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「五月の風吹く宇宙(そら)に」
  作:結城 翼
 
 
☆キャスト       
 
 女1・ジョバンニ・他・・・・・・・・・
 女2・・カムパネルラ・母・他・・・・・
 男・探偵・父・大学士・鳥取り・他・・・
 
 
 
★プロローグ
        
        暗黒の大宇宙。星々はかそけく輝き、絶対0度の中を銀河鉄道は疾走する。
        何もない虚無の空間を流れ続ける宇宙気流がある。時の彼方から聞こえてくる音がある。吹き渡る風の音。音は大きく        なりやがて消えて行く。溶明。
        桜が散る。はらはらと散る。
        テーブルと椅子が二つ。男がカップとスプーン、グラスとストローを持って来る。それぞれ紅茶とミルクが入っている。        懐かしい情景。どこかの庭だろうか。
        少女が二人椅子に座っている。一人は多分帽子をかぶって本を読んでいるだろう。男が一礼して去る。待ちかねたよう        に、声が聞こえる。
 
女1 :そうかしら。
女2 :そうよ。
女1 :ふふっ。
女2 :(読むのをやめて本をおく。)なにがおかしいの。
女1 :だって。
女2 :だってなに?
女1 :かえってこないんだもの。
女2 :ああ・・・それ。
女1 :いつだって帰ってきたためしはないわ。
女2 :(帽子を脱いだ)鉄砲玉ね。
女1 :男の子はそうよ。
女2 :女の子だって。
女1 :あなたならやりかねないわ。
女2 :かもね。
 
        女2、帽子をくるくるまわす。テーブルに投げた。テーブルには本が一冊ある。
        女1スプーンで紅茶をかき混ぜる。
 
女2 :暑いわね。(と、上着を脱ぐ)もう、五月?
女1 :いいえ、四月でしょ。
女2 :そうだったかしら。(と、立ち上がり上着を椅子にかける。)
女1 :(一口飲んで)甘すぎる。
女2 :ブランデーでも、たらしたら。
女1 :よっぱらっちゃう。
女2 :いいじゃない。時間はあるわ。(そこらあたりを歩く)
女1 :四月も終わるのに?
女2 :七月までにはずいぶん間があるわ。
女1 :それまでずっと酔っぱらってるわけ?
女2 :春の魔力にね。・・・(ハミングしながら少し踊ってみる)
女1 :(冷たく)男の子のようにはいかないわ。
女2 :そうかな?
女1 :そうだったじゃない。・・・走っていったわ。ずっと石畳が続く道を。そうしていつも街角を曲がる。
女2 :街角を曲がればもう一つの街角があり、
女1 :又街角を曲がれば、もう一つの街角があり、
女2 :真っ直ぐにいくと、桜の花びら散る大きな屋敷があるだろう。
女1 :黒い犬と麦わら帽子を手に持った少年が涼しげに挨拶をするはずだ。
女2 :グーテンモルゲン!
女1 :グーテンモルゲン!
女2 :鉄柵に囲まれた町の一角に。
女1 :止まってしまった時間がある。
女2 :街角を曲がれば、君は見るだろう。
女1 :街角を曲がれば。君は聞くだろう。
女2 :いつもゆく、街角を曲がれば。
女1 :街角を曲がれば・・・(急にやめる)やめましょう。つまらない。
女2 :(動きをやめて)のどが渇いたわ。
 
        女2、立ったまま、テーブルのミルクを飲む。
 
女1 :ミルク好き?
女2 :好きよ。
女1 :どうして?
女2 :別に。
女1 :理由もなく好きなの?
女2 :理由がなきゃ飲めないの?
女1 :つっかからないでよ。
女2 :つっかかってるのはあなた。
女1 :そうかしら。
女2 :誰が見てもよ。
女1 :誰か見てるの?
女2 :言葉の綾よ。
女1 :やっぱりつっかかってるわ。
 
        途切れる会話。女2座る。ミルクを飲んで。再び、本を読みながら。
 
女2 :どうしてるかな。
女1 :誰?
女2 :男の子。
女1 :男の子?
女2 :ほら、覚えてるでしょう。汽車に乗ってたじゃない。
女1 :いつ?
女2 :あのとき。えーと、たしか、林檎持ってた。
女1 :林檎?
女2 :林檎の匂いがする。ってあなた言ったじゃない。
女1 :私が?
女2 :言ったわ。汽車が銀河のなかを走って行った。
女1 :知らないわ。
女2 :(再び本を置く)知らないって?
女1 :知らない。
女2 :嘘。
女1 :嘘じゃない。私、汽車なんて乗らないもの。
女2 :なら、いいわ。(肩をすくめる。興味が急に消え失せた。また本を取り上げる)
 
        女1お茶を飲む。
 
女1 :醒めてる。
女2 :早く飲まないからよ。
女1 :わかりきったこと言うのね。
女2 :でも、事実でしょ。
 
        桜が散る。
 
女1 :ちょっと。
 
        男がやってくる。
 
男  :何か。
女1 :降るのよね。
男  :はっ。
女1 :桜。うっとおしいの。ほら。
 
        桜、はらはらとコップに散る。
 
男  :かしこまりました。
女1 :おかわりね。・・ミルクはいいわ。
女2 :(本から目をはなし)ああ、私のグラスも持っていって。
男  :はい。
 
        男、グラスとコップを持って去ろうとする。
 
女1 :あ、ちょっと。
男  :なんでしょう。
女1 :あなた、どこかで見なかった?
男  :いいえ。
女1 :どこかしら。気になるわ。ねえ。どこであったの。教えて。
男  :失礼ですが。どこも。
女1 :どこも?何を言ってるの。いたでしょう。どこかで。そうだ。どこかでいたでしょう。
男  :・・まことにあい済みませんが・・
女2 :すみません。・・・もういいでしょう・・・。
 
        男、丁寧に一礼して去る。
 
女1 :なぜ止めるの。
女2 :止めてなんかいない。
女1 :いいえ、いつもあなたは止める。
 
        本を閉じる。
 
女2 :止められやしないわ。だって、止めようにもあなたはなにもしなかったじやない。
女1 :嘘。
 
        本をテーブルにおく。
 
女2 :どうせ、覚えてないでしょ。
女1 :誰が。
 
        女2、指さす。
 
女1 :私?・・・何を。
     
        女2、上着を着る。
 
女1 :ねえ、教えて。私、何を覚えてないの。
 
        女2、帽子をかぶり、ゆっくりと立ち去る。
 
女1 :ねえ。ねえったら。
 
        女1立ち上がり、追っかけようとするが、思いとどまる。
 
女1 :・・・・いいわ。教えてくれるまで、私待ってるから。・・・待ってるからね。・・・・暑いわ。
 
        女1、お茶を飲もうとするが来てないのに気づく。
 
女1 :ねえ、まだなの・・気が利かないわね。暑いじゃないの・・。
 
        本を取り上げる。読み出す。花びらがこぼれる。遠くで汽笛が聞こえる。
        そのまま夜に変わった。男が出てくる。
 
★四月の暑い夜
 
探偵 :暑いね。
 
        女1、本を読みながら、無視している。
 
探偵 :暑いね。
 
        女1、ちらっと見る。本を読み続ける女。じっと見ている探偵。
 
女1 :なにか?
探偵 :いや、ちょっと聞きたくて。
女1 :何を?
探偵 :カムパネルラはどうなったかって。
女1 :カムパネルラ?誰のこと。
探偵 :友達だ。
女1 :そんな人知らないわ。
探偵 :忘れてるだけだ。
女1 :なれなれしいわね。
探偵 :失礼。けれど大切なことだ。彼は消えてしまった。
女1 :私に聞くわけ?
探偵 :そうだ。
 
        女1、本をゆっくりと閉じる。
 
女1 :わかった。
探偵 :それでいい。
女1 :霊感商法だわ。
探偵 :えっ。
女1 :混乱させて売りつける気でしょ。壷?それとも人参?おあいにくさま。私不幸でもないし、お金もないわ。結婚する予定もなし、    病気でもブスでもないわ。帰って。
探偵 :時間がないんだよ、ジョバンニ君。
女1 :ジョバンニ?
 
        私のことかと目が問う。そうだと答える。
 
探偵 :そうだ。
女1 :ジョバンニて誰よ。
探偵 :カムパネルラの友だちさ。
女1 :何の話。ふざけないで。
探偵 :君はジョバンニだよ。
女1 :どうして。
探偵 :どうして?・・皆がジョバンニとよぶからだよ。
女1 :呼ばれたことなどないわ。
探偵 :ははーっ、きみがしらないだけだ。影ではみなそう呼んでいる。
女1 :やめてよ、ばかばかしい。
探偵 :やめられないのさ。君がジョバンニなのはもう、みんなしってるからね。
女1 :わたしは、ジョバンニじゃないって。
探偵 :強情なひとだねえ。・・・じゃこうしようじゃないか。君はジョバンニじゃないふりをしてもいい。
女1 :ふりなんかしなくてもジョバンニじゃない。
探偵 :はいはい。わかってる、わかってる。了解。君はジョバンニじゃない。ジョバンニじゃないふりをしているジョバンニというわ    けだ。みんな知らないふりをしてくれるはずだよ。
女1 :そんなのインチキよ。
探偵 :いいじゃないか。君がそう思ってれば、その方が世間はうまくゆくんだ。
女1 :でも、公平じゃない。
探偵 :そうだ。けれど、公正だろう。世間とはそういうものだよ。
女1 :何言っても無駄ね。・・いいわ。私がジョバンニだったらなんなの。
探偵 :結構。話が進む。では、現場検証と行こうか。カムパネルラが消えた日のことだ。
女1 :ちょっと待って。
探偵 :何だ。
女1 :あなた、いったい、誰。
探偵 :私は探偵だよ。
女1 :誰に頼まれたの?
探偵 :さあ、だれかな。
女1 :知りたいの。
探偵 :依頼人の秘密を守るのが探偵だ。
女1 :けち。
    
        女1去る。
 
探偵 :(本を取り上げて)おい、忘れ物だよ。
 
        女1の声。私のじゃないわ。
 
探偵 :(ぱらぱらとめくる。)かわいげのない奴だ。
 
★天気輪の丘
 
探偵 :(本をめくりながら)すべては、天気輪の丘から始まった。五月。晴れた日の朝。風が爽やかだ。そうだとも、こうでなくては    いけない。あくまでも日常的、あくまでもポジティブ。おどろおどろしいのは願い下げだ。そう。必要なのは爽やかな事件だ。
 
        探偵去る。
        ジョバンニ、カムパネルラ必死で走っている。風が爽やかだ。
        天気輪の丘の上。かけこむカムパネルラ。
 
カムパネルラ:どうだい。早いだろ。
ジョバンニ:(まだ見えない。遠くから)ちよつとまってよ。息きれちゃう。
カムパネルラ:一ちゃーっく。(と、座り込む)おーい。おそいぞーっ。
ジョバンニ:(ようやくあらわれる。へとへと)はーっ。
カムパネルラ:お疲れ。
ジョバンニ:ほんと。(息切れしている)・・もう、だめだーっ。
 
        ばったり倒れるジョバンニの上を風が吹き抜ける。天気輪が回っている。
 
ジョバンニ:・・・きれいだね。天気輪。
カムパネルラ:風が美味しいよ。
ジョバンニ:(大きく息を吸う)ほんとうだ。五月の風。凛々と吹く午前十時。
カムパネルラ:天空に雲流る青の五月は幸いなれ。汝はその草原に白爪草の葉をつみて幸いの印をば探さんと。
ジョバンニ:ねえ。探そう。四つ葉のクローバー。
カムパネルラ:ふっふっふっ。遅いね明智君。
ジョバンニ:なんだと。
カムパネルラ:ほらこのとおり。ジョバンニ氏の宝石四葉の白爪草は私がもらっているんだよ。
ジョバンニ:おのれーっ。
カムパネルラ:それどころではない。五つ葉のクローバー、六つ葉の・・ももはや既に私のてもとにある。さらばだ、明智君。
ジョバンニ:ちぇっ。カムパネルラにはかなわないな。
カムパネルラ:ほら、ここはいっぱい有るんだよ。
ジョバンニ:どれどれ。
 
        探す、ジョバンニ。
 
ジョバンニ:ほんとだ。あ、ここにもある。六つ葉だ。幸せ六倍だね。
カムパネルラ:突然変異さ。どこだって有るよ。
ジョバンニ:それをいっちゃ、みもふたもないよ。
カムパネルラ:そうだよ。実もふたもない五月だ。
ジョバンニ:もっと探そう、幸いの印だもの。
カムパネルラ:スタンプみたいだね。
ジョバンニ:そうさ、いっぱい集めると、父さんが返ってくるんだ。
カムパネルラ:本当に。
ジョバンニ:ああ、きっと確かに。
カムパネルラ:では・・。
ジョバンニ:どうしたの。カムパネルラ。
カムパネルラ:なんでもない。
 
        カムパネルラ、ねっころがる。ジョバンニ探す。間。
 
カムパネルラ:ジョバンニ。
ジョバンニ:なに?(まだ探している)
カムパネルラ:五月だね。
ジョバンニ:そうだよ。
カムパネルラ:あと二月。
ジョバンニ:何が。
カムパネルラ:ケンタウルスの祭。
ジョバンニ:ああ、そうだね。
カムパネルラ:行かないか。
ジョバンニ:どこへ。
 
        ジョバンニ、心ここに有らざるような受け答え。
 
カムパネルラ:いいよ。
ジョバンニ:どうしたの。
カムパネルラ:だから、もういいよ。
ジョバンニ:そう。
 
        ジョバンニ、白つめ草をつんだ。
 
ジョバンニ:何か言った。
カムパネルラ:天気輪が回ってる。
ジョバンニ:晴れるかな。
カムパネルラ:多分ね。今夜は星がきれいだよ。
ジョバンニ:あっ、忘れてた。
カムパネルラ:何を?
ジョバンニ:母さんに牛乳瓶を届なきゃ。悪いカムパネルラ。もういかなくちゃ。後で会おう。
カムパネルラ:ああ。
ジョバンニ:じゃ、さよなら。またね。
 
        ジョバンニ去る。
 
カムパネルラ:僕も行くんだよ。さよなら、ジョバンニ。
 
        カムパネルラ去る。
        探偵が現れる。
 
探偵 :そういう訳だ。君はここでカムパネルラと別れた。
女1 :別れたはずないわ。
探偵 :それは君の主観だろ。
女1 :そう言いたいのならどうぞ。
探偵 :協力的じゃないな。
女1 :義務はないはずよ。
探偵 :義務はないけどキムチならある。
女1 :なにそれ。
探偵 :何だろう。
女1 :変な人。
探偵 :とにかく、別れたんだ。
女1 :ならいいわ。
探偵 :なげやりだな。
女1 :やり投げなんてやったこともないわ。
探偵 :話をややこしくするな。
女1 :からかってみたいの。そんな年頃よ。
探偵 :ちぇっ。別れたのか、別れなかったのかどっちだ。
女1 :別れたわ。
探偵 :素直にそういえばいいんだ。なぜだ。
女1 :ミルクを飲ませるの。体弱いから。
探偵 :弱そうには見えないが。
女1 :母がよ。
探偵 :ほう。
女1 :私は本当はミルクが嫌い。だって、なんか変な匂いがするもの。あれは、草のにおいに違いない。五月の緑の匂いがするんだ。    とても、ぼくには飲めやしない。でも、体のためになるからってね。母さん言うんだ。
探偵 :いつも決まってこういうだろ?
女1 :なんて。
探偵 :私はいいんだ。もっとお上がり。
女1 :そう。いつもいうの。私はいいんだよ。もっとお上がり。
探偵 :ケンタウルスの祭りのときもかい。
女1 :そうだ。あのときもこう言った。
 
        女2浮かび上がる。
 
女2 :ああ、お前先にお上がり。あたしはまだ欲しくないから。
女1 :姉さんはいつ帰ったの。
女2 :ああ、三時頃帰ったよ。そこらをしてくれてね。
女1 :母さんの牛乳は来ていないんだろうか。
女2 :こなかったろうかねえ。
女1 :僕行ってとってこよう。
女2 :ああ、あたしはゆっくりでいいんだからお前先にお上がり。
女1 :では、僕食べよう。
 
        女1食べ始める。
        汽笛が遠くで鳴る。
 
女2 :誰かいくんだね・・・。
女1 :ねえ母さん。
女2 :どうしたの。
女1 :僕お父さんはきっとまもなく帰ってくると思うよ。
女2 :ああ、あたしもそう思う。けれどもお前はどうしてそう思うの。
女1 :だってけさの新聞に今年は北の方の漁は大変よかったって書いてあったよ。
女2 :ああ、だけどねえ、お父さんは漁へでていないかもしれない。
女1 :きっと出ているよ。お父さんが悪いことをしたはずがないんだ。だって、今度はラッコの上着を持ってきてくれるといったんだ。
女2 :ああ、そうだったねえ。
女1 :みんなが僕に会うとそれを言うよ。冷やかすように言うんだ。
女2 :カムパネルラさんもかい。
女1 :・・カムパネルラは決して言わないよ。カムパネルラはみんながそんなことを言うときには気の毒そうにしている。
女2 :カムパネルラのお父さんとうちのお父さんはちょうどお前たちのように、小さいときからお友達だったそうだよ。
女1 :ああ、だからお父さんはぼくをつれてカムパネルラのうちにつれていったよ。アルコールで走る汽車があった。カムパネルラ、    僕にさわらせてくれたよ。レールを7つ組み合わせると丸くなってそれに電柱や信号標もついていて、汽車がクルクル回ってる。    カムパネルラいったよ。この汽車はどこへ行くんだろうって。どこへも行かないよ。ここを回ってるだけじゃないかって僕が言    ったら、カムパネルラ僕をじっとみて、でも行くんだよ。って言った。
 
        汽笛が鳴る。
 
女2 :誰か行くんだねえ。
女1 :ザウエルという黒い犬がいるよ。尻尾がまるで箒のようだ。毎朝、新聞回しに行くだろう。僕が行くと鼻を鳴らしてついてくる    よ。ずうっと町のかどまでついてくる。もっとついてくることもあるよ。で、言ってやるんだ。グーテンモルゲン!これ、ドイ    ツ語だよ。先生に習ったんだ。今夜はみんなで烏瓜のあかりを川へ流しに行くんだって。きっと犬もついていくよ。
女2 :今晩は銀河のお祭りだねえ。
女1 :ケンタウルス露を降らせ!・・うん。僕、牛乳を取りながらみてくるよ。
女2 :ああ行っておいで。川へは入らないでね。
女1 :ああぼく、岸から見るだけなんだ。一時間で行って来るよ。
女2 :もっと遊んでおいで。
女1 :・・では。一時間半で帰ってくるよ。
 
        情景が戻る。
 
探偵 :その一時間半が問題なんだ。
女1 :問題って。
探偵 :君は結局、カムパネルラと一緒には行かなかった。その一時間半君はなにをしていた。
女1 :行ったわよ。
探偵 :君は嘘をついている。牛乳瓶はまだ母さんの所には届いていない。
女1 :嘘。届けたわよ。
探偵 :とぼけてもダメだよ。
女1 :僕、牛乳瓶取りにいったよ。
 
        女1はっとする。
 
女1 :私、今僕って言った?
探偵 :言ったよ。
女1 :いいえ。そんなことないわ。いわない。私がジョバンニだなんて、そんなはずがない。僕、第一牛乳瓶は届けたよ。母さんだっ    て、知ってるはずだ。
 
        女1、言葉を切る。おびえが浮かぶ。
 
女1 :なんなの。これ。
探偵 :気にしなくていい。
女1 :冗談はやめてよ!
探偵 :本当に気にしなくていい。それより、話を続けよう。
女1 :いやよ。説明して。でなきゃ、話さない。
探偵 :困ったな。
女1 :困ってるのはこっちよ。頭変になりそう。私は私よ。説明して。
探偵 :説明することなんてないよ。私は探偵。カムパネルラを探している。だから、君に話を聞く。それだけだ。
女1 :カムパネルラなんて知らないったら。
探偵 :そのうち思い出す。
女1 :何を。
探偵 :7年前。天気輪の丘であったことを。
 
        女1笑い出す。
 
探偵 :なにがおかしい。
女1 :何のことかと思ったら。7年前、ずいぶん大昔ね。
 
        探偵、奇妙な口調で。
 
探偵 :そうさ。一人前の死人ができるほどの大昔だよ。
女1 :
探偵 :失踪人死亡宣告と言ってね、7年たったら死人と認められる。カムパネルラはもうすぐ死んでしまうんだよ。
女1 :私は、何も知らないわ。
探偵 :いいから、とりあえず五月から行こう。ケンタウルスの祭りはその後だ。
女1 :なぜ。
探偵 :五月の風吹く丘はとても危険だからね。
女1 :えっ。
探偵 :人が変わってしまうからね。さあ、思い出してもらおう。もう一度五月の天気輪の丘だ。風が吹いている。とても気持ちがいい。    空は蒼い。
女1 :空は蒼い。
探偵 :白爪草の草むらを君は歩いている。牛乳瓶を取りに行くために。
女1 :歩いている。
探偵 :カムパネルラは天気輪の丘にまだいる。君を見ている。君は走る。カムパネルラの姿がやがて見えなくなる。
女1 :カムパネルラは見えない。
探偵 :君はそれからどうした。
女1 :それから?
探偵 :それから・・・
女1 :それから・・
    
        風の音がかすかに聞こえた。
 
女1 :風が吹いている。・・そう、風が吹いていた。聞こえてきたんだ。
探偵 :聞こえてきた・・・。
 
        風に乗り、かすかに「ケンタウルス露を降らせ。」の叫び声。
 
探偵 :(やさしく)どこから聞こえてきたんだね。
女1 :森だよ。
探偵 :森?・・どこの森だ。
女1 :そんなにたいしたことじゃないと思った。天気輪の丘の向こうに小さな森がある。いつもは回り道をするのだけれど、あまり風    が気持ちいいものだから、僕は森を突っ切ろうとした。でも、忘れていた。五月の風はとても危険なんだ。風が強くなってきた。    カムパネルラはもう見えない。
 
        風の音が強くなる。やや溶暗。ポイント探偵。
        風少し弱くなる。ぱらぱらと本をめくる探偵。
 
探偵 :ハーメルンの笛吹き男の話を知っているだろうか。一二八四年六月二六日。中世ドイツで実際あった話だ。ハーメルンの町中の    百三十人もの子どもたちが、笛吹き男につれられて、山の洞窟に消えていった話だ。どこへ行ったのかは誰も知らない。気にな    る話だ。けれど、もっと気になることは二人だけ後になって戻ってきたことだ。目の見えない子どもと口のきけない子どもが。    口のきけない子どもは何も語れず、目の見えない子どもは場所がわからなかった。彼らはどこに行って、何を見たか俺はとても    気になる。いや、それ以上になぜ彼らは帰ってきたのか。・・とても気になる。・・・風が吹いている。五月の風だ。ためしに    天気輪の丘に立ってみたらいい。ちょっとくたびれた大人にはとても気持ちのいい風だ。だが、子どもはいけない。子どもには    危険すぎる。なぜなら五月の風は天気輪の丘にやっかいなものを連れてくるからだ。どうしてだって?ふん。そいつは天気輪の    丘にたった子どもに聞いて見るんだな。ハーメルンの二人のこどものようにそいつらにしかわからない。だが、かれらは消えた。    一冊の本を残して。
 
        探偵、本を開く。読み始める。風の音がやがて宇宙気流の音になる。
        溶暗。
 
★迷いの森
 
        「ジョバンニ、お父さんから、らっこの上着がくるよ」という声が聞こえて来る。
        宇宙気流の音が遠くなる。奇態な声が聞こえてくる。溶明。
 
大学士・助手:ダイナマイトが、よーっ、ホッホッホッ。ダイナマイトが150トン。畜生ー!、恋なんてぶっとばせーっ!
 
        奇態なしぐさで入ってくる二人。
 
助手 :先生、掘りますよーっ!
大学士:よーし、掘るぞーっ。
助手 :レッツ、ゴーッ!
大学士・助手:(歌う)証明、証明、この世は証明。すべては、証明。証明しさえばすべてはOK。真実を掘り当てよう。掘れば、掘る    とき、掘りなさい。掘るなら、掘るとき、掘る、掘れ、掘れ!すべては証明、さすれば世界は全体幸福になる!証明、証明、す    べては証明!
大学士:助手!
助手 :はい!
大学士:我ら全体何を証明するのか。
助手 :世界は全体青い透明なガラスで我らはその中を落ち続ける一粒の砂粒でしかあり得ません。先生、掘りましょう。掘って、掘っ    て、掘り抜きましょう。一粒の砂を探しましょう。
大学士:よろしい。掘りたまえ、全人格を賭けて掘りたまえ。いくぞ!
助手 :はいっ!
大学士・助手:掘らば、掘りたり、ホラリリ、ホララ。
 
        猛然と掘り出す二人。
        ジョバンニが不安そうにやってくる。
        眺めている。大学士、助手、離ればなれになりながら狂乱状態で掘っている。
 
ジョバンニ:あのう。
大学士:掘れば、掘るとき、ホラリリ、ホララ。
ジョバンニ:あのう。        
大学士・助手:掘れよ、掘れ掘れ、ホラリリ、ホララ。
ジョバンニ:あのう。
大学士:おいおい、その突起を壊さない。スコップを使いたまえ。スコップを。おっと、もう少し遠くから掘って。いけない、い        けない。なぜそんな乱暴をする?我々は証明するために掘っているんだから。もっと優しく。ホラリリ、ホララ。
 
        大学士、助手に教える。くるりとジョバンニに振り返り。
 
大学士:で、君は参観かね。
ジョバンニ:あっ、は、はい。
大学士:クルミがたくさんあっただろう。それはまあ、ざっと120万年ぐらい前からのクルミだ。ごく新しいほうだ。ここは、120    万年前、第三紀の後の頃は海岸でね。この下からは貝殻も出る。この獣かね、これはボスと言ってね、おいおい、そこはつるは    しはよしたまえ。ていねいにノミでやってくれ。ボスと言ってね。今の牛の先祖で昔はたくさんいたさ。
ジョバンニ:標本にするんですか?
大学士:いや、証明するんだ。
ジョバンニ:何の?
大学士:我らは全体青い透明なガラスを滑り落ちる一粒の砂にすぎない。
ジョバンニ:砂?
大学士:おいおい、そうじゃない。何度言ったらわかるんだ?証明するにはそれはあんまり乱暴だ。こうだよ。
 
        ホラリリ、ホララ。と教える。ホラリリホララですねと助手、違う、ホラリリ、ホララだ。と大学士、ホラリリ、ホラ        ラですねと助手念を押す。
 
ジョバンニ:でも証明してどうするんですか?
大学士:きみも奇態なことを聞くものだね。君は証明をしたことがないのかね。
ジョバンニ:ありません。
大学士:近頃の若い者にも困ったものだ。いいかい、我らみんななにかを証明するために生きている。だってそうだろう。我らには証明    することしかないからね。だって、我ら青い透明なガラスの中を落ち続ける一粒の砂にすぎないだ。砂は落ちて、落ちて、落ち    続けるだけ。君、落ちてしまった砂はどうなるかわかるかね。
ジョバンニ:いいえ。
大学士:消えてしまうんだ。無だよ。無。・・何もない。どこにも何もない。今あった一粒の砂が、次の瞬間には有ったことすらない。    いや、有ったのなかったののということすらわからない。何もない完全な無の中に消えてしまうんだ。
ジョバンニ:何もないのをどうやって証明するんですか。
大学士:おわかいの。いい質問だ。掘るのさ。こうやって、掘り続ける。ここは厚い立派な地層で、120万年ぐらい前にできたという    証拠もいろいろあがるけれども、あるいは、風か水か、がらんとした空かに見えやしないかと言うことなのだ。わかったかい、    けれども、おいおい。そこもスコップではいけない。すぐその下に肋骨が埋もれているはずじゃないか。
ジョバンニ:あのう。
助手 :先生!
大学士:どうした。
助手 :砂です。
大学士:出たか。
助手 :でました。
大学士:よーし、よくやった。
助手 :帰れますね。
大学士:ああ、やっとな。どれ・・。
ジョバンニ:どこへ帰るのですか。
助手 :もちろんマイホームだよ。君は帰らないのかい。
ジョバンニ:あ、ええ。
助手 :我らずいぶん昔からやっているからねえ。
ジョバンニ:ずっと帰らなかったんですか?
助手 :だって、帰れないんだよ。証明しなければ。ここからは。
ジョバンニ:えっ、どういうこと。
大学士:助手!
助手 :はい!
大学士:違うぞ、これは。
助手 :えっ。砂じゃないんですか。
大学士:これは、なくした記憶のかけらでしかない。これでは証明できない。振り出しだな。
助手 :またですか。
大学士:ま、いいじゃないか。そのうち、きっと証明できる。よっし、次行こう。掘り直しだ。
助手 :はい。
大学士:ほら、これは君にあげよう。記念に持っていたらいい。
 
        大学士、ジョバンニへなくした記憶のかけらを渡す。
 
大学士:おわかいの。元気でな。
助手 :元気でね。ホラリリホララ。
大学士:違う。ホラリリ、ホララ。
助手 :ホラリリホララ!
ジョバンニ:(去りかける彼らに)あのう、ここはどこですか。
大学士
迷いの森だよ。ホラリリホララ!
 
        大学士、助手奇態な格好で去る。
 
大学士・助手:ダイナマイトが、よーっ、ホッホッホッ。ダイナマイトが150トン。畜生ー!、恋なんてぶっとばせーっ!
 
        ジョバンニ、ぽつねんと立つ。
 
ジョバンニ:迷いの森?・・・誰もいないのか。・・・(記憶のかけらを光にすかす)きれいだ。とてもきれいだ。えっ、なんだって・    ・・
 
        ジョバンニ、ラッコの上着が来るよ。という遠い声。
 
ジョバンニ:誰!・・・ザネリ?・・だれかいるの?・・カムパネルラ。誰かいないの。カムパネルラ!
 
        ジョバンニ、去る。
        ジョバンニ、ラッコの上着が来るよー。笑い声。遠くで聞こえる。
 
★四月の暑い夜2
 
        女2、ゆっくり入ってくる。桜が散る。春の終わり。
        樹の下に座る。本を読み始める。
 
女2 :春はそうしてようやく終わろうとする。夏は、いまだやってこない。春と夏の隙間に少女たちはいた。風が吹いてくる。四月と    五月の間から少女たちを誘うように。してみると、夏はまだ遠い。
    
        探偵が眺めている。女2、気づく。探偵が会釈をする。女2軽く会釈してまた読み始める。
 
女2 :天気輪の丘を吹き抜けてゆく風には気をつけるがいいと男は言った。少女はなぜかと尋ねることもせず、五月の風の声に聞き入    った。迷いの森に踏み込むと帰れなくなるそうだ。いいね、私は警告しておくよ。そう黒マントの男は言うと、天気輪の丘の風    とともに消えていった。してみると、夏はやはりまだまだ遠い。
探偵 :大変だね。
女2 :は?
探偵 :いや、大変だなと思って。
女2 :何が。
探偵 :じっと待ってるのって、つらくないか。
女2 :いいえ、どうして?楽しいじゃない。
探偵 :そんなもんかねえ。
女2 :読む本はあるし、いつかやってくる人はいるし、お節介な人もいるし。
探偵 :俺のことか?
女2 :ご想像にまかせるわ。
探偵 :君が呼んだんだぜ。
女2 :そうだったかしら。依頼人をあんまりまたすんで忘れてしまったわ。
探偵 :確かに。7年前じゃね。
女2 :ずいぶんの道草だわ。
探偵 :これでもずいぶん急いだんだがね。
女2 :カムパネルラの手がかりは見つかったの?
探偵 :まあね。
女2 :いたのね。
探偵 :確かに。けれど彼は消えていた。
女2 :ちゃんと調べた?
探偵 :俺は仕事はきっちりする。カムパネルラは確かにいた。家庭環境良好、父との関係も悪くない。友人も多くこれといって問題も    ない。やや内向的だが、敵もいない。成績優秀、人物もいい。消える原因とみなされるものは何もない。
女2 :それでも消えたわけね。
探偵 :それと、まずいことが起こってね。
女2 :何かあったの。
探偵 :天気輪の丘で、カムパネルラと最後にあったと思われる友達も消えている。
女2 :消えた?
探偵 :手がかりも一緒に消えたというわけだ。
女2 :それでこんなにかかったと。ずいぶん立派な言い訳ね。
探偵 :言うは安し、探すは難しってやつだよ。
女2 :言いたいのはそれだけ。
探偵 :そうせくなって。あわてる鰹は針を飲むって言うじゃないか。人生急ぐと小皺が増えるぜ。
女2 :あいにく、三つ指ついて下らぬ警句聞いてられるほど若くはございません。
探偵 :ふん。・・探してる内にちょっと気になることがあってね。
女2 :なに?
探偵 :本だよ。
女2 :本?
探偵 :確か君は7年前会ったときここで本を読んでいたね。
女2 :そうだったかしら。
探偵 :君は白い帽子をかぶり、真剣に本を読んでいた。俺がやってくると、何も気づいた様子もなかったが、こっそりと驚かしてやろ    うと寄っていくと。
 
        七年前。
 
女2 :足音を殺してもダメよ。
探偵 :えっ。
女2 :ここの庭は誰が近寄ってきてもわかるの。四月なのに暑い夜ね。ごくろうさま。
探偵 :私を呼んだのは君だね。
女2 :ほかには誰も居ないでしょう。
探偵 :話を聞こうか。
女2 :探してほしいの。
探偵 :離婚や恋愛沙汰はごめんだよ。ハードボイルドがポリシーだからね。で、誰を捜すんだ。
女2 :私を。
探偵 :冗談にしちゃ、簡単すぎるな。君はここにいる。私は見つけた。それでいいのか。
女2 :冗談ではないわ。・・私は誰?
探偵 :私に聞いても知らない。依頼人としか言いようもない。で、どういうこと。
女2 :ある時、気がつくと私はここにいたわ。それ以前のことは何も覚えていない。
探偵 :さようなら。
女2 :まってよ。なぜ帰るの。
探偵 :その手の話はジンマシンがでるんだよ。
女2 :私の目を見て。
探偵 :二つあるな。
女2 :三つあったらよかったのにね。おあいにく様。本当のことよ。
探偵 :ほう。あの有名な記憶喪失ってやつか。
女2 :さあ。わからない。とにかく、気がつけばここにいたの。
探偵 :誰から俺のことを。
女2 :これをもっていたわ。
 
        ピッ、と名刺を放る。取り上げてみる。
 
探偵 :わからんな。どうして持ってた。
女2 :さあ。
探偵 :その本は。
女2 :気がついたら読んでいたわ。
 
        探偵、本を取り上げて題名を読む。
 
探偵 :ほう、「銀河鉄道の夜」、名作だな。
女2 :知ってるの?
探偵 :しらん。本は読まない。
女2 :なぜ名作だと。
探偵 :そういえば、読む奴のプライドがくすぐられるだろ。
女2 :失礼な人。
探偵 :君の本か。
女2 :覚えてないわ。
探偵 :じゃ、それが手がかりだ。貸して見ろ。
 
        女2本を手渡す。探偵調べ始める。女2歩き回る。
 
女2 :いいかしら。
 
        探偵、本に集中して読みながら。
 
探偵 :何だ?
女2 :ねえ、実を言うと記憶はあるの。
探偵 :何の。
女2 :名前。
探偵 :何だ、覚えてるじゃないか。
女2 :違うわ、自分の名前じゃない。登場人物よ、その本の。
探偵 :「銀河鉄道」?
女2 :「銀河鉄道の夜」。
探偵 :誰?
女2 :カムパネルラ。
探偵 :カムパネルラ。誰だ?
女2 :主人公の友達よ。
探偵 :それで。
女2 :なんだかわからないけれど、その名前を聞くと胸が痛くなるわ。
探偵 :狭心症だよ。ころっと逝くから気をつけろ。 
女2 :心臓は丈夫よ。確かにどこかで聞いたことがあるの。確かめて頂戴。
探偵 :(本から顔を上げる)わかった。この本預かっていいか。
女2 :どうするの。
探偵 :読んで見るのさ。手がかりが転がっているかもしれない。
女2 :まかせるわ。でも早くね。
探偵 :本読むのは苦手だが・・ま、できるだけのことはやってみる。
 
        現在。
 
女2 :そういってあなたは消えたっきり。うんともすんとも言ってきやしない。七度桜が散るのをこの庭で私は見続けたわ。まさか、    今まで読んでたなんて言わないでしょうね。
探偵 :えっ。読んでちゃいけなかったか。
女2 :えっ、読んでたわけ。
探偵 :・・・人生、物事は焦ってもうまく行かないものだよ。
女2 :(ため息をついて)あなた、石橋叩いても渡らないタイプでしょ。それで結局私が誰かわかったの?
探偵 :まだわからない。だが手がかりは見つけた。
女2 :聞きましょう。 
探偵 :本がね。
女2 :本?     
探偵 :さっき言ったろ。友達も消えたって。そいつが、本を残してね。
女2 :それで。
探偵 :題名を聞きたくはないかい。
女2 :聞かなくてもわかるわ。たぶん・・
探偵 :そうだ。「銀河鉄道の夜」さ。それが、奇妙なことがあってね。
女2 :どんな。
探偵 :その前に、今までの調査を報告しよう。いいかい。
女2 :私はいいわ。
探偵 :手がかりはこの本しかなかった。しかも君はカムパネルラという名前に胸が痛むほどの覚えがあるという。俺は、この本を読ま    なければならない。俺は読んだ。本を読まない俺がみても奇妙な本だった。「銀河鉄道の夜」は授業から始まる。孤独な少年が    そこにいた。
 
★探偵の「銀河鉄道の夜」
 
        探偵、「銀河鉄道の夜」を読み出す。授業が浮かぶ。
 
探偵 :では、みなさんは、そういうふうに川だと言われたり、乳の流れたあとだといわれたりしていた、このぼんやりと白いものが本    当はなにかご承知ですか?
 
        ジョバンニ手を挙げようとして引っ込める。
 
ジョバンニ:・・ぼくは手を挙げようとした。確かにあれは星だと思う。けれどこの頃はまるで毎日教室でも眠く、本を読む暇も読む本    もないので、なんだかどんなこともよくわからない。
探偵 :・・・ジョバンニさんもあなたはわかっているでしょう?
 
        ジョバンニ勢いよく立ち上がる。けれど、立ち往生する。
 
ジョバンニ:ぼくは、もうはっきりと答えることはできなくなっていた。
探偵 :大きな望遠鏡で銀河をよっく調べると銀河はだいたいなんでしょう。
ジョバンニ:ぼくは確かに、それは星だと思った。確かにそう思ったんだ。けれど。
探偵 :ではカムパネルラさん。
ジョバンニ:先生はカムパネルラを指名した。カムパネルラは答えなかった。ぼくはカムパネルラの方をみた。カムパネルラは困ったよ    うな顔をしている。ぼくはカムパネルラが急に憎らしくなった。いけないと思ったけれど、どうしても憎らしくなった。カムパ    ネルラは知っているんだ。
探偵 :では、よろしい。このぼんやりと白い銀河を大きないい望遠鏡で見ますと、もうたくさんの小さな星に見えるのです。
ジョバンニ:ぼくはもう泣きたくなってしまった。そうだ、ぼくはもう知っているのだ。カムパネルラはもちろん知っている。それはい    つかカムパネルラのおとうさんの博士のうちで、カムパネルラと一緒に読んだ雑誌の中にあったのだ。真っ黒なページいっぱい    に白い点々のある美しい写真。
女2 :ほら、ジョバンニこれが天の川だよ。僕たちはこの天の川の水の中にすんでいる。天の川の水の中から四方をみると、ちょうど    水が深いほど青く見えるように、天の川の底の深く遠いところほど星がたくさん集まって見えるんだ。
ジョバンニ:地球は天の川の底にあるの?
女2 :地球はね。・・ここだよ。
ジョバンニ:そういってカムパネルラは天の川の端っこを指した。レンズの形をした銀河が宙に浮いている、その端っこの端。ここだよ。    地球はね、端っこにいるんだ。そうして、水の底の青い宇宙(そら)をじーっと眺めているしかないんだ。・・カムパネルラは    そういって遠くをみた。・・
女2 :聞こえてこない?
ジョバンニ:何?何の音?風?
女2 :近いけれど違う。気流の音だよ。
ジョバンニ:気流?風じゃないの?
女2 :宇宙気流。
ジョバンニ:宇宙気流?
女2 :銀河から銀河へ青い宇宙を吹き抜けていく風だよ。何もない真空の中を吹きわたっていく青い風。すべての元だ。
ジョバンニ:すべて?
女2 :すべて。星を生み、宇宙を生み、銀河を生み、太陽を生む。地球。水。光。空気。植物。動物。人間。歴史。文化。愛情。何で    もかんでもすべての元。
ジョバンニ:神様みたいだね。
女2 :何だってこの風から生まれた。今も吹いている。
ジョバンニ:ぼくは本当にその風の音を聞こうとした。なんだか、カムパネルラがとてもうらやましく、本当にその音を聞いているのだ    ろうか、それともそんなことをいってるだけなのか、とても知りたく、ぼくは耳を澄ました。
 
        ジョバンニ。耳を澄ます。かすかな音が聞こえる。
 
女2 :聞こえる?
ジョバンニ:・・僕にも聞こえるよ。聞こえる。・・けれどこれは。
 
        遠くから、声が聞こえる。けれどそれは。
        「ジョバンニ、お父さんからラッコの上着がくるよ。ラッコの上着がくるよ。」
        ザネリたちの声が聞こえてきた。
        ジョバンニ硬直する。
 
ジョバンニ:・・カムパネルラ。聞こえた。・・今の。
女2 :何も。どうしたの。
ジョバンニ:ううん。いいんだ。そうか。聞こえなかったか。・・・僕はけれど知っていた。カムパネルラには聞こえていたんだ。だ        けど僕が気の毒だからきっとそう言ったに違いなかった。僕にはわかっていた。風の音なんか絶対に聞こえやしない。そうさ。    絶対に。
探偵 :ジョバンニさんそうでしょう。
ジョバンニ:えっ。あ、はい。
探偵 :よろしい。
女2 :待って!
 
        女2ストップをかける。ジョバンニ去る。
 
探偵 :どうした。
女2 :それ、ホントウに「銀河鉄道の夜」?違うんじゃない?
 
        探偵本を渡す。
 
探偵 :(奇妙な声で)私の読んだものはそれだ。
女2 :違うわ。違う。私の読んだものと違う。
探偵 :いったろ。奇妙なことがあったって。君のはどうだ。
女2 :私が読んだのはこうだった。「銀河鉄道の夜」は五月の天気輪の丘から始まる。風が吹いている。孤独な少年がいたわ。
 
★女2の「銀河鉄道の夜」
 
        女2「銀河鉄道の夜」を読み始める。天気輪の丘。
        走り込んでくる、ジョバンニ。カムパネルラはいない。
 
ジョバンニ:どうだい。早いだろ。
カムパネルラ:(まだ見えない。遠くから)ちよっとまって。息がきれる。
ジョバンニ:一ちゃーっく。(と、座り込む)おーい。おそいよーっ。
カムパネルラ:(ようやくあらわれる。)はーっ。
ジョバンニ:お疲れさま。
カムパネルラ:ほんとだ。・・・もう、だめだ。
 
        ばったり倒れるカムパネルラの上を風が吹き抜ける。天気輪が回っている。
 
カムパネルラ:・・・きれいだね。天気輪。
ジョバンニ:風が美味しい。
カムパネルラ:(大きく息を吸う)ほんとうだ。ああ、あと二月だ。
ジョバンニ:何が。
カムパネルラ:ケンタウルスの祭。
ジョバンニ:ああ、そうだね。それがどうかしたの。
カムパネルラ:飛ぶことだけを考えればいい。 
ジョバンニ:なんのこと。
カムパネルラ:五月なのに、地上はとても暑い。だけど、あの空はとても青い。涼しそうだ。
ジョバンニ:それは涼しいだろうね。
カムパネルラ:絶対零度。わかる?温度がないんだ。
ジョバンニ:涼しいと言うより、凍ってるよ。
カムパネルラ:でも、あれだけ青いのは、空一杯に水が流れているからに違いない。
ジョバンニ:変なの。
カムパネルラ:変じゃないさ。だって、考えてごらんよ。宇宙には水は流れているだろう。先生が言ってたじゃないか。空には、大きな    牛乳を流したような川があるって。
 
        ジョバンニ、ねっころがる。
 
カムパネルラ:ジョバンニ、どうしたのさ。
ジョバンニ:えっ、何でもないよ。
カムパネルラ:そうかな。
ジョバンニ:なんでもない。
カムパネルラ:ならいいけれど。
 
        黙り込む二人。
 
カムパネルラ:飛ぶしかないんだ。
ジョバンニ:なに。
カムパネルラ:とうさん、もう帰ってくるのかい。
ジョバンニ:ああ、きっと帰ってくる。でも、どうしたの。カムパネルラ。
カムパネルラ:とうさん、好きかい。
ジョバンニ:ああ、大好きだ。きっとラッコの上着だって、買ってきてくれる。だけど、どうしてそんなこと聞くの。君の父さんだって。
カムパネルラ:大嫌いだ。
ジョバンニ:なんだって。いけないよ、カムパネルラ。
カムパネルラ:どうして。
ジョバンニ:父さんのこと、嫌いだなんて。いけないよ。
カムパネルラ:君は、わかってないよ。
ジョバンニ:どうして、嫌いなのさ。よくしてくれるじゃないか。
カムパネルラ:よくしてくれるからだよ。
ジョバンニ:カムパネルラの言うこと、わからない。
カムパネルラ:わからなくていい。
ジョバンニ:そんなのダメだよ。
カムパネルラ:なにがダメだって。君になにがわかる。ぼくがなに考えているかわかるって言うの。心の中なんてわかるわけないじゃな    いか。誰だって、一人だよ。みんな、一人で生まれ、一人で死んでいくんだ。だから、表面は笑ってても、心は悲しんでいるか    もしれないし、愛しているっていったって、本当のことはわからない。父さんだって。・・父さんだって・・。
 
        父がいる。カムパネルラが呼びかける。
 
カムパネルラ:お父さん。
父  :・・・・
カムパネルラ:お父さん。僕は立派な人にはなれそうもない。聞いてる。
父  :・・・
カムパネルラ:お父さん、僕を良い子だと言ったよね。言ったよね。
父  :・・・
カムパネルラ:本当にそうなの。・・・返事をしてよ。お願いだから返事をしてよ。
父  :・・・
カムパネルラ:僕はこのままではどこにもいけやしないよ。返事をして。
父  :お前はいい子だ。
カムパネルラ:うそだ。ぼくがもうダメなことわかってるはずだろ。これ以上無理だよ。
父  :誰だって、そんなときがある。がんばれば何とかなるものだ。
カムパネルラ:がんばれないよ。もう限界だ。
父  :そんなことを言うものではない。人間あきらめてしまえばそれでおしまいだ。そうだろ。自分のやりたいことをやるには苦しい    ときこそ一番がんばらなければならない。お前ならできる。お前はそれだけのものを持っているんだ。
カムパネルラ:そんなことを言わないで。
父  :お前はそんな子じゃない。やればできるはずだ。自分を卑しめるんじゃない。
カムパネルラ:わかってない、お父さんは何もわかっていない。
父  :そんなことはない。お前のことは一番よくわかっている。
カムパネルラ:誰だって、自分のことしかわからない。お父さんだって、僕のことはわからない。
父  :そんなことはない。
カムパネルラ:そんなことあるよ。
父  :私の子だ、そんなことはない。
カムパネルラ:では。
父  :何のことだ。
カムパネルラ:ザウエルどうしたの。なぜやってしまったのさ。
父  :あれはおまえには必要ない。おまえがそう言ったじゃないか。
カムパネルラ:ああ、いったよ。だからってやることないじゃないか。
父  :わからないな。ザウエル嫌いじゃなかったのかい。
カムパネルラ:大好きだよ!だから、・・だから・・もう、いいよ。
父  :いい子だ。
 
        父、消える。
 
カムパネルラ:父さん、わかっていない。ジョバンニだってわからない。そうだ。なにわかっているって言うのさ。いってみろよ。ジョ    バンニ。
ジョバンニ:カムパネルラ、ぼく、なんだかよくわからない。本当のことはよくわからない。
カムパネルラ:そうさ。わからないんだ。お互いみんなわからないのさ。みんな、一人だよ。
ジョバンニ:・・・けれど。
カムパネルラ:けれど、何。
ジョバンニ:本当にぼくらは一人かもしれない。カムパネルラもぼくも一人かもしれない。お父さんは本当はぼくを嫌いかもしれない。    ラッコの上着を持ってきてくれないかもしれない。けれど。
カムパネルラ:けれど・・
ジョバンニ:本当に、自分が一人だって知ってれば。
カムパネルラ:知ってるよ。
ジョバンニ:何だって許せると思うよ。
 
        沈黙するカムパネルラ。やがて。
 
カムパネルラ:ごめん。いいすぎた。
ジョバンニ:・・気にしてないよ。
 
        沈黙。
 
カムパネルラ:天気輪が回っている。
ジョバンニ:晴れるかな。
カムパネルラ:多分ね。今夜は星がきれいだよ。
ジョバンニ:あっ、忘れてた。
カムパネルラ:何を?
ジョバンニ:母さんに牛乳瓶を届なきゃ。ごめんカムパネルラ。もういかなくちゃ。
カムパネルラ:ああ。
ジョバンニ:じゃ、さよなら。またね。
 
        ジョバンニ去る。
 
探偵 :ちょっと、まて。
女2 :どうしたの。
探偵 :カムパネルラとお父さんはそんなにうまくいってなかったのか。
女2 :そうよ。
探偵 :聞いた限りでは違うぞ。
女2 :いいから。続けるわよ。
探偵 :ああ。
 
        女2再び読み始める。
 
カムパネルラ:ジョバンニはこちらを向いて手を振った。そうして、どんどん町の方へ走っていく。まぶしいくらいにまっすぐに。五月    の風が少し激しく吹いた。僕は一瞬目を閉じてジョバンニのほうに向き直った。ジョバンニは消えていた。ジョバンニは僕より    早く行ってしまった。そう、考えると、僕はとてもたまらなくなった。ホントウにわかっているのはジョバンニだ。ぼくはただ    わかったふりをしているだけだ。授業のときだってそうだ。先生は宇宙気流の話をしていた。
先生 :では今日は、地球上の生命のことを考えてみましょう。我々の生命を構成している基本的な物質は何か。わかりますか?それは    なんとダイヤモンドや石炭と同じ炭素なのです。炭素原子が元になって、複雑な生命を生み出しているのです。その生命を生み    出す元が大きな流れとなってこの銀河を流れています。宇宙気流と名付けられたそれは、銀河系を吹き抜けていく風といえまし    ょう。我々の母なる地球はその宇宙気流の風の中で生まれたのです。風を受けて我々生命は生まれ、育ちました。
ジョバンニ:先生、命って何ですか。
先生 :それは難しい質問です。ずいぶんと偉い学者たちが研究してもなかなかわかりません。けれど、このことだけはいえると先生は    思います。ジョバンニ。立って。
 
        ジョバンニ立つ。
 
先生 :カムパネルラも。
 
        カムパネルラ立つ。
 
先生 :二人が手をつないで。
 
        二人前を見て手をつなぐ。
 
先生 :何か聞こえませんか。
 
        二人、空いている手で耳を澄ます。
 
二人 :いいえ、何も。
先生 :そうですね。今のままでは何も聞こえません。では、二人の手と手の間に炭素があるとしましょう。そうして、後ろからさらに    私が手をつなぐ。
 
        先生、後ろから二人のつながった手に、手をおく。
 
先生 :これでどうですか?
 
        二人首を振る。
 
先生 :風の音が聞こえませんか。
ジョバンニ:風?
先生 :やがて我々の前にもう一人来ます。この手の中心に命の中心の炭素があります。炭素はこのように四本の手を持っています。炭    素はこうやって手から手へ次から次へとつながってゆくのです。命とは、こういうことでありましょう。自分と自分につながる    ものたちの鎖。そうして、かならずやってくるはずのものたちを待つ、期待と祈り。耳を澄ましましょう。風の音を聞くのです。    銀河を吹き抜ける風の音を。
 
        宇宙気流の音。風が吹き抜けていく。
 
先生 :我々の前に来る人を我々はまたねばなりません。なぜなら、我々につながる大切な人であるからです。
カムパネルラ:先生。
先生 :なんでしょうか。
カムパネルラ:本当に、大切な人っているでしょうか。
先生 :難しい質問ですね、カムパネルラさん。答えることはとてもむつかしい。しかしこうはいえるでしょう。本当に大切かどうかは    わからない。けれど、その人はあなたにとって必要な人なのです。
カムパネルラ:自分が、希望しなくても?
先生 :そうです。
カムパネルラ:どうしてですか。
先生 :それが命だからですよ。カムパネルラ。
カムパネルラ:・・・・
先生 :さあ、耳を澄ませて。聞こえてくるでしょう。
 
        宇宙気流の音
 
先生 :待ちましょう。風に乗り、いつか来る人のため。
 
        風が吹き抜けていく。溶暗。闇の中から。
 
探偵 :奇妙なことがあったと言ったねえ。
 
        溶明。
 
女2 :ええ。
探偵 :これがそのひとつなんだよ。
女2 :どういうこと?
探偵 :銀河鉄道ってこんな話だったか。
女2 :私の記憶では。
探偵 :しかし、俺が読んだとき、この本にはそうは書いていなかった。
女2 :嘘よ。
探偵 :嘘をついて、何になる。しかもこの本は君が読んでいたものだ。
女2 :あり得ないわ。内容が変わるわけないじゃない。別の本よ。
探偵 :銀河鉄道が二つあるじゃなし。第一これは、君に借りたものだ。
女2 :ならカバーをみてよ。
探偵 :しみが付いてるな。
女2 :えっ、じゃ、私のだわ。ミルクこぼしたもの。
探偵 :同じ本だと言うわけだ。
女2 :けれど、私が読んだ内容は違ってるわ。
探偵 :手がかりは、もう一つある。
女2 :なに。
探偵 :君の名前が書いてあった。
女2 :まさか。
探偵 :ここを見て見ろ。
 
        ほんの裏表紙をめくる。女2見る。
 
探偵 :サインがあるだろう。なんて書いている。
女2 :・・ジョバンニ。ジョバンニ?
探偵 :主人公の名前だ。調べてみたんだ。
女2 :何を。
探偵 :君の筆跡だよ。
女2 :これが。
探偵 :君が書いたんだ。
女2 :私が?嘘だわ。覚えてない。
探偵 :覚えてなくても。君が書いたんだ。
女2 :どうして。
探偵 :所有物にはふつう自分の名前を書かないかね。
女2 :じゃ、私の名前がジョバンニというわけ。
探偵 :そういうことになるかな。
女2 :それおかしいわ。
探偵 :なぜ。
女2 :だって、あなたに渡したとき、覚えてるもの。何も書いてなかった。
探偵 :知っている。
女2 :知ってる。じゃどういうつもりなの。
探偵 :それを知りたいんだよ。なぜ、同じ本なのに話が違うのか。なぜ、いつのまにか君の署名があったのか。
女2 :その本あなたが持ってたんでしょう。
探偵 :そうだ。けれど、一度なくしてしまった。
女2 :いつ。
探偵 :7年前、ケンタウルスの祭りの夜。
女2 :どうして。
探偵 :川にね、落としてしまったんだ。
女2 :落とした?
探偵 :(奇妙な目で)事故があったんだよ。
女2 :ならなぜもってるの。
探偵 :(答えず)実はもうひとつ奇妙なことがあってね。
女2 :えっ。
探偵 :あの声が聞こえるか。
女2 :どの声?
    
        ジョバンニ、ラッコの上着が来るよ。情景がたそがれる。
 
探偵 :ほんとう言うと俺も自分が誰かわからないんだよ。
        
        女2本を取り上げる。
 
女2 :私は確かにその声を聞きました。「ジョバンニ、ラッコの上着がくるよ」。からかいとも、あざけりともつかぬその声の響きは、    なぜか胸を指します。私はなにかをなさねばならない。そうしなければ、もはや、私は許されることはないだろう。そうした暗    い予感が私を襲い、けれど、私はなにもできず、その声が響きわたっていく方を、かすかにほほえみながら、見続けるばかりで    した。ジョバンニ、ラッコの上着がくるよー。
 
        女2、悲しげに、本を閉じる。誰もいない。
        ラッコの上着がくるよー。
 
女2 :ジョバンニ?・・ジョバンニ?・・ジョバンニ!
 
        かけ去る。
 
★再び迷いの森
 
        情景、迷いの森へ。
        飛び出すジョバンニ。
 
ジョバンニ:よんだ?
 
        探すジョバンニ。かすかに声が聞こえる。
 
ジョバンニ:だれ?
 
        ジョバンニ、ラッコの上着が来るよ。風が吹く。
        たじろぐジョバンニ。
 
ジョバンニ:なんだい。
 
        空元気の口笛を吹くジョバンニ。音が聞こえる。何かが流れる音。
 
ジョバンニ:だれ。・・・だれがいるの。
 
        だれも答えはない。青い空が広がっている。空を見上げるジョバンニ。
 
ジョバンニ:水の底みたいだ。・・・音がする。風の音かな?・・・ちがう。
 
        流れ続ける音。聞こうとするが、どこからかわからない。音のシャワー。
 
ジョバンニ:誰もいない。天気輪も見えない。カムパネルラーっ。
 
        誰も答えない。歩き出すジョバンニ。音のシャワーは、かすかに続く。
        ずいぶん歩くけれど誰もいない。ひっそりとした孤独が迫ってくる。
 
ジョバンニ:カムパネルラーっ。
 
        声は、森の中に吸い込まれていく。再び歩くジョバンニ。
        ゆっくりと夜がやってくる。星がでた。
 
ジョバンニ:(上を見上げ)ケンタウルスの夜だ。    
 
        歩きだそうとするところへ、「ケンタウルス露を降らせ!」と、遠くで声。
 
ジョバンニ:(おもわず)「ケンタウルス露を降らせ」。あっ。カムパネルラ。
 
        振り返ると、カムパネルラがいた。
 
ジョバンニ:カムパネルラ。どうしたの。
カムパネルラ:みんなはね、ずいぶん走ったけれども遅れてしまったよ。ザネリもね、ずいぶん走ったけれども追いつかなかった。
ジョバンニ:どこかで待っていようか。
カムパネルラ:ザネリはもうかえったよ。お父さんが迎えに来たんだ。
ジョバンニ:・・・・・
カムパネルラ:ああ、しまった。ぼく、水筒を忘れてきた。スケッチ帳も忘れてきた。けれどかまわない。ぼくはもう飛ぶことだってで    きるんだ。
ジョバンニ:どうしたって言うの。さっき別れたばっかりじゃないか。
カムパネルラ:そんなことないよ、もうずいぶんになる。
ジョバンニ:えっ。
カムパネルラ:牛乳瓶取ってきたのかい。
ジョバンニ:いいや、だけどここから出られないもの。
カムパネルラ:大丈夫。きっと吹くから。
ジョバンニ:五月の風かい。
カムパネルラ:そうさ。そうして、青い透明なガラスの中に砂が落ち続けるんだ。
ジョバンニ:どうしたの。
カムパネルラ:砂時計だよ。
ジョバンニ:砂時計がどうしたの。
カムパネルラ:落ち続けるんだ。いつまでも砂がね、青い水の中を。ケンタウルスの祭りの夜のように。
ジョバンニ:何のこと?
カムパネルラ:いこうよ。ジョバンニ。ケンタウルスの祭が始まるよ。
ジョバンニ:でも、カムパネルラ。ここは。
カムパネルラ:さあ、ジョバンニ。今日は祭だよ。
 
        「ケンタウルス露を降らせ!」の声々。
        カムパネルラ、消える。
 
ジョバンニ:待ってよ。カムパネルラ!
 
★ケンタウルスの祭り
 
        ケンタウルスの祭り。華やかな音楽。
        ジョバンニ、あちこち見て歩く。
        通り過ぎる影。ザネリ。
 
ジョバンニ:ザネリ。烏瓜流しに行くの?
ザネリ:ジョバンニ、お父さんからラッコの上着がくるよ。    
ジョバンニ:なんだいザネリ。
 
        ザネリ、鼠のように走り去り、いない。
 
ジョバンニ:ザネリはどうして僕がなんにもしないのにあんなことを言うのだろう。走るときはまるで鼠のような癖に。僕がなんにもし    ないのにあんなことを言うのはザネリが馬鹿なからだ。
 
        けれど、誰も答えない。人が通る。
        ケンタウルス露を降らせ。
        
ジョバンニ:ああ、もし僕が今のように、朝暗いうちから二時間も新聞を折って回しにあるいたり、学校から帰ってまで、活版所へ行っ    て活字を拾ったりしないでも言いようなら、学校でも前のようにもっと面白くて、飛馬だって、球投げだって、誰にも負けない    で一生懸命やれたんだ。それがもう今は、誰も僕とは遊ばない。僕はたった一人になってしまった。
 
        時計屋の前。星図盤が光る。
 
ジョバンニ:星図盤だ。銀河が流れている。あそこには、本当にこんなような蠍だの勇士だの蛇や魚がぎっしりいるんだろうか。ああ、    僕はその中をどこまでも歩いてみたい。・・砂時計だ。・・カムパネルラが言ってた奴と同じだ。青いガラス。落ちている。
 
        青いガラスの砂時計。砂が落ち続ける。
 
ジョバンニ:カムパネルラどういうつもりであんなことを言ったんだろう。何も水なんてありはしない。砂が落ちているだけだ。砂時計    だもの。
 
        ケンタウルス、露を降らせ。
 
ジョバンニ:ケンタウルス、露を降らせ。・・・牛乳瓶取りにいなくちゃ。
 
        歩き出すジョバンニ。
 
ジョバンニ:母さんは本当に気の毒だ。毎日あんまり心配して、それでも無理に外に出てキャベジの草を取ったり、燕麦を刈ったり働い    たのだ。あの晩母さんは、あんまり動悸がするからジョバンニ、起きてお湯を沸かしておくれと言って僕をおこした。母さん、    ぼんやり辛そうに息をして、唇の色まで変わってた。僕はたった一人、まるで馬鹿のように、火を吹きつけてお湯を沸かした。    手を暖めてあげたり、胸に湿布をしたり、頭を冷やしたり、いろいろしても、母さんはただだるそうに、もういいよというきり    だった。僕は、どんなに辛かったかわからない。・・ここだ。・・今晩わ。
 
        牛乳屋。しんとしている。
 
ジョバンニ:こんばんわ。ごめんなさい。
 
        年取った女の声。
        
   今晩、駄目です。今だれもいないでわかりません。明日にして下さい。 
ジョバンニ:あの、今日、牛乳がぼくん所へ来なかったのでもらいにあがったんです。
   今日はもうありません。明日にして下さい。
ジョバンニ:母さんが病気なんですがないんでしょうか。
   私にはわかりません。お気の毒ですが、明日にして下さい。
ジョバンニ:そうですか。ではありがとう。
 
        目をひとこすりするジョバンニ。
        歩き出す。街角を曲がろうとする。
        ザネリたちがやってくる。はっとするジョバンニ。
 
ジョバンニ:川へ行くの。ザネリ。ぼくも・・。
ザネリ:ジョバンニ、ラッコの上着がくるよ。
一同 :ジョバンニ、ラッコの上着がくるよ。
 
        駆け出す、ジョバンニ。止まる。振り返る。カムパネルラがいる。
 
ジョバンニ:カムパネルラ・・。
 
        ジョバンニ、ラッコの上着が来るよ。カムパネルラ、奇妙な微笑。
        駆け出すジョバンニ。走る。
        止まる。激しい息づかい。
 
ジョバンニ:僕はどこにも遊びに行くところがない。僕はみんなから、まるで狐のように見えるんだ。僕はもう遠くへ行ってしまいたい。    みんなから離れてどこまでもどこまでも行ってしまいたい。それでも、もしカムパネルラが僕と一緒にきてくれたら、そして二    人で、野原やさまざまの家をスケッチしながら、どこまでもどこまでも行くのならどんなにかいいだろう。けれどそう言おうと    思っても今は僕はそれをカムパネルラに言えなくなってしまった。僕はもう空の遠くの方へ、たった一人で飛んで行ってしまい    たい。
 
        ジョバンニ、ラッコの上着が来るよ。ジョバンニ、ラッコの上着が来るよ。
        歩き出す。ジョバンニ。耳を押さえても聞こえてくる。
        探偵が浮かぶ。女2もいる。歩きながらやがて再び駆け出すジョバンニ。懸命に走っている。
 
探偵 :彼は、こうして7年前ケンタウルスの祭りの夜消息を絶った。
女2 :ジョバンニが?
探偵 :そうだ。
女2 :おかしいわ。消えたのはカムパネルラではなくて。
探偵 :確かに。
女2 :なら、なぜ。
探偵 :混乱しているんだよ。
女2 :なにが。
探偵 :だから、本がさ。
女2 :本?
探偵 :ああ、たぶん本が違うんだ。
女2 :何を言ってるのかわからない。脈絡ないこと言わないで。
探偵 :覚えがないか。
女2 :何を。
探偵 :こいつに。
 
        ざわめき声。おちたぞーっ。こどもがおちたぞーの声。    
        ジョバンニ、立ちすくむ。
    
ジョバンニ:どうしたんです。
男  :子どもが落ちたんだ。足を滑らしてね。
子供1:ジョバンニ。カムパネルラが川へ入ったよ。
ジョバンニ:どうして、いつ。
子供1:ザネリがね、船の上から烏瓜のあかりを水の流れる方向へ押してやろうとしたんだ。そのとき船が揺れたから水へ落ちた。する    とカムパネルラがすぐ飛び込んだ。そしてザネリを船の方へ押してよこした。ザネリはカトウにつかまった。けれど、カムパネ    ルラは見えないんだ。
ジョバンニ:みんな探しているんだろう。
子供1:ああ、すぐみんなきた。カムパネルラのお父さんも来た。けれどみつからないんだ。
女2 :けれど、みつからないんだ。・・私、覚えていない。何よ、これ。
探偵 :そんなことはない。混乱しているだけだ。
女2 :なにが。
探偵 :だから、本がさ。こんな風に。・・・おーい、カムパネルラ、いつまでしかめっつらしてるのさ。もっと楽しめよ。本なんて読    んでなくてさ。せっかくのケンタウルスの祭りだろ。ほら。
女1 :楽しんでるよ。ザネリ。
探偵 :楽しんでるって?祭り最中に本なんか読んで?冗談だろう。優等生はつらいよなー。
女1 :別に。
探偵 :べつにだって、お前ねえ、よくそんなに平気でいられんなあ。    
女1 :父さんとの約束だからね。
探偵 :そんなん、むしむし。おれ、本なんか読んだことないぜ。
女1 :烏瓜流そうよ。
探偵 :へいへい。おい、さっさと用意しろ。おっ、あれ親父だぜ。なにしてんのかなあ。カムパネルラ、お前の親父来るってか。
女1 :こないよ。
探偵 :へーっ、祭りの夜だってのに。何してんだ。
女1 :仕事。
探偵 :ごくろうさまだな。じゃ、景気よく行こうぜ。ほーら、ケンタウルス露を降らせ!
女1 :危ないよ、ザネリ。
探偵 :大丈夫だよ。ほら、ケンタウルス露を降らせ!
女1 :危ないよ。
探偵 :うるさいな。そんなに言うならもっとやってやろうか。ほら!ケンタウルス露を降らせ!
女2 :(思わず)危ない、ザネリ!
 
        ザネリ川へ落ちる。
 
探偵 :助けて、カムパネルラ!
女2 :まってて。・・お父さん・・ぼくは行くよ。
 
        飛び込む、カムパネルラ。本を差し出す。
 
探偵 :助けてくれよー。
女2 :これに、捕まって。
探偵 :これかー!
女2 :しがみつかないで。おぼれるよ!ザネリ、しっかりして!
探偵 :わかったよ。わかったから、早くしろよ、早くーーー。
女2 :そんなに、しがみついちゃダメだ。ザネリ、手を離して!
探偵 :おぼれてしまうよー。
子供2:こっちだ、ザネリ!捕まって。
探偵 :ああ、早くしろよ。
子供2:そらっ。
 
        ザネリを引き上げる。ザネリ、本を持っている。
        
子供2:その本は。
探偵 :カムパネルラが・・。
子供2:そうだ。カムパネルラは、・・カムパネルラ。カムパネルラ!カムパネルラーっ。
 
        父がいる。
 
父  :もう駄目です。落ちてから45分たちましたから。
 
        カムパネルラ、呆然と立っている。
 
カムパネルラ:とうさん。
父  :もう結構です。ありがとうございました。
カムパネルラ:とうさん。僕ここにいるよ。聞こえないの。
父  :皆さんももうお引きとり下さい。
カムパネルラ:父さん、何言ってるの。僕は此処にいるじゃないか。
父  :はい。もう駄目です。落ちてから45分立ちましたから。
カムパネルラ:そんなこといわないで。もうだめかどうかわからないじゃないか。
父  :あなたはジョバンニ君でしたね、今晩はありがとう。
カムパネルラ:どうして、そんなに、がまんしていられるの。
父  :あなたのお父さんはもう帰っていますか。
カムパネルラ:どうして、そんなに平気でいられるの。
父  :どうしたのかなあ、僕には一昨日たいへん元気な便りがあったんだが。
カムパネルラ:どうしてそんなに、嘘をついていられるの。ジョバンニのお父さんが刑務所に入ってるの誰だって知ってるよ。
父  :今日あたりもう着くころなんだが。船が遅れたんだな。
カムパネルラ:どうして、そんなに優しくしてられるの。
父  :ありがとう、よくしてくれて。カムパネルラも幸せです。
カムパネルラ:どうして、そんなに、強いの。
父  :ジョバンニさん、あした放課後みなさんとうちへ遊びにきて下さいね。
カムパネルラ:お父さん。
父  :ありがとう。どうもありがとう。
カムパネルラ:お父さん。お父さん!
父  :では、さようなら。
カムパネルラ:僕の声が聞こえないの。僕は、ここにいるよ。そんなところじゃない。僕はここにいるよ。ごめんなさいお父さん。僕は    本当はお父さんが大好きだ。ほら、ぼくの心臓の音を聞いてよ。こんなにどきどきしているんだ。もう苦しくて、だから、答え    てよ。僕の名前を呼んでよ!お父さーん!
女1 :お茶でもいかが。
 
★四月の暑い夜3
 
        女1、でてくる。本を持っている。
 
女2 :あなたは。
女1 :やっと、思い出したわ。
女2 :えっ。
女1 :あなたが言ったのよ。
女2 :何を。
女1 :これ。
 
        本を見せる。
 
女2 :それは。 
女1 :私の「銀河鉄道の夜」。
女2 :どうして。
女1 :だれも教えてくれないんだもの。往生したわ。あなたは、どうしたの。
女2 :何を。
女1 :本よ。
女2 :本。
女1 :なくしたの?そんなはずないわね。今まで読んでいたもの。
女2 :えっ。
女1 :私も読んでいたのに。忘れていたわ。
女2 :ずっと待っていたの。
女1 :ええ。
女2 :ここで。
女1 :そうよ。
女2 :一人で。
女1 :一人で。
女2 :だれも来なかったの。
探偵 :だれも来やしないよ。
女1 :探偵さん。
        
        探偵、出てくる。本を持っている。
 
女2 :どういうこと。
探偵 :ここには、だれもいない。おれたち以外には。
女2 :うそ。
探偵 :・・考えて見ろ。俺が、調べ始めてずいぶん立つ。
女2 :七年間よ。信じられないわ。
探偵 :そのあいだ、おれたち三人のほかにだれかいたか。
女2 :いたじゃない。
探偵 :だれが。
女2 :ジョバンニ、ザネリ、ウエイター
女1 :カムパネルラ、鳥捕り、大学士、助手。
探偵 :先生、探偵・・・なるほど確かに。けれど気がつかないか。
女2 :何を。
探偵 :皆、誰かに似てはいなかったか。
女2 :えっ。
女1 :いわれれば。・・先生、あなたにそっくりだった。助手はあなたに似てたわ。
女2 :でも、そんなことって・・・ありえない。
探偵 :4人目を見たことがあるか。誰か私たちの全然知らない人がいたか。君は見たか。
女1 :いいえ。
探偵 :君はどうだ。
女2 :・・・見なかったわ。
探偵 :そうだ。ここにはほんとうは自分が誰かもわからない三人しかいない。
女2 :ここ?ここってどこよ。
探偵 :わからないからここだよ。迷いの森と言ってもいい。俺たちはいつからかここにいて、そうしてこいつを読んでいる。
 
        「銀河鉄道の夜」がある。
 
女2 :私、カムパネルラなの。
探偵 :かもしれない。
女2 :この人はジョバンニ?
探偵 :どうだろう。
女2 :結局、何にもわからないのね。
探偵 :悪かったな。。
女2 :腕の立たない探偵さんだわ。
探偵 :ただ。
女2 :何?
探偵 :・・ここはとても寂しい場所だ。
女1 :寂しい?
探偵 :そうだ。・・・何もない。俺たちだけだ。ほかには何もない。あるのはこの「銀河鉄道の夜」だけだ。
女2 :・・「銀河鉄道の夜」
 
        本を見る女2。
        沈黙が落ちる。疲れた三人がいる。静かな夜。それぞれに、思い思いの沈黙。やがて。
 
女1 :・・そうか。
女2 :信じられないな。
女1 :あら、あたしには信じられる。
女2 :何を信じるというの。
 
        女1立ち上がる。
 
女2 :どうしたの。
女1 :風が吹いたわ。
女2 :ほんと?
女1 :風が吹いている。
女2 :ほんとうだ。
女1 :五月の風。凛々と吹く午前十時。
女2 :天空に雲流る青の五月は幸いなれ。汝はその草原に白爪草の葉をつみて幸いの印をば探さんと。
女1 :ある、四葉のクローバー。
 
        女2、ポケットから取り出す。
 
女2 :あるわ。・・・不思議ね。
女1 :あると思った。・・・真実よ。絶対これは真実よ。
女2 :何が?
女1 :すべてが。
女2 :すべて?
女1 :そう、言ったこと、聞いたこと。みんな全部。探偵さんの話も、あなたの話も、私の話も、全部ほんとうのことよ。「銀河鉄道」    だわ。
女2 :どういうこと、わからない。
女1 :三人なのよ、そう、三人なんだわ。探偵さん、もう一度言って!あの宇宙気流の話を。
探偵 :宇宙気流。
女1 :言ったでしょ。私たちは、大切な人を待っている。それが命だって。
探偵 :・・ああ。
女1 :それよ。
 
        女1確信ありげ。他のものはわからない。
 
女1 :わからない?
女2 :わからない。
探偵 :どういうことだ。
女1 :あなたのことば、私のことば、探偵さんの話、私の話、全部つながってて、全部バラバラ。
女2 :だから。
女1 :だから、そういうことなのよ。
女2 :何が。
女1 :聞いて!
女2 :何を。
女1 :ほら!
 
        風の音がする。
 
女2 :風?
女1 :違うわ。私の音よ。
女2 :えっ。
女1 :あなたの音よ。
女2 :どういう音。
女1 :落ちている音。あなた、言ったじゃない、聞こえるって。青いガラスの中を落ち続ける私の音よ。ジョバンニとカムパネルラが    見ていた砂時計の音よ。
探偵 :聞こえる。
 
        鼓動音とともに。
        ジョバンニ、ラッコの上着が来るよ。
 
★砂時計
 
女1 :そう、本を開いて。
 
        それぞれ、本を開く。
 
女1 :音を聞いて。
 
        鼓動音ゆっくりと強くなる。
 
女1 :・・・砂時計覚えてる?
女2 :あの大きな青いやつね。図書室の。
女1 :そう。いつまでも、いつまでも落ち続けていた。
女2 :それがどうかしたの。
女1 :ここ、寂しい場所だって、探偵さん言ったわ。
女2 :ええ。
女1 :どうしてだかわかる。
女2 :いいえ。
女1 :ここが、あの砂時計みたいにだれも入ってこれないからよ。
女2 :えっ。
 
        鼓動音の彼方から、なにかが聞こえてくる。
 
女1 :私たち、あの青いガラスの砂時計の砂みたいに閉じこめられてるわ。ただ、落ちて、落ちて落ちて行くだけの繰り返しよ。誰も    来ない。
女2 :落ち続ける・・。
女1 :そんな中から声が聞こえるの。
女2 :声?
女1 :聞こえるでしょう?
 
        本を聞く。
        密やかな声が聞こえる。鼓動音が強くなる。
 
女1 :探偵さん言った。もし、何冊もの銀河鉄道の夜があったらと。・・いいえ、あるのよ。きっとあれがそうだわ。落ち続ける、一    粒一粒の砂のような声!
 
        鼓動音止まる。声だけが反射する。
        ジョバンニ、らっこの上着がくるよ。お父さんはなにもわかっちゃいない。
 
女2 :あれが。
女1 :あなた、聞いてたわ。あの声を。あれが「銀河鉄道の夜」なのよ。
 
        お父さんは・・・
 
女1 :あなたのよ。私のはこれ。
 
        ジョバンニ・・・
        もっと遊んでおいで。
 
女1 :母さんのよ。
 
        証明。証明。この世は証明。
 
女2 :大学士だわ。
 
        今こそ、わたれ渡り鳥。
 
女2 :これは鳥取り。
 
        いろいろな声が重なる。砂粒のように、風のように。そして消えて行く。
 
女2 :ほんとうだ。声が流れ落ちて行くわ。
女1 :それぞれの本だわ。私たちはそれぞれの本を読んでいる。
 
        
 
女2 :混じりあうことのない一粒の砂。寂しいわけだわ。みんな、ひとりだもの。
女1 :でも、探偵さん言ったよね。風が吹いてるって。
探偵 :宇宙気流?
女1 :そう、わたしたち。つながるもう一人を待ってるって。
探偵 :必ずやってくるその人のためか・・・
女1 :そうね。
女2 :わかったわ。じゃ落ちつづけるしかないわけね。
女1 :そう、それぞれの本を閉じてね。
女2 :本を閉じて。
女1 :風を待つのよ。本当の幸いのために。
探偵 :罪なことするな。 
女1 :誰かしら。
探偵 :作者に決まってるさ。
女1 :違いない。
 
        三人、笑う。
 
女1 :では。
女2 :それぞれの道を。
探偵 :それぞれの道を。
女2 :いつかきっと、どこかであいましょう。
探偵 :五月の風が吹いたらな。
女2 :そう、はるかな五月の風吹く空で。
女1 :再びあうために。
三人 :こうして、本を閉じる。
 
        ぱたりと本を閉じる。世界が転回する。
 
★再び天気輪の丘・・銀河鉄道の夜
 
        ごうごうと音がする。五月にはふさわしくない激しい風だ。風景が急速にたそがれる。夜がやってくるのだ。
        「銀河鉄道の夜」がやってくる。遠くで汽笛が鳴る。ジョバンニがいた。
 
ジョバンニ:あれは。
カムパネルラ:やってきたんだよ。銀河鉄道がね。
ジョバンニ:銀河鉄道・・・。
カムパネルラ:汽車が来るんだ。これが最終だ。
ジョバンニ:のっているのかい。
カムパネルラ:ああ、誰もが乗っているよ。
ジョバンニ:父さんも。
カムパネルラ:それはわからない。けれど、確かなことは、僕が乗ることだ。
ジョバンニ:僕も乗るよ。
カムパネルラ:君には無理だ。
ジョバンニ:どうして。言ったじゃないか。いつまでもどこまでも一緒にいくって。
カムパネルラ:それは・・・
ジョバンニ:カムパネルラ、言ったよ。僕たちいつまでも一緒に行こうって。
カムパネルラ:・・ジョバンニ、言ったのは君だ。
ジョバンニ:それがどうしたの。僕が言おうと君が言おうと関係ないよ。僕たちは一緒に行くんだ。どこまでも、どこまでも。
 
        汽笛が近づく。
 
カムパネルラ:でも、君にはかあさんがいる。
ジョバンニ:それは・・・。
カムパネルラ:牛乳瓶、届けるんだろ・・・。
ジョバンニ:・・そうだ。
カムパネルラ:もうすぐつく。
ジョバンニ:・・行くんだね。
カムパネルラ:ああ。
ジョバンニ:君一人で行くんだね。
カムパネルラ:・・ああ。
ジョバンニ:本当に、君一人で。
カムパネルラ:ああ。
ジョバンニ:・・では、・・いいよ。
カムパネルラ:ジョバンニ。
 
        汽笛なる。まもなく到着。
 
ジョバンニ:・・汽車、くるよ。
カムパネルラ:・・そうだね。でも、ジョバンニ。
 
        汽車がやって来た。
 
ジョバンニ:来たよ。ほら、早く乗らなくては。
カムパネルラ:ジョバンニ、聞けよ!
ジョバンニ:・・何。
カムパネルラ:ぼくが本当にいきたいと思うの。
ジョバンニ:カムパネルラ。
カムパネルラ:だれだって、本当の心はわからない。本当の幸いなんてあるのかもわからない。けれど、いかなくてはならないときはあ    る。五月の風が吹いているからね。・・・ジョバンニ、これをあげよう。
ジョバンニ:・・・
カムパネルラ:幸運の印だよ。
 
        白爪草を渡す。風が吹く。
 
カムパネルラ:ああ、お父さんは、僕を許して下さるだろうか。・・・では、さよなら、ジョバンニ。
ジョバンニ:本当にゆくんだね。
カムパネルラ:・・ぼくの本をよろしく。
 
        汽笛が鋭くなる。出発だ。
        風の音が大きくなる。ジョバンニ、立ちすくんでいるが駆け出す。溶暗。
 
★エピローグ
 
        風の音が消える。
        溶明。女2がいる。
        ジョバンニがやっと帰ってくる。
 
女2 :ジョバンニ?
女1 :・・・・
女2 :ジョバンニかい?
女1 :・・ただいま。
女2 :ああ、お帰り。・・・ミルクがあるよ。あったかいからお上がり。
女1 :・・ああ、ぼくは飲みたいと思う。
 
        女1、席につく。
        汽笛が鳴る。
 
女2 :誰か行くんだね。
女1 :ああ、だれも、きっと行くんだよ。
女2 :お前は。
女1 :僕は・・帰ってきたよ。
女2 :・・そうだったね。ミルクをお上がり。たんとおあがり。・・あったかいよ。
女1 :・・ああ。あったかいよ。
 
        女1、ミルクを飲む。ためらいながら、やがて熱心に食べる。
        汽笛が再びなる。
 
女2 :誰か行くんだね。
女1 :ああ、僕は帰ってきた。
女2 :・・カムパネルラさんは?
 
        女1、ミルクをゆっくり飲む。
 
女1 :・・・カムパネルラは・・帰らない。
 
        女1、熱心に食べる。
        女2、いとおしそうに見守る。
        汽笛が再び鳴る。鋭く鋭くなる。
        女1、食べるのをやめる。
 
女1 :さよなら・・カムパネルラ。
 
        女1再び熱心に、熱心に食べ続ける。見守る女2。子どもと母がいる。
        情景が急速に遠くなるとともに、風の音が聞こえる。宇宙気流の音だ。何もない暗黒の大宇宙を吹き抜けていく孤独な        音が聞こえる。びょうびょうとびょうびょうと吹き抜けている音だ。女1食べるのをやめて、ふと、聞き耳を立てた。
 
女1 :・・・カムパネルラ?
 
        風だけが五月の宇宙を吹きわたっていく。
        女1、風の音を聞きつづける。
        
                                                        【 幕 】参考文献:宮沢賢治「銀河鉄道の夜」(筑摩書房「宮沢賢治全集」九・十巻初期形・完成稿)
     浦沢直樹「喜びの壁」(小学館「MASTERキートン」第4集)    


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