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原作 宮部みゆき「人質カノン」(文藝春秋社刊)所収『八月の雪』
脚本 結城 翼
★登場人物
石野 充 中一。正義感が強かったせいで事故に遭う。
飯田 浩司 中一。いじめが原因で鉄道自殺する。
石野 容子 充の母。
石野 政夫 充の父。
柴田 源次 充の祖父勝一郎の友人。
青木 忍 充の同級生。
角田 真理子 同。
上野 健二 同。浩司をいじめていた。
江藤 則雄 同。〃。
島野 剛 同。〃。
竹田 頼子 充たちのクラスの先生。
Tプロローグ
夏の暑い蝉の声。
溶明。
高い壁が囲む、閉ざされて薄暗い部屋。
エアコンの音のみが聞こえる。
ぼーっと寝ている充。天井とにらめっこをしている。顎の下まで毛布を引き上げている。
部屋の外で電話が鳴る。
10回鳴って切れる。
天井を仰いだまま、あくびをする充。
間。
又あくびをする。
電話のベル。ちらっと子機を見るが出ようとはしない。身じろぎもしないで、天井を見ている。
13回目のベル。
玄関のドアをあわただしく開ける音。廊下を走る音。
15回と半分鳴ったとき、母が答える。
息が切れているようだ。
容子 :はい、石野でございます。・・すみません、買い物に出てまして。・・え?!
短い間。
容子 :いつですか。・・ええ、わかります。・・はい、とにかくすぐ参ります。はい。はい。
電話が切れる。
すぐ又電話をかける母。
早口で、焦っている。
容子 :あ、営業第二部の石野をお願いします。家の者です。はい。・・え、そうですか、それでは・・。
声は消える。
間。
階段を上がってくる母。
おずおずとノックする。
充 :なあに。
ドアが開き、顔を出す母。口元がゆがんでいる。
容子 :今、知らせがあったの。おじいちゃんが亡くなったって。
間。
目を伏せて泣き声になる。
容子 :悪いことばっかり続くね。
エプロンの端で目尻を拭う母。
容子 :お父さんは打ち合わせに出てて、いなかったの。伝言を頼んでおいたから、かえったらすぐに病院に向かってくれると思うけど。
充 :そう。
容子 :おばさんの所に知らせたら、母さんはすぐ病院に行くからね。
充 :わかった。
間。
容子 :あんたも行く?
充 :うちにいる。行くの、大変だから。
容子 :タクシーで・・・。
充 :嫌だよ。
容子 :そう。
うなずいて、ぼんやり充を見つめる母。
容子 :一人で大丈夫?
充 :うん。
容子 :それじゃあ、頼んだね。
ドアを閉めかける。
そのままの姿勢で待つ充。
再びドアから首を出す母。
容子 :お願いだから、今日は電話に出てよ。おじいちゃんのことであっちこっちからかかってくると思うから。ね?
間。
暗い顔をする充。
溜息をついて出ていく母。
玄関のドアの閉まる音。
エアコンの音が大きくなる。
間。
電話が鳴り出す。
無視する。
語り始める充。
充 :ぼくはただ逃げただけだ。運が悪かったんだ。ぼくが開けたドアの向こうには、たまたまスズメバチがいた。ただそれだけのことだ。
U不公平
電話のベルが大きくなりやがて始業ベルに重なる。
生徒達がめいめい椅子を持って入ってきて席に着く。一番前の席に飯田浩司が座っている。
充は浩司の後ろの席に座る。
先生が入ってくる。
先生 :では、出席を取ります。大きく、明るい声で、元気に返事をしてください。飯田浩司君。
浩司 :(聞こえないくらい小さい)はい。
先生 :大きな声で、飯田君。
浩司 :はい。
先生 :石野充君。
充 :はい。
先生 :江藤義男君。
生徒 :はい。
あとは、マイム。
充 :ぼくより一つ前の彼は、やせぎすで色白で、女の子のようにかわいらしい顔をしていて、ひどく無口なやつだった。入学して一ヶ月ぐらい はどんな学校でも出席番号順で座る。ぼくは毎日、彼の頭の後ろを見て過ごした。何せ、プリントをまわすときとか、必要なとき以外は、 滅多に振り向くことがなかった。そうしてよく欠席した。ぼくは全く知らなかったのだ。彼には沼地の蛭のようなしつこく理由のない敵意 がとりついていて、その蛭は彼が死んでしまうまで決して離れようとはしないということを。それは一ヶ月ぐらいたって・・。
台詞の間に先生と、浩司は去る。
男の子たちは去る。
女の子たちがホーキを持つ。かったるそうに掃く。
充も持ってだるそうにだらだらと掃いている。
青木 :飯田君、小学校で大変だったんだって。
充 :大変だったって、何が?
青木 :いじめられて。
角田 :ほんと?
青木 :ほんと、ほんと。聞いたんだ。同じとこから来た子に聞いたもの。
充 :それで?
青木 :グループがいたんだって。飯田君のこといじめる連中。
角田 :ああ、よくある。よくある。
青木 :あるよね。でね、彼さ、五年生の時に、それが辛くって家出したことがあるんだってよ。
今や掃除は完全に止まっている。
充 :そんなにひどかったのかよ。
青木 :だって、お母さんが学校に直談判に行ったとかでさ。学校は転校するようにって勧めて、だけど飯田君が嫌がったんだって。悪い子として ないのに逃げるのは嫌だって。どっちみち中学に上がればそういう連中とは別々になるしって。彼、私立を受けたんだよね。だけど落ちち ゃってさあ。
充 :それでここに来たのかよ。
青木 :そうよ。いじめグループといっしょ。
充 :最悪のパターンじゃんか。
角田 :ほんと。裏目になったんだ、頑張ったの。
頷く青木。
充 :いじめグループの連中って、うちのクラスにいるの?
青木 :うん。
手で口元を覆い、更に声を小さくする。
青木 :だからよく休むんだって。
充 :どうして、あいつ、そんなにいじめられるんだろう。
角田 :ちょっとタイプじゃないのにね。
充 :うん。目立たないし、成績良さそうじゃないし。
角田 :くっついてってパシラされるようなタイプじゃないよね。
充 :うん。
小さい間。
いいにくそうに青木。
青木 :飯田君、あたしたちともほとんどしゃべらないから、わかんないけど。
角田 :何?
青木 :吃音。
角田 :キツ・・何?
青木 :吃音。ちょっとどもる癖よ。あるんだって、彼。
角田 :へー。
青木 :うちの叔父さんが、若いときそうだったんだって。男の子に多いんだってね。でね、性格の優しい子がなるんだって、叔父さん言ってた。 それに、大人になると自然に治るってさ。
充 :よそへ越境入学すりゃよかったのにな。
角田 :そうねえ。しゃくだけど。
先生 :おーい、口ばっかりうごかさず、手をちっと動かせよ。
角田 :あっ、はーい。
あわてて掃除を始める生徒達。
充のホーキも持ってはける。
充 :深入りするつもりもなかった。正直言って、自分とは関係ないと思ったし、さわらぬ神にたたりなしって言う気分もあった。
そのまま、朝のホーム。
音楽。
入ってきて座る浩司。
後ろに座る、充。
充 :浩司は相変わらず用のない時は振り向きもしなかったし、朝おはようということさえなかった。
生徒達が入ってきて、おはようと声をかけるが何も答えず前を見ている。
マイムで、紙を配って後ろへまわす。そのときだけ振り向く。
充 :彼は一人きりの世界に閉じこもり、自分を護っているようだった。傍目からは彼がそんな深刻な悩みを抱えているようには見えなかった。
マイム、席替えのシーン。
浩司の座席が離れる。
浩司は去る。
充 :五月の連休明けに最初の席替えがあり、僕は浩司と離れた。おかしなことだが、彼と席が離れると、彼のことが気になるようになった。
相変わらず、よく休む。
浩司の席だけ空いている。
マイムで普段のクラス風景。
充 :いつも元気がない。先生に当てられたときぐらいしか声を出さないし、授業が終わると逃げるようにかえってしまう。どうやら吃音矯正の カウンセリングに通っているらしい。よくなってくれるといいなと思うようになった。彼と話してみようかなと思うようになった。席が離 れたから、いつも一緒にいるわけではなくなった。たまに声をかけるくらいなら、親しい間柄だと見られてグループに目を付けられ、やっ かいごとに巻き込まれる心配も少なくなるだろう。そういう計算もあった。そんな矢先だった。
充は見守っている。
台詞の途中から椅子は片づけられ、生徒達は消える。
浩司が出てきて、下校の途中絡まれているマイム。
金銭をたかられる。断って殴られる。通りすがりの女生徒に痴漢行為をしろと強要される。
明白にマイムでできるいじめが行われる。
グループが去る。
浩司がのろのろと立ち上がる。
鞄から遺書を取り出す。
鞄を置く。
靴をそろえる。
鞄に遺書を置く。
少し溶暗。浩司にポイント。
浩司 :お父さん、お母さん、十三年間ありがとうございました。ぼくはどうしても疲れてしまいました。もうすっかりくたびれてからだが重くて たまりません。死ぬことにします。いじめられるのが辛いから死ぬんじゃないんです。こういう世の中に、希望が持てないから死ぬのです。 学校には、何回も言いましたが、どうしようもないと言うばかりで何もしてくれません。転校してはどうかとしか言いません。あいつらは 罰せられないで、ぼくが逃げなければいけないその理由がわかりません。どうしてぼくが逃げなければいけないのか納得がいきません。こ れから先もずっとこんな不公平なことばかりならぼくはもう生きていたくない。こんな不公平なことばかりなら。
チンチンチンと音が鳴る。電車が来る。
踏み出す浩司。
ダーンと音がして。
暗転。
充のポイント。
充 :こんな不公平なことばかりなら。・・結局親しくならなかったし、交わした言葉もほとんどない。だからそれだけにぼくは彼に借りを作っ てしまった気がした。
明るくなる。
ばか笑いをしてふざけている少年たち。女の子もいる。
彼らをにらみつける充。
上野 :だからよ、頭が違うのよ。
江藤 :ど、ど、どう違うの。(吃音のまね)
ばか笑い。
上野 :うちらでやったら問題になるだろうが、いじめだ、何だってよ。全く、センコウがうるせえんだから。親にきゃんきゃん言われて青くなっ てよ。
島野 :校外なら文句の付けようもないしな。
上野 :悪質だってえの。
江藤 :あ、悪質って。
ばか笑い。
上野 :マスコミ、マスコミ。あいつらあほだから。
島野 :賢いっていってもらいたいんだけどなあ。
江藤 :お前の頭でぇ?
ばか笑い。
充の視線に気づく上野。
上野 :何だよ、てめえ。
充 :別に何も。
心配そうによってくる青木。
充 :鞄を取りに来ただけだよ。
江藤 :さっさとかえんなよ。のろついてんじゃねえよ、クズ。
青木が充の袖を引く。
充 :クズはお前らのほうだろうが。
少年たちは一斉に立ち上がる。
逃げ出す、充。
悲鳴を上げる青木。
スローモーションで追う。
上野がポケットからナイフを取り出す。
ちらっと、振り返る充。
追いつきそうになる少年たち。
上野 :ぶっ殺してやる!
スローモーションが解ける。
急ブレーキの音。
青木 :あぶなーいっ!
上野 :ぶっ殺してやる!
ダーンという音。
暗転。
V見舞い
声 :事故ですよ。不幸なことです。飛び出したんですね。トラックの運転手もブレーキふんだんですが。お気の毒です。
電話の音が鳴っている。
溶明。
天井を見上げている充。
電話の音を無視する。十回程度鳴って切れる。
静寂の中に、エアコンの音のみが響く。
充 :こんな不公平なことばかりなら・・。
飯田浩司がたっている。
浩司 :そうだね。ずっと不公平なことばかりだった。
充 :ぼくは、こうして天井ばっかり眺めてる。けど。
浩司 :そうあの連中は又廊下でバカ笑いしてる。
充 :手術して、入院して、リハビリして、休学して。
浩司 :夏休みだもの。あいつらは、クラブだの、合宿だの、海水浴だの。
充 :なんでだよ。ぼくは足が動かなくなり。
浩司 :ぼくは、死んじゃった。
充 :こんな不公平なことばかりなら・・。
浩司 :こんな不公平なことばかりなら・・。
容子 :充・・。
おずおずとノック・。
浩司は消える。
充 :何?
容子 :青木さんたちよ・・。
充 :そう。
容子 :あう?
充 :あいたくない。
容子 :そう・・。
引き返そうとする母。
充 :待って。
容子 :・・会うの。
頷く充。
母が引っ込み、入れ替わりに青木と角田が入ってくる。
青木 :おはよう。
充 :おはよう。
角田 :元気?
充 :まあね。
ちょっと、気まずい間。
青木 :具合どう?
充 :さあね。ぼちぼち。
角田 :その・・足は・・。
充 :うん。ダメみたい。
角田 :そう。
結構気まずい間。
青木 :ひどい目にあったわね。
充 :ああ。
青木 :早く、よくなってね。
角田 :元気だして、努力すれば・・。
充 :ねえ、どうして、しなくちゃいけない?
角田 :え?
充 :ぼく、ずいぶんひどい目にあった。そのうえ、何でぼくが必死にやらなくちゃいけない?
角田 :それは・・。
青木 :そんなに、弱気になっちゃダメよ。
充 :弱気?
くすっと笑う。
充 :あいつら、なぜナイフ持ってたのか言った?
青木 :刑事さんに聞かれて、飯田君のことがあって、ぼくらが悪いやつだとみんなに思われているので、ぼくらがいじめられるかも知れないから、 身を守るために持っていましたって言ったそうよ。
充 :そんな答えで通ってしまうんだ。
青木 :ひどいよね。
充 :いいかげんなもんだね。
角田 :でも、あいつらはあいつらよ。充君は頑張らなきゃ。
充 :ああ、確かにあいつらはあいつらだね。しゃあしゃあと生きてる。誰に罰せられることもなく、笑ったり遊んだり、ガールフレンド見つけ たり。
青木 :充君。
充 :世の中なんてこんなものだよ。平気で他人を犠牲にするような連中が大手を振っていきのびる。他人なんていくら傷つけてもかまわない、 自分たちさえよけりゃいい、おれは何にもしてないぜ・・そんな人間がいい思いしてる。周りは何にも言わず、はいそうですかって傍観し てる。自分に降りかかってくると嫌だからさ。ぼくみたいなアホが割を食うんだ。そうして、どうにもならない。誰も何ともしてくれやし ない。そうだろ。弱気になる?とんでもない。ぼくは止めたんだ。
青木 :何を止めるの。
充 :何にも関係ないんだ。ぼくは。
角田 :関係ないって。
充 :公平に扱われないなら、世の中と関わるのはやめる。
青木 :そんなのだめよ。
充 :一生天井を見上げて暮らしていた方がいい。誰にも会わず、話をしないで暮らしても寂しいとも思わない。
間。
青木 :充君、変わったよ。
充 :ああ、ぼくもそう思う。けれど、変えたのはぼくじゃない。
青木 :又、来るわ。
充 :こなくていいよ。
小さい間。
充 :ごめん。でもこなくていい。
青木 :そう・・。でもきっと来る。・・さよなら。
角田 :さよなら・・。
応答がない充。
二人去る。
ベルが鳴る。
出ない。
鳴り続けるベル。
充 :うるさい、うるさい、うるさい!
だが消そうとはしない。
階下で母が取る。
だんだんと暗くなる。
母と充にポイント。
その間に転換。
容子 :はい、石野でございます。まあ、このたびはご丁寧に・・。はい、八十二才でした。天寿ともうしますか・・昨年の春、脳溢血で倒れまし て、はい。寝たきりで、いえ、意識もはっきりしてなくて、まあ、心臓が丈夫でございましたので・・この夏まで持ったのが。はい。どう もありがとうございます。はい。はい。
ゆっくりと溶暗。
W食卓
溶明。
母と父と充の食卓。
会話もなくぴりぴりした様子で黙々と食べている。
容子 :早いわねえ。
こたえがない。
容子 :ねえ、早いわねえ。
政夫 :え、悪い。なにが?
容子 :聞いてなかったの?おとうさんよ。
政夫 :あ、ああ。そうか。もう一月(ひとつき)か。
容子 :四十九日もすぐね。
政夫 :えーと、いつになるんだ。
容子 :そうね。九月の二十五日頃。
政夫 :まだ暑いな。
容子 :ええ。
政夫 :お茶。
容子 :はい。
お茶を飲む政夫。
容子 :もういいんですか。
政夫 :うん。
と、ちらっと充を見る。
黙々と食べる充。
政夫 :おやじはなんだか小さかったなあ。
容子 :あんなにチューブ差し込まれて。
政夫 :おれは嫌だぜ。意識もろくにないのに栄養剤で生かされるのは。
容子 :そんなこと言ったって、残される方にとっては。
政夫 :そりゃ、生きていてもらいたいよ。だから専門の老人病棟のある完全看護の病院に頼んだじゃないか・・。それにしてもなあ。あんなんと はおもわなかった。
容子 :こちらの身体は楽だったんですけどね。
政夫 :あれじゃ、生きてるとは言えないよな。
容子 :ええ。
政夫 :せめて意識が戻ってほしいと思ってきたけど・・・眠ったきりでいてくれてよかったかも知れない。
容子 :どうして。
政夫 :我慢できなかっただろうからね。
と、ちらっと充を見る。
容子 :ああ、自分の身体。
政夫 :それもあるけど。充がこんなになっていること知ったら、どんなにか悲しむことだろうから。それだけは避けることができてよかった。
少し、溶暗。
充にポイント。浩司もいる。
充 :そんなのどうだっていいじゃないか。
浩司 :だよね。
充 :どれほど悲しもうが悲しむまいが、足がだめになったのはぼくだ。
浩司 :そうだよ、おじいちゃんや父さんじゃない。君だよ。
充 :そうさ。誰もぼくの身になって悲しむ訳じゃない。
浩司 :誰も僕の身になって悲しんじゃくれなかった。・・、あ、君をせめているんじゃないよ。
充 :分かってる。
浩司 :おじいちゃんてどんな人。
充 :よくわからない。
浩司 :よく分からない?なぜ?
充 :元気なときにも話などしたこともないし、一緒にどこかへいったこともないんだ。確かに小さいときに、お小遣いもらったり公園へ連れて いってもらったりした記憶はあるけど。
浩司 :覚えてるじゃない。
充 :うっすらとだよ。それもはっきりしない。ああ、怒られてたんだいつも。
浩司 :おじいちゃんに?
充 :おじいちゃんが。いつも母さんに。
浩司 :なんて?
充 :甘やかさないくださいお父さんって文句を言われていた。いわれるたび、おじいちゃんは黙ってしわしわっと笑っていた。
浩司 :そんな人だったんだ・・。
充 :ああ・・そういえばね。
浩司 :死んじゃって悲しい?
充 :・・今はそれどころじゃないよ。
浩司 :そうだよね。
充 :・・うん。
明かりが元に戻る。
充 :ごちそうさま。
容子 :もういいの。
充 :うん。
容子 :そう。
間。
政夫 :充。
充 :何?
政夫 :あ。なんだ。調子はいいか。
充 :うん。まあまあ。
政夫 :うん。そうか。がんばれよ。
充 :うん。
と、立ち上がろうとしてよろける。
容子 :あぶない。
と、助けようとして容子の手を払って。
充 :いいよ。
容子 :でも、充。
政夫 :自由にさせてやりなさい。医者も言ってただろう。いつかは、一人立ちしなきゃならないんだから。
充 :大丈夫だよ。わかってる。
政夫 :がんばれよ。自分のために立ち直るんだぞ。
充 :うん。
行きかけて。
充 :ねえ、父さん。
政夫 :何だ。
充 :立ち直る価値あるのかなあ。
政夫 :何だって。
充 :こんなに理不尽なことに出会う人生って、ほんとに立ち直っていきていくだけの価値あるんだろうか。
政夫 :当たり前じゃないか。まだ人生なんて始まったばかりだ。弱気になるんじゃない。足が不自由になったからって、終わったわけじゃないぞ。
充 :それがわからないから聞いてるんだ。
と、去る。
政夫 :充。充!
容子 :お父さん。
政夫 :充、今日、変だぞ。
容子 :ずーっとああなんですよ。
政夫 :ずーっとって。
容子 :お友達が見舞いに来てくれたときから。辛いんですよ。みんなは元気に学校へ行って、楽しくやっているのに。
政夫 :そうだからと言って、後ろ向きになってもなあ。
容子 :何か気分を切り替えてくれたらねえ。
政夫 :外出でもすればいいんだが。
容子 :一日中、天井見てごろごろしてますよ。
政夫 :そういえば、おじいちゃんのお葬式にも出なかったし。
容子 :出たら、色々うるさいから。
政夫 :まあな。困ったものだ。お茶。
容子 :はい。
と、お茶を入れながら。
容子 :ああ、そうそう。飯田さんの奥さんから電話がありましたよ。
政夫 :調査進んでるのか。
容子 :あんまり。ただ、浩司君の事件を地区の教育委員会に正式に取り上げてもらうように運動始めるんですって。
政夫 :上手く行くかな。委員会だってさわらぬ神じゃないのか。
容子 :どうでしょう。刑事告訴も無理だったみたいで。
政夫 :だろう。全く、あいつらずるがしこいんだよ。やくざ顔負けだな・・証拠がなけりゃなにしてもいいってんだから。
容子 :今更言ってもしょうがないでしょう。
政夫 :それはそうだけど・・。学校も無責任だよな。腹が立つ。管理責任だかなんだかしらないが、いいわけばっかりで。自分たちの首が心配な だけじゃないか。
容子 :狂犬にかみつかれたと思うしかないわ。
政夫 :それですませられる問題か。
容子 :だから、聞き取り調査してるじゃない。
政夫 :何か、しゃべってくれるのか?
首を振る容子。
容子 :あんまり。同級生や卒業生、教師や家庭・・。飯田さんと分担してあちこち聞き歩いているけど。口が重いのよ。
政夫 :それみろ。みんな自分が可愛いんだ。もめ事はいやなんだろ。
容子 :そうね、本音をなかなか言ってくれないの。
政夫 :新聞記事なら、いじめがどうだとかこうすればって言えるけど、我が身に降りかかるとみんな傍観者になってしまうというわけだ。
容子 :でも、とにかく無念は晴らさなきゃね。
政夫 :無駄死にになってしまう。
容子 :そうよ。罪ある者が高笑いしていいはずないわよ。
政夫 :充の場合もだろ。
容子 :もちろん。でも、あの子、そんなことしたって無駄だよっていうの。何にもなりゃしないよって。
政夫 :本気で思っているのか。
容子 :わからない。けど、結構口調は本気だった。
溜息をつく政夫。
政夫 :そうか。それであんなこというのか。
容子 :あんなこと。
政夫 :さっきいってたさ。
容子 :立ち直る価値?
政夫 :そう。
容子 :そうでしょうね。
政夫 :立ち直る価値がある人生か。
容子 :ありますよきっと。
政夫 :それを教えてやることができたら。
容子 :浩司君も死ななくてよかったかも知れませんね。
政夫 :うん。・・・。おい。
と、危険なことに気がつく。
容子 :はい。
政夫 :充もそんなこと考えてんのか・・。
容子 :わかりませんけどね・・。
と、疲れたように答える。
電話のベルが鳴る。
政夫 :おい、電話。
容子は何か考えている。
政夫 :電話だよ。
容子 :分かってますよ。おばさんからかしら。
といいながら、とろうともしない。
政夫 :電話だよ。
容子 :分かってますよ!
政夫 :なら取れよ!
容子 :あなたが取ればいいでしょう!
政夫 :容子・・。
容子 :父親なら、父親らしくしてよ!
政夫 :やってるだろうが!
容子 :ここで、委員会や学校や世間に怒ってるだけじゃなんにもならないでしょうが。
政夫 :仕事が忙しいってこと分かってるだろ。親父の葬式やらなんやらでため込んでどうしようもないんだ。やるよ。そのうち。
容子 :やるって何を。
政夫 :わかってるだろ。再調査だよ。
容子 :再調査って。
政夫 :充の事件にきまってるだろう。
容子 :そうですか。
電話は切れた。
容子 :切れましたよ。
政夫 :お前が出ないからだ。
容子 :あたしのせいだというんですか。
政夫 :そんなこといってないだろう。
苦虫をかみしめる二人。
再び、電話が鳴る。
政夫 :電話だぞ。
容子 :分かってます。
だが、二人とも出ようとはしない。
溶暗。
X文箱
階下で電話のベルが鳴っている。
ベッドで本を読んでいる、充。
ベルが鳴り止む。
浩司 :そんなものなんかあるはずないよ。
充 :そうだろうか。
浩司 :あれば、僕は死んじゃいないだろ。
充 :そうだね。
浩司 :立ち直れる価値がある人生?そんなの、力のある、強いやつがいう台詞じゃないの。
充 :そうかも知れない。
浩司 :不公平なことばかりの世の中だよ。あるはずないだろう。
充 :確かに・・。でも。
浩司 :でも、何。
充 :本当は。
浩司 :何だよ。
充 :あってほしいよね。
浩司 :・・当たり前だろう。
充 :あるだろうか。
浩司 :ないよ。
充 :本当に。
浩司 :きまってる。
充 :・・・。
浩司 :けど・・。
母がノックする。
容子 :いい。
充 :いいよ。何?
容子 :これ何かしらね。
充 :これって?
母が藁半紙のような黄ばんだ紙を差し出す。
何か文章が手書きで書かれている。
充 :なに、これ。
容子 :おじいちゃんの部屋の押入のなかに、古い文箱があってね。
充 :フバコ?
容子 :手紙とかを入れる小さな箱よ。その中にあったんだけど。
充 :手紙だろ。他にもあるんじゃないの、そういうの。
容子 :他のとはちょっと違うわよ。これはすごく古いものだしね。第一、母さんやあんたが知ってる限りでは、おじいちゃんは手紙なんか書いた ことなかったもの。年賀状だって面倒くさがってたからね。
充 :昔は書いたんじゃないの。
容子 :それがね、これ・・・なんだか、遺書みたいなことが書いてあるのよ。
充 :遺書?
容子 :そうよ、読んでみる?
充は手に取ってみる。
広げてみる。
充 :便せんみたいだね。
容子 :そうよ。
充 :これ、おじいちゃんの字?
容子 :そうよ見たことないの。
充 :・・・そうだね。そういえば、見たことない。長いこと一緒に暮らしてきたのに。
間。
容子 :でも、おじいちゃんの字よ。
充 :そうか、おじいちゃんの字か。
細いペンで大きく一字一字はっきりと書かれてある手紙を読む。
充 :此れが最後の手紙になる。僕はいさぎよく死んでゆく覚悟で居ります。御兄上様にも宜しく。後のことを頼みます。 勝一郎。
容子 :おじいちゃんの名前でしょう。
充 :此れが最後の手紙になる。僕はいさぎよく死んでゆく覚悟で居ります。御兄上様にも宜しく。後のことを頼みます。 勝一郎。
小さい間。
充 :なに、これ。
容子 :わからないよねえ。おじいちゃんの若い頃のものだろうと思うけど、何でこんなもの書いたのかしら。いさぎよく死んでゆく、なんてね。
充 :いつの頃かなあ。
容子 :戦争中のものかしら。それならわからないでもないけど。
充 :おじいちゃん、戦争に言ったの?
容子 :いったでしょう。
いいきったもののあやふやな口調だ。
容子 :詳しく聞いてみたことないけど。あんまりその辺のことは話したがらなかったしね。いいおもいでなんかないからって。
充 :これ、封筒はどうなっちゃったんだろう。
容子 :文箱の中にはなかったけどね。まあ、いいや。今夜お父さんに聞いてみましょうよ。何か知ってるかも知れないから。・・おじいちゃんの 若い頃にも、いろんなことがあったのよ、きっと。
浩司が話しかける。
浩司 :いろんなことがあったんだよ。
充 :ありそうじゃないのに。
浩司 :人は見かけによらないだろう。
充 :でも、ほんとにそんな人じゃなかった。
浩司 :ほんとに?
充 :・・うん。
浩司 :僕が自殺するように見えなかったように。
充 :え?
浩司 :僕がどんな人か君は分かっていた?
充 :それは・・。
浩司 :僕は、君がどんなやつか分からないよ。だから、そんな人じゃなかったなんて僕は言えない。
充 :そうだね。
浩司 :ああ、そうだよ。
充 :・・ご飯食べよう。
ゆっくりと移動。
食卓にはすでに父と母がついている。
食事の光景がマイム等で。
間。
容子 :お茶は?
政夫 :あ、まだいい。(と、一口飲んで)それにしても、何にも言わなかったなあ。戦争中、親父が南方にいたことがあるって言うことは知って るけど。
容子 :兵隊さんですか。
政夫 :二等兵だよ。ミンダナオか、なんか、そのあたりだ。
容子 :話聞いていないんですか。
政夫 :普通だったらこっちが辟易するぐらい話すはずだけどね。おまえんところの叔父さんみたいに。
容子 :あの人はくどいから。
政夫 :食糧難の頃のこととか、ここに家を建てた頃のこととかは、耳が腐るほど聞かされたがね。そういえば、戦争のことは不思議なくらい何も しゃべらなかったなあ。あ、やっぱり、お茶、もらおうか。
容子 :はい。
充 :ごちそうさま。
容子 :もういいの。
充 :うん。
離れる充。
政夫 :どうしたんだ突然。
容子 :さあ、手紙かしら。
政夫 :手紙?なんだそれ。
容子 :おじいちゃんの文箱にあったんですよ。
政夫 :文箱?
容子 :押入の中にね。
政夫 :それがどうかしたの。
容子 :さあ、変な手紙があったんだけど。
政夫 :手紙?
容子 :ええ、遺書っぽいね。
政夫 :遺書?でも、おじいちゃんの若いときだろ。
容子 :と、思うんですけどね。
政夫 :それで、戦争中のことを聞いたのか。
容子 :でしょうね。
政夫 :まあ、なんにせよ。興味を持つのはいいことだよ。
容子 :そうですね。
少し溶暗。父が消える。母はそのまま見守っている。
浩司が浮かぶ。
充 :あれは遺書だよね。
浩司 :そうだよ。
充 :おじいちゃん、一度は死のうって思ったんだ。
浩司 :でも死ななかった。(と微かに笑う)
充 :遺書を書いた。
浩司 :遺書を書いた。
充 :でも、そんな決意からどうやって引き返したんだろう。
浩司 :僕は引き返さなかったよ。
充 :そうだ、君は引き返さなかった。踏切の中へ入っていった。でも、おじいちゃんは引き返した。
浩司 :引き返した。
充 :それほどの断崖から後戻りして、残りの人生を、いったいどうやって生きてきたのだろう。
浩司 :どうやって生きたんだろうね。
充 :あの手紙はずいぶんと古いものだ。おそらくおじいちゃんがあの手紙を書いたときの年齢の、数倍の年月を、あの手紙以降の人生の中で過 ごしてきたに違いない。
浩司 :僕はできなかった。
充 :そうだね。でも、おじいちゃんはできた。どうして、そんなことができたのだろう?
浩司 :それが分かればね。
充 :それほどの意味を、おじいちゃんは生きてゆくことの中に見つけたのだろうか。
浩司 :それが分かればね。
充 :そう。それがわかれば・・。そうだ。文箱だ。
浩司、こっくりと頷き消える。
明かりが元に戻る。
充、母に振り返る。父はいない。
容子 :どうしたの?おなか、すいた?
充 :文箱。
容子 :え?
充 :おじいちゃんの文箱ある?見たいんだ。
容子 :いいわよ。見たいならすぐ出してあげる。
充 :中身はそのままになってるの?
容子 :大したものはなかったからね。だけど、何で?
充 :ちょっとね。
口ごもる充。
充 :ちよっと、そんな気になって。
母が文箱を持ってくる。
容子 :いつもおじいちゃんがつかってたようね。けれど、なんにもめぼしいものはないのよ。
と、机の上に開けていく。
容子 :使い捨てライター。煙草飲み過ぎてたわね。喫茶店のマッチ。ああ、このモンブランの万年筆は覚えがあるわ。ボールペン二本、角の酒屋 さんにもらったやつね。ああ、だめだ、インクがだめになってる。使えないわ。
充 :煙草のんだんだ。
容子 :煙草のカスまであるわ。
充 :何飲んでたか覚えてない。思い出せない。
容子 :子どもは知らなくていいわよ。そんなこと。
充 :でも。
容子 :あまり大事なものはしまっておかなかったようね。
浩司が浮かぶ。
浩司 :そうさ、大事なものはそんな中に置かないよ。
充 :そうだよね。
浩司 :そうとも。
充 :それに、あの手紙はいつも身の回りに置いておくような種類のものじゃない。
浩司 :遺書だからね。
充 :どこにあったんだろう。
浩司 :ばかだな、大事なところにきまってる。大切な手紙だもの。
充 :そうだ。別の場所に大事に保管していたんだ。そして、ある時、この文箱の中に移したんだ。
浩司 :何で?
充 :何で?
浩司 :どうして移したの。
充 :それは・・ぼくらの目に付きやすいように?
浩司 :とすると、いつだろう。
充 :倒れる前だ。そうだ。おじいちゃん、体の調子がおかしいことに気づいていたのかも知れない。
浩司 :遺書だものね。どうしたの。
充 :寒い。
浩司 :どこが?
充 :首筋。
と、指す。
浩司 :なるほど。知りたいだろう。
充 :うん。しりたい、この手紙の正体を知りたい。
浩司 :どうやって。君は動けない。
充 :そうだった。僕は動けない。
浩司 :どうするの。
充 :どうしよう。
浩司 :方法は、あるよ。
充 :どんな。
電話が鳴る。
浩司 :やる気さえあれば。
電話に出る母。
容子 :はい。ああ、飯田さんの。ええ、そうです。で、どうでした。
口パク。
充 :電話だ。そうだ・・電話。でも、誰に・・。そうだ。
電話を置く母。
充 :母さん。
容子 :なあに。
充 :おじいちゃんに友達いた?
容子 :さあ・・・。
充 :手帳とかのこってないかな。さもなきゃ、年賀状。年賀状くらい来てたでしょう?
容子 :そりゃきてたとおもうけど・・。
充 :探して。見たい。
容子 :いいけど、どうするの。
充 :うん、ちょっと。
母、取りに去る。
充 :友達だ。友達に聞いてみたら・・。
溶暗。
Y電話
溶明。
電話をかけている充。
年賀状が二十枚ぐらい置いてある。
受話器を取ってかけようとしては、ためらう充。
浩司が見ている。
何度かかけようとしているが、決心がつかない。
浩司 :かけ方忘れたの。
充 :え、何。
浩司 :ボタンを押せばいいよ。
充 :分かってるよ、そんなこと。
浩司 :怖いんだろう。
充 :そんなことない。ただ。
浩司 :心の準備がね。
充 :うん。最初はこれにしよう。
と、かけはじめる。
呼び出し音。
つながった。
充 :あ、あの。すみません。手紙のことで知りたいんですか。え、あ、すみません石野です。石野充です。あ、いや、おじいちゃんの・・え? あ、間違いましたすみません。
くくっと笑い出す、浩司。
充 :なんだい。
浩司 :あわてないで。
充 :分かってる。
浩司 :おじいちゃんの名前。自分の名前。年賀状のこと。おじいちゃんをよく知ってるかどうか。友達は。
充 :分かってる。
浩司 :じゃ。
充 :うん。
と、何回も何回も電話をかける。
時計の音。
やがて、何回目かの後。
充 :そうですか、どうもありがとうございました。
電話を置く充。
浩司 :何件目。
充 :十一件目。あんまりいいアイデアじゃなかったかも。
浩司 :でも、最後までやるんだろ。
充 :・・そうだよ。
浩司 :うん。
年賀状を見て、再び電話をかける充。
呼び出し音。
充 :もしもし、木暮さんのお宅でしょうか。石野勝一郎の孫で充というものですけど。はあ、はい。勝一郎です。え、違います。僕じゃありま せん、おじいちゃんで。はい。ええ、なくなったんですが。え、はい。年賀状で、その木暮さんのことしりまして、はい。おじいちゃんの 年賀状です。いえ、作文なんかじゃなくて、ちょっとお聞きしたいことがあって、え、木暮さんもなくなった。はい。一昨年。ああ、はい。 失礼しました。
受話器を置いて溜息をつく。
充 :だめかあ。この人もだね。もう亡くなってる人が多いかも知れないなあ。
浩司 :めげずにさ。めげたら、僕みたいになっちゃうかも。
充 :君はめげてなんていなかったよ。そうだろ。
浩司 :・・そうだよ。
充 :愛想を尽かしただけなんだよね。
浩司 :そうかもね。
充 :僕に愛想を尽かさせないで・・。とかね。どれ。
電話をかける。
呼び出し音が五つ鳴って、がちゃりと受話器を取る音がする。
充 :もしもし。もしもし。
沈黙。
充 :もしもし、柴田さんのお宅でしょうか。
間。
充 :もしもし。
柴田 :もしもぉし。
くぐもったような遠い声。
充 :あの、柴田さんのお宅でしょうか。
柴田 :そうですが。
充 :ぼく、石野充といいます。石野勝一郎の孫なんですけど。
間。
充 :この間、おじいちゃんが亡くなりまして。
少し、間。
柴田 :石野さん、死んだんか。
充 :そうなんです。ずっと入院してたんですけど。
柴田 :それはまた。
せき込む声。
柴田 :しらなんだ。
充 :柴田さんは、うちのおじいちゃんと友達でしたか。
柴田 :知り合いじゃったよ。
充 :それじゃあの、ご存じですか、おじいちゃんの若いときのこと。
柴田 :若いとき?
充 :ええ、実は遺品の中に手紙があって、なんだか文面が遺書見たいなんですけど。
間。
充 :あれ、大丈夫かな。・・もしもし?あれっ。
電話が切られた。
充 :もしもしっ。・・あーあ、切れてる。
浩司 :間違って切たんだろ。
充 :これだから年寄りはヤだよ。
浩司 :まあまあ。ヒットかも知れないよ。
充 :そうだね。
もう一度、かける充。
つながる。
充 :もしもし。あの、石野ですが。
柴田 :うるさいから。
充 :どうして切っちゃうんですか。何か知ってるんでしょう。
間。
充 :おじいちゃんの遺書のこと、柴田さんは何か知ってるんでしょう?
間。
充 :柴田さん。
柴田 :補聴器の具合が良くないんで。
充 :は?
柴田 :うまく耳にひっかからんのだわ。
充 :ああ、それで。・・お医者さんで調整してもらうといいですよ。おじいちゃんもそうしてました。
柴田 :はあ、そうか。
間。
柴田 :あんなもんは捨てとると思ってたが。
受話器を握りしめる充。
充 :遺書のことですか。
柴田 :うん。
充 :大事に取ってあったんです。
柴田 :カツイチらしいわ。
充 :カツイチ・・。
柴田 :あんた、充ちゃん言うたか。
充 :はい。
柴田 :カツイチの孫か。
充 :はい。
柴田 :何番目の孫?
充 :僕一人。
柴田 :ああ、そうか。カツイチんとこは、息子ひとりだったからな。充ちゃんは兄弟がいないんか。
小さい間。
充 :兄弟、いないんです。
柴田 :寂しいか。
充 :そうでもないんですけど。
柴田 :誠三はたくさん兄弟が居るぞ。
充 :はい。・・誠三さんて。
柴田 :上の息子の孫じゃ。嫁さんがなかなか遣り手でのう。喫茶店やら、食堂やらで手広くもうけとる。
充 :はい。
ちよっと、あせっている充。
充 :何これ。
浩司 :年寄りは、話があっちこっち行くんだよ。
充 :わかってるけど。
浩司 :きっちり言ってやらないと、どんどんずれてくよ。
充 :あの、柴田さん、おじいちゃんのことなんですけど。
柴田 :はあ。
充 :石野勝一郎です。
柴田 :カツイチの。
充 :遺書みたいな話があったって話の。
間。
柴田 :あんなのは、もう昔の話だ。
意気込む充。
やったねと合図。
答える浩司。
充 :ご存じですか、遺書のこと。
柴田 :わしも書いたから。
充 :えっ、柴田さんも。じゃ、やっぱり戦争中のことですか。
柴田 :そうじゃなくて、あれは二・二六事件の時のだから。
充 :にいにいろくじけん!?
調子外れで問い返す充。
笑う柴田。
柴田 :学校で習わんか。
充 :・・・多分、まだ習ってないと思います。
小さい間。
充 :学校で習うようなことなんですか。
柴田 :社会科で習わんかね。
充 :・・いつ頃の頃ですか。
柴田 :昭和十一年の二月二十六日。
充 :ああ、それで二・二六事件。
柴田 :戒厳令が敷かれての。
充 :カイゲンレイ?
柴田 :大臣が殺されたり陸軍省や警視庁が占拠されたり、大騒動じゃった。
充 :大変な事件だったんですね。
柴田 :日本中がひっくり返ったな。あのときは。
充 :そんな大変な事件に、うちのおじいちゃんが関わっていた?まさか。
柴田 :わしとカツイチは、歩兵三連隊と言うところにいたんだ。
充 :ホヘイ?
柴田 :軍隊のな。陸軍の。連隊ってわからんか。のらくろってマンガをしらんか。あれに、ブル連隊長殿って出てくるだろうが。
困惑する充。
柴田 :まあ、いい。・・わしらは中隊長殿に連れられて、鈴木侍従長の所を襲ったんだがな。わしもカツイチも、建物の中には入らなかったし、 あとになるまで、自分らのやってることがどういうことか、まるでわからんかった。中隊長殿の命令通りにしていれば間違いない、中隊長 殿は神様のような人だから、そうおもっとったでな。
絡んで咳をして軽く笑う柴田。
柴田 :雪が降っててな。寒かったな。それだけはよく覚えてるなあ。
少し、溶暗。
軍靴の音。。
充 :雪が降っていたんですか。
柴田 :そうだ。あとからあとから降って。東京中一面の銀世界じゃ。戦車が一杯出取った。
充 :雪が。
柴田 :寒かったなあ。それと、二八日の夜くらいからだったかなあ、飯がなくなって、腹が減って往生した。あれは辛かったなあ。今に何とかな る、中隊長殿が何とかしてくださると思ってたが。
充 :そのころ、しばたさんもうちのおじいちゃんも、いくつぐらいだったですか。
柴田 :二十歳だった。・・若かったなあ。
充 :それなのに遺書を書いたんですか。
柴田 :包囲されてな。囲まれて。わかるかな。
充 :誰に?警察に囲まれたんですか。
笑い出す柴田。
柴田 :違う、違う。陸軍だよ。同じ軍の仲間に囲まれたんだわ。皇軍相撃ついうて、大変なことになるところだった。
充 :味方の軍隊同士で打ち合うの?
柴田 :そうなるところだったんだな。わしら、反乱軍にされてしまったから。
充 :ハンラン・・。
「兵に告ぐ」の放送が入る。
軍靴の音。
充 :おじいちゃんが、あのおじいちゃんが、一日ぼうっとテレビを見て、甘いものが好きで、ときどきトイレを汚して、ご飯を食べるとすぐに 居眠りをしていた、あのおじいちゃんが。・・反乱軍。クーデター。
再び放送の声が大きくなる。
小さくなる。放送は続いている。
柴田 :わしらの隊は、一番最後まで帰順しなかったから、遺書の数も、一番多かったかも知れないなあ。
独り言のようにつぶやく柴田。
柴田 :わしもカツイチも、訳はわからんかったけど、正しいことをしていると信じてたから、死ぬのは怖くなかったな。覚悟ができてたから。だ から、遺書もしっかり書いてあるだろう。わしのは隊へ返されるときに置いてきてしまったけど、カツイチはもってたんだな。
充 :此れが最後の手紙に成る。僕はいさぎよく死んでゆく覚悟で居ります。御兄上様にも宜しく。後のことを頼みます。 勝一郎。
柴田 :そうだ。そんな所だ。
充 :柴田さん。
柴田 :あん?
充 :それで、おじいちゃんがしたことは、正しかったんですか。
微かな笑い声。
柴田 :正しいことじゃなかったと、教科書には書いてあるだろうなあ。
充 :・・・。
柴田 :中隊長殿は死刑にされてしまったし、わしやカツイチなんかも憲兵に呼び出されたりしてな。除隊になるんじゃないかと思ってずいぶんビ クビクしたなあ。他に食っていく道がなかったから。
充 :・・・怖かったですか。
柴田 :うん。怖かったよ。あとになればなるほど怖かった。カツイチは違っとったようだけど。頭が良くないのが悲しいって言ってたな。誰の言 うことが本当なのか分からないのは、自分の頭が悪いからだろうって。ずいぶん悩んでたな。充ちゃんのじいちゃんは、真面目だったから。
充 :おじいちゃんが悩んだのは、遺書まで書いたのに、それくらい一生懸命やったことなのに、上手く行かなかったからですか?
柴田 :うまくいかなかったというか、それは間違ったことだって言われたからなあ。
笑う、柴田。
柴田 :そいで戦後になると、日本があんな戦争をするきっかけを作ったのは、二・二六だっていわれるし。
笑う、柴田。
柴田 :それでもわしたちは正しいことをしたと信じてたから。だから、カツイチは、記念に取っておいたんだろうなあ、その遺書を。あんたらが 見るかも知れないなんて思ってたかなあ。・・そうか、カツイチも死んだか。
間。
柴田 :そういうことだから、遺書だからって、騒ぐことはないよ。
充 :まだよくわからないけど。
柴田 :勉強すれば分かるようになる。
話し始めの頃より数倍明るい口調だ。
充 :はい。どうもありがとうございました
柴田 :うん。いいことを思い出させてくれたなあ。懐かしいなあ。
放送が入る。兵に告ぐ。
柴田、受話器を置いて、明るく昔を思い出している。
放送が消える。
充が受話器を置く。
充 :おじいちゃんは、でも、どう考えてもどこにでもいるかなり情けない老人だった。したこと、言ったこと、できる限り詳しく思い出しても、 中隊長殿の命令に従って死ぬ気でついていった二十歳の若者の面影はない。だけど、その情けない老人は八〇数年を生き抜いたんだ。なぜ だろう。なぜ、いきることができたんだろう。ぼくには分からない。
Z母の怒り
浩司がたっている。
浩司 :何が?
充 :柴田さんの声。
浩司 :声?
充 :うん。思い出さかのぼるごとに明るくなっていった。どうしてだろう。
浩司 :辛いはずなのにね。
充 :そうだ。おじいちゃんは自分の体験したことをぼくらに話さなかった。口に出さなかったのは、それが嫌な思い出だったからだろうか。
浩司 :嫌な思い出だよ。僕には。
充 :それほどに辛いこと、死ぬほど怖いこと何を信じたらいいか分からなくなるようなことを、二十歳の時に味わっていた。
浩司 :僕は十三歳で味わったよ。
充 :まだおばあちゃんに会う前に。お父さんが生まれる前に。戦争が始まり、戦争が終わるその前に。
浩司 :中学が終わらない前に。高校へはいる前に。恋人ができる前に。友達ができる前に。
充 :たった二十歳の時に。
浩司 :たった十三歳の時に。
充 :でもおじいちゃんはそのあと六〇年も生きてきた。
浩司 :正しいことをしたと信じてたから・・。
充 :正しいこと・・。
間。
充 :おじいちゃんはどんな風に生きてきたんだろう。
浩司 :僕は、どういう風にいきることができたんだろう。
充 :僕がたずねれば、柴田さんのように、昔のことを話してくれたんだろうか。
浩司 :多分僕は僕の生きてきたことを話すだろう。いいや、僕がいきることができたかも知れない時間を。
充 :そして、やっぱり懐かしいなあと言ったのだろうか。
浩司 :多分、多分ね。
充 :何も聞かないうちに、何も知らないうちに、僕はおじいちゃんと別れてしまった。
消える浩司。
母がファイルを持って入ってくる。
容子 :充。どうしたの。
充 :何でもないよ。
容子 :そう、飯田君のお母さんから電話があってね。
充 :うん。
容子 :聞いてるの。
充 :ああ。
容子 :教育委員会の調査が始まるかも知れないって。
充 :ふうん。
容子 :うれしくないの。
充 :うれしいよ。
生返事をしながら、考え込んでいる。
容子 :充。どうしたの。
充 :何でもないよ。
容子 :そう。・・これファイルよ。証言してくれた人のリスト。
充 :あとで見る。
容子 :どうしたの。
充 :別に。
容子 :今、見なさい。
充 :いいよ。
容子 :どうしたの。具合悪い?
充 :ううん。別に。
容子 :じゃ、見なさい。
充 :あとで。
上の空の充。
母の怒りが爆発した。
容子 :今、見なさい!
バンと、ファイルをたたきつける。
充 :えっ。
容子 :誰のためにこんなことしてると思ってるのよ!
泣き声の中。
散らばるファイルと書類。
容子 :甘ったれるのもいい加減にしてよ。あんたのために、あんたの気持ちが少しでも楽になるようにと思ってやってるのに。どうしてそんなふ うにいつまでもひねくれてるの。
泣く母。
呆然とする充。
間。
充 :・・ごめんなさい。・・・考え事してて、母さんの言ってること、全然聞いてなかった。
泣く母。
間。
充 :そうだ。僕は何にも聞いていなかった。誰の言葉も。・・今までずっとそうだった。
間。
母、涙を拭いて。
容子 :何考えてたの。
充 :おじいちゃんのこと。
容子 :うちのおじいちゃん?
充 :うん。・・遺書のことが気になって。あちこち、電話掛けて。やっとおじいちゃんのこと知ってる柴田さんていうひとから話聞いて。そう したら、あれ二・二六事件の時おじいちゃんが書いたんだって。
間。
充 :どうしたの。
容子 :あんた、電話をかけたの。
充 :うん。
容子 :自分から?
充 :そうだよ。
容子 :それであんたそのことでいろいろ考えてたの?
充 :そう。
容子 :そうなんだ。
照れくさい充。
少しの間。
充 :母さん。
容子 :なあに。
充 :明日、図書館に行きたいんだけど、連れてってくれる。
間。
容子 :外に出るの?
充 :出てみたい。
容子 :出られる?
充 :やってみないとわかんないじゃんか。
間。
母、微笑して。
容子 :そうね。
充、笑みを返す。
容子 :そうよね。やってみないと分からないわ。・・充、お茶でも、飲む。
充 :うん。
容子 :じゃ、濃いめに入れようか。
充 :ケーキ、ある?
容子 :あるわよ。濃いめのお茶にケーキを付けてね。
充 :うん。ケーキを付けて。
母、去る。
[八月の雪
充 :明日の空の色はどんなだろう。昭和十一年の二月二十六日だと言っていた。雪が降っていたと言っていた。その雪が降っていた空は、明日 僕が見上げる空と同じ空だ。そうだ。僕にはまだまだ知りたいことがある。知らなければならないことがある。小さいことも、大きなこと も。二・二六事件のことをもっと詳しくしらべよう。今のままじゃ何がなんだか分からない。そのあとの暮らしのことも、みんな調べよう。 知りたい。そうしていけば、おじいちゃんから聞くことのできなかった話を埋め合わせることができるかも知れない。そうしていけば、い つかきっと、おじいちゃんが生きてきた年月を、柴田さんが、あれほどの体験を「懐かしいなあ」と言うことのできるその理由を、理解す ることができるようになるかも知れない。
浩司がいる。
浩司 :きっとできるよ。
充 :本当だろうか。
浩司 :ああ、僕にはできなかったけれど、君にはできるよ。
充 :本当に。
浩司 :本当に。
充 :なら、おじいちゃんが遺書を書いてた日に降っていた雪が、いつの日にか僕の目にも見えるようになるかも知れない。それが、真っ青な空 から降ってくるところを。
浩司 :もう降ってるよ。
充 :え?
浩司 :窓を開けてごらん。
充、窓を開ける。
壁は音もなく消え去り、外の世界が充の目の前に出現する。
蝉時雨と八月の光があふれる。
ため息をつく充。
充 :こんなにも青かったんだね。
浩司 :そうだよ。ほら。
雪が降り始める。
充 :まさか・・。
浩司 :雪だよ。八月の雪だ。
充 :本当に雪だ。おじいちゃんの雪だ。
浩司 :確かな証拠だよ。
充 :そうだ。どれほど辛い目にあっても。
浩司 :何も信じることができなくっても。
充 :一度は遺書を書くほどの所にまで追いつめられても。
浩司 :そこで負けてしまわなければ。
充 :そこから盛り返して生きてゆくことの意味を。
浩司 :価値を。どこかで必ず見つけることができると言うことの。
二人 :あきらめるのは、捨てるのは、まだ早いと言うことの。
充、雪を大きく手のひらで受ける。
充 :・・確かな証拠の雪だ。
八月の幻の雪が降り続く。
電話のベルが鳴る。
浩司 :電話だよ。外からの。
充 :ああ、では僕が出るよ。
雪が降っている。
ゆっくりと電話の所へ行き。
電話を取って
充 :はい、もしもし石野です・・。
話している充に光が集まり、八月の雪は降り続ける。
浩司は充を見守っている。
【 幕 】
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