結城翼脚本集 のページへ



「蜉蝣の記」

作 結城 翼
 
そのむかし、大学のチャペルの白い壁に映されていた自主上映の「禁じられた遊び」の想い出に。
あのときは確か、終われば白い雪が舞っていた。
 
 
 
★登場人物
シンスケ・・母の療養についてきている
葉月・・・・ふらりと現れた蜉蝣のような少女
カヲル・・・シンスケの従姉妹
 
 
Tオープニング
 
ドイツ歌曲の美しい旋律。
幕が上がる。
林の中の広場。晩夏の黄昏。
潮騒の音もかすかに聞こえる。
少年(シンスケ)がひとり、麦わら帽子をかぶって寝ている。
そばに、カセットデッキ。そこから音楽は聞こえてくる。
少女(カヲル)がひとり登場。じっと見ている。
音楽がやがて止まる。
潮騒の音、ヒグラシの音。
カヲル:ねえ。
 
少年は答えない。
 
カヲル:ねえ。
 
答えない。
少女は、首を振ってそばに座る。
少年の手がカセットデッキにのびる。
音楽が再び始まる。
少女、カセットを止める。
 
カヲル:聞いてるの、シンスケ。
 
少年の手が再び伸びて、カセットを押す。
曲が始まる。
        少女は、憤然として立ち上がる。
少し待つ。
 
カヲル:カヲル、帰るよ。
 
少し待つ。
少年は何とも言わない。曲だけが流れる。
 
カヲル:ねえ。
 
少年は相変わらず無言。
 
カヲル:バカっ。
 
だつと、少女は去る。
曲が少し大きくなる。
むっくり半身を起こす少年。
帽子が落ちる。
曲を止める。
潮騒の音。ヒグラシの音。
ぼんやりと、膝を組んで顎を載せている。
ふっと、上を見る。
手をさしのべる。
晩夏の黄昏が柔らかく少年の手を包む。
 
T葉月
 
別の少女(葉月)が反対側から通りかかる。
白い帽子をかぶっている。
立ち止まって、興味を持ったらしく。
 
葉 月 :こんにちは。
 
ちらっと、少年は見るが、挨拶は返さない。
葉月はやや困惑する。
 
葉 月 :こんにちは。
 
少年は、なんとなく困った様子でこっくりとする。
言葉は返さない。
ちょっと怒ったらしく、白い帽子を脱ぐと、くるくると回していたが、やがてつかつかと少女は寄ってきて。
 
葉 月 :口聞けないの。
 
詰問するようでもあり、困惑した様子でもある。
        少年は、ゆつくりと。
 
シンスケ:きれいだよね。
 
意表をつかれた少女。
 
葉 月 :え?
シンスケ:とてもきれいだ。
葉 月 :何が。
 
立ち上がる少年。
 
シンスケ:髪。
葉 月 :髪?私の?
シンスケ:うん、母さんのみたい。
葉 月 :あなたの。
シンスケ:そう。
葉 月 :ほめられてるのかな。
シンスケ:ほめてるよ。
葉 月 :ちょっと気持ち悪い。
シンスケ:どうして。
葉 月 :こっそり見てたでしょう。
シンスケ:目に入ってきただけだよ。
葉 月 :ウソ。
シンスケ:ウソ。・・ごめん。なんか返事しずらくつて。
葉 月 :どうして。挨拶ぐらいじゃない。
シンスケ:なんだかね。ちょっと。
葉 月 :ちょっと?
シンスケ:ううん。なんでもない。
葉 月 :そういう人の気をひいといてあとをごまかすいい方ってのは嫌い。
シンスケ:ええ、別に人の気を引いてるつもりないけど。
葉 月 :いいえ、体全体で思いっきり引いてる。それって、一言でなんて言うか知ってる。
シンスケ:ううん。しらない。
葉 月 :そういうの、一目惚れって言うのよ。
 
一瞬の間。
シンスケ、呆然としているがやがて吹き出す。
 
葉 月 :ま、失礼な。
シンスケ:だって・・。ねえ。
葉 月 :ねえじゃないでしょ。
シンスケ:ごめん。
 
と、まだなんかおかしい。
 
葉 月 :そんなにおかしい。
シンスケ:うーん、まあ、初対面の人にあんた私に一目惚れでしょっていう人も珍しいんじゃない。
葉 月 :えー、そうかなあ。
シンスケ:そうだよ。
葉 月 :一目惚れってにらんだけれど。私、葉月って言うの。あなたは。
シンスケ:シンスケ・・してないよ。
葉 月 :あなた、ほんとに私に一目惚れしてない。
シンスケ:してない、してない。
葉 月 :ほんとに。
 
その目はまっすぐきらきらとシンスケを見つめる。
        シンスケは、思わずどぎまぎしてしまう。
 
シンスケ:し、してない。
葉 月 :ほら、言葉がもつれた。あたしの勝ちね。
シンスケ:もつれてないったら。
葉 月 :いいのいいの。人は自分の心に正直であるべきよ。
シンスケ:おいおい。
葉 月 :で、何してたの。私に一目惚れする前。
 
ころっと、話題が変わる。
 
シンスケ:してないって。
 
抗議を無視して。
 
葉 月 :だいたいこんな黄昏時に、ねっころがって、音楽聞いてるなんてちょっと変よね。たぶん失恋なんかして、心を慰めようと浸 っていた。ああ、これはちょっとなるちゃんがかかってるなあ。ちがうね。昼ご飯のサンドイッチのハムが腐っていた。違うな。 私みたいなカワイイ子が通るのを待って引っかけようと網を張っていた。ああ、これね、これに違いない。絶対そうだわ。そう でしょ。
シンスケ:絶対違います。
葉 月 :あら、何で怒ってるの。
シンスケ:あきれてるだけ。
葉 月 :なんで。
シンスケ:何でと言われても。
葉 月 :そんなにすぐ眉間たてじま寄せてると年取ったらしわしわになるのよ。知ってた。
 
シンスケ、しわしわをのばしながら。
 
シンスケ:いいの、そんなの先だから。
葉 月 :少年老いやすく学なりがたし、未ださめず池堤春草の夢、階前のご葉すでに秋声。あれ、なんか一句足りないな。
シンスケ:(あきれて)何やってるの。
葉 月 :いやね、七言絶句。なんか足りないのよね、一句。
 
と、ぶつぶつ言う。
 
シンスケ:いいよ。そんなの。何言いたいの。
葉 月 :え、油断したら火がぼうぼう、あつという間に丸焼けになるって言う話。
シンスケ:何。
葉 月 :それだけ時間は大切だってこと。分かり切ってるじゃない。
シンスケ:んもーっ。
葉 月 :何吠えてるのよ。
シンスケ:だからー。・・・もういいよ。
葉 月 :もういいなら、答えて。何しようとしてたの。
シンスケ:ふーっ。
 
と、ため息ついた。
 
葉 月 :あらら、お年寄りみたい。
 
シンスケ、何も言う気力も亡くなったと見えて。
 
シンスケ:考えてただけ。
葉 月 :なんとまあ、芸のないお言葉。
シンスケ:芸があろうがなかろうがそうだから仕方ないじゃない。
葉 月 :あなたがそれていいというなら、まあそれでいいわ。
シンスケ:言いも悪いもそうなんだからそうなの。
葉 月 :さっきから何怒ってるのよ。
シンスケ:うぉーっ。
葉 月 :わかった、わかった。もういわない。それで。
シンスケ:今度言ったらもう言わないからね。
葉 月 :はいはい。で、考え事って。
シンスケ:この空気。
葉 月 :空気?
シンスケ:この空気のなかを飛べたらいいんじゃないかつて。
葉 月 :は?
シンスケ:あ、いやね。正確に言うとこの光かな、このぼんやりした光のなか。
葉 月 :この光。
 
黄昏の光があたりを包む。
空気は黄色く輝き、全てのものが不思議な色合いをもっている。
 
シンスケ:ほら、影がぼんやりしてる。黄色いだろう。だから黄色く昏くなるってかいて黄昏って言うんだ。
葉 月 :へー、なかなか頭いいわね。
シンスケ:それほどでも。
葉 月 :じゃ、ご質問いたしますけど、その「たそがれ」っていう言葉はどっからきたんですか。
シンスケ:え?
葉 月 :漢字でどう書くのかはわかりました。けど、「たそがれ」っていう言葉は、黄色く暗いじゃあわかりませんものね。で、いかtがでしようか?
シンスケ:えー、しらないよ。黄昏は黄昏じゃない。
葉 月 :お言葉ですが、物事にはすべてもとがございます。たそがれってのはね。
 
がらっと言い方が変わる。
 
葉 月 :あなたほんとにもの知らないわね。もともとはこんなに薄暗くなると、向こうの方を歩いている人の姿や顔がぼんやりしてくる。だから、「誰ぞ彼は」という訳よ。
シンスケ:へー。
葉 月 :それが昔の言い方で、「たそかれは」というわけ。だから、たそかれ、黄昏となる訳なのよ。わかった。
シンスケ:はー、そうなんだ。
葉 月 :ちなみに、夜明け方の薄暗い方を「彼は誰」、「かはたれ」というの。どう、とどめ刺したでしょ。
シンスケ:ぐさっ。
葉 月 :ふん、まだまだ甘いわ。
シンスケ:恐れ入りました。でも、すごいね。
葉 月 :全然、古典の授業でやったばかりだもの。
シンスケ:あらら。・・なんだよ。
葉 月 :で、その黄昏がどうかしたの。
シンスケ:不思議な時間だと思わない。
葉 月 :不思議な時間・・ね。
シンスケ:なんだかいつもと違う。昼でもなく夜でもない。宙ぶらりんな時間。こんななかを飛んでいくとたぶん何かにあえる。
葉 月 :何かにあえる。
シンスケ:なんだが影が揺らめいてる気しない。
葉 月 :そう?
シンスケ:いろんなものの形がさ、もう一つ定かでなくなる。どこかに、この黄色く染まったのどこかにずれが生まれてきそうな気がしない。
葉 月 :ずれ。
シンスケ:そう。小さな、小さなずれ。ものの形が二重になり輪郭がぼやける空間の隙間・・その隙間の向こうへ飛んでいけたら・・
葉 月 :隙間ね。
シンスケ:曖昧な空間と言ってもいいと思う。あるいは四次元空間と言った方がわかりやすい。その空間の向こうにはきつとここと同じようでけど少し違う世界があって、違う時間が流れてて・・
葉 月 :いきたいの?
 
葉月の言い方はとても優しい。
 
シンスケ:いければいい。いければね。でもこれはこの黄色い光のなかで僕がちらっと思った妄想だ。そう。妄想だよ。
葉 月 :いいえ。
シンスケ:いいえって・・。
葉 月 :たぶん、そういう世界はあると思うわ。こちらから見たらかげろうのような、幻のような世界で、あなたがいうようにほんの 一瞬揺らめいて消える。でも、確かにそういう世界はあっていいはず。
シンスケ:かげろうの世界・・ね。
葉 月 :儚いけれど、本当にあると思う。
シンスケ:それが信じれたらね・・。
 
間。じっとみている葉月。
 
シンスケ:なに、そんなに見て。今度はキミが一目惚れ?
 
ふふっと笑って。
                                       
葉 月 :かもね。
 
ちょっとおたつくシンスケ。
 
シンスケ:えっ。
 
葉 月 :ばーか。真に受けるんじゃないの。・・それよりあなた、なんか、屈託有りそうね。
シンスケ:別に。
葉 月 :ふふん。影のある少年ってのはもうはやらないんだわ。
シンスケ:そんなんじゃないよ。
葉 月 :じゃ何。
シンスケ:人に言うべき事じゃないよ。
葉 月 :あら、いったら気持ちが軽くなるって事はあるわ。
シンスケ:軽くなるったってね・・。
葉 月 :無理には言わない。ただ、そういうことがあるって事。
シンスケ:そういうことがね。
葉 月 :あるのよ。確かに・・。
 
それは、初対面にしては何となくなれなれしい言葉だった。
 
シンスケ:確かに・・。
葉 月 :確かに。
 
静かに言われた言葉はシンスケのなかにしみ通っていく。
間。
ぽつりと。
 
シンスケ:母さんがもういけないんだ。
葉 月 :そうなの。
 
優しく、けれどまじめに言われた言葉。
 
シンスケ:前からずつと悪くてね。
葉 月 :病気?
シンスケ:うん。ガンなんだ。一度手術してる。乳ガンでさ。それで直ったと思ったんだけど、肺に転移してるのが一年前に見つかって。
葉 月 :お母さんそのこと知ってるの?
シンスケ:ガンだって事?うん。かくしてたんだけどね。再発したときに、どうもわかったみたいで。・・入院して、二日目にさ、僕の 目をまっすぐに見て、こういったんだ。シンスケ、正直に言って。
 
葉月と母が重なる。
 
葉 月 :シンスケ、正直に言って。お母さんガンなんでしょ。
シンスケ:そ、そんなことないよ。ただちょっと検査しないとわからないけど、肺に少し影が出来てるつて。良性のものらしくて、手術 しないで薬でなおすって。
葉 月 :シンスケ。
シンスケ:はい。
葉 月 :おまえはうそを言うとき、すぐ耳の下引っ張るの知ってた?
シンスケ:えっ。
 
シンスケは、思わず耳から手を離す。
 
葉 月 :ほら。ウソだ。
シンスケ:お母さん、そんなこと無いよ。うそじゃない。
葉 月 :だめだめ。小さいときからの癖はお母さんちゃんと知ってるから。・・ガンなんでしょ。
 
間。
 
シンスケ:・・・。
葉 月 :どうなの。教えて。お母さん、ちゃんと知っておきたいから。騙されたまま人生を終わるの嫌なの。
シンスケ:だますだなんて・・。そんな。
葉 月 :言葉が悪かったわね。お母さん、別に諦めた訳じゃないの。ただ、お母さんの人生はお母さんの人生だから。最後までね・。
シンスケ:・・。
葉 月 :どうなの、シンスケ。
シンスケ:・・・。
葉 月 :シンスケ。
 
耐えられないやさしっであった。
 
シンスケ:ごめんなさい。・・そうです。
葉 月 :そう。・・あなたが謝ること無いわ。ありがとう、ほんとのことをいってくれて。・・さあ、もう学校行ってらっしゃい。遅 れますよ。
シンスケ:ごめんなさい・・。
 
もとの黄昏がシンスケを包んでいる。
 
シンスケ:たぶん母さんは一人になりたかったんだ。だつて、別れ際母さんの顔はくらかった。そりゃそうだろ、息子がさ、お母さん、 あなたはあともう何日も生きられないんです。って宣告したんだ者。あの後一人で母さんは何を考えたんだろう。僕はその日学 校へ行かず、一日中、街をうろついた。街は本当によそよそしく、僕は、耐えきれずに白状したことを本当に後悔した。僕がも っと強くて、頑張って、しらを切り通しておいたら・・
葉 月 :でも、それがお母さんの希望なのよ。
シンスケ:他人は簡単に言えるけど、ほんとはそうなんじゃないよ。誰だつて、自分の命が後これぐらいだつてわかるのはつらい。怖い よ。知らない方がいいことつてあるだろ、いっぱい。母さんも知らない方がよかったと思う。
葉 月 :それは違うわ。
シンスケ:キミにどうしてそんなことがわかる。
葉 月 :他人にだってわかることはあるわ。あんたほんとに馬鹿ね。
シンスケ:(むっとして)そんなこと言われる筋合い無いね。
葉 月 :(無視して)・・ねえ、こんな詩知ってる。
シンスケ:え。
葉 月 :吉野弘って言う人の詩なんだけど。「I was born」ていうの。聞いたこと無い。
シンスケ:ない。
葉 月 :ふーん。わりと有名なはずなんだけとな。
シンスケ:どうせ馬鹿だから知らないよ。
葉 月 :あら、生意気に傷ついてる。そんな肝っ玉小さい事じゃ生きていけませんよ、世の中の荒波は。
シンスケ:言われなくったって知ってるよ。
葉 月 :素直じゃないね。
シンスケ:いいから言ってみ、その有名な詩とやらを。
 
葉月、軽くにらんで。
 
葉 月 :じゃ、聞いて。こほん。
 
軽く咳をして、詩を暗唱し始める。
黄昏のなか、白い日傘の女が歩いてくる。
 
葉 月 :(詩の暗唱)
 
確か 英語を習い始めて間もない頃だ。
    或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと、青い夕靄の奥から浮き出るように 白い女がこちらへやってくる。物憂げに  ゆっくりと。
 
白い日傘の女がゆっくりと通り過ぎていく。(ここではカヲルがやる)
 
女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から目を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹 のあたりに連想し それがやがて 世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。
 
白い日傘の女は去っていく。
 
    女はゆき過ぎた。
 
少年の思いは飛躍しやすい。その時 僕は〈生まれる〉ということが まさしく〈受身〉である訳を ふと諒解した。僕はこう ふんして父に話しかけた。
・・・やっぱり I was born なんだね・・・
父は怪訝そうに僕の顔をのぞき込んだ。僕は繰り返した。
・・・I was born さ。受身形だよ正しく言うとニンゲンは生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね。・ ・・
 
シンスケ:受け身・・。
葉 月 :そう。受け身なのね。始めてこれ読んだときなんだがこの辺がチリチリっと痛くなっちゃって。
シンスケ:確かに受け身なんだ。・・でも、それがさっきの話となんか関係があるの。
葉 月 :もうちょっとまって。この詩続きあるの。受け身だけじゃないの。少しとばすね。お父さんはしばらくだまったあと、こうい うの。
 
父は無言でしばらく歩いた後、思いがけない話をした。
・・・蜉蝣という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが、それなら一体、何のためによりの中へでてくるのかと  そんなことがひどくきになつたころがあつてね・・・
 
シンスケ:え・・何の話。わからない。
葉 月 :たしかにこれだけではね。えーと。なんだったかな、つづき。ああそうだ。
 
思い出して続ける。
 
僕は父を見た。父は続けた。
・・・友人にその話をしたら 或日 これが蜉蝣の雌だと行って拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物 を摂るに適しない。胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり。見るとその通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっ しり充満していて ほっそりした胸の方まで及んでいる。 それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 喉 もとまで こみ上げているように見えるのだ。つめたい光の粒粒だったね。私が友人の方を振り向いて〈卵〉というと彼も肯い て答えた。〈せつなげだね〉。そんなことがあってからまもなくのことだつたんだよ、お母さんがおまえを生み落としてすぐに 死なれたのは・・・
 
シンスケ:母が死んだ・・。
 
葉月はちらっと見たが。
 
父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただ一つの痛みのように切なく 僕の脳裡に焼き付いたものがあった。
・・・ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体・・・
 
間。
 
シンスケ:蜉蝣って残酷なんだね。
葉 月 :なにが。
シンスケ:お母さんを殺しているようだ。
葉 月 :そうみえるかもね。でも、生まれようとする意志の表れとも見ることが出来る。
シンスケ:生まれよう。
葉 月 :そう、立派な能動態よ。受動態じゃない。
シンスケ:卵が。
葉 月 :卵は。
 
間。
 
葉 月 :そんなにお母さんのこと悔やむ必要はないと思う。
シンスケ:どうして。
葉 月 :あなたが生まれたのは受け身かもしれないけど、あなたの人生は受け身じゃない。だからお母さんは責任をとる必要はない。
シンスケ:わからないな。
葉 月 :簡単なことよ。お母さんが責任取る必要ないし、あなたもお母さんの生き方に責任取る必要はない。お母さんの人生ってあな たの人生じゃないわ。
シンスケ:だから。
葉 月 :お母さんの意志を尊重して上げていいってこと。
シンスケ:なんだよそれ。
葉 月 :たぶんお母さんね、そんなに暗いことを考えていたわけではないと思うのよ。
シンスケ:そんなことがどうしてわかる。
葉 月 :わかるの。
シンスケ:どうして。
 
葉月、はぐらかして。
 
葉 月 :お母さんそのあと結構明るかったんじゃないの。
シンスケ:・・うん。・・でもそれは空元気だと僕は思った。
葉 月 :お母さん満足してるのよ。
シンスケ:え、何に。
葉 月 :あなたをうんだこと。
シンスケ:え、どうして・・。
葉 月 :まっすぐに答えたんでしょう。あなたは。
シンスケ:うそをつき切れなかっただけだ。
葉 月 :たぶんそれがうれしかったのよ。ぎりぎりの所でうそをつかれると苦しくなるもの。
 
少し、苦い調子がまじってシンスケはハッとする。
 
シンスケ:葉月?
葉 月 :本当のことはたぶんいいことなの。どんなにその時つらくてもね。
シンスケ:そうかなあ。
葉 月 :あ、でもねえ。お父さんならどういったかなあ。年の功でウソついたかもね。
シンスケ:父さんはいないよ。
葉 月 :え?
シンスケ:最初の手術の前にね、離婚してた。よそに女の人が出来たんだ。その心労もがんと関係あるかもつて先生言ってたけど。
葉 月 :あ、・・そう。ごめんなさい。変なこといって。
シンスケ:いいよ。ふつう、そう思うもね。
葉 月 :とすると、所謂母子家庭か。
シンスケ:そう。母子家庭にも関わらず頑張っているって通知票に書いてた。
葉 月 :ま、無神経な教師。
シンスケ:そんなの、今、いっぱいいるよ。特に若い奴。
葉 月 :そうね。変態もいるし。
シンスケ:こどもにはつらいとこだよ学校は。
葉 月 :全く。
 
気がつくと夕闇が迫っている。
 
シンスケ:あ、もう星がでてる。
葉 月 :いつけない。帰らなきゃ。ありがと。楽しかったわ。
 
ぱつと去ろうとする。
 
シンスケ:あっ。
葉 月 :さようなら。
シンスケ:さよなら。
 
と、見送ったものの。
その姿が見えなくなりそうになって思い切って声をかける。
 
シンスケ:ねえ。
葉 月 :何。
シンスケ:明日、またあえるかな。
 
小さい間。
 
葉 月 :あなたがよければ。
シンスケ:ぼくいいよ。見せたいものがあるんだ。
葉 月 :何。
シンスケ:飛行機。
葉 月 :飛行機?
シンスケ:さっき飛びたいっただろ。人力飛行機、作ってるんだ。
葉 月 :すごい。見せて。
シンスケ:うん。・・じゃ、明日、何時。
葉 月 :そうね、明日のさっき頃。
シンスケ:わかった。バイバイ!
 
葉月、大きく帽子を振った。
姿が見えなくなる。
シンスケ、見送っていたが、やがて、自分の帽子を放り投げて機嫌がいい。
 
シンスケ:明日か。よーしっ。
 
と、荷物ひっさげてかけさった。
つくつくほうしの声がかしましい。
溶暗。
 
Vカヲル
 
とんとんという音がしている。
溶明。
作業場の中。
人力飛行機ができあがりつつある。
        だが、どう贔屓目に見てもかわいそうだが飛びそうにない。
        シンスケが一生懸命に車輪を組み立てている。
楽しそうだ。
カヲルがやってきて入り口で黙ってみてる。
シンスケは気がつかない。
 
カヲル :楽しそうね。
シンスケ:うわっ。
 
と、驚く。
 
カヲル :何驚いてるの。
シンスケ:なんだ、カヲルか。
カヲル :あら、他の人待ってたの。
シンスケ:え、そそんなことないけど。
 
耳のあたりを引っ張ってる。
 
カヲル :ほらウソだ。
シンスケ:えっ、な、何で。
カヲル :耳。
シンスケ:えっ。
 
と、気がついてあわてて手をのける。
 
カヲル :ほんと。お母さんのいう通りね。
シンスケ:もう、かあさんたら。
カヲル :ほんとは、私も知ってたのよ。
シンスケ:え。
カヲル :だてに従姉妹をずーっとやってきたわけじゃないもの。
シンスケ:ふん。
 
といつて、作業に戻る。
間。
 
カヲル :ねえ、誰待ってるの。
シンスケ:え。
カヲル :昨日の人?カワイイよね。
シンスケ:えー、何でおまえが。
カヲル :あんまり遅いから、見てこいつて言われてね。みにいつたんだけど。
シンスケ:ひっでー。のぞきかよ。
カヲル :まー、みてらんないわ。鼻の下長くしちゃってさ。なにあれ。でれでれして。
シンスケ:そんなことしてないよ。
カヲル :してました。いつものシンスケより、50センチは地上から浮いてた。
シンスケ:おまえやなやつだなー。のぞくなよー。
カヲル :誰がのぞきますか。あほらしくなって帰って来ちゃったのよ。で、誰よ。
シンスケ:葉月。
カヲル :ふーん。葉月ねえ。上の姓は。
シンスケ:しらないよ、聞いてないもの。
カヲル :フツウ聞かない。
シンスケ:聞かない。
カヲル :で、どこの人。ここらでは見かけないから、岬の方かなあ。ねえ、どこの人。
シンスケ:知らない。
カヲル :えーっ。それも聞いてないの。家ぐらいきいときなさいよ。
シンスケ:なんで。
カヲル :何でって・・それは・。
シンスケ:おまえ変だぞ。昨日から。
カヲル :別に、変じゃないもの。
シンスケ:帰ってから全然口聞かなかったし、すんぐに部屋に戻ったし・・けさだっておはよう言ったのに返事しなかったし。
カヲル :口の中でしたもん。
シンスケ:聞こえないよ・・あ、そうか。
カヲル :な、なによ。
シンスケ:ふふーっ。
カヲル :な、なによ気持ちわるーい。
シンスケ:おまえ、焼いてるな。葉月に。
カヲル :えー。変なこと言わないでよ。
シンスケ:そうか。そうなんだ。それで納得。うんうん。カヲルもようやく女心が芽生えたわけだ。従兄弟に近づく美しい少女。なぜか むかむかするこの心。つい優しい従兄弟につらく当たってしまう。うんうん。よくあるある。
カヲル :馬鹿シンスケ。誰が優しい従兄弟じゃあほー。勝手に恋愛ドラマ作るな。
 
ぷんぷんして行こうとする。
 
シンスケ:人間図星を刺されると怒るって言われてるよな。
 
缶かなんかが飛んでくる。
 
シンスケ:ひぇーっ。
葉 月 :おじゃまかしら。
 
葉月がいた。白い帽子。
シンスケとカヲルは固まってしまう。
白い帽子を脱ぎ、くるくるしながら。
 
葉 月 :仲いいのね。
シンスケ:え、いやいや、それほどでも。
カヲル :単なる従兄弟です。ごゆっくり葉月さん。
葉 月 :あ、はい。
 
その脇をずんずん行って、去り際にシンスケにすさまじい一瞥。
 
シンスケ:げっ。
葉 月 :何か。
シンスケ:あ、いいえ。それよりちょっと早いんじゃない。
葉 月 :うん。天気もいいしぶらぶら探しながら来てみたの。
シンスケ:ありがと。
葉 月 :礼を言われることでもないし。・・それよりすごいわね、これ。全部あなたが。
シンスケ:いや、さっきの従姉妹、カヲルが手伝ってくれてるから、設計は僕だけど。
葉 月 :飛ぶの。これ。
シンスケ:設計上は飛ぶはずだけど。
葉 月 :誰が操縦するの。これって、人がペダル扱いてやるんでしょう。あら、プロペラ無いわね。
シンスケ:ああ、これはグライダーだから。
葉 月 :グライダー。
シンスケ:風に乗るだけでいいんだ。岬のこっちにちょうどいい丘があって、そこで風に乗れば結構飛ぶハズなんだけど。
葉 月 :ふーん。で、飛行士は当然あなたね。
シンスケ:いや・・それが。
葉 月 :じゃさっきのカヲルさん。度胸がいいのね。
シンスケ:まだ考えてないんだ。僕は運動音痴だし、体重の関係で女の子の方がいいけど、カヲル載せるのはちょっと自信ないし。
葉 月 :どうして。
カヲル :飛ばないからよ。
 
振り返ると、じゅーをもって立っている。
 
カヲル :はい。これ。のど渇いたでしょ。
葉 月 :別にそれほど。
カヲル :いいから飲んで。あんたはこれ。
 
と、強引に渡し。
 
カヲル :じゃ、めでたく三人そろったから乾杯ね。はい。乾杯。
 
仕方なく、飲む二人。
 
葉 月 :飛ばないっていったけど。
カヲル :欠陥品だもの。
葉 月 :欠陥品。
カヲル :根本的に強度が足りないのよ。お金がないから、軽くて強い材料なかなかそろえられないもの。仕方なく、代替品でやってる けど、重くなるし、第一、いろんな衝撃に耐えられるかどうか。飛ばすの危なくつて。結局大きな模型作ってるだけみたい。
葉 月 :へー、そうなの。
シンスケ:大きな模型つてのは言い過ぎだよ。飛べるかもしれ無いじゃないか。
カヲル :なら、あなたこの間けいさんしてたあれ何。
シンスケ:あ、あれは間違いかもしれない。
カヲル :ほー。間違いで、材料変更したわけ。
シンスケ:いやー。その。
葉 月 :なんだ。つまんない。
シンスケ:え。
葉 月 :帰るわ。
シンスケ:え、来たばかりじゃない。
葉 月 :だって、飛行機飛ばないんでしょ。飛ばない飛行機見ても仕方ないもの。
シンスケ:そんな。
カヲル :ちょっと。
葉 月 :何。
カヲル :ずいぶん失礼な言いぐさじゃない。
葉 月 :どうして、私は正直に自分の気持ち言ってるだけよ。
カヲル :言われる方の気持ちも考えなさいっていつてるの。なに、それ。黙ってきいてりゃ、ぺにぺらぺらぺら好きかつていつて。飛 ばなくたつて、立派な飛行機じゃない。あんたに見せるためにつくってんじゃないの。シンスケはね・・。
シンスケ:カヲル。
カヲル :いいの、まじめにやってるところへきて適当にちゃかして遊んで、無責任なこといつてあとはさよならつて。よくいるじゃな いそういう人。そんな人のために一生懸命になることなんか無いよ。シンスケ。
シンスケ:言い過ぎだよ、カヲル。
カヲル :そうですかね。
シンスケ:そんなに悪い人じゃないよ。
カヲル :じゃどれくらい悪い人なのよ。
シンスケ:だから悪い人じゃないって。
カヲル :じゃよい人だっての。いつよいひとなのよ。何時何分。どこでいい人。
 
くっくっと笑い出す、葉月。
 
カヲル :何がおかしいの。
葉 月 :仲がいいわね。本当に。
 
カヲルはむっとして何かいいたそうだが。
 
葉 月 :謝るわ。気分を害したこと。
カヲル :謝られても。
葉 月 :でも、私ほんとに思うのよ。飛ばなきゃ飛行機じゃないって。
シンスケ:けれどそれは。
葉 月 :わかってる。けど、本当は飛ぶために作ったんでしょう。
シンスケ:もちろん。
葉 月 :なら飛ばなきゃ。
カヲル :だから、強度が・・。
葉 月 :飛ぶべきなの。
 
その声に含まれた何かがシンスケの心を打った。
 
シンスケ:飛ぶべき。
葉 月 :あなたはなぜ飛びたいの。
シンスケ:え。
葉 月 :昨日いってたわね。かげろうのように揺らめく黄色い光のなかを飛びたいって。
シンスケ:かげろう。
カヲル :なに、それシンスケ。
葉 月 :あなたはどうして飛びたいと思ったの。
シンスケ:それは・・。
 
待っているけど答えはない。
 
葉 月 :残念ね。パイロットならなってあげてもいいかなって思ったんだけど。飛行機がこれじゃ、ね。
カヲル :あんた・・。
葉 月 :ご迷惑かけました。
 
ちょこんとお辞儀をして。去る。
 
カヲル :あ、まって。
 
振り返って、にっこりして。
 
葉 月 :カヲルさん。
カヲル :何。
葉 月 :あなたって正直な人ね。心がすぐに外にでる。
カヲル :え。
葉 月 :お似合いよ。
カヲル :え。
葉 月 :さよなら。
 
葉月は白い帽子をかぶり颯爽と去る。
 
カヲル :え、ああ。はい。
 
と、毒気を抜かれたようなカヲル。
振り返るとシンスケがなにやら難しい顔をしている。
 
カヲル :シンスケどうしたの。
シンスケ:そうなんだよな。
カヲル :どうしたの。
シンスケ:そうなんだよ。
カヲル :なにが。
シンスケ:飛ばなきゃ飛行機がじゃない。
カヲル :ああ、あれ。確かにそうだけど、これは無茶だよ。
シンスケ:わかってる。でも、それは今までそのことに目をつぶってやってきたと言うことだ。
カヲル :まあ、それはそうだけど。じゃシンスケ、ほんとに飛ぶつもりだったの。
シンスケ:うん。
カヲル :あきれた。強度計算でダメだつたときにわかってると思ってたんだけれど。
シンスケ:そう。あれから僕は諦めた。
カヲル :ならいいじゃない。立派な模型だって、なかなかつくれないよ。
シンスケ:でも、それじゃためだ。飛べない。
カヲル :そりゃそうだよ。
シンスケ:飛ばなくちゃ諦めちゃいけないんだ。
カヲル :でも、無理なものは無理だよ。
シンスケ:そう。無理なものは無理だと言うことは知ってる。それでも・・。
カヲル :あんた、そもそもなぜ飛びたいの。お母さんがあんな事だから、なんか別に打ち込めることがあればいいとおもって手伝って きたんだけど、そういや、きつちり聞いたことなかった。ねえ、なぜ。
シンスケ:それは・・。
 
間。
 
カヲル :言いたくなきゃいいけどね。
シンスケ:そんなことない。けど。
カヲル :わかつた、言いたくなるまで待ってやる。
シンスケ:もう一度、計算してみる。
カヲル :まだ諦めないの。
シンスケ:うん。諦めてはいけない。
カヲル :つて、だれか言ったの。
シンスケ:誰も言わない。
カヲル :なら。いいじゃない。仕方ないもの。
シンスケ:でも、それはできない。
カヲル :どうして。
シンスケ:約束したから。
カヲル :誰と。
シンスケ:僕と。
 
カヲル、困惑。
 
シンスケ:だから、破れない。
 
溶暗。
 
Wピクニック1
 
トップサスの中でぼやいているシンスケ。
 
シンスケ:と、かっこうよく見得を切ったものの、実はそれほど賞賛があったわけでも何でもない。単なる行きがかりと見栄のようなも ので、ほんとにしょうがない。葉月にあおられてしまったせいもあるし、葉月をパイロットにというアイデアもなんかおもしろ かったからだ。でも、根本的に強度の問題が解決しないとやばいのだけれど、とりあえず、母さんの状態も安定しているので、 ピクニックに出かけることにした。岬の側の小高い丘で、下見をもう一度かねて言ってみることにした。カヲルが朝早くからな んか気合いを入れてお弁当をつくっている。お昼前に葉月から電話が入った。別に用事もなさそうだつたから誘ってみると、さ すがパイロット志望だけあって、行く気十分。向こうで落ち合うこととして、おそるおそるカヲルに報告。機嫌が悪くなると思 っていたらそうでもない。まことに女心は不可解だ。
カヲル :いくよー。シンスケーっ。
シンスケ:と言うわけで、出かけたのだが。
 
潮騒の音。
明るくなる。
側にはカヲル。
 
カヲル :あー、やっぱりいい空気だわ。塩っけ十分。ここ100年ぐらいは体もつって言う感じだね。
シンスケ:塩漬けになると、しわしわになるぞ。
カヲル :やせるからいいもん。
シンスケ:あれは塩で水分もみだしてるだけ。すぐにもとに戻るさ。よく、塩ワカメなんかモドしてるだろ。
カヲル :ふん。いってろ。
 
シンスケ、辺りを見回している。
めざとく気づいたカヲル。
 
カヲル :まだ来ないんじゃない。お目当ての人は。
シンスケ:ばか。そんなんじゃないの。
カヲル :じやどんなん。
シンスケ:パイロットだよ、パイロット。
カヲル :はー、それだけかなー。
シンスケ:それだけだよ。
カヲル :ならいいけど。
シンスケ:おまえ変なライバル心やめろよな。トラブルのもとだから。
カヲル :あら、トラブルは向こうの方が持ち込むのよー。
シンスケ:そうかあ。
カヲル :何、その疑わしそうな横目。
シンスケ:そうなじゃなくて、疑わしいの。
カヲル :もう。
葉 月 :ほんとに仲イイのねー。
 
相変わらず白い帽子。
 
カヲル :うわっ、でた。
葉 月 :でて悪いかな。
カヲル :いいえ、ちょっと本音が。
葉 月 :まあ、かわいい本音。
カヲル :ごめんなさい可愛くて。
シンスケ:何、馬鹿なことやってるの。
葉 月 :飛行機を飛ばす丘ってどこ。
シンスケ:その道をいったあれ。
葉 月 :ああ、あれね。ふーん。なんかなだらかじゃない。
シンスケ:あの向こうがちょっと急斜面でね。そこを使えば飛べると思うんだけど。
葉 月 :カヲルさんはどう思ってるの。
カヲル :あたし。あたしは無理だと思ってる。
葉 月 :そう、じゃ2対1で飛べるわ。
カヲル :は?
葉 月 :私も飛べると思ってるの。ね。だから、シンスケさんとあわせて二人。
カヲル :はいはい。結構なことで。多数決で飛べりゃせわねーよ。
葉 月 :そういわないの。これは結構大事なこと。
カヲル :何で。
葉 月 :飛ぶことに必要なものは、第一に何。
カヲル :揚力。
葉 月 :揚力?
カヲル :翼を持ち上げる力。これないとあがらない。
葉 月 :ふふーん。
 
ちっちっとやる。
 
カヲル :なによ。違うの。
葉 月 :それも大事だけれど、本当に大事なものは、飛ばそうとする意志。空を飛ぼうとする意志。これよ。
カヲル :あほらしーい。根性で飛べりゃ、あんた飛行機のチケット買わなくていいよ。
葉 月 :違う。人が空を飛ぼうとするのは長い歴史があるわ。揚力やなんやかや知らなくったって、みんな空を飛ぼうとした、そうし てとんだ。イカロス、モンゴルフェ、ライト・・みんな一番最初に何があったかわかるでしょ。飛ぼうとする意志よ。この空を 鳥と同じように飛ぼうとする意志。これがないと、何も始まらないもの。
カヲル :まー、そういわれればそうだけど。
葉 月 :と言うわけで、二人の意志は強いわけ。
カヲル :ちょっとちょっとその二人腕組まない。
葉 月 :だから飛べるの。
シンスケ:ちょっと強引じゃないですか。
葉 月 :それくらいでちょうどいいのよ。いきましょう。
カヲル :お弁当あんたもってきた?
葉 月 :いいえ、カヲルさんが作ってくれていると言うことなので、ごちそうになります。では、参りましょう。
 
と、またもや腕を組んで、歩き出す。
 
シンスケ:あ、ちよっと、ねえ。
葉 月 :いいんです。
 
カヲル呆然。
 
カヲル :もう、なによ。それあつたまきたーっ。くそーっ。
 
と、荷物をぶちつけるが、またあわてて拾う。
 
カヲル :もう、毒もってやるからなーっ。
 
と言いながら、去る。
 
Xピクニック2
 
シンスケはやれやれといった感じて入ってくる。
        相変わらず腕を組んでいる、葉月とシンスケ。
後ろからぶすっとした感じでついてくるカヲル。
 
葉 月 :ここら辺でいいですねー。
シンスケ:カヲルー。
カヲル :何。
シンスケ:ここら辺でいいかなあ。
カヲル :飛ぶ意志がいいといってるからいいんじゃない。
シンスケ:やれやれ。離してくれません。
葉 月 :いい持ち心地なのになあ。
シンスケ:あんまりいごごちはよくないです。
葉 月 :意気地なし。
シンスケ:何と言われても。
 
その間ぱっぱっとしたくしていたカヲルはシートを広げる。
 
カヲル :出来たよ。
葉 月 :ありがとう。
シンスケ:食べよ。
カヲル :あたしがつくったのよ。
葉 月 :私は食べるの。
カヲル :どうぞ、毒は入っておりませんので。
葉 月 :はい。
 
一口食べて。
 
葉 月 :おいしいよ。
カヲル :ありがと。お世辞としてきいておく。
葉 月 :おせじじゃないよ。隠し味のこのピリカラあじがうーん。
 
つーんと来たようだ。
 
葉 月 :きっくーっ。
カヲル :でしょ、でしょ、でしょ。これね、あれこれ試してみたのよ。カヲル、スペシャル。おいしいでしょ。
葉 月 :デリシャス。
カヲル :サンキュー。
 
思わず握手してしまう。
ハッと気づくがえへへとなる。
恐るべし葉月の人心掌握術、それとも天真爛漫なのか。
シンスケ、もくもくと食べてたが。
 
シンスケ:やっぱりあそこからだよね。
カヲル :何。
シンスケ:飛ぶとしたら。
カヲル :ふーん。
葉 月 :いい感じね。・・飛んでみるか。
シンスケ:えっ。
葉 月 :いや、ちょっと試しにね。飛んでみようかと。
カヲル :飛行機ないよ。
葉 月 :いらないよ。私が飛ぶんだもの。
カヲル :えー。
シンスケ:どういうこと。
葉 月 :感覚確かめたいだけ。
シンスケ:危ないよ。あそこ。
葉 月 :人が危ないなら飛行機はもっと危ないわ。いきましょう。
 
ぱっと、立ち上がった。
帽子をかぶり。
 
葉 月 :じゃ、先行ってるから。
 
ぱぱっとかけていく。
 
シンスケ:葉月!葉月!おーい!
カヲル :ダメよ、もういっちやった。ほんとに、まあ。
シンスケ:あきれたってか。
カヲル :ううん。なんか感心しちゃう。
シンスケ:へー、心境の変化。
カヲル :ちがうよ。なんか、エネルギーの固まりね。
シンスケ:落ち着かないだけじゃない。ひとりでとっとと走ってるだけかも。
カヲル :そうじゃないな。なんだかあんたのお母さん思いだしちゃったな。
シンスケ:まだ生きてるよ。
カヲル :違うよ。そんなんじゃなく、おかあさんエネルギーの固まりみたいだつたじゃない。わかいときは、あんなんだつたかもね。 好奇心もいっぱいで。
シンスケ:そうだね。
カヲル :あ、ごめん。
シンスケ:いいよ。母さん今でもエネルギーの固まりだもの。
カヲル :あんた、飛行機のことお母さんに言ってる。
シンスケ:言ってない。
カヲル :どうして。
シンスケ:言うとね・・御利益無いからね。
カヲル :御利益?
 
はやくーつと声が向こうから。
 
カヲル :やれやれ、お姫様がお呼びだわ。
シンスケ:姫かなあ。
カヲル :わるがきとそう変わらないと思う。
シンスケ:ちがいない。
 
早く早くという声。
 
シンスケ:へいへい。片づけようか。
カヲル :あ、そこもって。
 
と手早く片づける。
はやくこないととんじやうぞー。
 
シンスケ:切れてるよ。
カヲル :こわいこわい。
 
と、去る。
 
Yアクシデント
 
早く早くと手招きしながら入ってくる葉月。
 
葉 月 :おそいなあ。行動は手早く。準備は念入りに。
シンスケ:せっかちなんだよキミは。
葉 月 :決断力があると言って。
シンスケ:はいはい。それで。どう決断したの。
葉 月 :あそこから飛んでみる。
シンスケ:えー、あぶないよ。
葉 月 :大丈夫、葉月、運動神経には自信がある。
シンスケ:ほんとかなあ。
葉 月 :ほんと。
カヲル :けど、あぶないよ。下はちょっと堅いじゃない。
葉 月 :さっき見たけど、注意すればOK。どじ踏まないって。
シンスケ:でも、キミが飛ぶことと飛行機とどういう関係があるの。
カヲル :それは根本的な疑問だね。
葉 月 :関係はない。
二人  :は?
葉 月 :関係はないけど、意志はある。
シンスケ:なにそれ。
葉 月 :いったでしょ。パイロットの飛ぶ意志の確認。
シンスケ:まだパイロツト決めてないよ。
葉 月 :シンスケ。
シンスケ:はい。
葉 月 :あたしが決めたの。
シンスケ:はい。
カヲル :なんか先見えたよなー。
葉 月 :なんかいった。
カヲル :いいえ、なんにも。私は、口チャックの女。
葉 月 :よっし、じゃ飛ぶね。あ、これもってて。
シンスケ:あの・・スカート。
葉 月 :え、ああ。これね。大丈夫。気をつける。
シンスケ:きをつけるって。
葉 月 :見なきゃいいの。見たら・・殺す。
シンスケ:へーい。
カヲル :(こそこそと)すけべ。
シンスケ:(これもこそこそと)なにいってんだよ、注意してやっただけだろ。
カヲル :(こそこそと)それでもスケベ。
 
葉月、すたすたとちょっと高い岩の上に立つ。
 
葉 月 :あー、いい景色。世界はまさに私のためにあるって言うとこね。
カヲル :そうでしょそうでしょ。
葉 月 :何かいったー。
カヲル :なんにもー。
葉 月 :では葉月の初飛行を祝してカウントダウンお願いしマース。
シンスケ:えー、まじ。
葉 月 :なんかいったー。
カヲル :なんにもー。ほい、カウントダウン。
シンスケ:ちえっ。いくよー。
葉 月 :いいわー。シンスケー、あっち向いていってー。
カヲル :すけべ。
シンスケ:何でそこまで言われなきゃなんないの。
 
と、反対向いて
 
シンスケ:10,9、8、7
葉 月 :葉月飛びマース。
シンスケ:3,2,1、ゼロ!
葉 月 :えいっ。
 
と、とんだ。
きれいに飛んだが。
 
葉 月 :あっ。
シンスケ:どーしたー。
 
振り返ったが立ち上がらない。
 
シンスケ:えっ、
カヲル :やばい。
 
かけていくカヲル。
シンスケも後を追う。
岩の下についた。
 
シンスケ:どうしたの。
葉 月 :たてない。
シンスケ:ええ。
葉 月 :足。
カヲル :折ったの。
シンスケ:だからいわんこっちやない。どっち、右、左。
 
とあわてて、足を見ようとするが。
 
葉 月 :左。くじいたみたい。
シンスケ:なんだ骨折じゃないのか。
カヲル :あほ。何だとは何よ。くじいたかどうかわからないのよ。早く医者に連れていかないと。
シンスケ:けど、どうやって。
 
顔を見合わす。
 
シンスケ:街まで6キロはあるぜ。おまけに、ほとんど人いなかっただろ。
カヲル :背負う。
シンスケ:街までは自信ないな。
カヲル :車さえつかまえれば・・。
葉 月 :いい、私歩く。
シンスケ:だめだめ。
葉 月 :歩く。迷惑かけたくない。
 
と、立ち上がるが痛みに顔をしかめてまた崩れる。
 
カヲル :ダメね。かなり痛めてる見たい。うーん。応援頼むしかないか。あんた携帯は。
シンスケ:忘れてきた。
カヲル :ばかっ、役立たず。
シンスケ:仕方ないだろ。
カヲル :ほんとにここ一番役に立たないんだから。ようし。私行って来るわ。お父さん呼んでくる。岬の向こうまで言ったら電話ボックスあつたと思うから。
シンスケ:じゃ。僕が行くよ。その方が早いだろ。
カヲル :あたしの方が走るのはやいよ。それに、あんたも一応男の子だし、なんかでたら葉月守るのよ。
葉 月 :何かでるの。
カヲル :言葉のあや。男の子がいるとなんかの役に立つの。でも、あんた、オオカミになっちゃだめよ。
シンスケ:な、なにばかなこと。
カヲル :じゃ、いく。2時間ぐらいで迎えにこれると思うけど。・・これじゃ、暗くなるかな。
シンスケ:大丈夫。寒くないし。
カヲル :頼んだね。
 
カヲル、走り出す。
 
シンスケ:カヲル。
カヲル :何。
 
振り返ったカヲル。
 
シンスケ:気をつけて。
 
カヲル、黙って、向こうを向き拳を突き上げて走りさった。なんかの映画のヒーロー気分と勘違いしている。
間。
 
シンスケ:痛い?
葉 月 :まあね。
シンスケ:だから危ないっていたのに。
葉 月 :そんな言葉は聞きたくないわ。
シンスケ:どうして。
葉 月 :やって見もしない人が失敗した人をあざ笑ってるようでとてもいやなの。やらないで後悔するよりやって後悔する方がいいつ て聞いたこと無い。
シンスケ:・・ごめん。
葉 月 :こちらこそごめん。また嫌み言っちゃった。いやな女でしょ。
シンスケ:別に。嫌みとも思わないけど。
葉 月 :そう、いい人ね。
シンスケ:あ、それは嫌だな。
葉 月 :なに、いい人?
シンスケ:うん。何か馬鹿にされてる感じ。
葉 月 :してるつもりはないけど。
シンスケ:うん、それはわかるけど、なんか嫌だ。
葉 月 :わかった。もう使わない。
シンスケ:うん。
 
間。
 
シンスケ:ねえ、聞いていい。
葉 月 :何。
シンスケ:きみ、どうして来たの。
葉 月 :え、何、どういうこと。
シンスケ:いや、こういう言い方変だろうけど、なんだか不思議な気がするわけ。どうして、君が現れたんだろうつて。
 
くつとわらつて。
 
葉 月 :別に、変だとは思わないけど。
シンスケ:でも、きみはどこにすんでるの。どこから来たの。
葉 月 :答えなきゃいけない。
シンスケ:いや、別に。答えたくなければそれでいいけど。
葉 月 :ふふーん。不安なのね。
シンスケ:何が。
葉 月 :謎の美女。
シンスケ:は?
葉 月 :定番だものね。夏の終わり。海辺の避暑地。
シンスケ:ここ避暑地じゃないよ。
葉 月 :黙って。孤独な少年。かわいい従姉妹。
シンスケ:孤独と言うほどのことはないよ。それにカワイイ従姉妹というのは・・。
葉 月 :黙って。わかった。
シンスケ:はい。
葉 月 :そこに現れる、謎の美少女。
シンスケ:って誰よ。
 
にっこり笑って葉月、自分を指す。
 
シンスケ:はー。なるほどね。
葉 月 :定番なのよ。そこに訪れる初恋と少年の夏。青春の麗しい1ページ。甘く切ない恋の結末。
シンスケ:なんだかいかがわしいね。
葉 月 :やがて少女は夏の終わりと共に姿を消し、少年は想い出を抱いて旅だつのよ。
シンスケ:どこへ。
葉 月 :知らないわよ。だいたいそういうことになってるの、ほんとにくだらないわ。
シンスケ:あらら。
葉 月 :でもねー。夏の終わりにどこからか現れる美少女というのは常に王道なのよ。
シンスケ:どこの。
葉 月 :人生のドラマ。やはり謎の美少女というのははずせないわ。うん。
シンスケ:なんか美少女というのに力(りき)入ってるようだけど。
葉 月 :真実を強調するのにやぶさかではないのよ、私は。
シンスケ:いわれてもなあ。
葉 月 :どこから来たか知りたい。
シンスケ:ああ、それはね。
 
口調が変わる。
 
葉 月 :黄昏の光のほんのわずかずれたかげろうのような裂け目。その向こうから来たの。
シンスケ:え。
葉 月 :もう一度ね。どうしてもあいたかった。
シンスケ:何。
葉 月 :よかった、あえて。
シンスケ:葉月・・。
葉 月 :元気にやるのよ。いい。
シンスケ:まさか・・。
 
母に似ていた。
ふっと元に戻る。
 
葉 月 :って言ったらどうする。
シンスケ:えっ。
 
といつたまま、呆然としているシンスケ。混乱している。
 
葉 月 :シンスケ、ねえ、ちよっと。
シンスケ:何。
葉 月 :やーね、すこし気分入れたらボーっとなつて。ほんとにうぶね。
シンスケ:そんなんじゃないよ。
 
言うところへ、遠雷。
 
シンスケ:あ、やばい。
葉 月 :雨、ふりそう。
シンスケ:夕立かな。マダだと思うけど。
葉 月 :もう、降ってきた。
 
というところへあめがざーっと降ってきた。
あわてて、立ち上がる二人。
葉月支えて、シンスケが。
 
シンスケ:やばい。ずぶぬれになっちゃう。あそこ行こう。
 
再び遠雷。
 
シンスケ:歩ける。
葉 月 :大丈夫。
シンスケ:木の下だから少しは濡れないよ。
 
やっとの事で木の下へ。
雨はどうやら本降りだ。
 
シンスケ:こっちへよつて、ぬれる。
葉 月 :あいた。
シンスケ:大丈夫。
 
思わず二人見つめ合うが。
視線ハズしてシンスケ。
シンスケ:もっとこっちへ。濡れる。
 
二人、ぴったりひっついて座る。
いつの間にか二人手を組んでいる。
雨はずいぶん激しい。
 
葉 月 :ふふっ。
シンスケ:何、おかしいの。
葉 月 :カヲルに怒られそう。
シンスケ:なにが。
葉 月 :手を組むなって。
シンスケ:なるほど。
 
と、はずそうとするが、逆にぴったりと組まれる。
 
葉 月 :私は組みたいの。
シンスケ:・・じゃ、いいよ。
葉 月 :その代わりオオカミにはならないでね。
シンスケ:・・ならないよ。
葉 月 :よかった。
 
シンスケの肩に頭を寄せる。
シンスケはそちらを振り向くが、やがて前を向いてじつと闇を見つめる。
雨だけが激しく降る。
間。
 
葉 月 :私ね。
シンスケ:え。
葉 月 :好きな人いたの。
シンスケ:ふーん。
葉 月 :とても好きで、一日中その人のこと思って、でもなんか辛くてせつなくて不思議な気分だったの。ねえ、不思議でしょう。好 きな人がいるのに、苦しくなるのって。不思議じゃない?
シンスケ:それは・・たぶん不思議じゃないよ。
葉 月 :そう。シンスケもなる。
シンスケ:・・なるかもしれない。
 
間。
 
葉 月 :それでね。いつもいつもその人の姿が目に浮かぶわけ、笑ってる顔、走ってる姿、たわいもないおしゃべりしている声。風に 乗ったように、次から次へ景色が浮かんでは消えていくの。いつもいつもそのけしきのそばに頼りない私がいるの。どうしよう とおもいながらなにもできなくてただ見つめているだけの私がいるの。
 
間。
優しく。
 
シンスケ:それで。
葉 月 :あるときね、私の親友にあまり苦しいからそのことを聞いてもらおうとしたの。その時けどその親友も話があるっていって、 じゃあ、あなたの方を先に聞くわって言ってしまったの。言わなければよかった。ほんとにいわなければ・・。
 
間。
雨は続く。
 
シンスケ:それで。
葉 月 :わかるでしょう。親友は好きな人が出来たって言うの。いいじゃない、あたしもよっていいかけて、嫌な予感したの。だーれ って問う声がたぶん震えてたに違いない。私は言われる前からその答えがわかったの。
シンスケ:同じ人だったんだね。その好きな人。
 
こっくりと頷く葉月。
 
葉 月 :私が先だったんだよ。親友の方は、ずつと後で。私が先だつたのに。
シンスケ:その人は親友の方を選んだ。
葉 月 :違うの。
シンスケ:違う?
葉 月 :私が引いたの。
シンスケ:どうして。だって。
 
と、振り返り、腕をはずそうとするが葉月は必死に腕を組んで離さない。
葉 月 :耐えられないもの。私の想いを通そうとすると親友と争わなきゃならない。わたしその友達とっても大事な人なの。無くした くないの。でも、きっと争うことになる。それは私には耐えられない。それぐらいなら・・。
シンスケ:恋を棄て友情をとった。
葉 月 :そんなものじゃないの。そんなきれいなことじゃない。もっと、もっとどうにもならないことなの。私の心から、好きな人の 影を一つずつ消していかなければならなかったの。思い出そうとするのはかんたんだけれど、思い出そうとしても思い出せない ように一つずつ消していくのは・・。
シンスケ:辛いよね。
 
また、こっくりと頷く。
 
シンスケ:ねえ、ひよっとして。
葉 月 :何。
シンスケ:葉月、ここへ死にに来たんじゃない。
 
びくっとする。
 
葉 月 :そんなこと無いわ。
シンスケ:でもキミいつも同じ服来てるよ。
葉 月 :え・・。
シンスケ:キミ家に帰ってないんじゃない。
葉 月 :・・・・。
シンスケ:それに、ここらには別荘もないし、親戚の人がきてるつて言う話もないよ。
葉 月 :・・。
シンスケ:そうだろ。
 
ゆっくりかすかに頷く。
 
シンスケ:どうして。
葉 月 :消してしまってね、けしてしまたらね・・私も無くなってしまったの。おかしいでしょ。変でしょ・・。だけどダメなの。
シンスケ:危なかったんだね。あのとき。
葉 月 :・・そうね。適当な場所さがしてたらあなたがいた・・。
シンスケ:今は。
葉 月 :たぶん・・大丈夫。時々はあるけど。
 
手をはずそうとするが、しつかりと組まれる。
 
葉 月 :ダメ。今はダメ。お願い。
 
間。
雨。
 
シンスケ:キミはいい人だね。
葉 月 :その言葉・・大嫌い。
シンスケ:ああ、僕もだ。
 
再び、頭を肩に寄せてしっかりと腕を組む。
雨が降りしきる中。
ゆっくりと明かりが落ちていく。
 
Z決心
 
シンスケ:迎えはまもなく来た。葉月は雨に打たれて唇が紫色になっていた。それでも僕の腕をはなさなかった。カヲルがすごい目をし ていたが、ぼくは何でもなかったよと言ってやった。僕たちは叔父の車でかえつた。葉月はふるえ続けていた。叔父の家に帰り、 葉月を風呂に入れ、カヲルのベッドに寝かせたあと、叔父が表情のない声で言った。母が危篤に陥ったと。僕は来るべきものが 来たと思った。僕は本当に飛ばねばならないのだ。もう時間はほとんど残されていなかった。
 
溶暗。
トンカンする音。
溶明。
シンスケが必死で飛行機をなおしている。
葉月が現れた。
少し足引きずっている。
 
葉 月 :病院行かなくっていいの。お母さん大変でしょ。
シンスケ:あ、もういいの。
葉 月 :あれしきのこと。なんでもないわ。
シンスケ:強がって。
葉 月 :だつて、強がらなくちゃ持たないもの。
シンスケ:・・たしかにね。・・足は。
葉 月 :あ、もう痛みはだいぶ引いたから。
シンスケ:無茶するからだ。
葉 月 :へへっ。面目ない。
 
と昨夜のことを思いだしているが。
葉月はけろっとしている。
 
葉 月 :それより病院いかないの。
シンスケ:うん、これできたら行く。いま小康状態だっていってたから。
葉 月 :ふーん。いよいよ飛ぶか。
 
と、つんつんとさわってみて。
 
葉 月 :だいぶ直ったわね。
シンスケ:うん。けっこうつついた。
葉 月 :もうこうなりゃとぶしかないわね。
シンスケ:まだとべないよ。
葉 月 :いいえ、飛べる。シンスケなら飛べる。
シンスケ:むちゃくちゃ言うよ。
葉 月 :無茶じゃない。
シンスケ:どうして、そんなに言い切れるの。
葉 月 :だってそのために来たもの。そうじゃない。
シンスケ:え?
葉 月 :さあ、準備、準備。南の風だわ。ちょうどいい、インド洋の空へ向けて、南の風をいっぱいに受けて。風力、方向ともによー し。
シンスケ:葉月。
葉 月 :さあさあ、臆病者はあっちへおいといて。ほら、夏の風は気まぐれよ。飛ぶなら今。
シンスケ:どうして解る。
葉 月 :私の月だもの。葉月、八月。
シンスケ:なんだか。
葉 月 :ほら、吹いてきたわ。
 
風が吹いてきた。
 
シンスケ:葉月。
葉 月 :何。
シンスケ:飛べば何か見つかるかな。
葉 月 :何も。
シンスケ:なにも?
葉 月 :何かを見つけに飛ぶんじゃないでしょう。
シンスケ:じゃなに。
葉 月 :飛ぶために飛ぶんじゃなかつた。強い意志よ。一直線に夏の空を切り取るように。
シンスケ:空を切り取るように?
葉 月 :そう。ここからインド洋の高い青空めがけて一直線に飛んでいくの。ただただ飛んでいくの。そうじゃない。
シンスケ:わかったよ。
葉 月 :よーし。じゃ、飛ぶぞ。
シンスケ:キミはパイロットか。
葉 月 :もちろんよ。飛ばなきゃ女がすたるもの。
シンスケ:こえーっ。
葉 月 :やかましい。いくぞーっ。
シンスケ:よーし。
 
風が強くなる。
二人は、飛行機を出そうとする。
 
シンスケ:ほんとに大丈夫かなー。
葉 月 :男でしょ。大丈夫。
シンスケ:あのねー、強度計算がさあ。
葉 月 :ごちゃごちゃ言わない。めめしいぞ。
シンスケ:それつて、女の子に言う言葉だよ。
葉 月 :いまじゃ、男の子に言う言葉なの。いくよ。主翼いい。
シンスケ:なんとか。
葉 月 :尾翼もいい。
シンスケ:もちろん。動くよ。
葉 月 :動かなきゃ墜落するからねー。
シンスケ:大丈夫・・だと思う。
葉 月 :思うだけよけいなの。思ってばかりじゃ前進まない。元気は!
シンスケ:だいじょうぶ!
葉 月 :よっし。では、出航しまーす。
シンスケ:それは、船じゃない。
葉 月 :えー、ごちゃごちゃとうるさいやっちゃー。大空を航海していく空の船よ。ほっといてー。
 
そこへカヲルが駆け込む。
 
カヲル :何やってるのー、シンスケ!
シンスケ:なにって・・。
葉 月 :あなたも飛ばない?
カヲル :なにいってんの。危ないことやめなさい。大けがするよ。
葉 月 :大丈夫、アタシがついてる。
カヲル :だからよけい危ないの。トラブルメーカーさん。昨日足くじいたばっかりじゃない。シンスケ、あなたもいってたじゃない、 これは試作機だって。
シンスケ:いや、あの。
葉 月 :試作機ならいつかは飛ぶのよ。
カヲル :馬鹿言わないで。
葉 月 :あなたこそ、馬鹿言わないで。いつまでも、いつまでも、飛ばないでいることは出来ないの。一生試作機で終わることって出 来ないよ。そんなの、いつもいつも言い訳している大人みたいなものじゃない。
カヲル :なに、屁理屈こねてるの。現実を見て、これが飛ぶとでも思ってるの。羽はへろへろ、機体は重そうだし、第一シンスケはど う見ても運動音痴だし、これじゃ1メールだって、飛びやしない。あっという間に落ちちゃうよ。
 
葉月皮肉に切り返す。
 
葉 月 :でも、イカロスは勇敢に飛んだ。
カヲル :お話と現実ごっちゃにしないで。これは現実なの、飛んだら死ぬの。
葉 月 :飛べるわ。
カヲル :へー、どうやって。超能力でもあるとでも。それとも飛ぶ意志で。ばかばかしい。シンスケ。やめるんでしょ。
シンスケ:僕は。
カヲル :やめるよね。
葉 月 :飛ぶのよ。
シンスケ:ぼくは・・。
カヲル :シンスケ。
シンスケ:ありがとう、カヲル。心配してくれて。でも、僕は飛びたい。
カヲル :シンスケ!
葉 月 :それでいいの。
カヲル :あんたは黙ってて。・・シンスケ、これはいつものあんたの夢じゃないんだよ。飛ばないんだよ、こいつでは。とんだら、あ んたは大けがか、悪くすると死ぬんだよ。
シンスケ:ああ。わかってる。
カヲル :わかってるって、シンスケ。
シンスケ:かけてみたいんだ。
カヲル :かける。何を。
シンスケ:もし飛ぶことが出来たら。この飛べない飛行機が飛ぶことが出来たら。母さんの病気もひょっとしたら治るかもしれない。僕 が勇気を出して飛んだら、そのエネルギーが母さんを直すかもしれない。僕の勇気が母さんに伝わって、母さんが元気になるか もしれない。
カヲル :シンスケ・・。
シンスケ:夢かもしれないね。僕は落ちるかもしれない。でも、夢を見続ければいつかはきっと本当のことになるって、父さんは言って いた。僕はずいぶん夢を見続けた。たがら、ひょっとしたらね・・。
カヲル :シンスケ・・。あんたって。
シンスケ:僕が母さんを守らなければならない。昔、父さんがいなくなったとき自分と約束した。だから・・僕は飛ぶ。
 
間。
 
カヲル :えーい、こんちくしょ。どいつもこいつも馬鹿ばっかり。
葉 月 :どうするの、それでも止める。
カヲル :これで止めたらアタシまで馬鹿じゃない。仕方ないです。私が手伝いましょう。あんたらに任せてたら、ほんとに死人がでる もの。
シンスケ:カヲル。
カヲル :けっ、何。泣きそうな顔。いい、あたしさ、センチメンタルなこと嫌いなの。シビアに行きたいの。飛ぶなら飛べる確率上げ たいの。いい。とにかく、今日はダメ、アタシに仕切らせて。計画たてて。もう一度。いい、三日後に飛べるようにしましょう。 いいね。
シンスケ:もう十分仕切ってるよ。
カヲル :なんか言った。
シンスケ:いいえ。なんも。
カヲル :葉月、それでいい。
葉 月 :私は飛べればそれでいいの。
カヲル :よーし、きまったぁ。うっしゃー。
 
と、気合いが入るカヲル。完全に自分を見失ってるぜ。
 
[黄昏に飛ぶ
 
シンスケ:それからの三日間は地獄だった。飛ぶための地獄。夢を夢で終わらせないための地獄。母さんを助けるための、奇跡のための地獄。時間と競争の地獄。さいわい母さんは小康状態を保っている。あと、三日、あと三日だけでも・・お願いだから。
 
地獄が展開される。
コマ落としのように展開していく。
飛行機の羽を取り付け直す。
車輪がはずれる。
また、つける。
座席が抜ける。
そんなこんなのチャップリンの映画のようなシーンがセピア色の情景となって続く。
やがてゆっくり暗転。
 
シンスケ:できたっ!
 
明るくなる。
ああ、堂々の飛行機が完成している。
 
カヲル :出来たね。
葉 月 :出来たわ。
 
三人しみじみとしている。
間。
 
シンスケ:運ぼう。時間がない。
カヲル :お兄ちゃんが2トン出してくれるって。それからお父さんから伝言。早く病院に来いって。おかあさんかなり悪いって。
 
シンスケ、頷く。
 
シンスケ:飛んだらすぐに行くよ。
カヲル :おにいちゃーん。
 
と、呼びに行く。
おーい。と声がする。
明かりが落ちる。トップサスの中。
 
葉 月 :さて、かげろうにむかってとぶのね。
シンスケ:え?
葉 月 :お母さん頑張ってるのよ。今。
シンスケ:うん。
葉 月 :こっちも頑張らなきゃ。
シンスケ:キミもね。
葉 月 :・・うん。ありがとう。昨日。
シンスケ:まあね。
葉 月 :定番ならここでシンスケに惚れるんだけどなー。
シンスケ:ほれてもいいよ。
葉 月 :機会があればねー。
カヲル :用意できたよー。
シンスケ:はーい。いまいくー。
葉 月 :じゃ。
シンスケ:うん。
 
二人かけ去る。溶暗してトラックの音。発進音。
音が消えて。
 
\決行
 
葉 月 :絶対あたしだからねー。
カヲル :あたしだって権利あるよ。
シンスケ:僕の設計だぜ。
 
溶明。
誰が乗るかでもめている。
 
カヲル :あんたは運動音痴だからダメなの。葉月は足くじいてるからだめ。
シンスケ:おまえ、あれだけ反対してただろうが。
カヲル :私は目覚めたの。それに、ここでシンスケをこかしたらお母さんに申し訳ないの。
シンスケ:母さんをだしにするなよな。
葉 月 :低次元の争いはやめて飛ぶプロの私に任したら。
カヲル :プロは足くじいたりしないの。
シンスケ:あーもう。いいよ。とにかく飛行機飛んだらOK。くじ引きくじ引き。いいね。
カヲル :くじ引きー。
葉 月 :公平でいいわ。
カヲル :ちゃんと拵えるのよ。
 
くじを拵える。
 
カヲル :ねえ、何もなかったんでしょ。
葉 月 :なにが。
カヲル :雨の日。
葉 月 :ふふーっ。肩をマクラに寝ちゃった。
カヲル :えーっ。
葉 月 :ぎゅーと、抱きしめられたの。
カヲル :えーっ。しんすけーっ。
葉 月 :(小さい声で)うでをね。
 
ちょろっと舌を出す、やはり悪魔だ。
 
シンスケ:なにおこってんだよー。できたよ。はい。
 
カヲルぷんぷん怒りながら引く。
次に葉月が引く。
 
シンスケ:残り物に福は・・ないか。誰。
 
カヲルはがっかり。
 
葉 月 :ふっふっふ。当然の選択ね。美少女が初飛行を行います。
カヲル :いいように。けど危ないとおもったら止めるからね。
葉 月 :どうぞ。
シンスケ:じゃ用意するよ。
 
飛行機を位置に着ける。
 
シンスケ:乗り込んで。
葉 月 :はい。
シンスケ:いいね、風を待って、あの方向へ押し出す。坂になってるから少し危ないけど加速して行くはず。本当は車でひっぱつたりす るんだけど、それできないからあそこの突端でこのレバー。いい。落差を利用する。
葉 月 :うん。
シンスケ:そうするとたぶん揚力が十分つくはずだ。安定した飛行を3分は続けられると思う。
葉 月 :たぶん?思う?
シンスケ:十分つく。続けられる。
葉 月 :よっし。美少女が乗ってるんだ。確実じゃ無いとね。
シンスケ:くどいぞそれ。
葉 月 :なにが。
シンスケ:美少女って言う奴。
葉 月 :いいじゃない。真実だもの。
 
少しの間。
 
シンスケ:認めるよ。
葉 月 :え。
シンスケ:キミはきれいだ。
葉 月 :・・。
シンスケ:で、あそこの草地のあたりへ来たらレバーさげてゆっくり着陸。いい。
葉 月 :・・いいよ。
シンスケ:では。
 
少し下がって。
シンスケ軽く敬礼する。
葉月は返さず。
 
葉 月 :シンスケ。
シンスケ:何。
葉 月 :これおわったらつきあってやってもいいぞ。
シンスケ:な、なにいってんだよ。
葉 月 :じょーだん。あはは。まっかになってる。
 
葉月明るく笑う。
 
カヲル :時間よー。
葉 月 :行って来ます。
 
再び美しく笑う。
 
カヲル :かぜきたよーう。
シンスケ:おせーっ。
 
二人で押す姿勢。
ゆっくりと暗くなり飛行機だけが浮かぶ。
シンスケたちが浮かぶ。
 
シンスケ:そこだレバーおせーっ。
カヲル :いけーっ。
 
葉月、レバーを押した。
一瞬まがあり。
 
シンスケ:やったー、とんだーっ。
カヲル :うっそーっ。
シンスケ:とんでるよーっ。
 
二人手を取り合って大騒ぎ。
(音楽なんかやつて盛り上げてね。スモークやドライアイスもいいかもしれない)
 
シンスケ:飛行機はゆっくり黄昏の光のなか浮かびあがった。葉月の姿が黄色い光のなかをとんでいく。15秒、30秒、45秒。やが て来る夜とまだおわらぬ昼の光の間に訪れたかすかな時間。様々な形がずれていく。かげろうのように、揺れては、その向こう から何かが見える。ぼくは泣いていたに違いない。だって、カヲルも泣いているもの。葉月の姿がぶれて見える。これはきっと なみだのせいに違いない。絶対直る。母さんだって、絶対直る。かあさんガンバって。僕の飛行機今飛んでるよ。60秒。そう して、1分13秒後、葉月の姿が今にもしずもうとする太陽に重なって、黄色く染まったとき。
カヲル :落ちる!
シンスケ:葉月はゆっくりと舞いながら落ちていった。まるで、その光の隙間からのぞいている世界へ帰っていくようにボクには確かに そう見えた。・・葉月ーっ!!
 
衝撃音、暗転。
風の音。
明るくなる。
壊れた飛行機。あんまりは壊れていないようだ。
駆け込む二人。
 
シンスケ:葉月、葉月ー。
カヲル :いないよ。
シンスケ:えー。そんなことあるか、どこか投げ出されてるよ。さがせ。
 
二人狂気のように探しまくる。
 
シンスケ:いた?
カヲル :いない。
シンスケ:もっと探して。
カヲル :でもいないの。
シンスケ:探すんだよ!
 
やがて二人は現実に直面する。
 
カヲル :どこいったんだろう。
シンスケ:どこいくったって、行きようがないだろう。飛行機から飛ぶか。
カヲル :でもいない。
シンスケ:こんなことって。
カヲル :あるのよ。
シンスケ:なにが。
カヲル :前から思ってた。
シンスケ:なにを。
カヲル :不思議な子だって。
シンスケ:そりゃ不思議は不思議だけれど。
カヲル :知ってた。シンスケ、あの子、ここにあざあるでしょ。
 
と胸の上をさす。
 
シンスケ:そんなの知るわけないよ。
カヲル :ほんとに。
シンスケ:当たり前だろ。
カヲル :あたし着替えるとき見たの。ここにあるアザ、蝶のようなあざ。
シンスケ:え?それ。
カヲル :お母さんのアザと同じじゃない。
シンスケ:まさか・・。
カヲル :まさかね・・。でも不思議。
 
顔を見合わす。
飛行機の残骸にふれて。
 
カヲル :壊れたね。
シンスケ:ああ。
カヲル :奇跡起こらないのかな。
シンスケ:たぶん・・ね。
カヲル :病院行こう。まだ間に合う。
シンスケ:うん。
 
行こうとするそのとき、鈴を振るような笑い声。
二人はっとする。
 
カヲル :あれ・・。
 
葉月がいる。
 
シンスケ:葉月、・・葉月?・・葉月!葉月!
 
葉月の姿は二人には見えない。
葉月は、帽子を脱いで笑った。
八月の終わりの風が吹き渡る。
シンスケはこらえながら葉月を呼んだ。
 
シンスケ:葉月ーーっ!
 
風が葉月を載せて飛んでいくようだ。
葉月は静かにシンスケに敬礼をする。
        そうして、帽子をかぶり、振り返りもせず去っていった。
シンスケが呆然と黄昏の空を見上げている。
 
シンスケ:風に吹かれて消えた笑い声を聞いたとき、胸の中で何かがコトリと音を立てた。鍵穴に鍵がはまりかちゃりと回り、そのとき 突然ボクは母が亡くなったことを知った。
 
暗転。
 
\エビローグ
 
つくつくほーし。
溶明。
どこかでかすかに歌曲が聞こえている。
骨壺を抱えているシンスケ。
 
カヲル :元気出して。
シンスケ:うん。
 
間。
 
カヲル :また来るんでしょ。
シンスケ:うん。お骨納めたらね。
 
と、何かを探すように見回す。
もちろん誰もいない。
 
カヲル :ちょっと寂しくなるね。
シンスケ:うん。
 
間。
 
カヲル :あんたまだあのこのこと考えてる。
 
ちょっとまぶしいようにカヲルを見るシンスケ。
 
シンスケ:どうかな。
カヲル :考えてる。・・バカ。
 
と、小さい声。
 
シンスケ:え?
カヲル :なんでもない。さよなら。
 
とばっとかけさる。
 
シンスケ:カヲル!
 
止まってゆっくり振り返る。泣きそうな顔だ。
 
カヲル :なによ。
シンスケ:ありがとう。
 
深々とお辞儀。
カヲル顔がくしゃくしゃになりそう。意地でこらえて。
 
カヲル :なによ。
シンスケ:忘れないよ。
カヲル :当たり前じゃん。忘れられてたまるかバカシンスケ。
シンスケ:ひどいなあ。
カヲル :さよなら。
 
カヲルは真顔で言った。
 
シンスケ:さよなら。
 
と、立ち去ろうとする。
 
カヲル :あ、かげろう。
 
かげろうのようなぼんやりした黄色い夕方の光。
晩夏のものうい空気が漂う。
 
シンスケ:かもね。
 
ゆっくり歩き出すシンスケ。
見送りながら最初はゆっくりやがて激しく手を振るカヲル。
そうしてすべてがスローモーションになり、その中をすれ違っていく白い日傘の女。
三者三様のラインが交差する中、歌曲大きくなって。
 
                                                        【 幕 】


結城翼脚本集 のページへ