言ってるの。
麻衣子:うまくは、いってたのよね。少しずれはあったけど。
野亜 :人間関係のこと言ってるの。
 
無視して。
 
麻衣子:天秤はぴったり平衡を保ってたのに。でも、あんたが来てから。
野亜 :私。
麻衣子:そう。その目。本当は私のこと何とも思ってやしない。風しか映ってないものあんたの目は。五月の風が吹いてるだけ。
野亜 :私は何もしていないわ。
麻衣子:そう。何もしなかったの。だからね。
野亜 :だからって、言われても。
麻衣子:なぜ来たの。
野亜 :え?
麻衣子:なぜ来たの。うまくいってたのに。
 
野亜、ぼーっと見ている。
 
麻衣子:ねえ、眠くならない。
野亜 :え?
 
と、すこしとろんとしている。
 
麻衣子:霧の朝に眠る。
野亜 :何・・
 
と、眠気が急速に襲う。
 
麻衣子:賭だったのよ。
野亜 :か・・け。
麻衣子:天秤にかけたの。
 
だが、野亜はねむくてコーヒーを落としそう。
優しく、受け取って。
 
麻衣子:どちらを選ぶか。
 
ぱたっと野亜の手が落ちる。
冷たく見やって。
 
麻衣子:だって空っぽなのいやだものね。
 
野亜は眠りはじめた。
 
麻衣子:鳥の影さえ見えないのよ。こんな深い霧の朝は。
 
優しく野亜の髪をなでる。
 
麻衣子:そんなときでもあなたは言わなかった。ここにいてもいいんだと。
 
立ち上がって。
 
麻衣子:だから、賭けたの。どちらを飲むか。
 
にこっと笑って。
 
麻衣子:あなたが選んだのよ。
 
子供の笑い声。
ふっと頸傾げて聞くような感じ。
 
麻衣子:もうすぐ、何も聞こえなくなるわ。
 
歩き始め振り返り。
 
麻衣子:一人で歩くのよ。光も何もない道を。
 
風の音。
溶暗。
 
Yエピローグ・・鳥の影
 
溶明。
喪服。
ベンチにすわっている麻衣子と織絵。
 
織 絵:あっけなかったね。
麻衣子:そうね。
織 絵:なんかやだな。
麻衣子:何が。
織 絵:あんなに簡単にいなくなるっての。
麻衣子:どうして。
織 絵:だって・・・もういないんだよ。どこにも。
麻衣子:死んじゃえば私たちもそうなるのよ。
織 絵:そりゃそうだけどさ。
麻衣子:もういいじゃない。
織 絵:冷たいのね。
麻衣子:違うわ。
織 絵:どこが。そんなに簡単に忘れられるの。
麻衣子:忘れはしないわ。・・忘れられるものですか。
 
声の調子にいぶかる織絵。
 
織 絵:どうしたの。
麻衣子:どうもしない。もういいと言っただけ。
織 絵:変よ。
麻衣子:そうかな。
 
風が吹く。
冷たい風。
織絵、思わずぶるっとした。
 
織 絵:変ね。あんなに晴れてたのに。
麻衣子:変わりやすいじゃないここは。
織 絵:そうだっけ。
麻衣子:そうよ。霧が出てくるわ。
織 絵:だって五月なのに。
麻衣子:五月だからよ。暖かく晴れた青い空の後ろにはいつだって潜んでいるもの。
織 絵:なにがよ。
 
答えず。
 
麻衣子:ほら。
織 絵:ほんとだ、霧だわ。降りてくる。
麻衣子:キナシの岩屋あたりね。
織 絵:なんかやだな。かえろうか。
麻衣子:遅いかもしれない。
織 絵:え?
 
霧が立ちこめてきた。
 
麻衣子:聞こえない。
織 絵:何が。
 
だが聞こえているのだ。
子供の笑い声。
立ち上がる麻衣子。
 
麻衣子:遅いかもしれない、帰るのは。
織 絵:何言ってるの。
麻衣子:筋道が違ったのね。
織 絵:え?
麻衣子:踏み迷ったのよ。
織 絵:麻衣子。
麻衣子:鳥の影さえみえないの。
 
霧が立ちこめる中、羽ばたく音。
びくっとする織絵。
 
織 絵:鳥?脅かさないでよね。
麻衣子:暗い道よ。
織 絵:まだ明るいよ。
麻衣子:いいえ、暗いわ。何も見えない。影でもいい、見たいのに。
 
明かりが薄暗くなる。
浮かび上がる麻衣子。あやとりを始める。
魅せられたように見入る織絵。
 
麻衣子:筋道を。
 
ふっと笑った。
麻衣子:でも。
 
ふわっと移動して織絵の後ろ。
麻衣子:許されなかったの。
織 絵:え?
麻衣子:だからなるしかなかったの。
織 絵:麻衣子?
 
麻衣子の手が伸びる。
あやとりが織絵の前に来る。
魅せられたように動けない織絵。
子供の笑い声。
優しく織絵に。
 
麻衣子:聞こえるでしょ。ほら。
織 絵:聞こえない。
麻衣子:うそ。
 
と、にっこり笑う。
美しいが凄惨だ。
 
麻衣子:聞こえない?
織 絵:何が。
麻衣子:知ってるくせに。
 
くくっと笑って。
冷たく。
 
麻衣子:もちろん、オニよ。
 
あやとりの糸が首に巻き付く。織絵の首を絞める。
あらがおうとするがあらがえない。
 
麻衣子:どうしようもないの。だって・・許されないもの。
 
子供の笑い声が大きくなる。
ぐっと力が入り、もがくが静かに死ぬ織絵。
 
麻衣子:そうでしょ。ねえ。
 
ばさばさっと鳥たちが飛び立つ音。
ふっと見やって。
 
麻衣子:聞こえた・・・。
 
笑い出す麻衣子。
しっかり絞めながら、静かに、静かに笑い出す。
声は出ない。
霧の中、子供達の笑い声が大きくなって暗転。


                                                   【幕】

 
 
 

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