作/結城 翼
登場人物
ジョバンニ
カムパネルラ
ザネリ
ホタル
よだか
かま猫
ブドリ
先生
生徒達
教官
駅員
セールスマン
老人
警備員
人々
(メイン以外は適宜 ダブルトリプルで可)
Ⅰ 核シェルター前・「魂祭りの日」
「魂祭り」古代、ヤマトの民は、大晦日の夜、死者たちの魂が還って来ると信じ、身を清め魂を祭った。「魂祭り」という。私と私につながるもの達がかえってくる日である。
暗黒。
たゆとうような「魂祭り」の音楽。
緊急警報の音・20世紀最後の日・警報に重なって非常放送。無機的な声。
「警告レベル、警告レベル。ユーラシア連邦より核弾頭登載ミサイル群多数侵入中。15分後に着弾。市民のみなさんは至急シェルターに避難して下さい。あわてないで下さい。10分の余裕があります。……警告レベル7、警告レベル7。ユーラシア連邦より核弾頭ミサイル群多数侵入中。市民のみなさんはシェルターに避難して下さい。……(口調が変わる)あと三分で第一次隔壁が閉鎖されます。市民のみなさんは急いで下さい。市民のみなさんは急いで下さい。……ただいまシェルターが閉鎖されました。あと五分でミサイルが着弾します。間に合わなかった市民のみなさんの御幸運をお祈りします。最後まであきらめないで下さい。御幸運をお祈りします。……ミサイル着弾。(壮烈な光り)……レベル7解除。レベル7解除。非常訓練の終了です。市民のみなさんのご協力を感謝します。シェルターに間に合わなかった方はセンターでスタンプをお願いします。この次は頑張って下さい。あなたの生存がかかっています。非常訓練終了です。日常業務にとりかかって下さい……」
冬にしてはなま暖かく、霧が立ちこめる12月。
非常訓練の終了と共に日常雑踏が戻って来る。
核シェルター前。市民たち、こわばった表情で足早に通り過ぎて行く。保安隊の一群がパトロールをしている。シェルター保安協会員、パンフの配布とスタンプチェックを行っている。ジョバンニならぶ。生徒たちの一群、シェルターから出てくる。
生徒たち やあ、ジョバンニだ。また遅れてら。
ザネリ ジョバンニ、スタンプおしたかい!(生徒たちくすくす笑い声が聞こえる)
生徒 スタンプ押したかい
生徒 魂祭りはじまるぞ!
生徒 むりむり、間に合わないよ!
生徒 スタンプはやくおさなくちゃ。(くすくす声)
ジョバンニ、取りあわない。
ザネリ ジョバンニにいってやれよ。
生徒 カムパネルラいきてるって?
生徒 うそだろ。
ザネリ 俺、みたもん。
生徒 いつ。
ザネリ 昨日の夕方。
生徒 どこで。
ザネリ ここの前で。
生徒たち、えー。ほんとにーなどと
生徒 カムパネルラ何してた。
ザネリ 何も。たってただけ。
生徒 気持ち悪いなあ。ザネリ、夢見てたんじゃないの。
生徒 ばけてでたんですよ。魂祭りだし。ねー、ザネリさん?
生徒 変な声だすのやめろって。
ザネリ ばかいうなよ。おれ、化けてでられるはど悪いことなんかしてねえよ。……なあ。
ジョバンニ ザネリその話、本当?
ザネリ へっ、俺、お前とちがって嘘つかないもんな。ジョバンニ、お父さん帰ってきたかい。
生徒 そうさ、ジョバンニ。ラッコの上着どうしたのさ。うそつき。もう、大晦日だよ。
生徒 ラッコ、ラッコ。嘘つき、ラッコ。
ジョバンニ うそじゃない。もうすぐ父さんが帰ってくるんだ。
生徒 へーっ、お父さんが帰って来るんだ。
ザネリ ジョバンニ、スタンプおしたかい。
生徒たち ジョバンニ、スタンプ押したかい!(かけさる)
ジョバンニ ああ、押すさ。それがなんだい。(というが、相手はもういない)
保安隊、大和維新の歌を歌いながら、行進する。
シェルター保安協会員、声を枯らして整列を呼びかけている。
ホタル、立っている。ジョバンニを見ている。
ジョバンニ 僕だって押したくて押してんじゃないや。
ホタル ジョバンニ……
ジョバンニ 何だよ! ……あれ、……君、誰?
ホタル ホタル、私、ホタル。覚えてない?
ジョバンニ そういや、君も遅れたね。
ホタル あなた、4回目でしょう。もう一度遅れると、強制訓練よ。
ジョバンニ 余計なお世話さ。遅れたくて遅れてるんじゃないんだ。……ただ、人を押しのけるのはね……
ホタル やさしいのね。
ジョバンニ とろいからさ。
ホタル ううん。カムパネルラ言ってた。ジョバンニは実に大した奴だって。
ジョバンニ 君、カムパネルラ知ってるの。
ホタル ええ、少しね。
ジョバンニ そうか。ねえ、噂、知ってる。
ホタル ええ。でも、死んだ人は還らないわ。
ジョバンニ 今日は、魂祭りだよ。
ホタル 魂祭りでもね。はい、あなたスタンプよ。
ジョバンニ、スタンプを押される。もう一回だけだよと言う、警告を受けている。
ホタル見ている。
ジョバンニ まいったなあ。説教が長くって。君の番だよ。
ホタル わたしいいの。
ジョバンニ えっ、でも、君遅れたんだろう。
ホタル、青く透明な切符を出す。強制訓練の通知である。
ホタル だからね。わたしはいいの。(寂しく笑う)
ジョバンニ 君……
ホタル 元気出したかっただけ。あなたと話せてよかったわ。ジョバンニ5回目遅れたら駄目よ。頑張ってね。
ジョバンニ 強制訓練はどこでやるの。
ホタル わからない。核戦略センターかな。
ジョバンニ いつから。
ホタル 夕方から。そうね、魂祭りが始まる頃ね。……いけない。ジョバンニ、授業が始まるわ。元気でね。いつかまたね。
ホタル、去ろうとする。
ジョバンニ ねえ、カムパネルラどうしてしってるの?
ホタル、悲しげだが答えないまま去る。通行人たち足早に通り過ぎる。ホタルを、見送るジョバンニの脇を、カムパネルラの影が通りすぎる。
ジョバンニ カムパネルラじゃないか。生きてたんだね。うわさ、本当だったんだね。
ジョバンニ、駆け寄ろうとする。カムパネルラ薄く笑った。幻と見えて消える。
ジョバンニ カムパネルラ!
警報解除の放送が再びながれる。立ち尽くす、ジョバンニ。
暗転。
Ⅱ 「特別授業」
教室がある。特別授業が始まっている。
先生 さて、みなさんは、今日は、朝からたいへんでした。防空演習があったり、特別授業があったり、防空演習はしっかりできましたか。
ザネリ 先生、ジョバンニたち、またスタンプ押されてます。
先生 ジョバンニさん。頑張るんですよ。命がかかってますからね。
生徒 先生、本当にミサイル来るんですか? お父さん大丈夫っていってたけど。
生徒 うちの叔父さん、ひょっとしたらひょっとするって。(おまえんち防衛省だからなとかやべえとか)
先生 はい、静かに。そんなことは、大人に任せて。皆さんは心配しなくてよろしい。(その大人が問題だよなとか)はい、わかりました、静かに。戦争にならないように、大人は一生懸命に頑張っているんです。それを信用して、取り合えず、特別授業です。わかりましたか。(はーい)では、ザネリさん。今日は何の日かいってごらんなさい。
ザネリ えっ……、えーっと魂祭りです。
先生 そうです。死んだ人の魂が還って来る日です。私たちは、去年大切な人をなくしました。……(皆なんともなしに、主のいない椅子を見る。ジョバンニも見る)ジョバンニさん。
ジョバンニ は、はい。
先生 そのほかに、ありませんか。今日は、本当に大切なかけがえのない一日なのです。
ジョバンニ ……
先生 ザネリさん。
ザネリ 二十世紀最後の日です。
あ、そうだそうだ。明日は二十一世紀かあなどと。
先生 そうです。ザネリさん。おすわりなさい。ジョバンニさんもおすわりなさい。そうです。今日で世紀も終りです。明日からはあなたがたのおじいさんや、おばあさんが夢見た、世紀が始まります。私たちの生きた二十世紀は戦争の歴史でした。私たちはいまだにそのつけを払いきっておりません。残念ながら私たち人間が賢くなるにはまだまだ時間が必要です。私たちはこの大切な日に、何をすべきかについて考えてみなければなりません。……それでは授業に戻りましょう。星図盤をご覧なさい。ぼんやりと白いものが流れていますね。では、みなさんは、そういうふうに川だと言われたり、乳の流れた後だと言われたりした。このぼんやりと白いものが本当は何か知っていますか。
ザネリ手をあげる。四五人手を上げる。ジョバンニ手をあげようとしてやめる。
先生 ジョバンニさん。あなたは分かっているのでしょう。
ジョバンニ、勢いよく、たつ。が、答えられない。
先生 この流れを銀河といいます。大きな望遠鏡で銀河をよっくしらべると銀河はだいたいなんなのでしょう。……(クラスの冷笑)では、ザネリさん。
ザネリ 星が集まったものです。
先生 よろしい。(おーと言う声。ジョバンニも知ってはいたのだ。)あのぼんやりと白い銀河を大きないい望遠鏡でみますと、もうたくさんの小さな星に見えるのです。銀河はそれら小さな星星が、……個集まってできています。直径万光年。光が何万年もかかってやっとつく距離。私たちは、その銀河系のはしにいるのです。(でっけえのなどと)そうです……。大きいです。でも驚いてはいけません。宇宙は、こうした、銀河系か、……も集まってできています。(生徒たちのおどろき)
先生 でも本当に考えてもらいたいことは、私たち人間を載せたこの星が一秒間に……キロ、私たちの銀河が……キロの早さで、飛び続けているということです。私たちは、考えもつかない早さで、銀河宇宙を移動し続けているのです。はい、ザネリさん。
ザネリ いつからですか。
先生 いい質問ですね。ザネリさん。それはたぶん私たちの住むこの銀河宇宙ができたときからです。それをビッグバンといいます。
生徒たち ビックバン……
生徒 なぜですか?
先生 それは残念ながら、わかりません。なんのために移動し続けるのか。それどころかいつ終わるのかも分かりません。それでも私たちは時間と空間の中を移動し続けます。このことは、人間にとって何を意味するのでしょう。良く考えてご覧なさい。(むつかしいな、おまえわかるかなど)……ヒントをあげましょう。風媒花という花を知ってますか。はい。
生徒 風で受粉する花のことです。
先生 よくできました。ではたとえばどんな花がありますか。
生徒 ……
先生 よろしい。すわって。……じつは私たちが食べているご飯やパンのもと、すなわち稲や麦がそれです。稲や麦は風によって生命(いのち)を受け継ぎます。虫によって生命を受ける虫媒花。鳥によって生命を受ける鳥媒花。みんないずれもそれ自体では生命を受け継ぐことはできません。風や、鳥や虫の助けを借りなければなりません。風や鳥や虫は生命を運んでいるのですね。私たちが旅をしている、銀河宇宙をご覧なさい。鳥や虫はいません。でも風は吹きわたっています。
生徒 先生、宇宙に風なんか吹いてるんですか?
先生 はい。吹いています。銀河の端から端までもうずーつと吹きわたるのです。
生徒 銀河の端から端までですか。
先生 (うなづいて)宇宙気流と言います。
生徒たち 宇宙気流……
先生 目に見えない宇宙の細かい塵がこの風にのって銀河を吹きわたって行くのです。そうして何億年、何十億年もの後、風は宇宙に一つの小さい屋を生み出すのです。そうして生命は生まれます。
生徒 それでは僕たちは何なんですか。
先生 私たちは、この宇宙を吹きわたる風です。
ジョバンニ 風……
先生 そうです、ジョバンニさん。私たちはそれ自体ではなんの役目も果たすことはできません。でも、私たちが存在し続けることは一つの大きな奇跡につながってゆくのです。どんなに悲しく辛い時代であっても、みなさんはそれをなすためにあることを決して忘れてはなりません。
終業の鐘がなる。
先生 残念ながら時間がきました。明日からはいよいよ二十一世紀が始まります。あなた方の世紀です。……いいですね。ジョバンニさん。
ジョバンニ ……はい。
先生 それではおわります。
ザネリ 起立! 礼!
Ⅲ 「魂祭り」 へ
「授業」終る。生徒たち、魂祭りだ-などとかえる。残されたジョバンニ星図盤を見ている。
……カムパネルラ、いつのまにか椅子に座っている。星図盤光る。ジョバンニ、カムパネルラを見る。
ジョバンニ カムパネルラ! さっき……
カムパネルラ みんなはね、ずいぶん走ったけれども遅れてしまったよ。ザネリもね。ずいぶん走ったけれども追い付かなかった。
ジョバンニ なんのこと。
カムパネルラ、こたえない。あかるく。
カムパネルラ ああ、しまった。ぼく水筒を忘れてきた。スケッチ帳も忘れてきた。けれどかまわない。ジョバンニ、魂祭り行くかい。
ジョバンニ 行きたいと思う。
カムパネルラ じゃ、待ってる。きっとおいでよ。帰ってくるんだ。
ジョバンニ どこへ。
カムパネルラ 天気輪の駅。
ジョバンニ わかった、きっといくよ。でも、だれが帰ってくるの。
カムパネルラ、透明な声で。
カムパネルラ おとうさんは、僕を許してくださるだろうか。
ジョバンニ カムパネルラ、なにかいけないことしたの。
カムパネルラ ぼくわからない。けれども、だれだって、本当にいいことをしたら、一番幸なんだねえ。だから、おとうさんは僕を許してくださると思う。
ジョバンニ カムパネルラ……
カムパネルラ 僕はあの時笑ったんじゃないんだ。
ジョバンニ 何のこと。
ザネリ (声)ジョバンニ、ラッコの上着がくるよ。
生徒たち (声) ジョバンニ、ラッコの上着がくるよ。
ジョバンニ なんだい。(振り返るが、生徒たちはいない)
カムパネルラ 僕は笑ったんじゃないんだ。
ジョバンニ (気づかず)僕はなんにもしないのに、どうしてみんなはあんなこというんだろう。お父さんだってきっとまもなく帰ってくる。今朝の新聞に今年は北の漁はたいへんよかったってあったもの。きっと、ラッコの上着を買ってきてくれる……
カムパネルラ (さりげなく)ジョバンニ、行列が通るよ。魂祭だ。
魂迎えの行列。行列「ポラーノの広場の歌」を歌いながら、窓の外を通りすぎてゆく。星図盤不思議な光。
まさしきねがいにいさかうとも
銀河のかなたにともにわらい
なべてのなやみをたきぎともしつつ
はえある世界をともにつくらん
行列ゆっくりと通りすぎていく。星図盤ひときわその存在を主張。ジョバンニ、星図盤に注目。
ジョバンニ カムパネルラ、ねえ、この星図をご覧よ。凄いよ。銀河が煙ってる。蠍や、人魚もいる。ああ僕は、どこまでもあの中を歩いてみたいなあ。
カムパネルラ 君は歩けるさ。どこまでも歩けるさ。
ジョバンニ カムパネルラ、君ならどこへ行ってみたい。
カムパネルラ 本当の幸いの道。
ジョバンニ 本当の幸いの道? ふーん。先生がいってた、宇宙の果ての果て?
カムパネルラ そうかもしれないね。でも、切符がいるんだ。
ジョバンニ 切符?
カムパネルラ 銀河鉄道の切符。
ジョバンニ へえ、銀河鉄道の切符か。いいだろなあ。
カムパネルラ そうだね。
ジョバンニ どうしたの。
カムパネルラ 牛乳瓶
ジョバンニ えっ。
カムパネルラ 君には牛乳瓶があった。
ジョバンニ ああ、牛乳瓶ね。母さんが病気だから、毎日飲まなきゃならないんだ。僕毎日取りにいってるよ。でも母さんいつも僕にいうんだ。ああ、お前先にお上がり、あたしはまだほしくないんだからって。いつも新聞配達してるだろう。だから、母さんいつもいうんだ。もっとあそんでおいでって。……そうだ、母さんのをとってこなくちゃ。僕大急ぎでとってくる。天気輪の駅だね。
カムパネルラ 待ってるよ。ジョバンニ。
ジョバンニ、ふりかえりながら去る。行列も去る。カムパネルラ一人たちつくす。
カムパネルラ ……もっと、あそんでおいで……。
歌声、再び大きくなり、暗転。
Ⅳ 強制訓練所
溶明。
訓練所。薄暗い部屋。ホタルたちがいる。単調なリズムが流れる。緩慢だが、苦しい訓練をしている。だれも何もいわない。ただ、苦しげな呼吸と冷たい教官の目が光る。それぞれが所属している椅子がある。腕立て伏せや、何やかや椅子に向かってしている。以下終わりまで集団的に訓練をしながら群唱
教官 休むな! 前を見ろ! 足上げて!
人々 僕たちの目はかすみ、身体は綿のよう。意識もうろうとする中で、僕たちはなぜかを問うことすら許されない。右、左、右、左、前、後ろ、前、後ろ、右、左、右、左……(以下、教官の台詞の間重苦しく続く)
教官 これは、君達の生存のためである。君達は、レベル訓練で落伍者である。だが、われわれは、諸君をそのままにしておくわけにはいかない。諸君も立派なわれわれの共同体の一員である。
独り、椅子から脱落してたおれる。
教官 椅子を離れるな。君の椅子だ。君の生命がかかっている。
また、一人、倒れる。教官黙ってけりあげる。
人々 美しい時間が流れる。ぼくたちはそのために生きる。世界でだれが愛そうと、世界でだれが憎もうと、世界でだれが喜ぼうと、世界でだれが悲しもうと、僕たちは美しい時間の中で生き続ける。これは、ぼくたちの断固たる意志なのだ。これは、僕たちの断固たる意志なのだ。
群唱しながら、ちぢこまってゆく。
ホタル 教官! 申し上げたいことがあります。
教官 なんだ。
ホタル わたしを見捨ててください。
教官 それはできない。
ホタル わたしをほっといてください。わたしは、落伍者でいいのです。私の自由にさせてください。
教官 それは、ゆるされない。
ホタル なぜですか。
教官 共同体の一員はいかなる理由があろうとも離脱することは許されない。それは、君の権利であるとともに義務なのだ。私には、それを保証する義務がある。
ホタル 義務? 核戟争が起こってもまだ義務をいうのですか。
教官 核戟争など起こりはしない。よしんば起こっても、諸君は、わが市民に変わりはない。安心したまえ。
ホタル 世界が全滅しても?
教官 たとえ、最後の一人になっても君の義務はあきらかだ。すばらしいじゃないか。世界のたそがれの中で、君はただ一人わが市民として世界をその手に収めるだろう。
ホタル 私が死んでも。
教官 わが市民として君は死ぬのだ。そのはかに道はない。
ホタル いやです。
教官 好みの問題ではない。
ホタル 私は拒否します。
教官 拒否などということばはわれわれの辞書にはない。
ホタル それでも私は拒否します。
教官 きみは誤解しているようだね。ここは、君の意志を問うところではない。君の義務を果たすところだ。
人々 僕たちは、何かに所属している。所属しなくては生きては行けない。所属しなくては生きることを許されない。
教官 君の義務をはたしたまえ。
単調なリズム、急迫。暗転。
Ⅴ天気輪の駅
溶明。夕景。のちいずれの時からかはしらねども銀河の広がりとなる。
カムパネルラ、立っている。遠くで、「ポラーノの広場」の歌声が聞こえる。重なり合うように、レベル7演習の声も聞こえる。汽笛がなる。アナウンスが聞こえる。駅員が出てくる。改札のようである。列車が到着する。乗客達が降りてくる。思い思いの方向へ去ってゆく。ジョバンニはまだこない。駅員も去る。なぜか、汽車にのろうとする乗客はいない。ジョバンニはまだこない。夕焼けが、始まる。レベル7演習の放送が再びどこからともなく聞こえる。駅員がやってくる。
カムパネルラ ……次は、いつつきますか?
駅長 今のが最後ですね。あとは、明日朝になりますが……
カムパネルラ そうですか……
駅長 どなたか、おまちですか……
カムパネルラ いいえ、帰ってきたんです……
駅長 は?
カムパネルラ いえ、いいんです。
駅長 今日は、もう到着便はありませんよ。
カムパネルラ いいんです。
駅長 乗られるんですか?
カムパネルラ たぶん……。
駅長 最終便にはまだ……45分ぐらいありますよ。
カムパネルラ ……ええ。
駅長 切符はお持ちですか?
カムパネルラ 持ってます。ずいぶん以前から……
駅長 予約されてたんですね。……いい旅を……
カムパネルラ はい。ありがとうございます。……
カムパネルラ寂しげに笑う。歌声微かに聞こえる。夕焼け強くなる。ジョバンニかけ込んでくる。
ジョバンニ ごめん。カムパネルラ。待った。
カムパネルラ 少しね。
ジョバンニ 牛乳なくってね。それで少し待っていたんだけれど。
カムパネルラ なかったのかい。
ジョバンニ うん。あとで来てくれって。魂祭の帰りによるよ。でも、母さんには一時間半で帰るって約束したから……
カムパネルラ それまでには大丈夫だよ。
ジョバンニ そうだね。じや、早くいこうよ。魂祭おわっちゃうよ。
カムパネルラ 大丈夫、おわりはしないよ。
不思議にも汽笛なる。彼らが帰ってきた。駅員は出てこない。
カムパネルラ 帰ってきたよ。
ジョバンニ えっ。だれが。最終便はさっきついてるはずだよ。
カムパネルラ 今日は特別なんだ。
ジョバンニ どうしてわかるの。
カムパネルラ それは、……魂祭だからさ。
ジョバンニ へえ、臨時便がでるのか……
疑わないジョバンニ。いいよどむ、カムパネルラ。
Ⅵ 「還ってきた人々」
世界は動き続ける人々のパノラマです。汽車は彼らをのせてやってきます。
ブドリ・よだか・かま猫・通り過ぎようとする。
よだか 疲れたな、兄弟。
ブドリ もう三日か。
かま猫 まる四日です。
ブドリ 似たようなものさ。
よだか 花はまだ咲かないか。
ブドリ いまのところまだ大丈夫のようだね。やすもうか。
かま猫 うん。
よだか かま猫、お前俺のそばへよるなよ。
かま猫 なして。
よだか お前いつもきたねえから。からだあらってるか。
かま猫 どうせ僕はかま猫ですから。いいんです。
よだか そうすねるなって。
ブドリ 祭が始まるね。
かま猫 なんのまつりですか。
よだか ああ、お前はじめてだったな。魂祭さ。きれいなもんだぜ。なつかしいな。ブドリは何年ぶりだい。
ブドリ わすれた。
よだか うそつけ。
ブドリ うそじゃないよ。ほんとにわすれた。君だってそうだろ。僕たちいつもいっぱい忘れてるじゃないか。
かま猫 ぼくなんかよく我を忘れます。
ブドリ ……(めげずに)きのうなんか、地図忘れるし、食料おいてくるし、おまけに宿代払うの忘れたろ。
よだか あれは踏み倒したの。
かま猫 そうか。踏み倒すというのか。いいな。今度僕も踏み倒してみよう。
ブドリ おいおい、おだやかじゃないね。
かま猫 でもどうやって自分を踏み倒すんだろう。
よだか かってに我を忘れてろ。
かま描 いいんです、どうせ僕なんかかま猫だし……
ブドリ まあ、まあ。忘れ物には違いないさ。
よだか 何が忘れ物には違いないだ。かっこつけるなって。
ブドリ 僕はそういうつもりは……
よだか お前はいつもそうだって。かっこつけなきゃ死にも出来めえ。あんときだって。
突然、ひたる。
よだか 先生このままではどうにもなりません。カルボナード火山島を噴火させましょう。
かま猫 それはできるだろう。けれども、その仕事に行ったもののうち、最後の一人はどうしても逃げられないのでね……
よだか 先生それを私にやらしてください。……だってよしゃいいのによ。
かま猫 それはいけない。君はまだ若いし、今の君の仕事に代われるものはそうはない。
よだか 私のようなものは、これからたくさんできます。私よりももっとなんでもできる人が、私より立派にもっと美しく、仕事をしたり笑ったりして行くのですから。
かま猫 ならば、わたしがやろう。僕は今年もう63なのだ。ここで死ぬなら全く本望というものだ。
よだか 先生、けれどもこの仕事はまだあんまり不確かです。先生が今度おいでになってしまっては、後なんとも工夫がつかなくなると存じます。
かま猫 ブドリ君。
よだか 先生。
二人ひしと抱き合う。
ブドリ 私は何も英雄になるつもりはありません。ネリやネリの子どもたちのためにやるのです。小いえ、たくさんのブドリのおとうさんやおかあさんが、たくさんのブドリやネリといっしょに、この冬を暖かい食べ物と、明るい薪で楽しく暮らすことができるためにするのです。……ネリによろしく言ってください。
よだか あーあ、何がネリによろしくだ。今時英雄なんてはやらねえぜ。
ブドリ そんなつもりで言ったんじゃないよ。
よだか じゃどんなつもりだい……
ブドリ (遠くを見る目)ただ、本当の幸いをさがしてたのさ。
かま猫 くっさー。う-ん。(と気絶)
よだか おめえの性だぜ。……おいかま猫。おきるんだよ。
かま猫、やくざとなる。目が坐っている。
かま猫 おい、まだ名前を変えないのか。よだかだって、へっ、お前の名前はいわば俺様と夜の両方から借りてあるんだ。さあ返せ。なに、できねえだと。もし明後日の朝までにお前がそうしなかったら、もうすぐつかみ殺してしまうからそう思え。
よだか おいかま猫、どうした?
かま猫、かまわずひたる。つられてブドリの台詞と共によだかあてぶり。
ブドリ いったい僕はなぜこうみんなに嫌がられるのだろう。僕は今まで、なんにも悪いことをしたことがない。それなのに、名前を変えろだなんて、つらいはなしだなあ。そうだ、もう僕は遠くの遠くの空の向こうに行ってしまおう。……僕はどこまでも、どこまでもまっすぐに空へ登った。寒さに息は胸に凍つき、吐く息はふいごのよう、寒さや霜はまるで剣のように僕をさす。もう落ちているのか登っているのかも分からなくなった。そして、ぼくはすこーし笑いながら、星になった。燐の火のような青い美しい光になって、静かにいつまでもいつまでももえつづけている。あれが、僕の星だ。
三人、遠くの星を指さす。よだか、あわててかま猫往復びんた。かま猫正気に戻る。
ブドリ いじけるのも嫌みなもんだね。
かま猫 ああ……(まだ少しぼけてる)
よだか ああじゃねえよ。ったく。俺は内気なんだよ。(誰が)で、お前はどうなんだ。
かま猫 へっ。私ですか。(完全に正気に戻った)
ブドリ そう。君だよ。君。
かま猫 私はいいです。かま猫ですから。
よだか よくねえよ。
かま猫 いいんです。どうせかま猫ですから。さきに行きます。いいんです。かま猫ですから……
かま猫去る。
よだか おい、かま猫。待てよ。泣くなったら……
ブドリ しょうがないね。君がいけないんだよ。
よだか ばかいえ、お前が変なことさせるから……
ブドリ (口調が改まる)花が咲きそうですよ。
よだか いつごろ。
ブドリ おそくて明日。
よだか いけね。いそがなきゃ。おーい、かま猫まてったらー。
ジョバンニ あの人達がついたの?
カムパネルラ おかしいな。(ジョバンニの問に対してでなく独り言)
ジョバンニ 随分変だったね。
カムパネルラ ああ変わっていた。(上の空)
ジョバンニ どこへいったんだろう。
カムパネルラ わからない。
ジョバンニ なんだかなつかしい気もするけれど。
カムパネルラ うん。(考え込むカムパネルラ)
ジョバンニ、カムパネルラにかまわず、歩幅を数える。
ジョバンニ (独り言)一秒間に2歩歩く。歩幅は75センチ。僕は一分間に120歩歩く。・・90メートルのことだ。一時間歩けば僕は5400メートル歩くことになる。24時間たてば、ええっと……僕は、128キロ未来にいる。そこが明日だ。……ねえ、カムパネルラ、明日は随分近いところにあるんだね。
カムパネルラ えっ? (何かに気を取られていた)ごめん、何だって。
ジョバンニ 明日って、ずいぶん近いんだね。
カムパネルラ 恐竜たちはもっと近いと思ってた。
ジョバンニ 恐竜?
カムパネルラ 地球カレンダーってあるんだ。父さんと、前博物館でみたよ。地球の歴史が年間に直されていた。1月1日地球誕生。3月29日生命の出現。春になって、やっと命が生まれる。11月16日三葉虫の全盛。1月27日魚が生まれる。12月4日両棲類。12月15日恐竜が出現。10日後恐竜達は、絶滅する。わずか10日。彼らは明日を考えていただろうか。
ジョパンニ 人間はいつ出てくるの?
カムパネルラ 今日。
ジョパンニ 今日? 魂祭。大晦日?
カムパネルラ そう、最初に立った猿が生まれたのは、ちょうど今ごろ。12月31日18時17分。ヒトの歴史はたったの6時間しかない。キリスト誕生はいつかわかる?
ジョバンニ さあ……
カムパネルラ 23時59分46秒。わずか、14秒前。
ジョバンニ じゃあ、ますます明日は近いね。キリストから、いままで僕が28歩で歩ける距離。ちょうど……20メートル。そうか……僕は、20メートルで過去を歩ける。21メートル先には、明日が待ってるっていうことだね。
カムパネルラ だといいね。
ジョバンニ そうじゃないの?
カムパネルラ こうも考えられるよ。僕たちは、歩く。21メートルの明日に。だが、たどり着くときは、何時もいまだ。僕たちは、また、21メートルの未来に向けて歩き続けなければならない。いつまでたっても明日は来ない。恐竜達は何を考えて歩いてたんだろう。
ジョバンニ 僕はそれでもいい。歩かなければ始まらないもの。
カムパネルラ ……そうだね。君はいつだって正しい。
ジョバンニ ……ありがとう。
カムパネルラ いこうか?
ジョバンニ うん。じや、21メートルの明日へ出発!
ジョバンニ、歩こうとするところへセールスマン登場。
セールスマン ちょっ、ちょっと。僕たち、ちょっと。ストップ! ストップ、ストップ。ジャスト ア モーメント。……ああよかった。いえね、汽車が遅れてさあ、もうたまんないのこれが。前の餓鬼はぎゃーぎゃー泣くし、母親の馬鹿、止めもしねえで、週刊誌見てるし、思いっきりはり倒してやりましたよ。やい、クソ餓鬼、この御札が見えねーか、恐れ多くもかしこくも、余は、つもり貯金のセールスマンであらせられるぞ、頭がたかーい。ひかえおろうーってんで。はっはっは。……いやね、そうしようと思ったわけ。つもり、ですよ。つもり。あーた。誠実、誠心誠意をモットーにするつもり貯金のセールスマンである私がいくらうっとうしいとはいえ、クソ餓鬼をはりたおしたりするもんですか。ほっぺた、知らぬ顔でつねっただけですわ。はっはっはっ。ま、これが、プロ根性いうもんでっしゃろなあ。思わず自分でつもり貯金してしまいましたがな。セールスマンの悲しいさがでおます……(としみじみしてしまう)
ジョバンニたち、呆れて見ているが歩き出すとも見えない。
ジョバンニ おじさん、誰?
セールスマン おっと、用件わすれるとこだった。はっはっは。
大仰な名刺を出す。星の光がする。
ジョバンニ わあ、星座のようだね。
カムパネルラ 銀河だから光るんだ。
セールスマン、あわてたように名刺を取り戻す。
セールスマン いやですね。ぼっちゃん。大人からかっちゃ。御存知なんですか?
ジョバンニ 何のこと。知らないよ。
カムパネルラ しらないよ。
セールスマン (疑わしそうにカムパネルラに)おたく、一緒の汽車に乗っていなかった?
ジョバンニ カムパネルラは僕といっしょにいたよ。
セールスマン ま、いいか。いえね。私はつもり貯金の勧誘員でね。あちこち、飛び回ってるもんです。はっはっは。本当なんですよ。つもりでいいんです。サラ金で借りたつもり。いっぱい飲んだつもり。車を買ったつもり、海外旅行いったつもり。愛したつもり、憎んだつもり、つもりが人生を作り、つもりで生きる。人間、つもりですよ。つもり。はっはっは。
ジョバンニ ぼくはなんにも、つもらないよ。
セールスマン はっはっ、こりゃまいった。坊っちゃん冗談がうまいや。ぼっちゃん……
ジョバンニ ぼく、ジョバンニだよ。
セールスマン こりゃ、失礼、失礼、はっはっは。ジョバンニさん、つもり貯金て御存知ですか。御存知ない。何、簡単ですよ。人間万事塞翁が馬、予定は未定、明日は明日の風が吹く。そうでしょ、ジョバンニさん。
ジョバンニ ?
セールスマン そうなんです。人は思いを残し、風の間に間に波の中、己の運命(さだめ)を月に見ます。嘘と思うでしょう。ふふん。あなたは嘘と思っている。はっはっは、いや、いわなくていい。あなたの目がそう語っています。こいつは詐欺師ではないか、あるいはたんに気が変か? そうなんですよ。皆さんそんな目で私をご覧になる。でもね、つもり貯金を一度でもやれば、人間万事万万歳。人間不信への河童、こよいあなたとどこまでもっ。はっはっは。つもり貯金は私たちの真実の姿を貯めておくもの。どうです心のオアシス。つもり貯金。進学コース、恋愛コース、出世コース。楽しい老後コース。いろいろ取り揃えておりますよ。どうです、ジョバンニさん?
ジョバンニ でも、お金なんてもってません……
セールスマン ほっはっは、なんのためのつもり貯金です。お金なんて、あーた払い込んだつもりでいいんですよ。はっはっは……ここんとこへね、ちょっとサインを……
ジョバンニ お母さんが、よく笑う人に気をつけろって
セールスマン はっはっは。こりゃまいった。こりゃわたしのくちぐせでね。
カムパネルラ サインしたらどうなるの。
セールスマン 人生いろいろ、保証は万全。落ち込んだとき、悲しいとき、勇気が必要なとき、いつでも引き出す、夢もよう。カードもありますよ。え-と、日曜祭日はダメだけどね。あとは、土曜・平日は6時まで。
ジョバンニ 便利なんだね。
セールスマン そうですとも。誰もがおっしゃいます。
カムパネルラ でも、何を払い込むの。
ジョバンニ ……僕、ダメだよ。お金もってないから。それに、うちはあんまり……
セールスマン とんでもない。坊ちゃん方からお金を取るなんて。そんなことかんがえただけでぞっとしますね。いえね、そりゃはやりの財テクでかせいでるガキもいる世の中、私どもとしましてもですね、お金をもらってもいいんですが、それじゃ人生夢がない、そうでしょ、はっはっは。私たちはびた一文だってもらいはしません。ほんとうですよ。
ジョバンニ じゃなに?
セールスマン 夢かな
ジョバンニ 夢?
セールスマン むつかしいことばでいえば蓋然性。なにせ最新の数理哲学理論の経済工学的応用とかいうようなもんで、いえね、あたしらただのセールスマンで、ようわかりませんが、まあこういうことですな。愛したつもり、あいされたつもり。貯金しますやろ。でもこれ可能性ですわ。一つの夢ですわ。現実厳しいよって、愛したつもりはうまくいっても、愛されたのはつもりで終わる。そんなことようけありますやろ。苦しいわ、死にたいわでどうにもこうにもなりゃしまへん。そんなとき、つもり貯金引き出すんですわ。えー気分になりまっせ。ああ、生きてることばすばらしいことや。あー明日もがんばろ。ってね。ま、ざっとこういうシステムですわ。実際には、もっともっと複雑ですけどね。
ジョバンニ ふーん。
セールスマン 人生生き生き。生きがい万一保証というとこですな。はっはっは、掛け金なんて坊ちゃんが生きてるってことだけでいいんですから。楽なもんですわ。
ジョバンニ 本当にそれだけ。
セールスマン それだけ。
ジョバンニ ねえ、カムパネルラ面白そうだね。入ってみようか。
カムパネルラ 僕入ったことあるよ。
セールスマン ?
カムパネルラ ザネリ助けたとき。
セールスマン ぼっちゃん?
カムパネルラ 僕は本当の幸いを見つけたつもりだった。でも僕はお父さんを悲しませたいちばん悪い子なんだ。
ジョバンニ カムパネルラ……
カムパネルラ ねえ、おじさん。払い戻しはしないの。本当の幸いコースを僕もう一度申し込みたい。ほんとうの幸いはないの?
セールスマン、まじまじ見る。厳しい顔つきになり。
セールスマン 大人をからかっちゃだめだよ。つもり貯金には、ほんとうの幸いはないことぐらい知ってるはずだろう。ほんとうの幸いのつもりならコースは用意してるがね。きみ、ほんとうにはいってた? いや、怪しいな。これは、おかしいぞ。顔をちょっと見せてくれ。
カムパネルラに、迫ってくる。カムパネルラ、ジョバンニ後ずさりする。
風にのって奇妙な歌声が聞こえる。
ぎょっとした、面持でセールスマンあわて出す。
セールスマン おっと、こりゃいけない。時間だ。じや、ジョバンニさん、またあとでよろしく頼みましたよ。おーい、まってくれー。
セールスマン、何かに追われる如く去る。
ジョバンニ おじさん! 待ってよ。ねえカムパネルラ、いっちゃうよ……いっちゃった。おしかったなあ。
カムパネルラ 惜しくないよ。
ジョバンニ 怒ってるの。ねえカムパネルラさっき入ったっていっただろう。
カムパネルラ でまかせさ……
ジョバンニ はんとに。
カムパネルラ ああ。(なんとなくとりつく島がない)
そのすきに老人がやってくる。
ジョバンニ、振り返ると、やおら、老人が何かを釣りはじめる。カムパネルラ黙っている。ジョバンニ、照れかくしに。
ジョバンニ おじいさん。おじいさん。……聴こえないのかな。カムパネルラねえ、みて変なことしてるよ。
老人、ぴくりともうどかない。
ジョバンニ おじいさん。おじいさん。動かないよ。死んじゃったのかな。
カムパネルラ おじさん。おじさん。
ジョバンニ ……いきてる。
カムパネルラ おにいさん。
老人 なんだね。
ジョバンニ おじいさん。なにしてるんですか? ここは川じゃありませんよ。
老人、再びぴくりともしない。
カムパネルラ お兄さん、なにしてらっしゃるんですか。
老人 さすがにぼっちゃんは、礼義をしっていらっしゃる。こら、坊主、人を呼ぶときは、敬語に気をつけろ。
ジョバンニ お兄さんのどこが敬語だ?
カムパネルラ なにしてらっしゃるのですか。
老人 みえんか。
ジョバンニ 何が?
老人 竿だ。見ればわかるだろう。頭が悪いな。竿で、ご飯を食べるか。
カムパネルラ たべませんね。
老人 だろ? ほれみろ。坊主、ちっとはべんきょうせい。
ジョバンニ 釣りしてるぐらい僕にもわかるよ。でも、糸も、針もないじゃないか。
老人 それは、素人のやること。究極のプロは、糸などいらん。針などはあれは、根性の卑しいものが使うものだ。わしは、大いなるものを釣っておる。そこらへんのへぼといっしょにするな。
ジョバンニ おおいなるものって? 魚なの?
老人 魚ではない。
ジョバンニ じゃ、鳥。
老人 鳥は釣るものか?
カムパネルラ どちらかと言うと、捕るものですが……
老人 だろ? この人はわかっていらっしゃる。坊主、修行がたりんのう。
ジョバンニ じゃなんなの。おしえてよ。おじいさん。
老人、仮死状態。
ジョバンニ しんじゃった。せわがやけるなあ。お兄さん、教えてください。
老人 だから、大いなるものと言っておる。
ジョバンニ だから、その大いなるものってなんなのさ。
老人 ふん。夢みたいなものだ。
ジョバンニ つもり貯金みたいな。
老人 あの詐欺師にあったのか。
ジョバンニ あの人詐欺師なの。
老人 みたいなものだ。
ジョバンニ うそでしょ。第一何も取らなかったよ。
老人 そうかな。
ジョバンニ そうだよ。
老人 じゃそういうことで。(釣りに戻ろうとする)
ジョバンニ 待ってよ。話終わってないよ。
老人 おわったぞ。私は。
ジョバンニ 終わってないよ。
老人 そうかな。
ジョバンニ そうだよ。
老人 じゃそういうことで。
ジョバンニ 随分なげやりだね。
老人 そうかな。
ジョバンニ そうだよ。
老人・ジョバンニ じゃ、そういうことで。
カムパネルラ おわらないよ。
老人 そうかな。
ジョバンニ ストップ。その言葉いわないで。
老人 そう……(言いかけてむせかえる……)えい、まあよいわ。そうしておこう。……わしにも、坊主みたいな時があったな。何も知らず、倣慢で、そのくせ小心で、未来はいつも自分の目の前にあるとばかり思っていた。
ジョバンニ わからないな……おおいなるものとどんな関係があるの。
老人 なにもない。
ジョバンニ ?
老人 見たんだ。
カムパネルラ みたの?
老人 ああ、確かにみた。わたっていきおった。
ジョバンニ おおいなるもの?
老人 そうだと思う。いや、そうにちがいない。
ジョバンニ どんなものだった。
老人 鳥じゃった。
ジョバンニ 鳥? 鳥を釣るの? さっき鳥は釣るものか? っていってたじゃない。
老人 そうさ。鳥は釣るものじゃない。おおいなるものは鳥ではない。
ジョバンニ でも、鳥だっていったじゃない。
老人 あのときはな……だが、確かではない……
カムパネルラ 確かではない……
老人 そうだ。形すら定かではない。わしは、何度か大いなるものを見た。ある時は星の群れの中にいた。水の中で群れ泳ぐときもあった。大空を悠々と飛ぶ鷲のように見えたときもあった。生き物とはかぎらん風吹く谷間にかかる虹の時もあった。
ジョバンニ 結局、何なんですか? 大いなるものって……
老人、悲しげに
老人 ……わからんのだ……
ジョバンニあきれる。
老人 大いなるものは、中天に輝き、そのとき、たしかにそこにあった。わしは、自分が釣ろうとするものがよくわかっていた。わしの竿は、銀河一じゃ、次から次へと獲物はかかる。アルタイル、龍の骨、銀の魚、……どれもが大いなる物でしかも釣れた瞬間にそうでないものとなってしまった。わしは、釣るのをやめようとした。だが、悲しいことに、体が覚えておって、竿をひとりでにたれてしまう。銀河のながれは、果てしない。大いなるものはその奥からやってくる。わしは、ただ待っておればよい。そして、これからも待ちつづける。
ジョバン二 みこみはあるの。
老人 見込みがあるようなら、こんなことはせんよ。ないからこそやっとる。
ジョバンニ ?
老人 ま、おまえさんぐらいじゃ、わからんだろ。いいもんじゃ。わかいということば。
ジョバンニ どうも……
ジョバンニ、不得要領にうなづくが、突然。
ジョバンニ 蛍だ。
カムパネルラ 蛍だね。
ジョバンニ あんなに。
蛍の乱舞。
老人 もしや、……いや、そんなはずはあるまい。
ジョバンニ ほら、すごいな。
カムパネルラ こっちへくる。……おいで。
蛍、彼らの回りを囲むように乱舞
老人 おまえなのか。ほんとうにおまえなのか……
蛍、一匹すーっと老人の手に留まる。
老人 おお……
蛍、すーっと飛び、消える。
老人 待て、おい、待ってくれ。……わしを置いて行くな、待ってくれ……待ってくれ!
蛍たち、消える。
ジョバンニ 消えたよ。
カムパネルラ 消えたね。
ジョバンニ 何処へいったんだろう。
カムパネルラ ……
老人 ……いつものことだ。
ジョバンニ えっ?
老人 捕まえりゃせんのだ……。いつだって。……坊主、わしの邪魔をせんといてくれ。大いなるものは、今にも来るかも知れん。ああ、これは、おまえさんにやろう。昨日釣ったばかりだ。大いなるものじゃないが、きれいなことはきれいじゃ。
老人、ジョバンニに星球をやる。星球切なげにきらめく。
カムパネルラ もういこう。ありがとうお兄さん。
ジョバンニ 釣れるといいね。おじいさんじゃない……おにいさん。
老人 そうだな。
老人、にやっと笑い。また、きびしい表情で大真面目に竿をたれる。夕景の中、彼は永遠に釣り続ける。その姿はだんだん小さくなる。
ジョバンニ かわいそうだったね。
カムパネルラ そうでもないよ。
ジョバンニ (強い口調に驚く)そっけないんだね。
カムパネルラ 十分幸せなんだよ。
ジョバンニ どうしてわかるの。
カムパネルラ 大いなるものを待ってる。
ジョバンニ うん。
カムパネルラ だからさ。
ジョバンニ ?
カムパネルラ 待ってるから、幸せなんだ。たぶん、ずうーっと待ってるはずさ。
ジョバンニ つれるまで?
カムパネルラ つれるはずないさ。
ジョバンニ どうして。
カムパネルラ どこにもいないもの。あのひとだって、そんなことずっと昔に知ってるんだ。
ジョバンニ なら、なぜまち続けるのさ。
カムパネルラ 待つことが幸せなんだ……たぶんね。
ジョバンニ そんなことってあるのかなあ……
カムパネルラ、答えない。……それぞれの沈黙が起こる。再び蛍が飛ぶ。
ジョバンニ あっ、また蛍だ。カムパネルラ、また蛍だよ。
カムパネルラ 僕には見えない。
ジョバンニ そんなことないよ。はら、あそこにも、あっちにも。さっきみえただろ。
カムパネルラ でも、今は見えないよ。
ジョバンニ カムパネルラ……
ホタルがひっそりと立つ。
ジョバンニ ホタルじゃないか。どうしたの。
ホタル 蠍が焼けて死んだの。
ジョバンニ えっ?
ホタル ほら、あの赤い火がもえてるわ。
ジョバンニ あれは、ほたるの火だよ。ね、カムパネルラ。
カムパネルラ 僕には、見えないんだ……
ホタル さそりがやけてしんだのよ。その火が今でも燃えてるの。
ジョバンニ 蠍って、虫だろう。
ホタル ええ、いい虫だわ。
ジョバンニ 蠍、いい虫じゃないよ。僕博物館でアルコールにつけてあるの見た。尾にこんなかぎがあって、それで刺されると死ぬって先生がいったよ。
ホタル そうよ。だけどいい虫だわ。昔、バルドラの野原に一匹の蠍がいて、小さな虫やなんか殺して食べて生きていたの。ある日、いたちに見つかって食べられそうになったの。蠍は一生懸命逃げて、逃げたけど、とうとういたちに押さえられそうになったわ。そのとき、いきなり前に井戸があってその中に落ちてしまったわ。もうどうしてもあがられないで、蠍はおぼれ始めたのよ。その時蠍はこういってお祈りしたというの。ああ、私は今までいくつもの命をとったかわからない。そしてその私が今度いたちに取られようとしたときはあんなに一生懸命逃げた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああ、なんにもあてにならない。どうして私は私のからだを、黙っていたちにくれてやらなかったろう。そしたら、いたちもいちにちいきのびたろうに。どうか神様、私の心をご覧ください。こんなにむなしく命を捨てず、どうかこの次には、まことのみんなの幸いのために私の身体をおつかいくださいっていったの。そしたらいつか蠍は自分のからだが、真っ赤な美しい火になって燃え、夜の闇を照らしているのを見たのよ。……あの火が蠍の火よ。それだわ。
ジョバンニ ホタルの火だよ。
カムパネルラ 同じことよ。いつだって同じ火だ……
ジョバンニ 強制訓練大丈夫だったの。
ホタル (かすかにほほえむ)……もう終わったわ。
ホタル、通知書を示す。蛍のように光る。
カムパネルラ ホタル……
ホタル ごめんなさい。頑張れなかった。
カムパネルラ いいんだ。……本当にいいんだ。苦しかったかい。
ホタル いいえ。悲しかっただけ。
ジョバンニ どうしたの。
ホタル なんでもないわ。……わあ、蛍だわ。あんなにいっぱい。
蛍、死者達の化身とも見え乱舞している。滅びの予感が漂う。
ジョバンニ ほんとうだ。きれいだねカムパネルラ。
カムパネルラ お父さんは僕を許してくださるだろうか。
ジョバンニ カムパネルラなに言ってるの。
カムパネルラ 僕は、お父さんが本当の幸いになるなら、どんなことでもする。けれどもいったいどんなことがお父さんの一番の幸いなんだろう。
ジョバンニ 君のお父さんは何にもひどいことないじゃないの。
カムパネルラ わからない。けれどもだれだって、本当にいいことをしたら幸いなんだねえ。だから、お父さんは僕を許してくださると思う。
ホタル カムパネルラ……
ジョバンニ ごらんよ、カムパネルラ、みんな光でいっぱいだよ。君達見えないぐらい、光ってる。宇宙が全体蛍なんだ。すごいよ、光があふれてる。ああ蛍がみんなこちらへやってくるよ。
蛍の光、天空を覆う。と見る間に、世界は一気に地獄に直面する。ジョバンニ、呆然と立つ。
核の花が今開こうとしている。
Ⅶシェルターゲー卜幻想
警報が鳴り響く。あび叫喚の巷。混乱する、シェルターゲート。
警備員 駄目です。もういっぱいです。
A たのむ、子供だけでいい。入れてくれ。
B あの人がいるの。お願い。
C 僕の母さんを。
D どうして、閉めるんだ。まだ、間に合うじゃないか。
E(ザネリ) カムパネルラ、助けてっ!
カムパネルラ、シェルター内に苦しげに立つ。
警備員 カードのない人は、入れません。
A 私の子供に死ねというのか。
B あの人を出して、お願い。一目だけでいいから。
C 母さんを入れてくれ。
D カードがなんだ。俺たちが何をしたっていうんだ。
E カードをなくしちゃった! カムパネルラっ!
警備員 近付かないで。それ以上、近付くものは、射殺します。
D ふざけるな。命がかかってるんだ。何が射殺しますだ。いいとも、喜んで射殺されてやらあ。ミサイルで死ぬも鉄砲で死ぬもおんなじことだ。
A ばかいっちゃいけない。子供だぞ。まだ、5才だ。何にも分かっちゃいないんだ。これからいっぱい人生しなきゃなんないんだ。ふざけるな。このばかやろう。お前はもうおしまいだなんていえるかよ。ええ。なんとかいえ。
警備員 近付かないでください。ゲートは閉鎖されました。
A まってろ、お父さんが必ず助けてやる。だからまってろ。
B あのひとはどこ、お願い一目でいいの。
C かあさん、ごめんよ。まにあわない。
D くそっ、しんでたまるか。
E おれ、ふざけてただけなんだ。それだけだ、うそじゃない。
F(カムパネルラ) 僕は本当の幸いを知りたい。だから、もう一度ザネリを助ける。
A 父さんの背中に捕まってろ。何が起こっても泣くんじゃないぞ。いいな。
B あなたー。どこなの。あなたー。
C かあさん、うちへかえろうよ。
D こんなことはうそだ、政府は何をしてるんだ。俺がいったい何をしたと言うんだ。
E(ザネリ) おれのせいじゃない。だまってないで、なんとか言えよ。ともだちだろう。
F(カムパネルラ) お父さんは、本当に僕を許してくださるだろうか。
A 父さんは走る。父さんが倒れたら、お前が走れ。後ろをむくな。
B 私裏切ってました。最後だから、これが最後だから、お願い、顔を出して。
C ここは僕たちのいるべきところじゃない。家へかえろう。
D 訴えてやるぞ、絶対訴えてやるから。そうだ、弁護士だ。
E (ザネリ) ああまにあわない。カムパネルラ!
F(カムパネルラ) 僕はまちがっているかも知れない。けれど、本当の幸いはきっとあるはずだ。だから、ぼくは……
第一次隔壁閉鎖のサイレンがなる。
B あなた、お願い、私を許すといって、お願いだから、あなた……
C かあさん、いつも母さんが入れてくれるコーヒーがのみたいな。ちょっぴりブランデーをたらして。そうしたら、怖くないですね。
D 誰か弁護士はいないか。やつらの不法を訴えるんだ。誰か。
F(カムパネルラ) ザネリ、おいで、僕のカードを上げよう。さあ。
ザネリ、隔壁の中に消える。
第一次隔壁が閉まる。
警備員 近寄らないで、近寄れば射殺します。
A いくぞ!
保安隊銃撃。カムパネルラ、不思議な微笑うかべ、群衆と共に倒れてゆく。
ジョバンニ カムパネルラ。カムパネルラ!
カムパネルラゆっくりと倒れる。ジョバンニ、凍り付く。
ジョバンニ カムパネルラ!
Ⅷカムパネルラの旅
カムパネルラの世界へはいる。
ジョバンニ カムパネルラ。
カムパネルラ 僕の名を呼ばないで。呼ばれる度僕は苦しくなる。いつのころからだろう。僕は歌わない子供になっていた。あまりに悲しいことがあったわけではなく、歌いたくなる歌がなかったわけではなく、……むしろ世界は歌に満ちあふれていたと言っていい。でも、僕は歌わなかった。
ジョバンニ どうしたのカムパネルラ。
カムパネルラ、憑かれたように語り出す。
カムパネルラ 夏だった。ああ、海には切ないほど風が吹いていた。どこまでも一直線に広がる紺碧の連続の中でぼくは、見たような気がする。日がかげり、風が柔らかくなる頃、砂浜には、ぼくだけだった。海が燃えていた。どこまでも青いくせに、海は赤く燃えていた。風が柔らかく吹いていた。空気が黄色く染まり、僕も、海辺の小屋も、所在なげにたっている電信柱も、風に幽かに揺れる咲きかけの夕顔も、みんな、みんな距離がつかめなくて、ゆらゆらと砂の海の中に沈んでいくような静かな時間。すべてが僕のもので、そしてそれは本当にうつくしかった。……それでも、帰らなければならなかった。本当は僕のものなんかじゃないことは僕がいちばんしっていたからだ。
ホタル カムパネルラ。
ジョバンニ 君はまちがってるよ。僕はカムパネルラがいると本当にうれしくなる。いじめられたり、勉強分からなかったり、父さんが帰ってこなかったり、でもカムパネルラがいると、本当にうれしくなる。君らしくないよ。カムパネルラ、もっと堂々としていたよ。
カムパネルラ 知ってるかい。まっすぐに地面に立つことはとても難しいんだ。僕は、独楽のようになろうとした。でも独楽は回し続けないと倒れてしまう、もうこまを回し続けることには耐えられなくなっていた。
ジョバンニ やめて、カムパネルラ。もういいよ。
カムパネルラ いつだって言葉ばかりだった。カムパネルラさんお行儀がよろしいですね。カムパネルラさんなら解けるでしょう。カムパネルラさんを見習いなさい。カムパネルラさんいいお子さんね。カムパネルラ、カムパネルラ、カムパネルラ。僕の名前を呼ぶなったら!・・・ジョバンニ。
ジョバンニ 何?
カムパネルラ 僕はどうしてたと思う?
ジョバンニ ・・・・
カムパネルラ 曖昧に笑いながらたってた。本当の言葉を待ちながら。そのたった一つの僕への言葉を・・。これは、僕の罪だ。
ジョバンニ ちがうよ、カムパネルラ、それは・・。
カムパネルラ それは・・・
ジョバンニ そうしたかったんだろ、カムパネルラ。ずーっと待ち続けたかったんだろ。本当にそうしたかったんだろ。ならいいよ、カムパネルラ、もういいよ・・・。
カムパネルラ ……ジョバンニ。
ジョバンニ ……
カムパネルラ 分かってくれるだろうか。
ジョバンニ 何を?
カムパネルラ 本当は、君がとても羨ましかったんだ。
ジョバンニ ……
カムパネルラ 気づかなかったの。
ジョバンニ 君が……
カムパネルラ うん。
ジョバンニ 僕を……
カムパネルラ そうだ。
ジョバンニ からかわないでよ。おかしいよ。カムパネルラみたいな……
カムパネルラ 僕みたいな?
ジョバンニ カムパネルラみたいな……とにかく、似合わないよ。……おかしいよ。
カムパネルラ 本当に?
ジョバンニ うん。
カムパネルラ ……ありがとう。僕にはそれで十分だ。
ジョバンニ カムパネルラ……
カムパネルラ ああ、ずいぶん回り道をしてしまった。でももういい。ジョバンニ元気でね。
ジョバンニ どうするの。まさか……
カムパネルラ きみだって、もう本当のことは知っているはずだ。ここからは君だけでゆくんだ。
ジョバンニ カムパネルラ、そんなことできないよ。僕をおいていくの。一緒にまっすぐに行こう。
カムパネルラ ありがとう。本当に君はいい奴だ。うまくいえないけれど、君ならきっとその道を見つけると思う。お母さんに牛乳瓶を届けるんだろう。
ジョバンニ ああ、僕はきっとそうしよう。でも……
カムパネルラ ジョバンニ、君はのらなくていいんだよ。きみはもう、「たった一つのほんとうの切符」をもっているからね。
ジョバンニ、ポケットをさがす。スタンプが出てくる。それは、青く透明に輝く、「たった一つのほんとうの切符」である。
ジョバンニ カムパネルラ、これは……
カムパネルラ どこへだって行けるよ。君の道をね。
ホタル 風が吹いてきたわ。
カムパネルラ ……ああこれから本当にすべてが始まるよ。
しばし、沈黙。
カムパネルラ 僕はもういかねばならない。
ジョバンニ カムパネルラ!
カムパネルラ 僕は、いつだって、そばにいる。そしてみんながカムパネルラだ。
ジョバンニ ……
カムパネルラ ……さよなら、ジョバンニ。僕は
現実への帰還。世界はHARMAGEDONへ。
Ⅸ FROM HARMAGEDON WITH LOVE
レベル警報。市民への警告。第一ゲート閉鎖。
警報に重なって非常放送。無機的な声。
「警報レベル7、警報レベル7。ユーラシア連邦より核弾頭搭載ミサイル群多数侵入中。これは、演習ではありません。これは演習ではありません。15分後に着弾の予定。市民のみなさんは至急シェルターに避難して下さい。あわてないで下さい。10分の余裕があります。至急最寄りのシェルターに避難して下さい。繰り返します。これは演習ではありません。……(口調が変わる)あと三分で第一次隔壁が閉鎖されます。市民のみなさんは急いで下さい。市民のみなさんは急いで下さい。……ただいまシェルターが閉鎖されました。あと5分でミサイルが着弾します。間に合わなかった市民のみなさんの御幸運をお祈りします。最後まであきらめないで下さい。御幸運をお祈りします。」
途中から重なるよう、「たった一つのほんとうの切符」を持って。
ジョバンニ ……僕たちは移動し続けると先生はおっしゃった。BE GOING TO。現在進行形。始めて、知ったとき、世界は不思議な透明の光に包まれた BE GOING TO なになにし続ける。僕たちは現在を進行し続ける。僕たちは、変化し続ける。カムパネルラ、鳥はとんでいたね。風は吹いていたね。北十字かがやき続けていた。……BE GOING TO、みんな現在進行形。世界が全体幸福になるときまで、世界の幸のために、愚かさのために僕らはいつも、BE GOING TO。カムパネルラ、ぼくたちはどこまでもゆく。必ずゆくよ。もうっきっと僕は僕のために……みんなのために……ほんとうのほんとうの幸福をさがす。……僕たちは風だ。僕たちのまっすぐな道を吹き続ける風だ。アフリカの谷で一匹の利口な猿が木切れを手にした万年前から、銀河宇宙のはるかたそがれの中最後の一人が立つ遠い未来まで僕たちは風となって吹き続ける。たった一つのほんとうの切符を持って……だからカムパネルラ……だからカムパネルラ、僕は銀河鉄道にはのらないよ。……とりあえずぼくは、お母さんに牛乳瓶を届けよう。そのいちばん幸福な人のために本当の世界をまっすぐに歩いて行く。きっと、きっと歩いていくよ。カムパネルラ…!
ジョバンニ、はるかな宇宙を見る。
蛍の火の群れが宇宙の深淵からやってくる。悲鳴にもにた核警報重なる。
カムパネルラ、透明で悲しい笑顔。何かを見続けている。汽笛がなる。
カムパネルラ、ホタル、銀河鉄道に乗り、本当の終末へ旅だって行く。ミサイル群着弾し、核の花咲き乱れる中、静かに幕は降りてゆく。
【幕】