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「愛しのヘレン95」   

    作 結城 翼
 
ヘレン・・・・・・・・・・集団不適応の少女。
坂崎 翔(ざきさん)・・・アマチュア劇団「北十字」の座長
島崎 孝(しまさん)・・・製作面担当。
桂木 薫・・・・・・・・・文化省局員。文化省集団不適応援助プログラム責任者。
島木 信子(のぶさん)・・舞台監督照明音響大道具なんでもあり。
如月 笑美子・・・・・・・「北十字」の古株。
星野 啓一・・・・・・・・同じく古株。
鈴木 恵(メグ)・・・・・駆け出し。
浦田 夏子(なっちゃん)・ちょい役専門。
早乙女 祥子・・・・・・・精神医学者。
水森 玲子・・・・・・・・その助手。
伊集院 春香・・・・・・・お掃除おばさん。
沢田 由美・・・・・・・・高校生。お手伝い。
伊藤 忍・・・・・・・・・  〃
中山 静香・・・・・・・・  〃
劇団員A・・・・・・・・・坂崎にあることを頼みにくる。
   B・・・・・・・・・  〃
   C・・・・・・・・・  〃
   D・・・・・・・・・  〃
☆プロローグ
 
        暗転。緞帳あがる。
 
坂崎 :ダメだ、ダメだ、ダメだ!・・やめろ!
 
        照明入る。舞台中央にヘレン。坂崎、下手側からヘレンを見ている。        
 
坂崎 :ヘレン。
ヘレン:はい。
坂崎 :もう一度言ってみろ。
        
    ヘレン、おぼつかなげに。
            
ヘレン:はい。私はあなたを愛します。
坂崎 :もう一回。
ヘレン:私はあなたを愛します。
坂崎 :もう一回。
ヘレン:私はあなたを愛します。
坂崎 :何だ、そりゃ!もう一回!
ヘレン:私はあなたを愛します。
坂崎 :下手な翻訳やってんじゃねえよ!やめちまえ!
ヘレン:すみません。
    
        ヘレン、打ちひしがれ逃げるように去る。
        坂崎ぽつんとたたずむ。
        劇団員、A・Bが浮かぶ。
 
団員A:坂崎先生。
坂崎 :またあんたらか。あの話ならお断りだ。
団員B:でも、先生じゃないとダメなんです。
坂崎 :そんなことはないよ。
団員B:お願いします。北十字をもう一度復活させたいんです。
坂崎 :俺は、芝居をやめたんだ。帰ってくれ。
団員B:どうして、やめられたんです。あんなに評価の高い作品を次々発表していたじゃありませんか。
坂崎 :いろいろあってな。
団員A:知ってます。
坂崎 :知ってる?
団員A:島崎さんに聞きました。
坂崎 :島ちゃんか?・・今、どうしてる。
団員A:がんばってます。でも制作だけじゃだめなんです。どうしても優秀な演出家が必要なんです。
坂崎 :なら、わかるだろ。俺は演出失格だよ。
団員A:いいえ。わかりません。芝居をそんなに簡単に捨てることができるなんて信じられません。
坂崎 :あんたたちにはわからないよ。
団員B:逃げるんですか。
坂崎 :逃げる?
団員A:そうです。先生は逃げてるんじゃありませんか。あれはもうすんだことです。
坂崎 :すんだこと?いや。すんでなんかいない。俺にとっちゃ、昨日のことだ。あのとき・・。
 
T制作会議
 
        島崎が入ってくる。
 
島崎 :あれー!ざきさん。どこ行った?
 
        坂崎、島崎に近づく。
 
坂崎 :しまちゃん、それ、まずいわ。よりによって何でうちの劇団が。
島崎 :ざきさん、あんたのこりしょうでさあ、うちいったいどれくらい借金背負ってるか知ってる。
坂崎 :さあな。
島崎 :だろ。400万だよ。400万。
坂崎 :うそだろ。
島崎 :おいおい、張本人がとぼけちゃって。ほとんど俺の年収と一緒だぜ。やってらんねえわ。ざきさん。このさ    いだ、うんと言えよ。
 
        信子お茶を持ってくる。
 
信子 :そうですよ。いいじゃありませんか。話題になりますよ。はい。
島崎 :コーヒーねえのか。
信子 :きらしてます。
島崎 :しけてんなあ。
坂崎 :しまちゃん、話題性じゃ芝居はやれねえよ。
島崎 :(番茶をすすって)一回こっきりでいいんだ。補助金もでるし。
坂崎 :しかしなあ。
島崎 :どうせ、この劇団ろくな芝居してねえんだから。せめて話題だけでもさ。
坂崎 :ひでえこというなあ。
島崎 :あれ、あれ?じゃ先月のあれなに。「電気羊は狼の皮をかむる」。あれはひどかったねえ。
坂崎 :悪かったな。
 
        「すみません」と誰かきた。
 
島崎 :のぶさん。(はい、返事していく)・・なあ、ざきさん。あんたのやりたいことはわかるよ。けど、世の中    は経済原則で動くわけ。なに、いい機会じゃないの。PRしてさ、有名になりゃ、今度は自分のやりたいこ    とやりゃいいんだ。それにもう後にはひけないんだ。
坂崎 :えっ。
島崎 :実はね・・。
坂崎 :・・しまちゃん、あんた。
島崎 :すまん。
坂崎 :知らんぞ。俺は知らん。
島崎 :もう遅いんだよ。ほら、来た。
 
        信子が桂木をつれて入ってくる。
 
信子 :文化省の桂木薫さんです。
桂木 :初めまして。(信子、去る)劇団「北十字」の坂崎さんですね。このたびは・・・。
坂崎 :引き受けちゃいねえよ。
島崎 :ざきさん。
桂木 :ほっほっほ。みなさんまだまだ集団不適応には偏見をお持ちですから。
坂崎 :偏見なんかもっちゃいねえ。
桂木 :みなさんそうおっしゃいます。
坂崎 :違うんだ。
桂木 :恥じることはございません。
坂崎 :うるさい。
桂木 :まあ。まあ、まあ、まあ。あなた。
坂崎 :ほっとけ。
桂木 :これは問題。島崎さん。
島崎 :は、はい。
桂木 :お話が違うんじゃありません。確か私どものプログラムにご協力いただけると。
島崎 :えっ、ええ、はあ、確かに。
坂崎 :なに、いってんだ。
桂木 :まあ。まあ、まあ、まあ。島崎さん。
島崎 :はい。
坂崎 :まあ、まあ、まあ、まあ。
桂木 :(キッと見る)このお話、無かったことにいたしましょう。では失礼。書類の取り下げは後で文化省に!
 
        桂木、さっさと帰ろうとする。坂崎、ざま見ろと悪態をつく。
        島崎、すばやく引き留める。
 
桂木 :あっ、あれ何をされるの。あっ、いや、あっ。
島崎 :何もしないよ。一人で悶えるなって。
桂木 :失礼な!
島崎 :おっと、帰すわけには行かないな。桂木さん。取り下げできないんだな。もう、これが。
桂木 :何ですって。
 
        島崎、何やら書類を取り出し、桂木に見せる。
 
桂木 :まあ、これは。
島崎 :そういうこと。
桂木 :・・契約書。けれど・・。(署名を見る)・・そんな馬鹿な。
島崎 :あんたのサインだよ。
桂木 :いつの間に。
島崎 :モツ鍋がうまかったねえ。
桂木 :えっ、・・して、そうすると、あら、あの時に。・・裏切り者!
島崎 :いやあ、大人の付き合いだよ。
桂木 :騙したのね。
島崎 :そんなつもりはない。第一、補助金はもう、少し使っちまった。この話を受けるしかねえんだ。
桂木 :嘘をつかないで。補助金は、そんなに簡単におりないのよ。
島崎 :2頁目を見ろよ。
 
        島崎、2頁目を見せる。驚く桂木。
 
桂木 :あんた、悪ね。
島崎 :あんたも一連托生ってわけだ。あんたの名前の保証書付きだもの。
桂木 :わかったわ。
 
        ドアに歩み去る。島崎に。
 
桂木 :どいて。
 
        島崎、わきによる。
 
桂木 :文化省をたぶらかそうなんて、とんだ劇団だわね。けれど、覚えておいて。私には監督権があるのよ。ちょ    くちょく見に来るわ。さぞかし見物ね。
 
        桂木、島崎の方をにらむ。間。振り切るように去る。
 
島崎 :ふーっ。あぶねえ、あぶねえ。
坂崎 :しまちゃん。あんたこの劇団つぶす気か。
島崎 :大丈夫だよ。ざきさん。あんた、芝居やりたいんだろ。
 
        信子、ひょこっと顔を出して。
 
信子 :そうですよ。借金返して、次にどーんといきましょう。
島崎 :どーんとっ。なっ。
坂崎 :ふん。・・わかったよ。引き受けりゃいいんだな。引き受けりゃ。
 
        島崎、信子、Vサインの交換。信子、去る。
 
島崎 :さすが、ざきさん。話がわかる。
坂崎 :しまちゃんの捨て身の根回しにゃかないませんわ。桂木さんだっけ、彼女。かわいい顔じゃないの。泣かせ    ちゃって。
島崎 :ふん。ちょんと鼻っ柱おりたくなるやつっているじゃない。
坂崎 :鼻っ柱ねえ。なるほど。そうですか。
島崎 :ほんとだよ。・・それよりその子明日来るとさ。名前は・・(書類を見て)ヘレン。
坂崎 :ヘレン?ハイカラな名前だな。
島崎 :ん。・・で、ざきさん、なにやるんだ。
坂崎 :(軽いため息)文化省だろ・・ま、あれだな。
島崎 :あれか?お約束。
坂崎 :営業芝居だろ。愛に勝るものはない。
島崎 :すまん。
坂崎 :いいって。
島崎 :チョイ役でいいからさ。
 
        坂崎、島崎から桂木に見せていた書類を受け取る。
        少しの間。
        坂崎の顔が少し引き締まる。
 
坂崎 :・・いや、きっちり行こう。
島崎 :おい、まさか。
坂崎 :そうだ。
島崎 :それはちょっとやり過ぎだぞ。薫に聞いてみればわかるが・・。
坂崎 :薫?ほほーっ。薫・・なるほど。
島崎 :あ、いや、ほら文化省の桂木薫だよ。(なるほどと相づちをうつ坂崎、空咳をする島崎)
坂崎 :目だよ。
島崎 :目?
 
        坂崎、書類を指ではじき島崎に渡す。島崎しげしげと見る。
 
島崎 :写真の目がどうかしたか。
坂崎 :独りだといってる。私は独りだと。
島崎 :だから。
坂崎 :冒険するのも、時にはいいさ。
島崎 :それだけで主役か?失敗するぞ。
坂崎 :失敗してもいいといったのはしまちゃんだろ。
島崎 :しかし、ジュリエットとは荷が重い。
坂崎 :ロミオに会うまでは彼女は一人だった。
島崎 :そりゃそうだがよ。・・おい、まてよ。
 
        坂崎、出ていく。
 
島崎 :おい。ざきさん。ざきさん。・・坂崎!・・・何考えてんだ。ったく。・・まてよ。だが、こいつはおいし    いポイントだな。やるか。・・ようし、ざきさん。いただきだ。乗ったぜ!
 
        島崎、駆けだす。すれ違う伊集院。忘れていった書類。伊集院が手に取る。
 
伊集院:いつも素敵な女よ、わたしは。・・・(裏を見る)ヘレンか。・・・この伊集院春香よりはおちるわね。で    も、ロミオとジュリエットか。(立ち聞きしていた伊集院)・・・(椅子に登ったり降りたりして)おお、    ロミオ。あなたはなぜロミオなの。・・ジュリエット聞いてくれるかい、そのわけを。・・ええ、あなたの    口からこぼれでる真珠のような言葉ならよろこんでお聞きいたしましょう・・・それはね。・・・ええ、そ    れは・・・親がつけたからさ。・・・ははははは。(と一人受けして、白ける)・・寂しい・・・。(と、    椅子を持って去る)
        
Uヘレン
 
        そのままジュリエットの稽古に入る。如月、恵、星野、夏子たちがいる。坂崎はいない。ヘレンが        ひっそりといる。
 
如月 :なにこれ。何でわたしがこんなことやらなきゃいけないわけ。やめたわ。・・誰、こんな本書いたの。ロミ    オとジュリエットだけしか目だたないじゃない。これじや、ほかの役者たまんないわねえ。やってられない    わ。
恵  :坂崎さんです。
如月 :だとおもった。(夏子と話し込んでいる星野へ)星野君。
星野 :えっ、あ、はい。なんですか。
如月 :君の台詞あれ何。
星野 :えっ!はい。
夏子 :星野さんと、ヘレン。なんていうか、なかなかはまらないって感じ。
如月 :下手だからよ。
夏子 :ええ、それはそうですけれど。
星野 :どうせ、ヘボだよ。
夏子 :そんな・・・ごめんなさい。
星野 :いいよ。事実だから・・・。
夏子 :ごめんなさい。・・でも、なんというか・・・。
如月 :なっちゃん。
夏子 :はい。
如月 :よけいなこといわなくていいの。
夏子 :あ、すみません。またやっちゃった。私、トイレいってきます。
 
        夏子、去る。
        信子、坂崎、島崎が入ってくる。空気が緊張する。
 
信子 :あつまってくださーい。お知らせがあります。
如月 :島さん。
島崎 :うん。
 
        周りに集まる。
 
島崎 :あ、みんな聞いてくれ。公演の日取りが正式に決まった。5月3日だ。
恵  :えーっ。あと一月じゃないですかー。こまっちゃうー。
坂崎 :こまっちゃうのは俺の方だ。しってるとおり、今回は文化省の集団不適応援助プログラムの補助金を受けて    いる。それなりの成果をあげなきゃならんというわけだ。いかにアマチュアといえど芝居は芝居。結果がも    のをいう。大変だろうが、稽古の方のテンポをあげるからそのつもりで。
星野 :そんなに短期であがりますか。
坂崎 :あげるしかないだろ。
如月 :坂崎さん。
坂崎 :なんだ。
如月 :いっていいかな。
坂崎 :なんでも。
如月 :あたし、無理と思うんだ。
坂崎 :なんで。
如月 :だって、時間無いし。・・。あんたでしょ。この本書いたの。
坂崎 :まあな。
如月 :この本何?「愛しのヘレン」?どこがロミオとジュリエット。冒険するのもいいけどね。これじゃ、あたし    たち踏んだりけったりよ。なんのために芝居してるのやらわかりゃしない。
坂崎 :それで?
如月 :それでって。ざきちゃん正気?あんな娘(こ)使って。無理なことわかってるでしょ。
        
        一同、ヘレンを見る。ヘレン、一生懸命自分の台詞を練習している。が、どこか下手である。
 
ヘレン:これはなに?杯が、愛する人の手の中に。毒なのね、あの人の時ならぬ最期を招いたのは。
坂崎 :それで?
如月 :それで!あれを聞いたら充分でしょうに!
ヘレン:あ、人の声が、いそがなければ。
    
        伝わってこない。
    
如月 :どこがいいの、あんな娘。お客さん引くわよ、引いて引いて引き抜けて、もう裸足でぶっとんで逃げちゃう    わよ。
星野 :如月さん。
如月 :いいえ、星野君言わせて。言ってやらなきゃ目が醒めないんだから。私だけじゃないわ。メグちゃんだって    星野君だって夏ちゃんだってあんなぽっと出の唐変木よりずっとずっと芝居知ってる。そりゃプログラムだ    から使うのはわかるわよ。でも、なぜ主役なわけ。話題になるから?補助金もらったから?ねえ、なぜ。言    ってよ。そのわけ。言ってよ。
坂崎 :それで。
如月 :それで?それで!・・それしかないわけ。
坂崎 :それで。
如月 :・・・わかった。もういい。私降りる。・・さいなら。
 
        如月、駆け出して行く。
 
星野 :如月さん!
坂崎 :稽古始めるぞ。
 
        この間に一同、稽古の態勢にはいる。
        明かりが落ちて行き、坂崎が、指示する声が聞こえる中、ヘレンが浮かび上がる。一同退場。
 
ヘレン:坂崎さん。私どうしたら・・・。
 
V北十字
 
        坂崎がいる。
 
坂崎 :ヘレン。焦らないで。
ヘレン:後一か月しかありません。
坂崎 :星でもみてろ。
ヘレン:わからない。
坂崎 :気分転換かな。
 
        ヘレンと坂崎、歩きだす。星が出る。
 
坂崎 :あれわかるか。
ヘレン:星です。
坂崎 :じゃいい。
ヘレン:星を見てどうしろというんです。坂崎さん。
坂崎 :ざきでいいよ。
坂崎 :あそこのどこかに、ヘレンの星があるんだよ。
ヘレン:星は誰のものでもありません。
坂崎 :ちがうって。あんたの運命があるんだ。
ヘレン:私の運命。
坂崎 :そうだ、お守りだ。
ヘレン:お守り?
坂崎 :お願いでもしてみるんだね。ジュリエットの心がつかまえられますように。
 
        横顔を見つめる坂崎。
 
ヘレン:どうしました。
坂崎 :なんでもないよ。願かけたか。
ヘレン:ガン?
坂崎 :お願いさ。
ヘレン:はい。
坂崎 :どの星だ?
ヘレン:星を決めるのですか?
坂崎 :自分の星をな。
ヘレン:では、あれにします。
 
        北十字が輝いている。
 
坂崎 :北十字のアルビレオだ。
ヘレン:北十字?
坂崎 :劇団の名前を取った星だな。いい星だ。
ヘレン:うれしい。
坂崎 :何を願った。
ヘレン:秘密です。秘密。
 
        沈黙が漂う。
 
ヘレン:(星をみて)不思議ですね。
坂崎 :・・?
ヘレン:いつも同じ場所で輝いている。
坂崎 :星座って言うから、同じ所で正座してるんだろ。
ヘレン:(くすっと笑って)・・自分の場所が有るんですね。
坂崎 :・・そうだな。
ヘレン:「北十字」にいてもいいんでしょうか。
坂崎 :どうした。
ヘレン:みんな私を嫌ってます。
坂崎 :気のせいだよ。
ヘレン:いいえ、何となくわかります。
坂崎 :すぶの素人がジュリエットやるからと言いたいのか。
ヘレン:・・はい。こんなことなら・・
坂崎 :独りの方がよかったか。
ヘレン:はい。
坂崎 :人に言われるのが気になるか。
ヘレン:はい。
坂崎 :人が怖いか。
ヘレン:・・はい。
 
        沈黙。
 
坂崎 :俺もそうだった。
ヘレン:え?
坂崎 :他人のことはわからねえ。わからねえものは怖い。怖い怖いで大人になった。けれど、ある時ポカッと気が    ついた。人間なんてもともと一人だ。人のことなんかわからなくて当たり前だってな。そのときから怖がる    のをやめた。
ヘレン:やめた?
坂崎 :一人だから他人と関わりたくなる。こちらが怖がれば相手も怖がる。こちらが愛せば、相手も愛する。人が    怖いんじゃなくて本当は人とつながりたいんだ。一人だからこそつながりたいんだ。ヘレン。
ヘレン:はい。
坂崎 :人が怖いんじゃない。人とつながりたい思いがヘレンにはいっぱいあるって言うことだ。立派な役者だよ。
ヘレン:・・でも。
坂崎 :帰ろうか。
ヘレン:坂崎さん。
坂崎 :ざきでいいといったろう。
ヘレン:はい・・・。では、教えて下さい。
坂崎 :何を。
ヘレン:愛を。教えて下さい。私このままではジュリエットできません。
坂崎 :無理だな。
ヘレン:どうしてです。
坂崎 :教えるとか教えないとかいう問題じゃない。自分で見つけるものだ。
ヘレン:でも知りたいんです。
坂崎 :人間は嘘もつくし平気で約束を破る。裏切ったり、殺したり、しまつにおえないしろものだ。「愛」なんて    いったって本当かどうかわかりゃしない。
ヘレン:愛はわからない・・。
坂崎 :けれど誰が考えたかしらねえが、つながりたくって自然の仕組みが働くんだ。
ヘレン:仕組み?
坂崎 :半分だ。
ヘレン:半分?
坂崎 :自分は半分なんだ。もう半分の相手がいる。自分だけじゃない。もう一つのつがいがいるんだ。ちょうつが    いといってな。ドアを開けるには一人じゃダメだ。合わせて一人前。紅い糸の切れ端をみんな探しているの    さ。皆小指の先に紅い糸を卷いている。糸を手繰っていったその先にお前の相手がいる。ジュリエットの小    指はロミオの小指につながっていた。それを感じたんだ。ジュリエットは、それだけのことだ。
ヘレン:・・・坂崎さん、下ろして下さい。私にはできません。
坂崎 :・・・
ヘレン:坂崎さん。
坂崎 :下ろす訳にはいかないよ。
ヘレン:でも・・・
坂崎 :君がジュリエットだ。
 
        ヘレン、坂崎をにらむ。
 
ヘレン:・・お金のためですか!
 
        くるりと身を翻りかけ去る。残された坂崎、そっと。
 
坂崎 :ああ、そのとおりだよ。・・ヘレン。
 
        坂崎、立ち尽くす。星が優しく瞬く。坂崎、ゆっくりと歩き出す。
 
W妬み
 
        「北十字」稽古場。大道具が作られている。
        信子と夏子、ぼろいパネルを運んでくる。
 
夏子 :あーっ、おさないで。のぶさん。こわれるぅ。
信子 :これもお金よ。気をつけて。
夏子 :わかってますって。
信子 :よーし、ここに置いて。
夏子 :あーあ。借金さえなかったら。こんな使い回ししなくてもいいのに。
信子 :ざきさん、こるからね。あ、30有る?
夏子 :(釘を探して)はい。・・これ。
信子 :サンキュー。・・そっち押さえてて。
夏子 :こうですか。
信子 :浮いてるわよ。
 
        信子、なぐりでパネルを止めていく。
 
信子 :あいた。
夏子 :だいじょうぶですかぁ。
信子 :平気、平気。
 
        とんとんと打つ信子。
 
信子 :よっしゃ。こっち、終わり。
夏子 :ねー、信子さん。
信子 :何。
夏子 :あの子、ほんとに主役やるのかな。
信子 :え?ああ、ヘレン。ざきさん、買ってるみたいだね。どうかしたの。
夏子 :うーん。・・やれると思います?
信子 :大丈夫じゃない。
夏子 :どうして?みたじゃないですか?
信子 :みたよ。
夏子 :だったら・・。
信子 :芝居は上手下手じゃないだろ。
夏子 :え?
信子 :伝えるものがあるかどうかじゃないかな。
夏子 :あの子に?
信子 :今にも吹きこぼれそうに見えたけど。
夏子 :あの子が?
 
        ヘレンが入ってくる。
 
ヘレン:(元気に)おはようございます。
信子 :おはよう。元気ね。
夏子 :いいことでもあったの。
ヘレン:はい。
夏子 :何。何。それ。
ヘレン:何でもないです。
夏子 :いいでしょ。教えてよ。
ヘレン:・・ジュリエットの心です。
夏子 :なに、それ。
ヘレン:紅い糸の話聞きました。
夏子 :へ?
 
        信子、くっくと笑って。
 
信子 :ざきさんだろ。
ヘレン:はい。
夏子 :のぶさん?
信子 :もう半分の自分がいる。ドアを開けるには自分一人じゃだめだ。紅い糸で結ばれたもう一人の相手がいる。    だろう。
ヘレン:はい。
信子 :ジュリエットの半分の相手か。
ヘレン:はい。
信子 :なるほどね。
夏子 :へーえ、そんなんで、ジュリエットができるわけ。
ヘレン:え?
夏子 :たかがそんなことでできるかって言ってるの。
ヘレン:そんなこと言ってません。
夏子 :言ってるわよ。ヘレン、ざきさんに甘え過ぎじゃない?
ヘレン:そんな。
信子 :なっちゃん。
夏子 :いいえ。のぶさん。こういうことはっきりしとかなくちゃ。ヘレン。気に入られてるからっていい気になら    ないで。あんた、人の目まっすぐみたことある。おどおどこそこそ泥棒猫みたいにして。劇団はチームワー    クだからね。集団乱さないでよ。いい。
 
        と、ぷいと出てゆく。
 
ヘレン:待ってください。
信子 :ヘレン。
ヘレン:信子さん。
信子 :気にしなくていいよ。あの子、星野君が好きなもんだから。ジュリエットねらってたのよ。
ヘレン:でも、わたしそんなつもりじゃ。
信子 :わかってる。でも、気をつけるのね。だれもがあなたをわかってくれるとは限らないから・・
 
        恵がやってきて、信子と組み立てたパネルを運んでゆく。
        立ちすくむヘレン。
 
ヘレン:・・・本当に、そういうつもりじゃ・・。
 
        やがて一人早口言葉を始める。
 
ヘレン:裏の山椒の木にモズの子が巣を掛け何といってさえずる立ち聞きすればきみはきんくるまいてくるくるまい    てりんと鳴く。
 
        涙声になるが、続ける。坂崎が、下手側でみている。
        溶暗。
 
X査察
 
        坂崎と劇団員A・Bが浮かぶ。
 
団員B:でも、仕方がないことですよ。私だって、初めは如月さんにむちゃくちゃ言われましたから。そんなこと気    にしてたら・・
坂崎 :キミはそういう人かもしれない。
団員B:はあ?
坂崎 :スポットライトを浴びたいやつがみんな強いやつばかりとはかぎらない。弱い自分を変えたかったり、コン    プレックスを克服したかったり、今までの自分から何とかして逃げだしたいとおもってる。そんなやつだっ    ているんだ。俺はあの時、それがわかっていなかった。みんな芝居をやりたくて来てる者だと思っていた。
団員B:でも、演出がいちいちそんなことに責任持てないでしょう?
坂崎 :確かにな。役者は芝居さえやってくれりゃいいと言う演出もいる。後は、いっさいノータッチ。だけど、芝    居は結局生身の人間がつくるもんだろ。役者は道具じゃねえ。
団員B:あの子は役者じゃないと?
坂崎 :あのとき、あんなことさせるべきじゃなかった。
団員B:でも、そこまで・・。
坂崎 :(かぶせて)俺はもっと見るべきだったんだ・・。
 
        A・B消える。
        ヘレンを見ながら坂崎去る。
        溶明。
        北十字稽古場。数日後の夕方。
        忍、長机を持ち、静香、椅子持って入ってくる。由美は何も持っていない。
        由美、ちょっとステップを踏む。
 
忍  :ひろいなあーっ。
由美 :部室とは大違いだね。
忍  :あんなの、ゴミ箱よ。あーっ。(と、発声練習をしてみたりする)
由美 :やっぱりいいなあ。広くって。しーちゃん。踊ってよ。(静香、椅子をおく。にこにこして踊らない)けち。    ・・あっ、おはようございます。(如月が入ってくる)
如月 :おはよう。いつもお手伝いご苦労さん。・・でも、あなたたち学校のほう大丈夫。
忍  :学校なんかもういいんです。
如月 :あら、熱心なのね。
由美 :いいえ、学校の方がもういいといってるんです。
如月 :へーっ。
忍  :へっへっ、留年しそう。
如月 :ちゃんと勉強しなきゃだめよ。
 
        由美、忍はーい。静香にこにこ。
 
忍  :おはよーございまーす。
 
        おはようございまーす。とキャスト、スタッフたちぞろぞろと。
        由美たちわきへより、準備を手伝ったりする。
        島崎、入ってくる。周りから適当に、おはようございます。
        発声や柔軟などの稽古風景。でも、どこか重苦しい。
 
島崎 :どうしたのぶさん。いやに深刻そうじゃない。
信子 :島さん。いいところ。やばいですよ。
島崎 :なんだ。
信子 :査察が入ります。
島崎 :なんだと。
信子 :文化省の査察官が来るそうです。
島崎 :薫がか。何で今ごろ。
信子 :どうも、如月さんがちくったんじゃないかって。
島崎 :ざきさん知ってるか。
信子 :いいえ、まだ。
島崎 :まずいな。ざきさん、どうしてる。
信子 :前の茶店でのたくってるはずです。
島崎 :しょうがねえな。呼んでこい。
信子 :はい。
 
        信子去る。
        桂木、入ってくる。
 
桂木 :おはようございます。(やたら元気がいい)順調のようですね。結構、結構。あら、島崎さん。その節は。
 
        島崎、もごもご。みんな、なんとなく練習がやまる。
 
桂木 :今日は、文化省集団不適応援助プログラムの査察ということで参りました。あ、でも気にせずやって下さい。    わたし、そのあたりをぶらぶらしておりますので。
島崎 :桂木さん。
桂木 :薫と呼んでもいいのよ。
 
        島崎、せきこむ。
 
桂木 :それで。
島崎 :なにしにきた。
桂木 :あら、ご挨拶。あなたに会いによ。
島崎 :はぐらかすなよ。
桂木 :半分本当だけどな。・・査察よ。文化省内にも反対派は多くてね。ちゃんといかなきゃ後が大変だから。
島崎 :それで。
桂木 :仕上がり具合を見に来たの。
島崎 :つぶしにだろ。
桂木 :いいえ。
島崎 :信用できないな。
桂木 :私はプロよ。自分の仕事自分でつぶす馬鹿じゃないわ。
島崎 :どうすんだ。
桂木 :ヘレンをどうにかしようと思って。ま、稽古を見てからね。
 
        坂崎、信子と入ってくる。信子はそのままスタッフの所にいって何やかやと話している。
 
坂崎 :なにか用ですか。
桂木 :ヘレンにね。
坂崎 :ヘレンは大丈夫です。
桂木 :あら、そうかしら。大変だって聞いてるわ。
坂崎 :よけいな世話はせんで下さい。
桂木 :査察官としての義務を果たすだけ。私だって成功させたいのよ。
坂崎 :何を考えてるんです。
 
        島崎に手を絡める桂木。離す島崎。目でにらんで。
 
桂木 :とにかく、ヘレンを見せてもらうわ。あとでヘレンと話し合うつもり。いいでしょ。
坂崎 :勝手にしたらいい。
島崎 :おい、ざきさん、それは。
坂崎 :稽古始めるぞ。
 
        坂崎、パンと手をうち、稽古を始める。音楽入る。桂木、島崎と隅で見守る。
        ロミオとジュリエット。バルコニーの場。ただし、※から※の部分は、マイムのみ。チェックもマ        イムで。「愛しのヘレン」の音楽入る。
 
ヘレン:おお、ロミオ、ロミオ!どうしてあなたはロミオ?お父様と縁を切り、ロミオと言う名をおすてになって。    それがだめなら、私を愛するとちかって、そうすれば私もキャビレットの名を捨てます。
星野 :もっと聞いていようか、いま話しかけようか。
ヘレン:私の敵といっても、それはあなたのお名前だけ、モンタギューの名を捨ててもあなたはあなた。だから別の    お名前に。ロミオ、その名をお捨てになって、あなたとかかわりのないその名を捨てたかわりに、この私を    受け取って。
星野 :うけとります、お言葉通り。恋人と呼んで下さい、それが僕の新たな名前。これからはもう決してロミオで    はありません。
ヘレン:どなた、夜の暗さにひそみ、この胸の秘めた思いをお聞きになったのは。
星野 :ぼくがなにものか名前を聞かれてもどうお答えしてよいのやら。
 
        チェックが入る。
 
坂崎 :星野。何考えてる。よけいなことは考えるな。
星野 :はい。
坂崎 :集中して。はい!
ヘレン:あなたはロミオ?
星野 :いいえ。どちらの名前もお気に召さぬ以上。
ヘレン:どのようにして、ここに?何のために?この家のものに見つかれば死の入り口となりましょう。
星野 :恋がなしうることならどんな危険も恋はおかすもの、この家のものがどうして僕を妨げましょう。
ヘレン:でも、見つかればあなたを殺そうとするでしょう。
星野 :ああ、あなたの目の方がはるかに怖い、彼らの二十本の剣よりも。
 
        チェックが入る。
 
坂崎 :星野。芝居しろ芝居。もっと集中しなきゃだめだ。いいか。少し飛んで、ジュリエット、『いとしいかた、    おやすみ』から。はい。
ヘレン:いとしいかた、お休み。この恋のつぼみは夏のはぐくむ息吹を受けて、今度お会いするときは美しい花とな    っていましょう。
星野 :満たされぬ僕をこのままに行かれるのか?
ヘレン:どんな満足をいま手にすることが出来まして?
星野 :あなたの愛の誓約を、僕の誓いとひきかえに。
 
        誰の目にも集中が欠けているのがわかる。
 
坂崎 :だめ、だめ。(音楽止まる)しょうがねえな。休憩だ。
信子 :15分休憩しまーす。
 
        出ていくキャスト・スタッフたち。如月・星野・夏子・ヘレン残っている。
 
如月 :星野君、調子出てないわよ。
星野 :わかってます。けど・・。
如月 :ま、原因は、一目瞭然だけどね。
星野 :ざきさん。
坂崎 :なんだ。
星野 :わかってるでしょう。
坂崎 :何を。
星野 :集中してないのはヘレンだってこと。
坂崎 :何だって。
星野 :どこかよそを見てる。おれに向かって語ってやしないんです。
坂崎 :だから。
星野 :やってられませんよ。
ヘレン:一生懸命やってます。
星野 :芝居ってのは相手と作るんだよ。自分一人の世界作ってもらっちゃ困るんだ。
夏子 :ほんと、何考えてんの?
ヘレン:ジュリエットがどんな気持ちだろうって。
夏子 :へーえ。ジュリエットの気持ちね。
星野 :どんな気持ちもへったくれもないよ。もう降りたら。この役無理だよ。
島崎 :星野。
星野 :あんたは自分だけにしか興味がないんだ。ジュリエットなんかできっこない。俺だって後免だ。ロミオに興    味のないジュリエットなんてだれが相手にできる。
島崎 :星野!
星野 :ざきさん。やめましょう。こんな芝居。
坂崎 :もういいだろ、星野。
 
        ヘレンが走って退場。ふてくされる星野。
 
夏子 :あらら、お姫さまの退場よ。
如月 :なっちゃんそれぐらいにしたら。
 
        肩をすくめる夏子。
 
桂木 :おやおや、これは愁嘆場だわ。島さん、どうするの?
島崎 :知るか。なるようになるさ。
桂木 :とんだ茶番ね。いい査察ができました。坂崎さん。
 
        肩をすくめる坂崎。
 
桂木 :みなさん。「北十字」の公演楽しみにしていましてよ。島さん、いきましょ。
島崎 :おれは、ちょっと。
桂木 :何言ってるの。話があるのよ。
 
        島崎を引っ張って退場。
        それをしおに、三々五々、お疲れさまでしたなどと片づけて引き上げる。
        坂崎残る。疲労の色が強い。首を振って出ていく。
        走って来るヘレン。星を探す。
 
ヘレン:北十字・・、私の北十字・・・。
 
        星は見えない。
 
Y壁の花
 
        同日、夜。北十字稽古場。
        稽古終了後、パーティーが始まる。
        女子高生達、パーティーの道具を持って入ってくる。
 
忍  :ねえ、ねえ。コップこのあたりでいいかな。
由美 :いいんじゃない。ねー、しーちゃん。
静香 :うん。
忍  :さっきはすごかったわねー。
由美 :まさに、劇団のどろどろね。あー、こわい、こわい。
忍  :あっ、これおいしそう。頂き。
由美 :行儀悪いわよ。
忍  :かめへん、かめへん。他人行儀なこといわんときーな。
由美 :他人よ。・・でもまあちょっとならね。(つまみかけてヘレンに気づき)おはようございまーす。
ヘレン:おはよう。
忍  :ねえ、ねえ。あの子、ほとんど学校行ったことないんだって。
由美 :ほんと?
忍  :信子さんが言ってたよ。人間関係がへたなんだろうって。
由美 :ふーん。でも、なんだかわかるな。
忍  :ねえ、聞いてみよか。
由美 :何を。
忍  :どうして芝居なんかする気になっのかって。
由美 :なぜ?
忍  :だって、お芝居ってさっきみたいな人間関係のごちゃごちゃじゃん。そんなのよくやる気になったなって。    思わない?
由美 :わるいわよ。
忍  :そうかなあ。
由美 :そうよ。ねっ、しーちゃん。
静香 :そうよ。(強いので二人びっくりで押し黙る)
 
        人々、入ってくる。
 
夏子 :あっ、準備できてる?
忍・由美:(間が悪いので)おはようございまーす。
由美 :ジュース持ってこよう。しーちゃん。
静香 :ええ。(二人去る)
忍  :あっ、まって。
        
        にぎやかなパーティー。三々五々、劇団員たちがいる。ヘレンは一人で壁の花。なんとなく、皆避        けている。
 
恵  :ねえねえ、のぶさん。
信 子:えっ、なに。あ、よっぱらってるな。
恵  :ばか。わたし、よっぱやってなんかいないですからね。・・わん。わん。ほや。
信 子:あ、あぶないなあ。わかったわかった。わかったから。
恵  :ね、さびしそー。
信 子:え、だれ。ああ、ヘレン。
恵  :そう。さびしそー。うえっ。
信 子:あ、おい。吐くならあっちでしなさい。
恵  :だいじょうぶい。うえっ。
信 子:飲み過ぎよ。
恵  :のぶ。つえてけ。
信 子:わかった。わかった。はい、はい、お姫様、お手を拝借。
恵  :よろひい。
 
        恵、とたんにしゃきっとなって。ヘレンを見る。
 
恵  :一人らよ、ヘレン。
信 子:えっ。
恵  :うえーっ、つえてけーっ。ヘレンとこへ連えてけーっ。
信 子:へいへい。
    
        信子、あわてて恵を別室へ連れていく。
        ヘレン、ぽつんといる。島崎が気を利かす。
 
島崎 :暇そうだね。
ヘレン:島崎さん。
島崎 :しまさんでいいよ。
ヘレン:はい、しまさん。
島崎 :昼間のこと気にするなよ。
ヘレン:はい。気にしてません。・・でも。
島崎 :なんだ。
ヘレン:少し、寒いです。
島崎 :風邪か?
ヘレン:いえ、ここが・・・。
島崎 :それは風邪じゃなさそうだね。
ヘレン:なんですか。
島崎 :孤独な島。
ヘレン:孤独な島?
島崎 :人は誰も孤独な島を持つ。夜明けにはいつもその島に帰るのさ。(笑って)ヘレンはもっと楽しまなくちゃ。    ヒロインはもっと陽気に。おーい。
 
        と、坂崎を呼ぶ。ヘレンが一歩ひく。気づくが知らんふりをする島崎。
 
坂崎 :どうした。元気がないな。しまちゃんがいじめたんじゃないのか。
島崎 :ざきさん、かついれてやれよ。
坂崎 :悩みでもあるのか。
ヘレン:いいえ。
坂崎 :なら、いい。お前はジュリエットのことだけ考えればいい。
島崎 :そうそう、俺は借金のことだけ考えればいい。
坂崎 :金はしまちゃん。
島崎 :演出ざきさん。
坂崎 :芝居はヘレン。
島崎 :この世は役割分担だよ。人の分まで仕事とっちゃあいかん。それはお節介というものだ。
ヘレン:島崎さんっておかしいこといいますね。
島崎 :そうかあ。はっはっ。島さんでいいよ。言って見ろ。ほら。
ヘレン:島さん。
坂崎 :おれはざきさんでいいよ。
ヘレン:さかざ・・ざ、ざきさん。
坂崎 :こら、ヘレン。女優は台詞をちゃんと言え。
ヘレン:すみません。
島崎 :こらこら、ひがむな。
坂崎 :何いってんだ。
信子 :ああ、島さん。桂木さんがお見えですよ。
島崎 :薫が?
 
        桂木が入り口に立っている。やっほーっと手を振る桂木。
 
島崎 :しょうがねえなあ・・(といいつつ嬉しそうに去る)
    
        ヘレンの周りに空間ができる。誰もがヘレンの周り流れ、そして去る。
        坂崎、黙って見ている。
    
ヘレン:・・寒い。・・こんなに寒いものなの。・・(周りを見渡す・にぎやかな情景)周りはこんなににぎやかで    こんなに温かいのに・・。
 
        ヘレン歩き出す。人々は巧みにヘレンを避ける。歩き続けるがヘレンは誰とも話すこともかかわる        こともできないまま立ち尽くす。人々がパーティー道具を片付けながら、ヘレンの周りを流れて去        って行く。
 
ヘレン:坂崎さん。私よく分からない。ジュリエットこんなに寒かったのでしょうか。大勢の家族、大きなお屋敷、    沢山の友人。ロミオがくるまでジュリエットこんなに寒かったんでしょうか。私、少しもあったかくないで    す。紅い糸はどこにあるんでしょう。星も見えないです。私、とても寒くて痛いです。助けて下さい。・・    ざきさん・・
 
Z精神探査
 
        ヘレンが立っている。
        信子が、なにやら言い争いながら桂木、早乙女、水森を連れて入ってくる。
 
信子 :でも、しまさんに聞いてみないと。
桂木 :島崎さんは了解済みよ。・・こんにちわ、ヘレン。
 
        ヘレン、礼をする。
 
桂木 :紹介するわね。早乙女博士と水森さん。
 
        水森、にっこり。
 
早乙女:あなたがヘレンね。
ヘレン:はい。
早乙女:ちょっと失礼。水森。
 
        と、水森、鞄を持ってくる。
 
信子 :何をするんです。
早乙女:何もしないわ。見るだけ。
桂木 :博士はね。感情回復についてずっと研究を続けてこられたの。
信子 :感情回復?
桂木 :抑圧されている人間の、本来の豊かで自然な感情や反応を回復させるための研究。もともと、集団や社会不    適応の精神的疾患のためのものだけど。
信子 :そんなことができるんですか。
桂木 :100パーセントとは言えないけれど。
早乙女:大丈夫だよ。
桂木 :できまして。
早乙女:たぶんね。
桂木 :どう、精神探査受けてみない?
信子 :精神探査?
桂木 :自分本来の豊かな感情、豊かな個性。みんなあなたのものよ。
信子 :大丈夫ですか?
早乙女:・・桂木さん。時間はないんだよね。
桂木 :申し訳ないんだけれど、どうあがいても三日。できたら一日。できます?
早乙女:危険率があがるね。
桂木 :では。
早乙女:フィフティー・フィフティーだろう。
信子 :失敗したら。
早乙女:ゲシュタルト崩壊を引き起こす危険性も。
信子 :ゲ、ゲシュタル?
早乙女:感情がのっぺらぼうになる。つまり廃人ってワケね。
信子 :ヘレンは今のままでも充分できます。
桂木 :不十分よ。それはあなたも知ってるはず。
信子 :大丈夫ですよ。
桂木 :このままで幕あがると思う。
信子 :ざきさんが何とかします。
桂木 :舞台にたつのはヘレンよ。
信子 :しかし。
ヘレン:私、やります。
信子 :ヘレン。
ヘレン:本当の自分を見つけられるんですね。
早乙女:本来の自分がね。
ヘレン:愛もわかりますか?
早乙女:わかると思うわ。
ヘレン:なら、受けます。私、紅い糸を探したい。
桂木 :紅い糸?
ヘレン:なんでもないです。
信子 :ヘレン。本当に。
ヘレン:坂崎さんに知らせてください。私、本当の自分見つけます。
信子 :ヘレン・・・
桂木 :手続きはこちらでするわ。早乙女博士お願いします。
早乙女:水森!
水森 :はい。
 
        水森、ヘレンを助けて早乙女と去る。
 
桂木 :よろしく。
信子 :・・はい。
 
        信子、去る。
 
桂木 :大丈夫よ。
 
        桂木去る。
        早乙女の研究室。
        伊集院、登場。掃除をする。続いて何やら怪しい機器を運んでくる研究員三人組。どこか女子高校        生に似ている。
 
伊集院:あんたたち。(三人無言で機器を設置している)ふーん、なんだかな。北十字も怪しいけど、ここも結構怪    しいわ。僕は愛を知りまっしぇん。だから、僕は愛を知りたいんです。お前は論理的だな。はい。論理的で    す。馬鹿やろう。愛は論理じゃねえ。何ですか?愛か?愛はこうだ。ぶっちゅーっ。・・ぷはーっ、うーん、    うまかったあ。どうだ。これが愛だ。分かったか。なんだか混乱して良く分かりません、けれど一つだけ分    かった事があります。なんだ。言って見ろ。あんた、お昼レバニラ食ったね。・・はははははっ(と一人受    けする。空しい拍手が助手達から起こる)むなしい・・・。
 
        伊集院去る。    
        水森が忙しく働いている。ヘレンが連れてこられる。椅子に座るヘレン。桂木も入ってくる
        準備ができて、早乙女が入ってきた。
 
早乙女:・・さあ、ヘレン。目を閉じて。・・これから、君の生まれた故郷へ旅をする。
 
        胎内にいるような安心する音楽。だんだんと暗くなって行き、影のように動く研究員たちが浮かぶ。
 
早乙女:そうだよ。リラックスして。・・ペンタトール、コンマ5注入。
 
        研究員、注射。鼓動音少し強くなる。
 
早乙女:識域レベル降下開始。
 
        音楽少し替わる。鼓動音と水滴のような音が交じってくる。
 
早乙女:識域レベルは。
水森 :まもなく、レベル3です。
早乙女:じゃ、はじめる。・・・ヘレン。いくつか予備的な質問をするよ。何でもいいから答えて。いいね。・・水    の上を歩く蜘蛛が糸を吐いている。
 
        ヘレン、ゆっくり答える。
 
ヘレン:まばゆい太陽。
早乙女:一対の赤いグラス。ただし、いけられたガーベラは白い。
ヘレン:死んでいる犬。
早乙女:踏みつけられた薔薇。
ヘレン:・坂崎さん。
早乙女:暗闇で光る猫の目。
ヘレン:・・私。
早乙女:食べてもらいたそうなあざやかな苺
ヘレン:・・・私
早乙女:・・水森。レベルは下がらない?
水森 :識域レベル3を保っています。
早乙女:もう少し、降下しよう。ペンタトール、コンマ3注入。
 
        注入される。鼓動音少し強くなる。水滴のような音も。
 
早乙女:ヘレン、聞こえる?音が替わるよ。
 
        音楽が変わる。ヘレンが身じろぎをする。
 
早乙女:怖がらなくていい。昔いたところへ帰るだけだよ。そう、ゆったりしておいで。
水森 :識域レベル再び降下し始めました。
早乙女:無意識領域に気をつけて。
水森 :レベル4。なお降下中。
桂木 :大丈夫?
早乙女:大丈夫。この子は強い。
桂木 :強い?この子が?
早乙女:外見だけではわからないわ。本当の強い自分がいる。
水森 :レベル5。なお降下中。
桂木 :・・・・。
早乙女:心配しないで。
水森 :レベル6。なお降下中。まもなく識域レベル突破します。
桂木 :無意識の領域ね。
早乙女:まだまだ分からない事だらけよ。けど大丈夫。
 
        警戒音発生。
 
早乙女:どうした。
水森 :拒絶心因反応。強度4で起こっています。アナフィラキシー発生のおそれ・・まもなく無意識領域に突入。
早乙女:プロカイン、コンマ3注入。そのまま降下。
桂木 :本当に・・
早乙女:黙って!
水森 :カウント10で無意識領域。9、8、7・・
 
        水森のカウント続く。鼓動音急速、水滴の落ちる音も急速。ヘレン苦しそう。
 
水森 :4、3、2、1。識域突破。
 
        音変わる。無意識領域へ突入。
 
早乙女:ヘレン。聞こえる?本当のあなたを引き出すわ。苦しいけれど頑張って。
水森 :無意識領域レベル3降下。
早乙女:ここからは、無意識の海が広がっているわ。ヘレン、あなたの本当の自分がこの海のどこかに眠っている。    いま、探すからね。水森、レベル10まで降下。
水森 :レベル4降下。
 
        警戒音発生。ヘレンの悲鳴。
 
水森 :アナフィラキシー発生。強度4。
早乙女:プロカイン、コンマ8注入。
桂木 :何、何が起こったの。
早乙女:過剰反応ね。
水森 :・・レベル6降下。アナフィラキシー強度8。
早乙女:プロカイン、コンマ3。ショックに気をつけて。
 
        ヘレンの悲鳴。
 
桂木 :中止は?
早乙女:この深さじゃ無理。全力尽くすけど。
桂木 :ダメなの。
早乙女:なんとも。
桂木 :そんな。
 
        音楽さらに変化する。鼓動音急速。
 
水森 :レベル8降下。アナフィラキシー強度7、安定してきました。
早乙女:よし。あとはこのこの強さに賭けるのね。
桂木 :強さに?
早乙女:何かが支えているの。この子をね。
桂木 :笑ってるわ。
早乙女:けいれんよ。
桂木 :そうかもしれない。けれど。
 
        ヘレン、幸せな微笑。
 
水森 :レベル10降下。・・止まりません!アナフィラキシー、強度8。変動しています。
早乙女:プロカイン、コンマ5。・・無理かな。
桂木 :・・こんなに幸せそうじゃない。
早乙女:ゲシュタルト崩壊の前に良くあるの。
桂木 :そんな。
水森 :レベル12降下。障壁見つかりません。
桂木 :障壁?
早乙女:本当の自分よ。探して。有るはず。
水森 :レベル13、降下。・・あ、待って下さい。
早乙女:あった?
 
        探査音。ピコーン、ピコーンと。
 
水森 :レベル15で障壁反応!
早乙女:・・深いな。持つか?
水森 :もたせましょう。
早乙女:そうだな。イメージスキャン用意。慎重に。(桂木に)意識の電気信号をイメージにかえるのよ。
水森 :レベル14降下。アナフィラキシー安定しています。
早乙女:プロカイン、コンマ2。
水森 :レベル15降下。
 
        警戒音。同時に、風のようなうねるような音。
 
水森 :嵐が発生しました。変異速度20。アナフィラキシー安定。
桂木 :嵐?
早乙女:抵抗しているだけ。無意識の海で発生する台風みたいなもの。その中心に本当の自分があるの。ちょっと荒    れるよ。
 
        警戒音。嵐のような音強まる。
 
水森 :変異速度30。反応顕著。まもなく障壁突破します。
 
        音強まる。
 
水森 :障壁突破。
 
        不安そうな紅い糸の音に変わる。
 
水森 :イメージスキャン始めます。
早乙女:画像出して。
水森 :まもなく出ます
 
        紅い糸の音。
        画面にリボンのような長い紐のようなものが映る。
 
水森 :でました!
早乙女:なんだろう。
桂木 :リボンかな。
早乙女:紐かな。DNAのようだな。少し違うか。
水森 :糸のようですね。長い、長い、そして紅い。
桂木 :紅い糸?
早乙女:どこまでのびている。
水森 :わかりません。
早乙女:時間がない。識域へイメージコピー。
水森 :イメージコピー、開始します。
桂木 :ねえ、どうするの。
早乙女:静かに。
水森 :2、1。コピー、終了。アナフィラキシー発生。強度9。
 
        警戒音発生。音変わる。不安感。急速。
 
桂木 :これは。
早乙女:脱出用意。急速浮上。
水森 :カウント10で浮上します。10、9、8、7・・
桂木 :イメージを確かめないの。
早乙女:ぼやぼやしてたら、ここに閉じこめられるわ。
 
        不安感、高まる。
 
水森 :2、1、浮上開始。
桂木 :本当の自分?
早乙女:どうなるか。。
水森 :レベル12、レベル11。レベル10。アナフィラキシー安定してます。
桂木 :でも。
早乙女:黙って。
水森 :識域へ浮上。レベル6、レベル5、レベル4・・
 
        安定した穏やかな雰囲気。
 
桂木 :はーっ。(と、ため息をつく)
早乙女:・・目覚めるよ。・・・ヘレン(と、静かに呼びかける)。
 
        ヘレン、幸せな微笑。ヘレンの意識が目覚めて行く。
        目覚めるヘレン。研究員たちにより片づけられていく室内。
        ヘレンが立ちあがる。戸惑っているヘレン。
        見守る桂木。桂木を認めてヘレン。
 
ヘレン:桂木さん。
桂木 :何?
ヘレン:変な感じ。(少し笑う)
桂木 :おかしい?
ヘレン:はい。
桂木 :何が?
ヘレン:分かりません。どこか自分でないような。
桂木 :どうしたの?
ヘレン:怖いんです。
桂木 :どうして。
ヘレン:(答えず)愛を知ることできますか?
桂木 :たぶん。
ヘレン:・・・愛を失うことも。
桂木 :そうね。
ヘレン:どうして?
桂木 :人間だもの。失うことを恐がっちゃだめ。
ヘレン:そうですね。
桂木 :ヘレン恐がってちゃだめ。これからだから。
ヘレン:ジュリエットできるでしょうか。
桂木 :できるかじゃなくて、やるのよ。・・じゃあね。稽古場で会いましょう。
 
        去る桂木。
 
ヘレン:坂崎さん。ジュリエットできるでしょうか。
 
        答える人はいない。
 
[めざめ
 
        ヘレンがいる。
        気づかずに、信子と島崎が入ってくる。
 
島崎 :明かりのプランあがったか。
信子 :もう少しです。予算無いでしょ。
島崎 :特殊だめだぞ。
信子 :けちなんだから。
島崎 :借金。借金。
信子 :わかってますって。
島崎 :受付は?
信子 :手伝いの高校生がやってくれます。
島崎 :ポスター張ってくれるとこ回ったか。
信子 :しまさん。
島崎 :なんだ。
信子 :チケットはけてませんよ。
島崎 :ノルマだろ。
信子 :でも、ほとんどはけてませんよ。
島崎 :売らなきゃ自分がかぶるんだぜ。
信子 :わかってるんですけど。どうも、今一つです。
島崎 :素人が主役だからか?アマチュア劇団だぜ。スターもくそもないだろ。
信子 :おもしろくないんですよ。
島崎 :何?ヘレンがか。
信子 :たぶん。
島崎 :しょうがねえなあ。文化省のプロジェクトだろが。何考えてんだ。
信子 :売る気がないんです。
島崎 :くそ馬鹿が。つまらんプライドより自分の頭の蠅を追えってんだ。よし、俺が言ってやる。
ヘレン:やめてください!
島崎 :えっ。
ヘレン:私が悪いんです。
 
        ヘレンがいるのに始めて気づく。気まずい二人。
 
島崎 :ヘレン。
ヘレン:私が、ちゃんとできないからだめなんです。すみません。
信子 :ヘレン、そんなに自分責めるものじゃないわ。
ヘレン:いいえ。私なかなかジュリエットできません。だから、みなさんそれで。
島崎 :それとこれとは違うんだよ。
ヘレン:もう少し待ってください。わたし、早乙女博士のカウンセリング受けました。できると思います。お願いし    ます。もう少し待ってください。
 
        ぺこんとお辞儀をして、去ろうとする。
 
島崎 :どこへ行くんだ。
ヘレン:練習してきます。
 
        ヘレン、去る。
 
信子 :しまさん。
島崎 :ああ。・・大丈夫だよ。
 
        顔を見合わす二人。
 
島崎 :大丈夫だ。・・それより、パンフ印刷屋へまわしたか。
信子 :はい。明日、ゲラが来ます。
 
        ゲネまでに間に合うかとか、装置の塗りがちょっとおかしいですよとか、ざきさんはなんといって        るとか、まにあわないからいいってとかてぬきはいやだぜとか言いながら二人、去る。        
        公園にやってくるヘレン。独り、公園で、稽古を始める。台詞をチェックして、やおら。
 
ヘレン:人があんなにも通るのに誰も話しかけない。・・靴音はあんなに高く響くのに、誰も立ち止まらない。誰も    気にとめず、誰も止まらない・・・だめだわ。
 
        気落ちするヘレンだが気を取り直して。
 
ヘレン:靴音が響くたび、私の胸に穴があく。穴があけば風が吹く。風の向こうから私を呼ぶ声がいつかは聞こえる。    私を呼ぶのは誰?
 
        ぱちぱちという拍手。恵がいた。
 
ヘレン:恵さん。
恵  :めぐでいいよ。うまくなったね、前より断然いい。悔しいけど、あたしよりいいよ。
ヘレン:そんな。
恵  :ううん。ほんと。もっともあたしも駆け出しだから。大層なこと言えないけどね。ほんというと、役取られ    て悔しかったんだぞ。
ヘレン:すみません。
恵  :あやまることない、ない。ざきさんの目確かだったてこと。
ヘレン:え?
恵  :やっぱり、ヘレン何か持ってるよ。
ヘレン:そうですか。
恵  :まだ表現し切れてないだけだよ。がんばって。
ヘレン:はい。
 
        如月がやってくる。
 
如月 :話が弾んでるわね。
恵  :あ、おはようございます。
ヘレン:おはようございます。
如月 :おはよう。がんばってるわね。稽古?
ヘレン:あ、はい。
如月 :で、・・どう?
ヘレン:はい。ありがとうございます。おかげで、少しよくなりました。
如月 :お礼言われる筋合いもないけど。
恵  :如月さん、ヘレンいいですよ。前と比べると感情なんかダンチ。
如月 :ほう。それはそれは。・・じゃ、ちょっとやってみて。
ヘレン:えっ。今ですか。
如月 :いけない?
恵  :ヘレン、さっきのやってみてよ。幕開けの台詞。
ヘレン:・・・・
如月 :どうしたの?
ヘレン:やります。
 
        ヘレン、集中する。
 
ヘレン:人があんなにも通るのに誰も話しかけない。・・靴音はあんなに高く響くのに、誰も立ち止まらない。誰も    気にとめず、誰も止まらない・・・。
如月 :はい。はい。もういいわ。
恵  :どうです。すごいでしょう。
如月 :確かにすごいわ。ずいぶんでっかい桜島大根ね。
恵  :え?
如月 :何入れ込んでるの。とんだ田舎芝居じゃない。
恵  :如月さん・・
如月 :前と変わらないわね。めぐちゃん。こんな芝居がダンチだなんて言ってるようじゃあなたも同類よ。もっと    励みなさい。じゃね。
 
        如月、去る。
        後ろ姿に、イーをする恵。
 
恵  :何、あれ。失礼な。・・ヘレン、ごめん。私が変なこと言ったばかりに。
ヘレン:いいえ。私がだめなんです。如月さんの言ったこと当たってます。
恵  :そんなこと無いって。やっかみよ。良かったよ。
ヘレン:ありがとうございます。
恵  :あ、いけない、打ち合わせの用意しなきゃ。
ヘレン:じゃ、わたしも。
恵  :いいって。いいって。練習してて。
ヘレン:すみません。
恵  :がんばってみんなをあっと言わせるのよ。・・じゃね。・・あ、曇ってきたなあ。
 
        恵、去る。
        ヘレン、何かをこらえている。やがて、稽古を始める。
 
ヘレン:人があんなにも通るのに誰も話しかけない。・・靴音はあんなに高く響くのに、
 
        止まる。
 
ヘレン:人があんなにも通るのに誰も話しかけない・・。
 
        深いため息をつく。ベンチに座り込むヘレン。放心状態。
        雨が降り始める。
        猫のニャアという鳴き声。ヘレン、無反応。もう一度鳴く猫。
        ヘレン、放心状態からさめる。
 
ヘレン:誰?・・猫?
 
        と、猫を探す。
 
ヘレン:どこ。・・ニャア、ニャア。おいで、・・いた。・・おいで。
 
        猫が出てくる。
 
ヘレン:お前も一人だね。・・猫のジュリエットか。・・それともロミオかな?お前の半分の相手はどこにいるの。    ふふっ。お前たちは、紅い糸より、あじの開きで結びつけられてるかもね・・・(ため息)お帰り、自分の    家へ。
 
        ニャアとまた声。
 
ヘレン:雨だわ・・。
 
        公園の樹の下に雨を避ける。みると、まだ猫がいた。    
 
ヘレン:お帰り。濡れるよ。・・・・・おいで。雨に濡れると寒い。おいでよ・・ほら。
 
        と、手を伸ばす。
        おずおずと近づく子猫。指先をなめる。
 
ヘレン:くすぐったいわ。・・・ほら捕まえた。おお、暴れないで。何もしないよ。・・よしよし。よしよし。
 
        耳の後ろを掻いてやる。猫はおとなしくなる。
 
ヘレン:こんなに濡れて。かわいそうに。
 
        と、ハンカチを取り出し拭ってやる。
 
ヘレン:お腹減ってるね。でも、なにもないの。ごめん。よしよし。(ネコがヘレンの腕の中で丸くなる)・・・一    つ寝た夜の寒さがつらい。寒さつらけりゃ萱もてござれ。萱もないとて星みてござれ。北斗、彦星、北十字    ・・
 
        はっと、何かに気づく。
        そっと、猫をおく。猫は身体をすり付ける。毛をさすって。
 
ヘレン:だめ。同情したらダメ。
 
        立ち上がる。
 
ヘレン:そうしたら、私ダメになる。せっかくほんとの自分見つけたはずなのに平気でいられなくなる。関わったら    ダメ。・・ごめん。
 
        逃げるように去ろうとする。猫は、追いかける。
 
ヘレン:追いかけないで!しっ!あっち行って!行ってよ!
 
        猫は剣幕に驚いて逃げ去る。
 
ヘレン:あ、まって。まってよ。逃げなくてもいいじゃないっ!ねえ。どこ、どこ!
 
        探すが、もちろんいない。
        雨が、強くなる。
        なおも探すが、見つからない。やがて。
 
ヘレン:ははっ。
 
        と、泣きそうに微かに笑う。
        空を見上げる。雨が次々とぬらす。
 
ヘレン:がんばったって、やっぱり出来はしないです・・・北十字。アルビレオ・・
 
        つぶやくように、何度も言う。祈りに似ている。
        雨音が激しくなる。
        溶暗。
 
坂崎 :さあ、今日は最終リハだ、頑張ってくれ。
 
        一転して、最終リハになっている。キャストスタッフが入ってくる。
 
\失踪
 
坂崎 :皆、いるな。いよいよ、本日限り。根性いれてやってくれ。じゃ、バルコニーの場から行こう。用意して。    ・・はい。
 
        人々バルコニーを作る。        
        「愛しのヘレン」の音楽入る。※印の部分、マイム。            
 
※ヘレン:どなた、夜の暗さにひそみ、この胸の秘めた思いをお聞きになったのは。
※星野 :ぼくがなにものか名前を聞かれてもどうお答えしてよいのやら。
※ヘレン:あなたはロミオ?
※星野 :いいえ。どちらの名前もお気に召さぬ以上。
※ヘレン:どのようにして、ここに?何のために?この家のものに見つかれば死の入り口となりましょう。
※星野 :恋がなしうることならどんな危険も恋はおかすもの、・・・ざきさん。
 
        マイム、音楽止まる。
 
坂崎 :なんだ。止めるな。
星野 :やっぱりだめですよ。・・ヘレン誰に向かってしゃべってんだ。
ヘレン:ロミオ・・です。
星野 :前にも言ったけど、ロミオに興味ないジュリエットなんて、ギャグでしかありませんよ。やめてくれません    かねえ。ピエロになるのはまっぴらだ。
坂崎 :星野。
星野 :ざきさん。確かに感情が前よりよくでてることはみとめるますよ。けど、ねえ。
ヘレン:すみません。
如月 :星野君じゃ相手不足じゃないの。
島崎 :如月さん。
如月 :立派に色気づいちゃって。
ヘレン:私そんなつもりじゃ。
星野 :ざきさん、どうにかなりませんか。これじゃとてもやれやしない。
ヘレン:降ろして下さい。すみません、星野さん。私、ジュリエットできない。星野さんのロミオ、一生懸命愛しよ    うと思いました。(愛されなくて幸せだけどねとつぶやく星野)でも、ダメです。星野さん、紅い糸結ばれ    てない。
星野 :紅い糸、何それ?
ヘレン:坂崎さん、言いました。人間はいつも半分だ。もう半分の相手がいる。小指の先に紅い糸を巻いている。糸    を手繰って行ったその先にお前の相手がいるって。ジュリエットの小指はロミオの小指につながっていたか    もしれません。でも、私の小指と星野さんの小指つながっていない。私は星野さんを愛せない。だからダメ    です。私ジュリエットやれません。
星野 :おいおい、そりゃおとぎ話だよ。
ヘレン:紅い糸が結ばれてないとダメなんです。すみません。
島崎 :ヘレン。それは現実と芝居を混同しているよ。芝居は現実じゃない。
夏子 :そうよ。いつも恋愛してたら、身が持たないわよ。ふふっ。
ヘレン:でも、私、本当の愛知りたいです。本当に人を愛したいです。だから私、ジュリエットできません。すみま    せん。すみません。みなさん。私、役降ろして下さい。お願いします。
 
        気まずい間
        舞台中央にヘレン立ちつくす。
        下手側に坂崎。
 
坂崎 :ヘレン。
ヘレン:はい。
坂崎 :言ってみろ。私はあなたを愛します。
ヘレン:・・・
坂崎 :言ってみろ。・・どうした、言えないか。
ヘレン:・・私は・・あなたを愛します。
坂崎 :もう一度言ってみろ。
ヘレン:私はあなたを愛します。
坂崎 :もう一回。
ヘレン:私はあなたを愛します。
坂崎 :もう一回。
ヘレン:私はあなたを愛します。
坂崎 :何だ、そりゃ!もう一回!
ヘレン:私はあなたを愛します。
坂崎 :下手な翻訳やってんじゃねえよ!
ヘレン:すみません。すみません。
    
        ヘレン、ぺこっとお辞儀をし、突然駆け去ろうとする。
 
坂崎 :ヘレン。
 
        ヘレン、立ち止まる。
 
坂崎 :待ってるぞ。ヘレン。
ヘレン:どうしてですか。坂崎さん。
坂崎 :ジュリエットだからだ。
ヘレン:私、ジュリエットやれません。見てたでしょう。
坂崎 :いいや、お前がジュリエットだ。
ヘレン:私はあなたを愛します。いえません、坂崎さん。
坂崎 :いえなくてもジュリエットだ。
 
        ヘレン、坂崎を見る。何か言いかけそうだが、きっとにらんで駆け去る。
 
如月 :あーあ、やっぱり素人ね。ちょっとは期待したけど損しちゃった。舞台すっぽかしゃおしまいよ。しまさん、    この始末どうつけるの。
島崎 :今更延期は・・・。
坂崎 :いや、予定通りあす幕を開ける。
如月 :自信あるのね。
坂崎 :女優だよ、ヘレンは。ここで女優になるんだ。
如月 :女優?あの子が。
坂崎 :そうだ。
 
        如月、ふんと黙る。
 
島崎 :じゃ、しかたがねえ。こころあたりさがしてみるか。
坂崎 :たのむ。
島崎 :紅い糸が切れなきゃいいが。
坂崎 :なんだ。
島崎 :こっちのこと。薫。
桂木 :いいわ。
坂崎 :よろしくお願いします。
桂木 :幕開けまでには連れてきます。
 
        島崎、桂木、去る。
 
坂崎 :待つしかない。
        
        じっと待つ。
        劇団員A・Bが浮かぶ。
 
団員A:でも、よかれと思ったからやらせたんでしょう。
坂崎 :自信はあった。ヘレンはジュリエットとしての素質は素晴らしいものを持っていた。だがあまりにもヘレン    はジュリエットに似ていた。
団員A:でもそのどこが・・・。
坂崎 :落とし穴だよ。
団員A:え?
坂崎 :俺は自信過剰だったんだ。眠っている者を目覚めさせることができたらと思った。いや、事実あの時はでき    たと思った。
団員A:それが。
坂崎 :ヘレンはジュリエットのようにもろかった。まるでガラス細工そのものだった。
団員A:ガラス細工。
坂崎 :再び俺の前に現れた時、ジュリエットをつかみきったように見えた。確かに見えた。だが・・
B  :そこに落とし穴が?
坂崎 :多分。
A  :先生、本当はどっちがよかったと思っているんです。
坂崎 :・・わからないんだ。いまだに。
 
        溶暗。鼓動音がゆっくりと始まる。
        ヘレン浮かぶ。ゆっくりと走っている。
 
]紅い糸
 
        鼓動音。探査音。無意識領域の音。
        ※印の範囲の水森と早乙女の会話が、※印の範囲のヘレンのセリフにエコーのように重なる。
 
水森 :識域レベル3を保っています。
早乙女:ペンタトール、コンマ3注入。
水森 :識域レベル再び降下し始めました。
水森 :レベル4。なお降下中。
水森 :レベル5。なお降下中。
水森 :レベル6。なお降下中。まもなく識域レベル突破します。
 
        警戒音発生。
 
水森 :拒絶心因反応。強度4で起こっています。アナフィラキシー発生のおそれ・・まもなく無意識領域に突入。
早乙女:プロカイン、コンマ3注入。
水森 :カウント10で無意識領域。9、8、7・・
 
        水森のカウント続く。鼓動音急速、水滴の落ちる音も急速。ヘレン苦しそう。
 
水森 :4、3、2、1。識域突破。
 
        音変わる。無意識領域へ突入。
 
早乙女:ヘレン。聞こえる?本当のあなたを引き出すわ。苦しいけれど頑張って。
水森 :無意識領域レベル3降下。
早乙女:レベル10まで降下。
水森 :レベル4降下。
 
        警戒音発生。ヘレンの悲鳴。
 
早乙女:プロカイン、コンマ8注入。
水森 :・・レベル6降下。アナフィラキシー強度8。
早乙女:プロカイン、コンマ3。
 
        ヘレンの悲鳴。
        音楽さらに変化する。鼓動音急速。
 
水森 :レベル8降下。アナフィラキシー強度7。
水森 :レベル10降下。・・止まりません!アナフィラキシー、強度8。
早乙女:プロカイン、コンマ5。
水森 :レベル12降下。
早乙女:探して。
水森 :レベル13、降下。
早乙女:探して。
水森 :・・あ、待って下さい。
 
        探査音。ピコーン、ピコーンと。
 
水森 :レベル15で障壁反応!
早乙女:イメージスキャン用意。
早乙女:プロカイン、コンマ2。
 
        警戒音。同時に、風のようなうねるような音。
 
水森 :嵐が発生しました。変異速度20。アナフィラキシー安定。
早乙女:かなり荒れてるな。
水森 :変異速度30。反応顕著。まもなく障壁突破。
 
        薄明かりの人々が通り、後に紅い糸をひいて行く。迷路のような紅い糸の中に立ちすくむヘレン。        やがてジュリエットの台詞とともに、歩き出す。
ヘレン:心の闇は誰にもありましょう。けれど偽りの命と命の間にも、蜘蛛が風に乗り吐き出してゆく糸のように、    結びつけずにはおられぬ糸があるはず。ならば、ロミオ、闇と闇の中から生まれる紅い糸に私の命を託しま    しょう。
    
        ヘレン、紅い糸をすくう。けれど、もろくも切れ、人は去る。
        警戒音発生。ぐらっとくる。「アナフィラキシー発生」「プロカインコンマ6」。
        又、一本切れ、又人は去る。よろめくヘレン。けれどあきらめず台詞は続き、ヘレンは歩む。
 
ヘレン:おお、ロミオ、ロミオ!どうしてあなたはロミオ?お父様と縁を切り、ロミオと言う名をお捨てになって。    それがだめなら、私を愛するとちかって、そうすれば私もキャビレットの名を捨てます。・・・キャビレッ    トの名を捨てます。・・・名を捨てます。
 
        紅い糸は次から次へと切れて行く。やがて、一本だけ残る。
 
ヘレン:私の半分。
 
        ヘレン、引こうとする。一瞬ぴんと張り、そして切れる。切れ端がヘレンの手に残る。
 
ヘレン:私の半分。
水森 :8秒前。
ヘレン:私の半分。
水森 :7秒前。
ヘレン:私の半分。
水森 :6秒前。
ヘレン:私の半分。
水森 :5秒前。
ヘレン:私の半分。
水森 :4秒前。
ヘレン:私の半分。
水森 :3秒前。
ヘレン:私の半分。
水森 :2秒前。
ヘレン:私の半分。
水森 :1秒前。
ヘレン:私の半分。
早乙女・水森:障壁突破。
ヘレン:・・私の半分!
 
        紅い糸を投げ捨てる。
        ※印の水森・早乙女のセリフがエコーのように重なる。
 
水森 :アナフィラキシー発生。強度計測不能。
早乙女:脱出用意。急速浮上。
水森 :浮上します。
早乙女:急いで!閉じこめられる!
水森 :追跡探査の必要有り。
早乙女:よし、追跡。
 
ヘレン:捨てなければ拾えません。ならば私も捨てましょう。私の半分を探すために。・・・北十字。アルビレオ。    (北十字を探そうとするが見えない。笑う)星などもうどこにも見えません。そうでしょう。坂崎さん。
 
        それでも、ヘレン、幻の紅い糸をゆっくりと手繰り続ける。
 
ヘレン:私は引き続けましょう。私は女優です。私の半分を探し、紅い糸を引き続ける一人の女優です。
 
        ゆっくりと溶暗。
        鼓動音に、仕込の音がまじってくる。
 
]T愛しのヘレン
 
        開幕時のごたごたした音。チェックの声。
 
信子 :おい、舞台暗いよ。照明さん、舞台にあかりください。
 
        溶明。
 
島崎 :20分押してる。客入れ始めるよ。
坂崎 :わかった。
島崎 :必ず帰ってくるさ。
坂崎 :裏、準備いいか。照明チェックしとけよ。
信子 :はい。星お願いします。
 
        星が瞬く。
 
信子 :はい、ありがとう。
島崎 :星に願いをか。
坂崎 :ふん。
信子 :・・はい。音響、OK、あと3分で1ベルです。
 
        役者たちやってくる。けれどみな、表情は固い。
 
如月 :帰ってくるの、あの娘。
信子 :大丈夫です。
如月 :ざきちゃんに聞いてるの。
坂崎 :大丈夫だよ。
如月 :本当に?
坂崎 :ああ。
如月 :ならいいけどね。
 
        一同、適当にスタンバイをする。深呼吸をするもの、準備体操をするもの。滑舌をするものなど。        けれど緊張は高まる。
 
如月 :ねえ。
坂崎 :ああ。
信子 :まもなく1ベル打ちます。
 
        如月、何かを言いたそうにするが位置につく。
        1ベルがうたれる。アナウンスが入る。
 
如月 :ねえ。
坂崎 :来るよ。
 
        恵がかけ込んでくる。
 
恵  :坂崎さん、いました。桂木さんがつれてきます。
 
        一同振り返る。
        桂木に抱えられてヘレンがいた。
 
坂崎 :ごくろうさん。
 
        ヘレン、自分の力で立つ。
 
坂崎 :お帰り。
ヘレン:・・・すみませんでした。
坂崎 :違うな。
ヘレン:?
坂崎 :おはようございます。
ヘレン:・・おはようございます。
坂崎 :うん。・・本ベルだよ。
島崎 :まもなく本ベルだ。
ヘレン:私、紅い糸を見つけました。
坂崎 :え。
ヘレン:なんでもないです。頑張ります。ありがとう、坂崎さん。
 
        ヘレン、舞台中央に立つ。
        静まり返る。
 
信子 :本ベルいきます。
 
        本ベルが鳴った。
        「愛しのヘレン」のテーマが流れる。
        ヘレンの動きが始まる。
        輝くような、ヘレン。
        以下※と同時進行。※はマイム。
 
島崎 :やるじゃない。
坂崎 :ああ。
※ヘレン:誰、私を呼ぶのは?本当に?嘘じゃない。ああ、本当に私を、私を呼ぶのね、ジュリエットと!
島崎 :大丈夫。
坂崎 :まだわからない。
 
        場面は進む。人影がバルコニーを作る。
 
島崎 :バルコニーだ。
坂崎 :ああ。
※ヘレン:どなた、夜の暗さにひそみ、この胸の秘めた思いをお聞きになったのは。
※星野 :ぼくがなにものか名前を聞かれてもどうお答えしてよいのやら。
※ヘレン:あなたはロミオ?
※星野 :いいえ。どちらの名前もお気に召さぬ以上。
※ヘレン:どのようにして、ここに?何のために?この家のものに見つかれば死の入り口となりましょう。
 
        劇団員A・Bが浮かぶ。この間ジュリエットのシーンは続けられている。
 
団員A:いつ頃気がついたんですか。
坂崎 :しばらくはわからなかった。だが・・
団員A:だが?
坂崎 :少しずつ狂ってきた。
 
        場面は進む。
 
島崎 :どうだい、ざきさん。
坂崎 :まあまあだな。
島崎 :OK、OK・・・。どうした薫。
桂木 :何でもないわ。
 
        劇団員A・Bが浮かぶ。この間ジュリエットのシーンは続けられている。
 
団員B:それで?
坂崎 :いやな予感がしてきた。頑張りすぎている。張りつめた糸は切れやすい。
団員B:アドバイスは?
坂崎 :もう遅い。始まれば舞台は役者のものだ。
 
        そうして、終わりに近づいた。
        ヘレンのみ中央にたつ。
 
※ヘレン:紅い糸がありました。くるくる回る糸車。縁の糸を思いで紡ぎ、一つ結んで愛しい方に、二つ結んで焦が    れるこの身、三つ繋いでとぎれぬように。これこのように、私の体に流れる血でつなぎ止めでは止まぬもの    を。
 
        芝居は続くが。
 
坂崎 :おかしいな。
島崎 :なんだよ、ざきさん。
坂崎 :さっきから、ヘレンが・・
島崎 :ん?
 
        ヘレンの台詞、一瞬止まる。
        
島崎 :忘れたのかな。
 
        桂木がそっと坂崎にいう。
 
桂木 :あの娘、気力だけで立っているの。
 
        振り返る坂崎。
 
※ヘレン:ああ、どうか。愛しい方。聞いてください。漆黒のカラスの羽より暗い夜の中で、私の眼(まなこ)はあ    なたの姿を焼き付けずにはおりません。愛しい方、折良く星が出ました。
 
坂崎 :なんだって。
桂木 :精神探査に反応しすぎて。。
 
        劇団員A・B。この間ジュリエットのシーンは続けられている。
 
団員B:精神探査?あれは、確か・・。
坂崎 :あんなもので心が開くわけはない。頭の中をつつき壊すだけだ。
団員A:知ってたんですか?
坂崎 :知ってりゃやらす分けない。あんなんで芝居ができりゃ誰だって、    天才女優さ!
団員A:でも、よかれと思って。
坂崎 :誰だってよかれと思ってやるんだ。悪いやつはいない。善意が人を殺すんだ。前に、俺がやったように。
団員A:え?
坂崎 :以前、俺の演出がお節介すぎて自殺をはかった奴がいてな。バカだったんだよ。俺は。あの思いは一人で十    分だったはずなのに。
※ヘレン:あれは、北十字のアルビレオ。夜の闇よりなお暗いこの空に、ひっそりと輝き続けるあの光に賭けて、私    の命の限りの願いを申しましょう。私は・・
 
        ヘレン、少しグラっとする。
        ※同時進行解除。
 
桂木 :あの娘、人格壊れかけてるの。精神探査は無理だったみたい。ごめんなさい。ごめんなさい。
 
        桂木、泣く。
 
ヘレン:私は、・・・、私は、あなたを・・
 
        坂崎、ヘレンを見る。ヘレン、ゆっくりと崩れ落ちる。
 
坂崎 :ヘレン!
島崎 :ざきさん、いかん!。
坂崎 :うるさい!
 
        坂崎、駆け寄る。一同、動けない。ヘレンを抱き起こす。
        ヘレン、なにかいいたそうにする。
 
坂崎 :もういい。静かにしてろ。
ヘレン:ざきさん。ざきさん。
坂崎 :なんだ。
ヘレン:星出てますか。
坂崎 :でてる。でてるからだまってろ。
ヘレン:私、女優です。そうですね。
坂崎 :そうだ。お前は女優だ。
ヘレン:(人々、カツーン。カツーンと吐息のような声。)・・靴音はあんなに響くのに、誰も私の前で立ち止まら    ない。(カツーン。)水滴が岩をうがつように、靴音が聞こえるたび私の胸に穴があく。(カツーン。)穴    があけば風が通る。私の体に、遠い海から吹く風が、ただひたすら取りすぎてゆく。
坂崎 :島さん。
島崎 :はいよ。
坂崎 :星もっと出せ。
島崎 :・・・照明さん、星もっと出して。
 
        満天の星がでる。
 
坂崎 :ヘレン、星がふってるぞ、いっぱい、いっぱい降ってるぞ。
ヘレン:私の星どれですか。
坂崎 :全部お前のだ。
ヘレン:うれしい。・・・私はあなたを愛します。
坂崎 :感情はいってるぞ。
ヘレン:紅い糸見つけました。ざきさん・・私はあなたを愛します。
坂崎 :私はあなたを愛します。
ヘレン:私はあなたを愛します。
坂崎 :いい台詞だ。
 
        星の輝き。
 
ヘレン:私は・・あなたを愛します。・・私は・・・あなたを・・・愛します・・・愛します・・・愛します・・・    愛・・・愛・・・
坂崎 :いい台詞だ・・・
 
        ヘレンの顔からすべての表情が失われてゆく。
        思わず駆け寄る人々により、運ばれてゆくヘレン。
 
坂崎 :・・幕、降ろせ・・。
    
        いたわるようにゆっくりと幕が降りかかる。
        と。
 
団員A:それでいいんですか!
 
        幕が止まる。
 
団員A:それで本当にいいんですか。先生!芝居捨てることできるんですか!
坂崎 :もう捨てたんだ。
団員A:島崎さんが言ってました。坂崎は必ず帰って来るって。だから迎えに来たんです。もう一度、北十字をお願    いします!
団員B:お願いします!
坂崎 :島ちゃんの買いかぶりさ。
団員A:「北十字」を復活させる奇跡を起こせるのは、先生しかいないんです。
坂崎 :奇跡なんかおこりっこねえよ。
 
        微妙な間。
 
団員A:・・会わせたい人がいます。
坂崎 :会わせたい人?誰だ。
団員C:こちらです。
団員D:連れてきました。
        
        坂崎振り返れば、団員に連れられた白い影が立つ。
 
坂崎 :キミは・・。
 
        絶句する坂崎。
 
団員A:もう一度やりたいって言ってます。本当の女優になるんだと。
 
        間
 
団員B:先生!
坂崎 :本当の女優にか・・
団員A:先生・・。
 
        間
 
坂崎 :公演はいつだ?
団員B:先生!
団員A:5月3日です。
坂崎 :わかった。
団員A:やっていただけるんですね!
団員B:先生、何をやるんですか?!
坂崎 :復活「新生北十字」の公演は・・「愛しのヘレン95」。
 
        吹っ切れる坂崎、満天の星が出る。
        「愛しのヘレン」のテーマが流れ、高まって本当に幕が降りる。
                                               【 幕 】

 

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