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「ハイドロニウムの空の下」
                作 結城 翼
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
★登場人物
いちご・・・・
カヲル・・・・
カモメ・・・・
うさぎ・・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
#1プロローグ・・プラネタリウム
 
        満天の星の下。プラネタリウム。
        いすが三つある。(いすはBOX型。後方が開いていてそこにいろいろ小物を隠すことができればなおよい)
いすに座って一人見上げている、おばさんスタイルのカヲル。
 
カヲル:あれはアンタレス。これはオリオン、あそこはカシオペア、それは蛇使い座、双子座、南十字星、・・・・
 
弾むような声は、15才のそれだ。ギャップが激しい。
そばに立ってそれをじっとみているいちご。
 
カヲル:いちご:、あれなんだ?
いちご:カシオペアかな。
カヲル:ぶーっ、オリオンだよ。ちっとは覚えなよ。いちご:。
いちご:うん。オリオンね。わかった。覚えとく。
カヲル:忘れちゃだめよ。
 
        また、星を見続ける。
 
いちご:一月前、母は十五歳になりました。・・母は疲れるとよく、プラネタリウムにきてました。何でも、昔よく父とここでデートをし    たそうです。父は5年前、はねられそうになった子供を助けようとして、あっけなく車にはねられて死にました。酔っぱらい運転    でおまけに保険にも入ってない若者の暴走運転です。殺されたと一緒です。母はのんきな専業主婦で、特技も資格もありません。    わずかな生命保険のお金は、あんたの学資代にしなきゃと言うことで、母は働きにでました。といっても、こんな時代ですから、    せいぜいパートぐらいしかありません。スーパーのレジ、食堂の皿洗い、朝の新聞配達。夜明けから、夜中まで、働きづめです。    働けるだけ働かなきゃ。体だけは、丈夫だからね。大丈夫。口癖でした。でも、一ヶ月前に。
カヲル:お姉ちゃん、見てみて、あれ、星が流れたよ。
 
        ぼーっと、汽笛が鳴って星が流れる。
        何かが夜空を駆け抜けていく。
 
いちご:ほんとだ。きれいだね。
カヲル:うん。
いちご:母は、今十五歳です。カヲルという15歳の少女です。いいえ、おかしくなんかありません。母は壊れた訳じゃありません。どこ    も正常なんです。でも、父と出会った15才から後の記憶はありません。なにも人生を知らなかったあのころに帰ってしまいまし    た。原因は分かりません。お医者さんは、過労が引き金になった慢性ストレスから来た一時的なものだろう。まあ、経過を見るし    かないね。としか言ってくれません。母は今大人をやめています。
カヲル:あっ、いけない。
いちご:どうしたの。
カヲル:八時から「二度目も愛して」を見なくちゃ。あれ、来週で終わっちゃうのよ。
いちご:「二度目も愛して」あんな、甘ったるくてダサイ、ドラマのどこがいいのよ。
カヲル:ちっちっ、あの甘さがよい訳よ。記憶喪失のヒロインが、それと知らずに離婚した夫と再び恋に落ちる。なんてロマンチックじゃ    ない。
いちご:あたしにゃ、ご都合主義としか思えないけど。
カヲル:そこがいいんだ、いちご:君。君は、人生の機微というものを知らない。ふっ。
いちご:なにが人生の機微なんだか。・・帰るの。
 
        帰りかける、カヲル。
 
カヲル:そっ。先帰るから。お姉ちゃん、買い物でしょ。なら缶ジュース買ってきて。炭酸抜きね。今晩なに。
いちご:コロッケ。
カヲル:なんだ、たまには豚カツでもばーんといきゃいいのに。
いちご:贅沢よ。コロッケで十分。あとで、キャベツ刻んでね。
カヲル:はいはい。コロッケかあ。ジュース頼んだよ。
 
        と、去る。
 
いちご:はいはい。・・(ため息ついて)人生に二度目なんてのは無いのよ。お母さん。
 
        反対側に去ろうとする。
        カモメ:が入ってくる。
 
#2私はカモメ:
 
カモメ:やっぱりここにいた。
いちご:ああ、カモメ。どうしたの。
カモメ:にらんだ通り。
いちご:なにを。
カモメ:ヤーチャイカ!ヤーチャイカ!
いちご:なにそれ。
カモメ:私はカモメ、私はカモメ。
いちご:そうだよ。あんたはカモメ。わたしはいちご。
カモメ:ちがう、ちがう。テレシコワだわ。
いちご:なにそれ。ピッチ?
カモメ:ばかっ。常識なしめ。女性宇宙飛行士だよ。
いちご:ああ、向井千秋さん。
カモメ:ちがう、ちがう。世界で初めての。
いちご:ええ、ちがうの。どこの人。
カモメ:旧ソ連。
いちご:ああ、あの滅亡した国。
カモメ:なんだか世界史みたいなこと言わないで。
いちご:え、だって世界史でしょう。
カモメ:まあ、そうだけど。ああ、いらいらする。
いちご:いらいらするのは私よ。カモメがどうしたの、カモメ。ああややっこしい。
カモメ:ややっこしいのはあんたの頭。言ったのよ。
いちご:なんて。
カモメ:私はカモメって。
いちご:あんたが。
カモメ:ちがーう!あんた。ひよっとして、おちょくってないわたしを。
いちご:あはっ。わかる。
カモメ:もーっ。漫才やってる暇ないんだから。
いちご:漫才はあんたでしょ。
カモメ:私はカモメ。
いちご:あんたはカモメ。
カモメ:(ドスを利かして)き・き・な・さ・い。
いちご:はい。
カモメ:テレシコワという宇宙飛行士が言ったのよ。・・・・年、女の人で初めて宇宙を飛んだとき。私はカモメ:って。ヤーチャイカ・ヤ    ーチャイカって。全世界に向かってね。
いちご:地球は青かった。ガガーリン。
カモメ:この一歩は私にとっては小さな一歩だが人類にとっては大きな一歩だ。
いちご:(毛利さんか誰かの言葉)
カモメ:なんだ。知ってるんじゃない。
いちご:まあね。お母さんこんなの好きだから。でも、テレシコワは知らなかったな。
カモメ:お母さんしってたよ。
いちご:え、どうしてしてそんなこと知ってるの。
カモメ:お母さんよくここへきてたでしょ。
いちご:うん。でもどうしてカモメが知ってるの。
カモメ:へへっ、2ホームの垣内君。知ってる。
いちご:垣内?あのぼーっとした。カモメ・・まさか。つきあってるの?!
カモメ:へっへっへ。お奉行様。お察しのいいことで。
いちご:ほーっ、カモメ:や、おまえも存外悪じゃのう。
カモメ:お奉行様には負けまする。一つ、これでご内聞に・・。
いちご:おうおう、口止め料に山吹色の饅頭か。これにて一件落着。お互い我ら悪じゃのう。
二 人:ほっほっほ。
カモメ:なにやらせんの。
いちご:カモメが勝手に走ったんじゃない。
カモメ:そうかあ。まあいいわ。ところでなに言ってたんだっけ。
いちご:あきれた。えーと。
カモメ:垣内君。
いちご:覚えてるなら早く言いなさいよ。
カモメ:今、思い出したとこよ。えっと、彼もさ割合星に興味持ってるわけね。天文地学の副部長だし。
いちご:へー、そうなんだ。
カモメ:そうなの。それで、時々、つれてきてもらってたの。
いちご:いつからよ。ねえ。いつから。
カモメ:えーと、6月ぐらいからかな。梅雨でじめじめしてたとき、ここ気持ちよかったからね。
いちご:暗いとこが好きなんだ。
カモメ:いちご、いやらしい。
いちご:でも、そうなんでしよう。このう。
カモメ:ごほん、まあ、確かに嫌いではない。
いちご:はいはい、ごちそうさまでした。
カモメ:なに言ってるのよ。ロマンチックじゃない。
いちご:あんたが言っても説得力ないのよね。
カモメ:この不感症女が。
いちご:それで。
カモメ:だから、夏の終わり頃だったかな。お母さんとここであったわけ。
いちご:なんだ。そんなことか。
カモメ:何だじゃ無いわよ。変なこと言ってたよ。
いちご:なんて。
カモメ:私も宇宙を飛びたかったって。
 
        いちご:、何ともいえず笑う。
 
カモメ:結構マジだったよ。お母さん。
いちご:宇宙を飛びたい?お母さんが?
 
        照明が変わる。
        母がでてくる。
        つぶやく。
 
カヲル:ヤーチャイカ。ヤーチャイカ。
カモメ:えっ?
カヲル:これはね女性で初めて宇宙を飛んだテレシコワという人が地上に話しかけた最初の言葉よ。
カモメ:何という言葉です。
カヲル:日本語で言うと、私はカモメ。私はカモメ。
カモメ:あら、私の名前と同じだ。
カヲル:そうね。あなた、カモメさんだったわね。いちごがいつもお世話になってます。
カモメ:いいえ、こちらこそ。
カヲル:そちらの方はお友達。
カモメ:え、ああ、はい。
カヲル:若い方はいいですわね。
カモメ:ええ、いや、そんな、大したことないですよ。
 
        横にいると思われる垣内君と仕方ないでしょ、社交辞令よと脇ぜりふ。
        カヲルが何か言ったことを聞き逃す。
 
カモメ:えっ、何ですか。
カヲル:気持ちよかったんでしょうね。テレシコワさん。
カモメ:そう・・でしょうね。
カヲル:青い宝石みたいな地球が浮かんでいる。私は、その上をカモメとなって飛んでいる。みんな、聞いて、私を見て、私は、カモメ、    私は、カモメ。
カモメ:はあ。
カヲル:カモメさん。
カモメ:はい。
カヲル:あんなにたくさん星があるでしょう。
 
        と、天空を指さす。プラネタリウムの星が輝く。
 
カモメ:ええ。
カヲル:あれは、なにが燃えて輝いているかご存じ。
カモメ:えーと、あれは、何だっけ。(垣内君に聞く)え、ほんと。
カヲル:そう。お詳しいわね。まあ、天文地学部の副部長さんなの。どうりで。なら、話が早いわね。そう。水素が燃えて大きなエネルギ    ーを出しているのよ。核融合反応ね。爆発しているわけ。太陽だって、アンタレスだって、オリオンだって。あの、暗い宇宙に輝    く星の海は水素が爆発し続ける海よ。私たちは、水素の空の下で生きているわけね。
カモメ:はあ。水素ですか。水ですよね。
 
        カヲル、くっと笑う。
 
カヲル:そうね、青い水の輝きね。気持ちいい光よ。
 
        カヲル美しく笑う。
        照明変わる。
 
カモメ:気持ちいいでしょうって言ってたよ。
いちご:きもちいい?
カモメ:うん。
いちご:そう・・。
 
間。
 
いちご:ねえ。
カモメ:なに。
いちご:なぜそんなこといったんだろ。
カモメ:さあ。
いちご:やー、・・なんだっけ。
カモメ:ヤー、チャイカ。私はカモメ。
いちご:ヤーチャイカ。
カモメ:ヤーチャイカ。
いちご:ヤーチャイカ。私はカモメ。
カモメ:こちら、地上管制局。どうですか。
いちご:ヤーチャイカ。私はカモメ。私はカモメ。
カモメ:ヤーチャイカ。私もカモメ。
 
雰囲気壊れる。
 
いちご:もう、カモメったら。
カモメ:(笑って)ごめん。ごめん。でも、きもちいいだろ。
いちご:確かに。暗い宇宙にぽっかり浮かんだ青い地球みながら、とんでる。
カモメ:水素の青く輝く光の下を。
いちご:でも、なぜそんなこといったんだろ。
カモメ:さあ、けど、お母さんすごくきれいだったよ。
いちご:あのおばさんが。
カモメ:おばさんなんて失礼な。なんか、目がきらきら輝いてた。あれは、ほんとに宇宙飛行士になりたかったんだね。
いちご:まさか。
カモメ:いちご君。人は見かけによらないよ。君は人生の機微というのを知らないね。・・どうしたの。怖い顔して。
いちご:ごめん。なんでもない。ただ、さっきもその言葉を聞いたもんで。
カモメ:わかるわかる。君は鈍いんだ。
いちご:カモメ。
カモメ:じゃね、これからカラオケ行くから。
いちご:彼と。
カモメ:もちろん。
いちご:それわざわざいいに来たわけ。
カモメ:え?・・ああ、ちがうちがう。話があさってのほう行ったから。先生から伝言。明日、転校生が来るから、早めに出席簿を取りに    くるようにだって。あんた、庶務委員だろ。
いちご:そうだけど。転校生?
カモメ:うん。うさぎって言ってたな。
いちご:(笑って)月野って言わなかった?
カモメ:(笑って)まさか、それなら出来過ぎよ。あれっ、けどなんか似てたな。えーと、とポケットから紙を出す。あ、似てるわこりゃ。    天野だって。
いちご:天野うさぎ?!おいおい。
二人 :天に変わってお仕置きね!
 
        笑って。
 
カモメ:じゃ、そういうことで。
いちご:はいはい。遅くまでやってると補導されるよ。
カモメ:平気平気。保護者同伴だもの。
いちご:えー、家族と行くの?
カモメ:垣内君のおじいちゃん、これがもうバリウマ。老人会の・・だって。
いちご:嘘ーっ。
カモメ:これつきよ。(と飲むまねして)おじいちゃん話せるから。
いちご:不良娘が。
カモメ:シンデレラはご帰還の時間じゃないの。
いちご:ああ、そうなのよ。家事に縛られ、自由な時間ももてない、あたしは不幸なシンデレラ。
カモメ:まあね。お母さんいままで十分シンデレラしてきたから、ちょっとはやったりなさいよ。じゃねー。
 
        カモメ:去る。
 
いちご:カモメ:が何気なく言った言葉は、なんだかぐさっと私の心臓を刺した。そうだ、お母さんは今までじっとシンデレラに耐えていた    んだ。なにも言わずに。
 
        プラネタリウムを見上げる。
 
いちご:このプラネタリウムを見て。宇宙飛行士になった気分になって。・・ヤーチャイカ、ヤーチャイカ。私はカモメ:、私はカモメ:。
 
        ふーっと、大きく息をついて。
 
いちご:いちご:、ファイト!いちご:、ファイト!いちご:、ファイト!
 
        と、ぱんぱんと自分で頬をたたき。
 
いちご:らんらんららーららー。
 
        と、たとえば鉄腕アトムの歌を歌いながら去る。
 
#3転校生
 
照明が変わり、朝となる。
        キーン、コーン、カーン、コーンと朝のチャイムが鳴っている。
        教室のざわめき。
        鞄を持って入ってくるいちご。
        おはよう。おはよう。昨日、どうだった。部活はとかあさの日常会話を周りとちよっとして席に座る。
        ざわめきは続いている。
        カモメが入ってくる。
 
カモメ:やっほーっ。おっはよー。
 
        と、適当に周りに挨拶して、いすの一つに鞄をおく。
 
カモメ:あーっ、頭痛い。
いちご:昨日、飲み過ぎたんでしょ。
カモメ:大きな声で言わないで。
いちご:酒臭いわよ。
カモメ:えっ、やばい。
いちご:嘘。
カモメ:なんだ。脅かして。みそ汁2杯飲んできたから大丈夫だと思ったんだ。
いちご:若芽と豆腐。
カモメ:ぶーっ。大根と揚げ。
いちご:卵焼きにあじの干物。
カモメ:ぶーっ。目玉焼きに蒲鉾。
いちご:デザートはブドウ。
カモメ:ぶーっ、何にもなし。
いちご:貧しい食卓だ。
カモメ:食ってる暇無かったのよ。せつかくメロンがあったのに。
いちご:朝からメロン?
カモメ:貰い物。もったいない、もったいないでおいといたから、ほとんど腐りかけよ。もううちの家族はあほなんだから。
いちご:朝食食べられるだけ幸せよ。
カモメ:今日は、朝食抜き?
いちご:疲れてて、目覚まし鳴ったのわかんなかった。気がついたら、8時よ、8時。なにができるわけ。
カモメ:クソと歯磨き。
いちご:下品。
カモメ:人生の真実に直面したろ。
いちご:母さんたたき起こして、後頼んできたけど、ご飯炊かなきゃいけないんだよね。
カモメ:できるんでしょう。記憶はなくても。そんなのは忘れないって聞いたけど。
いちご:それが、どうもね。下手になったんだ。
カモメ:下手にって?
いちご:歳相応になったって言うか。手際も悪いし、味付けなんかもねえ。家事の苦手な十五歳の女の子、そのまんまって感じ。
カモメ:へーっ、そうなんだ。
いちご:そうなのよ。
カモメ:なんか不思議だなあ。身体が覚えていると思うんだけどねえ。
いちご:人生の不可思議ってやつよ。
カモメ:そんなもんかねえ。
 
と、感心したところへ。
うさぎが入ってくる。
 
いちご:転校生よ。
カモメ:うさぎ:か。
いちご:天野うさぎ。
 
二人居住まいを正す。
うさぎが中央にたつ。
あっと、いちごが声を出す。
 
カモメ:いちご、どうしたの。
うさぎ:似てる。
カモメ:え、誰に?
うさぎ:またあったね。
 
うさぎがいちごを見つめている。
にっこりするうさぎ。
 
いちご:え?
うさぎ:だからやったきたよ。
            
暗転。いちごとうさぎにポイント。
 
いちご:似てるわ。
うさぎ:(くくっと笑って)誰に。
いちご:わからない。けれど、誰かに似てる。いいえ、顔じゃない。なんだろ。・・あなた誰。
うさぎ:天野うさぎ。よろしく、いちご。久しぶり。
いちご:気安く言わないで。いつあったのあなたに。覚えてないわ。
うさぎ:さあ、いつだったかな。覚えてないくらい昔かも。
いちご:ふざけないで。
うさぎ:ふざけてなんかいない。呼んだでしょ。
いちご:だれを。
うさぎ:もちろん私。
いちご:私が。呼ぶわけ無いでしょ。知らないのに。
うさぎ:そうか。知らないか。
いちご:変なこと言わないで。
うさぎ:変なことじゃないよ。いこう。
いちご:いこうって、どこへ。
うさぎ:もちろんいちごのうちよ。
いちご:なに馬鹿なこと言ってるの。
うさぎ:そんなに、馬鹿?
いちご:授業始まっちゃうじゃない。一時間目よ。
うさぎ:そうかな。
 
ぱちっと、指をあげて音を出す。
明るくなる。
 
うさぎ:ほら。あなたの家よ。
いちご:えっ。
 
カヲルがいる。
いちごの家である。
 
いちご:そんな。そんな馬鹿な。あなた、なにしたの。
うさぎ:なんにも。
いちご:だっ、だって、だって。ここ、ここ。
うさぎ:いちごの家。違った?
いちご:ちがわない。でも・・。なぜ、さっきまで教室に。
うさぎ:現実なんて、認識の処理の仕方にすぎないわ。
いちご:え、なに。
うさぎ:何でもない。・・お母さんだ。こんにちは。
カヲル:こんにちは。お姉ちゃんどうしたの。学校は。
いちご:あ、いや。その。
カヲル:あ、ふけちゃったんだ。この不良娘。
いちご:そんなんじゃないよ。ただ、この。
 
と、うさぎ:を指す。
 
カヲル:お姉ちゃんのお友達?
うさぎ:もちろん。
いちご:(前のせりふと同時)とんでもない。
カヲル:え?
いちご:このひとはね
うさぎ:天野うさぎ。よろしく。
カヲル:へーっ。月野じゃないの。
うさぎ:ま、みなそういうけど。残念ながら。
カヲル:なんだ。
いちご:このひとはね。
うさぎ:いわゆる一つの転校生。
カヲル:へーっ。かっこいい。
うさぎ:でしょ。へっへ。
いちご:もー。
カヲル:お姉ちゃん、ジュース冷えてるよ。
いちご:え、ああ。飲む?
うさぎ:悪いね。
いちご:お客さんだから。
 
と、ジュースを取りに引っ込む。
 
カヲル:ねえ、どこかであったかな。
うさぎ:どうして。
カヲル:なんだか、そんな気がする。
いちご:そうね。あったよ。
カヲル:どこで。
うさぎ:いつか。
カヲル:いつか?
うさぎ:ハイドロニウムの空の下。
カヲル:知ってるんだ。ハイドロニウム。
うさぎ:もちろん、知ってるよ。ずっと、ずっと前から。
カヲル:ほんとに。
うさぎ:ほんとうだよ。
カヲル:今も?
うさぎ:そう。
カヲル:すごい。
いちご:それほどじゃないわ。カヲルだって、知ってるじゃない。
カヲル:ああ、知ってる。でもいけないなら何にもならない。知ってるだけじゃどうしようもない。
うさぎ:いけるかもしれないよ。
カヲル:えっ!
うさぎ:行く気があればね。ある?
カヲル:もちろん。
うさぎ:じゃ、約束。
カヲル:ほんとよ。
 
指切り。ストップモーション。
いちごが、ジュースを持っていこうとして、二人を見て、取り落としそうになってはっとする。
かげからみている。
 
いちご:そんなはずが・・。母とうさぎがなんだか似ていた。いいえ、顔や体つきじゃなくて、なんと言うんだろう。雰囲気?違う。もっ    となんか深いところだ。私にはわからない。でも、二人の間になんだか入るのは悪いようなそんな感じ。私は、訳もなくむかつい    てきた。
 
ずかずかっとはいる。
 
いちご:はいジュースだよ。
うさぎ:ありがと。
いちご:ねえ。ぼつぼつほんとのこと言ったら。
うさぎ:ほんとのこと。
いちご:そう。
カヲル:ねえねえ、うさぎってハイドロニウムの空知ってるんだって。行けるんだって。すごいよね。カヲル:も行く約束したよ。
いちご:ハイドロニウムって、あんたそれ。
カヲル:いくんだもんねー。
うさぎ:ねーっ。
いちご:天野さん!
うさぎ:おおこわ。何、目固めて。
いちご:人んち押し掛けてくるのはいいけど、勝手なこと言って母を惑わすのやめてくれる。ハイドロニウムの空なんて。あれは。
カヲル:いちご。
うさぎ:あんたは黙ってなさい!
 
うさぎ、くっくっくっと笑い出す。
暗くなっていく。
ポイント二つ。
 
いちご:何おかしいの。
うさぎ:あなた、ほんとにどうしようもない現実主義者ね。
いちご:くだらない夢吹き込む怪しい人よりはましよ。
うさぎ:夢がないわね。みたいと思わないの。
いちご:夢?夢なんて見るのは母だけで十分よ。私にはこんな現実がのしかかっているの。
うさぎ:(ため息つく)やれやれ、ほんとに必要なのはいちごかもしれないね。
いちご:なにがよ。
うさぎ:ハイドロニウムの星の海。
いちご:何?
うさぎ:ちっとは飛んでごらんよ。
 
うさぎ、指をあげる。
 
いちご:何するの。
うさぎ:ヤーチャイカ。
 
うさぎが、ぱちっと指をはじいた。
ぼーっと、汽笛が鳴る。
明るくなる。
 
カモメ:いちご。いちご。
うさぎ:え?
 
うさぎは元の位置。
 
カモメ:どうしたの。転校生にぼーっとしちゃって。あんた、そんな趣味あったの?
いちご:え?なにいってんの。疲れかな。
 
    うさぎが席に着く。
        いちごの方は見ていない。
 
いちご:どういうわけか、彼女はハイドロニウムの空を知っている。母の作った空想の世界なのに。
 
        うさぎ、指名されたらしく立ち上がり、本を読む。
 
うさぎ:昔、竹取の翁というものありけり。野山にまじりて竹をとりつつよろづの事につかひけり。
 
        読み続けるうさぎ。声は聞こえなくてよい。口ぱく。
 
いちご:しかし、彼女はその日何事もなかったように、その後私には一言も口を利くことが無かった。あんな出来事が本当にあったとはと    ても思えない。
 
        うさぎ、座る。
 
いちご:母とうさぎが似ているのはなぜだろう。どうしても、それが気にかかる。うさぎに聞いてみたいが、実際に聞くのは少し怖い。
 
        きーんこーんかーんこーんのチャイム。
        一同立ち上がる。礼。
 
いちご:あっ、天野さん。
 
        うさぎ、にっこり会釈してそのまま去る。
 
いちご:あ、まって。天野さん。
カモメ:どうしたのよ、いちご。今日、変だよ。とっても。
いちご:え、どうして。
カモメ:だって、ぼーっとしてるし、なんだか天野さんの方ばかり食い入るように見てるし。一瞬、その気があるか思っちゃったぐらい。
いちご:冗談言わないで。
カモメ:もちろん、真実よ。・・うそ、うそ。怖い目するなって。いちごと天野うさぎの間になにがあったのか。はい、真実はどうですか。
 
        と、マイクを突きつけるまね。
 
いちご:(顔を隠して報道陣を避けるポーズ)何にもありません。
カモメ:(しつこくインタビューするまね)何にもありませんじゃないでしょう。ねえ、いちごさん。あんたの真実をお茶の間のみなさん    が知りたがってるんです。答えるのが義務じゃありませんか。
いちご:お答えすることはありません。
カモメ:ありませんじゃ困るんですよね。芸能人として我々の問にきちんと答えることが、国民のみなさんの疑惑に答える道じゃないです    か。
いちご:(素に戻って)なんで、私が疑惑をもたれなきゃいけないのよ。
カモメ:はっはっ。いちごってほんとにのりがいいもの。
いちご:人おもちゃにして。
カモメ:でも、謎は謎よね。
いちご:えっ、なにが。
カモメ:あんたとの事じゃなくて、天野うさぎ自身。
いちご:さすが、情報屋。なんかつかんだの。
カモメ:もちろん。事務の鳳さんの旦那さんがうちのお母さんの勤め先のお得意の会社の専務の遠縁の。
いちご:は?
カモメ:いいでしょ。そんなことは。
いちご:あなたが言ったのよ。
カモメ:漫才やめよ、くどいから。
いちご:カヲルが始めたじゃない。
 
        と、言いかけてお互いストップ。
        いい、うんいい。と確認して。
 
二人  で、その話は。
カモメ:ああ、もうもつれる。話は、こうなの。あの子、元の学校わからないのよ。
 
        と、得意げに言うが、いちごにはうつっていない。
 
いちご:?
カモメ:だから、学校がないわけ。
いちご:なにが、あるじゃない。(そのあたりを指す)
カモメ:じれったいな。どこから転校してきたのかわからないの。申請書類、白紙だったそうよ。
いちご:まさか?
カモメ:ほんと。
いちご:でも、そんなの試験通るはずないじゃない。
カモメ:試験なんてやってないって。
いちご:うそ。
カモメ:事務の鳳さんの筋だから間違いない。
いちご:でも、そんなことみんなが知ったらおおごとじゃない。
カモメ:だから、誰も知らない訳よ。
いちご:ならどうして
カモメ:上の方から、箝口令がでたらしくって、鳳さん、だからもう、王様の耳はロバのみみ状態だった訳よ。
いちご:なるほど、でも、なんでカモメが。
カモメ:気になるじゃない転入生って。だから、ちょっとした工作をね。まあ、うちの家族ってみんなそんなの好きだから。
いちご:あきれた野次馬家族。
カモメ:好奇心旺盛って言うんだよ、それは。(なにがと合いの手)とにかく、これはなんだかトップシークレットみたい。
いちご:この学校の。
カモメ:うん。
いちご:(笑って)おおげさねえ。
カモメ:でも、本当のことだよ。どうするいちご。
いちご:どうするったって・・。
カモメ:おっと、ぼつぼつベルはいる頃ね。
いちご:なに?
カモメ:ちょっと友達がね、網張ってるの。
いちご:何のこと。
カモメ:鈍いな。うさぎの家を掴むんだよ。尾行してね。
いちご:えー、そこまでする。
カモメ:そこまでするのよ。真実の探求のためには。じゃねー。
 
        カモメ去る。
        あきれ顔のいちご。                     
 
いちご:そこまでするつもりはないけれど、確かに天野うさぎは謎だ。でも、それにまして、母はもっと謎だ。
 
        と、歩き出す。
 
#4人生が二度あれば
 
いちご:今思えば、確かに母がおかしくなる前兆みたいなものはあった。むちゃくちゃ忙しい毎日の生活に流されながらも、くよくよせず    に、まるで何にも考えていないようだった母がいつの頃からか、むやみに私に話しかけだした。それまで、何か相談しようとして    も、今忙しいからとか疲れているからと相手をしてくれなかったけれど、今度は逆に、毎日話しかけてくる。なんか、今までたま    っていたものを私に吐き出しているみたい。私は、ちょっと不安になった。たとえば、半年くらい前。
 
カヲルがでてくる。
丁寧に礼をして、レジを打ち出す。                                                                                                        
カヲル:いらっしゃいませ。カードはございますか?はい。カードをお返しいたします。サラダ288円。モヤシ38円。開き472円。    青ネギ150円、食肉1126円。アサリ280円。二パック。油揚げ52円。いちご480円。切り身346円。かに390円。    ・・・四千二十八円になります。はい、5028円お預かりいたします。はい、1000円のお返しとなります。ありがとうござ    いました。またお越しくださいませ。(礼をする)いらっしゃいませ。カードはございますか?はい。カードをお返しいたします。    白菜・・・円。豆腐・・円。
 
にっこりと笑っている。
が、突然顔くしゃくしゃになり。
パンパンと顔をたたくとまた、にっこりする。
 
カヲル:全然おかしくなんかない。けれど笑える。これは・・とっても、つらい。
 
カヲルのせりふの間にいちごが小さいダイニングテーブルをもってでてくる。
間に合えば、二度でてきて、お盆に湯飲みとお茶瓶を入れて持ってくる。
ご飯がすんだらしい。ゆっくりお茶を飲んでいる情景。
カヲルのせりふが終わったらいちごは、そこへ座る。
 
いちご:(座りながら)だから、そんなのお母さんの思い過ごしよ。
 
カヲル、黙ってお茶を入れる。
湯飲みを手の中でくるくる回しながら、考えている。
     
いちご:お母さん・・。
カヲル:私は本当にこんな事ばかりをして終わってゆくんだろうか。
いちご:え?
いちご:だれだって、にたようなことしているじゃない。食べて行かなきゃいけないんだから。
カヲル:そう、その通りなのよ。そうして、一生が終わってしまう。
いちご:おかあさん。疲れてるんじゃない。
カヲル:家事や仕事がいやと言ってるんじゃない。違うの。けれど、なんだか。
いちご:わかった。人生折り返し点の悲哀って言うやつじゃない?
カヲル:かもしれない。
いちご:いったい、今までの自分の人生は何だったんだというやつよ。
カヲル:かもしれない。
いちご:それって老人性のノイローゼ?
カヲル:失礼ね。ただ、お母さんね。後悔してるのよ。
いちご:なにを。
カヲル:自分の夢をあきらめたこと。
いちご:なんだ、やっぱりそれか。
カヲル:なんだとは。
 
いちご:、やおら歩き出す。歩きながら。
 
いちご:一人の女の子がいました。女の子はちょっと変わっていて、星空に興味を持っていました。自分もいつか星空をかけてみたい。宇    宙船に乗って宇宙を旅したい。自分の足で宇宙を駆ける。ヤーチャイカ!
カヲル:ヤーチャイカ!
いちご:でも、女の子は一人の男の子と出会いました。ガールミーツボーイ。二人は結婚することとなりました。そうして、いつか気がつ    くと、女の子の足は地上に縛られてしまっていたのです。かくて、星々は輝きを失い、女の子の夢は心の奥の小さなポケットにひ    っそりとしまい込まれることとなりました。
カヲル:女だって宇宙を飛べるって思っていたわ。
 
いちご、別の離れたいすに座る
 
いちご:あきらめることなんか無かったのに。
カヲル:無理よ。
いちご:無理じゃないじゃない。向井さんだって飛んだんじゃない。
カヲル:時代が違うわ。
いちご:時代が違ったって同じよ。努力するかしないかだと思う。
カヲル:できなかったのよ。
いちご:違う。しなかったんだ。お母さん、夢をあきらめたんじゃなく、最初からするつもり無かったんだ。
カヲル:いちご。
 
と、立ち上がる。
 
いちご:怒ったってだめよ。お父さんを口実にするなんて卑怯よ。そんなの自分勝手じゃない。違う。
カヲル:・・。
いちご:違うの。
カヲル:違わないわね。
いちご:そうでしょう。
カヲル:でも、努力しても同じだったと思うわ。
 
と、言いながら座る。
 
いちご:なにが。
カヲル:お父さんを選んだのは別に口実でも何でもない。本当に好きだから選んだのよ。お父さんとの人生も、宇宙船の人生もどちらが重    いとか軽いとかじゃないわ。
いちご:だったら、後悔するのは。
カヲル:後悔するのはね、努力しようとしなかったこと。確かにいちごの言うとおり。天秤に掛けたのね。
いちご:お父さんと?
カヲル:違うわ。努力する時間とお父さんと一緒にいられる時間とよ。
いちご:どういうこと。
カヲル:無駄な時間になると思ってしまったのね。
いちご:無駄な時間?
カヲル:そう。お父さんと一緒にいたかったから、別のことをすればそれだけいられないでしょう。だから、あきらめた。でも、それはそ    れでいいの。
いちご:それで。
カヲル:でも、お父さんが死んで、生活するため一生懸命働いて、くたくたになりながらがんばってるとき、お父さんの声が聞こえたのよ。
いちご:え?お父さんなんて。
カヲル:おまえ、何のために一生懸命してるんだ。もちろんいちごを育てて一人前にするためにですよ。そうか。いちご:をかって。
いちご:あたしのためにやらなくてもいいのに。
カヲル:お父さんも同じ事言った。
いちご:えーっ、ひっどーい。
カヲル:お父さん、こういったよ。僕はもういないんだよ。いちごももうすぐいなくなる。おまえは、誰のためにそこにいるんだい。って。
いちご:誰のためにそこにいるんだ。
カヲル:そう、もちろんと言おうとして、何にもいえなかった。
いちご:あたしなら、自分のためですよっていってやるのに。
カヲル:そう、言おうと思ってはっと気がついたんだよね。いまここにいる自分は何なんだろう。お父さんやいちごのためにっていってる    けど、本当は何なんだろうって。それをのぞけば何にもない空っぽじゃないかって。
 
間。
立ち上がって、少しぶらぶらするいちご。
 
いちご:おかあさん、それは考え過ぎよ。
カヲル:そうだろうか。そうじゃない。やはり努力するべきだったんだ。お母さんは。
いちご:お父さんを捨てて?
カヲル:違うわよ。お父さんも一緒に。
いちご:欲張りだわ。
カヲル:そう、後悔してるのはそれよ。お母さんは人生に欲張りになれなかった。
いちご:いまからでも十分間に合うよ。
カヲル:宇宙飛行士に?
いちご:うっ、それはちょっと・・。でも、ほかにもいっぱいあるじゃない。カルチャーセンターとか、なんとかほら。
カヲル:時間がね。
いちご:まだまだ大丈夫って。
カヲル:人生が二度あればね。
いちご:陽水ね。父は今年で62・・(歌い始める)
カヲル:母は・・・(ちょっと和す)
 
        断ち切るように。
 
いちご:お母さん。人生が二度あればなんて弱気なこと言っちゃだめよ。一度だけでたくさんじゃない。くよくよしないで、ねっ。
カヲル:わかってるよ。ちよっと、疲れてるだけだから。また、あしたから、ばりばりよ。
いちご:そうそう。ふぁいとーっ。
カヲル:ふぁいとーっ。
 
いちご、歩き始める。
 
いちご:それが半年前だった。でも、いったん転がりだした岩は止まらない。母はそれからたびたびプラネタリウムに行くようになった。    カモメ:にハイドロニウムの話をしたのもそのころだったのだろう。ハイドロニウム。何となく、ロマンチックな不可思議な言葉。    もちろん、そんな言葉はない。母が作った言葉だ。語源は多分ハイドロジェン。水素から来ている。本当はそうでないのだが、な    んとなく青い透明な感じがする。ハイドロニウムの海。母は星空をそういった。水素が闇の中に燃えている海。核融合の巨大な爆    発が闇の中に静かに燃えつづける。魅入られたように母は星を見上げながらじっと座っている。母の瞳にうつる星は音もなく激し    く水素を燃やす。母の心はそのとき何を巡って激しく燃えていたのだろう。私は、全く何も知らなかった。・・・いま、私は時々    プラネタリウムに行く。母が何を見ていたのか、それを知りたくて。
 
        歩き出す。
 
#4プラネタリウムとハイドロニウム
 
いちご:プラネタリウムは確かに心が落ち着く。星の海を見ていると、すーっとこのまま吸い込まれてしまいそうになる。
 
        歩き出して止まる。
        ドアを開ける仕草。
        明かりがかわる。
        満天の星の夜。
        上を見上げるうさぎ。
        間。
        目をこする仕草。
 
いちご:なんだか涙がでそう。どうしてかな。
うさぎ:ハイドロニウムの海だから。
いちご:誰?
 
        振り返ると、うさぎが立っている。
 
いちご:天野さん。
うさぎ:うさぎでいいわ。そう、呼んで。
いちご:うさぎさん。
うさぎ:うさぎ。
いちご:うさぎ。
うさぎ:なに。いちご。
いちご:あなたは、誰。
うさぎ:おもしろい質問。
いちご:はぐらかさないで。
うさぎ:天野うさぎ:17歳。身長・・。体重は秘密。スリーサイズは。
いちご:天野さん!
うさぎ:うさぎ。
いちご:どうでもいいわ。誰。なにしに来たの。またあったって言ったわね。あれ、どういう意味。
うさぎ:ああいう意味。
いちご:天野さん!
うさぎ:かっかしないで。別にからかってんじゃないよ。意味もなにもない。あのまんま。前にあってる。呼ばれたから来たんだよ。
いちご:だから、誰に。
うさぎ:もちろん。
いちご:(遮って)私呼ばないわ。
うさぎ:そうよ。もちろん。
いちご:え?
うさぎ:呼んだのは、カヲル。
いちご:お母さん。
うさぎ:そういうことになるのかな。
いちご:お母さんにあったって。いつ、どこで。
うさぎ:30年ぐらい前かな。
いちご:なんて?
うさぎ:30年前。
いちご:30年?なに馬鹿いってるの。そんなのあるわけないでしょ。SFじゃあるまいし。
うさぎ:信じられないのは無理無いけれど。
いちご:当たり前よ。馬鹿にしないで。ほんとのこと言って。
うさぎ:では。
 
        と、指をあげて。
 
いちご:なにするの。
うさぎ:呼ぶの。
 
        と、ぱちっとやる。
        明かりが一瞬明滅する。
        くらくらっとするいちご。
 
いちご:なにしたの。
うさぎ:だから呼んだのよ。
カヲル:呼んだ?
 
        と、エプロンかけた母がいた。
        なぜかフライパンとクッキーの袋持っている。
 
いちご:お母さん!
うさぎ:だからね、クッキー作ってたら、くらっときて、あれっとおもったらここにいるわけ。変だね、お姉ちゃん。あ、これは(とフライパンを示して)とっさに掴んじゃったんだけど。あ、うさぎさんだ。これ、たべる?あたしが作ったんだよ。あまりおいしくないけど。
うさぎ:ありがとカヲル。
いちご:天野さん。
うさぎ:いけない?
いちご:そうじゃなくて。いったい何したかって言ってるの。
うさぎ:だから、こうして呼んだのよ。
 
        ぱちっとする。
        カモメがいた。
 
カモメ:いたなあー。
いちご:ひぇっ。
カヲル:きゃーっ。
カモメ:ふっふっふ。私のお目目はお見通し。天知る地知る人が知る。カモメ見参!天野うさぎ、ここにいたか。
いちご:もーっ、カモメ。脅かさないでよ。なに、それ、もう。
カモメ:かっかっか。ごめん、ごめん。ついね。ごめんなさい、カヲルさん。脅かして。いやー、たまたまちょっとのぞいただけだけど。    なんだか深刻そうだったから、ちよっとなごみをふりかけてやっただけ。なごんだだろ。みなさん。
いちご:ばか。
うさぎ:これでメンツがそろったわね。
カモメ:おっ、麻雀でもやるの。
いちご:んなはずないでしょ。
カモメ:冗談、冗談。本題に入ろうか。
 
        と、手帳を取り出す。
 
カモメ:天野うさぎさん。
うさぎ:何。
カモメ:実は、ちょっと調べさせてもらったんだけど。
うさぎ:ほー。
いちご:ちょっと、ちょっと、カモメ。
カモメ:何。
いちご:露骨じゃない。
カモメ:上品ぶってもしょうがないじゃない。
うさぎ:何をお調べになったの。
カモメ:ほほほ。お調べになったのはね、天野うさぎのご自宅よ。
いちご:やっぱりやったの。
カモメ:カモメ探偵事務所の力量を知らしめるためよ。
いちご:探偵事務所!?
カヲル:すごーい。探偵してるのカモメさん。
カモメ:探しやカモメと呼んでおくなさい。
うさぎ:みつかったのかしら。へぼ探偵事務所のみなさんに。
カモメ:悪かったわね。へぼくて。
いちご:へぼかったの?
カモメ:(しゅんとして)へぼかったのよ。くそっ。あいつら。
 
        うさぎ、笑って。
 
うさぎ:ま、そんなとこでしょう。
カモメ:むかつくーっ。
いちご:わからなかったわけね。
カモメ:うさぎが途中で消えたんだよ。
いちご:まかれたわけだ。
カモメ:やっぱり、なんか怪しいよ。天野うさぎ、なんか言うことある。
うさぎ:うん。確かに、私は怪しい。
カモメ:認めるんだね。
うさぎ:だけど、それがどうした。
カモメ:どうしたって・・言われても。ねえ。(といちごに同意を求める)
いちご:こっちへ振るなって。・・うさぎさん、その指ぱっちんかなんかしれないけど、ほんとにあんたは怪しいと思う。どうしたって言    われても困るけど、なんだかあぶない気がする。私たちにかまわないで。
うさぎ:私何か悪いことした?
カモメ:あんな事言ってるよ、いちご。
いちご:確かに悪いことはしていない。けど、変な力持っている。
うさぎ:これね。
 
        と、指をぱちんとはじこうとする。
 
いちご:しなくていい!
うさぎ:怒らなくてもいいよ。別に危害を加えようと言う訳じゃない。
いちご:じゃ、何で私たちに絡むの。
うさぎ:絡むんじゃなくて、呼ばれたから来ただけ。前に言ったでしょう。
いちご:私は呼んでない。母さんだって呼んでない。
うさぎ:いいえ、呼んだわ。
いちご:うそ。
うさぎ:嘘と思う?
カモメ:明らかな嘘だ。天野うさぎ。
うさぎ:違うって言ってる人もいると思うけど。
カモメ:何だって。
 
        カヲルがふるえるように言う。
 
カヲル:じゃ、本当だったんだ。
いちご:え?
カヲル:やっぱり本当に来てくれたんだ。
いちご:お母さん、なに言ってるの。
カヲル:本当に。
うさぎ:声が聞こえたからね。ヤーチャイカ。
カヲル:ヤーチャイカ。
いちご:お母さん、なに言ってるのよ。え、何を言ってるの。
カモメ:いちご:、変だよ、お母さん。
いちご:お母さん、お母さん。
 
        と、カヲルにしがみつこうとするが振り切られる。
 
いちご:お母さん!
カモメ:カヲルさん!
カヲル:ヤーチャイカ。
うさぎ:ヤーチャイカ。
カヲル:ヤーチャイカ。
うさぎ:ヤーチャイカ。
カヲル:私は呼んだ。ヤーチャイカ。
うさぎ:私は聞いた。ヤーチャイカ。
いちご:お母さん、しっかりして!
カヲル:ヤーチャイカ、私はカモメ。ヤーチャイカ、私はカモメ。ヤーチャイカ、ヤーチャイカ、ヤーチャイカ。・・・(叫び続けて)
いちご:お母さん!
 
        暗転。
        カヲルにポイント。
 
カヲル:どこかで確かに曲がり角を曲がってしまった。もう後は一直線にいくしかないわけで。気がつくと、前にはなにもなく、後ろには    歯ぎしりしたくなるような後悔の思いだけが炭をぶちまけたように黒々とわだかまっている。その中をただひたすら歩くしかない    んだ。そう思うと、なんだかすべてがどうでもよくなり、そうして、頭はクラッシュしてゆく。
 
        ポイントがもう一ついちごにつく。
        いちごが話しかける。
 
いちご:また、陽水かけてる。好きね。お母さん。
カヲル:いいじゃない。
いちご:いいけど。お母さんこのごろやっぱり無理してるんじゃない。
カヲル:してないわ。
いちご:いいえ、無理してる。私のために無理してるよ。
カヲル:なに言ってるのあんたは。そんなことあるわけないじゃない。
いちご:じゃ、おかあさん、五年間なにか服買った。どこか旅行した。誰かとデデートした?
カヲル:なに言ってるの?
いちご:したことないでしょぅ。お父さんが死んでから、何にもしていない。髪だって、ろくに手入れしないでぱさぱさじゃない。
 
        あわてて髪を手入れしながら。
 
カヲル:これは忙しいからつい。
いちご:忙しくったって、美容院ぐらい行く暇あるでしょう。お金だって無いわけじゃないでしょう。
カヲル:そりゃね。でも、そんなに行きたいとも思わないし。
いちご:なぜ?
カヲル:なぜって。
いちご:そりゃ、行きたくないんならそれでいいかもしれない。けどね、そんなに、なんだか気力のない様子でぼーっとされてちゃ娘とし    て気になるわけよ。
カヲル:ぼーっとなんかするひまないよ。
いちご:そうね。確かに、一日中コマネズミみたいに働いてる。元気かもしれない。けど、顔は死んでるよ。
カヲル:なにを言うんだか。
いちご:聞いてよ。真剣に。私、思うんだけど、お母さんなんだか本当はとっても疲れているんじゃないのかな。違う?
カヲル:疲れている?
いちご:そう。とっても疲れた顔するときある。
カヲル:そんなこと無いわ。
いちご:そんなことある。だって、それって、にているもん。
カヲル:なにに?
いちご:クラスメイト。去年自殺した北原さん。
 
        カヲル:、笑い出す。
 
いちご:お母さん!
カヲル:(笑って)だって、目、固めて真剣な顔してなに言い出すかと思えば、(笑って)テレビドラマの見過ぎよ。
いちご:私真剣よ。お母さん。
カヲル:さあ、後かたづけをしなくちゃ。あんたは勉強しなさい。来週から始まるんでしょ、中間テスト。
いちご:お母さん!
 
        と、カヲル:立って、去ろうとする。ストップモーション。
 
いちご:そうやって、お母さんは逃げた。けれど、私は確信していた。お母さんは、絶対疲れている。肉体的にじゃなく人生にだ。そりゃ、    私のようなひよっこが人生かたろうなんておこがましいし、間違っているかもしれない。けれど、あの疲れた顔のお母さんの目は、    北原さんの目に似ている。何かを見通してしまったような、あきらめと憂鬱のない混ざった深く暗い海のような目だ。私は、その    目がとても怖い。・・お母さん。
 
        と、立ち上がりそうになって、いちご、ストップモーション。
 
カヲル:いちごにはばれている。若い者の直感だろうか。それとも、私は本当におかしくなって行っているのか。私は、時々自分の心が怖    い。カタコトカタコトと黄昏が忍び寄る台所で一人、野菜を刻んでいるとき、ふっとこのまま、何にもなくなり、かすかすに乾燥    していって、何にも感じられなくなりそうなそんな恐怖に陥る。体が、じーんと音を立てて鳴り、心臓がどきどきして、身も心も    堅く、堅くなって金縛りのようになっていく。そんなとき、私は、そのまま包丁をほおりだして、決まって自宅のそばにあるプラ    ネタリウムを見に行く。あの、暗い宇宙に浮かぶ星々の海に抱かれていると、ゆったりと、硬直していた私の心が研ぎほぐされて    穏やかになっていくのを感じる。体があたたくなって、もう一人でも大丈夫なような人心地が戻ってくる。私は、そうして、こっ    そりとまた我が家の台所に戻り、刻みかけのキャベツを刻みつづける。・・ああ、お帰り遅かったわね。
 
        ストップモーション解けて、外から帰ってきた風。
 
いちご:ただいま。うん、部活が遅くて。部長がしつこいったらありゃしない。下手なくせに、稽古熱心だから大変。ねえ、今日のご飯な    に。
カヲル:コロッケよ。
いちこ またあ。たまには、豚カツでもどーんと行こうよ。
カヲル:贅沢言わないの。手を洗ってきなさい。キャベツ刻むの手伝って。
いちご:はい、はい。コロッケかあ。
 
        と、去る。
        ポイント消える。
 
カヲル:手は、ふるえていない。よし。声は震えていない、よし。笑顔は(と、笑って)よし。私は、まだ大丈夫だ。
 
        と、猛烈な勢いでキャベツを刻み出す。
        ぶつぶつ言っている。
        曲に負けないようにだんだん声が大きくなる。
 
カヲル:ヤーチャイカ、私はカモメ:。ヤーチャイカ、私はカモメ:。ヤーチャイカ、ヤーチャイカ、ヤーチャイカ。・・・(叫び続けて)
うさぎ:ヤーチャイカ、私はカモメ:!
 
        ぼーっと、汽笛一声。
        ぱっと、星空の下。曲は止まる。
        呆然とするいちごたち。
        穏やかになったカヲル。
 
カヲル:聞こえたのね。
うさぎ:もちろん。
カヲル:善かった。聞こえたんだ。
うさぎ:ああ、聞こえたよ。
 
        ふるえるような、声で。
 
いちご:何をしたのお母さんに。
うさぎ:何も。ただ、聞いただけ。
いちご:何を。
うさぎ:お母さんの呼ぶ声を。
いちご:呼ぶ声?
うさぎ:聞いたでしょう。ヤーチャイカ。私はカモメ。ハイドロニウムの星の海を突き抜けて聞こえてきた。
いちご:そんなこと。
うさぎ:そんなこと?
いちご:あるはず無い。お母さん、そんなに追いつめられてなんかいなかった。
うさぎ:追いつめられていたことは認める。
いちご:それは・・。
うさぎ:べつにせめているんじゃないよ。私は、ただ、カヲルの声を聞いてきただけで、いちごは聞こえなかったそれだけよ。
いちご:そんな・・。(とショックを受ける)
カモメ:いちご:。
いちご:大丈夫。・・うさぎさん。母をどうするつもり。
うさぎ:別に。
いちご:別にって。
うさぎ:カヲルの良いように。このハイドロニウムの星の海を行くだけよ。気の済むまで。
カモメ:えっ、ハイドロニウムの星の海。ちょっと。ここはプラネタリウムよ。
うさぎ:そうして、星の海でもある。
 
        ざざーっと、打ち寄せる波の音。
        満天の星。
 
カモメ:そんな。
カヲル:ハイドロニウムの星の海だわ。
いちご:・・お母さん。
カヲル:いちご姉ちゃん、すごいじゃない、本当に来たんだよ。星の海の中に。
いちご:ああ、そうだね。
カモメ:いちご:、そんなこと言って。
 
        泣きそうな顔で、カモメを見るいちご。
 
いちご:こういうしかないじゃない。カモメ。お母さん、本当に壊れちゃった。
カモメ:いちご、しっかりしなよ。まだ、そうと決まった訳じゃない。こんなの集団催眠か夢だよ。そうだ、夢だよ。みんなプラネタリウ    ムで大鼾かいて寝てるだけだって。
いちご:ありがと、カモメ。でも、これは。
うさぎ:本当のことだよ。カモメさん。ここは現実なんだ。
カモメ:信じられないね、天野うさぎ。こんな現実があってたまるか。
うさぎ:(くくっと笑って)前にも言ったでしょう。認識の処理の仕方でしかないって。美しい星の海という立派な現実だよ。
 
        笑う。
        カヲルも楽しそうに笑う。
        小さい間。   
    
カモメ:どうする。
いちご:帰る。
カモメ:え?
いちご:母さんを連れて帰る。
うさぎ:あら、どうして。
いちご:こんなのなんだか違う。お母さんのいるべきところじゃない。
うさぎ:カヲルの気持ちをわかってるの?声聞こえなかったくせに。
いちご:聞こえなかったわ。でも、私にはわかるような気もする。無我夢中で働いてきて、はっと気がついて周りを見ると、人生の折り返    し点をすぎている。それなのに、自分の中にはなにもないことに気がつく。夢を捨ててあんなにがんばったのに、あんなに苦労し    たのに。自分に残された時間と身体の衰え。能力と意思。環境と現実。残された時間、私は夢を取り返すことに励めばいいのだろ    うか。夢はもはやかなうとは限らない。さりとて、このままなにもない自分をずっと見続けるのはとても残酷だ。知らないならよ    かったが、知ってしまったら逃れることはできないだろう。
うさぎ:その通り。なかなかよくわかってるじゃない。じゃ、どうすればいいかわかるでしょう。
いちご:私には、どうしようもない。私にはまだまだ時間がある。けれどその時間をお母さんに譲ってやることもできない。お母さんは、    自分で解決するしかないんだ。何か解決策はあるはずだ。きっと道は見つかるはずだ。見つけようとする限り。きっと。ファイト、    お母さん。ファイト、カヲル、ファイト、カヲル、ファイト、カヲル!
うさぎ:おやおや体育会系ね。根性ですか。
いちご:そんなんじゃない。でも、お母さんがいるところはこんなとこじゃない。
うさぎ:でも、もうおそいのよね。カヲルは私のものよ。ヤーチャイカ。
カヲル:ヤーチャイカ。
うさぎ:カヲルが望むなら、どこへだって、ハイドロニウムの海をいくよ。
 
        指をあげる。
 
いちご:うさぎ!
うさぎ:いちごも一緒にね。
 
        ぱちっとならす。
        汽笛がぼーっと鳴った。
        光がまぶしく照らした。
        暗転。
        再び、一面の星の海。
 
#5ハイドロニウムの星の海
 
        静かに音楽が流れている。
        授業の光景。
 
うさぎ:じゃ、みんなここ訳せるかな。
カヲル:はーい。
うさぎ:お、カヲル。なかなか積極的だな。じゃ、28ページの3行目、訳して見ろ。
カヲル:はい。
 
        と、立ち上がる。
 
カヲル:えーと、「われわれが生き続ける中で、たびたび絶望的な思いにとらわれる事がある」えーと「そのときに人々はしばしば思う。    人生が二度あればと。これは人間のもっとも弱いところの表現であると同時に強いところの可能性を含んでいる」・・・
うさぎ:ちょっと待て。カモメ。
カモメ:(居眠りしてた)あ、はい。
うさぎ:今のところの訳はそれで良いか。
カモメ:えーと、はい。良いと思います。
うさぎ:ほー、なんと訳した。
カモメ:え、訳ですか。カヲルさんの通りです。
うさぎ:だから、なんと訳したって言ってるんだ。
カモメ:だから・・。すみません!
うさぎ:ったく。今度居眠りしたら、トイレ掃除だからな。
カモメ:はーい。
うさぎ:カヲル、続き、訳して。
カヲル:はい。・・「我々はいつも不可能なことを希望しては、それを夢となしていきる力を・・」
 
        声が細くなって、いちごがしゃべり出す。
 
いちご:眠くなるような午後の授業のひととき。時間はゆっくり流れ、先生の声は単調に続いている。隣では、彼氏に手紙を書くことに熱    中している。カモメはふたたびこっくりこっくり船をこぎだした。誰にでもある、夢のような時間だ。
 
        カヲルの訳と音楽がゆったりと流れる。
        間。
 
いちご:違うよ。お母さん。
 
        と、突然立ち上がる。
 
うさぎ:だまされちゃだめだ!
カヲル:え?
 
        と、すべてが止まる。音楽も。
 
うさぎ:困るなあ。せっかくうまく行きかけてたのに。
いちご:うまくなんか行くはず無い。
うさぎ:そうでもないわよ。じゃ、こんなものでどう。
 
        うさぎがぱちっと指を鳴らした。
        明かりが明滅する。
        ホイッスルが鳴った。
        カモメが先輩風ふかしている。
 
カモメ:だらだらするんじゃないの。大会まで後二週間よ。はい、あと三周うさぎ飛び。
一同  えーっ。
カモメ:文句ある。
一同  ありませーん。
 
        うさぎ跳び始める。
 
一同 :思いこんだら、試練の道をゆくが女のど根性・・。
 
        と、歌いながらうさぎ飛び。
 
うさぎ:しゃれになんないわねー。
いちご:なにが。
うさぎ:うさぎがうさぎ飛びしてどうすんのよ。
いちご:うさぎのダンスでちょうど良いんじゃない。
カモメ:そこ、しゃべるんじゃなーい。
うさぎ:ああいうやついるのよね、自分はできないくせに下級生にやらせて威張ってる先輩って。
いちご:もう、さいてー。
カモメ:うたえーっ。声が小さい!
一同  思いこんだら試練の道を行くが女のど根性。真っ赤に燃える王者の印、宇宙の星をめざすまで、血、汗流せ、涙を拭くなゆけゆけ    カヲル、どんとゆけ。
 
        もう、よれよれになってしまっている。
 
カモメ:どうしたーっ、もうへたっとんのかーっ。それでも青春かー。
うさぎ:もう、あかん。
いちご:わたしは平気よ。
うさぎ:カヲルは。
いちご:死んでる見たい。
カモメ:こらーっ、やる気あんのかーっ。
うさぎ:あるわけないわ。次行こう。
 
        うさぎがぱちっと指ならした。
        明かりの明滅。
        いらっしゃいませ、などとBGMも流れている。
        ハンバーガーショップ。       
        いちごはいない。
 
カモメ:ねえねえ、昨日の見た。
うさぎ:ああ、「二度目も愛して」。見た見た。超かっこええわ。
カモメ:どこがよ。
うさぎ:クールな旦那よ。カヲル、見たでしょう。
カヲル:ビデオに撮ったわよ。
カモメ:あんなのとってもビデオが腐るだけよ。
カヲル:ひどーい。
うさぎ:ねーっ。
カモメ:それよか、(と、チキンバーガーをかじりながら)あっ、痛っ。
カヲル:どうしたの。
カモメ:舌かんじまったよ。あーいた。ほら、血が出てるわ。
うさぎ:大したこと無いわよ。
カモメ:人事だと思って。
うさぎ:ひとごとだもん。で、なに。何か言いかけてたの。
カモメ:それよそれ。じゃーん、今週のカモメニュース、ベスト1!!
うさぎ:なんだ、またそれ。
カヲル:カモメのは当てになんないもんね。
うさぎ:天気予報と同じよ。あ、最近当たるかあれは。
カモメ:カモメニュースを馬鹿にしていいのかなー。カヲルくん。
カヲル:え?
うさぎ:あっ、わかった。
カヲル:わかった?
うさぎ:わかった、わかった。彼でしょ彼。
カモメ:あったりーっ。
カヲル:ねえ、何。彼って。
カモメ:まー、やーですー奥様。かまととぶりっこは。
うさぎ:そうですこと。やーですはねー。
二人 :おほほほほ。がぶり。
 
        と、バーガーを食べる。
 
カヲル:なに、ふたりとも。
二人 :シュン・スケ・クン
カヲル:え?
カモメ:(巻き舌で)はい、お待たせしました。今週の学園カモメニュース、ナンバー1、御堂シュンスケクンいよいよ告白か!
カヲル:ばかばかしい。
カモメ:そう思うでしょ。ところが我が社の秘密諜報部員の調査によると、今度の土曜日にデートして告白するんだって。
うさぎ:えっ、誰と、誰と。
カモメ:ふっふっふ。
うさぎ:もったいぶらずに、おしえろこの。
カモメ:なんとそれは、天野うさぎさん。
 
        うさぎとカヲル、びっくり。
 
二人 :えーっ。
 
        音楽止まる。
        小さい間。
 
カヲル:(こわばった声で)おめでとう。
 
        と、立ち上がってさっさとでていく。
 
うさぎ:えーっ、何それ。そんな話じゃないはずよ。
いちご:じゃ、どんな話。
 
        と、いちごがでてくる。
 
うさぎ:えっ。
いちご:じゃどんな話。私がカモメに言った話じゃなく、どんな話。
うさぎ:カモメ、秘密諜報部員って。
カモメ:ごめん。
いちご:私よ。私が教えたの。
うさぎ:何で嘘を。
いちご:わからない、ぶっこわすためよ。
うさぎ:なるほどね。
 
        うさぎがぱちっと指ならそうとした。
 
いちご:こんな事いつまでやるの。
うさぎ:どうして。
いちご:こんな残酷なこといくらやってもお母さんのためにならない。
うさぎ:気に入ってるようだけど。
いちご:気に入ろうとしてるだけよ。気づかない、おかあさんますますだめになる
うさぎ:そうかな、そうは見えない。
いちご:でも、悲しそうじゃない。
うさぎ:それはどうかな。
 
        と、ぴしっとならす。
        明かり明滅。
        カヲルが立っていた。
 
カヲル:俊介さん。
いちご:えっ。
 
        父がいた。(カモメがやっている。向こう向き。シルエット。)
 
いちご:お父さん。
カモメ:どなたですか。
いちご:カモメ。
カモメ:カモメ?知らないな。僕は、俊介っていいます。
いちご:うさぎ、何したの。
うさぎ:何も。お父さんでしょ。
いちご:カモメじゃない。
うさぎ:でも、あの二人はそうは思ってないわ。
 
        二人が座る。カヲルは前向き、カモメは後ろ向き。
 
カヲル:俊介さん、ねえどうする。
カモメ:どうするって。
カヲル:志望校の事よ。
カモメ:ああ、大学か。君は、理系へ行くんだろ。
カヲル:どうしようかって思ってる。
カモメ:僕は文学部。数学苦手だし、それに出版関係やってみたいから。
カヲル:編集者になりたいの。
カモメ:ああ、おもしろい雑誌作ってみたいんだ。君は宇宙飛行士になりたいと言ってたよね。
カヲル:子供の頃、初めて宇宙をとんだ女の人が言ってたことばが印象に残ってるの。ヤーチャイカ。私はカモメ:。
カモメ:私はカモメ。
カヲル:なりたいけれど、まだ日本の科学技術ではとても無理だわ。自前の宇宙船なんか21世紀になっても無理でしょうね。
カモメ:アメリカかソ連の宇宙船に乗るという手もあるよ。
カヲル:ソ連はとても無理。アメリカも他の国の人を乗せるとは思えない。まして女なんかとても無理よ。
カモメ:簡単にあきらめるんだね。
カヲル:そういう問題でもないの。何というか、天地がひっくり返ってもだめな事なのよ。
カモメ:カモメらしくないな。いつもなら絶対あきらめないのに。
カヲル:(笑って)それは、見込みがあるときのこと。
カモメ:そんな問題かな。
カヲル:そんな問題よ。時代だもの。
カモメ:時代のせいかなあ。
カヲル:そうよ。あと30年立って、まだいまの自分だったら違うかもしれないけれど。
カモメ:ふーん。
 
        少しの間。
 
カヲル:口惜しいなあ。
カモメ:何が。
カヲル:自分の夢いったって、時代に束縛されてしまうって事。どうせ、このままじゃ、どう逆立ちしたって、せいぜい良い奥様になるぐ    らいだもんね。
カモメ:そんなに口惜しい?
カヲル:うん。ほんとにね、あの空の上を飛んでみたい。知ってる、夜空に輝く星は水素が爆発しているって言うこと。
カモメ:なんだか聞いた気もするな。
カヲル:そうなのよ。星の海はそんな水素の爆発する海なの。私、名前を付けたんだ。ハイドロニウムの海って。
カモメ:ハイドロニウムの海か。ロマンがあるね。
カヲル:でしょう、でも一生かかったって私はその星の海を航海できない。考えることあるの、100年、いいや30年立ってわたしがい    まの年だったら絶対がんばるのに。あと30年いきる時代が違っていたら、私はあの星の海を、ハイドロニウムの海を飛ぶことが    できるのに。 
カモメ:でも、それは。
カヲル:そうなのよ。どうしたって人間は時間にはかなわない。
カモメ:人生が二度あればね。
カヲル:そうね。人生が二度あれば。・・(首を振って)私は決めたの。
カモメ:何を。
カヲル:あの星の海の下でいきること。いいえ、生きるしかないこと。このハイドロニウムの空の下で。
カモメ:それって、宇宙飛行士の夢を捨てるって事。
カヲル:私、文学部を受けようと思ってる。
カモメ:え?理系行かないの。
カヲル:うん。未練が残ったらイヤだもの。
カモメ:そんなもんかなあ。
カヲル:そうよ。多分。
カモメ:そうか。
カヲル:口惜しい。
カモメ:そうだね。
カヲル:口惜しい。ほんとに口惜しい。口惜しいよ。
 
        カヲル、しゃくり上げる。
        うさぎが焦る。
 
うさぎ:あらら。予定が違うわ。
いちご:やっぱり。
うさぎ:こんなはずじゃなかったのに。
いちご:何回やっても同じ。お母さんはお母さんだもの。カヲル!
カヲル:いちご?
いちご:カヲル、いいえお母さん。わかったでしょう。人生なんて何回やっても同じ事よ。
カヲル:お姉ちゃん。
いちご:お母さん、過去は過去なのよ。どんなに辛くたって、どんなに、つまらなくたっていいじゃない、お父さんがいて、私がいて、そ    んな、なんでもない時間が流れて、ドラマチックでもないし、感動的でもない。けれど、確かな私たちの時間があったじゃない。    これは、本当のことなのよ。
カヲル:わからない。
いちご:私たちのいるべきところはここではなく、この星の海の下。
カヲル:でも、ここはハイドロニウムの星の海。
いちご:そうよ。でも、こんなの嘘に決まってるじゃない。
カヲル:嘘?嘘って。
いちご:お母さん、お母さんはいま15歳の時の夢を見てるだけよ。
カヲル:何、お姉ちゃんはなにを言ってるの。
いちご:だから、お母さんはほんとはいまは45歳なの。私はお姉ちゃんじゃなく、娘のいちご。お母さんは御堂カヲル。お父さんは御堂    俊介。
カヲル:なに、なにをいってるかわからない。
いちご:もう、いい加減にしようよ。お母さん。
カヲル:わからないよ。お姉ちゃん。
いちご:おかあさん!
カヲル:いやっ、近寄らないで。おねえちゃん。カヲル、わからないよ。何にもわからないよ。
いちご:おかあさん・・。
 
        カヲル、すわりこんで頭を抱える。
        呆然とするいちご。
       
うさぎ:失敗だね。
いちご:あんたのせいよ。
うさぎ:ちがうよ。
 
        うさぎ、カヲルのそばによる。
        ポケットからお手玉を取り出す。
 
うさぎ:やってみる?ほら。
 
        うさぎがちょっとやってみて渡す。
        カヲルがやり始める。
 
カヲル:一つ檜山の千本桜、二つ
いちご:あれは・・。
カモメ:いちごどうしたの。
いちご:私が小さいとき、よくやってくれた歌だ。一つ檜山の千本桜・・・
 
        唱和する二人。
 
いちご:許さないからね。
うさぎ:何を。
いちご:お母さんあんなにして。絶対許さないから。
うさぎ:おやおや怖いこと。でも、それは違うよ。
いちご:違わない。こんなところつれてきて、お母さん迷わして。
うさぎ:でも、それはカヲルが望んだことよ。
いちご:嘘だ。
うさぎ:うそは言わない。いや。うそは言えない。
いちご:どうして、うそは言えないの。こんなの立派な嘘だわ。嘘としか思えない。お母さんがあんなになって・・。
 
        カヲル、無心にお手玉をしている。
 
うさぎ:私はカヲルの本当のことしか言わない。
いちご:嘘だ!
カモメ:いちご:。
いちご:何。
カモメ:言って良いかな。考えたことある。
いちご:考えたこと。
 
        と、カモメはうさぎを指さす。
 
#6カモメ:の推理
 
カモメ:私が思うにはね、うさぎなんていないのよ。
いちご:え?
うさぎ:ほほう。ここにいるんだけどな。
 
        無視して。
 
カモメ:うさぎ自身言ってるじゃない。現実は情報の認識の処理にすぎないって。
うさぎ:うん、言った言った。
いちご:でもそれが・・。
カモメ:いちご、いま、なに言ってるかわからなかったんでしょ。
いちご:え、うん、まあ。
カモメ:簡単に言えば、幻覚だって、何だって、脳がとらえたイメージにすぎないって事。
いちご:はあ。
うさぎ:なるほどね。考えるものだ。
カモメ:黙ってて!
 
        肩をすくめるうさぎ。
        カヲルに近づき、お手玉をゆっくり取り上げてあやしている。
       
カモメ:要するに、姿は見えてても現実にいるとは限らないの。
いちご:じゃ、あれ幽霊?
カモメ:みたいなものよ。
 
        うさぎ、お化けだーの格好。
 
いちご:でも、30年前にお母さんにあったって言ったよ。
カモメ:そう、多分会ったんだ。
いちご:じゃ、そのあと死んだの。
カモメ:違う。
いちご:え、でも。
カモメ:30年前に生まれた。
いちご:誰が。
カモメ:もちろんうさぎに決まってる。
いちご:うそ。
うさぎ:ほー、あたしゃ三十のぴちぴちギャルね。
 
        無視して。
 
カモメ:カヲルの脳にね。
いちご:え?
カモメ:お母さんの頭の中にもう一つのカヲルが生まれたんだよ。宇宙飛行士になるか、お父さんを選ぶかって悩んだときに。
いちご:そんなんあり。
カモメ:多重人格って知らないの。「24人のビリーミリガン」とかさあ、よんだことない。
いちご:ない。
カモメ:あっ、そ。
いちご:でも、たしか、それって一人の人間の中に何人もの人格が入ってるって事よね。やっぱ、おかしいよ。現実に二人いるじゃない。
カモメ:そう、だからこいつは多重人格と言うより、お母さんの夢だね。
いちご:どういうこと。
カモメ:夢が実体化したんだ、ストレスがたまりすぎて。
いちご:んな、あほな。
カモメ:だから言ったろ。現実は情報の処理にすぎないって。
いちご:それが。
カモメ:ああ、じれったい。要は、私たちまで巻き込まれたって事。
いちご:何に。
カモメ:お母さんの夢に!
 
        間。
        少し前からうさぎが真剣になっている。
 
いちご:そんな事って。
カモメ:あるんです。一種の集団催眠みたいなものと考えたらいい。
いちご:転校してきたのも。
カモメ:そう。
いちご:このハイドロニウムの星の海も。
カモメ:そう。
いちご:じゃ、お母さんが夢から覚めれば。
カモメ:もちろん消える。
いちご:と言うことは。
うさぎ:(ちょっと口調がかわる)どうなるのかな。
 
        ぎょっと固まる二人。
 
うさぎ:なかなかの名推理だったね。
カモメ:なによ、偉そうに。夢のくせに。
うさぎ:本当に?私の身体が?このハイドロニウムの星の海が。
カモメ:そうでなかったらいったい何よ。
うさぎ:エスパーかもしれないよ。
カモメ:そんなのインチキに決まってる。
うさぎ:宇宙人かも。
カモメ:ばかばかしい。
うさぎ:催眠術師ってのは。
 
        また、ぎょっとする二人。
        わらう、うさぎ。
 
うさぎ:(ころっと)ま、何でもいいんだけど。
いちご:そうよ、うさぎが誰でもいい。返してよ、お母さん。
うさぎ:いつでも。
いちご:ほんと。
うさぎ:カヲルのためなら何でもするよ。
いちご:なら。
うさぎ:けれど、カヲルは帰りたいのかなこのハイドロニウムの星の海の中から。
いちご:そうかもしれない。けれどここは麻薬みたいなところよ。シャブと同じ。
うさぎ:言ってくれるねえ。
いちご:こんなの生きてるんじゃない。酔ってるだけ。
うさぎ:酔ってる?
いちご:そう。楽しいことだけ。おもしろいことだけ。嬉しいことだけがある人生なんて、そんなのインチキに決まってるじゃない。
うさぎ:そうかな。いやなこと、くるしいこと、つまらないこと、たいくつなこと。こんなのばっかりつまった人生なんて。
 
        と、肩をすくめる。
 
いちご:でも、いつかは終わるんでしょう。人生は。
 
        間。
 
うさぎ:・・それは、そうよ。
いちご:人生が二度あったって、三度あったって、いつかは全部終わるでしょう。
うさぎ:・・そうよ。
いちご:なら、インチキはいやよ。私はいや。いつか終わるものならば、いつか別れなけれはいけないものならば、楽しいことばかり、お    もしろいことばかりなんて、よけい切なくなるじゃない。違う。
うさぎ:・・。
いちご:たしかに、そんなことばかり続けばいいかもしれない。けれど、そんなの本当の事じゃないでしょう。夫婦は離婚しない、親子は    いつまでも生きている、恋はいつまでも続いてる。そんなのあるわけないでしょう。ここにある人生なんて、うそっぱちじゃない。
うさぎ:うそっぱちね。
 
        と、頭をかきながら。
 
うさぎ:きっついこと言うね。
いちご:でも、本当にうそっぱちよ。いやなことが混じっててもいい。辛いことや、退屈なことおもしろくないことがあってもいい。あれ    ば、楽しいことはよけいに楽しいし、嬉しいことは本当に嬉しくなる。後悔さえしなければ、一回きりの人生だってほんとに楽し    いんだから。
うさぎ:参ったな。こりゃ。
いちご:え?
うさぎ:いやね。子供に説教されるとは思わなかったなあ。
いちご:え?
うさぎ:こりゃ負けだね。でもね。
いちご:何。
うさぎ:確かに、もう一度の人生ってのは本当は楽しいことばかりじゃないんだよ。
いちご:どういうこと。
うさぎ:一度の人生と同じ。山あり谷あり砂漠ありって事。だって、人間変わる訳じゃないもの。
いちご:ならば。
うさぎ:そう。結局は同じようなことになるわけ。さっきみたいにね。ま、多少は違うけど。満足するかしないか。どうともいえないね。
いちご:うさぎさん。
うさぎ:何。
いちご:あなた、本当は誰?
うさぎ:誰でしょう。天野うさぎ。月よりの使者なんてね。うそうそ。ただの転校生。
いちご:そんなはずは。
うさぎ:あるのよ。さっ、帰ろうか。ハイドロニウムの空の下へ。
 
        指をぴしっと鳴らす。
        光の明滅。
 
いちご:うさぎさん!
うさぎ:またあおうね!
 
        鋭い汽笛の音。
        光が照らす。暗転。
 
#ハイドロニウムの空の下
 
        プラネタリウムの空が広がる。
        倒れているいちごたち。
 
カモメ:あー、痛。・・あ、いちご。いちご。
 
        いちごがのろのろ起きあがる。
 
いちご:大丈夫?
カモメ:だいじょぶ。だいじょぶ。あ、カヲルは。
 
        カヲルがぼんやりと座っている。
 
カモメ:カヲル?
カヲル:あ、カモメさん。私、ハイドロニウムの空へ行ってたの。
カモメ:そう。善かったね。
カヲル:ううん、善くない。
カモメ:どうして。
カヲル:やっぱり飛べなかった。
カモメ:そう。
カヲル:やっぱり飛べなかったんだ。
 
        カモメ、そばを離れて。
 
カモメ:大丈夫かな。
いちご:うん。私がいる。
カモメ:カヲルやっぱり飛べなかったて。
いちご:・・ううん。違うと思う。お母さん、飛ばなかったんだ。時代がどうこうって言ってたけど結局やっぱりお父さん選んだもの。お    母さん、自分の意志で飛ばなかったと思う。
カモメ:わかってるのかなあ。
 
        と、カヲルの方を見る。
 
いちご:本当はわかってると思う。いいやきっとわかってる。
 
        カヲルを見、ついでにきょろきょろしていたが。
 
カモメ:あ、うさぎは?
いちご:さあ。
カモメ:いないか。
いちご:そのようだね。
カモメ:結局、天野うさぎって何だったんだろ。
いちご:わからない。
カモメ:転校生か。てっきり夢だと思ったんだけど。何だろう。結局よくあるパターンになったなあ。
いちご:パターンて。
カモメ:謎を残して去っていく。後に残された人々は狐につままれて見送るのであった。
いちご:(笑って)いいじゃない。どうだって。
カモメ:そうだね。まっおもしろい経験したし。いいっか。・・あ、いちご、血が出てる。
いちご:ほんとだ。カモメ、カットバン持ってる?
カモメ:チャリの鞄においてある。とってこようか。
いちご:さんきゅ。
 
        カモメ去る。
 
いちご:聞いてる、天野うさぎさん。どこかにいるよね。ハイドロニウムの星の海は確かににすばらしいと思う。夢のような時間と場所だ    ね。あそこなら、何度でも心ゆくまで人生をやり直せるかもしれない。私たちは、そんな空の下で一日中あくせく生きている。苦    しみながら傷つきながら生きていかなければならないちっぽけな存在だ。けれど、私たちのいるべき場所はここしかない。そうだ    よね。・・そうでしょう、お母さん。・・。私たち帰ってきたよ。ハイドロニウムの空の下に。
 
カヲル「人生が二度あれば」の一節を口ずさむ。
 
いちご:人生が二度あればじゃないよ。二度だって、三度だってある。絶対あるよ。後悔しないなら。後悔なんかしちゃだめだ。そんなの    母さんに似合わない。お母さん。いまはリハビリだよね。もういちど、人生あるんだよね。たった一度だけの本当の人生が。だか    ら、ゆっくり休んだらいい。その間は、お母さん。私がお母さんだよ。
 
ゆっくりと、後ろからカヲルを包み込むように抱く。
幸せそうなカヲル。
 
【 幕 】


 

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