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「君の名は・・海より深き・・」
  作 結城翼
        
★登場人物

今城千尋・・・
今城千晶・・・
鎌田惣一郎・・
山崎静佳・・・
八千代・・・・
山城信子・・・
沖田慎一・・・




Ⅰプロローグ

昭和43年10月21日。のテロップ。
ヘリコプターの音。アジ演説。騒然とした雰囲気。日大闘争や東大闘争などの学園闘争。
あるいは当時の機動隊と学生の市街戦、街頭闘争のシーンの実況映像。実況映像。
クロスして、「戦争は知らない」
大きくなる。
溶明。
音楽静かになっていく。
結婚式の控え室。父の遺影が置かれている。
千尋がウェディングドレスで座っている。
あわただしく駆け込んでくる信子。

信子 :ああ、いたいた、よかった。ねえ、あなた、持ってるわよね。
千尋 :え?
信子 :指輪よ、指輪!交換するやつ。
千尋 :ええ、用意してますけど。
信子 :ああ、よかった。いやね、こちらで用意してなきゃいけないんだけど、主任に確認してくれって言われてさ。うるさいんだわ、あの禿頭。
千尋 :母がどうしてもっていうから。
信子 :そうなのよね。お父様の形見のっていうからさ、いやね、なんだか感動しちゃってさあ、あたし。いいよね、お父さんがこれだけはって渡してくれたんだって。親子二代だよねえ。うーん。いいなあ。
千尋 :あの。
信子 :なんだかさあ、人ごとって思えなくって。あたしもさあ、ちょっとまちがったらさあ、あやうくうまれなかったとこよね。いやね、満州なのよね、あたしんちは。やばかったのよね、戦局。ガダルカナル落ちちゃった後でしょ。戦地へ赴くまえに思いを遂げる一夜のちぎり?それなのよねー。もう、大変だったんだって。でもさあ、お父さんたち何思ってたかなあ。これが今生の別れっていうのかなあ、なんせ、どうなんのかわからなかったものね。もえあがるよねー。愛した人と再び会えるかどうか分からない。もしかしたら、これでおしまい?がんばったんだろうなあ。
千尋 :あのう。
信子 :あはは、ごめん。変なこと言って。
千尋 :いいえ。
信子 :でも、いいよね。
千尋 :え?何がです。
信子 :愛の結晶が、今ね。・・お父さん本望だろうね。
千尋 :・・。
信子 :いいなあ。あたしなんか、こんなとこ勤めてるけど、さっぱりだもんね。ねえねえ、彼、どう。
千尋 :え、どうといわれても。
信子 :いやあ、なんかね、あなたのこと他人と思えないのよね。そうかあ。ウェディングドレスと事務服。なんか差がついちゃうなあ。
千尋 :いい人いないんですか。
信子 :全然。さっぱりなのよ、世界狭いのよね、こんなとこ。毎日、指加えて見送ってるだけ。そっかあ。・・いいよね。
千尋 :指輪が何か。
信子 :そうそう。ごめんねくだらないこと言って。指輪あればいいのよ。確認してくれって言われただけだから。
千尋 :今、いるんですか。
信子 :ううん、挙式の時。・・・ねえ、いい。
千尋 :何です。
信子 :ちょっと見せてくれない。あ、だめならいいのよ。失礼なことだってことわかってるから。
千尋 :別にいいですよ。そこの箱に。
信子 :あ、これ。かまわない?
千尋 :いいですよ。
信子 :そう。・・ごめんね。ちょっと。

信子、箱を取る。

信子 :いい?

頷く、千尋。
そっとあける信子。
指輪を見る。
間。

信子 :・・これでお嫁にいくんだよね。
千尋 :・・はい。
信子 :結婚指輪か。

間。

信子 :・・・ありがとう。

箱をしめる。

千尋 :実感わかないんですけどね。
信子 :・・たぶんだれでもそうだよ。・・ありがとう。
千尋 :お礼言われるほどじゃ・・えっと。
信子 :信子よ。山城信子。アルバイトだけどね。楽だし、割いいから。おもしろいしね。いろいろあるし。・・さてと。

と、戻そうとする。

千尋 :・・信子さん。
信子 :何。

振り返る。
間。

信子 :・・いいなさいよ。

間。

信子 :何か言いたいことあるんでしょ。
千尋 :・・ちょっと・・不安なんです。
信子 :そう。

間。
不審そうな千尋。

信子 :みんなそうだよ。
千尋 :え?
信子 :マリッジブルーって言うんだって。不安なんだよね、みんな。だって、環境から何からがらっと変わるんだもの。大丈夫。ここまで来たら、度胸決めるんだね。相手信頼して。大丈夫だって、みんな式終わったら顔崩れてるから。もう見てられないぐらい。
千尋 :そうでしょうか。
信子 :そうよ。
千尋 :少し気が楽になりました。だれにもいえないから。
信子 :あたしみたいな者に言ったほうが楽だしね。
千尋 :そんなつもりじゃ。
信子 :いいって。こいつもサービスのうちよ。

千尋、かすかに笑う。

信子 :こいつは、戻しとくよ。大事にね。
千尋 :はい。

山城さんと呼ぶ声。

信子 :はーい。・・ごめんね、変なことお願いして。
千尋 :いいえ、ぜんぜん。こちらこそ。

信子、去ろうとする。

千尋 :あの。
信子 :何。
千尋 :いい人見つかりますよ。
信子 :ありがと。・・がんばってサービスするからね。
千尋 :ありがとうございます。
信子 :いいお嫁さんになるよ、あんた。
千尋 :ならいいですけどね。
信子 :大丈夫。・・ありがと。

黙礼する千尋。
外がやかましい。アジ演説と騒音。
千尋がけげんそう。

信子 :全学連の学生よ。今日はなんとか闘争だって。ほら、今日くるとき、ヘルメットかぶった学生たちいたでしょ。
千尋 :駅で何人か。
信子 :迷惑だよね。火炎瓶投げたり、機動隊と衝突したりしてさ。町中で戦争やるのやめてもらいたいわね。
千尋 :どうするつもりなんでしょうね。
信子 :さあね、安保反対だとか叫んでるけど何言ってるか全然分かりゃしないわ。口から泡吹いてしゃべってるようなものよ。せっかくの日だって言うのに、迷惑だよね。
千尋 :私は別に、関係ないから。
信子 :そりゃそうだ。花嫁がウエディングドレスにゲバ棒持って火炎瓶投げてりゃ世話ないものね。荒れなきゃいいけど。じゃあとで。

去る。

Ⅱ母と娘

いれかわりに母が会釈しながら入ってくる。
母はじっと見つめて。

千尋 :何。

ちょっと冷たい。

千晶 :きれいね。
千尋 :ありがとう。
千晶 :ちょっと、ここ。

と、衣装を直す。

千尋 :おかしい?
千晶 :うん、少しね。まずったかな。
千尋 :いいよ。
千晶 :手作りでごめんね。
千尋 :ううん。
千晶 :もうちょっと生地が上等なのを選ぼうと思ったんだけど。
千尋 :十分よ。これで。
千晶 :そういってくれるとうれしいわ。
千尋 :縫ってもらえるなんて思っても見なかった。
千晶 :昔は、みんなそうだったんだけどね。
千尋 :どうしてるの、今。
千晶 :別に、それなりにね。あんたは。
千尋 :それなりにやってるわ。
千晶 :そう。不便なことない?
千尋 :別に。
千晶 :そう。

間。
ちょっとため息。

千晶 :じゃ、あとで。

かぶせるように。

千尋 :お母さんもそうだったんでしょ。
千晶 :何が。
千尋 :ウェディングドレス。
千晶 :ドレスが何。
千尋 :ぬってたといつか言ってた。
千晶 :そうだっけ。
千尋 :うん。

間。

千晶 :縫ってあることは縫ってあるのよ。
千尋 :見たこと無い。
千晶 :だって、着ることなかったしね。
千尋 :見たかったな。

間。

千晶 :・・今もあるのよ。
千尋 :え、だって。
千晶 :タンスの底の底。あなたには見せたことないわね。
千尋 :うん。
千晶 :これと似たようなものだけど。
千尋 :え、ウェディング。あのころに。
千晶 :戦争がひどくなる前に作ってくれたの。お父さんと婚約した頃。それでも、ずいぶん非国民よね。

笑う。

千尋 :非国民かぁ。
千晶 :ほしがりません勝つまではの時代だから。
千尋 :大胆よね、お母さん。いつも。
千晶 :そうよ。戦争なんかに負けてちゃ、女やってけないもの。
千尋 :強いなあ。
千晶 :その血引いてるからね、あなたも。
千尋 :ならいいけど。
千晶 :引いてるわ。

間。

千晶 :・・結局、そのままよね。ドレスは。お父さんは学徒出陣で死んじゃったし。式あげることもできなかった。

間。

千尋 :見てみたいなあ。
千晶 :ウェディングドレス?
千尋 :・・お母さんの花嫁姿。

笑う。

千晶 :むりよ。お母さん再婚するつもりないから。あら、再婚ってのは結婚してなきゃできないか。
千尋 :ウェディングドレスだけでもいいよ。
千晶 :じゃ、今度。でも、これはそれをモデルにしたのよ。
千尋 :そうなの。
千晶 :ちょっと苦労したけどね。あまり上手じゃないから。
千尋 :ちょっとほつれてたり。
千晶 :こら。
千尋 :ふふっ。

笑いはぎこちなく止まる。

千晶 :誠さんは。
千尋 :さっきまでいたけど、友達に。
千晶 :どんなようす。
千尋 :ちょっとにやけてるかな。
千晶 :いい人で良かったわ。
千尋 :あんなに反対してたくせに。
千晶 :それはまあね、頼りなさそうだから。
千尋 :お父さんに比べて。
千晶 :そりゃ、惣一郎さんに比べりゃ。
千尋 :変わらないね。
千晶 :何が。
千尋 :お父さん自慢。
千晶 :あなたのお父さんだもの。

間。

千尋 :私、いい娘じゃないよ。
千晶 :いいえ、自慢だったよ、お母さんは。あのほら、小学三年の時の図画だって。
千尋 :やめて。

間。

千尋 :嫌いなの知ってるでしょ、お母さんのそんなとこ。今日は、やめて。
千晶 :もう、言わないよ。・・じゃ、支度あるから。

去ろうとする。

千尋 :お父さんてどんな人だったの。
千晶 :お父さん?
千尋 :そう。

立ち止まる。
遺影のところへ。

千晶 :頑固な人でね、言い出したら聞かないの。
千尋 :お母さんもそうじゃない。私が家出るって言ったら。
千晶 :あんたには負けるけどね。

笑う。
千尋も少し。

千尋 :遺伝よ。頑固は。
千晶 :そうね。それで大変だったのよ。デートなんてそのころ下手にできゃしないし。
千尋 :どうして。
千晶 :だって、若い男と女が一緒に歩いてるだけで、おいこら、この非常時になんたる軟弱なことをしておるのか。ちょっと来いよ。
千尋 :嘘。
千晶 :まあ、それはオーバーだけど、似たようなもの。
千尋 :じゃ、お父さんとは。
千晶 :そうね、公園一緒に散歩したりするぐらい。だって、状況が状況だから。
千尋 :戦争?
千晶 :そりゃ、デートしようと思えば、場所あるにはあったけど、若い男女がうっかり変なとこはいるとね。今とは大違い。
千尋 :おもしろかったの、それで。
千晶 :ちょっと物足りなかったな。あ、でも、ボート乗ったか。一度。
千尋 :そのころあったの。
千晶 :まあね。これが大変よ。お父さん恥ずかしがって。私は乗りたいと言ったんだけど。
千尋 :言い出したら聞かないものね。
千晶 :延々1時間ボート乗り場で、乗るだののらないだのですったもんだ。
千尋 :あきれた。
千晶 :結局、お父さんが折れて。
千尋 :まあそうでしょうね。
千晶 :こら。・・で、乗ったんだけど。お父さん下手でね。
千尋 :ぐるぐる回ったんじゃないそこらあたり。
千晶 :まわりゃいいわ。
千尋 :どうしたの。
千晶 :一人、男の人が乗ってたのよ。それにめがけて突進。
千尋 :あらら。
千晶 :ドボーンね、三人とも。いやあ、怒られた、怒られた。
千尋 :笑い事じゃないわね。
千晶 :帰り、2人でくしゃみしながら帰ったけど。お父さんずっと怒りっぱなし。口聞かないのよ。しゃくだから、私も口聞かなかった。
千尋 :デート、めちゃくちゃじゃない。
千晶 :まあね。帰り際、ごめんと一言。あとさっさと自分一人でかえっちゃった。肩まだ怒ってるの。笑うわね。でもなんだか、かわいそうになって。ありがとうって声かけたら。お父さん、振り返って、にっこりしたの。・・忘れられないわね。
千尋 :ごちそうさまでした。
千晶 :何言ってるの。親、冷やかすものじゃないわ。
千尋 :ひやかしてないよ。素直に感動しただけ。
千晶 :まったく、あんたはああいえばこういう。
千尋 :お母さんのおかげよ。

微妙な間と表情。

千晶 :一週間後出征したわ。だからかな忘れられないの・・。平凡なものね。
千尋 :いい話ね。
千晶 :お父さんとは結局それが最後。手紙が一通二三日後来ただけ。あとは・・。
千尋 :戦死するまで?
千晶 :そう。
千尋 :その手紙は。
千晶 :あるわ。
千尋 :見たことない。
千晶 :お母さんの宝物よ。
千尋 :見てみたい。私も見ていいでしょ。

間。

千晶 :持ってきてるわ。読まそうと思って。
千尋 :昨日見せてくれればいいのに。
千晶 :今日がいいのよ。読めばわかる。
千尋 :読ませて。
千晶 :そうね。待ってて。

と、でていこうとする。

千尋 :お母さん。
千晶 :何。
千尋 :ありがとう。
千晶 :何が。
千尋 :いろいろと。お父さんの話も。
千晶 :いつか話そうと思ってたけどね。なんか、話す気になれなかったし。でも、明日からはあなたはよその家の人だから。話しておくのもいいかと。
千尋 :明日からどうするの一人で。
千晶 :前から一人でしょ。
千尋 :ごめんなさい。
千晶 :いいのよ。悪かったわ、家出てったのあなたのせいじゃないのに。
千尋 :・・・。
千晶 :さあ、どうしようかな。千尋がいなくなってせいせいしてるし。一人暮らしはなれたし。
千尋 :・・・。
千晶 :うるさかったものねあなたは。
千尋 :悪うございました。
千晶 :でもやっぱりちょっと寂しくなるかなあ。

間。

千晶 :あ、お父さんの手紙ね。ちょっと待って。

と、でていく。

千尋 :私もちょっと寂しいよ。

と、ぼそっと。

千尋 :ま、お母さんは、お父さんが一緒にいるからいいよね。

と、遺影に。

Ⅲ 真一

あ、ちょっとまってという信子の声。
真一がヘルメット、タオル、軍手、ヤッケの全学連姿で駆け込んでくる。
驚く千尋。
血走って、あわてている真一。千尋に気づき。

真一 :ごめん、ちょっと。

そのまま、外をうかがう。

千尋 :どうしたの。
真一 :静かに!

剣幕がすごい。
信子の声。

信子 :千尋さん、逃げ込んでこなかった。全学連。
千尋 :いいえ、だれも。
信子 :そう。ならいいけど。警察におわれてだれか逃げ込んだの。危ないから気をつけて。
千尋 :はい。

間。

真一 :言わないの。
千尋 :どうして。
真一 :だって。
千尋 :結婚式だもの。

初めて気づいた様子で。

真一 :あ、そうか。ここは。・・くそっ。間違った。
千尋 :どこへ行くつもり。
真一 :どこだっていいだろ。すぐで行くよ。機動隊が引き上げたら。

外を見て。

千尋 :何をしたの。
真一 :何もしないよ。奴らとちょっとやりやっただけ。
千尋 :火炎瓶なんか投げたの。
真一 :火炎瓶?せいぜい投石ぐらい。・・・あれ。
千尋 :何。
真一 :お前、千尋じゃない。
千尋 :え?
真一 :真一だよ、おれ。ほら、小学校で。
千尋 :真一・・君?
真一 :そう。真一。
千尋 :ほんとだ。え、何してるの。全学連?
真一 :違う。セクトにゃ入ってないよ。ノンセクト。
千尋 :え?ノン・・。
真一 :ノンセクト。どこにも所属してない。・・わからない?
千尋 :うん。
真一 :ちぇっ。
千尋 :それが何で。
真一 :相変わらず世間知らずだなあ。今、どうなってるか分かってるの。
千尋 :何が。
真一 :何がじゃないよ。安保だよ、安保。70年安保目前だろが。日本帝国主義とアメリカ帝国主義がさあ。
千尋 :私、あんまり関係ないから。
真一 :まったく、意識無いなあ。昔からだけど。
千尋 :逃げてるの。
真一 :まあね、突破しようとしたけど。機動隊の奴ら放水するし、催涙弾水平撃ちするし、仲間が三人、顔やられて重傷。おれもようやく逃げて・・。
千尋 :危ないことしてるのね。
真一 :・・それほどでもないけど。・・・お前、結婚するんか。
千尋 :そうよ。
真一 :そうか。はやいなあ。
千尋 :そう。
真一 :早いよ。いちばん早いんじゃない、同級で。
千尋 :知らない。あまり、関係ないから。
真一 :そうか。お前、早くから就職したもんなあ。どうしてた。
千尋 :小さな会社の事務員よ。
真一 :へー、地道な暮らしというわけだ。お相手は。
千尋 :取引先の人。
真一 :絵に描いたような平凡さだな。
千尋 :悪かったわね。好きだもの。
真一 :まあ、そりゃそうだろうけど。

間。

真一 :悪かったな、出ていくよ。

行こうとする。

千尋 :待って。
真一 :何。
千尋 :警察におわれてんじゃないの。
真一 :そうだけど。
千尋 :今出てっては危ないんでしょ。
真一 :うーん、かなり。
千尋 :いていいよ。
真一 :え?いいの。
千尋 :うん。同級のよしみ。ここ結婚式場だし、だれもこないよ警察。
真一 :ごめん。勝手に押し掛けたのに。
千尋 :いいよ。
真一 :お前、ほんとに人いいな。
千尋 :え?
真一 :そんなんじゃ、将来やばいよ。裏切られて泣くことになるぜ。
千尋 :別にいいもの。裏切るよりは。
真一 :・・。
千尋 :落ち着くまでいていいよ、まだしばらくだれも入ってこないし。
真一 :家族なんかは。
千尋 :お母さんはまだ帰ってこないし、後はだれも呼んでないし。というか、いないもの。
真一 :ずいぶん寂しい結婚式だよな。友達こないの。
千尋 :披露宴には少し、式にはだれも。
真一 :そっか・・。きれいだね。
千尋 :え?
真一 :いや、なんかいいよ、それ。
千尋 :そう、ありがとう。お母さんが縫ってくれたの。
真一 :ああ、あの細い人。
千尋 :失礼ね。
真一 :いや、その、清楚な人と言おうとしたの。
千尋 :ごまかして。

少し笑う。

千尋 :大学どうしてるの。
真一 :授業ないんだ。
千尋 :ああ、夏休み。
真一 :それもあるけど、ストライキ。バリケード封鎖されてる。
千尋 :あ、新聞で見た。何でそんなことやるの。せっかく大学いってるのに。
真一 :大学側が頭難いの。団交申し込んでも応じないし。
千尋 :団交?
真一 :団体交渉。学生が全学共闘会議作っていろいろ申し込むんだけど、応じない。それでバリケードスト突入して要求突きつけてんだけど。
千尋 :だって、学生でしょ。そんなことしたら。
真一 :学生だからさ。いろいろ問題抱えてて、大学の自治なんて嘘ばかりだし。学生寮も閉鎖されそうだし。
千尋 :勉強できないんじゃない。
真一 :そうだね。
千尋 :私には解らないな。
真一 :分からなくていいよ。
千尋 :でも、それじゃ。
真一 :夕べ、大学側が機動隊要請してさ、突入してきたんだ。3個中隊ぐらいかなあ。
千尋 :え?今朝のニュースそんなことあった。
真一 :遅かったからね。衝突で、女の子が一人警棒で頭割られて重体。助けようとした仲間が捕まってジュラルミンの楯でここやられてさ、病院担ぎ込まれたけど・・さっき死んだ。
千尋 :・・ひどい。
真一 :権力なんてそんなものだよ。人間て思ってないんだから。
千尋 :それで投げてるの。
真一 :火炎瓶?・・そう言う単純なことでもないけど。
千尋 :じゃどうして、そんな危ないことするの。勉強してりゃいいじゃない。
真一 :千尋・・。そう言うわけには行かないんだよ。ベトナム戦争に日本はどんどん加担していってる。佐世保にエンタープライズは入ってくる。何かしなきゃ、今でもどこかで誰かが帝国主義の奴らに殺されてる。日本は平和だけど、その平和が彼らを殺してる。だから。
千尋 :変わったね、真一君。
真一 :え?
千尋 :平和は人を殺しやしないわ。考え過ぎよ。
真一 :それは平和ぼけだよ。第一。
千尋 :何。
真一 :いや・・千尋は変わらないな。千尋はそのままがいいや。でも、これだけはいっとく、ぼくは何も機動隊が憎くてやってるんじゃない。ぼくの敵は日本帝国主義そのものだ。彼らは暴力装置に過ぎない。
千尋 :あなたの言葉は分からない。
真一 :そうか。
千尋 :世の中変えようとしてるんでしょ。多分。
真一 :そうだよ。
千尋 :でもいってることは私には解らない。
真一 :分かろうとしないからだよ。
千尋 :言葉の意味が分かっても、多分あなたのいってることは分からない。変わったわ、真一君は。
真一 :昔の脳天気なぼくじゃないことは確かさ。
千尋 :昔のあなたの言葉は分かった。
真一 :そう。
千尋 :それじゃ、変える事なんて出来ないと思う。
真一 :出来るか、出来ないかやってみなくちゃ。
千尋 :いくの。
真一 :冷たくされちゃ行くしかないだろ。
千尋 :冷たくなんかしてない。分からないっていってるだけ。
真一 :似たようなものだよ。ありがと。世話になった。

と、出ていこうとする。
遠い爆発音。明かりが一瞬暗くなり、ちかちかする。

真一 :やりやがった。バカが。

と、あわてて出ようとした。

千尋 :真一君!

真一、出ていこうとして、何かにぶつかるて跳ね返る。

真一 :いたっ。

父、惣一郎がいた。

Ⅳ 父

学生服。

惣一郎:ここもにぎやかだね。
千尋 :誰。
惣一郎:君が千尋か。
千尋 :そうですけど・・。
惣一郎:まぶしいな。千尋、ここはまぶしすぎる。カーテンを閉めてくれないか。
真一 :おい。
惣一郎:何かね。
真一 :なにかねじゃない。失礼だろ、人にぶちあたっといて。
惣一郎:君の方が突進してきたのだがね。
真一 :そ、そりゃそうだけど。お前、右翼だろ。そんな時代遅れの学生服着て。おまけにたすきまで掛けて。
惣一郎:右翼?・・君は、左翼か。
真一 :左翼じゃない、ノンセクトだ。
惣一郎:わからんね、とにかく、カーテン閉めてくれないか。まぶしすぎる。
千尋 :カーテン閉めて。
真一 :え?
千尋 :早く。

真一、カーテンを閉める。

惣一郎:これでいい。
真一 :何がこれでいいだよ・・。あのねえ。

無視して。

惣一郎:千尋だね。
千尋 :そう言いました。あなたは誰。
惣一郎:鎌田惣一郎。学生だよ。
千尋 :鎌田・・惣一郎・・・そんな。
惣一郎:馬鹿なことがと思うかな。

千尋、こくんと頷く。

惣一郎:だろうね。私もそう思う。
千尋 :でも。
惣一郎:何だね。
千尋 :そんなことって・・・あり得ない。
惣一郎:現に有ってる。

千尋、遺影を見て。

千尋 :お父さん?
惣一郎:そう言うことになるね。
真一 :おい、何言ってるの。お父さんって・・・まさか。
千尋 :まさかよね。
真一 :しんじられない。
千尋 :私だって。
惣一郎:私も信じられないんだが。
千尋 :でも、これって・・これって・・・。
惣一郎:奇跡かな。私はそう思う。
千尋 :奇跡・・。
惣一郎:受け入れるよ、私は。

真一、そろそろと逃げようとする。

千尋 :待って!
真一 :何で。
千尋 :人、呼ばないで。
真一 :呼ばないよ。ばかばかしい。退散するだけさ。
千尋 :お父さんかも。
真一 :そんなん有るわけないだろ、今何年だとおもってる。
千尋 :でも、あれを見て。

遺影を指す。
真一、じっくり比べる見る。沈黙。

真一 :他人のそら似だよ。
千尋 :あんな格好してわざわざ?
真一 :じゃ、詐欺しさ。
千尋 :騙してどうするの。

沈黙。

千尋 :ここにいて。
真一 :そんな。
千尋 :いいから。
惣一郎:私が怖いのか。
真一 :誰が。
惣一郎:千尋はどうなんだ。私が怖いのか。
千尋 :そんなことない。そんなことないけど・・。
惣一郎:あり得ないことだからね、普通は。
千尋 :そうね、普通は。
惣一郎:ならいいじゃないか、素直に受け入れても。
千尋 :本当に、お父さん?
惣一郎:多分。君が今城千晶の子供なら。
千尋 :今城千晶はお母さんよ。
惣一郎:ならば、私の娘だ。
千尋 :でも、なぜ、私の・・。

と、なんか全部を指す仕草。

惣一郎:分からないな私には。
千尋 :私が千尋ってどうやって。どうしてここへ。
惣一郎:覚えていない。気がつけばここにいた。なぜか君が千尋だと言うことは分かっていた。
真一 :めちゃくちゃな論理だな。
惣一郎:論理ではない。直感だよ。
真一 :ばかばかしい。ねえ、こいつやっぱりおかしいよ。警察呼ぼう・・・ってダメだ。
千尋 :黙ってて。
真一 :いろといっただろ。
千尋 :だから黙ってて。

真一、むっとして黙る。

惣一郎:とにかく、君が千尋だと言うことは分かっていた。不思議なことだが。
千尋 :・・・。
惣一郎:お母さんは元気か。
千尋 :少しやつれたけど。
惣一郎:そうか。苦労したんだ。
千尋 :お父さんいなかったから。めちゃくちゃ働いて。身体壊したし・・。
惣一郎:・・いたかったんだがね。

間。

千尋 :ごめんなさい。
惣一郎:君が謝ることはない。
千尋 :そんなつもりで言ったんじゃない。
惣一郎:分かっている。・・よそう。
千尋 :ええ。
真一 :あのう。
千尋 :何。
真一 :やっぱりオレ帰るわ。
千尋 :どうして。
真一 :なんかつもる話もあるようだしって変な言い方だけど。いない方が良さそうだし。オレも行かなきゃいけないし。
千尋 :まだ危ないんでしょ。
真一 :それほどでもない。行かなくちゃならない。仲間がやられてる。じゃ。

と、まだうさんくさげに惣一郎の方を見て。
ばっと出ていく。

千尋 :ちょっと。
惣一郎:無駄だろうね。
千尋 :でも。
惣一郎:外がやかましいのと関係有るようだね。
千尋 :ええ。
惣一郎:なら、無駄だ。彼は思い詰めている。
千尋 :それは分かってるけど。
惣一郎:昔とは違う。必要があるなら帰ってくるだろう。また、帰ってこれる。
千尋 :・・・。

間。

惣一郎:それより、きれいだね。
千尋 :これ?お母さんが縫ってくれたの。
惣一郎:千晶が。
千尋 :お父さんと婚約したときに作ったドレスをもとにしたんだって。
惣一郎:そうか。どこかで見たような気がした。
千尋 :ねえ・・。
惣一郎:何。
千尋 :お母さんとどうやって出会ったの。お母さん、ほとんど詳しいこと話してくれなかった。
惣一郎:そうか。・・。よくある話だけどね。
千尋 :聞きたい。
惣一郎:いいだろう。・・あの頃はめちゃくちゃな時代で。
静佳 :私もめちゃくちゃよ。

静佳がいた。

Ⅴ 静佳

千尋 :静佳さん。
静佳 :どう、気分は。最高でしょ。
千尋 :ええ、まあ。
静佳 :私は最低だけど。
惣一郎:この方は。
千尋 :会社の同僚の静佳さん。
静佳 :この人誰。
惣一郎:私は。
千尋 :鎌田惣一郎さん。・・親戚の人。
静佳 :そっ。どっかあなたに似てると思った。野暮ったいもの。そのたすき何。
惣一郎:これは学徒動員の。
千尋 :ちょっとね、披露宴での余興で・・。
惣一郎:千尋、違うぞそれは。
静佳 :なんかなれなれしいのね。ひょっとしてあなたの元恋人。
千尋 :静佳さん!
静佳 :あはは。ごめん。
千尋 :ひょっとしてお酒を・・。
静佳 :いけない。前祝いじゃない。御神酒あがらぬ神はないって言うし。食前酒よ、食前酒。
千尋 :私、あなたを式にお呼びしてないんですけど。披露宴は夕方から。
静佳 :分かってるわ。

冷たい。

静佳 :だから来たの。
千尋 :なぜ。
静佳 :あなたの胸に聞いてみたら。
千尋 :分からないから聞いてるんです。
静佳 :わからない?ほんとに。あはは、こりゃいいわね、分からないんだって。

笑う。

千尋 :ほんとに。

笑うのを急にやめて。

静佳 :返してよ。
千尋 :え?何を。
静佳 :誠。田崎誠。
千尋 :誠さん。・・どういうことです。
静佳 :知ってるはずよ。
千尋 :何を。
静佳 :みーんな知ってるはずよ。誠さんは私のものだって。
千尋 :何をいってるんです。
静佳 :私の恋人だって事。
千尋 :めちゃくちゃなことを言わないでください。
静佳 :どちらが。
千尋 :どちらがって・・。あなたがわけ分からないこといって。
静佳 :わけ分からないってのはこちらの事よ。いい、三ヶ月前に私は婚約したの。
千尋 :でも。
静佳 :いい、この式は無効だからね。どうしてもあげるって言うなら、私怒鳴り込むから。
惣一郎:お嬢さん。
静佳 :お嬢さんって言われてもだめ・・何。

惣一郎に気づく。

惣一郎:どうやらのぼせておいでだ。それに、酔っていらっしゃる。式にお呼びした覚えもないと。
静佳 :あんたに関係ないでしょ。
惣一郎:いいえ、大いにあります。もっと落ち着いてから会いましょう。
静佳 :離してよ。

惣一郎、静佳を廊下に連れ出す。

千尋 :お父さん。
静佳 :乱暴するなら人呼ぶわよ。
惣一郎:どうぞ。ご勝手に。しかし、呼ばれて困るのはあなたの方ではないですか。
静佳 :ふん。

と、二人をねめつけ。

静佳 :私は認めないからね、この結婚。

出ていく。

惣一郎:人騒がせな娘さんだね。
千尋 :噂はあったけど。
惣一郎:花婿と?
千尋 :そう。でも、噂とばかり思ってたのに。
惣一郎:噂に過ぎないのかも知れないよ。
千尋 :え、だって、三ヶ月前に。
惣一郎:彼女のことばだけだろう。
千尋 :それはそうだけど。・・誠さんに。
惣一郎:やめておきなさい。
千尋 :でも。
惣一郎:たとえ何かあっても、彼はそれを清算しているはずだ。千尋は信じているんじゃないのか。
千尋 :・・ええ。
惣一郎:なら、どっしりとかまえていなさい。彼を信じていればいい。
千尋 :お父さんって、なんか若いのに似合わず落ち着いているのね。
惣一郎:まあ、古びているからね。

にやっと笑う。
つられて、千尋も少し笑う。

惣一郎:花嫁は笑顔が第一だよ。
千尋 :そうね。・・ねえ、お母さんの話。
惣一郎:そうだったな、お母さんとは。

言いかけたときに、今城さんと信子の声。

惣一郎:いいところで邪魔が入るね。・・隠れてよう、面倒なことはさけた方がいいからね。

反対の隅に隠れる。(大きな鏡でも)

Ⅵ 間奏

信子がばたばたっと駆け込む。

信子 :ああ、いたいた。大変よ。お母様がちょっと。
千尋 :え、母が何か。
信子 :いや、単なる貧血だと思うけど、ちょっと倒れられて、あっちの医務室で休んでるけど。
千尋 :行きます。

千尋、ちらっと父の方を見る。
父、頷く。

千尋 :どちらです。
信子 :こっちよ。

ふたり、ばたばたと出ていく。
惣一郎、ゆっくりと出てくる。

惣一郎:相変わらず千晶はここ一番に弱いな。

ふっと笑う。
イスに座る。
カレンダーを見る。

惣一郎:昭和43年。皇紀2627年か。ずいぶん遠い。

雨の神宮外苑の情景がよみがえる。
アナウンサーの声。
映る映像。
昭和18年11月  日。
次々と行進する学徒たち。
アナウンサーの声。
指を折りながらつぶやく。

惣一郎:みんな死んだ。雨森、西原、横山、矢野、小坂、谷口・・・みんな死んだ。

映像は続く。
涙で見送る女高生たち。
旗が揺れる。

惣一郎:千晶・・すまなかった。

映像は続く。
玉砕の映像。
出征の旗が振られる。
再び、雨の神宮外苑。
映像ストップモーション。

惣一郎:戦争に正義などない。あるのは殺しあいだけだよ。千尋。

雨の神宮外苑の音声に重なって、安保粉砕、闘争勝利のシュプレヒコールが響く。
機動隊の警告の声が重なり。
やがて消えていく。

Ⅶ 父と母

しっかりして。大丈夫よとかいう声が聞こえる。
立ち上がる惣一郎。
二人が入ってくる。

千尋 :大丈夫。
千晶 :心配しないで大丈夫、大丈夫。これぐらい、晴れの日だから。
惣一郎:緊張したというわけかい。相変わらずだね。
千晶 :えっ。

と、いって固まる千晶。

千尋 :こちら、お父さん。

と、間抜けな紹介。

惣一郎:久しぶりだね。

茫然と立つ千晶。やがて。

千晶 :惣・・一郎さん?
惣一郎:ちょっと老けたけどきれいだね。
千晶 :惣一郎さん?ほんとに惣一郎さん。
惣一郎:そうだよ。

千晶、首を振って。

惣一郎:鎌田惣一郎、ただいま帰って参りました。

直立不動。敬礼する。

千晶 :お帰りなさいませ。ようこそご無事で。

深々と一礼。
見つめ合う。

千尋 :やれやれ。

と、多少あきれぎみ。
間。

千尋 :もう、いいんじゃない。

二人、ちょっと照れくさそう。

千尋 :見てられないわ。
千晶 :だって・・・。

惣一郎、空咳をして。

惣一郎:まあ、その、何だ。
千尋 :なんだって、何。
惣一郎:・・意地が悪いな。
千尋 :そうかしら。
惣一郎:とにかく。
千尋 :何よ。
惣一郎:何って・・・なあ。
千晶 :しりませんよ。

笑う千尋。
つられて小さく笑う二人。

千尋 :勘弁してあげる。
千晶 :強気だこと。
千尋 :誰に似たのかな。
惣一郎:もういいだろ・・大丈夫?
千晶 :ええ。
惣一郎:済まなかった。
千晶 :何がです。
惣一郎:帰ってくるつもりだった。
千晶 :はい。
惣一郎:何があっても帰ってくるつもりだった。
千晶 :こうして帰ってきたじゃありませんか。

答えず。

惣一郎:蟻が一生懸命餌を運んでいた。
千晶 :え?
惣一郎:人間、最後の時を間近に控えると、妙なことが気になるね。明朝未明、全軍をもって米軍に最後の奇襲攻撃を掛ける。そう言う命令が下った晩だった。月が明るくて、これじゃ夜襲掛けても丸見えだなと思った。みんな押し黙ってた。忍ばせた写真見るもの、無表情で考え込むもの。緊張感じゃなく、何かすべてが終わってしまったような虚脱感が漂っていた。私はぼんやり地面を見ながら千晶のことを考えようとしたが、うまくいかない。そのうち、ふと気がついて夢中になってしまった。
千尋 :蟻に?
惣一郎:そうだよ。蟻だ。蟻といっても、向こうの蟻は結構大きいのが多い。そいつが、お父さんのゲートルの上を一生懸命這っている。刺されたらいたいからね。ひねりつぶそうとしたら。
千尋 :刺されたの。
惣一郎:いいや、そいつが何か運んでる。なんだと思う。
千尋 :虫か何か。
惣一郎:米粒さ。
千尋 :米粒?何でそんなところに。
惣一郎:最後の配給に小さいにぎりめしが出たんだ。これで最後の食事。ほんとに小さかった。中に小さいウメボシが入ってて、食べるとき思わず涙が出そうになった。千晶は十分食べているだろうか、子供を育てる乳は出てるだろうか。お母さん、あまりからだが丈夫じゃなかったからね。
千晶 :ひどいものでしたよ。毎日毎日、ふすま飯ばかり・・。
千尋 :ふすま飯って。
惣一郎:あんなもの人間の食べられるものじゃない。
千晶 :でも、食べなきゃ生きていけなかった。
惣一郎:そうだな。
千尋 :・・米粒は。
惣一郎:こぼしたんだね。一粒、どこかについてたんだろ。それを蟻が一生懸命はこんでる。お父さん、それに見とれた。じっと体を動かさないようにした。・・蟻はようやく地面につくと、むせるような暑い熱帯の腐った葉が重なってる中を、あっちいったりこっちいったりしながら、必死に運んでる。やっとの事で、お父さんが寄りかかっていた木のうろの近くjでたどり着いて、中に入ろうとした。
千尋 :巣にたどり着いたんだ。よかったね。
惣一郎:となりに座ってた奴が身を動かした。何気なく足を動かした。
千尋 :え。
惣一郎:蟻は踏みつぶされた。

間。

惣一郎:ああ、やはり千晶の所には帰れないとお父さんは思った。
千尋 :ひどい・・。
惣一郎:ひどくはないよ、千尋。ひどくはない。悪気もないし、蟻を殺したことも知らない。
千尋 :一生懸命餌を運んで・・。
惣一郎:どうしようもないことはある。それが現実だよ。残酷だけどね。
千尋 :でも。
惣一郎:そうだ。でも・・と思うのが人間だね。人間である証だとお父さんは思う。現実をそのまま認めるわけには行かない。それが人間だと思う。
千尋 :だから、帰ってきたの。
惣一郎:それは分からない。でも、お父さんは帰ってやると思った。千晶。
千晶 :はい。
惣一郎:帰ってきたよ。
千晶 :はい。
惣一郎:苦労かけたね。
千晶 :いいえ。
千尋 :かけっぱなしよ。
千晶 :千尋。
千尋 :お母さんは許しても私は許したく無いな。
千晶 :千尋。
惣一郎:すまなかった。
千晶 :いいんですよ。そんなこと。
千尋 :罰としてお父さんとお母さんの話聞かせてちょうだい。
千晶 :今更ねえ。
千尋 :いいじゃない。せっかくの日だもの。
惣一郎:いいだろう。これも何かの縁だ。
千晶 :惣一郎さん。
惣一郎:千晶はねえ、とんでもないやつだったんだ。
千尋 :へー。
千晶 :知りません。・・ちょっと忘れ物したから。

と、去ろうとする。
にやっと笑って、その背中に。

惣一郎:あのときはひどい目にあった。お母さんと出会った日だよ。いつだったかなあ。
千晶 :昭和16年12月8日。
惣一郎:ほら、覚えてるじゃないか。
千晶 :まっ、ひどい。

と、去る。
笑って。

惣一郎:ひどい日だった。何の日か分かるかな。
千尋 :たしか・・太平洋戦争が始まった・・。
惣一郎:そうだよ。日本中が熱に浮かされたように沸き立った日だ。狂おしい気分に覆い尽くされ、みんながただ闇雲に日米決戦へ走りはじめた日だ。

大本営発表のニュースが聞こえてくる。
明かりが夕方の光に変わっていく。
千尋はさりげなく控える位置に。うっすらと明かりが当たっている。

惣一郎:その悲劇的な日の夕方、お母さんは私のうちに来た。まだ17才だった。

大本営発表。勇ましいマーチ。
やがて収まっていく。
惣一郎は、本を読んでいる。
千晶が恐る恐るやってくる。

千晶 :あのう・・

気がつかない。

千晶 :あのう。

気がつかない。
空咳をして。

千晶 :失礼します!
惣一郎:・・君は。
千晶 :今城千晶ともうします。桜庭(さくらば)の奥様からの紹介で、今度、このお宅にご厄介になります。よろしくお願いします!
惣一郎:ああ、僕の世話をしてくれる例の人ね。元気がいいね。
千晶 :はいっ。元気だけはだれにも負けません。桜庭の奥様からもお褒めいただきました。あのう、このお屋敷は広いですね。私の家なんか玄関から入ったと思ったら裏口へ出てしまうぐらいですから。びっくりしました。あそこの、白いサザンカきれいですね。うちにも庭木の一本ぐらい欲しいと思うんですが、でも、庭なんかないし。猫のたまさんですか、あのけづやがいいですね、あれきっとネズミたくさんとりますよ。だって、ぶら下げるとこう両足揃えてにゃーっとやって、おかげで引っかかれましたけど。私、猫大好きでうちにも、美代子って言う猫飼ってるんですけど、今度ここへご奉公に来るとき後おわれて大変でした。あれがほんとの後ろ髪引かれるって言うんですか、やっぱり生き物はいいですね。でも、中には小憎らしいやつもいて、武田のおばさんも犬飼ってるんですけど、この犬だけは何か相性が悪くって、あう度にどっかかまれて。

あきれている惣一郎。
はっと気づいて。

千晶 :すみません、坊ちゃま。あたしおしゃべりはじめると止まらないです。
惣一郎:惣一郎でいいよ。すごいね、君。
千晶 :惣一郎ぼっちゃま。これから気をつけます。もうしゃべりません。
惣一郎:ぼっちゃまはかなわないな。せめて惣一郎さんでいいよ。
千晶 :惣一郎様。
惣一郎:惣一郎さん。
千晶 :惣一郎さん。
惣一郎:それでいい。
千晶 :はい。あ、でも、惣一郎ってお名前素敵ですね。
惣一郎:そうかな。
千晶 :ええ、そうですよ。うちの近所にやっぱり惣一郎っていう若旦那がいらっしゃったんですけどね、幼なじみで。ええ、そりゃもう近所の評判で。男前で、卸問屋の一人息子何ですけど。これがまあ、なんて言うか、無鉄砲でガキ大将で、しょっちゅう喧嘩してて。でもなんですね、男の方はやっぱり腕っ節が強くないと。こう、何ですか、日本男児として恥ずかしくないって言うか。

あきれる惣一郎。

惣一郎:千晶さんっていったっけ。
千晶 :千晶でいいです。
惣一郎:じゃ、千晶。君、ちょっとおしゃべりだね。

とたんにむくれる千晶。

千晶 :いくら惣一郎さんでも、あんまりです。私、おしゃべりなんかじゃありません。口が軽いってい言いたいんでしょ。そんなことありません。口は堅いですよ。一度約束したら、親が死んだって、何にもしゃべりません。そんな人に後ろ指刺されるようなこと大嫌い。あの人は放送局だからなんて言われる人、時々いますわね。私の友達の佐知子さんなんかもう大変、あの人にちょっとでも話そうものなら、もう翌朝は隣近所に知れ渡って、恥ずかしくて表歩けやしないんです。それにね。
惣一郎:わかった、わかった。謝る、謝る。
千晶 :謝ってもらっても困ります。私そんなに口が軽いと思われたら、こんなおつとめなんかできやしないじゃないですか。ご主人様のことべらべらべらべらあちこちでしゃべる女中さんっていますよね、あれって最低。

と、言いかけてはっとする。

千晶 :ああー、すみません。

と、とたんにぺこぺこ。

惣一郎:ど、どうしたの。
千晶 :失礼なこといたしました。ご主人様に対してご無礼に言葉を浴びせるなんて申し訳ございません!すみません。すみません。
惣一郎:やれやれ、忙しい人だね。

間。
二人とも吹き出す。

惣一郎:ほんとに元気な人だ。
千晶 :それほどでもないです。
惣一郎:いやいや、なかなか。こんな日に君が来るなんて、家が明るくなるよ。
千晶 :そういえば、いよいよですね。にっくき米国に鉄槌を下す日が来たって、みんな勇んでますよ。
惣一郎:千晶。

厳しい声と表情。

千晶 :はい。
惣一郎:うちの中では戦争のことにはふれないように。
千晶 :はい・・?。
惣一郎:私は戦争は嫌いだ。
千晶 :惣一郎様・・さん。
惣一郎:やむを得ない道だと人は言うが、私はそうは思わない。
千晶 :しっ。
惣一郎:どうした。
千晶 :滅多なことをもうしてはなりません。非国民と思われてしまいますよ。
惣一郎:そうかもしれない。

静かな言葉にうたれる千晶。

千晶 :ぼっちゃま。
惣一郎:惣一郎さん。
千晶 :惣一郎さん。でも、ほんとに危険ですよ、そんなことおっしゃっては。
惣一郎:ありがとう。千晶。君の忠告は覚えておくよ。でも、いいね。このうちでは戦争のことにふれてはいけない。千晶にも似合わないよ。君には、花や猫が似合ってる。
千晶 :そんな・・・。もったいない。
惣一郎:だれだって、もったいなくはない。みんなが花や猫のことだけをはなす世の中になればいいんだが・・。よそう、こんな話。それより、八千代見なかったか。
千晶 :八千代様?
惣一郎:従姉妹だけど、てんぽうな子でね。確か、夕方くるっていってたんだが。
八千代:てんぽうで悪うございました。

八千代が目をきらきらして入ってくる。

惣一郎:おお、きたか。
八千代 :来たかじゃございませんわ。お兄さま。
惣一郎:そのいいかたやめろといってるだろ。
八千代 :あら、いいじゃありませんか。昔から、お兄さまだもの。
惣一郎:お兄さんはいるじゃないか。
八千代 :あんなもの、兄でも何でもありません。ただの女たらしの極道大学生。
惣一郎:てきびしいな、純一君が泣くよ。
八千代 :泣けばいいわ。徴兵のがれに大学行くなんて、神国日本男児の風上にも置けません。
惣一郎:やれやれ。
八千代 :もちろん、お兄さまは違いますわ。
惣一郎:僕もそうかもしれないよ。
八千代 :とんでもない。お兄さまは違います。きっと、米国をやっつけてくれます。
惣一郎:腰抜けだからわからないよ。
八千代 :お兄さま!
惣一郎:なんだい。
八千代 :ご自分をだましてはいけません。私、分かってます。お兄さまはとても勇気がおありになる。ぼーっとしてるようでも、心には日本男児の熱い血潮が流れていらっしゃる。きっと我が国を守ってくださる。
惣一郎:はいはい。ご期待に応えるよう、鋭意努力いたします。
八千代 :まあ。馬鹿になさるの。
惣一郎:そういう訳じゃないんだけどね。何か、今日はいやにあついじゃないか。
八千代 :だって、いよいよ日米決戦じゃありませんか。女だからといってあついものは持ってます。
惣一郎:こわいなあ。
八千代 :お兄さまは、いつもそうやって冗談にしておしまいになる。
惣一郎:冗談にしたいんだがね。
八千代 :お兄さま!

頸をすくめる惣一郎。

千晶 :あのう。惣一郎さん。
惣一郎:何。
千晶 :私、方付けものがありますから。
惣一郎:ああ、そう。ごくろうさん。もういいよ。
千晶 :はい。

行こうとする。

八千代 :ちょっと。
千晶 :はい。
八千代 :あなただれ。惣一郎さんって、なれなれしい。
惣一郎:ああ、こんど来てくれたお手伝いさん。今城千晶さん。
千晶 :千晶です。よろしくお願いします。

ふんと顎でうなづいて。

八千代 :お手伝い?娘じゃありませんか。桜庭の叔母に頼んでたのは。
惣一郎:うん、どうやら年のこというの忘れてたみたいだね。
八千代 :いやですわ。お兄さましかいないうちに小娘がお手伝いなんて。
惣一郎:八千代。
八千代 :だってそうじゃありませんか。若い男と女が一つ屋根の下で暮らすなんて。
惣一郎:考えすぎだよ、彼女はお手伝い。
八千代 :世間はそうは見てくれないものですわ。何か不潔だわ。
千晶 :私は決してそんな・・。
八千代 :あら、はや惣一郎さんなんて呼んでるくせに。
惣一郎:八千代。
八千代 :何ですの。
惣一郎:彼女に謝りなさい。
八千代 :どうして、何で私が謝らなければならないんです。
惣一郎:お前の言ったことは千晶を侮辱したことになるんだよ。
八千代 :千晶・・。ほう。お兄さまも・・。
惣一郎:八千代。

間。

八千代 :分かりました。ごめんなさいね、今城千晶さん。
千晶 :あのう、わたしは・・。
八千代 :これでよろしいのでしょう。
惣一郎:ああ。
八千代 :お兄さま、私、おにいさまを軽蔑します。

くるりっと去る。

千晶 :あのう。
惣一郎:ほっときなさい。いつものことだ。
千晶 :でも。
惣一郎:しょうがないやつでね。根はいいやつなんだが、嫉妬深いのが玉に瑕だ。
千晶 :私のために。
惣一郎:すまなかったね。傷つけてしまった。
千晶 :いいんです。私なんか。・・でも。
惣一郎:どうした。
千晶 :うれしかったです。惣一郎さんがかばってくれたこと。
惣一郎:あれは・・。
千晶 :ありがとうございました。

ぴょこんと礼をして去る。

惣一郎:あ、おい、千晶。・・まいったなあ。

照明が惣一郎と千尋に落ちる。
千尋が笑っている。

惣一郎:何がおかしいんだ。
千尋 :だって。まるっきりドラマだもの。
惣一郎:仕方ないだろう。
千尋 :おかあさんてそんなにおしゃべりだった。
惣一郎:やかましかったと言った方がいいかな。
千尋 :今はあまりしゃべらない。
惣一郎:・・そうか。
千尋 :女の戦い?
惣一郎:何がなんだか分からなかったな。
千尋 :のんきね。戦争だというのに。
惣一郎:いつも戦争しているわけじゃない。普通の生活はどこにでもある。どんなことになっても、人間は食べたり、眠ったり、笑ったり、怒ったり、悲しんだり、愛したりしなきゃ生きていけない。
千尋 :それは・・そうね。ねえ。
惣一郎:何だ。
千尋 :お父さん、いつお母さん好きになったの。
惣一郎:それは・・・。
千尋 :あったときでしょ。
惣一郎:まあ・・そうだな。
千尋 :やっぱり。
惣一郎:おかしいか。
千尋 :ううん。うらやましい。
惣一郎:どうして。
千尋 :私、違うもの。
惣一郎:田崎誠君とか。
千尋 :最初は全然何とも思わなかった。でも、きがついたら、何となく・・。
惣一郎:その方がいいのかもしれない。燃え上がる炎は消えやすいからね。
千尋 :お母さんとも?
惣一郎:意地悪だな。
千尋 :なんか、もっと違うように思ってた。もっとなんかこう。
惣一郎:激しくか・・。
千尋 :そういうものでもないけど・・。いろいろ、噂あったし。
惣一郎:さっきの女性とか。
千尋 :ほかにも・・。
惣一郎:それでも気に入ったんだろう。
千尋 :一緒にいると心が落ち着くの。
惣一郎:ならいいいじゃないか。噂は噂だよ。人がいいんだろう田崎君は。
千尋 :それはまあ。
惣一郎:誤解されるんだろうなあ。たぶん。
千尋 :でも。
惣一郎:無い物ねだりだよ。人を好きになると言うのはね、千尋が考えているよりもっとずっと穏やかなものだ。長い長い時間をその人と一緒に過ごすわけだろう。あまりに激しい気持ちじゃとても持ちこたえることは出来はしない。か細くても小さい炎がしっかりもえ続くたき火のように、思いを持ち続ける。そんなものじゃないだろうか。
千尋 :お父さんたちは違うでしょ。
惣一郎:私たちには時間がなかった。
千尋 :だから。
惣一郎:そう。・・時間がなかったんだよ。
千尋 :私には時間があると。
惣一郎:そう、願いたいね。・・私たちにも、もう少し時間があれば・・・。
千尋 :でも、私が生まれたんだよ。
惣一郎:そうだ。それだけの時間しか残っていなかった・・。
千尋 :ごめんなさい。

惣一郎、笑う。

惣一郎:何も、千尋が謝ることはないよ。
千尋 :・・そうね。
惣一郎:時間はもっと残されていると思っていたんだけれど・・。
千尋 :お父さん。
惣一郎:何。
千尋 :何思ったの。お母さんを残さなければいけなかったとき。
惣一郎:出征するときか・・そうだね。あのときは・・。

再び、雨の神宮外苑の映像と音。
小さくなる。

惣一郎:悔しかったな。
千尋 :悔しかった。
惣一郎:ただただ悔しかった。お母さん一人守れない自分の無力さがただただ悔しかった。
千尋 :でも、仕方なかったんでしょ。
惣一郎:狂っていく世の中で何もできず、ただその流れに沿って歩いて行くしかなかった。千尋、気がついたときには遅いんだよ。
千尋 :何が。
惣一郎:世の中の流れは目に見えないところで大きな流れを、少しずつ、少しずつ作っていく。気がついたときには、だれにもとめることはできない。ただ、流されていくことしかできない。もう少し、小さい流れの時に止めなければね。あのときはもう遅かった・・。
千尋 :小さい流れの時に。
惣一郎:好きな人のことも同じだと思う。小さな不信や不安がやがて大きな流れとなり、引き返すことのできないところまで押し流していく。
千尋 :誠さんを信じろと言うの。
惣一郎:そうではない。愛せばいいんだ。
千尋 :でも。
惣一郎:静かに、強く、長く。
千尋 :私にできると思う?
惣一郎:そうしているんじゃないのかな。

間。

千尋 :・・たぶん。
惣一郎:それが本当に人を好きになると言うことだと思う。
千尋 :お母さんをそのように愛したの。
惣一郎:そうしようとした。断ち切られるまでは。

再び、雨の神宮外苑の音。

惣一郎:それは突然やってきた。

音が大きくなる。
照明が変わる。
惣一郎が再び本を読んでいる。
千晶がお茶を持ってくる。

千晶 :ここへおいておきますね。
惣一郎:ありがとう。

振り返らずそのまま本を読んでいる。
お盆を持ったまま見つめている千晶。
間。

千晶 :あのう、惣一郎さん。
惣一郎:何。
千晶 :本当にいいんですか。
惣一郎:何が。
千晶 :私なんかで。
惣一郎:え?

と、振り返る。
思い詰めた様子の千晶。

惣一郎:何か言った。
千晶 :私なんかでよろしいのですかと申しました。

間。

惣一郎:千晶。
千晶 :はい。
惣一郎:何も考えることなんか無い。どうした、そんなに泣きそうな顔をして。
千晶 :八千代お嬢様が・・。
惣一郎:あれは私にあこがれてるに過ぎない。お兄さまだよ。永遠にね。

間。
こくんと礼をして去ろうとする。

惣一郎:千晶。
千晶 :はい。
惣一郎:もっと後で言おうと思ってたけど。
千晶 :何でしょうか。
惣一郎:桜庭のおばさまに頼んで縫ってもらっているから。
千晶 :何をです。
惣一郎:君のドレス。式に着てもらいたくて。
千晶 :まさか。
惣一郎:そうだよ。ウェディングドレス。この非常時に非常識と言われたけどこっそり縫ってもらってる。表だって着られないかもしれないけどね。

間。

惣一郎:どうした。
千晶 :もったいのうございます。
惣一郎:何言ってる。私の気持ちだよ。何も思いつかなくてね。
千晶 :ありがとうございます。
惣一郎:式は二人だけでやることにしたからね。呼ぶ親戚もほとんどいないし。
千晶 :はい。
惣一郎:来年まで持てばいいけどね。
千晶 :は?
惣一郎:戦局。日本が持つかどうか分からない。
千晶 :そんなに悪いんですか。
惣一郎:ああ、大本営発表は景気がいいこと言ってるが信用できない。うちの近所でも結構戦死した人が増えてきただろう。
千晶 :惣一郎さん。
惣一郎:何。
千晶 :行きませんよね。
惣一郎:どこへ。・・ああ、大丈夫だよ卒業するまでは。徴兵は猶予されてるから。それまではね・・。
千晶 :それまでなんですね。
惣一郎:仕方ない、それは。大丈夫、それまでに式を挙げよう。来年の春。
千晶 :・・はい。

お兄さまという声が聞こえる。

千晶 :ではわたしは。
惣一郎:ああ。

と、お盆を持って去ろうとする。
再び本を広げる惣一郎。
八千代が入ってくる。
すれ違うときに千晶は黙礼するが、八千代はふんといった態度で黙殺する。

八千代 :のんきに本など読んでいる場合じゃございませんわ。
惣一郎:どうしたの、あわてて。
八千代 :聞ききました。
惣一郎:何を。
八千代 :うちの叔父から。
惣一郎:ああ、陸軍省におられる。
八千代 :学生も徴兵されるそうですよ。

間。
静かに本を置く惣一郎。

惣一郎:そう。・・そこまで悪いのか。
八千代 :文系の学生は危ないんですって。ねえ、お兄さまは帝国大学だから大丈夫なんでしょう。
惣一郎:そういうわけには行かないだろうね。
八千代 :そんな他人事みたいなことおっしゃって。
惣一郎:八千代は私に鬼畜米英をやっつけてもらいたいんじゃなかったのか。
八千代 :ばからしい。
惣一郎:ほう。
八千代 :そんなことは誰か他の人がやればいいんです。お兄さまが戦地へ赴くことはありません。
惣一郎:男子たる国民の義務なんじゃないのか。
八千代 :ばかばかしい。
惣一郎:それじゃ非国民だよ。
八千代 :非国民とでも何でも勝手に言わせとけばいいいんです。
惣一郎:変わったね。
八千代 :八千代はかわっておりません。お兄さまがいくことはないと申し上げているだけです。
惣一郎:それは私が決めることじゃないだろう。
八千代 :行きたいのですか。・・おとこはみんな馬鹿ですわ。うちの兄なんか、どこでどう間違ったか、のぼせ上がって、志願してでも行くって。戦争ごっこじゃないのをまだ分かっていないみたい。
惣一郎:そう、今は紛れもない戦争中だ。だれも、行きたくて行く訳じゃない。けれど、行かなければならないだろうね。
八千代 :お兄さま。
千晶 :それは本当でございますか。

血相を変えている千晶。

八千代 :ああ、あなた。そうよ、本当よ。
千晶 :そんな。
八千代 :あなたに関係ないでしょう。これからお兄さまと大事な話があるから。
千晶 :いいえ。関係があります。
八千代 :ご主人様のことはあたしが面倒見るからあなたはひっこんでらっしゃい。
千晶 :いいえ。

一歩も引かない。

八千代 :あなたは。
惣一郎:大丈夫だよ、私は死なない。
千晶 :惣一郎さん。

二人を見て直感する八千代。

八千代 :お兄さま、まさか。

惣一郎、頷く。

八千代 :なるほどそういうことだったんですのね。
惣一郎:今まで黙ってて悪かったね。改めて紹介しよう。私の婚約者今城千晶さんだ。
八千代 :馬鹿みたい・・・。
惣一郎:八千代。
八千代 :お兄さま一時の気の迷いとは存じますがお二人でお幸せに。・・でも、許されるかしら。

冷たい笑いを浮かべて。

八千代 :11月に神宮外苑で壮行式をやるそうよ。学徒動員の。
千晶 :11月・・そんなに早く。

惣一郎に。

八千代 :御武運長久にあられることをお祈りいたしますわ。

会釈して、千晶に冷たく。

八千代 :あなたもお見送りに行らっしゃったら。

ちらと惣一郎を切なげに見て去る。
呆然とする千晶。

千晶 :11月に。
惣一郎:案外早く来たね。
千晶 :早すぎます。
惣一郎:大丈夫、必ず帰ってくる。
千晶 :本当ですね。
惣一郎:ああ、本当に。
千晶 :きっとですよ。
惣一郎:約束する。
千晶 :お待ちしてますからいつまでも。
惣一郎:帰ってくる。きっと。
千晶 :きっとですね。きっとですよ。

頷く、惣一郎。
雨の神宮外苑の音が大きくなる。
明かりが、千尋と父にあたる。
音が小さくなる。

Ⅷ 母と娘

千尋 :そうして帰ってきた。
惣一郎:そういうわけだね。
千尋 :お父さんは帰ってきたのにね。・・でも私は・・。
惣一郎:どうした。
千尋 :私、家を出てるの。
惣一郎:もう、彼と暮らしているのか。
千尋 :いいえ、一人。しばらく前から。
惣一郎:そうか。

間。

千尋 :なぜって聞かないの。
惣一郎:千尋が決めたことだろう。
千尋 :うん。
惣一郎:なら、それだけの理由があることだろう。お前ももう大人だ。
千尋 :それは・・そうだけれど。

惣一郎、少し笑う。

惣一郎:仕方ないな。・・なぜお母さんをおいて出たんだね。

小さな間。

千尋 :お父さんのせいかもしれない。
惣一郎:私の?

静かに頷く千尋。
少し笑って。

惣一郎:それは聞き捨てならないね。どういうことかな。
千尋 :うまくいえないけど・・。
惣一郎:いってごらん。怒らないから。
千尋 :何となく変だなとは思っていたの。だんだん気詰まりになってきたの・・最初は小学校の参観日、あれは・・。

千晶が浮かぶ。

千晶 :千尋、いるの。
千尋 :はい。何、お母さん。
千晶 :お母さん、今日うれしかった。
千尋 :何が。
千晶 :あなたの絵よ。
千尋 :ああ、お父さんの絵。あれは。
千晶 :上手にかけたてわ。今度、展覧会へ応募するんだってね。先生おっしゃってたわ。
千尋 :え、先生そんなこと言ってなかったよ。
千晶 :どうしようかって迷ってたんだって。お父さんいないことご存じだし。お母さんに相談してからにしようと思ってらっしゃったみたい。どうでしょう買って言うから、お母さん、是非お願いしますって。あなた、なかなか絵の方面の才能あるかもしれないって。お母さん得意になっちゃった。それでね、先生に。
千尋 :いや。
千晶 :え?
千尋 :先生に断って。私、いや。
千晶 :いやって。千尋、名誉なことなんだよ。
千尋 :お父さんだれにも見せたくない。いや。
千晶 :そんなこと言ったって。なら、なぜかいたの。
千尋 :描かなきゃいけなかったんだもの。授業だから仕方ないじゃない。でも、外へ出すのはいや。
千晶 :千尋。お父さんがいないのが恥ずかしいの。
千尋 :そんなことないよ。でも。
千晶 :お父さんは立派な人だったのよ。あなただって知ってるでしょ。
千尋 :知ってるよ。
千晶 :なら、なぜ人前に出せないような絵を描くの。
千尋 :そんなんじゃない。
千晶 :お父さんが恥ずかしいと言ってるのと同じことよ。あなたをそんな風に育てたつもりはないけれど。
千尋 :だから、そんなんじゃない。
千晶 :なら、なぜ。
千尋 :・・・。
千晶 :千尋、胸を張りなさい。誰かに、何か言われたのね。堂々としてていいのよ。お父さんがいないおうちなんてどこにもあります。引け目に思うことなんか無い。あなたのお父さんの惣一郎さんは本当に立派な人だった。お母さんはお父さんを誇りに思ってる。あなたにもそうしてもらいたいの。
千尋 :・・・。
千晶 :千尋、絵は展覧会に応募してもらいます。いいわね。
千尋 :・・はい。
千晶 :入選するといいけれど。いいえ、きっと入選するわね。
千尋 :絵は、地区の展覧会で三席に入ったの。

母は消える。

惣一郎:ほう。上手だったんだね。
千尋 :それはどうか分からないけど。すごくいやだった。お母さんは喜んで、きれいに着飾って見に行ったわ。さすがに、私と一緒に行こうとは言わなかったけど、帰ってきてもすごく機嫌がよかった。
惣一郎:なぜ、応募するのがいやだったんだね。
千尋 :・・自分でも分からなかったけどすごくいやだった。お母さんが喜んで出してみようなんて言うのがもっといやだった。ごめんね。
惣一郎:あやまることはないよ。
千尋 :自分だけのものにしたかったのかなあ。お母さんがなぜ自慢したがるかも分からなかった。だって、お父さんもういないじゃない。何かにつけて、昔はね、お父さんはねって言ってたからかな。そのくせ、お父さんのこと詳しくははなしてくれなかった。
惣一郎:それから。
千尋 :はっきりしたのは高校三年の時。家計が苦しいの分かってたから就職しようと思ったの。そのほうがお母さん少しでも助かると思った。それが。

母が浮かぶ。

千晶 :だめよ。
千尋 :どうして。
千晶 :進学しなさい。それぐらいのお金、お母さんが何とかする。
千尋 :無理よ。
千晶 :お母さんを侮っちゃいけないわ。何とかなるものよ。奨学金もあるし。
千尋 :もう決めたの。小さい会社だけど、お給料がいいの。来週試験を受けるわ。
千晶 :だめ。
千尋 :なぜ?私の進路じゃない。
千晶 :お父さんが喜ぶと思う。
千尋 :え?
千晶 :お父さんは帝国大学の学生だった。本を読むのが好きでいつも本を読んでた。法律家になるのが夢だったわ。みんなが平和に暮らせるように、平和に暮らせるように法律を勉強するんだっておっしゃってた。
千尋 :でもお父さんはお父さんでしょ。
千晶 :お父さん夢は戦争のために断たれた。あんなに勉強してたがったのに、それができなかった。だから、千尋、あなたにはなんとしてでも大学へ行ってもらいたいの。お父さんがしたくてもできなかった夢を叶えてもらいたい。もちろん、法律をやれとは言わないわ。人には向き不向きって言うものがあります。あなたは自分の好きな学部へ行っていいの。でも、大学だけは行って。
千尋 :私の人生よ。
千晶 :そんなことは分かってる。でも、お父さんは。
千尋 :私はお父さんのために生きるわけ。
千晶 :そんなこと言ってるんじゃないの。
千尋 :そうじゃない。私、大学に行きたくない。それより早く一人前になってきちんとしたいの。第一、私勉強嫌いだし。
千晶 :千尋。
千尋 :何。
千晶 :お父さん悲しむわ。
千尋 :もう死んだ人じゃない。
千晶 :千尋!

間。

千尋 :ごめんなさい。

小さい間。

千晶 :お父さんは生きてるの。私たちと一緒に。
千尋 :でも、自分の生きたいように生きていいんでしょう。
千晶 :あたりまえよ、それは。あなたの人生だもの。でも、大学へ行ったからって自分の人生を生きられないってことはないわ。お願い。
千尋 :私は就職したいの。
千晶 :お願い大学へ行って。
千尋 :お母さん、ごめんなさい。私就職するの。
千晶 :こんなに言っても分からない?
千尋 :・・・。

間。
ぽつんと。

千晶 :何のために育てたんだろう。
千尋 :そんな・・。
千晶 :あなたがすくすく元気で明るい子で育ってくれてお母さん本当にうれしかった。惣一郎さんに胸を張って言うことができた。お墓参りの時、いつもお母さん、惣一郎さんにあなたのことを報告してた。あなたの千尋が、こんなに立派になりましたよって。今度は、大学です。一生懸命育てたかいがありますわ。あの子が一人前になるまで、なんとしてでもがんばりますからねって。この間のお彼岸にそういって報告したばかりなのに。
千尋 :もう、やめて。
千晶 :何を。
千尋 :そうやって、いつもいつも千尋、千尋って言うの。
千晶 :言ってはいけないの。千尋がいつも第一だよ。あなたがいなければ、私はどうしていいか分からなかった。惣一郎さんの忘れ形見がおなかの中にいるって分かったとき、惣一郎さんがもし帰ってこなかっても、生きていける気がしたの。だから、あなただけはと思って。
千尋 :私はお父さんの身代わり?
千晶 :何を言うの、あなたは。
千尋 :だって、そうじゃない。千尋、千尋って言うけど、本当は、惣一郎、惣一郎って言ってるのと同じじゃない。私は今城千尋、それとも鎌田惣一郎?
千晶 :何てことを。
千尋 :お母さんは私を通してお父さんを見ているだけじゃない!

間。

千尋 :もういいでしょう。見ていられない。私を育ててくれたことは感謝してる。ありがたいって思ってる。でも、見ていられないの。お母さん、お父さんの思い出ばかりに縛られてる。お母さん、自分が楽しいって思うことある。我が子第一はありがたいわ。でも、いつまでも続くと見てられなくなる。物心ついてからずっとそうだった。不思議だった。だって、ほかの家のお母さんは、どこどこへ旅行いってきたとか、新しい服買ったとか、映画見に行ったとかいってるのに。お母さん、何にもしない。働いてるだけ。私には、新しい服だって、遊びにだって、いつでもいかしてくれるのに。お母さんお父さん死んでから何か自分のためにしたことある?
千晶 :とてもそんな余裕無かったからね。
千尋 :嘘。私がピアノ習いたいって言ったらとめたらいいじゃない。贅沢だって。友達と旅行行きたいっていったら、自分のお金で行きなさいって言ったらいいじゃない。みんなそういわれてる。テレビ欲しいって言ったら、もうちょっと待ってと言ったらいいじゃない。どうして言わなかったの。
千晶 :・・・。
千尋 :私、そんなのいや。生きてるんだよお母さん。新しい服着て、おいしいもの食べて、自分の趣味もって、自分のやりたいことできるはずだよ。我慢すること無いじゃない、私のために。くたびれて、疲れて、でも、私のためにがんばって、体壊して、それでもがんばって。
千晶 :母ってそんなものよ。
千尋 :違う。私、お母さんにそんな人生送ってもらいたくない。自分のためにお母さんが犠牲になるのいや。だから、私就職するの。お母さん楽にさせたい。私だけお母さんを犠牲にして、自分の思うことやるのいや。そんなの、私いや。・・このままじゃ、お父さんまで憎らしくなってくる。
千晶 :お母さんはそれで十分幸せなの。
千尋 :ちがう。お母さんは不幸だよ。
千晶 :どうして。
千尋 :そんなの、本当のお母さんの人生?死んだお父さんと娘のためだけの人生?ほんとにそれでいいの。

間。

千晶 :千尋、あなたにはまだ分からないようね。・・お母さんは本当に幸せなの。これがお母さんの人生よ。

間。

千尋 :・・私、就職するからね。
千晶 :・・いいわ、そんなに言うなら。

千晶消える。

千尋 :何となく、それからお母さんと隙間が空いて・・。
惣一郎:私がわるいのかな。
千尋 :そんなこと無いけど。
惣一郎:お母さんは昔からそうだった。
千尋 :どこが。
惣一郎:情が濃いって言うことかなあ、いつも自分は二の次でね。相手に尽くすって言うのか。そんな人間もいるんだよ。
千尋 :それは分かるけど。でも、お母さん本当に私を見てくれたのか・・。
惣一郎:見ていたさ。
千尋 :それがわからないの。
惣一郎:愛を受け入れすぎるってことはある。
千尋 :え?
惣一郎:お母さん好きだろ。
千尋 :ええ。
惣一郎:お母さんは千尋をこれ以上ないくらいに愛してる。お前もそれに精一杯答えようとした。答えようとして答えきれなかった。たぶんお前もお母さんに似て情が深い。愛を受け入れすぎて重荷になったんだろう。
千尋 :重荷?そんなことはないと思うけど。
惣一郎:気づかないだけだ。
千尋 :私が家を出たのもそうかな。
惣一郎:そういってたね。どうして出たのかな。
千尋 :結婚するって言い出したとき。
惣一郎:誠君とか。
千尋 :会社の同僚で先輩。気さくな人でいろいろ仕事教えてもらったの。そのうち、何となく一緒にいることが多くなって。どうしようかなあと思ってたら彼がプロポーズしてきて。まあ、いいかなと。押しつけがましくないし、気が楽なのね。彼といると。
惣一郎:お母さんが反対したんだね。
千尋 :どうして反対するのか分からなかった・・。一度会ってくれって言ったけど

千晶が浮かぶ。

千晶 :おかあさんはちょっとね。
千尋 :どうして。一度あってもらったら分かる。とてもいい人よ。
千晶 :千尋の話でそれはよく分かる。確かにいい人でしょう。でも、お母さんは賛成しかねる。まだあなたは、21よ。やっと大人になったばかり、もう少し世の中見てもいいんじゃない。

千尋笑う。

千晶 :何がおかしいの。
千尋 :だって、お母さんが結婚じゃないけどお父さんと一緒になろうってしたの17でしょ。
千晶 :時代が違うわ。
千尋 :それでも。
千晶 :あなたにはねちゃんとした人と結婚してもらいたいの。
千尋 :あの人もちゃんとしてるわ。
千晶 :あなたは、まだ男を見る目がないと思うの。いい人だけじゃだめなのよ。
千尋 :そんなこと言ったって。
千晶 :まだ早いわ。もっと慎重に考えたら。
千尋 :考えました。
千晶 :そうは見えないけど。
千尋 :お母さん。
千晶 :何。
千尋 :お父さんと比べてるんじゃない。
千晶 :そんなことはありません。
千尋 :私の結婚だよ。お父さんと結婚するんじゃないし、お母さんの結婚でもないんだよ。
千晶 :わかってます。
千尋 :そうかなあ。
千晶 :とにかく、お母さんは賛成しかねるわ。
千尋 :なら一度彼とあって。誤解も解けると思うから。
千晶 :会う必要はないわ。
千尋 :どうして。
千晶 :会ったら、そのままうやむやにしてけっこんするつもりでしょ。
千尋 :そんなことないよ。お母さんが反対してるのに押し切って結婚するのいやだもの。
千晶 :ならいいじゃない。
千尋 :でも、あってくれたっていいじやない。母が会わないって行ってるから結婚できませんっていえる、彼に。
千晶 :そういったら。
千尋 :お母さん!
千晶 :この話はおしまい。晩御飯の支度しなくちゃね。
千尋 :ご飯と私の一生とどちらが大事。
千晶 :何言ってるの、めちゃくちゃなこと。
千尋 :めちゃくちゃなのはお母さんよ。私が真剣に言ってるのになぜお母さん取り合ってくれないの。娘の結婚相手に会うってそんなにいやなの。いやならいやとはっきり言って。娘が離れて行くのそんなにいやなの。
千晶 :千尋、お母さんそんなこと言った覚えないわ。
千尋 :言わなくても分かる。私をとられたくないんでしょ、彼に。私をはなしたくないだけじゃないの。
千晶 :どうしてそんなこと考えるの。
千尋 :考えたくもなるじゃない。就職の時もそうだった。おかあさん、私は惣一郎じゃないの。お父さんじゃないの。ただの今城千尋よ。
千晶 :そうよ、お父さんと私の娘よ。
千尋 :なら、笑って見送ってくれていいじゃない。いい加減にやめて、私を見て。
千晶 :見てるわ。
千尋 :見てない。私通してお父さんを見てるだけ。私お父さんじゃない!あなたの大好きだったお父さんじゃない!

思わずたたく。
間。

千晶 :ごめんなさい。
千尋 :謝るぐらいならたたかないで。

間。

千尋 :・・お母さん、私、家出る。外で生活してみたい。しばらく一人になりたいの。

間。

千尋 :出るからね。
千晶 :千尋がそうしたいなら・・。
千尋 :・・明日、アパート探してくる。荷物、しばらくおいておくけど。
千晶 :いいよ。
千尋 :ごめんなさい。
千晶 :謝るぐらいなら出ていかなければいいの。

二人、かすかに笑う。

千尋 :そうだね・・・。でも。
千晶 :一人で暮らせば分かるわ。
千尋 :何が・・。
千晶 :一人じゃ生きていけないって・・。

千晶、かすかに笑う。

千尋 :・・。
千晶 :せいせいするかな。
千尋 :どうして。
千晶 :あなたの文句聞かないでいいし、朝起こすの面倒だし。
千尋 :悪かったわね。
千晶 :悪くはないのよ。悪くなんかない・・・。

間。

千尋 :支度あるから・・。
千晶 :そうね。じゃ今夜はごちそうかまえよう。腕によりかけて作っちゃう。
千尋 :気張らなくていいよ。
千晶 :ううん。娘の旅立ち。なんかしなくちゃね、さあ、準備、準備。

消える。

千尋 :・・ごめんなさい。でも・・。

惣一郎が浮かぶ。

惣一郎:しょうがないなあ千晶は。
千尋 :でも、うれしいんじゃない。あんなに思われて。
惣一郎:成仏できるというものか。
千尋 :お父さん。
惣一郎:それで今まで別々に暮らしてたのか。
千尋 :そう。結局、式あげるまで三年かかっちやった。
惣一郎:お母さんは許してくれたのか。
千尋 :しぶしぶだとおもうけど。
惣一郎:彼とはあったの。
千尋 :一年ぐらい立ってね。でも、お互い挨拶したら後は何とも。彼が焦っていろいろ話しかけるんだけど相づちぐらいしかうたないの。後で、彼、自分嫌われたのかなあって不安がってた。
惣一郎:反対したのか。
千尋 :いいえ。あとで、ぽつんといいよって。それだけ。
惣一郎:千晶らしいな。
千尋 :でも、どうしたらいいんだろう。このまま結婚しても。
惣一郎:千尋の結婚だろう。時間が解決してくれるよ。
千尋 :でも。

ちょっと、あなたねえという千晶の声。
明かりが完全にもどる。
千晶と静佳が入ってくる。

Ⅸ 混乱

千晶 :どういうつもり。
静佳 :別に。返事聞きに来ただけ。
千晶 :返事って。
静佳 :簡単よ。誠さんを戻します。この結婚式はとりやめますって。
千晶 :なにをいってるの。
静佳 :どいてよ、おばさん。

つかれてちょっとよろける千晶。

千尋 :お母さんに何するの。
静佳 :あら、お母さんだったの。それは失礼しました。
千尋 :まだあなた変なこと言ってるの。
静佳 :変なこと言ってるのはあなたよ。誠さん三ヶ月前に私と婚約したっていったじゃない。
千尋 :聞いたわ。嘘でしょ。
静佳 :これは何。

と、婚約指輪。

千尋 :・・指輪ね。
静佳 :そう、彼に贈ってもらったの。
千尋 :あなたの言葉だけじゃない。
静佳 :なんなら彼に聞いてみたら。
千尋 :・・。
静佳 :どうしたの。言葉がないようね。
千尋 :彼を信じてる。
静佳 :勝手に信じたら。でも、事実は事実。
千晶 :ちょっとあなた。
静佳 :何ですかお母様。
千晶 :勝手なことを言って、お引き取りください。披露宴にも出席していただかなくて結構です。
静佳 :そんなもの、出たくはないわよ。
千晶 :とにかく、お引き取りを。
静佳 :決着ついたら引き上げますわ。・・きれいでしょ。

指輪が光る。

千尋 :決着はついてるわ。
静佳 :そうそう、おとなしくあきらめたら。あなたはまだまだ若いんだし、これからよね。
千尋 :いいえ、あなたがこれからよ。
静佳 :何ですって。
千尋 :婚姻届、昨日役所に出してきたの。もう、籍を入れたのよ。

間。

静佳 :それで。
千尋 :何があったか知らないけど、誠さんは私を選んだの。だから、引き取ってください。
静佳 :ますます引き取れないわね。
千尋 :そんな。あなた、おかしいわ。
静佳 :おかしい。おかしいね。そりゃおかしくもなるわよ。たった三ヶ月前に婚約して、指輪までもらって。それでおしまい?なによそれ。分かる?いろいろ結婚の準備しなきゃっていそいそしてたら、突然招待状?ああ、あんたも結婚するんだ、こりゃおめでた重なるわねってみたら相手が田崎誠?世界ひっくり返ったわよ。何で、どうして。いつの間に。泥棒にあったと同じじゃない。
千尋 :聞いてないんですか。
静佳 :何を。
千尋 :誠さんと婚約したの2年前なんですよ。

沈黙。

静佳 :聞いてないね。
千尋 :ほんとにつき会ってたんですか。彼と。
静佳 :・・ええ、つきあったわよ。ホテルだっていった。君しかいないって言ってくれた。
千尋 :そんなこと言うはず無い。
静佳 :言ったわよ。ああ、そう、あなた彼とはまだなんでしょう。
千尋 :・・・。
静佳 :ほら。
惣一郎:いい加減にしませんか。
静佳 :できないね。あんたも親戚ならがつんといってやりなさいよ。人の恋人とったのよ。
惣一郎:そうはおもえませんな。
静佳 :だれよ、あんた。何でそんなこと言うの。親戚なら。
惣一郎:父です。
静佳 :父?何冗談いってるの、この子の父親は、・・あっ。

思い出したようだ。

静佳 :さっきお父さんと呼んだわね。
千尋 :そうよ。
静佳 :生きてたの。へー、嘘みたい、いままでずっと・・・おかしいわ。
千尋 :何が。
静佳 :若すぎる。だって、この人。・・分かった。よってたかって、何が何でも結婚式するつもりなのね。そこらへんの誰か使って、お父さん?馬鹿にしないで。戦争で死んだ人が今頃出てくるわけ無いじゃない。おかしいわね茶番よ。だすなら、もっと老けてる人使ったらいいわ。馬鹿にして。
惣一郎:だれもあなたを馬鹿にしてはいない。気の毒だと思っているだけです。
静佳 :はいはい。茶番はもういい。それより、返事をちょうだい。あきらめるって。婚姻届なんかとりけしゃすむでしょ。なんなら誠さんに談判するわ。
惣一郎:あなたは明らかに理性を失っている。
静佳 :理性なんかにしがみついてると人生なんかなくなっちゃうの。気持ちよ、大事なのは。そうでしょ、お父様。
惣一郎:確かに気持ちは大事だ。信頼することがね。あなたはどうやら彼を信じていないようだ。
静佳 :信じる、彼を?

笑う。

静佳 :信じてるわよ、これっぐらい。
千尋 :本当に。
静佳 :そうよ。
千尋 :なら、なぜ彼に聞かないの。
静佳 :きくわよ、とっちめてやるわ。
千尋 :そうでなくて、なぜきかないの。私を本当に好きかって・・。
静佳 :・・聞くわよ。
千尋 :なら聞いた方がいいわ。これは、私の問題じゃなくてあなたと誠さんの問題でしょ。
静佳 :居直るの。
千尋 :信じてるだけよ。
静佳 :どうして。私とホテル行ったのよ。

千尋、ほほえむ。

千尋 :だって、好きですもの。

静佳、にらみつける。
信子が入ってくる。

信子 :もう少しお待ちになってくださいね。ちょっとごたごたして。

場の雰囲気がおかしいことに気づく。

信子 :どうしたんですか。
千晶 :何でもありません。
信子 :そうですか。あ、こちらご親族の方ですか。今日はだれもご出席しないと伺っていたのですが。
惣一郎:私は。
千尋 :急に出席できることになって、すみません。
千晶 :お席かまえられますか。
信子 :それは別にかまわないと思いますけど。後ほど、向こうのご親族とご対面がありますから。お名前は。
惣一郎:鎌田惣一郎です。
信子 :分かりました。鎌田様ですね。
静佳 :お父さんだって。
信子 :は?
千晶 :何でもありませんよ。
静佳 :わらっちゃうよね、彼女のお父さんだって。
信子 :は?

と、見るが。

信子 :失礼ですが、そちら様は。
静佳 :招待されたお客よ。花婿のほんとの結婚相手。
信子 :は?

わからないが、よっているのに気づき、ぴーんとくる。

信子 :申し訳ございません、ここはご親族の方の控え室ですのでよっていらっしゃる方は。
静佳 :何よ、あんたまでこいつに味方する気。
信子 :結婚式を無事挙げることが仕事ですもので、失礼します。

と、がっしとおさえ。

信子 :あちらにご休憩するところがございますので、ご案内いたします。
静佳 :何するのよ。
信子 :ほかのお客様のご迷惑になりますので、失礼します。

そのままずるずると引きずっていく。
静佳は騒ぐが。

信子 :失礼いたしました。ではまた後ほど。

有無を言わさず連れ去る。
間。

惣一郎:やれやれ人騒がせな娘さんだ。
千尋 :ほんとうだろうか。
千晶 :嘘に決まってるよ。
千尋 :分からないわ。

落ち込む千尋。

惣一郎:信じているんじゃないのかい。
千尋 :信じてる。信じてるけど。
惣一郎:こう言うときこそ静かに、強く。
千尋 :できそうもないわ、お父さん。あの人にはああいったけど。・・ごめんなさい、混乱してる、私。
惣一郎:千尋・・。
千尋 :一人にして・・。
千晶 :惣一郎さん・・。

溜息つく惣一郎。

惣一郎:分かった。

千尋はじっと考えている。
惣一郎が千晶を促す。

惣一郎:・・千晶、ちょっと。
千晶 :え。
惣一郎:相談したいことがあるんだ。
千晶 :何ですの。
惣一郎:ちょっと。

と、わきへ引っ張っていく。

惣一郎:だから・・。

と、話をしている。
えっと千晶。

千晶 :そんな・・。
惣一郎:いいだろ。

千晶、うれしそう。

千晶 :・・ええ。でも、これじゃ。

と、自分の服を。

惣一郎:いいよ。それで、私には十分だ。
千晶 :惣一郎さんがよければ
惣一郎:じゃ、決まったね。

二人で千尋のそばによる。

惣一郎:千尋。
千尋 :何。
惣一郎:相談があるんだが。
千尋 :いいよ。
惣一郎:結婚式を挙げようと思う。
千尋 :式なんだけど・・。

悲しげに笑う。

惣一郎:違う。私たちの式だ。
千尋 :え?
惣一郎:私たちは式を挙げることもできなかった。
千晶 :正式に届けることもできなかったの。
千尋 :まさか。
惣一郎:そうだよ。お父さんたちの結婚式だ。いいかい。
千尋 :もちろん。素敵。
千晶 :大したことでなくていいの。あなたがいれば、ここで。
千尋 :ここ?控え室よ。
惣一郎:それでいいんだよ。

間。

千尋 :分かった。・・お父さん・・お母さん・・。おめでとうございます。
千晶 :ありがとう。
千尋 :でも、どうしよう。どうやって。
惣一郎:あの人が手伝ってくれそうだね。

信子がばたばたと入ってくる。

信子 :どうもすみません。こちらの不手際で不愉快な目に遭わせちゃって・・。どうしたんです。
惣一郎:いやあ、よかった。
信子 :はあ。
千晶 :お頼みします。
信子 :はあ。
惣一郎:あなたなら大丈夫だ。
信子 :はい・・。何なの?
千尋 :結婚式よ。
信子 :それは分かってるけど。
千尋 :父と母の結婚式をしたいの。協力してくれます。
信子 :はあ?
惣一郎:立会人になってくれればそれでいいんですよ。
千晶 :別にどうということはないでしょ、なれてるし。
信子 :え、なにがどうなってんだか。
千尋 :お願い、何も言わずに。お願いします。

間。

信子 :いいわ、分かった。何がなんだか分からないけど、あなたに言われちゃ断れないわ。分かった。どうすればいいの。
惣一郎:教会のやり方知ってますか。
信子 :あ、まあ。最近よくやるから簡単だし。
惣一郎:それで行きましょう。
信子 :はあ。でも、私、神父さんじゃありませんけど。
惣一郎:いいんです。
千晶 :いいんですよ。
千尋 :お願い。
信子 :はいはい。まあ、見よう見まねでよかったら。
千尋 :お願いします。
信子 :びっくりしたなあ。いいけど。ご両親。
千尋 :はい。
信子 :でも、お父様は・・。
千尋 :何も聞かないで。
信子 :・・いいわ。分かった。任して。
千尋 :ありがとうございます。
信子 :いいのよ。他人事とは思えないから。
千尋 :・・はい。
信子 :じゃ、すみませんけど、ここでやります。あまり詳しく知らないから略式になるかもしれないけどごめんなさいね。いいですか。

みな頷く。
明かりが変わる。

ⅩⅠ 母の結婚式

幻の結婚式。
幻の賛美歌が聞こえる。
惣一郎に付き添い千尋が歩む。
千晶と惣一郎が並ぶ。

信子 :では、ただいまより鎌田惣一郎、今城千晶の聖婚式を執り行います。・・教名は省略します。

二人頷く。

信子 :愛する兄弟よ、私たちは今、神と会衆の前で鎌田惣一郎と今城千晶の結婚の証をして、神の祝福を祈ろうとしています。結婚は神が創造の初めから定められたことで・・・。

千尋に明かりがあたる。

千尋 :待ってたんだよね。お父さん。お母さん。こんなにも長く。静かに、強く、長く。私にもできるだろうか。誠さんを信じたい。けれど、あの人の言葉も嘘とは思えないの。
信子 :二人は今、この神聖な約束を行うためにここに立っています。この結婚について支障があることを知っている人は、今申し出て下さい。後からは何も言うことはできません。

だれも申し出ない。

信子 :神のみ前でたずねます。あなた方二人が結婚することについて支障があれば、今、言いなさい。神の言葉に背く結婚は不法です。
千尋 :支障があります。私の心の中に。ごめんなさい。どうしても、どうしても・・・。
信子 :鎌田惣一郎、あなたは今城千晶と結婚して夫婦となり、生涯その神聖な約束を守ることを願いますか。またこの女を愛し、慰め、敬い、健康なときも病気の時もこの女を守り、命の限りこの女との結婚に忠実であることを願いますか。
惣一郎:はい、願います。
信子 :今城千晶、あなたは鎌田惣一郎と結婚して夫婦となり、生涯その神聖な約束を守ることを願いますか。またこの男を愛し、慰め、敬い、健康なときも病気の時もこの男を守り、命の限りこの女との結婚に忠実であることを願いますか。
千晶 :はい、願います。
信子 :兄弟よ、今この二人は、神と皆の前で結婚することを願いました・・。
千尋 :ねがってるのよ、こんなにも。けれど・・・。私はウェディングドレスを着る資格無いかもしれない・・。

惣一郎と千晶の右手をあわせて。

信子 :鎌田惣一郎と今城千晶は、結婚の神聖な約束を交わし、手を取り合い、その証としました。私は今、神とその教会の名によってこの二人が夫婦であることを宣言します。・・神が合わせられたものを人は離してはならない。

全員、アーメン。

千尋 :人は離してはならない。・・神様が合わせられたもの。
静佳 :神様が何よ。
千尋 :静佳さん。
八千代 :お兄さま、なぜそんな女と結婚するわけ。

えっという千尋。時間が混乱している。

八千代 :嘘でしょ、お兄さま。あんな私を愛してくれていたのに。
惣一郎:八千代。
八千代 :こんな女中奉公の女じゃなくてなぜ私じゃいけないの。
惣一郎:八千代。君は混乱している。
八千代 :混乱、ええしていますわ。混乱しなくていられませんもの。戦局がこんなに迫っているというのに、お兄さまは相変わらず。出征なさるんでしょ。
惣一郎:出征しなければならない。
八千代 :もう二度とあえないかもしれないのよ。
惣一郎:そうだね。
八千代 :なら、私といて。お兄さま。
惣一郎:八千代、君の気持ちは大変ありがたい。でも、私は千晶を選んだんだ。
八千代 :私じゃなく。
惣一郎:そうだ。
八千代 :変わるかもしれない。
惣一郎:変わりはしないよ。
八千代 :いいえ、人の気持ちなんかすぐ変わる。十年経って、二十年経って、お兄さまの気持ちが変わらないってことあり得ない。
惣一郎:変わりはしないんだよ、私の気持ちは。
八千代 :そんなの分からない。待ってるわ。
惣一郎:無駄だよ。
八千代 :無駄かどうか、やってみなければ分かりませんわ。私、待ちます。見ててご覧なさい。お兄さまが帰ってきたらきっと私を選ぶ。
惣一郎:不憫な人だ。
八千代 :哀れまないで。お兄さまに哀れまれる所以はありません。哀れまれるのはむしろこの女でしょう。
千晶 :私が。なぜ。

八千代、ふっと笑う。

八千代 :気づかない?そうね、あなたには分からないでしょう。私とお兄さまの歴史。お兄さまは一時の気の迷いに陥ってらっしゃるの。いいわ、少し、お兄さまをあなたに預けておいてあげる。でも、いずれ、私に返すことになるの。これは運命よ。
千晶 :お気の毒です。
八千代 :何が。あなたが私をお気の毒って。思い上がりもいい加減にして。少し気に入られたからって、天下とったみたいにならないで。いい、お兄さまはわたしのものなの。
千晶 :でも、永遠の愛を誓いました。

間。

八千代 :認めない。
千晶 :あなたには関係のないことでございます。
八千代 :なんて?
千晶 :あなたには関係のないことだと申し上げました。惣一郎さんは私を選んだのです。私も惣一郎さんを選びました。
八千代 :いつまで。
千晶 :いつまでも。
八千代 :お兄さまが・・戦死しても。

千晶、笑う。

千晶 :当たり前でしょう。だって、私の人ですもの。それに、必ず生きてお帰りになります。
八千代 :生きて帰れると思う。
千晶 :はい、必ず。・・八千代お嬢様お引き取り下さい。ここは、あなた様のいるべき場所ではございません。
八千代 :帰れと。
千晶 :はい。
八千代 :ここから消えろと。
千晶 :はい。
八千代 :お兄さまは私のものだと。
千晶 :はい。

八千代、にらみつけているが。

静佳 :畜生!

とつかみかかる。
あわてて押さえる信子。

八千代 :離しなさい!
信子 :気を静めて。
静佳 :離せ!
信子 :興奮してます。あちらへ行きましょう。

信子、有無を言わさずつれていく。

八千代 :お兄さま!お兄さま!私待ってます、この女よりずっとずっと待ってます!・・千尋、覚えといで、誠さんは絶対私と結婚するんだからね!

つれ去られる。

ⅩⅡ 千尋

千尋は立ちつくしている。

惣一郎:終わったよ。
千尋 :・・ええ。
惣一郎:ちょっと混乱したけどね。
千尋 :おめでとう、お父さん、お母さん。

どこか放心。

千晶 :千尋・・どうしたの。

制して。

惣一郎:まだこだわっているんだね。

こくんと頷く。

千尋 :お母さん、強いんだ。
千晶 :それほどでもね。
千尋 :ずーっとお父さん思ってたんだ。
千晶 :当たり前でしょ。
千尋 :私を通して?
千晶 :それは当たり前でしょう。何たって、お父さんと私をつなぐ大事な鎖だもの。私の宝物だもの。でも・・つらい思いさせたかもね。おかあさん、ほら、思いこみ激しいから。
惣一郎:情が濃いからね。
千晶 :いやですよ、からかっちゃ。
千尋 :宝物か。
千晶 :そう。大事な宝物よ。ごめんね、つらい思いさせて。
千尋 :ううん・・いい。・・いいのよ、おかあさん。

間。

惣一郎:あの人が許さなくてもいい。君は許しなさい。
千尋 :え?
惣一郎:あの人はもう訳が分からなくなっている。だからあんなことを言い千尋を傷つけようとする。そして、それは効果を上げている。
千尋 :・・ええ。
惣一郎:でも、君は許しなさい。そして忘れる。
千尋 :でも。
惣一郎:千尋の気持ちを向けるべき相手は別にいるんじゃないのか。
千尋 :誠さん・・。
惣一郎:その人を見なさい。ほかは見なくていい。
千尋 :誠さんを・・。
惣一郎:それとも別に好きな人がいるなら別だが。
千尋 :そんな・・。

惣一郎、少し笑う。
真一が突然倒れ込んでくる。
あたまを割られているらしく、タオルでまいているが血が方々についている。
安保粉砕の声がしている。

千尋 :真一君!
真一 :やられた。機動隊のやつ、畜生。
千尋 :しっかりして。

ウエディングのまま抱き起こす。

真一 :汚れるよ、花嫁衣装。
千尋 :口聞かないで。どこやられたの。
真一 :頭。楯で割られた。
惣一郎:病院へ運ぼう。
真一 :だめ。捕まる。
千尋 :死んじゃうよこのままじゃ。行きましょう。
真一 :式あるんだろ。
千尋 :いいの。あなたの命のほうが。
真一 :だめだ。式、あげろ。
千尋 :だめ、病院に。
真一 :いい。大丈夫。大丈夫。

やっと起きあがる。

真一 :ドレスに血、つかなかったよな。
千尋 :ええ。
真一 :ごめん、また来るつもりじゃなかったけど。ちょっと見たくなってもう一度。

ふらっとする。

惣一郎:やっぱり無理だよ。

惣一郎が支える。

真一 :すみません。
惣一郎:なに、なれてるからね。病院へ行こう。

真一、頷く。

真一 :千尋、おめでとう。幸せにな。
惣一郎:つかまれるか。
真一 :ええ、大丈夫です。

よろっとする。

千尋 :私も行く。
惣一郎:だめだ。

りんとした声。
行こうとした千尋が止まる。

千尋 :でも、真一君が。

静かに、千尋に向かい。

惣一郎:千尋、お前の迷いは一時だ。お前の愛はここにはない。戦に惑わされてはいけない。人を本当に好きになるっていうのはそんなものじゃないだろう。

間。

惣一郎:すぐ戻る。さ。

つれていく。
止まっていた、千尋、姿が見えなくなって、思わず駆け出そうとする。
千晶が行こうとする千尋を止める。

千尋 :行かせて、お母さん。

ぴしゃっと平手打ち。
はっとする千尋。

千晶 :冷静になって。

間。
千尋、どうしていいかわからない。

千晶 :お父さんの手紙を読んで見る。
千尋 :え。
千晶 :読みたいて言ったでしょう。

Ⅶ 父の手紙

安保粉砕、闘争勝利等の声と機動隊の放送が遠く聞こえる。
母が懐から取り出す。

千尋 :これが。
千晶 :読みなさい。
千尋 :・・。
千晶 :読みなさい。今。

千尋、父の手紙を開く。

千尋 :二通ある。
千晶 :一つはお母さん宛よ。後で読んで。一つはあなた宛。
千尋 :私?・・でも。
千晶 :そう。あなたはまだ生まれてない。でも、お父さんはあなたに当てたの。千尋に。
千尋 :千尋にって。
千晶 :聞いたでしょ。名前を決めてたの。女の子がいいって。名前は千尋。お父さんが付けた名前よ。
千尋 :お父さんが。
千晶 :そう。・・読みなさい。

千尋、手紙を読む。

千尋 :千尋へ。・・これね。
千晶 :そう。

手紙を広げる。

千尋 :筆で書いてる。
千晶 :あの時代はね。
千尋 :読めるかな。
千晶 :大丈夫。お父さん、わかりやすく書いてる。読んで。お母さん、聞いてる。
千尋 :うん。

千尋、読み始める。

千尋 :我が娘、千尋へ。・・・女の子とは限らないのに。
千晶 :絶対女の子じゃなけりゃいけないって。
千尋 :・・そうなるとは限らないのに、お父さん。
千晶 :・・。
千尋 :我が娘千尋(ちひろ)へ。あなたがこの世に生を受けるときにはお父さんはもういないかもしれません。だから、まだ見ることはないけれど、あなたにお父さんから一言申し述べておきます。・・申し述べておくって、お父さん、他人行儀だよ。
千晶 :堅い人だもの。
千尋 :だよね。これじゃ・・。
千晶 :いいから。

闘争の騒音が聞こえる。

千尋 :あなたの名前をお父さんは考えました。今の時代は狂っています。憎しみと怒りと狂気が支配する世の中です。その中で、お父さんは、神州日本を守るために戦に行かなければなりません。たぶん、あなたに会えることはないでしょう。心が残ります。我が娘を見ることなく、護国の鬼とならねばならない。靖国の社(やしろ)に帰ることはあっても、あなたの顔を見ることはありません。誠に残念です。けれども、いつか、この戦(いくさ)は終わります。きっと終わります。平和な、だれもが自分の生きたいように生きることができる世の中になるとお父さんは思っています。そのために、お父さんは戦に行きます。だから、あなたは、安心して、この世に生まれてきていいのです。あなたが生まれ、すくすく育って、自分のいちばん大好きな人と、だれに妨げられることなく一緒になれる日が来ることをお父さんは信じています。その時のために、お父さんはあなたの名前を考えました。千尋という名前を贈りたいと思います。今の世の中は男の子は戦争に行くしかありません。女の子は銃後を守る。なんと不幸な世の中でしょう。だれもが、平和に、静かに、自分たちのそれぞれの暮らしを願っているのに。お父さんは、女の子しか欲しくありません。男の子なら敵を殺さなければいけない。敵に殺されなければいけない。そんな世の中はまっぴらです。女の子であれば、人を慈しみ、平和を尊(たっと)び、子供を産み、世の中を続けていくことができるでしょう。涙を流しても、それでも、誰かを愛し、次の世の中に続けていくことができます。だから、千尋、あなたにこの名前を贈ります。まだ見ぬ我が子よ。千尋(せんひろ)の海より深い愛を持ちなさい。精一杯自分の好きな人を愛しなさい。お父さんもだれよりもお母さんを愛しました。けれど、戦のためその愛は断ち切られるでしょう。千尋よ。あなたが生まれ、育つ世の中はもう少しましな世の中になるでしょう。だから、お父さんとお母さんの精一杯の愛をこめて千尋という名前を贈ります。その名をあなたの愛した人から呼ばれる幸せをかみしめられることを祈ります。千尋よ。あなたも、自分の名にふさわしく、精一杯、深い愛でこたえなさい。人生において、それ以上の幸せはありません。まだ見ぬ子に名残惜しいというのは少し変ですが、お父さんにはもう時間が無くなりました。行かなければなりません。さようなら。幸せになることを祈ります。千尋。千尋。千尋。・・。

間。

千尋 :そうだったんだ。私の名前。
千晶 :そうよ。決められてた。おっちょこちょいなのよね、女の子生まれると限らないのに。
千尋 :でも、信じてた。
千晶 :信じてたわ。千尋が生まれるって。
千尋 :おとうさんったら・・。

半泣き。

千晶 :だからね。あなたは、いっぱい愛していいんだよ。
千尋 :愛していい。
千晶 :千尋の深さの海より深く。
千尋 :愛していい。
千晶 :幸せになるんだね。
千尋 :・・うん。

街頭の騒音。放送等。

千尋 :変わらないね。
千晶 :何が。
千尋 :外。憎んでる。怒ってる。・・真一君。
千晶 :ああ、あの子。一本気だったね。
千尋 :あの人の言うこと何度聞いても分からなかった。一生懸命説明するんだけど。
千晶 :・・血が上るとね。
千尋 :何。
千晶 :見えなくなるの。何もかもが。・・悲劇よ。
千尋 :私、愛していいんだね。
惣一郎:そうだよ。
千尋 :お父さん。
惣一郎:彼は、信子さんに頼んだよ。まあ、彼女も大変だな、迷惑をかけた。
千尋 :お父さん。
惣一郎:何だ。
千尋 :ありがとう。

少し、笑って。

惣一郎:千尋、世の中のみんなが興奮し、感情をわきたててむやみに走り出したときこそ、静かに、落ち着いて、心を穏やかにしなければならない。
千尋 :はい。
惣一郎:そうした気持ちがやがてすべてを変える。
千尋 :そうなるといいね。
惣一郎:なるさ。お父さんはなった。
千尋 :私も?
惣一郎:きっと。

頷く千尋。

Ⅹエピローグ バージン・ロード

信子 :ぼつぼつお時間ですよー。
惣一郎:さて、行こうか。
千尋 :行っていいのかな。
惣一郎:ああ。行っていいんだ。
千尋 :・・・。
惣一郎:深く愛するんだよ。誠君だったね、彼を。
千尋 :・・。
惣一郎:行こう。

こくんと頷く千尋。

惣一郎:では、千尋。
千尋 :はい、お父さん。

父が千尋の手を取り、幻のバージンロードを歩く。
賛美歌が幻のように聞こえる。
やがて。

惣一郎:幸せにね。

千尋、頷く。
惣一郎、そのまま去る。
はっと気づく千尋。

千尋 :お父さん?お父さん!

探すがいない。

千尋 :お父さん・・。

やがて。

千尋 :幸せになります。

目頭を押さえる千晶。
信子の声が聞こえる。

信子 :早くしてくださいねー。
千晶 :先、行くから。

頷く千尋。
千晶は涙を抑えながら去る。
千尋、にっこり笑って。

千尋 :行きましょう、お父さん。

式場に向かって歩き始める。
「戦争は知らない」の曲入る。
曲大きくなって。
【 幕 】

☆カーテンコール

曲は流れる。
客電がなかばぐらいまでつく。
信子が母を連れてきて立たせる。
母はみなに挨拶している風。
親族の記念撮影の風。
真一と静佳が様子をうかがうかのように立つ。
惣一郎が千尋を連れてきて中央に座らせる。
カメラマンがポーズつけて、みんなにっこりして、フラッシュが光る。
暗転。
曲大きくなって、やがて退場すると明転。
客出しの音楽になって。
【おしまい】


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