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◎ 「笛吹きの夜」


「笛吹きの夜」
作 結城翼

 ・・700年以上たっても私たちはまだ黒い森の中にいる・・

☆登場人物
葉月・・
朱美・・
茅野・・
ネリ・・
島田・・
武田・・
安曇先生・・
☆プロローグ

サティーのグノシェンヌ1番が静かに流れ、幕が上がる。
夕景。色々とごちゃごちゃした教室。
とある私立高校、二月に行われる文化祭前夜。当然、一二年生しか参加しない。 三年生はお客様でのぞきに来るだけ。
クラスの発表で間に合わないと、泊まり込みで準備をしている二年某クラスの有 志たち。
いくつか生徒用机を4つぐらい集めた島がある。どうやら喫茶店らしきものの出 店をするようだ。前後の壁(下手教卓と上手後ろの壁)は暗幕で覆われている。 教室の廊下側(舞台奥)の窓枠は取っ払われているが、木枠がある。一部暗幕で 隠されていて、センター部分にステンドグラスがはめ込まれるらしい。下手寄り の木枠に、稚拙なハーメルンの笛吹きっぽいステンドグラスの試作品とおぼしき ものが貼り付けられている(笛吹き男のみ。)。他は未完成。
廊下の外の窓際には生徒用の椅子と机が重ねられて壁のようになっていて、い くつか荷物が置かれている。廊下は通行できること。
廊下に脚立が二つあり、板が掛け渡され、その上で武田が廊下の飾り付けの設営 をしている。木枠に額縁用のツタのような装飾部分を付けるらしい。上手奧の受 付入り口部分にもなにやら装飾的な柱状の物が置かれている。こちらはまだきち んと設営されていないようだ。
外側の窓の方(客席側)はすでにいくつかのステンドグラスがはめ込まれている (と言う設定)、 制服のネリとこれまたなぜか着ぐるみの寝間着すがたの茅野が 上手前方の島で、大きな黒画用紙やカラーセロファン、カッター、その他でステ ンドグラスを作りかけている。試作品もあるようだが、どうやらあまりうまくい っていないようすで困っているようだ。下手前方に小さいブルーシートが敷かれ ていて、ペンキや刷毛、飾りの花などがあり、入り口の結構緻密なデザインの看 板らしきものをジャージ姿の島田がもくもくと作っている。
その後方に机の島で、ちくちく衣装を縫っている制服姿のきりっとした朱美がい て、時々鋭い目で作業状況を見張っている。
下手奧に出入り口がありそちらが調理室に繋がっているようだ。(無くても可)
天井からは、森を思わせるものがつり下がっている。森の中の喫茶室という雰囲 気を狙っているらしい。
舞台中央に二つ脚立があり、一つには天井に吊りさげるツタのような森の部品が 絡んでいる。もう一つの脚立にもたれかかった形で、なぜか黒のゴスロリ姿の葉 月がいる。なにやら台詞を調子よく言っている。

葉月 :まことに愚かなことではありますが、あらかじめ失われている愛を、それでも得ようと望めば、果てしなく無駄な労力を強いられることとなります。しかしながら、それを承知で、どこにもない希望を胸に、決して手に入れることはできないものを手に入れようと静かに進んでいく愚か者は、多分どこにもいることでありましょう。決して、勝ち目のない、決して終わりのない、泥沼のような行き着くところのない迷宮の中にその人は足を踏み入れました。どこにも逃げ場のない檻の中に自らを閉じこめて。多分それは一つの勇気と言ってもいいかも知れません。あらかじめ敗北が決まっている闘い。その敗北をみずからの眼で見るために、いいえ敗北を確かに生き続けるためにその人はどこまでも歩み続けたのであります。ばかげた行為ではありましょう、パンドラの箱にかすかに残されたあの希望すらどこをどう探そうともありえはしないのに。それでも遙かな前方の暗闇を見据えて静かに静かに進んでいく。・・おかしいですか?おかしいでしょうね。人は多分もの狂いだと呼ぶことでありましょう。けれども、このよのどこに、いったいものぐるわなくて済む愛がありましょう。だれもが何がしか狂わなければ、人を愛することなどはできないのではないでしょうか?そうして、その人は、静かにだが決然として狂っていったのであります。・・その勇気を私は目を背けずに静かに、なすすべもなくひそりと見つめ続ける必要がありました。私ですか・・私は、あの人の愛した人形でしかありません。

この間、他の者たちは、ああ、またいってるねと云う感覚で、聞いたり無視した り、それなりの対応。特に二人の男子は黙々と作業。仕事に気が入らないネリと 茅野は一応聞くともなしに聞いている。
終われば、ぺちぺちとネリと茅野のしょぼい拍手。

葉月 :えー、なにそのしょぼさ、ネリ。もっとこう。熱い思いは?

自分で激しく拍手する。

ネリ :こうですか?

あまり気のない拍手。

葉月 :(げっそりして)いいわ、もう。なんかさ、尊厳?いや違う尊敬?ちがうな、まー、人が気合い入れた表現活動展開してるときにさ、これはないんでない?

ぺちぺちとしょぼい拍手。

葉月 :つきあいって言うもんがあるでしょよ。同胞(はらから)として、友愛が足りないよ。ネリも茅野も(と、指さす。)、うん、絶対足りない。友愛が。これじゃ同胞としての資質に問題があると言わざるを得ない。(にやりと笑って)来週の地区集会でちくってもいいかな。こえーぞ、風紀委員は。(声をつくって)キミは同胞の絆にどうも欠けている点があると判断せざるをえないようだね。ちよっと屯所まで来てもらおうか。再学習する必要があるようだね。なに、それほど手間はかからないよ。くっくっく。キミ、名前は?
茅野 :おいおい、強請る気か?たちわりーぞ演劇馬鹿。
ネリ :どうぞ、ご自由に。
葉月 :おおー強気だねぇネリ様は。友愛ポイントたりねーと忠誠度ランク下がるぜ。
ネリ :(コホンと咳払いをして、制服のポケットからなにやら腕章めいたものをだして、ちらちらと)来週、私当番なんですけど。(と、腕章を付けて、腕章の埃を払う動作をする。)
葉月 :げっ、なんでお前が風紀委員だよ。
ネリ :安曇先生のご指名です。誠心誠意つとめてこのクラスの同胞の絆を強固にとのお達しです。
葉月 :やることがきたねー、アズミン。
ネリ :同胞葉月さん、んー。(と、めがねを少しあげて、携帯するボードをチェックするような仕草をして)あなたは、いささか、同胞の和を乱す行為が見られますね。このままでは、友愛ポイントをマイナスにせざるを得ませんねぇ。(チェックインをしていく仕草)私(わたくし)、友としてはなはだ心苦しいですが、風紀委員の責務として。宣告せざるを得ません。
葉月 :なにが友だよー。
ネリ :(大きくチェックする仕草をして、)ワンランク降格!
葉月 :えー、勘弁してよー、ただでさえランク低くなってんだよ。
茅野 :演劇ばっかりやってるからだよ。忠誠度テストの成績ボーダーでねーの。
葉月 :ちっ、あんなテストかったるくってさ。絆だの、一人は全体のためにだの、すべ ては同胞の為にだのいわれてもなー。うざくてここが(と胸をたたく)燃えない だよねー。やっぱりパッションがないとねー。
ネリ :もうワンランク落ちますか?
葉月 :ひぇー、なにとぞお慈悲をおねげーしますだご領主様

茅野 :確かに葉月、パッションはある。
葉月 :えー、そうかなぁ。そう?(照れ照れしている)やっぱり?ここよねー。(と、胸をたたく)
茅野 :そう、あんたはここだけ(と胸をたたく)。(頭をこんこんして)ここはないし(目を指して)なんもみてないし、(耳をとんとんして)聞きもせん。
葉月 :なんか自分、馬鹿みたいでないかい。
茅野 :ただ、ここのパワーだけがむちゃくちゃある。ドッカーン。
ネリ :ドッカーン。

うんうんと葉月頷く。

茅野 :だが言い換えれば。
葉月 :何。
茅野 :自分に酔ってるだけ?
葉月 :は?
茅野 :基本、台詞に客観性がない。それじゃほんとに乙女の寝言だよ。
葉月 :ひっどーい、なに、それ。
ネリ :うわごとですね。
葉月 :ネリーっ!

パンパンと手をたたく音。朱美が厳しい目で見ている。

朱美 :(冷たく)はいはい。まことにおろかなことではありますね。・・高尚な演劇論は、脇に置いて、設営班の同胞(はらから)諸君、ちゃっちゃと作業して。時間はない。来週の友愛週間に備えて友愛ポイント稼ぎや絆づくりも大事だが、その前にやらねばならぬことが、あるだろう?誰が誰に恋しようが、もだえようが、客観性があろうがなかろうが、熱弁だろうが寝言だろうがうわごとだろうが、くその役にも立ちはしない。同胞諸君、アンダースタン?

間。

葉月 :ごめん。
茅野 :(小さい声で)やーい、やーい怒られた。
葉月 :(小さい声で)おまえは、ガキか?!
ネリ :(こっそりと)今度のお芝居のやつですか?
葉月 :できたらね。いま書いてるやつ。
ネリ :すご~い。
葉月 :すごくないない。後が続かない。まいったまいった。いや、人形とそれを作ったくぐつ師の話なんだけど。
茅野 :人形と人間の恋?なんかどっかで聞いた気がするな?
朱美 :(なんだかんだで聞き耳を立ててる)ピグマリオン。ギリシャ神話のキプロスの王。
茅野 :へっ。
朱美 :現実の女性に失望したピグマリオンは理想の女性ガラテアを彫刻する。ま、それでやめときゃいいんだが、惚れちゃうんだね。自分で彫ったガラテアに。ざっくりいうと変態だ。(と、バッサリ。)でこの変態野郎、愛と美の女神アフロディーテになんとかしてくれやーと無茶ぶりする。女神もこういうの好きな方だから、ほいほいと生身の人間にして、めでたく結婚しましたという、犯罪的なお話。ギリシャ人は頭が煮えてるとしか思えない、ちなみに子どもも生まれてる。笑うしかないファンタジー。・・あ、ついでにピグマリオン効果って言葉もあって、いったい、なんだと思う?
茅野 :あー、変態野郎は伝染するとか・・。
朱美 :(ニヤリと笑って)教師が期待をかけた生徒とかけない生徒では、明らかに成績ののびが違いがみられるそうだよ。ようは、他者への期待がその後の成長を決定づける大きな要因になるってことだね。
葉月 :ほー。(分かったふりをしている)
朱美 :期待が高いほどのびも大きいってことで、私としては、同胞の諸君の友愛と絆にに大いに期待している、ということで作業宜しく。
葉月 :身も蓋もない話しやん。

ひび割れた放送が入る。
みな、はっとして聞き耳を立てる。
しかし、内容がまったく聞き取れない。

茅野 :あー、なにいってるか分からん。いらいらするなー。大概に直せよ設備。
ネリ :避難訓練のかなんかのようでしたけど。
島田 :たぶん、あれ、第五列警報です。

間。

茅野 :えーっ、まじ?まさかうちの学校に?

再び、ひび割れた放送。注意深く聞き耳を立てる島田。

島田 :間違いないです。さきほど発令されたようです。ただ、生徒は動揺することなくそれぞれの任務に注力せよと。
茅野 :第五列ってスパイだよね。やばいんでない?文化祭。
朱美 :何を今更。スパイだろうがなんだろうが、しったこっちゃない。任務に注力せよとの仰せだろ。アンダースタン?
茅野 :あ、あ、アンダースタンだけどさー。えー、なんなんだ?
朱美 :(結構厳しい声で)黒い森の看板は島田がきっちりつくってる。あなたたちは、とにかくステンドグラス頑張って。窓側は大体できてるけど、廊下側のでっかいやつ、この試作品はどうよ?
葉月 :(ちよっと焦って)まあまあじゃないですか。ねっ。
朱美 :ほう?
ネリ :(取りなすように)ハーメルンの笛吹き男。けっこう面倒ですもんね。鼠いっぱいいるし、子どももいるし。ステンドグラスにするのなかなか厳しいです。
茅野 :鼠も子どももいないじゃん。
葉月 :(胸をたたいて)ここで頑張ろうと思ったんだけど、いや、もう、めんどうになって・・。これで限界。
茅野 :ステンドグラスにしようっていつたのお前じゃん。
葉月 :いや、こう、なんか中世っぽくないかなって、そのときは。
ネリ :ですよね。確かに。雰囲気が。
葉月 :だろ、だろ。うん、アイデアはよっしなんだよなあ。
茅野 :はいはい、確かに中世っぽいですよ。アイデア認めましょう。・・ならきっちり責任とるのが筋じゃないですかぁ?とっととあとの絵柄かいたらいいやん。
葉月 :ムリムリムリムリ。
茅野 :なんじゃそりゃ。
葉月 :美術と工作は母の遺言で固く禁じられてた。
茅野 :ほう、禁じられてるくせに描いたんだ。
葉月 :なんとか血の宿命というやつを打ち破ろうと取り組んだんだが。・・やはり、呪われてた。
茅野 :何が。
葉月 :察してくれ!

と、稚拙な笛吹きのステンドグラスをさす。一同、見る。

茅野 :絵がど下手ってこと?

がくっと膝をつく葉月。

葉月 :運命は非情だ。表現しようとするここの情熱と意欲は誰にも負けない。だが、この手が、この手が、私の意志を裏切るんだ。
ネリ :技術がついてかないんですね。私もへただなあと思ってました。とても外部の人にはみせられないかなぁと。
茅野 :ネリ、随分酷いこと言ってるよ。
葉月 :いいんだ。・・私は、運命を甘んじて受け入れる。美術と工作には二度と手出しをしないとここに固く誓う。天国にいるお母さん、それでよろしいですよね。

ダンとはさみ(ナイフでもいい)を机に突き刺す音。ぎょっとする三人。
はさみが机(実際にはその上に載せた木材)につきたつてゆらゆらしている。そ の向こうから朱美の凶悪なまなざしが三人を冷徹に射貫く。震え上がる三人、思 わず正座。
その間黙々と動じずに看板書いてる島田。とんとんと廊下では釘を打つ音。

朱美 :漫才してる暇はないと私は思うのだが。アンダースタン?
三人 :アンダースタン!!
朱美 :(冷たい目で)私たち設営係は、いま、何をしているのかな?
三人 :ぶ、文化祭の出し物の準備。
朱美 :名称は?
三人 :シュ、シュヴァルツバルト 黒い森
朱美 :中身は?
三人 :グリムのメルヘン喫茶。
朱美 :コンセプトは。
三人 :「中世の深く黒い森に囲まれた町でおこったハーメルンの悲劇。中世のほの暗い 歴史の奥に潜む不条理な恐怖をあなたも体験してみよう。130名の子どもをつ れさったハーメルンの笛吹き男。いま蘇る笛吹き男の正体は。700年たっても わたしたちはまだ黒い森の中にいる。ようこそ、ダークメルヘン シュヴァルツ バルト 黒い森へ。」
茅野 :って、これ長ーよ・・。
葉月 :足しびれてきた。
ネリ :ですよね。

もう一本はさみ(ないしはナイフ)をどんと突き立てる。
三人の背がしゃきんとする。島田は看板を書き。廊下ではのこぎりで木を切る音 がする。

朱美 :誰のアイデアかな?
葉月 :・・それは・・実行委員長。あなた様。
朱美 :君たちの意見はどうだった?
茅野 :・・さ、賛成しました。
朱美 :しぶしぶかい?それとも喜んで?
ネリ :そ・・それはもう、よ、喜んで。
朱美 :声、震えてるね。どうして賛成したの、ネリさん。
ネリ :ひっ。・・ほかにアイデアでなかったんで。
朱美 :仕方なくね。
ネリ :は、はい。

葉月、茅野ぎょっとする。
ネリ、失言に気がつく。

ネリ :あっ・・あの・・えっとそ、そうではなくて。その。
朱美 :(断ち切るように)賛成してくれてうれしいね。では、積極的に作業してくれることを期待して良いというわけだ。

うつむく三人。
ダンっと三本目のはさみ(ないしはナイフ)が突き刺さる。
三人、ひっと思わず声をのむ。
島田はもくもくと看板を書いている。廊下では再びとんとんと釘を打つ音。
朱美 :文化祭はいつ?

三人、しおしおと下を向く。

朱美 :文化祭はいつ?
ネリ :(ぼそぼそと)・・明日の2月16日からです。
朱美 :聞こえないね。文化祭はいつ。
ネリ :あ、明日の2月16日から・・
朱美 :なぜ2月にやるの。
ネリ :卒業して前線につく先輩達に同胞(はらから)としてお礼と感謝、そうして先輩 たちのご武運と高校生活最後のイベントを楽しんでもらうためです。
朱美 :在校生としての我ら同胞の大事な大事な勤めだよねぇ?そうじゃない?期待して る卒業生裏切る訳にはいかないよねぇ。
ネリ :・・は・・はい。
朱美 :で、今、何時かな。
ネリ :・・えーと、四時半頃かと。
朱美 :だよねー。まもなく夜だ。あー、夜になるんだよね。どっぷりと夜だよ。

間。三人、ひたすら痛い。

朱美 :はー。進行で考えてみたら、軽食と飲み物、食器等は調理班がやってる。仕込み は完了したようだ。衣装班はほとんどできあがってるという報告をさっき受けた。 さて、わたしたち設営班だが、私は私のあきれるほどの先見性がほとほといやに なるよ。(と、じろりと三人を視る。三人いっそうしおれる)安曇先生に直談判 して宿泊棟の開放と夜間作業の許可を強引に取っておかなかったら、アウトだっ たねぇ。
三人 :(土下座)申し訳ありませんでした。

間。やがて朱美からくっくっくっと笑いが漏れる。

朱美 :(ぱんぱんと手をたたいて)たって、たって。(くっくっと笑って)いやあ、ね ちねちと嫌み言うのってチョー気持いい。こたえられんわー。

三人、ちょっとよろけながら立ち上がる。

茅野 :ドSやー。
朱美 :明日、10時開始として、タイムリミットまで実際・17時間しかないね。徹夜だな、 これは。・・入り口の装飾はどれくらいかかる?武田。
武田 :(釘を口に含んで返事する)・・ぐらいかな
朱美 :は?
武田 :(釘をのけて)夜中までにはなんとか。
朱美 :色塗りは?ペンキなんか用意してる?
武田 :抜かりはない。
茅野 :武田は仕事師だもんね。
武田 :ま、趣味みたいなもんだから。
葉月 :器用なんだ。
武田 :たいていのものは作る。部屋のリフォームなんかもやってるし。
葉月 :えっ、自分の部屋?
武田 :いや、近所の人に頼まれて、婆ちゃんの為にバリアフリーにしてくれって云われ たり。子ども部屋改装したり。
葉月 :いやあ、本手だこりゃ。
ネリ :すごいすごい。
武田 :それほどでも。・・続けていいかい。
朱美 :わるい、手を止めて。続けて。
武田 :あいよ。

武田、作業に戻る。

朱美 :島田、看板はどれくらい進んだ?

島田、たちあがって看板をちょっと立てる。
なかなか細かくデザインされた看板が7割くらいできている。
1284.6.26という数字がさりげなくみられる。
    鼠と笛吹きと子どもたちの列と黒い森の意匠がデザインされている。(観客には 明確な図柄としてみえなくても良いが出来るだけ緻密なデザインが望ましい。

ネリ :すごーい。
茅野 :緻密だなぁ。島田すごいやん。もう少しだね。
葉月 :なんかこうちょっと妖気が漂うねぇ。鼠がうじゃうじゃ出てきそう。子どもの表 情不気味でない?
ネリ :笛吹き、委員長に似てますね。

と、又失言。げっと茅野。

朱美 :(ニヤリとして)よくわかったな、ネリ。
ネリ :(にこにこして調子に乗る。)あ、だって、なんか邪悪なところが・・・

と、声が小さくなっていく。

朱美 :ほほーっ。何処が邪悪かな。
ネリ :え、あ、まあ・・。
葉月 :復讐してるって感じかな?・・(本人は助けに入ったつもり)
朱美 :復讐?ほう笛吹きが何に?
葉月 :えっと、確か、ハーメルンの町に鼠が増えまくって穀物食べ散らかして困ってた んだよね。だろ?
茅野 :うん。「ねずみ取り男」と名乗る者がやってきて報酬を払えば退治してやるって言ったんだよ。
葉月 :で、町の人々がよろこんで約束すると、男は笛を吹き鳴らす。町中の鼠がわさわさ現れて、男についていき、男は川の中に入っていく。当然鼠もついていってみんなおぼれて死んじゃう。でも、町の人々は金を支払うことが惜しくなり、なんだかんだで支払いを拒否する。もちろん男は怒り狂って街を去る。
ネリ :せこいパターンですよね。
葉月 :やがてある朝、男は森の中から再びやってくる。
茅野 :恐ろしい顔をした狩人の出で立ちで、赤い帽子をかぶった男は思い知れとばかりに。
葉月 :笛を吹き鳴らし、子どもたちを軒並みさらばえていわばごっそり誘拐して、山の中の穴の中に消えて行くんだよね。
ネリ :えげつない仕返しですよね。
朱美 :ま、私は邪悪だから。
葉月 :やだなあ、実行委員長じゃなくてねずみ取り男ですよぅ。ネリ。そだよね。
ネリ :そうそう、もちろんですう。
朱美 :(取り合わず)忘恩と復讐。物語として良く出来てるねぇ。・・島田、ダークな 感じよくでてる。看板夜中までにいけるかな?
島田 :(ちょっと考えて)多分。
朱美 :頼んだよ。
島田 :分かりました。

と、看板を元の位置において、書き始める。

朱美 :となると問題はやはり。
茅野 :ステンドグラス。
朱美 :ネリも言ってように、試作品は却下。あれでは、品質のバランスがとれない。よろしいか。

一同、もう一度見る。

葉月 :ま、正直あたしもどうかと思ったし。了解です。

一同、頷く。

朱美 :では、改めて作業やり直しだが、絵柄が決まらないいことには話しにならない。 分かるね。
葉月 :あたしはこれ以上無理。
ネリ :あ、あたしも無理です。ご先祖の言い置きで。
朱美 :絵柄があればあとは黒画用紙切り抜いてセロファン貼るだけの作業よね。まあじ っさいちまちまと結構な時間はかかるけど。手分けして分割したら何とかなるだ ろう。
茅野 :だからその絵柄が。
ネリ :困りましたね、

うーんと困る。

朱美 :(ふっと笑って)そういうこともあろうかと。絵柄というか図面は用意し てある。というか確実にこうなるだろうと。
三人 :えーっ。
葉月 :いやー、だったらなぜそれ早く。
朱美 :あなたたち同胞の自主性つうかやる気にほのかに期待してたんだけど。

じろりと三人を見回す。三人、さりげなく目をそらす。

朱美 :時間もなくなったし。仕方ないか。
葉月 :そうそう。で、だれが絵柄を?
茅野 :まさか実行委員長?
朱美 :私?まさか。家訓で美術工芸に関わってはならぬと。
ネリ :え、じゃだれが。
朱美 :本校の奇特な生徒と言っておく。
茅野 :え、ボランティア?かわいそう。
朱美 :そんなわけ無いだろ。
ネリ :お金要るんですか-。

朱美、くくっと笑う。

朱美 :金は要らない。でも代価はいる。
葉月 :代価?

小さい間。

朱美 :悪いけど葉月を売った。
葉月 :は?
朱美 :先方はどうやらキミにご執心のようだ。で、絵柄の設計図と引き換えにキミとの デートを希望した。もちろん、喜んで承諾したよ。
葉月 :え?ええーっ!?
茅野 :売られたんだ。
ネリ :売られたのですね。
葉月 :ちょ、ちょっとまってよ。なにこれ。

茅野とネリ、ドナドナを歌い出す。

葉月 :なになに、え、意味分からん、なんでデートよ。
朱美 :ステンドグラスにすると言い出した責任は取ってもらわなければならないから ね。同胞なれば当たり前だろう。同胞としての友愛だよ友愛。
葉月 :えー、そんなー。
朱美 :それとも、絵柄描くのかい?今から、二時間ぐらいで?

島田が、ドナドナの歌唱に加わる。

葉月 :てめー、島田、しれっと歌うなー。
朱美 :描けるなら、断ってもいいけどね。
葉月 :ぐぐっ・・・無理です。

かわいい葉月売られていくよーと、武田も加われる。

葉月 :お前ら、覚えとけー!!
朱美 :はい、決定。じゃ、文化祭終わったら紹介しちゃる。
ネリ :よかったですねー。同胞の絆が深まります。
葉月 :絆いらねー。全然、良くねえよ。
茅野 :しってるか、絆つてのはもともと牛や馬、犬なんかをつなぐ縄のことだってよ。逃げないようにね。
葉月 :ますますいらねー。
朱美 :というわけで、美術室に預けてあるから取ってくる。まってて。
茅野 :よろしくう。

朱美、入り口を通るとき武田に声を掛ける。

朱美 :美術室に行ってくるわ。
武田 :予想通りですね。
朱美 :先見性がいやになるわ。じゃ。

武田笑って。

武田 :いってらっしゃい。

朱美ひらひらと手を振って上手に去る。
三人、ふーっと息を吐く。

葉月 :つ、疲れる・・。
ネリ :なんか・・すごいです。
茅野 :なんだろね。
葉月 :なにが。
茅野 :あの熱意つうか、執念つうか、用意の良さというか。
ネリ :コンセプトのアイデア出したの朱美さんですから、責任感じてるんじゃないですか。
茅野 :実行委員長引き受けたからかも知れないけど、なんだかなあ。

と言うところへ。

武田 :あ、安曇先生。
安曇 :頑張ってるわね。みんないる?
武田 :実行委員長は、美術室まで、物、取りに云ってますけど、あとはいます。
安曇 :・・そう。ま、いいか。これ差し入れ、おなか空いたでしょ。
茅野 :アズミンだ。
葉月 :差し入れだって。

入り口から顔を出す。安曇先生。
茅野小さく手を振って。

茅野 :アズミン、差し入れだって。
安曇 :たいしたものじゃないけど。

と籠を机の上に置く。

葉月 :いつもすみませーん。

と、遠慮無く紙袋を開ける。

葉月 :おおっ、豚まんジャー!!(肉まんと云う言い方がおおいところはそちらで)
ネリ :ありがとうございます。安曇先生。
茅野 :ごちになりまっす。武田、食べようよ。島田もたべなよ。

島田、手を止める。

島田 :ごちそうになります。
茅野 :お躾がいいねー。豚まんジャーとはだいぶ違うね。
葉月 :ほっとけ、休憩しよ。

と、椅子をとりに行く。
島田は自分で椅子を取りに行く。茅野は二つ椅子を取り武田を呼ぶ。

茅野 :休憩だよ、武田。
武田 :おう。

めいめい座る。豚まんを食べ出す。何個か残っている。

安曇 :あら、ネリさん気が早いわね。

と腕章を示す。

葉月 :あ、これさっきふざけてて。
ネリ :済みません。

とはずそうとする。

安曇 :いい、いい。やる気があるのは結構なこと。そうでしょ。
ネリ :(ちよっと顔をこわばらす。声も固い)あ、はい。
葉月 :(無邪気に)ネリが風紀委員ってビックリです。
安曇 :あら、どうして。
葉月 :いや、なんか、一番遠いような気がして。
安曇 :適材だと思うわ。ね。(ネリに向かって)思わない?
ネリ :・・分かりません。(固い声)
安曇 :(笑って)やれば向いてることが分かるわ。(葉月に)ま、あなたは・・うーん、ちよっとむいてないかも(ちよっと笑う。ややいやな笑い方)
葉月 :(明るく笑う。)それは自信あります。(と、衣装を示す)
茅野 :(葉月に)あんたがなったら、お日様西から上がるよ。
葉月 :なんでよー。あたしはねー。
茅野 :(胸をたたいて)ここで、判断されちゃ、たまんないよ。
葉月 :失礼な。わたしだってここあるよ(頭をこんこん)

遮って。

安曇 :まあまあ、進み具合どう。
葉月 :えー、完璧です。
安曇 :すごいわね。

と、周りを見回して疑わしげな顔になる。

茅野 :ほんとに完璧です。・・たぶん。
安曇 :そう。・・ならいいけど。

男どもは黙々と食べる。ネリも黙々と食べる。
黙々。微妙に空気が悪い。
黙々。

安曇 :・・おもいわね、何だか。
葉月 :(まったく気づかず)問題ありません。
安曇 :そ、そう。

ぶざぶざとまた聞き取りにくい放送が入る。
安曇先生緊張する。

ネリ :又ですね。あれ、何ですか。
安曇 :・・ああ。エリアジャミングのお知らせみたい・・。
茅野 :え、なんで。
安曇 :このあたりの情報管制のレベル上がったみたい。

島田、スマホらしきものを取り出して。

島田 :圏外になってる。
葉月 :・・あ、うちも。
ネリ :私もです。
武田 :何か起こったんですか。さっき第五列警報でたようだし。
安曇 :ああ、第五列ね。ガセネタかも知らないけど。一応出しておこうって。昨日1年のクラスに不穏分子が出たし。
ネリ :えっ。
武田 :一年にですか。
安曇 :他校でもぼつぼつあるらしいわ。今年はちよっと全体的に問題おこるかも。風紀委員さん、責任重大よ。がんばって。
ネリ :は、はい。

と、立ち上がり入り口へ向かう。

葉月 :あ、先生。
安曇 :何?
葉月 :朱美に用があったんじゃないですか。
安曇 :うーん、まあ・・いいわ、あとでも。じゃ。あっ、そうだ、ネリさんちよっと。

と、入り口へ呼ぶ。
なにやら一言二言話して。じゃ、お願いねと言って、去る。
ネリ、浮かぬ顔して見送る。

茅野 :なんだか、アズミン変じゃない。
葉月 :変って?
茅野 :いや、この夜間作業なんて朱美とかなりやり合ったって噂聞いたし。
葉月 :え、そうなの。差し入れなんか持ってきたやん。
茅野 :だからよ。
葉月 :え?
武田 :弱みを握って脅したって聞いた。
葉月 :ええー。誰が。
武田 :実行委員長。(ぼそっと)目的のためには手段を選ばん人だ。

一同深く頷く。

武田 :つうか、手段のためには目的を選ばんやつかなっていう気もする。
葉月 :よく分からんが、こわいこわい。
茅野 :よく分からんが、納得。

ネリ、おびえた感じで戻ってくる。

武田 :どした、ネリ?
ネリ :何でも無いです。
島田 :(圏外をまた確かめて)先生、絶対隠してるよ、何か。
武田 :それは感じた。なんか起こってるかも。
茅野 :何が?
武田 :わからない。でもちょっといやな感じがする。
葉月 :いやな感じて。
武田 :わからん。でもなんかいやな感じ。

黙り込む。間。
強い、風の音。ぶるっとして。

葉月 :風強いね。寒くなってきた。
武田 :廊下にストーブ出してるから、あれつけようか。
茅野 :つけよ、つけよ。たくエアコンぐらい付けろよなと言いたいね。あ、灯油入って る?
武田 :(廊下に回り込みながら)昼に入れといた。どうせ寒くなるし。
葉月 :流石、仕事師。
武田 :それほどでも、ある。
ネリ :何か下に板敷いたらどうですか。
茅野 :いいところに気がついたね。島田。

島田頷いて、手近にあったベニヤ板をセンターに持ってくる。

葉月 :ちよっと暗くなってきたなあ。

と、壁際のスイッチを入れる。夜の明かりになってくる。
武田がだるま形ストーブを持って入ってくる。

武田 :11畳タイプだからそんなに暖まらないかも知れない。
茅野 :いい、いい、とにかく少しはあったまるだろ。

武田、セットして付けようとする。つかない。

武田 :あれ?

何回かやるけどつかない。

武田 :ありゃ、電池切れか。
茅野 :駄目じゃん仕事師。
武田 :猿も木から落ちるしカッパも川で流される。
葉月 :おいおい。

島田がすっとマッチを差し出す。

茅野・葉月:おおーっ。
島田 :備えあれば憂い無し。
茅野・葉月・ネリ:おおーっ。
武田 :ありがと。・・タバコ吸うためじゃないよな。

あたふたする島田。

三人 :お、おおー・・・。

島田、咳払いして明後日を向く。
火がついた。

茅野 :これで作業が進むわね。

ところへ、朱美が大きな製図の下書きの束をもってよたよたと入ってくる。

武田 :あ、持ちましょう。
朱美 :ありがとう、流石、武田君。助かる。
葉月 :ようよう仕事師。

咳払いをして武田、空いている島の上にどさっと置く。

朱美 :おっ、ストーブだね。こりゃ本格的に夜間作業の気合いが入るねー。

なんとなく、皆ストーブの廻りに集まって、手をかざす。
又風が鳴る。どこかでサイレンも鳴る。
ぶるっと身震いして。

茅野 :なんかしんみりするねー。(小さい間)あ、そだ忘れてた。はいこれ。

と、豚まんをとりだして朱美に渡す。

朱美 :おっ、どしたの。
茅野 :アズミンの差し入れー。
朱美 :おー、じゃ、遠慮無く。

一口ぱくり。はふはふしながら。

朱美 :おいひい。
茅野 :なんか朱美に用ありそだったけど。
朱美 :ひょうなの。
茅野 :又後で来るようなこと言ってた。

ごっくんとのみこみ。

朱美 :うっ。

と、胸をとんとんたたく。

茅野 :がっつくからだよ。

と、せなかをとんとんとたたいてやる。
しばらくして。

朱美 :あー、死ぬかと思った。
葉月 :豚まんで死んじゃ恥だなー。
ネリ :それはそれで、らしいというか。
茅野 :ネリもなかなかいうねぇ。
ネリ :それほどでも。うふ。
茅野 :うふときたねー。

ひとしきり風。ぼそっと。

朱美 :こんな強い風に乗って渡ってくんだろかね。
葉月 :何が。
朱美 :渡り鳥。普通に飛んでたら海越せない気がするけど。
葉月 :そこは根性と気力とパッション。うおりゃーー。

と。手をばたばたさせる。

茅野 :あほか。無理だよね。武田。
武田 :根性でとべるなら自分でもできます。無理っす。
茅野 :あ、でもなんかうろ覚えに聞いた気がする、途中の波間で休む為に小枝、口に加 えて飛ぶとか。
葉月 :器用やのうつうか、賢いやん。渡り鳥侮るべからず。
ネリ :あ、それ、雁風呂とか雁供養の話です。
朱美 :雁風呂?
ネリ :はい。
朱美 :なにそれ。
ネリ :北から飛んできますよね。冬になると、温かい地を求めて。
茅野 :まあな。
ネリ :で、北の海峡の浜で雁たちが羽を休めるわけです。
葉月 :まあね。
ネリ :その雁たちは、木の枝をくわえて海峡を渡って来ます。
茅野 :そだろなー。
葉月 :だよね。
ネリ :木の枝は、海上を渡る時にその木を浮かべて休むための“浮き木”。
葉月 :浮き木?あー、賢い。
ネリ :しばし休んだ雁たちは、くわえてきた木の枝をその地に残し、さらに南の地へと 渡っていきます。
葉月 :ほほー。やるやん。で、それだけじゃないよね。
ネリ :行きと帰り。そうはうまくいきません。
茅野 :あ、わかつた。仕方ないよね。
ネリ :はい。・・・次の春、雁の北帰行が始まるんですが。
朱美 :ハッピーエンドにはならないわけだ。
ネリ :・・。
朱美 :どう思う武田。

間。

武田 :俺にふりますか・・精一杯じゃないですかねえ。
朱美 :精一杯?
武田 :結構しんどいんですよ。
朱美 :何が。
武田 :生きるって。

朱美、爆笑。

武田 :はぁ・・。
朱美 :(呼吸困難になりそう)すまん・・わりい・・(また爆笑)最高。
武田 :いいですけど。
朱美 :(ひいひいいいながら)わりい。まじ、ごめん。・・けど・・うぷぷぷぷ・・・わりい。

武田、憮然としている。
ひいひい言ってる笑いの壺を刺激されたようだ。
間。よいしょーというかけ声と友にきりっと立ち直って。

朱美 :で、ネリ、それで。
ネリ :・・・ええ、ああ、北帰行が始まるんですけど次の春、浜で休んだのち、秋に自 分たちが残していった木の枝を再びくわえて北の海へ飛び立っていくんです。
朱美 :ほう。
ネリ :けど、浜には必ず多くの木の枝が残されて・・・。残された木の枝の数は、冬の 間に死んだ雁の数で。土地の人は、残された木の枝を拾い集め、風呂を焚き、人 々に施したそうです。それが北に帰れなかった雁への供養なんだと。

風の音が強い。
シンとする。

朱美 :ちょっとせつない話だね。
ネリ :・・どんなにか帰りたかったんでしょうね。・・帰りたくても帰れない、帰れなかった雁たちは・・・。どんなにか帰りたいことか。

それは伝承を語っているだけではないようなネリの姿である。
武田があっと小さい声を出す。
葉月が鋭く武田を見る。武田はネリを見つめて何も言わない。
ネリは必死に何かをこらえている。みな、何かの呪縛に囚われたかのようだ。
間。
やがて断ち切るように。

朱美 :よっし、休憩終了。雁も頑張ってるし、私らも頑張らねば。武田、ステンドグラ スの製図拡げて。床でいいよ。はいはい、みんな手伝って、場所明けて。

皆ほっと息を吐いて、呪縛が解かれたように作業に動き出すが。

朱美 :分かってるよね。
葉月 :え、なにが。
朱美 :雁風呂、ミッションを貫徹できかったものへの哀歌って。
葉月 :え?
朱美 :むしろ、リスペクトと言っていいとわたしは思うんだ。そうでないかい。
葉月 :は、あの・・いみが見えないというか。
朱美 :葉月。
葉月 :・・はい。
朱美 :失望するよ。
葉月 :(ぞわわーっとびびる。)え、あ、あのなにが・・。
朱美 :とんでくるよねー。
葉月 :は、はい。
朱美 :やっとの思いでたどり着くんだ。そうして、やっとほっと小枝を離す。
葉月 :ま、そうでしょうね。
朱美 :で、もってのたのたとここで過ごすんだ。
葉月 :は、ま、たしかに南国ですから、相対的に。
朱美 :でもって、また、北に向かって、北帰行をしなけりゃならん。
葉月 :ええ、まあ、だいたいわたりどりはそういう感じですか・・・なんちゃって・・。
朱美 :ほう。
葉月 :いや・・まあ。
朱美 :帰れるものはまだいい。
葉月 :・・・。
朱美 :帰れないものはどうだ。
葉月 :・・いや、といわれましても。
朱美 :たかが風呂のたき付けになるってことだよ。

息を詰めて聞いていた一同、思わず抗議。

茅野 :そ、それは言い過ぎでは・・。
朱美 :茅野さん。
茅野 :は、はい。
朱美 :これは、私たちのことを言ってるんです。

小さい間。

茅野 :は?
朱美 :ミッションをなしえることなく死んでいった渡り鳥の痛恨の思いへの心の寄り添 い、残された意志へのリスペクトはあってしかるべきかと。
茅野 :はあ。
朱美 :で、それはそのまま私たちに当てはまる。
葉月 :私たちに?
朱美 :タイムリミット、明日の朝10:00(ひとまるぜろぜろ)。設営部隊完成でき なければ、無益の山です。これらは・・・(と、作業中のいろいろなものを指し 示す)ごみの山。
ネリ :ゴミの山・・・。
朱美 :そ、ゴミの山、ただちに焼却処分。
茅野 :ええー。
朱美 :雁風呂の薪にもならないわ。速攻で本校の焼却炉行き。衣装と調理がまにあった ってどうすんのよ。机と椅子がおいてあつて、それでどうよ。え、なにかいいた い。
葉月 :あ、・・いや別になんも。

小さい間。

朱美 :んじゃ、ステンドグラスの割り付けしよう。武田、ちょとちらばかせて。
武田 :ラジャー。

武田が、図面を床に並べて置く。廊下側の教室の窓四枚分にあたる広さを上下二 分割になるようにしている。できたら、色つきの原画でしかも黒画用紙を使用す る前提で黒画用紙の部分も残したステンドグラスになっていること。これを元に して、黒画用紙の切り抜きとセロファンを使用して実際に作ることが出来るよう してあるのが望ましい。劇中では実際には完成しない。観客にステンドグラスの イメージを伝えられれば良い。周りを黒い森のイメージで包んでも良い。
みんな周りを囲む。おおっとかいう声が上がる。

茅野 :葉月を売っただけの成果があるねえ。試作品とは大違いだ。
葉月 :売った言うな。
朱美 :いや、これは期待以上だね。
ネリ :きれい。
朱美 :武田、この大きさで大丈夫かな。窓枠外して。
武田 :すでに黒画用紙に合わせた台枠作ってます。
朱美 :やはり仕事師だね。
武田 :強度は大丈夫だと思います。
朱美 :じゃ、あとはこれを元に正確でなくてもいいからパート別に黒画用紙に写してい こう。あ、絵の継ぎ目の部分の黒画用紙の枠の大きさは続きのパートにうまく連 続するように。
茅野 :了解。じゃ、全部で黒画用紙何枚分かな  枚か。

これは実測すること。ということはそれから逆算して、台紙を作りそれに絵を描 いておくこと。なお、上下のあまりの部分が出来るときは(窓が見えてしまう場 合)そこはすべて只の黒画用紙で覆うことを前提とする。

茅野 :じゃ。三人で分けると一人  枚だね。あ、一枚余るか。けっこうあるね。ま、 しかたあるめー。ほら葉月、なにぼけっとしてる。わけるよ。
葉月 :いやあ、まあおとぎ話とはいえなかなかのもんだなあとおもって。グリムもえら いねぇ。・・え、何、そんな不思議そうな顔して。
茅野 :あ、お前ひょっとして・・作り話っておもってないか。
葉月 :え、だってメルヘンでしょ。あんましほのぼのとはしてないけど。
朱美 :実際に起こった事件だよ。
葉月 :えーっ。
ネリ :えーっ。
茅野 :ネリもか~い。
武田 :えーっ。
島田 :えーっ。
茅野 :おまえらのは明らかに噓だ。

ばしっと島田の頭をはたく。

島田 :どうしてぼくだけ。
茅野 :手頃な感じ?
島田 :そんなー。
朱美 :700年以上前の1284年6月26日。あ、これは光輝歴でなくて西暦だよ。ドイツの黒い森の中にあるハーメルンの町の子ども130名が近くのカルワリオ山のあたりで消えた。これは事実。日付まではっきりしているのは珍しいよね。
武田 :6月26日・・
朱美 :なにか。
武田 :いや、なんかちよっと。

なんか引っかかっているようだが思い出せない。

朱美 :じゃ、作業にとりかかろう。
葉月 :え、それだけ?
朱美 :それだけ。
葉月 :ねずみ男じゃなくてねずみ取り男は?
朱美 :でてこない。ねずみ取り男の要素が加わったのは事件が起こってから300年以 上たつてから。
葉月 :じゃ、ハーメルンの子どもたちのその後は?
朱美 :一切分からない。何も残っていない。ただ消えたんだ。それが歴史的事実。
葉月 :えー?
朱美 :ただ消えたの。
葉月 :いや、そういわれても・・。メルヘンじゃないのかぁ。

間。気を取り直した風に。

朱美 :さあ、やっつけとこうか。私も、手伝うよ。ああ、島田も武田もちょっと手伝っ て。やっぱ人海戦術がよいわ。2時間ぐらいで片付けよ。

武田と島田がちょと打ち合わせしてそれぞれ一枚ずつ取る。
6人が一枚ずつもった。島の机をばらしてそれぞれ適宜な位置に陣取る。

朱美 :下絵の写し取りは慎重に。まずは全部写し取ってから切り抜きへ行こう。

頷いて作業開始。元の原画を黙々と写し取っていく。
と、早くも飽きる葉月。

葉月 :だーっ。

と、首をひねったら手のストレッチしたり。茅野手を止めずに。

茅野 :飽きるの早やっ。
葉月 :いやいや飽きたわけじゃないけど、不意にね。ふっと。
茅野 :何。
葉月 :いや・・いいのかな言って。
茅野 :いいよ。
葉月 :いや、でも。
茅野 :ならやめたら。・・ああ、ここはこうかな。
葉月 :やっぱり気になるし。
茅野 :じゃ言ったら・・。
葉月 :いや、なんかやっぱり。

再びダンとはさみ(ナイフ)が机に突き刺さっている。
一同再び冷え凍る。

葉月・茅野:ひっ。

じろりと見て。

朱美 :手は止めない。
葉月 :は、はい。

必死で描き始める。
小さい間。

朱美 :しゃべろ。
葉月 :へっ?
朱美 :思わせぶりは極めて気分悪い。(凶悪な目でねめつける)
葉月 :は。はい。
朱美 :で、何。
葉月 :あ、あのう・・実行委員長はそもそもなぜこんなテーマをえらんだのかなぁと・・・。
朱美 :ハーメルン?
葉月 :はい。ま、ダークな感じは悪くはないですけど。でも、なんか委員長と結びつかないというか。
朱美 :えらんだらいけないか
葉月 :あああ、済みません、済みません。深いお考えとも知らず・。
朱美 :悪かったな浅い考えで。
葉月 :え、ええ。ええ?
朱美 :中世と言われて思い浮かべるイメージは何だ?
葉月 :え-、なんか教会。
茅野 :宗教裁判とか。
葉月 :あ、騎士と姫君。
武田 :ペスト。
ネリ :魔女狩り。
茅野 :暗いねぇ。
島田 :暗黒の中世だし。
朱美 :私はなんか森なんだなぁ。
葉月 :は?シュヴァルツヴァルト?
朱美 :そう。黒い森。なんで黒いか分かるか。
葉月 :ぎっしり茂ってるから?
朱美 :そう、ぎっしり。なんでそんなに茂る?
葉月 :なんでと言われてもはえたんでしょ。
朱美 :植林したからだよ、人が。主にドイツトウヒとよばれる背の高い針葉樹をみっしりと植えて創り上げた暗くて黒い森。その中でひっそりと生きるしかない人々の姿が浮かぶんだ。
武田 :冷たくてちょっと息苦しいイメージですね。
朱美 :人工林だからさ。熱帯雨林をみてごらん、猛々しいほどに凶暴だが生命力あふれてるだろ。
武田 :たしかに。
朱美 :単相の人工林だけが持つ冷たさだね。ほかの木々は棲息を許されない。そうしてそこからやってくるんだ。ろくでもない物語が。
葉月 :いやいやいやいや、怖い怖い。
ネリ :物語?
葉月 :人は弱い。ペストや戦乱、飢饉。苦しい生活の中ばたばた死んでゆく。それでも生きていかなきゃなんない、死ぬまでは。希望というやつにすがりつきたくもなるさ。だから、その隙間に物語がすいって入り込んでいく。物語は、村や町を取り巻く森から生まれ、そうしてたとえばこの絵のようなやつが物語をキミの心に吹き込んでいく。いつもいつも心地よい物語ばかりとは言えないけどね。
葉月 :・・笛吹き。

緊張した間。

朱美 :(笑って)ま、ハーメルンとシュヴァルツヴァルトは随分離れてるけどね。
茅野 :え、シュヴァルツヴァルトの中にハーメルンあるんじゃないの、だってコンセプトは。
朱美 :(涼しい顔で)ま、それも一つの物語と言うことで。
茅野 :ありゃま、ビックリ。サギやん。
武田 :おかしいかなとは思ってたけど。
朱美 :基本は同じだよ。ハーメルンよりちょっと後の時代でも人口8万以上の都市なんてヨーロッパには5つしか無かったんだよ。人は圧倒的な森にかこまれひっそり住んでたんだ。

なんか納得がいかない葉月。

朱美 :ほっこりしないかい葉月?
葉月 :えー、森から物語が生まれるイメージはちょっと面白いなと思うけど。実際に子どもが130人消えたんですよね。それと森が生み出した物語がどう繋がるのか、さつぱり。
朱美 :まあそうだろうねぇ。葉月の疑問ももっともだ。みなもそうかな。

みんな不得要領に頷く。

朱美 :少年十字軍って聞いたことある?
武田 :ああ、なんか悲惨な末路だったとか。
葉月 :え、なにそれ、かっこよさげ。
茅野 :食いつき早い。
朱美 :フランスである少年が神の啓示を受けたって、聖地回復を呼びかけたというよりあおったんだ。集まった少年少女その数2万。カリスマだね。彼は無垢な少年少女たちに熱狂する物語を与えたんだ。立派な笛吹きだよ。
葉月 :すごい。・・で。
朱美 :結局みんな船を斡旋してくれた商人にだまされて、難破しておぼれ死んだり、奴隷商人に売り飛ばされる現実が待っていた、そして誰も帰ってこなかった。
葉月 :えー、そんな。
朱美 :物語の怖さだね。
朱美 :とにかく笛吹きがいた。子どもたちが喜んでついていく何かを吹き込んだと言うことかな。・・どうした。
葉月 :いや、それでも、なぜハーメルンを選んだのかはまだよくわからないというか。
朱美 :(ちょっとため息をついて)700年前の出来事だが、ありていにいうと私にはとてもそんな昔に起こったこととは思えないからだよ。
葉月 :というと。
朱美 :いまも同じようなことが起きているのではないかとね。
葉月 :ここで?
朱美 :(頷き)だから選んだ。
茅野 :え、どういうことですか。

間。
みな、少しざわつく感じになる。

葉月 :実行委員長?
朱美 :よくもやってくれたものだ。
葉月 :は?
朱美 :(ふっと笑って)日付だよ。
葉月 :は?
茅野 :日付?1284年6月26日。ハーメルンの事件の日付がなにか。

ぴしっと指を鳴らす武田。どうやら思い出したようだ。

武田 :6・26事件。
茅野 :6・26事件?なんだそりゃ。
葉月 :さあ?・・あっハーメルンと同じ日付。

立ち上がる朱美。

朱美 :7年前の6月26日。最低の事件が起こった。武田しってるな。

武田頷く。

朱美 :他の者は。

首を振る。

朱美 :・・まあむりないか。小学生だったし。武田、説明してやれ。

武田、ため息をついて話す。。

武田 :ま、酷い話だけど。えつと光輝歴2670年、7年前6月26日未明、あちらと の国境にある小さい無人島で行われた、愚かで無謀な侵攻作戦があったんだ。死 者行方不明者併せて300名を超えてほうほうのていで撤収した作戦。悲惨なの は死者行方不明のほとんどはそのとき卒配したばかりのこの学校の先輩たちを含 めた新兵だったってこと。血の6・26っていわれてる。

一同無言。

葉月 :(おずおずと)なんか悲惨な作戦みたいですけど・・それが委員長とどうつなが ってるのか・・よく・・。

間。

朱美 :私にはちょっと年の離れたできのいい姉がいたんだ。姓は違うけどね。
茅野 :姓が違うって?
朱美 :ああ、両親再婚してるから。姉は母の連れ子。ここの生徒でね。生徒会 長なんかもしてたなあ。私と違って優秀だったんだよ。
葉月 :え・・もしかすると。
朱美 :そう。行方不明者リストに載ってる。
葉月 :お気の毒に。
朱美 :ありがと。でも、それは他にもいっぱいいるからね。まあいいんだ。
葉月 :いいつて・・。
朱美 :いや、いいってことはないか。・・私が小学生の時、姉は行方不明になったんだけど、そのときは何とも思わなかった。でも中学生になったとき、どうした弾みかふっと疑問が浮かんできた。それは、あの作戦は、ひょっとしたら愚かでも無謀でもなかったんじゃないかと。私はそのとき凍り付いたよ。

非常に厳しい声。

武田 :え、あれほどばかげた侵攻作戦はないと思いますが。・・どういうことです。

ふっと、笑う朱美。

朱美 :武田は分かると思ったんだがな。
武田 :え・・・・

と考え込む。後の者はなになにどういうことと問題すら分からない。

武田 :あ、・・まさか、そんな。・・あり得ない。あり得ないですよそんな。
朱美 :私もそう思う。でも、もしかしたらという疑問がとりついて離れないんだ。
茅野 :・・・どういうこと、二人とも言ってることがわからない。

武田が言おうとして、朱美を視る。

朱美 :(頷いて)いってやれ。
武田 :委員長の疑問は、無謀さとばかげた失敗をさらしたと思われてるのは、実 は最初から予定されていたことではないかということ、・・ですよね。

間。みな、何が言われたのかよく分からない。

葉月 :・・そんなのいくら何でもあり得ないでしょ、だってそれじゃみすみす殺されに 行くようなもんですよ。
朱美 :だから、殺されにいかされたのではないかという疑問だ。
葉月 :そんな・・いったい誰が。
朱美 :こういうときは利益を得るものを探すべきだろうね。
葉月 :利益?いったい誰の利益に?
朱美 :誰というか、組織かなあ。
葉月 :組織?どこの?あちら?確かに大勝利だけど。
朱美 :こちらだよ。
葉月 :こっら?まさか。
朱美 :我が輝かしき同胞しかないと思うけど。
葉月 :いやいやいや。動機は・・そんなことやる動機がわかりません。むちゃくちゃです。
朱美 :動機ならあるよ。

と、さらっという。

葉月 :なんですか。
朱美 :粛正。
葉月 :な・・。

一同唖然。ただ武田はあり得るかなという感じ。ネリはすごく動揺している。

朱美 :同胞自身の手を汚さずに、あちらに殺してもらう。そうして、命を捧げた勇敢で 尊い犠牲者として栄誉を与えることにより、我が同胞への忠義と愛国心を高める こと。一石二鳥。立派な動機だと思うけど。姉は二度殺されたようなものだ。
茅野 :・・いやいやいや、それやはり無理がありますよ。だって、犠牲者たちは普通に 集められた卒配でしょう。それを粛正したっていうのはちよっとむりありすぎで すよ。第一人的資源がもったいない。
朱美 :(ふっと笑って)選別されていたとすれば。
茅野 :は?
朱美 :この5年調べに調べたよ。うちの学校の卒業生だけじゃないので大変だったけど。 でもある程度の傾向が分かった。犠牲者たちのほとんどはいわゆる思想汚染の疑 いをもたれていた者たちだった。思想汚染て分かるね。
葉月 :・・はー、はい。あちらの日本の思想に共鳴したりまたは関心を持っていたりす る者ですよね。
朱美 :だいたい程度の軽い者で一月ていど思想矯正キャンプいりかな。・・でも、それ でも矯正できない人もいるだろうしね。
葉月 :というと、・・お姉さんも?
朱美 :まあ、そうだろうね。卒業間近に一月ぐらいいえあけたし。そのころはなんでか 分からなかったし家族もなんにもいわないし。で、戻ってきたかと思うとすぐ前 線配置だしね。普通は、半年ぐらい掛けて訓練するはずなんだけど。そのまま6 月26日まであえなくて、結局そのまま会えずじまい。
武田 :(咳払いして)えー。思想汚染ていわれるけどお姉さんはどんなことを。
朱美 :まあ、それほどたいしたことでもないと思うけど私は。・・灰色の書って聞いた ことある?

葉月と茅野は首をひねる。武田は頷く。島田も知ってそうだ。ネリは目を見開い ている。恐怖に襲われたようだ。

朱美 :ん、どうしたネリ知ってるのか?
ネリ :し、知りません。
朱美 :ご大層な名前の割にたいしたもんじゃない。要はあちらの日本のいろんな書物と 言うぐらいのくくりでいいと思う。大学レベルでは研究対象になってるものもあ るし、許可証もらえば閲覧することも出来る。ただ、高校生以下はね・・持った り読んだりするだけで生徒指導の対象になるし、場合に寄れば特務警察の監視リ ストに入る。
武田 :お姉さんはそれを。
朱美 :ああ、どうやら生徒会の中で灰色の書を読んだりするグループがあったようだ。 姉はそのグループを主導していたとみられたんだな、だってほら、生徒会長だっ たし。
武田 :お姉さんはどんな書物を?
朱美 :よくはしらない。・・ああ、一つだけ一部覚えてる文章がある。書物名も何もな い破れかけたパンフレットの一部だが。姉の机にあったのみて気になったやつ。
武田 :どんな文章です?

ちょと考えて。

朱美 :知らない方がいいとは思うが、まいいか。・・一度聞いても多分ぴんとこないと 思うけど、たしかこんなんだったなあ。

思い出す。

朱美 :こんなのだ。頭が欠けてるけど。・・・は、恒久の平和を念願し、人間相互の関 係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正 と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平 和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる 国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。

ぽかんとするみんな。

朱美 :意味分かるか。

全員頭ふるふる。

朱美 :あちらの日本の聖典らしいけど、どうなんだろ。今じゃお互いドンパチしてるし 聖典言うのも怪しいかもな。ま、灰色の書と言ってもこんなもんだよ。
葉月 :えー、ますますわからない。なんでそんなの読んでるだけでしななきゃいけな いんですか。
朱美 :ありの一穴から堤防が崩れると言うだろ。それを畏れたのかも知れない。とにか く、そんな程度の者たちが選別されてあつめられ、6・26に死んだり行方不明 になった。あの日小さい島に流れた突撃ラッパはまさに同胞の吹く笛吹きの音だ ったんじゃないかという疑問がわたしを捕らえて放さない。もし、その疑問が当 たっていたとしたら・・。
葉月 :当たってたら。
朱美 :見当違いの疑問なら、それはそれでいいんだ。姉は不運だったと思うしかない。 でも・・もしその疑問が疑問じゃないとしたら。・・私はそれを見過ごすことは とうてい出来ない。・・たかが、メ ルヘン喫茶だが、6・26をわすれるなと、 姉のためにちいさい笛の音をならすことにしたんだ。みんなをまきこんで済まな いね。
葉月 :いやいやいや、全然済まないって思ってないでしょ。
朱美 :分かる?
葉月 :そりゃもちろん。そのふてぶてしさで済まないていわれても全然説得力ありませんてば。ほんとにほんとの動機は何ですか。
朱美 :ほんとにほんとか。
葉月 :はい。やっぱりなんかもう一つここに(胸をたたく)来ないんですよ。
朱美 :あっぱれだねぇ、葉月は。・・姉のことはもちろんある。でも、それより私は畏れてるんだよ。
葉月 :何を。
朱美 :森をさ。
葉月 :森って。

周りを見る。

葉月 :黒い森?
朱美 :いやいや、あれは700年昔。今だよ。
葉月 :今の森?

皆、分からない。

朱美 :そう、目には見えないかも知れないねぇ。でも、森は私たちを囲んでる。700年立っても、私たちはまだ森の中にいるんだよ。
葉月 :・・ちょっと、分からないですけど。
朱美 :葉月、キミは演劇を捨てることが出来るかい?
葉月 :えっ、なんですか突然。
朱美 :演劇を捨てることが出来るかい?と聞いている。
葉月 :そ、そんなこと突然に言われても。
朱美 :さっき言ってたよねえ、あの台詞。気に入ったよ。
葉月 :は?
朱美 :人は多分もの狂いだと呼ぶことでありましょう。けれども、このよのどこに、いったいものぐるわなくて済む愛がありましょう。だれもが何がしか狂わなければ、人を愛することなどはできないのではないでしょうか?

間。
思わず拍手するネリ。

朱美 :熱があるよね。葉月らしいと思う。だが・・この台詞ある意味不穏だよね。
葉月 :え?
朱美 :キミは物狂わなければならないという。それは立派な思想汚染だよ。
葉月 :えっ?

みなもおどろく。

武田 :それはどう言う意味です。葉月にかぎって。
朱美 :葉月だからこそだ。
武田 :はぁ?
朱美 :だってそうじゃないか。キミはここ(胸)が命だろう?武田、同胞の愛の第一教義は何。
武田 :一人は全体のために、同胞の為に。
朱美 :物狂いつてのは強い執着だよ。それは必ず一個の物へと収斂する。人は全体のためにはもの狂え無い。良い場合も、悪い場合も。それはキミが執着するただ一つの物への愛だろう。違うかい。・・従ってやがて同胞は必ずキミに要求するはずだ。悪しき執着を捨てよ。そうして同胞への愛に還れと。さもなくば。
葉月 :さもなくば。
朱美 :もう一度問うよ。キミは演劇を捨てることが出来るかい



葉月 :私は・・私は・・。

朱美、にっと笑う。

朱美 :今も、目に見えない森は周りを囲み、笛吹きは笛を吹き続けている。だからこそこのテーマを選んだ。
茅野 :どういうことです。
朱美 :大きな笛吹きの音をききつづけると。
茅野 :聞き続けると・・。
朱美 :やがて進んで、自らをその笛の呼ぶ声に歓喜の心と共に捧げる瞬間がきっとくるんだよ。
葉月 :え?
朱美 :そうして、従わぬ者たちへの憎悪とまつろわぬ者たちへの敵意と安閑と暮らすも の達への怒りを込めて、固く思い始める、この愚民たちめと。それは誰かに売り 渡された私のなれの果てだよ。かつては確かに、この大地にしっかりと立ってい たはずの私の蜉蝣。ただの駒。気をつけ。敬礼。休め。構え、突け。休め。誰で もいいのだ、あるいは何ものでもいい。ただ、ただ憎悪、敵意、怒り、その対象。 きおーっつけ。敬礼。休め。構えーっ、突け。突け。つけーーーっ。しねー、し ね、しね、しねー。・・笛の音が聞こえます。うれしいです。私はこのためにあ ります。ただ、このために。わが同胞(はらから)のために。ただ同胞の為に。 ただただ同胞の為に。きおーっつけ。敬礼。休め。構えーっ、突け。突け。つけ ーーーっ。しねー、しね、しね、しねー。

圧倒される皆。

朱美 :・・・簡単にそこまで人間は卑しくなれる。・・それはとつてもこわいことだと思わない?
葉月 :・・・ごめんなさい、よく分かりません。
朱美 :(笑う)分からない方が健全だよね。これはこちらが悪かった。・・で、ほんとうにほんとの動機だが。
葉月 :はい。

ところへ、安曇先生がやってくる。

朱美 :ああ、どうやら、これは、キミの疑問の答えがやってきたようだね。
葉月 :え?
安曇 :朱美さん、良いかしら。
朱美 :ああ、全然。

ネリは震えている。葉月は不思議がる。

葉月 :どしたの、ネリ。
ネリ :何でもありません。
葉月 :そう。

武田何かに気づく。

朱美 :それでなんですか、安曇先生。
安曇 :いや、ちょっとあなたに聞きたいことがあるって人がこられてるけど。

安曇、にこにこしている。

朱美 :あ、そうですか。もうにこにこしないでいいですよ。
安曇 :え。
朱美 :笑うところじゃないでしょ。会いたいって言うの特務警察の人でしょ。
安曇 :は?

安曇先生の顔がこわばり、一瞬で表情がなくなる。
特務警察?
と、一同もちょと引きつる。

朱美 :先生も仕事ですもんね。じゃ、行きましょか。

先生、硬い表情で立つ。

ネリ :(思わず)実行委員長。
朱美 :大丈夫。あ、ネリ、キミは悪くないからね。絶対悪くない。

と、ナゾの言葉を残す。
硬直するネリ。

朱美 :私の疑問は解決された。(辺りを見回し)あとの処理は頼むよ。(ふてぶてしく笑う)・・(安曇に向かって)職員室ですよね。

確認して出て行く。
安曇先生、こわばった表情で見渡す。

武田 :先生。
安曇 :何。
武田 :特務警察がなんで実行委員長つれて行くんですか。
安曇 :あ、私もよくわからないけど、なんでも灰色の書がどうたらとか、
武田 :お姉さんの関係ですか。
安曇 :は?

それまでぼやけていた表情が一瞬鋭くなる。

安曇 :お姉さん?
武田 :委員長に聞きました。7年前6.26事件でお姉さん行方不明だって。
安曇 :(はにゃとして)わからないわ。誤解かも。とにかく、あなたたちは今夜は宿泊棟でね。明日事情聴取があるかも。
武田 :隔離ですか?
安曇 :何言ってるの隔離なんて。・・じゃ、朱美さんについていなければならないから、先生先に帰るわね。

帰ろうとする。

武田 :先生。
安曇 :なあに。
武田 :あなたはほんとうに先生ですか?

間。
表情がなくなる。

武田 :あ、笛吹きかなと。
安曇 :は?
武田 :いいです。忘れてください。あー、差し入れあるとありがたいです。
茅野 :お願いしまっす。
葉月 :丼物あればありがたいですー。

安曇、にっこりわらって。

安曇 :わかった。あとでとどけさせるわ。ゆっくり休んで。
一同 :ありがとございまーす。

安曇さる。
武田、おおきく息をつく。葉月、茅野も大きく安堵。
ネリ、泣きそう。

茅野 :ああ、やばかったー。・・ネリ、どうした泣きそうじゃん。

ネリ、号泣。葉月、茅野どうしたんと、

ネリ :わたしが・・売ったんだ。。

ネリ、号泣。
みな、とまどう。

武田 :ネリ、お前のふるさとひよっとするとあちらの日本じゃないのか。

ネリ、泣き声が一瞬、やまり、また激しく泣く。
はっとする一同。

茅野 :・・ああ、それで、雁風呂の話しだ。
葉月 :ネリのふるさとか。じゃ、親は。
武田 :亡命か難民かだろ。(ネリの方がぴくりと動く)厳しいだろ、監視の目がやはりあるし、職にもなかなか付けないって聞いてる。
葉月 :じゃ、ネリにも。
島田 :多分監視付き・・さしずめアズミンあたり?弱みにつけ込まれたんだね。

ネリの泣き声が響く。

茅野 :なくのはやめな。朱美いったじゃない。ネリは絶対悪くないつて。委員長は全部 見通していたんだよ。

島田は、ぽんポンとネリの肩をたたく。
ネリはただ泣く。

茅野 :なんかむかつくアズミン。あれでも先生かよ。
武田 :・・・(ぼそっと)特務警察かも
茅野 :え、まさかあ
島田 :生徒に心開かせていろいろ探るには都合のいいキャラだし、思想汚染見つけたら 摘発して浄化する。そうして次の学校へ赴く。多分、新学期にはいないと思うよ。
茅野 :うわー、武田に島田、こわいこわい。まじつすかー。
ネリ :私がいけないんです
葉月 :ネリは悪くない。笛吹きの音につれていかれたんだよ。
茅野 :うわぁ、それもこわいこわい。
島田 :委員長どうなるのかな。
武田 :まあ、再教育キャンプは免れないと思うけど、なんか意外とそれ狙いだった気も する。
茅野 :うそー。そんなことあるわけ無いよ。
武田 :姉さんのことがあるから多分最初から監視の対象だったと思う。委員長も知っててあえて、疑問の答えをしろうと・・・
茅野 :ええー。
武田 :あの人は強いし。

一同頷く。

葉月 :でも、これどうしよう。

と、ステンドグラスの材料らを示す。

葉月 :なんか腹立つんだよ。分からないけど。無茶腹立つ。
茅野 :そだね。なんか違う気がする。

間。

武田 :俺たちは何班?
ネリ :(涙声で)設営班。
武田 :なら、今晩中に設営完了しときゃ俺たちの仕事は終わり。どうせ、いま隔離状態 だし。あとは衣装班か調理班の誰かに全体の指揮を任せたらいい。
島田 :(スマホチェックしてた)エリアジャミング終了みたい。
武田 :やっぱ委員長がらみだったな。
茅野 :あたし頼んでみる。
武田 :多分学校は表向きは思想汚染なんていわないから、そこは適当に委員長の都合が悪くなったとか何とか。
茅野 :分かった。
武田 :委員長いったよな。700年たっても私たちはまだ森の中にいるって。上等じゃないか。黒い森を完璧に作るぞ。アンダースタン?
一同 :(口々に)アンダースタン!
武田 :じゃ、かかろう。・・笛吹きの夜の始まりだ。
茅野 :かっこつけて。

武田、にやりと笑って釘を口に含む。
それぞれ、作業に入る。釘を打つ音がする。黒い画用紙を切る作業がはじまる。 看板をたてて塗りを始める。

茅野 :葉月てつだってよ。
葉月 :(てで制止する)・・・委員長言ったよね・・キミは演劇を捨てることができるかい?・・・出来るわけ無いじゃん!!ぼけーっ!

葉月ばんばんと両方を両手ではる。
そうして朗々と冒頭の台詞を再び。

葉月:まことに愚かなことではありますが、あらかじめ失われている愛を、それでも得ようと望めば、果てしなく無駄な労力を強いられることとなります。しかしながら、それを承知で、どこにもない希望を胸に、決して手に入れることはできないものを手に入れようと静かに進んでいく愚か者は、多分どこにもいることでありましょう。決して、勝ち目のない、決して終わりのない、泥沼のような行き着くところのない迷宮の中にその人は足を踏み入れました。どこにも逃げ場のない檻の中に自らを閉じこめて。多分それは一つの勇気と言ってもいいかも知れません。あらかじめ敗北が決まっている闘い。その敗北をみずからの眼で見るために、いいえ敗北を確かに生き続けるためにその人はどこまでも歩み続けたのであります。ばかげた行為ではありましょう、パンドラの箱にかすかに残されたあの希望すらどこをどう探そうともありえはしないのに。それでも遙かな前方の暗闇を見据えて静かに静かに進んでいく。・・おかしいですか?おかしいでしょうね。人は多分もの狂いだと呼ぶことでありましょう。けれども、このよのどこに、いったいものぐるわなくて済む愛がありましょう。だれもが何がしか狂わなければ、人を愛することなどはできないのではないでしょうか?そうして、その人は、静かにだが決然として狂っていったのであります。・・その勇気を私は目を背けずに静かに、なすすべもなくひそりと見つめ続ける必要がありました。私ですか・・私は、あの人の愛した人形でしかありません。

みな、手を一瞬止めて葉月の台詞にききいるが、また真剣に作業に戻る。
稚拙な笛吹きのステンドグラスが背後からの光に照らされて、稚拙さが異様な感 じを与えながら浮き上
がる。それは、彼らや観客を見張っているかのようでもある。
「グノシェンヌ1番 その男凶暴につきバージョン」が凶暴に鳴り響く。
それは、生徒たちの営みをねじ伏せるような大きい笛の音とも聞こえるし、生徒 たちの強い意志の表れとも見える。緞帳が下りる中、台詞と音楽が拮抗する。

【 幕 】

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